盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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23話 盲目少女は神話生物の実在性を問いたい

 少しして、足払いするような風を切る音と、物が床に落ちたような打音がした。耳から入る情報でミ=ゴが座り込んでいるのだろうと当たりを付けた夢月はすかさず飛びつく。

 

「ご、ごめんミゴさん! ちょっとでいいからどうし……え? この布切れって服……? しかも馴染みしかないこの手触りって……」

『ちょっとと言いつつ遠慮なしに私の腕を抱きしめるの、やめてください』

「は、はい……」

 

 どれほど嫌がってるのかイマイチ伝わりにくい無感情な声に、夢月は言われるがまま引き下がった。呆然というか、不安というか、物悲しいというか、そんな虚ろな心境である。

 ミ=ゴが立ち上がる間、どうやってか彼を拘束していたショゴスが足元に戻っきて、夢月は拾い上げた。

 

「……えと、ミゴさんは人間と同じ腕を持つ異星人なんですか? 足とかはちゃんと触手?」

 

 振り絞るように硬い表情で夢月は尋ねる。いやいやまさか、さっきまでの意欲と行動は無駄な願望、無意味な努力であったとはあるまいな。あんなにも独特で人ならざる空気感を漂わせておきながら、人と同じ身体をしてるだなんて……そんなことあるはずがない。

 人間が普段着ている布を付けていたような気がするが、少し触れた程度だ。気のせいに違いない。

 

『元々の私の形状は、あなたたち人間に言わせれば全身が悍ましい異形でしたよ。人のパーツなんてありませんでした。ただ今朝、夢月殿が出た後に人間姿に変えさせられたんです』

 

 つまり元の姿に戻すことができれば今度こそミ=ゴという未知なる触り心地を知れると……無駄な願望ではなかったわけだ。問題は――

 

「あの、ミゴさんの姿を変えたのって、もしかして……」

『……まぁ、そんなことができる者となると、自然とあの方が浮かび上がりますよね――ニャルラトホテプ殿の仕業です』

「ちくしょー! またあいつの仕業かよー! 前回よりやけに存在感が小さくなってたわけだぁー!」

 

 ミゴさんを困らせるためか!? それともわたしがリアクションを取ることを見透かしてのことか!? ヤツが帰ってきたら問い質さねば……。

 

「――あっ……」

 

 ニャルラトホテプへの恨みに駆られていたが、ふと我に返って急激に感情が収まる。

 人の顔をする感情に乏しい声の持ち主は、真向かいでどんな表情をしているのだろう。

 ……自分でもマズイことなのは自覚していた。が、歯止めが利かなかった。

 

「そ、その……わたし、どうしても触りたくて――」

『気にしていませんよ』

「……え?」

 

 しどろもどろに謝罪しようとした夢月の言葉は、冷淡にすら聞こえる棒読みに遮られた。拍子抜けしている夢月の頭に、ミ=ゴはそれとなく手を伸ばす。

 ひょっとして、それほど気難しい人ではない……? そう悠長に構えていると、薄い生地の手袋が嵌められた右手を頭に載せられ――

 ぶにゅり、と頭蓋が伸縮したように感じた。

 

「……ッ!?」

 

 ここに来て初めて、夢月は名状し難い嫌悪感を覚えた。咄嗟にミ=ゴの手を払いのける。

 

「……今、触手で脳を……直で揉みましたか?」

 

 取り乱してはいるものの、パニック状態には至らない。夢月はやや身構えつつ、体感したことをそのまま述べた。本当はただの錯覚なのだが、そうとは思えないほどに生々しい柔らかい感触が伝わってきたらしい。頭部が変形してないか手探りで確認するが、特に異常は見つからなかった。

 ミ=ゴは、声を高くすることも低くすることもなく受け答えする。

 

『あなたは無断で私の腕を触ったんですよ? なら私があなたの脳を触り痛み分けするのが妥当でしょう』

「うっ……」

 

 ……やはり怒らせていた。『これ』で痛み分けということは、自分が抱いた嫌悪感と同じくらい、ミ=ゴに不快感を与えてしまったということだろう。言い訳はできない。

 

「ごめんなさい。もう強引なことはしません」

 

 今後、合意を求めようとしても難しいだろうな……と、潔く割り切り謝罪を口にする。

 がしかし、そんな夢月に、ミ=ゴは――

 

『あ、いえ、そこまで負い目を感じなくてもいいのですが』

「え? そ、そうですか?」

 

 またしても棒読みの発言である。少し窘めるつもりだったとか……? でもその割に恐ろしいことをしてくるし……感情が上手く伝わってこないせいで、なんかもう、よくわからない。

 まぁなんにせよ、もう脳を揉まれるのは懲り懲りなので下手に突っ込むことはしないが。

 ……。

 さっきの感触を思い出して、夢月はミ=ゴに頭を撫でられないようショゴスを帽子のように被った。あっ、冷たくて気持ち良い……ではなく、これなら撫でられないはず……。

 ――実を言えば、ミ=ゴは脳を触る口実が欲しかっただけで、不快感はなかったといってもいい。回収するのは厳しいと判断し、ならば接触くらいはできないものかと試みただけである。力づくでも良かったのだが、抵抗してくるだろうショゴスを相手にするのは現在の慣れない人間姿では分が悪いし、邪魔する者がいなくとも力加減を誤ってこの子供を殺したらニャルラトホテプの命令に反する。だからそれらしい理由で触りたかったのだが――というか。

 警戒心丸出しの顔でショゴスを頭に覆わせる夢月を一瞥して、ミ=ゴは思う。

 ……というか、これくらいのことで怯えられるとは予想だにしなかった。異形のモノを珍しがる態度について、真剣に視野に入れるべきだったか。

 彼女は気付かなかったようだが、人間姿といっても完全ではない。後ろで軽く結んだ髪の間からは短い触手が幾本も生えていて、背中には蝙蝠の翼が残っている。それらを交渉材料にして、ゆっくり彼女の脳を調べるつもりだったが……この様子では断られるだろう。

 殺してもいいなら楽なんだが……。

 ……そういう方向で考えを巡らす私に、ニャルラトホテプはきっとこう言うだろう。

 「なぜ命令を破らなかった」と詰問するだろう。

 次に対面した時に性格が変わっていなければ、だが。

 

『そんなに身構えずとも、勝手に触りませんよ』

「ほ、本当ですか?」

『はい』

 

 ショゴスからお前嘘ついてんじゃねーよの視線が送られてくるが無視する。

 判断に迷うのか少しの間、夢月は顎を引いてミ=ゴの方へ目元を向け、すぐには返答しなかった。

 

「――わかりました」

 

 そう言って、頭からショゴスを下ろす。冷静に考えると、さっきは自分が害を与えたからされたのだ。こちらから何もしなければ相手も何もしてこないだろう。

 危うい決断をする夢月に、ショゴスは苦言を呈することはしなかった。

 もう一度されたら、流石にその時は警戒を解かないだろうし、そういったことは他人からの釘打ちより身をもって痛い目に遭った方が学ぶだろう。

 それに、自分の役目は絶対に超えてはならない線を越えさせないようにする歯止め役。深刻でないなら彼女に頼られた時に動けばいい。

 

『――ところで、先ほど私に訊きたいことがあると言っていましたね』

「あ、はい。その……ショゴスやミゴさんたちが登場する小説があるらしいじゃないですか。クトゥルフ何とかの。その関係性について質問したいことが……『脳を提供してくれたら答える』はなしですよ」

『じゃあ答えようがないですね』

「答えてよ! ちょっとくらい普通にやり取りしようよ!」

 

 なんかもう、機械と話してる気分である。

 神話生物ってこんなモノたちばかりなのか……? 誰かが困ったり悲鳴を上げる様を見て楽しそうにする神とか、人を殺せるか殺せないかでしか識別する気がない蛙とか……もうマトモなのはショゴスだけだ。

 嘆息しかけたところで、ショゴスから右手の甲をつつかれた。どうやら伝えたいことがあるらしい。

 無邪気そうに手に書かれたのは、記号を含めたった四文字であった。

 

『おどす?』

「もう神話生物なんて信用できないっ!」

 

 絶望である。

 山頂から見下ろす谷底よりなお深い。

 ――そこへ、再びショゴスが手の甲をつついてきた。もしかしたら自分の方に勘違いがあったのかもしれないので、書かれる文字に集中する。

 

「……つまり、脅すか取引に応じるかしないとミゴさんは口をきかない、と。だからといって脅すのはやりすぎだと思うけど……なに? ショゴスの中でこれが常識化するくらいにミゴさんは会話してくれないの?」

「テケリ・リ!」

 

 肯定されてしまった。

 いやいやちょっと。

 それ絶対に仲良くなれないやつじゃん。

 

『そんなことありませんよ。無駄話は嫌いではありません。声をかけられたら返しますし、こちらから呼ぶことだってあります。先日もあなたからの声掛けに反応しましたよ』

「た、確かに……」

 

 と、つい言ってしまったが、内心ではショゴスの方に傾いていた。

 脳を回収し、その後実験体に無惨な仕打ちをするという彼の言葉は当てにできない。

 

「……まぁ、そんなことをしてまで知りたいことではないですし、ニャルラトホテプに訊きます」

 

 「それでは」と言って踵を返そうとすると、頭に直接声が届いた。

 

『クトゥルフの呼び声、読んだことがあります。著者が執筆した経緯も把握してますよ。何が訊きたいんですか?』

「ふわぁ!? ちょ、急に答えないでくださいよ! 怖いって……」

 

 ミ=ゴの手のひら返しを気味悪く感じる夢月。

 

『あなたが私の言葉を信じていなさそうだったので。誤解を解かないまま帰すのは後味が悪いのです。私だってたまには無償で質問を受け付けますよ――と言うだけでは疑いは晴らせないでしょうし、なので今ここで有言実行しようかと』

 

 本当は夢月からの問いかけを無価値なまま終わらせるより、少しでも気を許させるために利用しただけである。

 「じゃ、じゃあ」と本題に入り始めた夢月の中では、ミ=ゴへの印象が『あまり関わりたくない人』から『やっぱりやっぱり悪い人ではないかもしれない』に変わりつつある――企みは成功していた。

 

「あの、ミゴさんたちは本から出てきた実在しない生き物なんですか?」

『いえ、実在します。基本的には人類がまだ到達していない星で活動しており、少数ですが地球に移住しているモノもいるので探し回れば遭遇できますよ。ほとんどの場合、食われるか記憶を消去されますが』

「ふぇー、見つけられるものなんですか。世界は広いなー」

 

 一度でいいからその星に行って、ここにいない神話生物にもぜひ会ってみたいけど、忘れてしまうなら会う意味が……ん?

 

「わたしの記憶は消さないでください! もう誰にも言わないから!」

『消しませんよ。そんなことをするのは極一部の種族だけです』

「ほっ……」

 

 ひとまず安心だ。

 ミゴさんから安心させてくれる言葉を貰ったのは初めてかもしれない(たぶん)

 

「それで……実在するってことは、じゃあ、クトゥルフの呼び声って誰かがミゴさんたちを発見して、生きて帰って書き残したってことですか?」

『そういうことになります――が、その本の著者は生きて帰っていません』

「……死んだってことですか? でもそれじゃあ、どうやって小説を……」

『いえ、生きて筆を執りましたよ。生存していたのは我々に会っていないからです』

「会っていない……?」

 

 それはおかしい。自らの想像力と身近な資料だけで書いたものが、一つ二つならまだしもあんなに沢山そう都合よく現実のものと一致するなんて……

 

『その疑問を解消するには、神話生物が人間にとって何なのかを説明しなければいけませんね』

 

 その前振りに、夢月は引っかかるものがあった。

 人間にとって何なのか? 価値観なんて人それぞれだろうに……。

 訝し気な反応をする子供に、ミ=ゴは淡々と述べる。

 

『私たちは心の内に秘める闇の――その果てに位置する想到です。怒りの次に芽生える感情が絶望ならば、絶望の次に行き着く感情といってもいいのかもしれません』

「……は、はぁ……はぁ?」

 

 初っ端から無事に夢月の脳内が爆破したが、とりあえず話を進めるよう促す。

 

「つ、続けてください」

『想到と言いましたが、クトゥルフの呼び声の筆者はその手段で我々を知覚したわけではありません』

 

 『夢、です』と、ミ=ゴは言った。

 

『多少歪曲された夢を通じて、彼――彼らは我々を知覚しました』

「……」

『ここにニャルラトホテプ殿が絡んできます』

「またですか」

『意図的に人間に夢を見せたのは彼女らしいです。らしいというのも、昔ニャルラトホテプ殿からそう聞かされただけなので。私は直接その現象を目撃していません。彼女はこう発言していました』

 

『あいつらに覗かれたから覗かれてやったけど、目を合わせて少し睨んだくらいで畏怖されたんだ。挑戦者にもってこいなのに、ここまで見慣れてないとはねぇ……所詮は人間か――って見切りをつけてもよかったんだけど、思いを断ち切れない私はどうにか冒涜的な生き物に対する耐性をつけれないものかと画策したんだよ。そこで――』

 

『こちらから出向いて何人かの夢に出現したらしいです。そしてその内の一人が何を思ったのやら、後世に本を残した――私が知っているのはこれくらいですね』

 

 長話になるかと思いきや案外あっさり終わった。

 うっわわけわからんと、完全に思考が停止していることがよくわかる表情をする夢月。

 うっわえげつないことするなーと、標的にされた人類に同情するショゴス。

 

『では、そろそろ脳いじりしたいのでこの辺りで――』

「ままっ待って! もう少し解説してください! 抽象と形が混ざり合っててよくわかりません!」

 

 もう語ることはないと締めくくろうとするミ=ゴに、夢月は慌てて声を張る。

 

『わかってるじゃないですか。あなたの言う通り――視えず触れない抽象と、その逆である形が混ざってるんですよ』

「だからそれが意味わかんないって言ってんの!」

 

 激語してから、これ以上訊いても簡単明瞭な回答は得られないことを直感する。

 湧いてきた苛立ちを抑えるため一呼吸置いて、別のことで異議を唱えた。

 

「だ、だいたい、人が絶望しすぎたら神話生物を思い付くようになるなんて聞いたこともありませんよ」

『そうなった人間は大抵誰にも話さず生涯を閉じますからね』

 

 そ、そういうものなのか……?

 ミ=ゴの返答に納得しかねる顔で、夢月は続けざまに指摘した。

 

「そもそもなんで落ち込んだら神話生物のこと考えるんですか? 納得できません」

『そういうものなんですよ』

「テケリ・リ!」

「えぇー二人揃って説明投げないでよ」

 

 夢月は不満を露わにした。

 露わにしすぎだ。

 

「……とにかく、ミゴさんたちは地球以外のどこかに住んでて、その様子を小説にしたってことですね」

 

 自分には理解できなさそうだな、と断念して、把握できた範囲で教えてもらったことを整理する夢月。

 

『そのままではありませんよ。先ほども言ったように歪曲された内容の夢ですし、世界観の基盤にはしていますが登場人物や展開は独自に創り上げています』

「うーん……でもなんか、事実と違うことが世間に広まるって嫌だなぁ……」

『私は好都合でしたね。お陰であまり耐性がつかなかったので脅迫しやすいです』

「この人平然と言いやがった」

 

 引いて、思わずもう一度ショゴスを被った夢月。

 

「もうとっとと諦めて下さいよ。わたしも諦めますから」

『なら、あなたは私の身体を触ることを諦めなくていいので、私も諦めなくていいというのはどうですか?』

「そういう話じゃない! ほら、お兄ちゃんの脳とかどうですか? 殺人鬼とか珍しいでしょ?」

 

 この妹兄を売りやがった。

 

『あのパターンの脳はもう分析し終わってるので要りません。ここに来てから出会ったあなた以外の人間はどれも平凡なものばかりで代わりにはなりませんね。きっとコレクターでも同じように言いますよ』

「うぐぅ……なんでわたしに拘るんですか?」

 

 夢月は眉根を寄せて棘のある語調でそう尋ねた。

 

『なんでも、ですよ』

 

 そして、はぐらかされる。

 そんな愚問にわざわざ時間を割く必要はないと言わんばかりに切り捨てられる。

 あるいは、何がなんでも手に入れたい、という気持ちの表れなのかもしれない。

 わたしは恐怖よりもどうしてが先立った。

 どうしてわたしなんかの脳を欲しがるのだろう……と、強く思った。

 強く強く、認めたくないほどに強く。

 

『他に訊きたいことはありますか?』

「あ、最後に一つ。ニャルラトホテプはクトゥルフ神話に登場する神様なんですか? だとしたらマイナーだったり?」

『ニャルラトホテプ殿はクトゥルフ神話に登場する邪神ですが……むしろメジャーな存在ですよ。創作物では重宝されやすいです』

「へ?」

 

 だとしたら、なぜ心は知らなかったのだろう。

 ……ただの偶然か。

 それからお礼を言って、夢月とショゴスはその場を去った。

 とりあえず、神話生物は実在していて、ニャルラトホテプもショゴスたちと同様の生物であることがわかり、引っ掛かっていた謎は解消された。説明を受ける前よりモヤモヤ感が増えたような気がするが。

 ――それはそうと。そんなことはともかく、だ。

 ニャルラトホテプが帰ってくる前に頭突きの練習をしようと、夢月は思い立った。


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