盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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32話 芸術青年は盲目少女の反応を伺う

 雨竜龍之介と夢月によって引き起こされる殺人事件は、夜の帳に隠される。

 今日も今日とて赤の他人こと家出少女を惨殺した龍之介は――今年で六となる夢月を背中に担いで実家に戻っている最中だった。

 あれから二年経つというのに、未だにこの子供は徹夜できずに寝落ちする。自らの創作物の余韻に浸かったまま即帰りたい彼としては、体裁的にはこの方が犯人だと疑われにくく好都合なのだが、それでもやっぱりこの癖を直してほしかった。

 殺人鬼に殺されるかもしれない――なんて程度では緊張感すらないようで、無防備に、何ら気を張らずに、ただ眠いというだけで夢月は吐息をたてる。

 早く帰りたいからといって放置するのは論外だ。恨まれでもしたら警察に引き取られた際に龍之介という兄の存在が露見してしまうかもしれないし、誰にも見つからなければ彼女の場合呆気なく死ぬ。

 激痛を与えれば目を覚まさずにはいられないだろうが、どうやって彼女が死を克服したのか不明なのでやめておいた。下手に痛みまで克服されたら拷問まで味気ないものになってしまう。

 ――そう、あれから二年経った。だというのに少女の性質はあらかた把握してはきたが、そうなるための手段については手掛かりさえ掴めずにいた。

 発する言葉や態度はそうなった結果だけで、どう聞き出しても今に至るまで夢月がそうなった経緯を口にしたことは一度もない。

 というより、本人にもわからないらしい。

 何もかもがわからないらしい。

 客観的に見れる分、龍之介の方がまだわかっていることが多いかもしれない。

 あれ以来、試しに刃物で彼女をあからさまに突いてみたり、彼女が人殺しの最中に何を思ったのかをヒントに考察したこと。

 それは、現在背中で龍之介に命を預けるこの少女には――命を大事にするという発想がないことだった。

 だから自らの心臓も、他者の心臓も、平等に疎かな扱いをする。捨て石のように平気で使う。

 龍之介が死を大きなものとして認識しているなら、夢月は死を小さなものとして認識していた。

 同じ殺しでもタイプがまるで違う。まとめて同類と片付けられたら不愉快なほどに。

 一度、夢月の反応を確認するために、あの演技臭くて敵わないスプラッター映画を共に鑑賞したことがあった。年齢的に映画館には入れないので仕方なくレンタルして。

 

「で、お兄ちゃん。休みの日にわたしの部屋でわたしの布団で気持ちよく眠っていたところを叩き起こされたわけだけど、わたしテレビとか見れないからえいがっていうのよく知らない。どういうものなの?」

「映画」

「……ああうん、そりゃえいがはえいがだろうけど、ちょっとでいいから説明してほしい」

「まー聴いたらわかるって」

「あ、はい」

 

 そんなやり取りの後に流れた映像は酷く退屈するものだった。実際の血飛沫や断末魔をこの目で確かめた今ではなおさら。

 だが、もとよりそんなことは承知。問題は彼女の心境である――予想通りといえば予想通りで、自分とは真逆な表情をしていた。

 とても満足そうだった。自分が創作に打ち込んでいるときの音色にもあんな風に閉じた目を輝かせているのだろうか?

 ……要は彼女は、音であれば何でもいいのだ。

 多少の好みはあるだろうが、悲痛な叫びも水が落ちる自然の音も大差ないのだろう。本物の音との違いは気付いていたらしいが、楽しむ分には偽物であろうとなかろうと関係ないのだ。

 それはそれで良い音――となるだけだから。

 こんな虚飾まみれな音のどこを楽しめるのかちっとも理解できないが――楽しみ過ぎて他の映画も聴いてみたいとせがまれた時は鬱陶しかった(ちなみに有無を言わさず断った)。

 そういうところも、実物でなければ気が済まない龍之介とは決定的な差といえる。

 それでも彼は、なんだかんだ夢月との関係を嫌とは思わなかった。

 彼女は――龍之介の芸術品の良さを汲み取ってくれる貴重な人物であり、どちらかといえば従順で我儘を言うこともない。基本的にあっちから話しかけてくることもないし手伝ってくれることもある。理想的といえば理想的な妹だ。

 まぁ――肝心の龍之介の信念には一切ついてきてくれないので、そこは少し残念というか腹立たしいが。

 ――死とは無縁の環境でいながら、なぜ彼女は死を恐れなくなったのか。

 ――どう脅して、どう精神を痛めつければ彼女は死を恐れるのか。

 二年経ってもなお、解答らしい解答にはまだ至っていない。

 そんなこんなで堂々巡りだったその日、龍之介はあることを思いつく。それはまだ、彼が試していないことだった。

 面白そうなことはすぐにでもやりたい性分なために、まずは周囲をチェックする。

 人はいない。来る気配もなく、良い感じの街灯が一つ。この寂れた路地は表通りから相当離れているし、かといって狭すぎない。

 これならギリギリ言い逃れできるだろうと、笑みを殺しながらまずは背負っている夢月を起こす。

 

「おい、夢月。起きろ」

「…………むにゃー……」

「……」

 

 全く起きそうにない夢月に一気に不機嫌になる龍之介。

 こいつ背中から落としてやろうか。

 傷つけないように起こすのは面倒だ。落とそう。

 頭を打たないよう微調整くらいの理性は働いて腕を下ろし、夢月はスルリと落下していく。

 

「――――――っいったぁ! なに! どこここ!? あのタコさんは!?」

 

 簡単に眼をぱっちり開く夢月に、最初からこうすればよかったと後悔する龍之介。

 一通り叫んだ夢月は「ぬー……」と唸りながら傷む箇所を抑えて立ち上がる。少し先にある灯る街灯に気付いて眼を閉じながら不満を零した。

 

「お兄ちゃん、背負うならちゃんと家まで送ってよ……」

「いや、落とすつもりはなかったんだけどさ、これ結構疲れるんだよ。特に今日はクタクタで」

「じゃあ先に起こして」

「やったよ。でも全然起きなかった」

「そこはもうちょいがんば――ああもういいや。明かりの下でやらなかっただけマシか。次から寝ないようにしよ……」

 

 と言いつつ、更に二年経った今でも改善していない。

 杖がない状況下では歩くこともままならない夢月は、うろうろと声を頼りに龍之介の方へと歩みを進める。

 しかし距離感が掴めず龍之介の腰辺りに軽くぶつかってしまい「あわわ、ごめん」と謝る姿を、彼は無表情に受け流した。

 手を繋ぎ、龍之介が街灯の下へと歩き出すのに倣って夢月も足を動かす。

 

「家まであとどれくらい?」

「三十分くらいかな」

「結構かかるね……」

 

 惜しむことなく大きく欠伸する夢月。意識がぼやけているとリアクションが鈍くなりそうなので、眠気覚ましに龍之介はこんな問いをした。

 彼女の秘密に近づけるとは思っていないが、そういえばしたことがなかったからだ。

 

「――夢月にとって死ってなに?」

「こんな時に眠くなる話題を振らないでほしいんだけど……」

 

 眠そうに眼を擦りながら、「まぁ……お兄ちゃんほど真剣な答えじゃなくてもいいなら……」と欠伸交じりに夢月は語る。

 

「むー……死っていうのは――いつも隣にいて、振り返ってもそこにいて、すぐ下に埋まっててすぐ上に漂ってて、ぶつかりそうになるもの」

「なにそれ、避けようがないじゃん」

 

 まさしく四面楚歌といえる絶望的な例えに、夢月はあっさり「うん」と同意した。

 

「避けようがないよ。避けれないよ。形だってないからわたしの肉なんて簡単にすり抜けて命を貫く。そんなものじゃないの? 死なんて」

 

 そして夢月は、更に視線を下げる。眠気とは別の要因であることは勘付いたが、その要因までは特定できない。

 

「ふーん……じゃあ事故とかで死に直面したことは?」

「え? な、ないけど……眼は生まれつきらしいし……」

 

 肯定的なのか否定的なのか曖昧な返事の上、突拍子のないことを訊かれるが、夢月は目元を指先で触れながら答える。

 なるほどなるほど、それは楽しめそうだ。

 ――余談だが、死を理解するために殺人を始めた龍之介は、当然どの加減で人が死ぬのかも熟知していた。

 例えば、腹部を刺されたらどの深さまでならどれくらいの時間生存していられるか? とか。

 がしかし、これも当然の如く夢月は知らない。

 彼女は本当に騙されやすく、愛くるしいほどに何も知らない。

 死の恐怖も。殺人鬼の恐ろしさも。悲しみも絶望も。

 だから教えたくなるのだ――痛みを以てして。

 ……少しして、二人の歩みが止まる。

 街灯の明かりに照らされて、大小の影が映し出された。

 大きい影の右手には刃物を所持しており、刃先は液体で濡れて数滴垂れている。

 そして小さな影は――何やら血塗れの腹を抑えて、建物の壁に凭れ掛かっていた。

 

「お、命中命中。良い感じ」

 

 人は極限状態に置かれると必ず本性を現し、その時の様相はより雄弁に人柄を語る――経験上、龍之介はそれを信じて疑わなかった。

 彼女は知らない。この程度の深さでは死に至らないことを。

 けれど、龍之介のやり方がじわりじわりの嬲り殺しということは知っている。なぜなら誰よりも間近で殺しの音を聴いてきたから。

 きっと今の一刺しで、彼女は察しただろう。自分がこれから殺されることを。

 

「……っ……」

「へぇー、痛覚はちゃんと機能するんだ。夢月もやろうと思えばそんな表情もできんじゃん。でも良かった。色んな拷問方法を練ってきて正解だったよ、試しがいがありそうだ」

 

 彼女を殺す想像を掻き立てて、ついさっきまで消極的な返事をしていたとは思えないほどまくしたてる龍之介。

 そんな濃ゆい殺意を向けられた夢月はとても、冷静すぎるほどに冷静だった。

 あまりにちっぽけで、あまりに手ごたえがなく――そして、あまりに静か。空気がそこだけ静止していた。

 それどころか――

 

(……ほっとしてる?)

 

 様々なシチュエーションを想定していたが、さしものこれには意表を突かれた。

 確かに彼女の顔には苦痛が出ている。しかしそれは恐怖や不安とは無縁の、痛みだけのものだ。大声を出すことなく、かといって懇願するでもなく、ただ激痛に悶え――待っている。龍之介が自分を殺すのを。

 

(これでもまだ足りないか。早くそれやめてくんないかな)

 

 とはいえ、これ以上やったら治療できないほどの深手になる。

 これはあくまでも小手調べなのだ。まだ死なれたら困る。

 収穫はあったしこんなものかと、ポケットから携帯電話を取り出し、開く龍之介。

 聴き慣れた電子音に、弱り果てた夢月はわずかに髪を揺らす。

 

「……だれ、に……?」

「救急車。本当は今すぐにでもやりたいけど、それはもうちょいあと……」

 

 言いながら、視界の端に捉えた夢月の表情に、龍之介は眼を奪われずにはいられなかった。

 携帯電話を手に、殺しをやめる宣言をしたときの――その夢月の顔に出た感情と乞うような呟きは。

 むしろ刺突したときよりもなお新鮮に、龍之介の記憶を焼いた。

 

 

 

 

 

「……なんでやらなかったの? 周りに人いなかったのに」

 

 昼間の夢月の病室にて。少女は小声ながらも口を尖らせる。この刺々しい声色は、後に判明したが無自覚なものだったらしい。

 これを訊かれるまでに、龍之介がナースの前で念のため『良いお兄さん』風を装って接したところを夢月に気持ち悪がられるシーンがあったが、あまり思い出したくないので省く。

 夢月の殺人未遂事件は、空想の犯人を仕立て上げることで事なきを得た。本来なら両親が必死になって警察に頼み込むのだろうが――注目を浴びることを極端に嫌がるうちの家族は、全くの逆に止めるよう希望したとかなんとか。

 

「やられたいの?」

 

 そう訊き返すと、夢月は珍しく声を荒げた。

 

「は――そ、そういうんじゃ――! 死にたいなんて思ってないよ! 思ってるわけないじゃん……。だってやってくる人が……だし……避けれるものなら避けたいに決まって――」

「お前さ、オレが救急車呼んだときに自分がどんな表情で、なんて言ったか憶えてる?」

「……え?」

 

 すると、龍之介は遠い幻を見るように眼を眇める。

 数日前、あの時の夢月は――

 

『どう……して……っ』

 

 失望したように泣きそうな顔で、確かにそう呟いていた。

 

「………………いやいやいや、ないって。そんなんじゃ騙されないよ」

 

 どうやら欠片も憶えていないらしい。

 驚嘆しかけたが、勢いがさーっと消えて呆れかえるように否定した。

 

「本当に無意識なんだね」

「いやだから、お兄ちゃんの聴き間違いだよ。それこそ死にたがってる人の言うことじゃん。あの刺し方すっごくいた――あ」

 

 物理的に自らの口を塞ぎ、周囲の声を気にする夢月。

 まさか被害者が加害者に平然と文句を垂れてるなど、仮に今の会話が聞こえても誰も関連付けないだろうが、こういうそそっかしい面もさっさと何とかしてほしかった。

 

「……じゃ、オレそろそろ帰るよ。様子見に来ただけだし」

「え……は、話を逸らしたまま帰ろうとしないで! まだ聞いてない」

「? ――ああ、やらなかった理由……」

 

 力強くゴクンゴクンと首を縦に振る夢月。

 ――さて、どうしたものか。

 不安を煽るためにも、当分は生かすつもりであることは殺す間際まで隠し通したい。

 だが別に、隠し事をしているのはバレてもいい。それはそれで不安要素になるだろうから。

 

「あの時はもう一人やって満足してたから。好物は空腹時に食った方が美味しいし、まぁそんなとこ」

 

 ――こうも露骨なのに、彼女は本当に無意識でやってるのだろうか?

 龍之介がそう返すと、夢月は少ししょんぼりとしていた。

 

 回想を終えたところで、新たに気付くことなんてなかった。あるとすれば、今とのギャップだ。

 ニャルラトホテプと自分とで接し方が百八十度違う。あんなにも活発で社交的な奴だとは思わなかった。恐らくあれは、フリだったのだろう。都合のいい存在だっただけに、見破ろうとしなかった。

 彼女の秘密に至っては、元からそんなものはなかったなんて空しい説が浮き出てくる始末である。

 でも、だとしたら――あいつは最初から強かったことになる。

 ――夢月は強い。

 故に脆く、弱いのだ。

 まるで、生きていながら死んでいるかのように。

 

 

 『夢月がそうなった経緯を口にしたことは一度もない』というのは、実のところ龍之介の勘違いであって事実ではない。一度のみならず何度か耳にしてはいるが、ついぞそれが根本的な原因であることに龍之介が気付いていないだけである。

 だが、勘違いするのも当たり前だといえた。

 妄言としか思えない――思いたくない発言が、まさか本心であったとは、誰が信じられようか。

 夢月が最初にそれを仄めかしたのは、夜の街を出歩いている時であった。

 

「本に出てくる神様って、なんであんなに優しいんだろうね。もっと冷徹なものだろうに」

 

 「なぜ――?」と問われ。

 そして少女は、空を見上げる。

 

「だって――世界は神様の殺意で満ちてるから」

 

 色のない眼差し。平坦な語調。

 その行為にどんな意味があるのか龍之介は知らないし、同じく空を見上げたところで、街の光をものともしない闇が広がるだけだった。


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