盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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36話 盲目少女は宴に参加しない

 ブリテンというのは恐らく国の名前だろう。察するにセイバーさんが王を務めていた国だ。戦争で負けたとか内乱があったとかそういうことがあったのだろうか? ともかく自国を救いたいというのは優しそうなセイバーさんらしいというか。ありきたりといえばありきたりともいえる、普通に良い願い――だと思うのだが……。

 セイバーの発言に、場は静まり返っていた。それもただの静寂さではなく――非常にいたたまれないものである。

 音のない空間に耐性がない夢月としては、早く誰か話してくれとたじろいでいた。さっきまで、あんなに楽しい音楽だったのに……ここで率先として場を盛り上げるような勇気と技量なんてものを持ち合わせているわけがなく、いちごミルクを吸う音さえ出せない。

 

「――なぁ騎士王、もしかして余の聞き違いかもしれないが……」

 

 ようやく声を発したライダーに、すかさず夢月は音を立てないようにいちごミルクを飲む。

 

「貴様は今、“運命を変える”と言ったか? それは過去の歴史を覆すということか?」

「そうだ。たとえ奇跡をもってしても叶わぬ願いだろうと、聖杯が真に万能であるなら、必ずや――」

 

 そんなセイバーとライダーの理解できる自信がない論じ合いを耳に入れながらも、夢月は思う。

 ……何というか、こんな真剣な場に来てしまって本当に良かったのだろうか? そもそも聖杯戦争に参加すること自体憚られる。

 セイバーの願いのシリアスさに気圧され、恥のような、後悔のような、微妙な気持ちが往来してしまっていた。それにしても先ほどまで宴会を壊そうと躍起になってたニャルラトホテプは何を考えているのだろう。ちょっとは空気を読んで自重してくれるだろうか。自重しろ。

 

「――だからこそ悔やむのだ。あの結末を変えたいのだ! 他ならぬ私の責であるが故に……」

「ん? なにセイバー、実は国を裏切ったりしてたの?」

 

 それまでくつろぐようにしてただ聞いていただけのキャスターが、ここに来て口を挟んだ。軽んじられているとしか思えない突拍子もない言葉に、セイバーは驚愕と怒りで声が詰まりかける。

 

「っ――裏切れるわけないだろう! 貴様、これ以上いい加減なことをほざくようなら――」

「じゃあセイバーの責任じゃないじゃん。滅んだのは敵の仕業だろう?」

「……っ」

「ああいうのってほんと腹立つよねー。私も最初に自分の住処に火をつけてきた放火魔がまだ会ったことすらない神だったって知ったとき、いくら寛容的な私でも許せないものがあったよ。懐かしいなー」

「神ってろくでもないのしかいないな」

 

 思いの外真っ当な意見を言ってくれたことに少し安心しながらも、ボソッと誰にも聞こえないほど小さく呟く夢月。

 後半はさしおいて、セイバーは無視できないキャスターの言葉を反芻する。

 

『滅ぼしたのは当時の敵であって、セイバー自身ではない――』

 

 ……とてもキャスターが発したとは思えない、筋の通った主張だった。すぐには反駁できずに、押し黙って思考を巡らす。

 その通りだ……自分は必死に戦争を鎮めようと戦ってきただけで、ちがう……守ろうとして、助けようとして、それを邪魔されて……ちがう……民の命を奪ったのは、

 違うっ――違う違う違うッ!

 滂沱するようにセイバーの神経を奔流する灰色の亡骸。友だったもの。臣下だったもの。民だったもの。

 心臓を穿たれ。四肢を踏み潰され。臓器を斬られた。

 そんな目に遭ってしまったのは彼のせいか?

 ――否ッ! 私が……私の力が、及ばなかったから――!

 私が彼らを庇えなかったから。彼らが亡くなる前に戦争を終わらせられなかったから。

 確かにとどめを刺したのは自分ではなかった。だが――

 

「……しかし、元はと言えば私にもっと力があれば……王として責任を持たなければならない! だから他ならぬ私の手で聖杯を獲り、あの血みどろの光景を変えるのだ!」

 

 そう、それこそが正しくも美しい王の在り方だ。守りたい者のためにも、自分はそう在らねばならない。

 完璧であれと、我らの光であれと、そう望まれた。だから――

 

「自ら責任を一身に背負わなければ気が済まず、そのための努力を惜しまず、自力で認めることができない……か」

 

 しかし、セイバーの切羽詰まった叫びに応じるニャルラトホテプの態度は平静としたもの。反対にライダーの顔に出るのは憂いばかりで、アーチャーに至っては不気味に口端を上げていた。

 

「なるほどなるほど、一昔前の私なら喜んで取って食ってるところだよ。なにせそういうタイプは簡単に自滅する割にありえないほど深く絶望するからね。コスパが良いんだ」

「何を――」

「いいやセイバー、キャスターの言う通り『それ』は自滅を孕むだけだ。そんな考えは捨てておけ。貴様を選んだ臣下たちも、王が自責に身を滅ぼすなど望むまい」

「……っ!」

 

 ライダーでさえも、己の在り方を否定する。そればかりか憐憫の眼差しをこちらに向けてくる。

 訳が分からなかった。自分の何が間違っているというのか。

 全ての責任を果たすのが王の務めのはずだ。故に完璧でなければならないはず――……どうあっても救いたいと願うのがどうしておかしい。

 

「……(すー)」

 

 夢月も訳が分からなかった。責任を持とうという心構えはそんなに問題視することか? 責任感ないのは酷い人だと思うが……。

 そう――たとえば。

 子供を産んでおいて一切の育児を放棄する母親と父親とか。

 赤も青もない、無色の顔色でストローを吸う夢月。

 

「……イスカンダル、貴様とて世継ぎを葬られ、築き上げた帝国は四つに引き裂かれ終わったはずだ。その結末に……貴様は何の悔いもないというのか? 今一度やり直せたら故国を救う道もあったと……そうは思わないのか?」

「ない。余の決断、余に付き従った臣下たちの生き様の果てに辿り着いた結末ならば、その滅びは必定だ。悼みもしよう。涙も流そう。だが決して悔やみはしない」

「そんな――」

「ましてそれを覆すなど! そんな愚行は、余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である!」

 

 だーめだ何言ってるのかさっぱりわからん。

 ただ、ライダーの気迫は声だけでも身を震わせるほどに感じていて、これまた静かに飲み終わった紙パックを平べったくする夢月。

 というか、どんどんエスカレートしている気がするのだが止めなくていいのだろうか? そんなにセイバーさん悪いことしたか?

 耐えかねて、小声で隣のサーヴァントに話しかける。

 

「ね、ねぇ……なんか険悪な雰囲気みたいだけど、大丈夫なの?」

「今行われてるのは単なる意見の出し合いじゃあない。生涯を掛けて築き上げた国家と功績を背負って己の生き方を提示し合う場だ。ここでの否定はそいつの人生を否定するのと同義。言わば魂のぶつけ合い。譲れない信念、貫いてきた信条……こうも重いものをテーマにすれば険悪になるのも仕方ないよ。大丈夫も何も邪魔しない方がいい」

「この飲み会ってそんな意味があったんだ……」

 

 確かにそれは、一般人が下手に口を挟んではならない領域……あんたそこまで理解しててよくアーチャーさんのこと煽れたな。

 

「あの三人はそれをわかった上で座っているから、私たちは気楽に聞いてようぜ。あーあ、さっきので酒飲み干しちゃったよ。二杯目くれないかな」

「ニャルラトホテプはもっと緊張感持った方がいいと思う……」

 

 物欲しそうに黄金の杯を弄ぶニャルラトホテプ。やっぱこいつ連れて来るのは不正解だったんじゃないかと呆れ顔の夢月。

 

「無欲な王など飾り物にも劣るわい!」

 

 が、しかし、緩みそうになった夢月を再び痺れさせるのはライダーの怒声であった。

 

「セイバーよ、理想に殉じると貴様は言ったな。なるほど往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であったことだろう。さぞや高貴で侵しがたい姿であったことろう。だがな、殉教などと茨な道に、一体誰が憧れる? 焦がれるほどの夢を見る? 聖者はな、たとえ民草を慰撫できたとしても、決して導くことなどできぬ。確たる欲望のカタチを示してこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ!」

 

 うーむー、だがやはりわからない。熱は伝わってきてももう語彙力が違いすぎてなんて言ってるのかがわからない。感想文書けと言われたら『大人って凄い』としか書けない。

 

「王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する。清濁含めてヒトの臨界を極めたるもの。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人一人の民草の心に、我もまた王たらんと憧憬の火が灯る!」

「そんな治世の……一体どこに正義がある?」

「ないさ。王道に正義は不要。だから悔恨もない」

「……ッ」

 

 ライダーのあまりの割り切りように、セイバーはもはや言葉が出なかった。

 ――なぜ、そうも断言できる?

 ――なぜ、それこそが民の求めるものだと思える?

 ――……なぜ?

 

「……くくっ」

 

 セイバーの必死な思考に水を差したのは、憎たらしいサーヴァントの笑い声だった。

 

「……何が可笑しい。キャスター」

 

 低い声で問い質すセイバーに、しかしキャスターは撤回する。

 

「ああいや、今のは詰ったんじゃなくて――ただ、人間って大変だなぁって。そんな哲学みたいに深く深く考えて王になる手順を踏まないといけないなんて、面倒だね」

 

 同情、とまではいかずとも、それに似た響きを感じさせる言い方に、なおの事セイバーは不愉快になる。なぜならそれはつまり――彼女には誇りある王としての思想がないということ。ということは……

 

「貴様も一時とはいえ王となった身のはず……国を治めることに何の重みもなかったというのか?」

「ああ、なかったよ。言っただろ? 上から民を見下ろす感覚を楽しむためにやってっただけだって。すぐに飽きて抜け出したよ。その後のことは知らない」

 

 あっけらかんと無責任なことを言うニャルラトホテプ。セイバーには、これが正しいとはどうしても思えなかった。

 ……だが、もはや何が正しいのかさえ、迷い始めている。

 王とは、民の幸せを第一に考えるものではないのか……?

 見るからに動転するセイバーを一目見て、両目を閉じてあまり気の進まない声でニャルラトホテプは言う。

 

「でも一応、『王の器』とは何ぞやって問いの答えは持ち合わせてはいるよ」

「ほう、それは面白い。聞かせてもらおうか」

 

 真っ先に興味を示したのはライダーだった。

 ――何となく、夢月は彼女の答えを察する。

 ニャルラトホテプは薄く眼を開いて粛然と、かくも面白くない真理を語たるように口にした。

 

「力こそ全てだ。圧倒的暴力。そこに思想なんて関係ない。絶対的な力が最も支配力を持っているからね」

 

 浅い嘆息をつくニャルラトホテプ。夢月の予想通りの回答だった。

 だって、それこそが唯一にして覆せない理なのだ。王も当てはまるだろうし、ニャルラトホテプがわからないわけがないだろう。

 だが、虚無感に駆られつつもほんのりと安心していた。

 ――正反対に、ライダーの顔つきは剣幕さを増す。

 

「つまり――貴様は民草の心を恐怖で縛ったと?」

「ちょっと国に顔を出したら勝手に相手が屈服しただけだ。まぁしなかったらわからせていただろうけどね」

 

 実にニャルラトホテプらしい……いや、神様らしいと夢月は思う。

 要は神様特権使って全国民を洗脳したということだ。ズルである。

 ……それにしても、なぜだろう。ニャルラトホテプが関わりだすと会話の内容がわかる気がする。不思議だ。

 

「そう睨むなよライダー。私だって現状には不満を持ってるんだ。だから早く私を倒して人間でも神に抗えることを証明してくれよ」

「……言われるまでもない。貴様の首は必ずや我ら英雄が討ち取る」

 

 たまらず割って入ってきたセイバーからの返答に、ニャルラトホテプは満足気味に笑みを浮かべ。

 

「ああそれと、言ってなかったけどね――」

 

 そして。

 余談の如く、ついでの如く、隣に座るちんまいマスターの頭に手を載せて、言った。

 

「この子を殺して私を仕留めようなんて考えない方がいいよ。それじゃ私は死なないから」


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