盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
ウェイバーはただひたすら待つのみ。誰かがキャスターを屠るのを、苛立ちと屈辱に耐えて。
――アレは自分の手に余る。セイバー、ランサー、アーチャーでも倒せるかどうか……。
あの並外れた宝具とステータスから、異様であることは理解していた――だがしかし、まさか宇宙的恐怖の代表的な邪神とは思いもしなかった。
せいぜい創作に携わる者が耳にする程度の架空上の神話。知名度はサーヴァントの質を決定する重大な要素で、様々な方法で崇め祀られている英雄と比べれば彼女は格段に低い――だというのに……なぜこんなにも脅威なのだ。
挑めば――高い確率で返り討ちあうだろう。
己の無力さを痛感させるかのように力でねじ伏せてくるだろうか? もしくは弄ぶように自分達をいたぶるだろうか? もしそうなら――何とも無様な姿だ。
己の実力を示すために来たというのに、こんな負けて同然の勝負……。
ニャルラトホテプの正体を知り、マイナスの想像が徘徊するウェイバー。しかしライダーは反対に、ますますやる気になっていた。何でも、強大であればあるほど良い、と……。
これがキャスター以外のサーヴァントになら大いに結構なのだが、今は迷惑でしかない。キャスターが倒された後、すぐさま疲弊したサーヴァントを討つことを考えた方が有益だというのに……幸いにもまだ突撃する様子はなさそうである。
――とにかく、待機していたいウェイバー。
私室で大人しく、ライダーと大戦略の対戦プレイをしていた。
「――はぁぁっ!? なんで劣勢になってるんだよ! ボクの作戦は完璧だったはずだろ!?」
「そう簡単に極められるほどこのゲームは甘くないわ。まぁ、戦略自体は悪くはなかったんだがな。詰めが甘い」
「ぐっ……」
反論できずに奥歯を噛みしめるウェイバー。巻き返そうと抵抗するものの、あっけなく蹂躙されてしまった。
凡人がやるようなただのテレビゲームに、もう何度目かの――敗北。
その事実がウェイバーに重くのしかかり、声を失う。
「――しかし、ルールを覚えてまだ一日と経たぬというのに、一時とはいえ征服王たる余に拮抗するとはな……坊主もなかなかやるではないか」
「うるさいな! ほっといてくれよ!」
ライダーの率直な感想も、今はただの皮肉としか思えない。
コントローラーを手放して、ふてくされた様子で立ち上がるウェイバー。
「何処へ行く?」
「作戦を練り直すんだよ。次こそは一矢報いてやるからなっ! 首を洗って待ってろ!」
「うむ、では三十分後に再戦といこうか」
攻略本が置いてある机に向かうウェイバーの後ろ姿を、ライダーは何やら楽しそうににんまりとして、休憩ついでにビデオを見始めた。
椅子に座り、ウェイバーは分厚い攻略本を開く。自分の戦術のどこに不備があったのか……もう一度基礎からやり直しだ。
しかし……ふとある事が頭によぎり、思考が止まった。
「……」
ボクは、なんでゲームしてるんだろう。
――前触れなく廊下から聴こえてきた二人分の足音に、ウェイバーは我に返る。
ライダーは――既にビデオを止めて、霊体化しているようだ。ゲームは片付けている暇はないので誤魔化すしかない。
それにしても……昼食は一時間前に済ませたばかり、それも夫妻共々で何の用だ――
『じゃあこうしよう。一日一回勝負。私が勝ったら次の日に試合を申し込める権利を、君達が勝ったら聖杯をあげるよ』
……なぜか、唐突に、キャスターの言葉を思い出した。
まさか、な。昨日と同じ時間帯――午前には来なかった。それに、懇切丁寧に正当な手続きを踏んで足を運び、更には夫妻どちらかの隣にいるなんて……そんなことあるわけが……。
――コンコン、と控えめなノック音の後、マーサ夫人の声がする。
「ウェイバーちゃん、お客様がいらっしゃったわよ」
「……」
あいつならやりかねないと、ウェイバーは素早い動作でドアを開いた。
「やぁウェイバー、ゲームしよ」
……案の定というべきか。夫人の横に堂々と、笑顔を放つ黒髪黒眼の美少女――ニャルラトホテプの姿があった。前回の配達員の恰好ではなく、街中で溶け込めるようなありふれた衣服である。
脱力して、自分に言い聞かせるようにウェイバーは言う。
「ボクとオマエは友達じゃない……」
とりあえず、夫人にはゲームに熱中するので部屋に入らないようにと釘を刺し、下の階に戻ってもらった。ニャルラトホテプの瞳はいつの間にやら爽やかな水色に変わっており、ライダーは心置きなく実体化する。
「よぉ、キャスター。来るのが遅かったではないか」
「やっほーライダー、ちょっと手間取ってね――私を倒す策は見つかったかい? 聖杯戦争でも聖杯対戦でも」
「まぁ、まずまずといったところか……しかし、貴様のラックには敵わん」
「不正だなんて言うなよ。運も実力の内ってね」
こいつらも友達同士ではないはずだが……ライダーの後ろから二人のやり取りを聴いて、ウェイバーは呆れる。
「――にしても意外だったよ。ウェイバーは私を追い出そうと謀を巡らすとばかり……いくら憚られたところで引き下がるつもりはないけどね」
「それは……ゲームの賭け事はライダーが頷いたからな。断れないだろ」
これで二度目にせよ、キャスターを室内に入れるのは大変心臓を傷めるが、下手に敵対するのは得策ではないので黙認した。今度からはそもそも家に入れないよう、留守でも使おう。
――まるでそんな心中を察したかのように、
「ちなみに留守使ったら窓壊してお邪魔するから」
「なっ――」
「その時はちゃんと後で直すよ」
清々しいほどの悪びれのなさに反発しようとするが、理性が思い出させる。
相手は傍から見て気安い人間でも、その素性は不気味で冒涜的な存在。そして殺し合う敵であり、自分をいとも簡単にかき消すことができるサーヴァントである。
――しかし、言われっぱなしも癪なので、つい悪意をもって口にする。
「オマエのマスター、苦労してるな」
「だよねー、可哀想に」
「……」
本当に苦労してるんだろうな、とウェイバーは不憫に思う。
「ところでキャスター、その紙袋はなんだ?」
興味津々にライダーが指すのは、キャスターが右手に携えている小さい紙袋。
「ゲームソフトだよ。さっき手間取ったって言っただろう。これを取りに行ってたんだ――なぁライダー、そっちが勝てば聖杯を創って渡すという約束だったが……景品を変更させてほしい」
「……訳を聞こうか」
突拍子もない勝手な言い分だが、ライダーは応じる姿勢だ。
「私はその気がないからうっかりしてたけど、君たちは聖杯を求めるために敵愾心を燃やしているのだろう? もしライダーが聖杯を手にすれば、闘争心の源を取り払ってしまうわけだ」
「それは避けたい」と片目を閉じるキャスター。しかし――
「ん? 何を言うか。余は聖杯のためだけに矛を交えているわけではないぞ」
そう否定する声に、水色の双眸で相手を据える。
「武人との戦も余の胸を躍らせる。それが神ともなれば尚の事――貴様は屈服しないか気が気でないようだが、それは杞憂というものよ」
「……へぇ」
世界を――はたまた宇宙をも征服せんとする英雄の言葉に、ニャルラトホテプはわずか口角を上げた。
小気味好さそうに――生き生きと――期待を込めるかのように。
何がそんなにも嬉しかったのだろうか……ライダーとウェイバーは彼女が笑みを浮かべていることに気付かなかった。
「ま、そうだとしても変更させてくれよ。ゲーム大会に参加してるのはライダー一人だと不公平だし、セイバーとアーチャーで誰が聖杯に相応しいか論争するイベントは発生させたい――質は聖杯に劣らない、それなりの物を用意したよ」
キャスターが紙袋から取り出したのは――包装紙でラッピングされた長方形の箱。この大きさは――ちょうどゲームソフト一つ分ぐらいではないだろうか?
「こことは異なる世界線のゲームソフト――Fate/stay night。これで手を打ってほしい」
……運命、夜を過ごす? 全く耳にしたことがないタイトルだが、ウェイバーにはそんなことより聞き逃せないワードがあった。
「異なる世界線……? 本当か?」
「ああ、この世界線には『絶対に』存在しない。断言するよ。一見ありふれたこのゲームソフトは、どこをどれだけ探したところで見つからない」
「……オマエが創ったもので、一つしかないからどこにもない――なんて屁理屈じゃないだろうな」
ウェイバーの訝しげな視線に、だがキャスターは全く動じない。
「正真正銘の本物だよ。もっと異次元的なものなら証明できたんだろうけどね。なんせそのハードウェアで起動するし、絵も、システムも、音楽も、この現代にある技術とそう変わりない」
「はぁ? なんだよそれ……」
信憑性が失われるばかりだ……第一、魔法の現象を目撃していないのだから、信じろというのも無理な話。仮にそれだけの大それたことをしたとして、こんなにも呆気なく主張されては拍子抜けする。
「……と、彼は申し立てるみたいだが、肝心の私の対戦相手は?」
「構わん」
「い、いいのかよライダー? 聖杯が欲しかったから応じたんじゃないのかよ?」
まぁ、聖杯なんて不確定な代物、必ずしも貰えるとは限らないが……。
「異世界のゲームともなれば、生涯巡ってくるかわからんしな。これを逃すわけにはいかん」
「偽物だったらどうする気だよ」
「私への信用を失い、相手にされなくなるね。そうして私が寂しい思いをする羽目になる」
心なしか、澄んでいた水色の瞳が暗く濁った――さながら雨の中で孤独に佇む孤児のように。
あまりに度が過ぎる演出だが、ウェイバーの良心は突かれ口出しできなかった。
その沈黙を了承と取ったのか、ライダーは話を進める。
「――してキャスターよ、そのFateとかいうゲームは、どういった趣向が凝らされているのだ?」
「それは勝ってからのお楽しみってことで」
言いながら、賞品のようにテレビの前にゲームソフトを置いた。
テレビの前に座り、コントローラーを操作して大戦略のスタート画面に切り替え、眼を鋭くさせて笑うニャルラトホテプ。
「じゃあ――早速プレイしようよ」
その瞳の色は、闘志を帯びているかのような真紅だった――。