盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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12話 セイバー陣営は意見が分かれる

 場所は、アインツベルンの森に建築された古城の一室へと移る。

 綺麗に整えられた応接間のテーブルには地図が広げられ、それを囲うようにしてアイリとセイバー、後から来た切嗣と舞弥が集まっていた。

 

「――それで、キャスターのことだけど……」

 

 地脈の説明を一通り受けてから、浮かない顔でそう話を切り出すアイリ。

 キャスターという単語が挙がり、各々の身がより一層引き締まった。

 幸運以外を規格外と測定不明で埋められたステータス、絶対的な差があると確信させた宝具を脳裏に蘇らせて。

 

「真名はニャルラトホテプと考えていいのかしら? 実在しないはずの……昔、二人で遊んだクトゥルフ神話TRPGの、神話生物の一つとして」

「ああ。信じ難いことだが、あの宝具の効果は正気度喪失による一時的狂気のそれと同じだ。直感的に感じたものに食い違いがあるものの、舞弥とセイバーの常識では測れない生物ではないという感じ方と、僕とアイリのクトゥルフ神話であるという感じ方。本質は合っている。間違いないだろう」

 

 はたして切嗣には自覚があったのか。妻との会話でありながらも、そこからはわずかに冷ややかさを帯びた声となっていた。

 

「調べてみたが、弱点らしきものは何もなかった。戦術も戦略も思考も、まるで分からない。魔術のみならず魔法も扱えるかもしれないときた。これじゃあどんな現象を引き起こしてマスターを防護するのか……想定できない。前回のように視界に入るところに置くのか、それともどこかに隠匿させるのか……」

「……」

 

 やはりマスターを狙うのか、とアイリは胸を痛めずにはいられなかった。

 切嗣の戦法は、セイバーとアイリを囮に敵のマスターをありとあらゆる手段を用いて確実に仕留めるというものだ。サーヴァント同士で決着をつけるつもりはさらさらない。サーヴァントが脅威であれば、むしろそれが最善といえるだろう。そのことについてはアイリとて理解している。

 しかしまさか、それを実行する相手が娘――イリヤと同年代の子供になろうとは思ってもみなかった。

 切嗣とセイバーにはこの戦いを勝ち抜いて、聖杯をその手に取ってほしい。そのためにもあの子を殺すのは必須だろう――同時に、子を持つ親としての自分が渋らせる。本当にニャルラトホテプを討てないのか、他に方法はないのかと、考えずにはいられない。

 

「……確かにキャスターは強いわ。セイバーだけだと左手を治癒しても……勝ち目は薄い」

 

 アイリは言葉を濁すが、セイバーが単体では太刀打ちできないことは、当人でさえも感情を抜きにして判断している。

 まだ戦う姿を目にしていないのに、そう判断するのは早計かもしれない。加えていえば、昨夜のニャルラトホテプの人間姿から放たれる威圧感は普通の人間と変わらなかった。殺意だけでなく敵意すらないあの視線には、怯ませられるものは何もない。

 だが、真名とステータスを知ってしまった今では、とても同等に戦える気がしない。

 

「だから、一時的に同盟を結ぶのはどう? ロード・エルメロイや遠坂とか。彼らもきっとキャスターを強敵だと認識している、変に疑われることはないわ」

 

 三体ものサーヴァントが一度に襲い掛かれば、ニャルラトホテプといえど敵わないだろう――敵うはずがない。

 希望を込めたアイリの提言に、切嗣は粛々と頷いた。

 

「そのつもりだよ。あとで両方に便箋を送る。アイリにはマスターとして同盟を取り付けるのと、セイバーにかけた呪いを解かせるよう、けしかけてもらう。その左手に対城宝具があると言えば、恐らく承諾するだろう」

「――それって……ねぇ切嗣、あの子を……」

 

 アイリとセイバーは察した。

 同盟を前提としてマスターのことを意識していたなら――。

 彼はサーヴァントに、協力したら勝ってくれるだろうという信頼はない。あくまでも苦戦を強いらせるだけで、ニャルラトホテプの注意がそれている間に、マスターを仕留めようとしている。

 アイリの問いに、端的に返答する切嗣。

 

「殺すよ。子供だろうと例外じゃない。聖杯戦争に参加している一人のマスターだ」

 

 その断言するような言い方に、アイリは痛感する。

 目の前にいる衛宮切嗣は、自分の知る衛宮切嗣ではない。

 妻と娘を持つ前の――幼かろうと年寄りであろうと、より多くの人数を救うためなら命の価値を同等にして切り捨てる。冷酷非道の魔術師殺しだ。

 切嗣がその頃に戻るというのは、まるで自分との出会いをなかったことにされるようで――重ねて八歳の女の子を死なせることに、アイリは陰鬱に視線を落とす。

 しかしそれまで沈黙していた背後に控えるセイバーが、芯のある声音で異を唱えた。

 

「マスター、我々サーヴァントを信じて下さい」

 

 サーヴァントのみで正々堂々と戦うという戦法を好むセイバーには、切嗣のやり方は許し難いものである。普段であれば激怒していたことだろう。

 だが、今回ばかりは相手との戦力差は歴然としている。セイバーなら確実に勝利を取ってくれると、そう納得させられるだけの力を明瞭に示せなかった。マスターを屠ることを視野に入れてしまうのは仕方がない。

 それでも、切嗣のやり方は承認できないものだ。よりにもよって対象が決意のないいたいけな子供……どうあっても思いとどまらせる。

 

「共闘さえすれば、必ずやキャスターを討ち取ります。マスターが手に掛けなくとも――」

「同盟を結ぶまで、僕たちはいつキャスターに襲来されてもいいように万全な状態で備える。舞弥はキャスターの拠点を割り出すことに専念してくれ」

「――! マスターッ!」

 

 セイバーの実直な意見を、切嗣は無表情で聞く耳持たず遮った。これにはセイバーも感情をたかぶらせる。

 しかし憤りを含む視線を受けてもなお、それを一瞥すらせずに切嗣は乾いた声で解散を告げた。

 舞弥はすぐさま静かに頷いてその場を後にする。セイバーは荒げて反論するが、切嗣は無視してテーブルの上にある地図と資料を集めて応接間を出た。

 そして、次に部屋を出たのはアイリ。怒りに震えて佇むセイバーに労いの意思を伝えて切嗣を追いかけた。ニャルラトホテプのマスターのことも気掛かりだが、いくらなんでもセイバーへの態度が目に余る。

 切嗣はすぐに見つかった。近くに寄り話しかけようとするが、相手の方から口火を切る。

 

「ほんの一瞬だけ、イリヤと重なった」

 

 誰がイリヤと重なったのかは明白だろう。

 切嗣のその顔は、その姿には、先程までの冷たさは残っていない。ただただ余裕のない、弱っているとしか印象付けられないものとなっていた。

 アイリは今の衛宮切嗣という男をようやく理解する。

 この男は、昔の自分のように冷徹に振る舞おうとしているのだ。そうしようとするだけで――限界がきている。

 以前と違い、喪いたくないものができてしまった。アイリとイリヤという、かけがえのないもの。そのかけがえのないものの影響によって、切嗣にはそれらを喪うかもしれないという恐怖を与え、空虚となれる強さを奪い――無関係な人間を、小さな子供を殺す躊躇いを奪ってしまった。

 

「聖杯が救う人数は五十億以上。必要な犠牲だというのは分かってる。なのに僕は……」

「切嗣……」

 

 苦悩に苛まれている夫に、なんて言葉をかければよいのだろうか。

 彼が殺人を犯すのは、それでしか救える方法を知らぬからだ。人を傷付ける罪悪感は、人一倍抱えているだろう。妻と娘を持ってしまい、さらにその痛みは大きくなってしまった。

 今の切嗣に、殺人を咎めてはならない。苦痛を与えてしまうだけだ――だから肯定するべきなのだ。世界を救済するという、その理想は正しいのだと言ってきた。その理想を遂げるためにと、そうして彼の負担を少しでも減らす。

 ――理性ではそうとわかっていても、感情が歯止めをかける。

 

「……僕は負けるかもしれない。こんなことで抵抗を感じている。ここまで衰えた状態で危険な奴を、二人も相手にしなくてはならない。アイリを犠牲にして……イリヤを残して……絶対に負けられないのに!」

 

 ニャルラトホテプの思考が読めない恐ろしさ、キャスターのクラスである恐ろしさ、勝てないかもしれないといった弱音を吐いた。

 切嗣は聖杯戦争のマスター、サーヴァントの中で――恐らくもっとも聖杯に執着しているだろう。聖杯を取らないという選択肢を自ら残さず、切羽詰まっているというのに、誰よりも――それこそ凍るほど冷静に打開策を見出そうとする。本当に魔術師殺しの頃へと戻れたら、心を部品の如く限りなく無にして、聖杯のために数百の命を犠牲にすることを厭わないだろう。

 そんなゆとりが欠片もない彼の前に、強敵が立ちはだかった時の恐怖感はどれほどのものだろうか。

 

「……説得、させて……」

 

 ぽつりとアイリが考え抜いて呟いた一言に、切嗣は目を見開いた。

 切嗣に情を意識させる言葉は苦痛だ。しかし、アイリにも許容できる範囲がある。子供を死なせる行為は、仕方ないと看過できるものではない。

 アイリはひたすらに真っ直ぐな眼差しで切嗣を見据える。

 

「先にあの子に、聖杯を諦めるよう説得させて。上手くいけばキャスターも退場させられる。もし失敗したら……他人を蹴落とす覚悟、自分の命を失う覚悟を持って挑んでいるということ。それなら私も割り切るわ。だから――」

「ダメだ。マスターが令呪を使ってキャスターを呼び出したら、アイリの身が危ない」

 

 焦りからなる強い口調でその提案を拒み、続ける。

 

「それに、恐らく説得は失敗する。昨夜の出来事を体験してもなお聖杯戦争に身を投じるなら、それ相応の覚悟は持っているはずだ」

「……そう、よね……」

 

 こうなるだろうとは予想していた。

 セイバーだけではアイリを守り切ることはできない。するのであれば他のサーヴァントが必要になる……が、説得に協力するマスターはいないだろう。サーヴァントがそう思っていたとしても権限はマスターにある。アイリを庇えるのがセイバーだけではリスクが高い。

 失敗する理由についても、納得できてしまえる妥当な根拠だ。だが自分で直接訊くまでは納得したくない。切嗣はアイリに必要以上に危険な目に遭って欲しくないようだが、それでも覚悟の有無について問いを投げたい。

 切嗣が完全に踏み切りをつけるのに、少し時間がかかるだろう。その後は同盟を組むところから始めるから、数日はある。切嗣にバレないように、あの子と接触しよう。慎重にすれば、話せる場を設けられるはずだ。

 そんな計画を立てている反面、切嗣を裏切っているような気がして戸惑いも生じていた。

 


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