盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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31話 芸術青年は盲目少女について考える

 彼はその日、新たに創り上げる創作物のアイデア出しに尽力していた。

 どうすれば彼女を喘がせることができるか。あの眼球はどこに飾るべきか。何をモチーフにしよう。この神話生物たちの最大の利用法――そしてどんな殺し方ならば、あの彼女の口から懇願が聞けるだろうか?

 神を名乗るニャルラトホテプに部屋から追い出されてからは自分のアトリエに籠り、彼はそればかりを考えていた。

 ここのところ、夢月がニャルラトホテプを召喚してからの雨竜龍之介にあった変化といえば――自分は夢月について何一つ理解していなかったという事実を思い知らされたことである。

 血が繋がっていながら、実際に話したのは実に四年前――会っていたのが年に十程度だったにせよ、その四年間、彼女はただの一度も自分の前で素なんて出していなかったのだ。

 だが、裏切られたという反面で、やっぱりそうなのかと納得もしてしまった。

 裏切られることくらい日常的に覚えのある龍之介からすれば、どうということはない。むしろようやく当たり前なことをしてくれた。ああも人間離れしたことばかり言われ、実際にそう行動されると冷や冷やするものがある。

 ずっとずっと、異常ばかりを見せつけられてきた。

 それも、あたかも自分が正常であるかのように振る舞うからなおさら質が悪い。

 彼女は弱い――か弱い。それは外面的なものではなく、内面が。少し触れればあっさりと死ぬほどに。

 過去の言動がどこから嘘でどこまでが素なのかはどうでもいい。死への恐怖心がないことや、殺されたがっていることは確かだから。様々な死を観察してきた者として、それは断言できた。

 生かす理由としては十分すぎるだろう。何しろ追い求めていた『答え』を探しても探しても見つからず、足掻いてもがいてやっとのことで手に入れたこの心境を――こうもありきたりな環境でいながら、あの年齢で辿り着いてしまったのだから。

 あまつさえ、自分よりも完璧な心境に。

 これ以上近づきたいなどとは思っていない。ただ、彼女のやり方が知りたかっただけ。

 ――自分のやり方が無駄でなかったことを証明したかっただけ。

 

(結局なんだったんだろうな。オレと会うより前に死にかけてたとか? でもそれくらいで克服できるとは思えないし……)

 

 メスをクルクルとそれとなしに回しながら龍之介は考えに耽る。その謎を解明したいがために生かしていたが、この数日の間に殺すことは確定事項だった。

 解明したいが、できなくても仕方のないことだと言えた。何せ彼女に訊いても「逆になぜ死が恐ろしいの?」と訊き返されるばかりで、本当に何も知らない様子なのである。これまでの数年間でわからなかったことが今更都合よく判明するとも思えない。 

 それに――何より。

 今この場で彼女を殺さなければ、もう機会がない。

 ……だが、それでも諦めきれなかった。

 

(そういえばあの時、初めて救急車に運ばれたとか、入院しただとか言ってたっけ。じゃあなおさらその線はないか)

 

 扱うものが普通の人間であれば、こんな人間性まで思いを巡らせたりはしない。その場の気分と相手の容姿をよく観察して、気付いたら手が動いているほどに手早く創作に取り掛かっている。

 しかし彼女の抱える秘密に何とかありつけないかと、ついに龍之介は回想を始めた――。

 

 

 気温なんて覚えていないが、ちょうど今頃の季節の深夜だったはずだ。

 初めて夢月と出会ったのは、初めて人を殺した夜だった。

 死を理解したい――そんな純粋な動機で行った殺人。選んだ人柱は長女。無人の空間に誘い込んでたっぷりと奏でる悲鳴と生々しい臓物を堪能し、もう誰からも見捨てられただろう実家の小屋に隠しているうちに思いついたのだ――死体が材料として活用できることに。

 それからは小屋で作業していた。偶然なことに両親は仕事でいないタイミングであったし、それでも二人の人間が屋内にいたが寝ているだろうと油断していた。未だかつてない衝動をいち早く発散したくて堪らなかったのだ。

 元々手先は器用であったが、創作なんて授業で無難に合格ラインのものを作ってやり過ごすくらいで、意欲は高かったものの今思えば少し無理やりな感じがあってあまり良い作品とはいえなかった。

 それでも当時は満足して、誰にも見つからないよう埋めた後気分よく帰路しようとして――痕跡を残してしまっていることに気付くや否や、すぐに引き返した。

 その時だ。あの少女を目にしたのは。

 存在自体は、既に知っていた。母親が前の男との間で懐胎していたことに気付かないまま再婚して産んでしまったという障害を持った末っ子。名前は忘れた。

 見るからに園児で、こんな夜中に起きている疑問より前に、大声を出されるわけにはいかないので対処しようとしたが――座り込んでいる少女の脇にあった自分の作品に、つい動きが止まった。

 素材が人間であることは明白なはずだ。盲目といっても彼女の場合、光を集めすぎるが故に閉じているだけで、暗がりの中多少の明かりしかないのであれば開けられる――現に彼女は開けていた。龍之介には頼りないランプでも、少女には実用的なランプを付けて。

 ――予期していなかった舞い降りた期待に、逡巡を要する龍之介。

 

「え……あ……」

 

 何も言わない知らない人に、少女も少女で動揺していた。

 視線を泳がせ、もじもじと困ったように指先を絡めながら、

 

「ど、どろぼうさん、ですか? すうじがいっぱいかいてあるかみならおかあさんがリビングでながめてるのを見たことありますけど……それいがいに高いもの、しらないです……」

 

 ……そんな感じで、会ったときから利口で危なっかしい子供だった。

 自分たちが兄妹であることまでは察せなかったようだが……まぁ家に写真なんてないだろうし、察しようがないだろう。

 

「……いや、泥棒さんじゃないよ。オレは――」

 

 迷いに迷った挙句、彼が選択したのはこれだった。

 

「さっきまでここで死体を材料にそれ作っててさ、帰るつもりだったんだけど忘れものしちゃったから取りに来たんだよね。――どう思うよ、それ」

 

 龍之介は、少女を試した。

 彼女は頭が良すぎるだけの他と変わらない無理解者か。

 これまで全く出会えなかった自分と同じ感覚を持つ理解者か。

 仮に演技されたとしても、龍之介にはそれを看破するだけの目を持っているし、所詮は子供のやることである。その時は彼女を記念すべき二人目の餌食として手掛けるつもりだった。

 彼は人の縁がない自らの人生から、確率は半々もないだろうと――八割方前者であると予想していた。がしかし――

 少女は言えなかったことを言うように、息を吸って間を置かずに話すのだ。

 

「すごいとおもいます! こういう作品さがしたことはあるんですけどなかなかみつからなくって。作ろうにもむずかしくてできないし……はじめてみました。ここのぶひんってなんですか?」

 

 偽りない笑顔で、偽りない賞賛だった。

 拙いながらも工夫した初の創作物をこうも褒められると素直に嬉しいものがあり、龍之介は気を許して彼女の隣に座って訊かれたことを答える。

 眼をキラキラさせる少女に、気付けば龍之介も意気揚々と語っていた。

 殺人を行った動機。それを犯罪だと指さす世間への不満。

 少女もあらかた同調していたような気がするが……具体的には思い出せない。

 彼女は同類だと決め込んでいたために、思いもしなかった。会話している内に判明した、この夢月という少女は――全くに未知な人間だということを。

 その後その場の勢いもあって彼女を交えて新たに狩りをしようかと考えが掠ったが、何しろ時間が遅いので明日に持ち越しにした。今からでは証拠隠滅を含めて夜中に終わらせられない。慣れてない段階で事件を朝方まで引き延ばす行為は避けるべきだと判断した。

 だから時間を決めて次の日に来ることを伝え、取りに来た痕跡を持って帰ろうとして――別れ際に夢月が慌てた様子で駆け寄ってきたために立ち止まって振り返る。

 

「あ……ま、まって! きになってたことがあるの」

「……ん?」

「なんでここでさぎょうしてたんですか? たしかにここにはほとんど人はきませんが、そんなことこのいえにきたことある人じゃないとしりませんよね」

 

 そして夢月は小首を傾げる。

 

「だれかの……ともだち?」

 

 別に意図して伏せていたわけではないが、その鋭い指摘を十以上下の子供にされると突かれたような感覚があった。

 まぁ、その時の夢月から見れば龍之介は全く知らない男の人で、必死に情報を得ようと思考して行き着いたのだろう。

 

「ああ、言ってなかったっけ」

 

 さほど重要なことではないように、軽い語調で彼は明かす。

 

「オレの名前、雨竜龍之介っていうの。つまりここの長男。殺したのは、オレとお前のねーちゃん」

 

 そう言い終わってから、龍之介は夢月の表情を見咎めた。

 それは――今後龍之介が獲物を狩る際、よく目にすることになる顔だった。

 騙された女子供が、龍之介が殺人鬼であることに戦慄し、警戒する瞳――。

 それと全く同じ顔を、その時の夢月は表に出していた。

 唇を小刻みに一瞬にして肌色を青白くさせて、数歩引き下がろうとさえする。

 

「……?」

 

 訳が分からなかった――いや、龍之介にも家族への苦手意識はあるので、夢月も夢月で苦い体験をしているのかとあたりをつけたが、その日以前に夢月と接したことはない。過去に龍之介が傷を植え付けた覚えはないし、それ如きでこうもショックを受けたりしないだろう。

 夢月の家族絡みの問題なんて気にも留めてない龍之介には、未だにその原因が思い当たらないし、当てようとする気もなかった。

 少女は胸元の鼓動を押さえつけるように服を握りしめ、振動する声を絞り出す。

 

「…………な……なんで……上のおねえちゃんにした、の?」

 

 相手を直視することなく訊きだす夢月に、その時の自分はありのまま事情を挙げた。

 怨恨があったわけじゃない。ただいい感じに条件が揃ってたとか、たまたま目に付いたとか、そんなところだったと思う。数年経ってうろ覚えになるくらいのもので、さして他の子とそれほど変わらない動機だったはずだ。

 

「じゃ、じゃあ……!」

 

 とりつかれたように声を張り上げ、夢月は希望を見出すように問いた。

 

「それなら……なんでわたしのこと、ころさないの? あとでころ……すの?」

「――……」

 

 彼女に内包された弱さが垣間見えるそのセリフを耳にしたとき、直感的に龍之介は悟った。

 ああ、こいつは無益で価値のない虚無な死に方をする。

 何のドラマもなく――人知れず――。

 ならば自分の手によって、人生に一度たりとも経験したことがないような恐怖と苦痛を満喫できる死に方をさせてやった方が、こいつのためにもなるだろう……と。

 つまるところ、彼女は同類なんかではなかった。それどころか決定的な違いがあった。

 龍之介が夢月を理解できないように、夢月も龍之介を理解できないだろう。死を怖がる一般人の方が、まだ自分と近いかもしれない。

 

(あ……)

 

 追憶していた龍之介は今になって気付く。

 彼女は最初から自分の期待を『裏切っていた』ということに。

 こうも決定的に違い、相いれないなら――素なんて出すわけないだろう。

 他ならぬ龍之介がそうしているのだから。

 戻って再び回想し、「なぜ夢月を殺さないのか?」という疑念に、自分がどう答えたのかを思い出す。

 

「気分じゃないから、今はまだやらないだけ」

 

 そう、彼女の強さ(よわさ)の秘密を知るまでは。

 

「でもいつか、遠くないうちにCOOLなやつに仕上げるよ。子供もやりたいと思ってたし、君も良い作品にできそうだ」

 

 打てば弾むような柔らかさと軽さで、龍之介は笑って言った。

 夢月は驚くように瞳を一回り大きくして、目線を切った後に再度龍之介の方へと視線を投げる。

 血の気が引いていた顔色は元の肌色に。胸元を押さえつけていた手は緩んでいた。

 

「あの……一つだけおねがいが」

 

 ――それは生涯、もう彼が聞くことはないであろうお願い。

 

「おにいさんじゃなくて――おにいちゃんってよばせて」

 

 少女がなぜそんな決断をしたのか。第一にこれまでの問答で死にたがってるとしか思えない言い方をしたのか。

 なにはともあれ。

 それからというもの、龍之介に利口な妹兼一人観客ができた。






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