盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠れい(元キルレイ)
そこは程よく薄暗くて、夢月にはぴったりの場所だった。
判然としない意識でも、瞳を開ければそこが自分の寝室であることはすぐに結びつく。
一週間も滞在してないというのに、ここが自分の部屋のようにもう感じているし、帰る家のような感覚もする。
まぁ、布団だけはどうしても慣れないが。
頭をぐらぐらと振り回しながら、いつもより深い眠りについてやけに脱力感のある身体を起こした。
「……ショゴスおはよ」
わたしともあろう者が寝ている最中にショゴスを手放すなんて……かろうじて自らを叱責しながら、まだ眠気が覚め切らない声で夢月はそう呼びかける。
――すると。
「テケリ・リ!」と元気のいい声が返ってくると同時に――なんと、抱きつかれた。
首辺りをがっしりと、それでいて口と鼻を塞がないよう配慮されて。
一瞬にして眠気がぶっ飛ぶ夢月。
「――……な、なな、ななな――っっ!」
思考停止になりかけた脳をフル稼働させる。
こんな状況、想定外。描いたことさえない幻想。夢オチだったらはっ倒す。
今己がすべきことはなにか――窘めつつ抱き返すなんて論外! この際ショゴスに引かれてでも思うが儘抱き返す、の前に叫ばせてくれッ!!
「ついにショゴスが……デレたっ!?」
歓喜に満ちた叫びを上げて、もはや気持ち悪い笑い声を立てながらショゴスを撫でまわす夢月。
――そう、ショゴスは心の底からほっとしていた。
こんなにも楽な仕事を早々に手放さずに済んだことに心底ほっとしていた。
「――無事に片付けられたみたいだね。おはよ、夢月」
「あ、ニャルラトホテプ。おはよ」
最初からいたらしいニャルラトホテプに挨拶を返す夢月。それなりに存在感があるというのに、壁に寄りかかっていて少し離れているのもあってか全く気付かなかった。
無論、ショゴス撫ではひと時もやめない。
「……ん?」
……と、間を空けてから夢月は彼女の言葉に引っかかりを感じる。
「無事に片付いたってどういうこと? 寝てる間に何かあったの?」
「うん、時間ないから端的に言うとね――今、夜中の零時なんだ」
「……あ、そうなの」
身体の調子からいってかなりの時間眠っていたつもりだったが、一、二時間しか眠っていなかったのか。途中で目を覚ますなんて滅多にないことなのだが、やはりまだまだこの枕に馴染めてないのか?
「そうじゃなくて、次の日の零時。つまり夢月は……今朝方一度目は覚めてるが、ほぼ丸一日眠ってたってこと」
「い、一日? そんなに……」
というか、目を覚ました覚えがないのだが……。
ショゴスをもみもみしながら視線を巡らせる夢月。だが、軽薄な態度を出すことなく説明するニャルラトホテプの様子にただならぬ気配を感じ取っていた。
「で、なぜそんなにも眠ってしまったのかだけど……マスターとサーヴァントの関係について、まだ夢月に話してないことがあってね。マスターとサーヴァントって契約・魔力供給で繋がってるから、互いの過去を夢として見ることがあるんだよ」
「……それってもしかして……」
「そう、夢月が私の夢を見て、壊れた」
ニャルラトホテプにそう告げられて、指の動きを止め首元のショゴスを下ろす夢月。『壊れた』などとストレートに言われてしまえば、ドキリとするものがあった。
そしてそれはきっと――ズレた表現ではない。
夢月が胸に拳を置いて、何とか呑みこんでから整理するのを、ニャルラトホテプは口を閉じて待つ。
「……な、なるほど、私がニャルラトホテプの過去を見て、何か大変なことが一日にかけてあったんだね」
「厳密には私を構成する記憶だけどね」
「へ? どゆこと?」
整理できてなかった。
難しいワードに急に話を聞く気になれなくなった夢月に、「まぁ、そんなことはともかく」と、ニャルラトホテプは丁寧に説明を続ける。
「これによってどんな厄介事を招いてしまったかといえば――夢月、君のサンプルとしての価値が跳ね上がった。何しろ神サマの過去を持っている人物だ。そういう貴重品に目がない魔術師たちにとっては死に物狂いで欲しいはずだよ。ミ=ゴも欲しがってたみたいだが、そっちは私が抑制したから大丈夫」
サンプル……捕まったらあんなことやこんなことをされるということか。魔術師がそういう人たちだったとは……凛ちゃんはそうは見えなかったけど。
「でもそれって、夢を見たことを誰にも言わなければいい話じゃないの? 他人の記憶を読み取る魔術があるとか?」
「いや、ないよ」
軽さを感じさせながらも腰の入った声で否定するニャルラトホテプ。
「なくていいんだ。魔術師はそんな確定情報で判断しないから。彼らはあるかもしれないというだけで取り掛かるのさ。だから本来、私が死んだ後何も持ってない君は魔術協会に捕らえられても処分されるだけのはずだった」
「……さっき『無事に片付いた』って言ってたよね。夢の記憶はなくなった――じゃないの?」
「忘れてしまっているだけで、失われてはいない」
と、そこで彼女はやや眼を伏せて、萎れるように言う。
「……消せなかった」
「……どうして?」
その語調に、原因はニャルラトホテプの方にあったのだろうかと、夢月は優しく問いかける。自分が『壊れた』らしい何かを抱えているというのはなにぶん恐ろしいものではあるが、事情があるなら責めるつもりはなかった。
しかし直後、夢月は訊いたことを後悔する――ぞっとするほどに、ニャルラトホテプの瞳から感情がかき消えた。
「私だったんだ。あれは」
紛れもなく、私だった――名前を使うことなく、彼女は語った。
「ニャルラトホテプ……?」
初めて見る側面と謎めいた言葉に、何か言いようのない不安に駆り立てられるも、夢月がまばたきした後には元の明るい瞳に戻っていて。
「あれを否定するということは、自分をも否定するということ。そんな愚かな真似はできないよ。だから記憶は消したくなかった。何度か絞め殺したいとは思ったけどね」
「いやいやちょっと待て。それってわたしの首じゃないだろうな。やるなら自分の首を絞めなよ」
最後に茶化すような含みを入れるニャルラトホテプに、だがあまり強くは言わない夢月。言えるものか。
ニャルラトホテプは乾いた笑みを返し「他に質問は?」と促され、再び整理する。
気になっていたことは、解消されたはずだ。ショゴスが抱き着くなんて前代未聞の行動を取った理由。一日中眠りっぱなしだった理由。そしてこれから自分がどうなるのか……。
実感はないが、全て本当に起きた出来事なのだろう。ニャルラトホテプのテンションは低いし、ショゴスも口出ししてこない。
……と、ふと右手の甲が映った。
そこには奇抜でおしゃれな赤い紋章のようなものが相変わらず描かれている。問題なのは――
「この紋章って令呪なんだよね。削れてるっていうか……消しゴムでゴシゴシしたような跡があるんだけど」
「寝ている間に一回分使ったからね――『わたしを殺して』って」
「ふーん……」
相当に切羽詰まっていたということだろう。全然覚えてないが。
「あれ、じゃあなんでわたし生きてるの? 令呪ってサーヴァントに行動を強制させることができるんでしょ?」
「そりゃ私が蹴ったからね。受理できるわけないじゃん」
「……神を強制如きで縛れると思うな、ということか。うむ……」
蹴ってくれたから生きてるわけだし、いっかと楽観的に受け止める夢月。
「うん、だいたい把握した。訊きたいことももうないかな」
「そう……じゃ、ここからが本題」
「なんだとっ!?」
えっ!? 今までのって前置きだったの!? 結構長かったよ!
「謝礼として、一つ夢月の望みを叶えさせてくれ」
構わずニャルラトホテプがそう言われて、急激に静まる夢月。
なんだろう――ニャルラトホテプってガチでへこむとこんなんになるのか。何も覚えてない自分としてはさほど気にしてないからいつもの調子に戻ってほしいのだが、それだけ悪いことをしたということなのだろう。
――あるいは、反省せずにはいられないのだ。
ニャルラトホテプの過去、か……どれほど過酷な内容だったのだろう。推し量ることすらできそうにない。
「さぁ――何を願いたい? 大抵のことなら等価交換を無視して叶えられるよ。夢の記憶を完全に消去してほしいならそうしてあげる。ああでも、もちろんニャルラトホテプが聖杯戦争に勝ってほしい、なんて願いは無しだからね」
「……んー」
彼女の主張に、夢月は眉を顰めてポリポリと頬をかく。
毎度のこと気になってはいたが、ここまでくると無視できない。
「あのさ……そんなに負けたいの? この前訊いた時は負けたことないから負けてみたいって言ってたけど、そんなに拘ること?」
彼女が珍しく真剣に申し訳なく思っているのは、たぶん本当だ。
だからこそ奇妙である。なぜこうも早く予防したがるように話し始めるほどに、それくらいの興味本位な願望を捨てられない。
気味が悪いわけではないが、むずがゆい錯覚に囚われる夢月。
怪訝そうにする少女に、遠い彼方を見つめるように――事実見つめていたのかもしれない、ニャルラトホテプは思いの外あっさりと明かす。
それが彼女がトリックスターと呼ばれている所以であることを、ショゴスは知っていた。
「私の願いはね、神々を滅ぼすことなんだ」
「……」
常軌を逸した願いに、夢月はただ茫然とするしかない。しかしなおも、ニャルラトホテプは続ける。
「如何なる犠牲を払おうとも、宇宙ぶっ壊してでも叶えたい。いや、宇宙を壊してみたくなったから神に死んでほしいのかもしれないけど……ワクワクするねぇ」
――仄暗かった瞳に、恍惚のような色さえ滲ませて。
「早く拝みたいもんだよ。この世の理なんてデカいものの痛い目あった惨めな姿は。頂点も絶対もないんだってことをみんなに知ってほしい。覆されたその時、一体何が起きるのやら……人間なんかよりずっと、百倍はワクワクする」
ニャルラトホテプは、腰に手を当て目を細めてくつくつと笑う。
「だから殺されたい。所詮神なんてそんなものだって気にさせて、本物の私も、他の神々をも殺す気になってほしいから。成長が組み込まれてない私には同等の力を持つ彼らを殺せないからね」
それが私の願い――そう結ぶ彼女のリラックスした顔も、これまで夢月が見たことのない、描いたことさえない顔だった。
(……遠いな。途方もなく)
こんなにも近くにいるのに、自分は地に足を着けてるのに対して、ニャルラトホテプは空で風になびかれてるみたい。
彼女がどれだけ隣にいても、視線を合わせても、近いと思ったことはなかった。
それは――根本的なその野望が、あまりにかけ離れているからなのだろう。
全てを理解した上で『あれ』に挑むなど、自分には生涯できないことだ。
近寄りたいという思いがないわけじゃない。だが……。
阻まれるのだ。あの神様に。
真っ黒に塗りつぶされ、そして消される。
「――滅ぼせるといいね。私には、とても想像つかないけど……もしできたら、ニャルラトホテプは別の――神様以外の何かになってほしいな」
そう応援することしかできなかった。
他人頼みにするしか……できなかった。
しかし、もとよりそれ以上の返事を求めていたわけではないようで。
「別の何か、か……」
ぽろっとこぼれた一言に関心するニャルラトホテプ。
「……そうだね。それも楽しみだ」
再び口端を上げて、そう言った。
「願いは――特にないかな。夢の消去については、捕まりそうになった時に自害すればいいし、なんか悪いよ」
「じゃあ取っておく形にする? こんな二度と出会えないだろうチャンスを放棄するのはもったいなさすぎると思うよ」
「んー……ならまぁ、そうする」
使う機会なんてなさそうだが。
相槌を打つと、ニャルラトホテプは待ち兼ねたように「さて――」と立ち上がった。
「話は終わったことだし、行こうか夢月。たぶん待たせてるだろうし」
「……へ、わたしも? どこに?」
「アーチャーに酒たかりに――王たちの狂宴へ」