盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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16話 盲目少女は親切少女に奇跡を聞かされる

 ショゴスにいつ寝首をかかれるか不安で一睡もできなかった――なんてことはなく、むしろ疲労が溜まっていたので熟睡した。無理して起きたところで、攻撃されても防げるものではない。何もなければ次の日に眠くなるだけだ。

 きっと無事に明日も生きていると――死んでいたら痛みを感じさせずに楽にしてくれたのだと思って、自然体のままぐっすりと眠った。

 案の定、わたしは生きていて、誰に起こされるわけでもなく朝早くに目を覚ます。

 夢と現の狭間にいたせいか、すぐには腕の中にあるそれを半ば認識しなかった。

 扉から漏れる光により、ぼんやりと、人を狂わせるような全く知らない禍々しい色をしたものが目の前にあるとだけ。現の方へ意識が傾いてからは、それに目玉が薄気味悪いくらいに付いていることと、とてもじゃないが近づきたくないぶよぶよとしたヤバい物体が…………今……至近距離の……腕の中……?

 

「ひっ――きゃああああっ!!」

 

 得体の知れない恐怖感と驚きのあまり声を上げた。咄嗟に謎の物体を壁の方へ突き飛ばす。

 

「なにっ!? ニャルラトホテプの悪戯!? 突然変異!?」

 

 えっと、えっと……どうしよう! こういうのって目が合ったらダメなんだっけ!? だとしたらもう手遅れだ! 死んだ! わたしの人生終わった!

 ――などと動転していると、鎮めるような凛とした音が響く。

 

「テケリ・リ」

「――へ? ショゴスの声が……え、えぇ!? ショ、ショゴスなの!? この負の感情を具現化させたものを鍋にぶち込んで混ぜてみたら失敗した料理になったみたいな冒涜物体が!?」

「テケリ・リ!」

 

 この比喩で肯定してくれた。寛容的すぎる。

 ……それはそうとして……と、わたしはショゴスを観察した。

 ちょうど抱けるサイズに丸まり、尖ったものはなくなったスライムらしきモノ――なるほど。確かにこの姿は見るだけで相手の精神を殺せるものである。想像してたのとかなり違っていた。

 だが――

 

「それでもわたしはショゴスが好きだ! 外見で判断するなって誰かが言ってた!」

 

 わたしはショゴスに抱きついて頬ずりした。適度にひんやりしていて、感触がぷにぷにで気持ちいい。

 悲鳴を上げるほどの見た目だが、これしきのこと慣れてしまえばいいだけの話である。手放すという考えは一ミリも脳裏に掠らない。

 触ったところで、もう怪我をすることはなくなった。あの後ショゴスに牙を取るように頼むと、どんな手段を用いたのか、本当にあっさりと牙が無くなったのだ。元の姿に拘りはないらしいので、このままの状態にしてもらっている。

 それからはやりたい放題にじゃれて、寝るときは抱き枕にしていた。見ないように瞳を閉じて注意を払っていたのだが……眠りから覚めた際に瞳を開けてしまうのは不可抗力なので、注意しようがない。

 まぁでも、知っている音や色素でよく想像を膨らませるわたしにとっては、これは見ておかないと損だったかもしれない。この常識からかけ離れたモノは、自力で思い付こうとしても思い付けない。

 

 それから、朝ごはんはこっちで食べてから、風呂と荷物を取りに一人で自宅へ向かった。

 家族と出くわすことは滅多にない。経験則からして、会ったらその一週間後までは言葉を交わすことはない。スムーズに学校に行く支度を始められた。

 ランドセルに必要な教科書と心ちゃんに借りていた本を詰めたり、私服から制服に着替えたり――風呂に入る際に解いた右手の包帯を、巻き直したり。

 ……右手の甲に浮かんだ紋章は、ニャルラトホテプ曰く令呪であり、マスターの証らしい。凛ちゃんがわたしが聖杯戦争に参加したことを看破できたわけである。

 

「……わたしが、ニャルラトホテプのマスター……」

 

 背負うべき義務も、望みを叶えるための情熱も、そうするだけの強さもない――わたしが。

 幾つもの偶然が重なって聖杯戦争に参加し、マスターとなっている……。

 ――劣等感と孤立感があるのは当然だ。

 全員が真剣に挑んでいる中、わたしだけ何もせずにその場に立っているだけなのだから。

 願望はないので奮闘する動機はない。何より、これはニャルラトホテプが始めた戦いであり、その当人は負けたがっている――わたしはそれを口出しできる立場にない。

 そしてわたしは辞退したくないという意思があり、痛みと死の覚悟だけは決めて――形式上マスターというだけで、何の役割も担えていない。

 ただそこに突っ立ってるだけなのだ――胸を張って自分も聖杯戦争に参加していると言えないのは当たり前である。

 聖杯戦争に巻き込まれたことには不満はなく、むしろ嬉しいとすらあるので、この悩みは解消したい。

 ――そのために、昨夜わたしは囮役をすることにした。

 ……というか、していた。

 ニャルラトホテプに右手の紋章について問い質していたら、令呪を三度とも使い切ればニャルラトホテプを呼び出せなくなり、わたしが囮として機能しなくなるから不用意に使わないようにと再忠告されたのだ。

 それまでわたしは敵と鉢合わせになるための餌になることを要望された覚えも了承した覚えはなかったが……何となくそうかもしれないとは勘付いてはいたし、役割を欲していたため、わたしは何も言わずに受け入れた。

 わたしにできるのは囮くらいだ。今はまだ実感がないので気は楽にならないが、それも時間の問題だろう。

 ――だから。これは想定していたこと。

 起こるべくして起こっただけ。

 取り乱すことではない。

 

 身支度を終え、朝早いせいか人通りのない通学路を歩いていると――不意に、肉を抉るような音と呻き声がした。

 前者は自信を持って断言できないけど……わたしではない、押し殺すような人の声は、確かに右側の近い距離からした。

 瞳が開いている今なら何が起こったのか視界で捉えられると、すぐさま振り向こうとして――次の瞬間。わたしの頭に痛みが走る。

 

「――い、つッ!」

 

 激痛。

 右から、頭を貫いたかと思えるほど鋭く、打撲ともとれるような、そんな痛み。

 押されたように左側によろめいて、肩から壁に寄り掛かってうずくまる。

 ……覚悟はしていたけど、痛いものは痛い。

 血はどうやら出ていないようで、痣という傷を負わされたようだ。

 怪我はした――だがしかし、ニャルラトホテプの目的は敵と遭遇することにあり、この傷は聖杯戦争絡みによるものかは確定していない。事故的な可能性が残されている。呻き声を上げた人は、敵とカウントしていいのか微妙だ。

 令呪は三度のみ。対戦相手が居るか不明瞭。まだニャルラトホテプを呼び出すかどうかの判断は――保留。

 ここで早急にするべきことは、把握し得る視界の限りを見て、人数の有無と敵意を持つ人間がいるかを確認すること。

 痣に手を当てて痛みに耐えながら、顔を上げた。

 

「――…………い、ない……?」

 

 一人もいない、いつもの殺風景なただの路地。念のため空も見上げたが、雲が流れているだけ。怪我をした要因になりそうなものすら、見当たらない。

 なら、あの呻き声を上げた人は? 音を頼りに生活しているわたしとしては、聞き間違いであってほしくないんだけど。

 頭痛も、何か攻撃されたとしか思えない痛みかただった。なのに誰もいない……?

 ……疑問ばかりが残るが、とりあえずは呼び出さないでいい、かな……。

 ――その時、後ろからわたしの名前を呼ぶ声がした。

 動揺しているのがまざまざと伝わる、わたしにとっては大きな存在であり、身近な存在――心ちゃんだった。

 

「夢月ちゃん!? 大丈夫!?」

 

 駆け寄って来てくれる友達に慰められ、気が抜き気味になって返す。

 

「だ、大丈夫……頭痛が痛いだけ」

「表現が二重になってるよ!? そんなに痛いの?」

「あ、いや、痛いのは間違ってないんだけど……」

 

 わ、わざとじゃない! ふざけてない! 罰するならわたしじゃなくて喋った口とそれを命じた脳と勝手に伝達した神経を罰してくれ!

 

「と、とにかく大丈夫だから! まだちょっとガンガンするけど、これでもだいぶ治まってきたし」

「……夢月ちゃんがそう言うなら……でも、無理はしないでね。何かして欲しいことはある? 人を呼んでくるとか、帰るなら付き添うよ」

「じゃあ、一緒に学校に行きたい」

 

 即答した。話したいネタは増えたし、そのために来たのだ。これくらいのことで帰りたくない。

 

「そっか。いいよ、一緒に行こ。立てる?」

 

 心配の色で染まっていた顔が少し朗らかになって、心ちゃんは手を差し伸べてくれた。その優しさに甘えて、手を掴み立ち上がる。

 

「――それで、何があったの? 立ち眩み?」

「それが……いきなり頭が鋭く痛みだして、怠さはないから体調不良じゃないと思う」

「あくまでも強い頭痛だけ、か……ん?」

 

 ふと、心ちゃんは視線を地面に動かして、何かに気付いたように歩き出した。そして、小石くらいに小さいものを拾い上げ、目を丸くして呟く。

 

「これ……ひょっとして、弾丸?」

「え!? 本物!? 見せて見せてっ」

 

 弾丸は本の中でしか見たことがない。なぜこんな所に落ちているかは謎だが、興味はある。

 近寄って心ちゃんの指に隠れている小さいものを覗いた。おおよそわたしの想像している通りの弾丸――しかし、尖がっているであろう先端が凹んでいた。

 

「多分、本物じゃないかな。実際に触ったことはないけど、材質が金属なのはおもちゃにしては出来過ぎてる気がする。道で実弾が落ちてるとか、警察は何やってんだか……」

 

 苦笑い気味に言う心ちゃん。

 

「なんでこんな街中に? 銃なんて日本に遠い存在、戦争中じゃあるまいし――あ、もろ戦争中だった」

 

 わざわざ丁寧に聖杯の後に戦争って付いてる。なんならついさっきまでそのことについて意識して悩んでた。

 剣とか槍とかあったらしいし、銃を武器にしてる人がいてもおかしくない。また――いつ襲われても何らおかしくない。

 

「わたし、撃たれたのかな? なら、なんで生きて……」

 

 ――いや、待て。そんなことより……

 遠くから、即死するようにわたしが銃で撃たれたと仮定して。

 現時点で、引き金を引ける状態にあるなら――二発目がありえる。それも、心ちゃんに狙いを定められてる可能性も。

 この際、わたしが生きている理由はどうだっていい。それより、頭を撃たれても生きていることの方が遥かに重要。

 わたしが死ぬのはいい。二人揃って死ぬのも耐えられる。けど――最悪なのは――わたしが取り残されて心ちゃんが死ぬこと……! それだけは耐えられない……!

 ここは、令呪を使って呼び出すか――……敵がいるか確定していないのに? ニャルラトホテプの意思を無視して?

 でも、心ちゃんの身が――

 

「夢月ちゃん、聞いて」

 

 と、思考を遮るように、軽く引っ張られる。

 

「相手が撃てる状況ならとっくに私達は撃たれてる。だけどあれから発砲はない。焦らず、まずは急いでこの場を離れよう。遠距離なら照準を合わせるのは難しいだろうから、走れば狙われにくくなるはず。人気のある所まで行けば、きっと撃たれないよ」

 

 心ちゃんは極めて冷静に、そう言った。

 

「……うん、そうだね。走ろ」

 

 頷いて、二人で人通りの多い方へ駆けだす。

 ――そうだ。焦らなくていい。わたしを狙う必要はあっても、心ちゃんを狙う必要はない。相手はわたしの足を負傷させて動きを止めようともしなかった。弾丸がたまたま落ちていただけかもしれない。

 これくらいのことで取り乱すな。心ちゃんが攻撃されそうになっても、わたしが身を挺して盾になればいい。心ちゃんだけが死ぬ最悪のシナリオも――覚悟しろ。

 

 あれから畏怖する出来事はなく、路地を抜けて、人がまばらに存在する住宅街。これでひとまずの安全は確保したはずだ。

 朝早くに家を出たおかげで、遅刻はしない時間だった。学校の方角へ進みながら、談話する。

 

「そういえば心ちゃん、あの弾って拾った?」

「もちろん。実物なんてそうそう手に入らないからね。ここで持ち帰らないと勿体ないよー。この弾は死守して、鍵付きの引き出しに厳重に保管する」

 

 言いながら、ポケットから弾丸を取り出し、コイントスするかのように振って弄り始めた。そして芝居がかった口調で続ける。

 

「家で夕飯を食べてる最中、テレビでそれとなく拳銃が出てくる番組を流して、同居人に私あれ触ったことあるんだぜーって自慢しよっかな~」

「もうそんな未来図を描いてるとは……。死んでたかもしれなくて治安悪いかもしれないとか、聞いてる側の人は心境複雑だ」

「同居人はこの辺は危ないと考え、県を跨いで引っ越そうという流れになり、私は転校する展開となる――っと、この選択肢はバッドエンド直行。現実にセーブロードの機能はないし、ここは大人しく自慢しないを選んで、この弾丸は永遠に引き出しに閉じ込めておくよ」

「それがいいね。お別れするのは嫌だもん」

 

 いつもの調子で返すと、唐突に心ちゃんは弾丸を弄るのを止めて、意味深に呟いた。

 

「……そうだね。別れずに済むなら、それがいい」

 

 その曇りがかった表情は、心ちゃんにしては珍しくて。懸念したわたしはすかさず声をかけようとするが――心ちゃんが先に口を開く。

 

「夢月ちゃんは聖杯を何に使うか決めた?」

「せ、聖杯? えっと……」

 

 横から見えるその顔は、もう先ほどまでの曇りはなく――明るくもない。

 だが、脈絡のない問いであっても、投げられたからには答えるべきだろう。

 

「決めてないよ。小さい願いは思い付くんだけど、聖杯に見合う大きな願いは思い付かなくて」

 

 わたしにとっては重要で、根底から変えるような、そんな願いが有りそうなのに見つからない。

 ――お兄ちゃんに殺されることは願いたくない。

 

「よかった。なら遠慮なく言える――あれは使わないで」

 

 胸を撫で下ろし、こちらに視線を向けて。感傷に浸った優しい声で。

 

「どんな願いでも、奇跡を起こして叶えてしまえる願望機……そんなの都合のいい代物はないから」

 

 それでいて――その言葉の芯からは、荒く強いものを感じた。

 なぜそんなことを言い出すのか、わたしにはわからない。けど、大事な話をしようとしていることは十二分に伝わってくる。

 そして、何かを諭すように、心ちゃんは続けた。

 

「夢月ちゃんは、奇跡って何だと思う?」

「……う、うーん……」

 

 奇跡とはなにか……そんな哲学、考えたことなかった。

 漠然とした、概念的な言葉で――何となくでしか使っていない。それを、敢えて解説するとしたら……。

 

「すごくて、良いこと……?」

 

 なんだこの回答、漠然とし過ぎだ。

 自分に呆れていると、心ちゃんは予想通りだったようで、

 

「やっぱりそうだよね。うん、その認識は世間一般で共通してることだよ。でもね、私は――大きなことを起こすために、大きな代償を払う行為だと思うんだ」

 

 ――気のせいだろうか。

 その言い方に、奇跡に対する憤りが垣間見えた。

 

「例えば、私の両親を生き返らせたとするよ」

 

 と、流れるように心ちゃんは語り始める。

 ――心ちゃんの両親は、物心ついた頃にはもう他界していたらしい。詳しくはわたしも知らない。

 

「生命は死んだら二度と生きることはない。会うことも話すことも、二度とできない。そんな道理を捻じ曲げて、生き返らせる。そのせいで――また死んでも生き返るから大丈夫と感覚的に楽観視するかもしれない」

 

 有り得ない奇跡を、有り得る奇跡として体験してしまったから。

 

「誰かの死を悲しむ人を見て、自分の親を生き返らせたことを負い目に感じるかもしれない」

 

 その人は奇跡を掴むチャンスすらない。世界中でたった一人、自分だけがそのチャンスを使ってしまったという罪の意識。

 

「両親が良い人じゃないかもしれない」

 

 虐待する親だったかもしれない。

 

「死んだ過去をなかったことにするなら、今持っている記憶はなくなる。夢月ちゃんとの出会いがなかったことになるかもしれない」

 

 ……それは、わたしも嫌だ。

 

「死体に魂を宿させるなら、両親は研究者に捕まって実験材料になるんじゃないかな。生き返った貴重なサンプルとして。……きっと、他にもいっぱいあるよ。知らなくていい痛みを知ってしまう気がする。だから――」

 

 良いだけの奇跡なんてないと。

 奇跡を起こして願望を叶える聖杯は使わないでほしいと。

 ――心ちゃんは言った。

 

「……正直、心ちゃんの意見はそういう見方もあるかも、ぐらいにしか理解できてない。辛い思いをしても、その分だけ良いこともあるはずだって……。でも、元から使うつもりじゃなかったし、取り返しのつかなくなるようなことは避けたいから――使わないようにする」

 

 元々聖杯を使うことは気が進まなかった。

 仮に勝ったとしても、それは自分の力ではないではない――そんなわたしに、権利はないと。

 

「だ、だけど、もしどうしても願いたいことが見つかったら――その時は、聖杯に願うのは心ちゃんに訊いてからにする。それで、いい?」

 

 それを話すときには、もう学校の正門まで来ていて。心ちゃんはいつの間にか弾丸を仕舞っていた。

 沢山の人が通り過ぎる中、端に寄って立ち止まり、心ちゃんに問う。

 

「――うん。それでお願い。ごめんね。夢月ちゃんが決断すべきことなのに、口を挟んで」

「気にしないで。乗り気じゃなかったのは本当だから」

 

 それから、他愛のない話題に切り替えて、教室に入った。


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