盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
昼休み。クラスメイトの大半が校庭へ出る中、わたしと心ちゃんは誰もいない階段で座っていた。
心ちゃんは真剣な表情で口を開く。
「私は英雄が好き。巻き起こした壮大な出来事、如何にして逆境を乗り越えるか、伝説の数々……。この夢から醒めたくないし、熱愛も冷めたくない。なので――」
なぜか無駄にかっこいい眼差しを――弱々しく落として、顔を手で覆いどことなくビクビクしながら心ちゃんは続けた。
「――真名以外は伏せて、どんな人だったとか言わないでほしいの……。幻想は幻想のままに……真実なんて知りたくない……」
「ど、どうしたの!? ネットで調べて幻滅した!? そんな動画見ちゃった!?」
心ちゃんには聖杯戦争について話したかったため、ニャルラトホテプがネットに情報をばら撒いたのを活用して、ルールを知ってもらうことにしていた。昨日は幻滅しないと答えていたが、やはり厳しいものがあったのだろうか。
だが、心ちゃんは慌てた様子で言う。
「あ、いや、そういう動画や画像は見てないよ。検索しても一切引っかからなかった」
「へ? なかったの?」
あの光景はニャルラトホテプなら世に広めて社会的に殺そうとするだろうと思っていたのに――さすがにそこまでえげつないことはしないか。うん、だよね。そこまでえげつないことはしないよね。隣に居る身としてはそうであってほしい。
「ありそうではあったんだけどね。見つけた時には表示されなくなってたりしてて、削除されてたよ」
世に広めようとはしてたのか。弁解できないくらいにニャルラトホテプは悪だ。
「削除といえば、聖杯戦争に触れた書き込みもことごとく消されてたなー。なんか、作ったらその分壊される感じで、いたちごっこになってた。壊してる側もそうだけど、作ってる側も凄かったよ。あの手この手で次々と色んな場所に現れるんだから」
「ニャルラトホテプ、そうまでして流したいか……」
きっと阻止しているのは聖杯戦争の存在を隠蔽してる人だろう。なぜそうまでして隠したいのかは知らないので、どちらにも加担するつもりはないが――それ関係なくあの動画を公開するのはイエローカードだ。隠さなければならないものをバラそうとしているのでアウト。
わたしは心ちゃんにしか喋ってないからセーフ(のはず)。
「でも、そうなるとルールを把握できなくなるね。悪戯を認める真似はしたくないけど、今回は成功してほしかったな……」
「ああ、それなら大丈夫。消されてない書き込みを探して粗方把握したから。歴史上の人物を七つのクラスに振り分けて呼び出す――画期的なシステムだよね。私も何か召喚してみたいよ」
そう微笑む心ちゃん。難しくて大変だっただろうに、もう暗記してるっぽい。さすがだ。
「心ちゃんは、もしも自由にサーヴァントを召喚できたら誰にする?」
会えたらインタビューしたり、記されている技を再現することも可能なのだ。歴史好きならそそるものがあるだろう。
心ちゃんは少し考えて、口を開く。
「――音楽家とか小説家とか、創作で名を馳せた人かな」
「え……それでいいの?」
てっきり王か武士かと……そう戸惑うわたしに、心ちゃんは呆気なく言う。
「そういう偉人が現代の機材や作品に関心を持って学習してくれたら、また世界を驚かせるような物を創ってくれるかもしれないしね。宝具によってはスキルアップして、神がかった技術が見れるかも」
現代の機材……例えば音楽室に飾られてる肖像画人がシンセサイザーを使ったら……わおっ。これは実際には見たくない図。
他にもサーヴァントとして召喚されたら、どんな恰好でどんな声なのかと想像を膨らませていると、ある疑問に行き着いた。
「ねぇ心ちゃん」
「なに?」
「サーヴァントの装備やクラスは、その人を象徴するものになるんだよね」
「そのはずだよ。弓のみならず、飛び道具が有名ならクラスはアーチャーに。ライダーでも乗り物の形状を問わず、乗ったことについて遺した伝説や伝承があるなら、宝具はその乗り物となる」
「早っ、もうそんなところまで覚えてるの?」
事もなげに言う心ちゃんに驚きを隠せなかった。わたしがそれを教わったのは昨晩なんだが……。
「たまたま詳しく書かれたサイトを見つけて……それで?」
「え、えと……武器が伝説や伝承で決まるならさ――ピアノ演奏者や作曲家の武器って何になるの?」
「……あ」
心ちゃんも思い至ったようで、絞り出すように、
「……ピアノを掴んでぶん回せば、破壊力はある。鉛筆は――刺さったら痛いもの、武器になるよ」
遠い目で、諦め風味に答えた。
「や、やっぱり? わたしも似たようなこと考えたけど、でもそれって無理やり感あるというか……どれだけシリアスにやってもギャグになっちゃうやつだよね」
「むむ……どうにか解決策を立てなければ。このままでは戦いに勝ってしまった場合、相手の死因はピアノに殴られたか鉛筆にやられたことになる……相手もバカげたものを武器にしていたならまだしも、英雄ならシャレにならん。そんなところ想像もしたくない……」
唸り声を出して考え込む心ちゃん。わたしも何か方法はないかと思考を巡らした。こればかりは心底共感する。
戦いとは無縁である、創作活動で功績を上げた人たちが武器にしても不自然ではない。なおかつ真面目さを保つには……
「――剣に変形する……とか」
わたしが呟いた一言に、心ちゃんは即座に反応してこちらを見る。
「変形――とはつまり……」
「ピアノを……こう、ロボットが変形するアレみたいに、剣に……それなら性能は置いといて見た目はそれっぽくなるし、変形前ならその人の象徴になるし」
そう口にしてから、わたしは気付いた。
――この提案……真面目さが微塵もない愚策だ。
だが、心ちゃんはそうでもないようで、
「……それだ、それだよ夢月ちゃん! それならバトルになるし、相手の死因は斬られたことになる! かっこ悪くない!」
「そ、そうかな」
「うん! ちゃんとジャンルはシリアスだよ!」
あれ、シリアスってなんだっけ。
本気で検討していると、両手を掴みかかりそうなくらいに勢いづいてた心ちゃんが、少し冷静さを取り戻した。
「懸念事項は武術が素人同然なことだけど、登場するとしたら主人公かヒロインか中ボスの一人だから補正がつく。それか戦わなければいい。どうにでもなる」
「いやそうじゃない。懸念すべきことは変形する時点でギャグ化すること。むしろそれしかない」
「そんな描写は省いちゃえばいいんだよ。初登場から形を変えといて、裏設定として実は変形させてましたって」
涼しい顔で荒々しい論理を並べる心ちゃん。対してそれでいいのかと困惑するわたし。
「というか……さっきから他人ごとみたい掘り下げてるけど、これは心ちゃんがもしも召喚したらっていう話だよ。せめて心ちゃんが生き残る方向で考えようよ」
でないと中ボスになった心ちゃんが負ける。ヒロインも死ぬ可能性がないとは断定できないし、ここは主人公の座を狙わないと。
――そんな風に妄想を続けようとした思考は、心ちゃんの返しで切った。
「そういえば、英雄について知りたいから始まって、こんな話になってるんだったね。すっかり忘れてた」
「あ、わたしも忘れてた。すごく脱線してる」
どっからこんなところまで話が逸れたんだろう、と呆気に取られていると、心ちゃんは切り出す。
「閑話休題――話を戻そう」
言葉を区切り、一息ついて。
「英雄について真名だけで、どんな人だったかは伏せてほしい理由だけど――いざ真実を知ろうとすると、記述との食い違いが酷い方向に進んではいないかと私の脳内に囁いてくるの……。本当に女体化されてたらどうしようって……こう、なんていうか簡潔に言うと――怖い」
「だからあんなに恐れるようにしてたんだ……」
この様子から、ネットで調べる際には相当勇気を出したのだろうと容易に察した。
「こんなことで嫌いになるつもりはないけどね。そんなの私のプライドが赦さない――そんな訳で、判明した人は? あとクラスも。それくらいなら絶望する要素なし」
「ライダーのクラスでイスカンダルっていう人だけ。それ以外はわかんない」
今日のために何度も反復していたので、記憶を掘り起こすまでもなく答えられた。
「イスカンダル……ああ、アレクサンドロス大王か」
「? 呼び方違うの?」
「国によって発音は異なるからね。呼び方も違くなるよ」
「へぇ~」
心ちゃんは頷くと、嬉しそうに口角を上げて「では」と一拍置き、
「これから彼がどんな偉業を為したのか、軽く物語るよ――」
そうして、イスカンダルさんが何をしたのか大まかに解説してもらった。
わかりやすく、面白そうと思わせる説明で、勉強に近いのに苦は一切感じない。
喋っているときの心ちゃんも、とても楽しそうだった。
「――とりあえずはこれくらいかな。私も夢月ちゃんに聞きたいことがあるから、続きはまた後で」
征服王と称される理由を一通り語り、心ちゃんはそう締めくくる。
世界の果てに到達すべく、軍を引き連れて侵攻した王――わたしの認識するイスカンダルさんの人物像と重なるところがあった。
できることならもう少し教えて欲しいけど――
「わたしに聞きたいこと?」
「夢月ちゃんのサーヴァント、神であるニャルラトホテプのことや、今の拠点での暮らしについて。あんまり聞けなかったから」
「そりゃあ、わたしも話したいけど、ニャルラトホテプはいいの?」
「別に神は幻滅することないからね」
淀みなくきっぱりと告げた。英雄とは雲泥の差だ。
まぁ、心ちゃんは英雄に敬意を払っても、神に対してそういう発言はしたことがないので、当然といえば当然かもしれない。
わたしはまず最初に、ニャルラトホテプの――神として意外な面を挙げた。
「――ニャルラトホテプはね、全然神様っぽくないんだ。当たり前のように感情を持ってて、稀に慌てることもあって、悪戯好きで……喋り方もすっごく人間なの。神様なんだってことがすぐに忘れちゃうくらい」
「そんなに私達と変わらないの? 神格と思わせるような独特なオーラというか……そういう近寄りがたい雰囲気とかは?」
驚いた表情でする心ちゃんの問いは、ニャルラトホテプには適応しなさすぎて、つい笑みをこぼして答えた。
「ないよ。ちっともない――だから、かな。気楽に一緒に居られるの。ニャルラトホテプは"上"なのに、緊張しないし、弁えなくちゃっていう感じもしない。普通に接するのがちょうどいい、みたいな」
相手を人間なんだと――いや。
それすらも、人間とか神様とか考えず――ニャルラトホテプという一人の者と思って、わたしは接している。
「……それだけ聞いてると、神を自称しているだけなのか怪しくなるな」
言葉通り怪しむ視線を送る心ちゃん。その気持ちはよくわかる。わたしも、あれを体験するまでは実感しなかったから――。
「自称じゃなくて本物だよ。宝具がそれを証明した」
あの現象が。あの感覚が。ニャルラトホテプが神であることを骨の髄まで理解させられた。
「そっか……サーヴァントの象徴するためのものが宝具だから――そういえば、クラスは何? 武器は持ってるの?」
「武器はわからないけど、クラスはキャスターだって。魔術を色々使ってたよ。お金作ったり部屋を作ったり……あ、あとショゴスたちを召喚したって」
「……は? ショゴス?」
なぜか今までで一番食いついてきた。しかも呆然とした反応をする。
「う、うん……。昨日、わたしが学校にいる間に……今は拠点に住んでるよ」
「……ちなみに、これは興味本位で訊くけど、ショゴスたちってことは他にも召喚したの?」
「えっと、ミゴさんとムーンビーストも……」
「――は、はは……ちょちょ、ちょっと待ってね……」
わたしの回答に、心ちゃんは思考停止に陥るように硬直し、冷や汗をかいて絶叫したくてたまらないような表情で手を額に当てて、声を震わせる。
「は、なっ――す、住んでる? あの目と口のスライムと、脳を集める物好きと、灰色カエルの快楽殺人鬼の、あんなゲテモノたちが……? 夢月ちゃんの拠点に……?」
「そ、そうだけど……」
心ちゃんがこんな青ざめた顔をするのは初めて見る。そんなに衝撃的だったのだろうか。
いや、そもそも――
「なんでショゴスたちのこと知ってるの?」
だが、その問いが心ちゃんの限界を超えたようで、
「サブカルチャーに触れた人なら誰だって知ってるよ! クトゥルフ神話っていう本や、それを基につくられた遊びがあるの! その中に出てくる神話生物!」
「……え?」
癇癪を起しながらもしてくれたその説明に、しかしわたしは腑に落ちなかった。
心ちゃんの言うことが事実なら、ショゴスたちはクトゥルフ神話に出てくる空想上のモノで――実在しない。
そして、その三体と同じく異様なモノであるニャルラトホテプもいないことになる。
実在しないことについては、まぁ魔術やらが色々あるので驚くほどのことではない。あれらはこの世のものではない造形をしていて、そうと理解させられたのだ。本から飛び出てきたなら、それはそれでしっくりくる。
違和感があるのは――ニャルラトホテプもその本に出てくるのに、心ちゃんが反応しなかったこと。
……たまたま知らなかっただけ、なのかな?
「――それより夢月ちゃん!」
「へぇっ!?」
しかしそんな思考は、突然の心ちゃんの声と共にガッと肩を強く掴まれたことにより、遮られる。
「その神話生物になにか酷いことされてない!? 怪我したり襲われたりした!? 脳を集めて研究するって書いてあったけど、まさか研究材料になること了承してないよねっ!?」
激しく揺らされた。こんなに動揺するのはもう、この先一生見れることはあるだろうかという段階だ。
「だ、大丈夫だよっ! 何もされてない――わけじゃないけど、大丈夫だからっ! 怪我はしてないし、脳は要求されたけど断ったよ」
「本当? 本当に痛いこととかされてない?」
「さ、されてないよ。無傷だよ」
「……」
ひとまず納得したのか安心したのか、そんな表情に落ち着いて心ちゃんはわたしの肩から手を離す。
「ごめん、動揺した。クトゥルフ神話のイメージが恐怖を植え付けるものだったから、つい……っていうか、怖いものじゃないの?」
「ショゴスの見た目は叫んじゃうくらいのものだったけど、悪い人たちではなかったよ」
「……まぁ、神が人間味あるなら、クトゥルフがそれくらい違っていてもおかしくはないか」
ふぅ、と心ちゃんは小さく安堵したようなため息をつく。どうやら今度こそ落ち着いてくれたようだ。
「夢月ちゃんはその神話生物と喋ったりしたの?」
「ムーンビーストは声を聴いただけで、ミゴさんとはテレパシーで少しだけ。ショゴスは鳴き声で、すごくかわいい声なんだよ」
「ギャップ萌えにはならないね」
「かわいすぎて、わたし飼うことにしたんだ。たぶんペットみたいな感じ」
「……へ? 飼った?」
再び呆然として、声を裏返しに心ちゃんは言った。
この時まであまり自覚していなかったが、わたしのやっていることはかなり馬鹿げているらしい――。
昼休みが終わり、授業も終わり、学校は終わって、無事に自宅――からの拠点。
「ユづきは、血、殺し、すきか?」
目の前にいる異様なモノ、ムーンビーストに、キーボードを叩いたような音でそう問われた。音なのに何を言ってのかが聞き取れるのが不思議である。
以前、ムーンビーストに刃を向けられたので、今回もそういう態勢になっているのではないかと思うかもしれないが、それは誤解だ。
ムーンビーストは襲ってこなかった。出会い頭に「あ、殺しタラ、ダメなやつ」と、呟いていたのを鑑みるに、ちゃんと区別してくれているらしい。それは大いに助かるが、そういう覚え方をされてるのは少しショックだった。名前とかニャルラトホテプのマスターとか、わたしへの印象は他にもあるだろう。
襲われていないのであれば、なぜムーンビーストの目の前にいるかといえば――触っている。
両手を開いて、ムーンビーストの感触を思う存分楽しんでる。
モチモチした肌で、超やばい。この肌だけなら冒涜感がないどころか、布団や枕の素材にしたら気持ちよく眠れそうだ。……顔に付いてる触手はひたすらに気味悪い感触だけど……。
こうして触っている理由といえば、特にやることはなくショゴスとは満足できるほどにじゃれたので、ミゴさんとムーンビーストを触ろうと思い立ったのである。そして、まずはムーンビーストからと、ショゴスを腕の中におさめてここに来た。
ニャルラトホテプが居るなら他のサーヴァントの真名を訊こうと思っていたのだが、今日も今日とて出かけているので先送りに。
そうして、腕におさめていたショゴスを隣に置いて、一心不乱に軽く揉んだりして――不意に、片言な音で問いを投げられた。
体内に流れている血は好きか? 誰かを殺す行為は好きか? と。
「……血は好きだよ。水と同じように綺麗な音を奏でるから。でも、殺しは――殺す相手は、人間なんだよね?」
脳裏にある記憶が蘇り、触るのを止めて訊き返す。
「うン」
短く肯定するムーンビースト。
……久しぶりに、思い出す。
苦痛というほどではないが、あまり良い思い出ではない、過去を。
「――人殺しは好きじゃないけど、嫌いでもないよ。なんていうか……何も感じなくて」
あれは……四年前だっただろうか。
最初の――次はもうないであろう、好奇心故の殺し。
わたしが手に掛けた犠牲者の表情は、今でもよく覚えている。
だって、あの時は目を見開いて、しっかり焼き付けたから。
「強いて、感じたのは――なんでそんなに怖がってるのって、困惑、したかな……」