盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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38話 盲目少女は電話する

 帰ってすぐにショゴスにしがみついて、夢月は気を晴らした。

 ……セイバーさんの矛先がこちらまで向くと思わなかった。すごくすごく……怖かった。

 ニャルラトホテプは、なぜあんな視線を受けて平気でいられたんだろう。

 怖くはないのだろうか?

 拒絶されることに、痛みは感じないのだろうか?

 何を言ってるのかわからない……そんな未知なる生き物に。

 強い……強すぎる……だから神様に、あの神様に抵抗しようと思えるのかな……?

 わたしにはやっぱり……到底無理だよ。

 そんなことを思いながら目を瞑って、気付いたら眠っていた。

 夢は見なかった。でも、それで良かったのだろう――見るとしたら、きっと悪い夢だ。

 一人になってしまう夢。誰かに奇妙なモノを見るような眼で嫌われる夢。

 見ないで済んだ理由は――もしかしたら、ショゴスのお陰だったのかな?

 わたしをそんな目で見ないでくれるモノたちが、ここには四人もいるからかな?

 お兄ちゃんは……うーん、ちょっと微妙だ。

 朝起きてから、夢月はショゴスを優しく撫でながら思った。

 なんでこんなにも可愛い子を見て廃人になる人がいるのか、全くもって理解できないと。

 

 

「昨日はよく眠れた?」

 

 ショゴスを連れて寝室を出て、リビングの主役と化したテーブルに着くなりニャルラトホテプに声をかけられた。「うん、まぁ」と差し支えない返事をして、テーブルに着く。恐る恐る手を伸ばして確認すると、今日の朝食は菓子パンではなく、カレーだった。昨日夕飯で出されていたのだろうか。

 兄はいつも通り朝はここにいない。今頃創作に打ち込んでいるのだろう。

 

「なら良かった。少し頼みたいことがあるんだけど、いい?」

「? 内容によるけど……」

 

 何だろう。見当がつかない。今日は出かけたいところがあるし、そう大したものでなければいいのだけど……。

 

「この前、そろそろ誰かが仕掛けてきそうだから外に出るよう頼むかもって言ったよね。憶えてる?」

「ああ……うっすらとだけど」

 

 そういえば、二日前にそんなことを言われたような気がする。

 

「今日、夕方から夜にかけてやってほしい。できるだけ人気の少ないところをうろちょろと歩き回ってくれればいいよ。私はちょっと、隠れてやりたいことがあるからさ」

「ふーん、今度はどんな悪事を働くつもりなの?」

 

 カレーを口に入れながら、もう慣れつつある悪戯好きな彼女の行動を訊いてみる。甘口なのだろうか。そんなに辛くなくて美味しい。

 

「悪事とは人聞き悪い。打ち上げ花火を用意するだけだよ」

「……絶対悪いことに使う気だよね」

「いやいやそんな……ただ次に私の宝具を展開したときに、一般人が集まるようにしようとド派手なやつを打ち上げたいだけさ。次は誰が号泣するのかなー」

「あくどい……あくどいよ……」

 

 やっぱり元気にさせるべきではなかったのかもしれない。

 さすがに見かねるので止めたいところだが、わたしにそんな力は……いや、あるか。

 

「……ニャルラトホテプ、昨日言ってたどんな願いでも一つだけかな――」

「私信じてるよ。マスターがそんな惨いことを口にしないって」

「惨いのはどっちだよ。はぁ……」

 

 なんかもう、早々にめんどくさくなってきた……これ止めたら更に厄介な悪戯仕掛けてくるかもしれないし、仕方ない。せめて自分に火の粉がかかってこないことを祈るか……。

 

「……まぁ、わかったよ。夕方ぐらいから人気ないところに行って、セイバーさんたちが現れたら呼べばいいんだね」

「そういうこと。じゃ、お願いね。私は紙芝居しにこれから出かけてくるから」

「紙芝居……? そりゃまた、なんで……」

「聖杯戦争とか魔術師絡みのことを子供に読み聞かせるため」

「……え、ちょ――」

 

 それって確か、隠さないといけないものじゃ……。

 しかし、突っ込もうとしたところで足音が遠くなっていくのが聴こえてきた。恐らく行ってしまったのだろう。いつ何時でも人の嫌がる行為を忘れないニャルラトホテプである……。

 全く……なんでこんな奴のことを、わたしは何だかんだ嫌いになれないのだろう。なんて思った。

 

 

 起きた時刻は昼頃だったらしい。昨日は遅かったし、まだまだ疲れが残っていたのだろう。

 カレーを食べて少し休憩してから、メガネをかけて杖を片手に外に出た。

 行きたい場所というのは、わたしの家だ。

 ショゴスを連れることなく、黙々と夢月は足を運んだ。

 自分の家が行き先だなんて、それだけを聞いてしまったら憂鬱な気分にさせられるけれど、あくまでも夢月の目的は明るいものだ。

 昼間のように、草原のように、明るいものだ。

 この時間帯だと姉や親と鉢合わせになるかもしれないので避けれるなら避けたいところだけれど、そうも言ってられない。明日学校に行けるか怪しいものだし、話せる内に話したい。

 何より少し――寂しくなってきたから。

 しばらくあの声を、聴いてない気がするから。

 ざわざわする心を落ち着かせるためにも、あの人に電話したい。

 玄関のドアを開けて靴を脱ぎ、手慣れた手つきで夢月は受話器を取ってある番号を押した。

 電話をかけた先は――夢月の友達、佐藤心である。

 自分の記憶が正しければ、今日は祝日のはずだ。出てくれるはず……。

 

『――はい、佐藤ですが……』

 

 少しして、受話器から不思議と癒される声が聞こえた。

 

「あ、心ちゃん、わたしだよ!」

『夢月ちゃん! 良かった……昨日休んでたから心配してたんだよ』

「そうだったんだ……まだ大丈夫、生きてるよ」

 

 声からして、相当心配させていたようだ。そんなにするほどのものかな……という思いもなくはないが、とりあえず無事であることを報告する。

 

『昨日はどうして休んでたの?』

「それは……って、あれ? もしかして心ちゃん、パソコン使いながら電話してる?」

 

 耳に入ってきた心の声とは別の音……キーボードを素早く叩く音に、夢月は問いかける。

 素早く叩くというのは、文字通り適当に叩いてるではないかと疑うほどに超早く、である。ノートパソコンを持っていることは知っていたが、まさかこんなにも早いとは……。

 

『ああ……うん、ちょっと、外せなくて』

 

 どこか語調を濁しながら、『けど』と心は付け足す。

 

『問題ないよ。ゲームやってるだけだし、そんなに頭使うものじゃないから。夢月ちゃんの話は問題なく聞ける』

「心ちゃんの頭使うものじゃないは信用できないんだけど……というか音激しいし」

『それより聞かせて。どうして昨日は休んだの?』

「え、ええと……」

 

 催促されて、夢月は昨日の出来事を順に思い出していく。ええと……昨日だろう? 昨日あったこと……ニャルラトホテプと外行く前……。 

 ああ、思い出せること何もないんだった。

 

「実は一昨日の夜から昨日の深夜にかけて、ほとんど眠りっぱなしだったんだよね」

『え? 大怪我しちゃった、とか?』

 

 しかし心の予測に、夢月は首を振る。

 

「ううん、まだ大怪我どころか怪我してないよ。ただ、ニャルラトホテプ曰く夢を見ていたから丸一日寝てたとか何とか……」

『……夢?』

 

 続けざまに鳴っていたキーボードの音が、その時一瞬だけ止まった。

 だが、すぐに再開する。

 

『その夢の内容は覚えてる? ほんの少しのことでもいいから』

「え、えーっと……」

 

 心の声音に焦りが見え隠れしたのが気になったが、聞かれたからにはと夢月は珍しく頭をフル回転させた。今朝はやろうとしなかっただけなので、時間は経っているが思い出せるかもしれない。

 ……しかし。

 

「……ごめん心ちゃん、何も思い出せない」

 

 何もない。

 意識が混雑するわけでも、ワンシーンがフラッシュバックするわけでもなく、何もない。

 だからこそ――未だに実感が湧かないのだ。夢を見て自分が壊れたなんて。

 

『……ニャルラトホテプは、他になにか言ってた?』

 

 少しして、心からそんなことを訊かれる。夢月は思い出せる限りのことを、なるべくありのまま伝えた。自分には意味がよくわからないことでも、彼女ならばわかるかもしれない。

 

「ニャルラトホテプを構築する記憶……だったかな。とにかく過去みたいなものを見て、それでわたしおかしくなったみたいで……あ、そうそう、聖杯戦争が終わってもわたし、生き残れそうにない。魔術師の人たちが、その夢の内容が知りたくて狙うだろうって」

『……』

 

 間を空けて、心は問いかける。

 

『彼女は、夢月ちゃんのことを助けようとした?』

「……」

 

 今度は、夢月が間を開ける番だった。声だけでも、心からの怒りが伝わってくる。

 きっと、自分よりも遥かにこの状況の深刻さを理解したのだろう。

 心は、他人の話を理解するのが得意だから。

 

「助けられなかったみたい……でもね! 朝起きたとき真っ先に説明してくれたのはニャルラトホテプだったよ。謝られて、何でも一つ願いを叶えるなんて言い出して……すごく、後悔してるようだった」

 

 ……ああ、そうだ。だから嫌いになれないんだ。

 

「ニャルラトホテプは自分のやった悪事を隠したり、誤魔化したりはしないよ。悪いことやってる自覚はあって、責められても受け入れる」

 

 そこが兄とは、大間違いだ。

 

「もう、責められてるから……だからこれ以上は、あんまり責めないであげて」

 

 ……あの時の、ニャルラトホテプの瞳が想起される。

 なぜ夢の記憶を消さなかったと問うたときの、感情がかき消えたあの瞳。

 初めて見る眼だった。あれでわたしは事の深刻さを何とか理解した。

 彼女は十分に傷ついた。だからもう……いい。

 

『夢月ちゃんは良くても私は良くない。ニャルラトホテプの夢を見たなんて、そんな……』

 

 吐こうとした言葉を食い止めるように切って、心は言った。

 

『……夢月ちゃんは、なんでニャルラトホテプの傍にいたいの?』

 

 なんで、か……。

 そんなこと普段から考えていないから、すぐには出てこなかった。

 答え方は色々とあるし、理由は多い。けれど一言でいうなら、それは――

 

「わたしを受け入れてくれたから、かな」

『……そっか』

 

 観念したように、心は頷いた。

 いや、本当に頷いたのか、ただの相槌なのかはわからない。

 けれど明確に、何を思ったのか心は話題を変える。

 

『他にはどんなことがあったの? ミ=ゴから嫌なことはされてない?』

「え、ミゴさん? えっと……ミゴさんからは頭をもみもみされたけど、それくらい。今度からはあんまり近寄らないつもり。あ、あと脳みそくれって言われたけどちゃんと断ったよ」

『そ、そうなんだ……。その調子で気を付けてね』

 

 わずかに動揺する心。後から自分の言葉「頭もみもみ」を反芻して、そりゃそう反応するかと夢月は思う。あれは普通に怖かった。

 

「それと、昨日の深夜に王の宴? っていう……セイバーさん、アーチャーさん、ライダーさんで議論? してる所にニャルラトホテプに連れられて行ったんだ」

『へぇー、面白そうだね。私も行きたかったなー。どんなこと話してたの?』

「それが……難しい言葉ばっかりでよくわからなくって」

 

 やはり王様ほど偉い人ともなれば、固くカッコいい言葉のチョイスをするのだろうか。……そういえば話してるのって外国の人だよね。日本に王様なんていないし。しかし話している言語は日本語……

 と、そこで、夢月は気付いてはならないことに気付いてしまったような電撃が走る。

 ……わたし、外人さんより日本語下手……?

 

『――ん、夢月ちゃん?』

 

 いつまでも返事が戻らず名前を呼ぶ心。夢月は姿勢を崩してかろうじて声を上げた。

 

「敗北によるショック……わたしの中にある確かなものが喪失した……」

『と、とりあえずどんまい?』

 

 ぎゃ、逆に考えるんだ、固いということは緩い言葉が使いこなせていないわけで「マジか」で意思疎通もできないつまり日本語は自分の方が巧みに操っているといえなくもないだろうと……。

 

「そそ、それで……理解できたのは幾つかしかないんだけど……セイバーさんがやけに批判されてたよ。故郷を救うことが願いだって言ったら。ライダーさんがすごく怒ってた。アーチャーさんは……何となく王様っていうか、神様って感じがしたかな」

『ふーん、なるほどねー』

 

 カチカチとキーボードを叩きながら、興味深そうに心。

 

『まさしく三者三様の王様って感じだね。もう少し話聞いてもいい?』

「もちろん!」

 

 そうして夢月は、夕方になるまで心との電話を楽しんでいた。


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