盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠れい(元キルレイ)
月光さえ届かない夜闇の道をゆったりと、あるいはどんよりと走る白銀の車があった。
運転席に座るは運転免許証を持たない危険ドライバー、しかし今はぐったり気味の銀髪赤眼の婦人、アイリスフィール・フォン・アインツベルン。
そして助手席に座るは運転免許証を持たない優秀ドライバー、アイリほどではないがぐったり気味の金髪碧眼の少女、セイバーである。
両者共に傷を受けてはおらず、体力魔力共に消費してはいない――ただ、非常に気疲れしているようではあった。
「駆け引き相手がロード・エルメロイ、トオサカと二人もいたからどうなることかと思ったけど、すんなり交渉が進んでよかったわ。それだけキャスターの扱いに困ってる、ということなんでしょうけど」
「……すんなり、と表現していいのかは定かではありませんが」
喜ばしい出来事のはずが、喜びとは遠い表情のアイリに、セイバーはやや固い声で反応する。
セイバーの意地にかけてアイリを不安にさせまいと自分の表情に細心の注意を払い、背中を曲げず、かといって重心を背もたれにかけることもなく外面を装うとする――だが、アホ毛は正直である。ほんのりと沈んでいた。落ち込んでいるというより、困り果てている沈み方だ。
そんなセイバーの様子を察して、アイリは遠回しにすることなくあえて率直に問い質した。
「――キャスターに勝てそう? セイバー」
「……それは……」
客観的に、憚ることのない意見を求められているだろうことはすぐに気付いた。しかしどう答えるかは既にまとまってはいるものの、それを言えばたちまちアイリをがっかりさせてしまうのではないかと一度は言い淀んでしまう。
それでもここは、アイリのためにもはっきりさせるべきだろうと、意を決してセイバーは正直に述べた。
「まず前提ですが、キャスターと矛を交えたどころか戦いを目にしたこともなく、如何なる戦法を用いるのか真名から探ることもできません。宝具を使用しない、という宣言も信用していいのかどうか……なので推測というより経験と勘の話になります」
「……」
セイバーの経験と勘――それは何よりも信頼出来る証拠だろう。何しろ激化した戦場を何度も潜ってきたプロである。
「先ほど同盟を結んだ際、ランサーが自らの宝具である必滅の黄薔薇を……折らせたために、私の左手は戻り対城宝具が使えるようになりました。それに加え、ランサーとアーチャーという強力な助勢も得た。ですが……」
それは同盟を結んだ際から抱えることになった爆弾であり、アイリも予想していたことであった。
「アーチャーが何をしでかすかわからないので、勝率はどうだか……」
「……そうよね」
二人の顔に、揃って疲労が滲み出る。一体何が原因でこんなにも疲れているかといえば、つい数十分前、教会にて、交渉中ずっと。簡潔にいえばアーチャーがキレていた。
殺る気十分怒気を抑えず、ただ無言で腕を組んで佇んでいたのだ。アイリとケイネスは委縮し、セイバーとランサーがどう宥めるか、そもそも声をかけるべきか思い悩む中、着々と進行を務めたアーチャーのマスター、遠坂時臣には誰もが感心と同情を胸に宿さずにはいられなかった。
おかげで重苦しい空気でありながら何事もなく共闘が決まったが……実のところ苦々しい表情以上に、よりにもよってあんなのと連携するのかとセイバーは落胆していた。
彼が冷静沈着であったなら、まだ戦力になりえただろう。共に作戦を練り、協力し、味方を傷つけることなく遠戦してくれたはずだ。
だが自身の感情のコントロールもままならず、キャスターを八つ裂きしなければ気が済まないといった形相のバーサーカーのようなサーヴァントと共闘? 敵より先に近距離で戦うセイバーとランサーの背中を撃ち抜くのではないか? 勝率を上げるどころか下げかねないのでは?
聞いた話では、アーチャーはアサシンを一瞬で仕留めるほどの実力の持ち主で、投擲する一つ一つの槍や剣に帯びた魔力量は桁違いだという――致命傷を与えうる攻撃ということは、味方に当たれば致命傷になるということ。
次にキャスターと相まみえるまでには鎮めているといいが……二日経ってこれでは厳しいだろう。
「しかし、もしもアーチャーが戦場で化けるのであれば、飛躍的に勝率は上がります。キャスターが行使する魔術にもよりますが、少なくとも負けることはないはずです」
そう、悲観的になる必要はない。むしろ良い流れになっている。傲慢な節があったアーチャーがキャスターを真っ直ぐに敵視し、共闘を容認したこと。そして実力が保証できるランサーと共に戦えること、左手が使えることも大きい。
――だが、それでもセイバーの頭を過ってしまうのは。
『勝てるかもしれない』と根拠を長々と並べるばかりで、『勝てる』と一言で断言できない己の弱さだった。
暗雲とした局面を照らし、民に希望と平穏という名の勝利を確信させる――それがアルトリアという王の役割だ。だというのに……
無自覚の内にセイバーは叱責するように、嘆くように膝上で重ね握る両の拳を見つめる。
「……やっぱり厳しいみたいね」
「……申し訳ありません」
アイリの口端を落とすぼやきと控えめな嘆息を耳にして、期待を裏切った罪悪感にセイバーは合わせる顔がなかった。
「あ、今のため息はそうじゃないの。キャスターの件はセイバーと切嗣なら何とかしてくれると信じてるわ。夫のため、娘のため、聖杯を獲るために私たちは勝たなくてはならない。無論私もできる限りのことはする。けど、そのマスターの子が少し気になって……」
「アイリスフィール、気が沈んでいるところすみませんが、このまま進むと車体が落ちるので曲がってください」
「あら、いつの間に」
助手席の同乗者からの慣れきったような平坦な指摘に慌ててカーブを曲がるアイリ。その様子に、セイバーは思う。アイリが運転する車に乗るのが自分だけで良かった。
そして、ふと思案する。
今のアイリはどうにも危なっかしい。事故が起こりそうになってもサーヴァントの動体視力を以てすればアイリを抱えて脱出することはできるし、思う存分楽しんでもらいたいが、身は安全でも自動車が壊れてしまったら彼女の数少ない楽しみが一つ消えることになる。ただでさえ玩具のような雑な扱いだったのが更に雑になっているのを見るに、疲れが癒えるまで口実を作ってでも自分が運転した方がいいのではないだろうか。
しかし真剣な顔つきで切り出すアイリに、セイバーは割り込むタイミングを失った。
「セイバーはキャスターのマスターのこと、どう見てるの?」
「あの子供ですか? どう、と言いますと?」
「セイバーとランサーが戦ってる最中、ライダー、アーチャー、キャスターが乱入してきたとき、あの子の振舞いにどんな印象を持った? 敵としてではなく、一人の子供として」
「……」
あの子供に対するアイリとセイバーの認識は共通である、と、セイバーは一度たりとも疑わなかった。マスターを仕留める策は少女に覚悟を問うてからにしたいと言い出していたし、またアイリの人柄を鑑みれば疑う余地がない。セイバーの応対にアイリの方で齟齬を感じていないように見えた。
それを――なぜ今になって確認するのだろう。
意図は読めないが、訊かれたからにはとりあえず答えるべきだろうと、記憶の中にある数日前の光景とその時の心情を想起する。
「……あの子供を目にして、最初に思ったことは異様に幼いにもかかわらず生きていたことへの驚きです。戦場で幼子を見かけた時は常に骸だったので、違和感を覚えました」
最初――つまり続きがあると、アイリは込み上げる胸騒ぎを抑え込んだ。セイバーは張り詰めた表情で静かに語る。
「ですが、その驚きは彼女らの会話を聞いてる内に――あの子供が死地に立っていることを正しく認識できていないことが判明してからは、キャスターへの怒りへと変わりました。おそらく偶然の成り行きか、誰かに唆されてマスターとなり、キャスターに言いくるめられているのでしょう。あれは我ら騎士が守るべき覚悟を知らない子供の顔です。偶然であっても負った役割は果たすべきですが……あの少女はあまりに、幼すぎる」
その時、セイバーの脳裏に血みどろの凄惨な情景が蘇った。
――かつて自国の民を守りきれなかった、幾度となく思い出すあの情景。
――何の罪もない、ただブリテンで生まれ育ってしまったというだけの、多くの子供たちの死体を。
「元の日常に返せるものなら返したいところですが、万が一彼女に参加する意思があったなら――私も彼女を敵として認め、対峙します。しかしできることなら悪質な戦いを見せたくない。そう考えるほどに純朴な印象を受けました」
だからこそ、セイバーはキャスターを赦せない。
サーヴァントとはマスターの代わりとして、命を賭けてでも叶えたい願いのため血を流す者。それを敗北したいなどというふざけた理由で邪魔立てし――あろうことか子供を巻き込むなど、アーチャーほどではないが憤りを感じていた。
――言わずとも、その怒りはアイリに伝わってきて。
「……」
どうして、どうしてあの子供には同情するのに、自分に対して同情することができないのかと無関係な感傷に浸りそうになりながらも、本来の目的である別の言葉を口にする。
「じゃあ、何か不信感を抱いたりとか、そういうのはなかったのね?」
「は、はい……これといって、特には」
見当はずれな問いかけに、我に返るほど戸惑いながらも応えるセイバー。
しかし問いかけたアイリすらも、眉を顰めながら頷いていてますます当惑していた。
――先日、切嗣から意味深に言われたことがある。
『キャスターのマスターの考えは僕にもわからない。サーヴァントの方ばかりが悪目立ちしていて見落としていたが、何かが致命的におかしいのは間違えないよ。現状無害で、どこの陣営にもダメージを与えていないのが却って不気味だ。そもそもたかだか八歳ほどの子供が聖杯戦争に関わっている不自然さにもっと注視すべきだったんだ。話が通じると思わない方がいい』
初めはその子なりに覚悟して聖杯戦争に励む参加者か、諦めて傍観に徹する被害者だと考えた。
だが、切嗣の言葉が単なる冷酷なものでなく、冷酷故に極めて冷静な分析であるなら、考え直すべきなのではないか……? 即ち、キャスターのマスターは普通ではないと。
確かに外なる神なんてものを召喚し、使役し続けている以上、そのマスターは普通ではないかもしれないが――言いくるめられている可能性だって十分にありうるだろう。何しろキャスターの正体は人を巧みに操り破滅に追い込む邪神だ。……だが、切嗣がそこまで断じているのであれば……
……あの女の子のことを、どう見るべきなのだろう。
それはセイバーより幼い女の子のはずだ。力が弱く、誰かの支えが必要で、悪意を知るべきでない……その、はずだ。
そう信じたいアイリは、夫の勘違いであってほしいとすら思った。
「……なんでもないわ。私も概ね、同じ意見よ。とにもかくにも、まずはその子に話を聞いてみましょう」
声音を強めて、アイリは迷いを切った。
切嗣が詳しい根拠を話さない以上、自分の目で確かめるまでは迷うだけだろう。ならばあの子供との問答に集中する。
「余計な勘ぐりを入れさせてしまったわね。ごめんなさい」
「いえ、それは構わないのですが……なぜこのような質問を?」
「少し気になっただけなの。大したことじゃないわ」
話したところでむやみにセイバーと切嗣の溝が深まるだけだと判断して、アイリははぐらかした。釈然としない言い方にセイバーは疑問に思うが、何か言えない事情があるのだろうと押し黙る。
セイバーには少し騙すようで悪いが――なんにせよ、これでアイリの心を重くする種は軽くはなった。
ならば、やることは一つである。
「――さて。気持ちの整理がついたことだし、せっかくの運転する機会だもの。気分を晴らすためにも一昨日の二倍のスピードで走ろうかしら」
「……二倍?」
セイバー、前回の危険極まりない爆走がフラッシュバックする。
あの時セイバーが振り回された時速一〇〇キロを超えるスピードは、最高速度時速二六〇キロを誇るこの車からしたら実力を出しけれていないようなものであった。
「いつもは切嗣に絶対やるなって止められてるけど、一度くらいは試してみたいじゃない? ちょっとぐらいなら……ね?」
アイリは茶目っ気のある愛らしい笑みでそれとなく口止めを促すが、セイバーはそれどころではなかった。
せっかくここまで乗り気になってる運転だ。安全の確保は自分に任せてやらせてあげたい。やらせてあげたい――が、能力ではないアルトリアとしての第六感が告げるのだ。やらせるなと。
「ア、アイリスフィール、考え直し――」
「えいっ」
わくわくが止まらないと楽し気に恐ろしくギアを上げる所作は、その手際の良さからそこのわくわく止まれとセイバーに口出しするだけの間を与えなかった。
一秒にも満たない刹那、車が加速するより先にセイバーの未来予知にまで達する直感スキルが絶叫する――今すぐ降りなければ死ぬ、と。
もはや、逡巡はなかった。
「きゃ――」
アイリの小さな悲鳴に構わずセイバーは彼女を抱き抱え、そのまま扉を押し破るように車から飛び出る。更に地に足が着いた瞬間、跳躍。数メートル離れたところで着地し、振り向いた時には、無人の車体が加速を続けて眼前のガードレールを突き抜け――どうやらその先の森は深いらしい――落ちていく様をちょうど目撃した。
少しの間を置いて、大音量の破壊音が辺りに響く。仮に回収できたとしても、とても修復できなさそうだ。できるかどうかはともかく、帰ったら切嗣に新しいものを用意してもらうよう頼むとしよう。
目を丸くするアイリとは対照的に、セイバーの表情は涼しげだった。
「……通りで切嗣が止めるわけね。危なかったわ。ありがとう、セイバー」
一歩間違えたら死んでいたが、自ら死地を彷徨うだけあってこれほどのことでは放心しない。
申し訳なさそうに、けれどセイバーの顔を正視してアイリは礼を述べる。
「いつでも出られるよう構えていましたから。怪我がなさそうで何よりです」
粛々とした語調と微笑で返され、思わずアイリの緊張の糸が解けて心なしか頬が緩みそうになったところで、ふと気付く。
「あら……よく見たらこの体勢ってお姫様抱っこ?」
その構図はまさしく、小さくも凛々しい騎士が銀髪の美しき姫君を救い出す、というものだった。
初めての体験に、アイリは興味深そうに今度こそ頬が緩み笑みが漏れる。
「本や映画で見たことあるけど……へぇ、こんな感覚なのね」
「おひめさまだっこ……? はぁ……今ではそのような名称が付けられているんですか」
「あ、降ろしますね」と慎重に足を支えていた腕を外していくセイバー。姫の役割を担う人物と直に接してきただけに、なぜそのような名称を付けたのか、現代人の考えることは分からない。
「確かに不思議ね。私も語源まではさすがに……けど、こうやって騎士に抱えられるのはワクワクするものがあって憧れるものよ。まさか叶うなんて思いもしなかった」
「……それはよかった」
セイバーの細い両腕から降りて、身なりを整えながらするアイリのてらいのない笑顔に、やはりセイバーは思わずにはいられない。切嗣やってやれよと。
そんなこと言われなければ気付かないし、愛する者を支えることに徹するのがアイリの優しさでもある。だがそれくらいのささやかな楽しみくらい叶えてやってはどうか。
切嗣に無視される日々も相まって、その心境に影を差した――だからか、全く別の話題を口にして気を逸らすセイバー。
「それにしても、直感スキルは本来戦闘時に発動するはずですが……まぁ、戦いというのは広義に捉えられるものですし、命のやり取りにまで事が発展したのなら戦闘といってもあながち間違いではないでしょう」
「なるほどね……ねぇセイバー、本当に広く捉えられるなら運命との戦いっていったら何でも当てはまるんじゃない?」
「そうはなりませんよ……」
そうして。
雑談を交えながらも警戒を怠ることなく夜闇の道路を立ち去るアイリとセイバー。
実を言えば――先程までの一連の出来事を知る者は、決して当人たちだけではなかった。
車体が突っ走ろうとした深い森の梢に、白い髑髏の仮面を付けた黒い風貌のサーヴァント。マスターからの指示で影そのものであるかのように姿のみならず気配をも隠して女性二人を監視していたのだ。
(うちのマスターとは雲泥の差だ。俺もどうせ従うならあんな風に明るくて穏やかで可愛らしいマスターがよかった……)
そんなことを考えるちょっとチャラいアサシンだった。
(最近のマスターは少し機嫌が悪い。噂では度を超える想定外の事態に時臣様から必要以上にこき使われていることもあり、衛宮切嗣とかいう人物との闘争や麻婆豆腐を食べに行く機会がないからと聞いたが……まぁ、それを差し引いても未だに苦手だ。我らを呼んだ理由がただの情報収集で、堅物で、軽い世間話のノリも悪い。良いところがあるとすれば呼び方である「綺礼様」の語呂が良くて言いやすいことくらいか。実力を秘めていそうだからとっとと師を裏切って勝ってほしいのだが……)『アサシン?』『御意』
視覚を共有していたマスターこと言峰綺礼からの念話で頭を切り替え、セイバーたちの追跡を再開するちょっと不真面目なアサシン。
どんな戦いにも終わりはある。
どちらかが勝って、どちらかが負ける。引き分けと言っても痛み分け。
もう幾日も動きがないこの聖杯戦争は、一体どのような結末を迎えるのだろう。
……だが。
終局まで我々が生き残っているかどうか……果たして?