盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠れい(元キルレイ)
王たちによる語らいを、遠坂時臣は自宅の地下工房で言峰綺礼を通じて聴いていた。
「……全く……」
唐突に始まった王たちの酒盛りに、時臣は幾度とない嘆息を漏らす。元凶は言わずもがな、ギルガメッシュとキャスター、そしてセイバーである。いつ誰の糸が切れて戦闘が始まるものかと冷や汗が止まらなかった。
キャスター――それもニャルラトホテプとの戦闘となれば、被害は隠蔽しきれるものではないかもしれない。その点でいえばアインツベルンの城は好都合なのだが、せめてランサーを交えて仕掛けたいところだ。ライダーの宝具はまだ目にしていないため連携に都合が良いのか判断がつかず、そもそも協力的なのかどうか……仮にライダーが良くても、そのマスターは?
あれに挑むのは、最大戦力を整えてからだ。その方が敗北した時の傷も少なくて済むし、キャスターも諦めがつきやすいだろう。
令呪を使いギルガメッシュを引かせることも考えたが、これ以上不機嫌にさせては本格的に話が通じなくなる恐れがあった。騒動になりかけたがキャスターはマスターである夢月が宥めていたし、ギルガメッシュも抑えて剣一つを投げるに留めている。
――この二人に関しては、まだ抑えようがありそうだが。
先ほどから周りに生き方を否定されるセイバーがいつ逆上するか、彼女をよく知らない時臣は気掛かりで堪らなかった。
同じように考えるだろうアインツベルンのマスターが止めてくれればいいものを、なぜ黙って空気に従っているのか。
とにかく、もう祈るしかない。何事もなく終わることを。
なので時臣は、もう一つの異例な事態に思考を巡らせる。
「綺礼、本当にキャスターのマスターの右手の甲には、令呪が一つ使用された痕跡があったんだな」
『はい、確かに。二人のアサシンに確認させました』
そう、まさしく異常である。
凛に提案されても拒み、己の身に危機が襲い掛かってもなお使わなかった令呪。
他のサーヴァントとマスターは、知らぬ間に交戦があったのだろうと思い込むのだろうが――アサシンによって彼女らの行動を逐一把握していた時臣は、それはないと断言できた。
一昨日まで三つ揃っていた令呪。そして、それまで例外なく外に出かけていたマスターが、昨日のみ一度として出なかったという事実。
ただの偶然、重要度を理解していない子供が感情的になってつい使ってしまっただけという可能性も考えられる。
しかし、時臣は別の予期していた可能性を考えていた。
……夢。
夢月が見ることを薄く期待していた、ニャルラトホテプの夢。
計り知れず、苛烈だろうその夢ならば、拒んできた少女に令呪を使わせることができるかもしれない。
断定はできなかった。いくらでも他の候補はあった。
それにもしも見たとして、こうも平穏を装える少女は、果たして本当にその記憶を抱えているのか。
だが、どの道元よりあの少女を確保する気であった時臣に迷いなどあるはずもなかった。
時臣とて、完全に情を捨てているわけではない。齢八の少女にしては重すぎる負担、悲惨すぎる結末――それらが根源に辿り着くための“犠牲”であると重々承知している。
神が見てきた景色。それはどれほどに神秘的で、破滅的なものだろう。常識から当にかけ離れていて、正気なんて保てるわけがない。
どうせ見るなら、魔術師が見るべき夢――よりにもよって一般人に当たってしまったことが悔やまれる。
……と、時臣の熟考に、聞き逃せない綺礼からの報告があった。
『――キャスターが奇妙な発言をしました。何でもマスターを殺しても自分は死なない、と……』
「……なに?」
マスターを仕留める気がない時臣たちには関係のない話……というわけにもいかなかった。もしそれが本当だとしたら――ニャルラトホテプは聖杯のシステムを掌握しているということになる。
……やはり、聖杯が無事完成することは期待できそうにない。
だが、確認する手がなかった。そうするにはマスターが死んで、実際に消滅しないのかを確かめるしかないだから。仮にキャスターが許しても、そのマスターが許すはずがない。
――戻って、アインツベルン城。
「……え? あれ?」
キャスターの言葉に真っ先に疑問の声を上げたのは――意外にも当事者のマスターである。
「えっと……これは記憶違いかもしれないけど、わたしの死はニャルラトホテプの消滅に直結してるんじゃなかったっけ?」
敵の前で弱点の確認とかこのマスター馬鹿なんじゃないかとウェイバーは思った。
「三秒ルールってことで三秒までならオッケーなんだなーこれが」
「へぇー」
そのルール命にも適応できるのか。てっきりご飯だけかと。
「三秒もあればこの子を生き返らせることができる。だからこのやり方はお勧めしないな」
「生き返らせる……ですって……」
呆然と呟くのに精一杯なアイリ。ウェイバーは開いた口を塞げることができないほどだった。平然と口にしたその発言は、それほどまでに強烈なものなのだ。
魔術の原則は等価交換。そして道具でも引き起こせる現象に限られている。
生命の復活――それは魔法と呼ばれる代物。根源に近しい神秘の術。
アイリ、ウェイバー、この場にいない時臣の三人の魔術師は、彼女の強大さをまざまざと痛感していた。
だが――それくらいできないようなら、神なんて名乗れないだろう。
――魔術師の事情などよく知らないセイバーであっても驚きに値することであり、同時に許せないことでもあった。
それほどの力を有しておきながら、なぜ民のために使わなかったのか――。
「信じられないなら今この場で試してもいいよ。本当に生き返るかどうか」
平然と軽口を叩く悪魔に、もはやセイバーは限界を超え、己の得物を右手に宿す。
「――貴様は……どれだけ人間を侮れば……人の命を何だとっ……!」
きっとこいつは、死を味わったことも、苦痛を味わったこともないのだろう。
だからかつての自国の民ですら安く見て、揶揄し、いたぶるのだ――一切の同情もなく。
許せなかった。許せるはずがなかった。
――だが。
気付いてしまったその表情に、セイバーは言葉を切る。
それは――ニャルラトホテプですらない、少女。
……セイバーに怯える夢月だった。
「……なぜ……なぜだ! どうしてあなたはキャスターを庇う!」
「な……ぜっ、て……」
先ほどから全く同意を貰えないことにとうとう苛立ちを覚えるセイバー。夢月は決まり悪げに何も答えることができず、震えそうな手をニャルラトホテプの服を強く握ることで抑える。
今少女の頭の中にあるのは、どうすればセイバーに――誰にも責められずにこの場を凌げるかということだけだった。それだけが延々と巡回していた。
ニャルラトホテプは何か悪いことを言ったか? 生き返ることをわたしの身体で証明すると――それだけだろう? なぜ命程度に必死になる?
だが、その心中が周りにバレた際の反応を、夢月は身をもって知っている。
理解できないという目で見られる。狂っていると暗に言われる。
なぜここに来てまでこんな目に遭わなければいけないの? 何もしてないのに……誰も悪いことしてないのに。おかしいよ。
「……」
そのやり取りを聞いて、アーチャーは杯を傾けながら思う。
――これはダメだ。なぜかはわからないが、壊れすぎている。もうあの少女には、本当の意味で神に反発することが絶対にできない。
何もかも、どんな理不尽でも無表情で受け入れるのだろう。アーチャーの好むドロドロとした人間関係も、這いつくばる様も、慟哭も絶望も恨みさえも、とっくに切れた彼女にはできない。
縋る思いで身の程を弁えずニャルラトホテプを召喚したのではないかと、かなり期待していたのだが――どうにも外れてしまった。まぁ、セイバーを見つけられただけでも良しとしよう。
悠々とした動作でセイバーを眺めながら酒を呷るアーチャー。その時セイバーは、原因までは特定できなかったがやけに悪寒が走った。
「――それより見たいの? 見ないでいいの? どっち?」
だんまりの夢月をそのままに、周りへ急かすキャスター。そんなの……と、アイリとウェイバーは異なる理由で声を詰まらせるしかない。
この中で、ウェイバーだけがキャスターの言葉の意味を理解しきれずにいた。こうも命が、生死が――簡単に左右しかけている状況に、追い付けなかったのだ。そんな馬鹿げた話があってたまるかという良心が、そうさせた。
アイリは言うまでもなくキャスターが殺すといえば実際に殺しにかかることは断定できたが、身体が動かなかった。
しかし――キャスターの提案を拒否する者がいた。
「構わん。もとよりマスターを狙う気はないからな」
先ほどからアーチャーの酒を独占するライダーである。
「そ。なら頑張って。楽しみにしてるよ」
あっさりと引き下がり、へらりと笑うニャルラトホテプに一層腹を立てるセイバーだが、ライダーが目線で牽制する。今事を荒立てるのは得策ではない。
「警戒心強いなー。その程度で怒ったりなんかしないよ。むしろ人間のそういうところが気に入ってるわけだし」
「……」
嫌いな人物からそんな嬉しくもない賞賛をされて、嫌悪感が酷かった。
表情に出ていたが、ニャルラトホテプは特に気分を害した様子もなく、言う。
「……じゃ、私たちはこの辺で帰るとするかな。聞きたいことは聞けたしね」
「聞きたいこと?」
それは――セイバーの願望のことだろうか?
それとも三人の王たちの生き方? あるいはもっと別の事?
アーチャーに酒を要求する際、彼女はこう言っていた……『酒を貰わなければここに来た意味が八割失われる』と。
ならばその二割は、聞きたいこと、なのだろうか?
「さて、なんだろうね。誰に聞かせるためだろう?」
ニャルラトホテプは、そう底意地悪く笑ってはぐらかした。
「夢月眠い? おぶって帰ろうか?」
「だ、大丈夫……」
夢月の方を振り向いて確認するニャルラトホテプに、夢月は気を落とした面持ちで答える。早くここから離れたい。
ニャルラトホテプが立ち上がるのと同時に、夢月も腰を上げ、手を握って歩き出す。その二人の歩みを、誰も阻むことはなかった。
「ああ、それとねセイバー。これだけは言っておくよ」
「……」
去り際に、ニャルラトホテプは足を止めて言葉を残そうとするも、セイバーは聞く耳持たずである。
「君の力は本物だ。君ならば――君がいるから、人間のちっさい刃は私の首に届くだろう」
ちっさいは余計だ。
少しカチンと来た。とっとと消えろ。
セイバーの苛立ちにキャスターはほのかに笑い、「じゃあね」と今度こそ帰っていった。
「――お互い、言いたいところも言い尽くしたよな? 今宵はこの辺でお開きとしようか」
「待て、ライダー。実は……」
「貴様はもう黙っとけ。今宵は王が語らう宴であった。だがセイバー、余はもう貴様を王とは認めぬ」
「いや、そうではなく――王として黙っていられる話ではないが、ともかく、キャスターの件で話がある」
「なに?」
「実は……既に知っているかもしれないが、キャスター打倒のため、私はランサーとアーチャー、二人と共同戦線を張っている」
「……ほう、初耳だな」
「明日にでも仕掛ける予定なのだが……正直今の戦力だけでは心もとない。なのでライダー、貴殿とも共同戦線を張りたい――」
余談だが、久内舞弥からキャスターのマスターが銃弾を食らっても平常心を保っていたとの報告を受けた時から、衛宮切嗣は経験則からなる直感によって夢月のことを理解していた。
その少女がどうしようもなく壊れていることを。その精神の異常性と、痛みを――恐らく参加者の中で最も理解していただろう。
無用な思考を断絶し、切嗣は念じる。
――命に貧富貴賎はなく、老幼を問わず平等である。
そう、固く固く、板を捻じ曲げる音さえ立てて。