盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠れい(元キルレイ)

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41話 盲目少女の忘れたいという思いさえも忘れた夢

 齢三の子供であるにもかかわらず、それが『夢』であることはすぐに理解できた。

 その景色が虚構であることは明白だったから――いや、それ以前に。

 己の瞳は、白を認識するわけがないからだ。

 だから彼女は、ここが現実でないどこかであることをすぐに察した。

 ――ぱっちりと開かれた少女の瞳は、光を通すことができない黒い瞳。

 なのに映るのは、気の遠くなるほどの白い大地と空だ。

 ただの静寂がこの場所を支配していて、自分以外に色はありはしない。

 少女はただ座り込むばかりで、唖然とするばかりだった。

 ここが非現実な場所であることがわかったとして、ならばどうすればいいというのだろう?

 目覚める方法など知らないし、歩いたとして出口が存在するのかどうか。

 というより、仮にアクションを起こさなければならないとして、面倒くさい。このまま勝手に起きるまで、姿勢を楽にして待っていたい。

 待つのは行動するよりも簡単だからだ。

 そう思って三角座りで居続けるも、指をすっぽりと隠す丸めた手を、不安げに口元に近づけた。

 本当にこのままで、起きるのだろうかと。

 一体どれだけの時間、この孤独に耐えなければならないのかと。

 やがて何もなかった内心に焦燥と恐れが滲み、繋いでいただけの両指を握りしめる。

 ついには開けていた黒い瞳も結んで、少女が頼れる唯一の友達の顔を何度も想起させた。

 心ちゃん、心ちゃん、心ちゃん……。

 念じるように、自らを落ち着かせようと必死に、胸の中で優しい人の名を呟く。

 あの子のことを思い出せば、どれだけ辛くても息をすることができた。

 あの子との会話を思い出せば、包み込む恐怖を和らげることができた。

 ……だけど、そんなのは所詮、気休めにしかならなくて。

 小さすぎるその身体はぷるぷると震えていて。

 早く終わってほしいと、切に祈っているようだった。

 嫌な人どころか、信頼できる人ごとごっそり消えてしまった空間。

 生きるための頼りとしている音すらも無くなり、終わりの見えない白い地獄。

 ――悪夢だ。こんなの。

 ついにはぎゅっと閉じた瞳の目尻に涙を溜め、それを手の甲を覆う袖で拭おうとした――その拍子に。

 しばらく瞼で遮っていた少女の視界に、『ナニカ』が映った。

 突如として目の前に現れた不思議な存在に、少女は瞳孔を大きくして、凝視する。

 居座るようにして佇むそれは……見たことのない、モノだった。

 いや、知らない。聞いたことがない。こんな音……こんな、異形。

 それはどす黒くて、口にすることすら吐き気がして、とてもとても、大きくて。

 この白い空間を、押し被せるほどに――塗り潰すほどに。

 広がる――静寂を支配せんばかりに。

 深まる――純白をかき消すように。

 打ち付けられる――身体の芯まで、どくんどくんと。

「あな、たは……」

 気持ち悪いはずのソレは。

 見れば見るほどに魅入られて、目が離せなくなった。

 吸い付かれて、引き込まれてしまって……。

 ――なんなんだ、これは。

「あな、たは……なに……?」

 ……少女はその生き物のことが、怖いはずだった。逃げたくなるはずだった。

 全身が警告した。今すぐ目を覚ませって。

 なのに。

 少女(わたし)は。

 その夥しい絶望に、手を伸ばしてしまった。

「……え?」

 わたしは後悔しているのだろう。きっと、心の奥底では。

 夢を見る度に、『あの時手を伸ばさなければ』と。

 だけどそんな思いは、すぐにどこかに行ってしまって。

 残るのは空っぽな器。何の液体も、固体も入っていない。

 たぶん、空気さえも……。

 だって、わたしが後悔しているのは。

 あの時手を伸ばさなければ、『殺されなかった』という精神の死なのだから。

「……ぁ……ぁぁ……っ」

 いつだって最初に消えるのは、右腕だ。

 アレに向かって、不相応にも伸ばした腕。

 肩ごと、血を一滴も出すことなく、跡形もなくいなくなった。

 右腕を覆っていたクリーム色のぶかぶかな衣服と、痛みだけがここに留まる。

 何が起きたのか理解できず、理解させてくれず、ただただ顔を感情で歪ませることしかできなかった。

 まだ失われていない左手で右肩を抑えて、ないことがわかって、更に泣き崩れて。

 次はどこを狙われるのか、命はいつ削られるのか。

 心臓が潰れたみたいな感触。何も考えられないほどに、怖い。

 ……あの子を思い出しても、なぜか痛みは薄れなかった。

 名前を呼んでも、あの子は来てくれない。

 嫌な想像が止まらなくて、ただでさえ黒い景色が真っ暗になっていって。

 代わりに聞こえてきたのは、一筋の『声』、だった。

『大丈夫だよ、夢月ちゃん』

 どこからともなく現れた、安心できるはずの、声。

 なのに少女の中は妙にざわついて、その声から、遠ざかろうとする自分がいる。

「ここ、ろ、ちゃん……?」

 少女はどこかへと、か細い視線を向けた。

 安心できる声に対し、どこからともなく芽生えた不信感は嘘だろうと無視した。

 逆立つ体の毛を、衣服で覆い隠してなかったことにする……。

 だって、彼女の言葉は正しいはずだ。

 彼女への『怯え』なんて気にするな。こんなの間違いのはずだ。そのはずなんだ。

 そのはずなんだと……言ってくれ。

『大丈夫だよ、夢月ちゃん……だって、アレは』

 友達は呆気なく目を向ける。冒涜的なソレに。

 そして真っ直ぐと――悲しげに紡いだ。

『だってアレは、神様なんだから』

 諦観したように。

 仕方がないことなのだと。

「――っ」

 立ち止まる夢月の思考に、彼女の声が流れ込む。

『信じればいいい』

『身を委ねればいい』

『怖がらなくて、いいんだよ』……と。

 ……違う。違うんだ。

 欲しかったのは、そんな言葉じゃないんだ……。

「――っ、――、」

 優しい口調で語られて、少女は静かに涙を流した。

 嗚咽もなく、ただただ、泣いた。

 もやもやとした青い思いは、輪郭を忘れ、霧散する。

 どこにぶつけていいのかわからず、どこに吐き出せばいいのかもわからず。

 だけど、真っ白になった頭は、痛みを感じさせないでくれた。

 この苦痛が露となってしまったら、あとに残るのは空っぽだけだ。

 なんにもなかった。

 どこにもなかった。

 記憶喪失になったみたいだった。

 わたしが間違っているのだと。

 ただそれだけを……理解した。

「……そっ、か……」

 泣きながら納得するのは、この夢の中だけだ。

「かみさまなら……しょうが、ない、よね……」

 ぷつりと切れたように笑うのも夢の中だけ。沈むように俯くのも夢の中だけ。

 いつからだろう……それが不自然に思うようになったのは。

 小さな頃の自分を遠目に見て、夢月は思う。

 なぜこんなことで感情を抱くのか。

 なぜ泣きながら蹲っているのか。

 「わからない」、と問いかければ、あの声は気まずそうに黙り込む。

 心ちゃんがこんな風に目を逸らすのも、夢の中だけだった。

 気にはなったけど、きっと個人的な事情があるのだろう。あまり関わってほしくなさそうにしているし、ならばそっとしておくのが一番だ。

 なんでそんな風にするのか、全然わからないけど。

 あの子供については……。

 三歳の夢月は、まもなく死ぬ。

 何もせずとも、何かしても、どのみち神様に殺される。

 別に視界に入れても入れなくても、大して変わらない光景だった。

 音もなく消滅していく子供の音を耳にする少女の表情は、とても冷淡で、無表情で。

 興味なさげに、聞き届けるばかりだった。

 

 

 そんな夢を、ずっと、ずっと。

 ずっとずっとずっとずっと、繰り返し見ている。

 なんでこんな夢を見るのかとか。

 なんでアレに殺されなければならないのかとか。

 ……馬鹿らしい。

 そんなの、『神様だから』の一言で説明がつく話なんだよ。

 この夢を見ない人の方が、狂ってる。

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