盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
わたしとお兄ちゃんの関係は利害の一致である。そこに兄妹やら家族やらは含まれない。
殺人だけが、わたしとお兄ちゃんを繋いでいる。
――誰かを殺しに行く時に誘い、殺人を犯し、数多の作品を創り上げる、いずれ妹を殺す兄。
――誰かを殺しに行く時に誘われ、殺人の音を聴き、作品の感想を述べる、いずれ兄に殺される妹。
慈愛精神は欠片もなく、ただただ殺伐としていて、互いの日常には干渉しない。
こんな関係に、果たして利害の一致以外に当てはまる言葉があるだろうか。
これに、兄妹としての絆や家族ならではの愛情を見出せるだろうか。
――否である。
わたしが幾ら「お兄ちゃん」と呼ぼうとも、それは本当の意味で兄として扱っていない。そしてこれからも扱うことはない。
お兄ちゃんに至っては、一人称を兄としたことも、わたしを妹と呼んだこともない。
わたしのお兄ちゃんへの印象は――刺激を受ける音を聴かせてくれる、シリアルキラー。
そこに兄というキーワードが入ることはなく。不変であり、恒常的であり、自明である。
お兄ちゃんのわたしへの印象も、訊いたことはないが――さしずめ、珍しく変わった素材だろう。
偶然にも、お兄ちゃんは相手が誰であろうと人を殺せる殺人鬼であり、お兄ちゃんの芸術における感性はわたしも通じるところがあり、わたしは生きていた――一緒に居るのはそれだけの理由で……それがなければ成り立たない。
そんな関係であると、わたしは思っている。
……つまるところ、何を言いたいのかというと――お兄ちゃんはわたしだからといって殺すのに容赦ないのだ。
生きている限り絶対に知り得ない死を知るため。
人という生き物を材料にCOOLな作品を創るため。
その人物に、それだけの価値があるのなら――。
拷問に拷問を重ね、生への執着と断末魔を見届け。ある時は生きている間に、ある時は死後に創作物として――人を終わらせる。
自分で言うのもなんだが、わたしは特殊な人間だ。
お兄ちゃんに殺されるのであれば、より残虐で、より残酷な、とっておきの殺し方が待っていることだろう。
……それでいい。
お兄ちゃんがそんな人だったからこそ、わたしは――。
兄だけを、兄として、例外的に見れたのだから。
――でも。
――わたしは『殺されていい』というだけなのに。
――どうして、『殺されたい』と願ってしまうのかな?
「――? まだ呼んでないけど……あ、帰ってたのか。おかえり、夢月」
「ただいま。お兄ちゃん」
言いながら扉をくぐり、閉める。
部屋の中は濃密な鮮血と温もりのある臓物の生々しい匂いが立ち込めていて、女の子の啜り泣いている声が響いていた。この声音は……わたしと同年代くらいの子供だ。
わたしはお兄ちゃんが居るであろう方向に、手探りで歩を進めながら問いを投げた。
「今は何を作ってるの?」
お兄ちゃんはどことなく高揚とした様子で答える。
「オルガン。この前、生きた人間の腸を鍵盤に見立てて、悲鳴を利用したオルガンを考えてるって話したろ? 場所ごとに安定して音が出ないから苦労してさぁ……あれから試行錯誤を繰り返して、ようやく低いか高いかまでは分けられたとこ」
おぉ! ちょっと楽しみにしてたやつだ。腸はお腹の中に入ってる臓物だっけ? それを鍵盤ってことは……腸を押して、音階ごとに合った悲鳴を出すのか。
「どうして安定して音が出ないの?」
「それは――やった方が早いか」
その時、わたしはお兄ちゃんの近くに来れていたようで、べっとりと血液で濡れているであろう指で手を掴まれた。そしてそのまま移動させられて、台らしき物の前で止まる。右手で人差し指だけ突き出すように握られて、後ろにいるであろうお兄ちゃんの指示が、上から聞こえた。
「爪を立てないように。あと力を入れすぎるなよ」
「うん」
なるべくその通りに、視えない人間オルガンに緊張気味に加減して、指で腸を押した。すると、低めなトーンの痛々しい呻き声が聴こえる。
……やっとお兄ちゃんの作りたいものが分かってきた。これが本物の楽器みたく音色を変えられたら、確かに面白そうだ。
そんなことを思いながら、わたしはもう一度全く同じ所を押した。
「……あれ? 低いけど……違う?」
首を傾げて口にした疑問に、お兄ちゃんは手を放して、不満そうに、けれどどこか楽しそうとも解釈できる声で応える。
「そう、それ。そこがオルガンの一番の難点なんだよね。同じ痛みを感じたからって、同じ悲鳴が出るとは限らないから」
「それもそっか……でも高い音は意図的に出せるんだよね? ニャルラトホテプの魔術?」
「いや、主にミゴが魔術で死なないようにしてくれたり、痛覚が麻痺しないようにしてくれてさ。どうやって意図的に出るようにしたかは……説明するのが難しいな。とにかく色々工夫したよ」
説明の難易度が上がってしまうのは、わたしが人体の構造をまるで理解してないからだ。どれくらい理解できていないかというと、お兄ちゃんにわたしが思い付いた殺し方を発案すると、極端すぎるという理由だけで却下されるぐらい。わたしはそのつもりはないが、かなり無茶な要求をしているらしい。
「大変そうだね。……というかミゴさん、魔術使えたんだ。意外……でもないか」
よくよく考えてみたら会話の仕方がテレパシーだったし、他にも超能力的なモノが使えても、そう不思議がることではない。
「んで、おねーさんに関してだけど、そもそも協力するの断られちゃってさぁ」
「え? そっちはちょっと意外。何かあったの?」
ニャルラトホテプ、誰かを殺すの全く抵抗なさそうなのに。まぁでも、そういうことがなければ他のモノをわざわざ呼び出して手伝わせたりなんかしないか。
わたしの問いに、お兄ちゃんは落胆を包み隠さず、嘆息と共に教えてくれた。
「何でも、殺しは無意識な動作で楽しめないらしい。代わりの奴は役に立ってるけど……初日に見たあの殺し方、もう一回見たかったのになぁ。無意識ってのも意味わかんねぇ」
「それはわたしも意味わかんない……けど、んー……」
お兄ちゃんの言い分には共感するにはする。あの音は今でも鮮明に思い出せるくらいにすごかったし、聴けることなら聴きたい――が、ニャルラトホテプの言い分にも納得しかけており、同意しにくいものでもある。
断ってくれなければショゴスたちに会えなかった……という私情を交えた上で。
「要するにニャルラトホテプは人を殺すのが楽しめないんだよね。……わたしはそれを聞いて、安心しちゃった」
「安心?」
訝るような視線に、頷く。
「だって、ニャルラトホテプが――星を簡単に壊せる神様が、人を殺すのが好きだったらさ、人類とっくに滅んでるじゃん。それか、支配されて洗脳されて、子ばっか産むようにする……とか。束縛ばっかりになりそう。だから……ニャルラトホテプにはあんまり、殺人を楽しんでほしくない」
思う通りのことをそのまま述べると、少ししてからお兄ちゃんが口を開く。
「……じゃあ、夢月が理想とする神様ってどんな感じなんだ?」
「うーん……理想……」
一振りで世界の法則を変え、創り変えてしまうような――全知全能。
あらゆる懇願は無駄でしかなく、絶対的な決定権を有する――神様。
わたしたちを――世界やら宇宙やらを生み出した存在。
それの、理想……
「諸々の設定をするだけして、消えてほしい。居るとしても何の感情もない、何もしない神様。善意も悪意も抱かずに、観察すらしてほしくない。けど……ニャルラトホテプは、消えてほしくない――かな」
すると、お兄ちゃんに興ざめしたと言わんばかりにため息をつかれて。
「お前……もうちょい夢のあること考えろよ。せっかく名前に夢が入ってるんだから」
「ちょっ、お兄ちゃんが訊いてきたのに冷めないでよ! 殺戮神の方がよっぽど夢ないじゃん! ――あ、いや、悪夢だから夢しかないか。あと名前は関係ない」
叫ぶと、お兄ちゃんの淡泊な声が返ってくる。
「面白味がない回答するからだろ。理想像なんだからもっと願望詰めろよ。今頃愉快なことを仕込みまくってくれてて、凄ぇことが待ってるとか、それぐらいの期待はしてもいいと思うけど?」
期待……期待? あれに……?
「だいたい、お前のは神様から好かれてなさすぎるんだ。こんなにも創意工夫で磨き上げた設定を詰め込んで、手間暇かけて世界創って人間創ってんだから、オレ達は神様から愛されてるよ」
「……わたしだって、そう考えたいよ。でも……」
理想でいうなら間違いなくお兄ちゃんの方が良い。そこは全面的に同意する。
けれど、どうしても現実的に考えてしまって――
「そんなわたしたちに――それも人間なんかに都合のいい神様なんて想像つかない」
そう、俯きながら――諦めるように呟いた。
「……お前さ、よく自分を卑下しておねーさんの隣にいられるな」
どんな神経だよ、と言われたような気がした。
――むしろわたしには、なぜお兄ちゃんは人間をそこまで肯定できるのか理解できなかった。
「それはそうと、オレは創作に戻るけど、聴いていくか?」
「う、うん。高い音も聴いてみたい…し……」
待て。即答してしまったが、なにか他の目的のためにここに来たような……
「――あっ! ショゴスについてお兄ちゃんと話すことがあったんだった。危うく忘れるところだった……。あのねお兄ちゃん、わたし、ショゴスを飼うことにしたんだけどさ――」
「……飼う? あれを?」
「え、引かないでよ。普通に傷つくんだけど」
お兄ちゃんがなぜドン引きするのか、わたしにはさっぱりわからない。
「いや引くだろ。あんな見た目して、しかも思考も読めねぇのに、飼って傍に置こうとするか?」
「声かわいいじゃん。牙なかったらぎゅーって抱けるじゃん。しかも従順だよ。傍にいて欲しいよ」
「そりゃ暴れてくれるならオレも気に入ったけど、あの見た目のせいで――なんつーか、精神が死んだ子がいたんだよね。生きてるのに死人みたいになにも反応しなくなって、どれだけ嬲っても悲鳴が一つも出さなくてさ……人形を相手にしてる気分だったよ」
――見ただけで精神が死んだ?
お兄ちゃん……よくそんなのに耐えられたな……。あーでも、グロ耐性すごいし大丈夫か。
「そ、そんなに酷いの?」
「ああ、用がない時は外に出てもらってるのは、それが理由」
恐怖や苦痛をありったけに絞り出して堪能するのがお兄ちゃんのやり方なので、感情が完全に無くなればその人物の価値は半減する――ショゴスが中に入りたがらなかった理由も、それか。
それにしても――見るだけで人の精神を殺せる、異様なモノの色……とても好奇心がくすぐられる。しかし光があるなら見てはいけないし――何より、わたしは音に耐性はあっても、視覚の耐性であれば恐らくお兄ちゃん並ではない。精神が耐えられるかどうか……。
とりあえず、散歩は中止しよう。ニャルラトホテプ……知ってて賛同したな。
「でもわたしは、ショゴスがどんなに酷い見た目でも手放さない。見ることないだろうし――それで、お兄ちゃんもショゴスに手伝ってもらってたみたいだから、時間配分を決めたくて」
「必要な時に貸してくれればいいよ。その都度呼ぶから」
「わかった――あ、あと、ショゴスから牙取っていい? 撫でたいの」
「いいよ」
「ありがとっ!」
よしっ、これでショゴスを遠慮なく愛でることができる。お兄ちゃんの作業を聴くのは適当なところで切り上げよう。
しかし、お兄ちゃんはすぐには作業に戻らず、「にしても、従順ねぇ……」とこぼしだした。
「今はおねーさんのおかげで危害は加えないみたいだが、なーんか危ない感じがするんだよなぁ……」
「え? わたしもれなく全員に危害加えられかけたよ。ショゴスに至ってはいつ安楽死させられてもおかしくない状況になってる。ショゴスの判断で、主人が死より恐ろしい目に遭わないようにだって」
「へぇ……ん? おねーさんはショゴスを飼うのを止めなかったのか?」
「? 止めなかったけど……」
お兄ちゃんは何に首を傾げているんだろう、とわたしも首を傾げる。なぜニャルラトホテプがわたしがショゴスを飼うのを反対するんだ?
「それ変じゃね? 学校に行かせたのもそうだけど……夢月が死んだらおねーさんも死ぬんだろ? だったら夢月が死ぬ可能性は排除するんじゃねぇの?」
「あ……」
そういえば、そんなこと言っていた――あの時の言葉を、ここに来て思い出した。
『私達の場合は夢月の死が私の消滅に直結するようにしたから、夢月はとりあえず私に守られてくれ』
それに伴い、自分の身を顧みられてないことも思い出す。
「……ニャルラトホテプにとっては、わたしが死んでもいいのかもね」
自分の心臓ともいえて――また、荷物にしかならないわたしを、堂々と戦場に連れて行った。更に、わたしに外出の許可を与えてくれている。
怪我をしたら令呪で呼んでくれという、ニャルラトホテプとの約束事は――怪我をすることを前提としている時点で、わたしの身をあまり案じていない。
ムーンビーストに刺されそうになったことは面白がり、ショゴスの主人については――元はといえば提案したのはニャルラトホテプだ。
そもそも本当に気を遣うのであれば、わたしを拠点から一歩も出さないようにして、ニャルラトホテプの目に入るところに置くだろう。
――どの行動も、わたしを守る気が一切ない。
「でも、そんなもんじゃないの? 自分自身の命だけでも守るのは難しいだろうに、わたしまで含めると守り切れないよ。それか――ニャルラトホテプは負けたがってるから、守れるけど自分にハンデを付けるために、わたしの命を弱点にしたい……だから、わたしが死ぬかもしれない行動をしても止めないんじゃない? どっちにしろ、危険だからで外出禁止になったりショゴスを没収されたくないから、わたしはこのままがいいや」
そう答えると、笑っているだろうと想像できるほどに、お兄ちゃんは楽しそうに言った。
「相変わらず、平気な顔するな」
そして、血で汚れているでろう手で、わたしの頭をポンと叩いて、続ける。
「死んだ時どんな顔をするのか――楽しみだ」
「……」
定石であれば、わたしは死にたいと思っていないし死にたくない、だから死んでほしい発言はしないでと、少しムキになって返して、そして曖昧に流され創作の続きをする。
しかし今日は、気掛かりになっていることがあって、問いを投げた。
お兄ちゃんが、本当にわたしの死を望んでいるのであれば――
「……お兄ちゃんは……魔術で創作の幅が広がっている――ミゴさん達がいる、今のうちに……わたしを殺す?」
過去にも何度か、そんな質問をしたことがある。
――お兄ちゃんはいつになったらわたしを殺すのか。
――お兄ちゃんはわたしを、どんな作品にするのか。
その返答を、決まってお兄ちゃんは、
「その間に、発想が浮かんだらな」
……そう、先送りする。
「っ! じゃ、じゃあ――」
あろうことか、その一言にわたしは落胆して、もしも聖杯が使えたら――お兄ちゃんはわたしを殺すのかと訊こうとして。
「――……なん、でもない……そっか。安心した」
言葉を、切った。
この問いは、もしもの話と誤魔化せるものではない――落胆なんかしてないと、精一杯にいつも通りを装った。
繰り返すが、わたしは死にたくないし――殺されたくない。
死にたがりでも、命知らずでもない。
苦しいことも辛いことも、嫌って避ける。
そんな、誰しもが抱えているであろう心情を、わたしもちゃんと抱えている。
死ぬかもしれないのにお兄ちゃんに付いているのは、刺激的な音を聴かせてくれるからであり――音好きのわたしには、命を賭けてでも聴きたくて……命を賭けずに済むなら、それに越したことはない。
だというのに……どうして自分を殺さないのかと、なぜこんなおぼろげな焦りと恐れが広がるのだ。
……わけわかんないよ。
これじゃあまるで、わたしはお兄ちゃんに殺されたいと望んでいて。
でもわたしは、死にたくなくて。
この矛盾は――あり得ない。葛藤なんてものではなく――歪すぎる。
その後、タイミング良くニャルラトホテプから夕飯ができたと呼び出され、すぐさまいつもの調子に戻った。
それからはこれといって何事もなく、その日を終えた。