盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
今日は目覚めがかなり良い。起きた瞬間驚いてしまったくらいだ。
頭は妙に冴えていて、眠気は少しも感じずさっぱりしている。
何も夢を見ることがなかったどころか、寝たのかなと疑ったぐらいに意識が飛んだのが短く感じるけれど、確かに疲れはちゃんと取れていた。
こんなにも上質な睡眠は久しぶりかもしれない。
そんなことを、背中を曲げて座った体勢になってのんびりと考えていた。
そして今更ながらに不審を抱く。
「……あれ?」
本に埋められていない。前日にいくら熱が出ようが隣に一冊や二冊はあるものなんだけど……どこにも見当たらな――よく見たら知らない天井と床と布団だ! 自分の部屋じゃないじゃん! ここどこ!?
ままま待て待て落ち着け…昨日やったことを思い出すんだ。
えーっと、儀式を行ってニャルラトホテプを召喚して、拠点づくりの話になってお兄ちゃんに案内してもらって……ああそうだ、聖杯戦争の説明を聞いてる間に眠っちゃったんだ。
外出して寝て起きる時って、だいたいお兄ちゃんにおんぶしてもらってるか誰かの悲鳴を聞いたりするから、いつもと違ってびっくりした。
とりあえず外に出ようかな。いつまでもここに居たって意味ないし。
扉の下から光が漏れてるってことは外は明るい。目を閉じて杖を……ない。あの家からは持って帰ったはずなんだけど…まぁ何とかなるか。
わたしは目を閉じながら扉――と思っていた段ボールをシャッターを上げるかのようにして開き一歩目を踏み出すと、右斜め前から声が聞こえた。
「おはよ夢月」
「え、あ、おはよう、ニャルラトホテプ」
てっきり手探り状態でウロウロしてようやく会えると思ったのに、ちょっと拍子抜けだ。
「まさかまさかの魔力を一気に使って半日も寝たっきり。一部とはいえ嘘から出たまことが実現するとはねー」
「そんなに!? 何だかニャルラトホテプの発言が怖くなるんだけど…」
「自分でも軽くビビったよ。せっかく参加できるっていうのに早々に退場とか…」
でも納得した。昨日は舞い上がってて分かんなかったけど、わたし疲れてたんだ。だからその分深く長く眠れた……。
「ところで半日って具体的には? 今何時なの?」
「ちょうど十二時間くらいのはずだよ。朝ごはんではなくお昼ごはんの時間だ。ささっ、そのまま前に進んで座りなよ。ちゃぶ台を囲んで一緒に菓子パンを食べようじゃないか」
「うん」と言って方向を変えずに歩きながら、内心ワクワクしていた。
菓子パンの存在は知っているけど、実際に食べたことはない。両親はごはんだけは作ったものを欠かさず用意してくれていたし、買おうにも小遣いは全額本に使っていたので無理だった。
それに何より、保育園小学校ではクラスのみんなで弁当か給食。それ以外は全部独り。
こうして少人数で食べるのは初めて――
「いたっ!」
おでこが何かにぶつかった。痛い…。
反射的におでこに両手を当ててると、足音を立てて近づいてくるニャルラトホテプが楽しげに撤回した。
「ごめんごめん言い間違えた。正しくは右斜め前に進んでだったよ」
「それ絶対わざとだよね!?」
「おっ、そういえば杖を寝床に置き忘れていた。こいつはうっかり」
「わざわざこの時のために置かなかったんだね…」
「夢月ってばいじりがいがあるなぁー……ほれ、これで治ったでしょ」
「……ホントだ」
痛みが引いてる。神様ならこれくらいのこと朝飯前……なのかな?
「今度こそ食事をしようか。私のこの手で引っ張って連れて行ってあげるよ」
「……じゃあ」
恐る恐る手を取ったけれど、別段、悪戯を仕掛けられることなく、席に着いた。肩透かしを食らった気分。
ここはどこなのかを訊いたところ、洪水を防ぐ役割をする放水路? というトンネルみたいな場所で、ちゃぶ台や部屋を区切るための壁は、床のコンクリートを伸ばして加工したらしい。ちゃぶ台の脚の部分を触ってみたら床に直接くっついていた。
そして気になっていた菓子パンはメロンパンだという。一口目でもう好きになった。甘くておいしい。
一心不乱に食べていると、ニャルラトホテプが「早速」と話を切り出す。
「聖杯戦争について最初から解説しようか」
「お願いします」
「うむ。とにもかくにもこの戦いについて簡潔に言うと、何でも叶う聖杯を取るために七人の人間がそれぞれ召喚した一体の英雄と一緒に争う、というものだ。召喚した側の人間をマスター、された側をサーヴァントと呼ぶ」
つまり私がマスターで、ニャルラトホテプがサーヴァントってことか。
「まずマスターについてから掘り下げようか。マスターの権限は令呪を使って三度サーヴァントに命令できるということ。内容によって効果は薄れるけどね。それ以外にもサーヴァントを強化させたりすることもできる」
「ふーん…」
「あとはサーヴァントが現世に留まるための魔力を送る必要があるけど、これについては自力で賄ってるから問題ないよ。あぁでも私達の場合は夢月の死が私の消滅に直結するようにしたから、夢月はとりあえず私に守られてくれ」
「分かった」
戦略とか戦術だとか難しいことを考えないといけないのかと思ってたけど、ニャルラトホテプに投げていいみたい。よかったぁ…。
「次にサーヴァントについて。サーヴァントは過去、現代、未来に名を残した者達で、マスターは召喚したい英雄に関係するものを触媒にして呼び出すんだ。例えば夢月の場合は私が手書きで書いた本を触媒にして呼び出した」
ほえー、それって歴史上の人と会って話せるってことだよね。心ちゃんが聞いたら喜びそう……あっ。
「ねぇニャルラトホテプ、その本ってどこに…」
「切って金にしたよ」
「そっかぁ。保存したかったんだけど……ん? 切った?」
「買いたいものがあったからね。札の大きさにして魔法でちょちょいと。本物に変えたから通報されることはないよ。そもそも神が作ったんだから偽札である道理はないでしょ」
「納得いくような…いかないような…」
何はともあれ、ニャルラトホテプが作ったお金は使わないようにしよ。
「話を戻すよ。サーヴァントにはクラスというものがあるんだ。この人はこういう武器が得意だよっていう職業みたいなもの。剣を得意とするセイバー、弓を得意とするアーチャー、槍を得意とするランサー、騎乗を得意とするライダー、魔術を得意とするキャスター、暗殺を得意とするアサシン、狂化を得意とするバーサーカーの合計七つ。ちなみに私はキャスター。この辺はゆっくり覚えるといいよ」
「そうする…」
「最後にルールとして人目につかない所や夜に戦闘すること――っと、概ねこんな感じかな。何か質問とかある?」
わたしは力なく首を横に振った。
正直整理が追いつけてるのは聖杯が欲しくて戦ってて、わたしは守られればいいってことぐらい。初めて聞く単語が多すぎて混乱してる。令呪とかいまいちピンと来てない。
わたしは本が好きだけど、あくまでも描写されてるものを想像したりするのが好きであって、内容はあまり理解していなかったりする。勉強もどちらかというとできない方だ。
教えてくれた大まかな知識を暗記、理解しないことには質問しようにも思いつかない。
「そう。なら私から一つ。夢月は聖杯に何を願うの?」
それは興味があったから、ではなく答えはわかっているが一応訊いておこうという感じだった。だからだろうか、わたしの返事の反応が驚きなのは。
わたしはしばらく唸って、絞り出すように口に出す。
「……好みそうな小説をたくさん…とかかな」
「へぇ…意外。目の病気を治したいじゃないんだ」
「これくらいの不自由は慣れたし、周りのものはどんな色をしてるとか想像するのが好きで、見えない方が想像の幅が広がるというか……」
文字が読めなくなるなら話は別だけど、そうでないならこのままがいい。
なぜなら見えない方が、日常的に行動している最中に想像する内容が変な常識にとらわれるずに済むから。
例えば色。誰でも知ってるような私物の色、部屋の色、建物の色、道の色、空の色、太陽の色、海の色、山の色―――世界の色。
それらの色は知ってしまったら想像に無意識なブレーキを掛けてしまう。でも知らなければ無限に広がる気がする。
他にも形とかそこに居るか居ないかとか。目を閉じただけで情報はすごく少なくなる。
知っているのは少しでいい。その少しを応用して、わたしの創造をより遊び心あふれるものに――自分が一番良いと思えるものに。
だからわたしは目の病気を治したいと思わない。
『それってそんなに悪いことかな』
……思わなくなった、が正解か。
「盲目であることを望む、か……ふふっ、良いねぇ。その考え気に入った。これから共にすることが多いマスターが夢月で嬉しいよ。幸先がいい」
「ありが、とう…」
歯切れ悪く、パンでほんのりべたついた指で頬をかきながら言った。純粋に褒められると照れくさくなる。
そして、ふと疑問が浮かんだので訊いてみた。
「ニャルラトホテプは何を願うの?」
「ないよ。いらないし」
「――え? そうなの?」
呆気なく即回答された。てっきりあるものだとばかり。
「大抵のことは自分で叶えられるし、何なら聖杯創れる」
――創れるの?
「ここに来たのは試したいことがあるのと、気まぐれみたいなものだね」
「……そう、なんだ……」
聖杯を創れる神が聖杯を取るための戦いに参加してるってどういうこと? 試すってなんや。
処理が追い付かないわたしを置いて、ニャルラトホテプは勝手に話を終わらせた。
「さて、やることはやったし、私は買い物に行くとするかな」
ニャルラトホテプの声の位置が上に移動し遠くなっていくので、立ち上がり歩いているのだろう。
急いでわたしも立ち上がり、一緒に行きたいと頼んだ。
「いいよ。ちょっと待ってて、龍之介に欲しいものないか訊いてくるから」
その次に扉を開ける音、泣き叫ぶ声、閉める音が順に流れ、静寂につつまれる。
「……」
……いやいや、違うよ。別にお兄ちゃんのこと忘れてなんかないよ。ちゃんと覚えてた。ニャルラトホテプに言われるまで頭から抜けてなんか…片隅にいたし。後で会いに行こうとしてた。おはようって言いに行こうとしてた。本当に。決してニャルラトホテプや聖杯戦争やメロンパンに夢中になってて影が薄くなってたとかそういうんじゃ……
……お兄ちゃん、ごめん。
言い訳と謝罪を心の中で行っていると、また扉の開く音が聞こえた。
「お待たせ―、んじゃ行こうか。はい杖」
「う、うん……」
杖を受け取り、ひっかかっていた当然の疑問をニャルラトホテプに投げかけた。
「さっきも言ってたけど、買いたいものって何?」
「そりゃあ聖杯戦争において必要なもの」
戦争に必要なもの…? 防具とか? でも強そうな人達にそんなの効くのかな。特に魔術とか魔法に防具なんて…。
「ビデオカメラ、スマホ、テレビにパソコンは二台…いや三台ぐらいあった方がいいかな。やっぱビデオカメラをもう一つと三脚…」
「……は?」