盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
キャスター陣営の拠点にその場しのぎで設けられた簡素なキッチン。そこに、ニャルラトホテプは立っていた。
テキパキ、コツコツと、ご飯を炊いてる最中、片手鍋で野菜を煮ながら一口大にカットした下味をつけたお肉に片栗粉を塗す工程を繰り返している。
水が沸騰してポコポコと鳴り、そして、フライパンで加熱させていた油に肉を沈ませてパチパチと響き渡る――余計な音から切り離された室内。
見眼麗しい女性が、海の輝きを彷彿させる水色の瞳で和やかに、丁寧な手つきで料理を作る様はなかなか絵になるものである。
「おのれニャルラトホテプ! 今日こそ積年の恨みを晴らすっ!」
そのような何気ない日常の温かさを描いたような光景をぶち壊すように夢月は飛び込んできた。
飛び込むというより突進というべきか。スピードをつけて推進力を高め、キッチンで後ろ姿を晒すニャルラトホテプに精一杯の頭突きをかます。
……しかし。
「こらこら夢月、よりにもよって料理を作ってる最中に襲撃なんて危ないじゃないか。私が身体の硬軟を自在にコントロールできるサーヴァントだったから良かったものを、他のサーヴァントだったら今頃その頭蓋骨は砕けてるよ? ――ねぇ聞いてる?」
「そ、そんな……ノーダメージ……?」
あっけなく弾かれた。
痛がる素振りもなく余裕綽々と注意するニャルラトホテプの態度に、夢月はショックを隠しきれない。
そりゃあ、本人曰く弱体化しているらしいが、生身で真正面から戦場に乗り出せるほど強靭な肉体の持ち主である。自分ではかすり傷一つすらつけられるはずがない。
でも、せっかくショゴスに付き合ってもらって練習したのに……
「くっ……なら邪魔してやる! 慌てろ! わたしの行為で心を乱せ!」
別段深くもない恨みだけだったが、意地になって、ギャーギャー喚きながら全身を使ってニャルラトホテプを押そうとしたり貧弱な力で何度も叩き始めた。
……が、その程度では動じさせることはできない。ヒト一匹がどう工夫したところで効くはずもない。
「まぁ仮に怪我しても治せるからいいんだけど……まさか暴力で訴えてくるとはねぇ」
きつね色に仕上がった唐揚げを取り出しながら、何やら嬉しそうにニャルラトホテプは眼を細めるが、自分の行いをそう解釈された夢月は虚を突かれて動きを止めた。
「――ん? いや、ニャルラトホテプ以外にはこんな無茶やらないよ」
「え、私だけ?」
「というより、ニャルラトホテプぐらい強い人にしかやらないって感じかな。だってこうでもしないとダメージ入んないでしょ?」
調理中にアタックしようと案を出したのはショゴスである。火、刃物を扱う場所であれば、たとえこちらの物理攻撃が通らなくても勝手に傷をつけるか、細かく神経を使うから精神的に攻撃することもできるかも、とのことだ。
他にも案はあったが、自らの身を危険に晒すことも考慮した上で最もやり返せる可能性がありそうだったのでこれにした。
「それよりニャルラトホテプ! なんでミゴさんを人間にしたの? 触るのすっごく楽しみにしてたのにぃ……」
厳しい目つきで頬を膨らませる夢月。深くはない恨みではあるが軽くもないらしい。
「それは……」ニャルラトホテプは若干の間を空ける。
「……ミ=ゴにちょっと意地悪したくなっただけだよ。暫く戻す気はない」
いつもより硬いニャルラトホテプの語気に、夢月は並々ならぬ意地を感じた。
「そんなぁ……お願いだよ、少しの間だけでも。代わりになんかするからさ」
「夢月でも役に立てそうな頼み事なんて思いつかないよ」
「――ならせめて復讐だけでも達成してやる!」
開き直って、今度は彼女の腰に腕を回して揺らそうとする夢月。さしものこれにはニャルラトホテプも止めに入るようで、
「あ、夢月、私の前に腕を置くのは――「あつっ!?」油が飛んでくるからやめときな……って、遅かったか」
跳ねた熱々の油が手について、急いで両腕を引っ込める夢月。痛みが走ったことは元から承知していたため気にしておらず――子供の胸を占めるのは悔しい気持ちであった。
何とか……何とかニャルラトホテプに報いを受けさせる方法はないものかと考えを巡らせようとして――今になって、気付く。
「この音……」
聞いたことのない音色がする。
焼くような……いや、小さくて大量の液体が絶え間なく小爆発しているような……?
感情に突き動かされていたとはいえ、これを聞き逃すとは……。
――緩慢な動作で、油に当たらないようにニャルラトホテプの背後からそっと覗き込む。
すっかり苛立ちを忘れたように、夢月は初めての揚げ物を揚げる音に恍惚した表情で聴き耽ていた。
そんな人の子を見て、ぽつりと、ニャルラトホテプ。
「……楽しそうだね」
黒髪の美少女が小言と共に口元に浮かべる笑みは、微笑みが当てはまる穏やかなものであった――灰色がかったほのかな水色に、少々の寂しさを滲ませて。
――晩御飯。
カラッと揚げた唐揚げにレタスを添え。濃すぎず薄すぎない味噌汁。炊きたての白米が食卓に並べられる。
普通に美味しそうな食事である。そして食べると美味しい。
「あれだけ妨害したから一つくらい失敗作が混ざってるかなーって思ってたけど、全部上手くいってるね」
(……妨害?)
夢月の何気なく零したセリフに、龍之介は味噌汁を啜りながら引っ掛かりを覚えた。ちょうど作業が一段落したタイミングで呼ばれたため、今回は最初から同席している。
対して何の不自然さも覚えないのか、ニャルラトホテプは滑らかに言い返した。
「なんだ望まれてたんだ。言ってくれたら夢月の皿には辛うじて原型を保つ黒焦げのものを盛り付けたのに」
「やめて」
望んでないよ。想定してただけだよ。
半分焦げたものならまだしも、黒い物体を口にする準備はできていなかった夢月は冷や汗を垂らす。こいつなら本当にやりかねない。
しかし、そんな心配は無用とばかりに「冗談だよ」と軽快に言うニャルラトホテプ。
「ところで夢月、この唐揚げは口に合うかな?」
「え、ああ、うん。外はカリカリだし味付けが程よくておいし――」
「実はこれ人肉なんだよね」
「……………………え……?」
「――って言ったらどうする?」
夢月には視えないが、ニャルラトホテプは現在見る者を魅了するような愛くるしいとびきりな笑顔である。
「……ちょ、ちょっと待って……マジで……?」
「おっと意外。カニバリズムはいけなかったか」
ケロリと返事をするニャルラトホテプに、夢月は失いかけていた言葉、もとい生気を取り戻した。
「無理に決まってるじゃん! 自分の肉を食べてるようなもんなんだよ! 拒絶反応出るって!」
「私はよく同族を食べてるよ?」
「異星人の常識を基準にするな! 人間はそういうの嫌がるんだよ!」
「でも龍之介は美味しそうに食べてるみたいだけど?」
「お兄ちゃんは異常なの!」
「いや、オレは至って正常だよ」
「……」
この兄を黙らせたいと心底思う夢月。
――ここにきて、それまで主の傍で黙座するだけだったショゴスが動いた。一瞬の内に夢月の唐揚げを一つ体内で溶かし、肩を震わせる少女に手の平を出すよう促す。
「なになに……人肉じゃない、ニャルラトホテプの嘘……ほ、本当? よかったぁ」
「え、そうなの? 何だよガッカリした……」
胸を撫で下ろす夢月とは対照的に、龍之介は残念がる。どこに落ち込む要素があるのか意味わからんが、そんなことより夢月の心はショゴスへの称賛でいっぱいだった。やはりショゴスは有能……あれ?
「……なんでショゴスは人間の味じゃないってわかったの?」
え? そりゃあ……とでも言いたげに触手を伸ばしてきたが、「あ、いいよ。独り言だから」と牽制した。あえて確定させないよ、わたしは。
……ふぅ、とにもかくにも、これで心置きなく唐揚げを頬張ることが――
「ねぇおねーさん、人を使った料理の作り方知ってる? 割と簡単で美味いやつ」
何を言い出すんだこの兄は――!?
「知ってるよ。熟知してるよ。各々の部位の旨味と触感を活かし様々な効果が見込める、内臓と骨まで余さず使った素人に易しいレシピ」
完璧である。
「お、じゃあ早速教えてよ」
「い、いいよ! ほら、料理って金とか時間とか掛かるしさ! 凝ろうとせずとも、わたしはお兄ちゃんの作るカップ麺大好きだな~」
「お湯注いでるだけだし誰が作っても味は変わらないだろ」
「違う、そうじゃない……」
……やはり、自分に誘導なんてできるわけないか。
経験上、兄にストレートに要求して聞き入れてもらうのはほぼ不可能である。
夢月はため息をついて決断する。
兄が料理を提供したその時は、腹を括ろう……と。
「夢月も大変だねぇ」
「その通りなんだけどニャルラトホテプの口から聞きたくない発言だな。あと、もしそれを笑顔で言ってるなら頭突きするからね」
「ははっ、ざーこ」
「にゃうーっ!」
安っちい挑発に乗せられる夢月であった。
発射寸前の戦闘態勢である。
発射はしない。
ニャルラトホテプは夢月の反応を面白がるように笑い、「それじゃ龍之介、今パパッとレシピ教えるけど、量がそれなりにあるからこれにメモして」と、どこからかボールペンとメモ用紙を取り出した。
人肉というワードが容易に飛び交う中、夢月はおちおち食事ができない――なんてことはなく、モグモグ食べる。モリモリ食べる。
唐揚げを口に入れる。
(……あっ)
そして。
ようやく落ち着きの時を得て、ある事がよぎった。
帰宅してから昔のことを思い出したり、ミ=ゴに色々と説明してもらったり、激情に振り回されたりでごたごたして忘れていたが――そういえば、ニャルラトホテプに訊きたいことがあるんだった。
サーヴァント――聖杯戦争で武器を振るう英雄について。
夢月の英雄への関心度は高くはない。けれど身近に歴史好きがいることだし、この際存分に語って欲しかった……学校で、数少ない友達である心に。
だというのに、本来サーヴァントというのは本名を隠し、キャスターなどと役職のようなもので呼び合うようで、覚えていたのがイスカンダルのみであったため一人分の話しか聞けなかったのだ。特徴から推理しようとしても容姿は視てないしどんな発言をしていたか覚えておらず断念。
だからニャルラトホテプなら彼らの真名を察してるかもと、訊こうと思ってたんだった。今は二人の会話の邪魔になるし、後で――食事が終わった頃合いなら差し障りないだろう。
……聖杯戦争での自分の役割は、他のサーヴァントとニャルラトホテプを引き合わせるための開戦のホイッスルのようなもの。夢月が攻撃されたらニャルラトホテプを呼び出し、戦いが始まる……らしい。
午後は外出しなかったが、それでよかったのだろうか?
もしも初歩的なことしか知らされてないだけで詳細な思惑があるなら、わたしも把握した方がいいのかな?