盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠れい(元キルレイ)
その仕事は、イースの大いなる種族としては別段それほど珍しいことではないし、むしろ一般的な職業といえた。
人間社会では聞いたことも見たこともないけれど、好奇心の強い異形のモノであれば普通に思いつく内容である。
大変ではあるものの面白味があるし、何より生活が安定しやすいので、志願する者も多い。イースの大いなる種族は総じて用心深いが、知識欲が高いのだ。
あらゆる言語、あらゆる生物、あらゆる真理――その全てを知りたくて知りたくて堪らない。
そんな願望が叶う魅力的な仕事が、これ。
『他生命体に溶け込み、その場所で流行っている品や伝統的な行事といった様々な文化を吸収し、知識として持ち帰る』――というものである。
「今度は地球……それも日本、ですか?」
“彼女”……いや厳密には、彼女らにそんな性別はないのだが。
ともかく、例に漏れず彼女も、『自分たち以外の文化に触れる職業』に就いていた。
彼女の場合、好奇心が高かったわけではないし、本音を言えば自分の好きなことをやって生計を立てたかったが……リスクを背負ってまでやることではないと、所謂“会社員”として生きている。
ちょうど、(表記不明)という星で大体の文化を理解する程度には暮らし、帰還して本にまとめている最中だ。だが、作業中であるにも関わらず休む暇もなく、彼女は次の任務を上司に言い渡されていた。
まぁ、別に今休まずとも、任務先で時間を作って趣味に打ち込めばいい話なのだが。
……しかし、地球か。聞いたことはある気がするが、どんな惑星だったかは忘れた。それも日本? なんだそれ。白米に梅干しを一つ乗っけたような国名だな。
「ああ、お前の大好物である白米と梅干しが売ってる国だ」
「え、あの原石のように白く輝く美味しい粒が、ですか?」
これが事実だとすれば、なんと素晴らしい国だろう。まだ見ぬ土地でありながらも期待せずにはいられなくなる。
安く販売されているといいのだが……一口食べるだけで頬が落ちるほど、しかも大抵の食材と相性のいい優れものだ。きっと少量で高級に違いない。コツコツと流通している通貨を貯めるとしよう。
しかしそのような惑星があったならば、もっと早くに巡り合いたかったものだな……なにせここでは希少商品。探すのには苦労するし、商品を見つけても手が出せないほどの値段である。
苦い思い出と膨らませる胸に密かに笑みを浮かべていると、上司が続けて信じられないことを口にした。
「しかもびっくりなことにな、その日本という国では一日一食は白米をいただく習慣があるんだと」
「行きます! この書類を速やかに片付けたらすぐにでも!」
そんな夢のような場所が現実にあるとは……! つくづく世界は広い。
真面目な彼女にしては珍しく喜びを隠しきれない声色。うきうきが止まらないその様子に、上司は満足げに頷いた。
「よし、やる気は十分のようだな。では向かう時代と環境、そしてどんな生物になりきるかの説明に入る」
新たな書類を渡され、それを流し見しながらも上司の話に耳を傾ける。
大雑把な地球の性質と状況。猿なる動物から進化し、今のようなコミュニュケーションを取れる生命体へとなったこと。それからどれほどの時が進み、科学や魔術は現在どう扱われてるかなどなど……。
邪神やら旧支配者やらの影響を受けやすく、本来よりも時代が進んでしまっていたり、イス人に関しての情報も創作物として漏れているだとか。素性を隠して潜入する彼女としては、これは少々危険である。
断じて怯えすぎなわけではない。人間たちが現実は現実、フィクションはフィクションと区別しているとはいえ、気にするべき事項だ。
想像の範囲とはいえ、その可能性を思いつくのだとしたら……例えば科学でも魔術でも証明できないような、人間らしからぬ言動を取ったとき――万が一、億が一でも、彼女が人間に化けている人外であると結びつけるかもしれない。
他者と交流する際には、細心の注意を払う必要があるだろう……正体がイス人であるなど、決してバレてはならないことだ。これはどの任務先でも共通ルールである。
そんなこんなで、どれほどの意気込みで挑むべきか整理しつつ、上司からの説明で彼らがどういう生き物で、どういう国なのかを知っていく内に――彼女は、あることを思った。
――それは久方ぶりに抱く感想であり、再び邂逅したかったもの。
青と緑で彩られた星。過ちを繰り返さないと励む心。時には手を取り合い、時には一人で黙々と勤しむ。他者を傷つけるのは良くないことだと、それは他の動物にも言えることだと。
そんな彼らを目にして、今、自らの胸に浮かんでくる感情――その言葉が何であるかを、彼女は知っている。
(――美しい)
ただただそう、感服するしかなかった。
『綺麗』なんて言葉では嘘っぽくて、『温かい』では生ぬるい。
ならば美しいと――そう表現するしかないだろう?
拷問よりも恐ろしい残虐行為を平気で行う惑星や、気味の悪いオブジェを堂々と飾る環境を行ったり来たりする彼女には、どうしてもそう映ってしまった。
良い星である……しかし、よく考えてみればそれもそうか。
なんたって白米と梅干しが生まれ所だしな。むしろ当然かもしれない。いや当然だな。
何やらドヤ顔めいた顔つきの彼女を尻目に、上司は約二十分ほどの解説を締めにかかった。
「――とまぁ、こんな感じだ。かなり平和的みたいだから、普段よりは気楽に構えていいと思うぞ」
「でしょうね。地球の寛容さを甘く見ないでいただきたい」
「なんでおまえが自慢げなんだ……? まだ行ったことないだろ」
彼女の地球に対する好意っぷりに上司は唖然とするも、平静と受け流す彼女。
「行かなくてもこれくらいは察しますよ。――それで、今回使う“人形”についてですが」
そのキーワードに、半ば放心していた上司は我に返った。
「ああ、既に住み込み先で用意してある。生まれたてだと歩くことすらままならないから、齢一のやつをな」
「ありがとうございます。毎度毎度」
「別にいいよ。それほど手間かからないし、幼い頃にしか体験できないことや見れない景色があるからな。住み込み先の住人は同じイス人だから、正体が明るみになるリスクも減る」
「けど……」と、上司は彼女の要求を了承するものの、やはり怪訝そうに訊いた。
「なんで既に生きてる人間の精神と交換しようとしないんだ? その方が我々の移住先は簡単に手に入るし、こちらの身体に入った人間から様々な情報を手に入れられるだろう。一石二鳥じゃないか」
――そう、それが定石。イス人の知識欲を満たす最も効率的なやり方だ。
予め精神を交換する相手の人格を把握できず、入れ替わった後にどう演じればいいのかわからないとして、記憶喪失とでも主張すればいい。そしてその身体の主がどういう人物であるかを少しずつ探り、見知らぬ土地に身を投じる。
こちらの身体は拘束するなりしておいて、相手の精神が入ったら知りたいことを質問。死ぬまで付き合わせるわけではないし、相手が攻撃してこないならこちらも危害を加えない。
合理的で安全なこの手段を、なぜ彼女は避けたがる?
不思議そうに首を傾げる上司。それで――そんな手段でいいと、心底思っているようだった。
とはいえ、何もこれは上司だけではない。十人中十人も同じように言うだろう。
自分たちが歪んでいるとは――ほんの少しも過りもしない。
もはや見飽きた態度、聞き飽きたセリフを一瞥して、少し間を置いた後に彼女はこう答えた。
「私は記憶喪失のフリが苦手なので。演じるのが不得意な私がそんなことすれば、どんなに鈍感な者であろうとすぐに見破られますよ」
本当の理由ではないものの、事実であるそれに――ましてや、彼女の実直さから裏の意図があるとは予想すらせず、「そうか」と、上司は素直に納得する。
「確かにおまえの嘘って、騙されるフリをしないと可哀想になってくるぐらいに下手だもんな」
「――んっ!? え、待ってくださいっ! あの時人狼で勝てたのって同情されてたからなんですかっ!?」
まぁーーー思い返してみればあれ以来、狼側で勝ったこと一度もないけどっ! そういえばやけに村人側が的外れな推測してたようなっ!?
まさかあれ、同情されての勝利だったとは……全然気付かなかった。
「いや、あれはおまえの実力だ」
「今更そんな嘘ついても信用できませんよっ!」
上司の声色、視線、癖、どれを取っても嘘をついている気配はないのだが……そういえばこの人、潜入する任務ではエキスパートレベルの実力の持ち主だったな。
ほんのりショックを覚えるも、人形製造を頼みやすい口実ではあるので何ともいえない感情を覚える。そんな彼女に、内心では(しくった皆で墓まで持ち帰ろうと誓ったのに……)と呟きながらも、上司は話題を変えた。
「とにもかくにも、人形は用意しておいたから……最後に、おまえがこれから名乗る名前を決めてもらう」
「はい……」
先程までの晴れ晴れとした顔色はどこへ行ったのやら。彼女の顔色はブルーになっていた。
「元気出せって、おまえくらいの腕前でも十分やっていけるから」
「はぁ……この仕事に就いて、もうずいぶん経ちますしね……」
彼女は慰められながらも、貰った書類の最後のページに目を通す。
そこには、イス人が使う言語で『たなか』や『あかり』といった名称が並んでいた。
馴染みのない文字の配置だが……察するにこれは恐らく、と予想していると上司から説明が入る。
「そのリストに入っているのが、これからおまえが名乗ることになる名字、名前だ。人形の性別に合わせ、なおかつそう不自然でない無難なものを物色しておいた。適当に選んでくれ」
「一個人につき名字・名前と名称が二パターンもあるんですか……何とも奇妙な」
「珍しいのはそれだけじゃないぞ。この日本という国では、ひらがな、カタカナ、漢字と呼ばれる三種類の文字を使い分けるそうだ。調べたところ名前は漢字に変換するものらしいから、出向いた先で言語を習得した後、違和感がないよう漢字に変換するように」
「わかりました」
名字二十五、名前二十五、計五十個のそれにざっと目を通す彼女。既に名前が確定している者になりきるのではなく、ゼロから偽りの人物を生み出して任務に当たっているため、名付けするのは慣れた作業だ。さて、どれを名乗ろうか……。
「今回の任務では約五十年の時をあちらで暮らしてもらう……面白半分で選べば、十年後には後悔するぞ? 気に入った響きにするんだな」
「ええ、もちろん。もう二度とあんな屈辱は味わいたくありませんから」
「……選んだこと、あるんだ」
念押しされずとも、そんな失敗はしない。初めての任務の際に、誘惑に負けて変な名前をつけて激しく後悔したことを未だに覚えている。
……それにしても、柔らかい雰囲気の響きが多いな。正直どれでもいいと思えるほどなんだが……。
「……じゃあ」
と、何となく目についたその名を、彼女は口にした。
「こころ……『さとう こころ』という名前にしようと思います」
草木が枯れ、空は濁り、荒れ果てた大地で賢明に暮らすモノがいる。
支配され、歯向かえば打首なディストピアで従順に暮らすモノがいる。
色鮮やかで、毒物と迷乱に満ちたジャングルで野生に暮らすモノがいる。
彼女はそんな世界とばかり出会い、暮らす者たちの心境を理解してきた。
皆口々に言う――ここは良い所だと。悲しみを喜びに変えて、涙を笑顔に変えて、そう発する。
それが彼らにとっての常識だから。本当の幸せを知らないから――だから彼らは、疑わないのだ。
これ以上を望んでも、何も叶わないと――諦め、その土地のしきたりに従う。
そんな彼らを目の前に――しかし、観測者である自分に、できることなど何もない。
ただ黙って、その生涯を見届けるしかなかった。
時に命を狙われながら、時に醜い争いに巻き込まれながら、時に生きるために、他者を傷つけながら。
気分が沈むとはいえ、仕事だ。それらを知識として持ち帰らなければならない。
そのためなら非情になった。そのためならば救えた者を見捨てた。
仕方がないことだと――言い訳するしかなかった。
その世界の不思議さよりも一層――嫌な部分が気になって気になって……だけど、どうすることもできない。観測者が観測対象を変えるわけにはいかないからだ。
この職業は、基本的には不満はないけれど……それだけが、心残りである。
……でも。
今回の任務……地球でならば、その思いをせずに済むかもしれない。
自然を大切にし、自主性を重んじ、危険から遠ざかろうと努力する――そんな。
そんな、“美しい”世界ならば――きっと残酷なことを見ないで済む。
――深く、意識を遠くへ、遠くへと飛ばす。
時代を超え、距離を失わせ、祈る。
――どうか、素敵な場所であってほしいと。
……意識が目的地に着くのは、一瞬だ。
新しい、小さな身体を実感しながらも、心はおもむろに目を開く。
足を踏み入れてまだ一歩目の、輝かしい水と草木に包まれた星。
最初に目にしたもの、それは――。
――大量に積まれた黒いゴミ袋であった。
「――」
割り箸やカップ麺の箱が見え隠れしており、視界に埋まるほどに多い。
なんだろう、想像してたのと違う。さしもの彼女は絶句した。
「おー、起きたか」
しばし呆然としていると、上の方から気怠げな声が聴こえてくる。
……ほほぅ、これが人間の声か。聞き取りやすいな。
そちらの女性声の方へと立ち上が――ろうとしてもできなかったので、ぐるりと身体を反転させ、手を付きながら座った。この体、何とも不便である。使いこなすのにかなり時間がかかりそうだ。
見上げてみれば、巨人と見違えそうなほどに身長の高い女性――まぁ、大人からすれば普通のサイズなのだろうが、齢一であるこの身体では、そう見えてしまった。
彼女はこちらを振り向きもせず、椅子に座ってカタカタと音を鳴らしている。
「悪いなー、今ギルド総出でバトルしてるから、手が離せないんだ。話すことはできるから、質問は受け付けるぞ」
赤ん坊が喋ることに、何の抵抗もないこの女性。言うまでもなく同族、イースの大いなる種族だ。
聞いた話では元科学者で、つい数年前に転職。高校生の女の子と精神を交換し、その日から引きこもり、両親に見捨てられて今は一人暮らしだとか何とか……高校生の子があまりに不憫すぎる。精神を戻す時どうするつもりなんだ。
……まぁ、この程度の身勝手さはどのイス人も大抵持っているので、聞き流すとして。
「えっと……そうだね」
まだこの国の言語は知らないために、イス人共通の言語で応じる心。声を出すこと自体は意外と簡単であった。身体の造りによっては、発声が困難な場合があるから。
例えば――テレパシーで意思疎通を図る種族とか。その場合は病気を装って、その場を凌いでいる。
それにしても、質問か……訊きたいことは様々あるが、その前に。ルームメイトと会ったら最初にやることがある。
「まずは自己紹介しない? 互いに初対面だし、長い付き合いになるんだからさ」
「ああ……それもそうだったな」
失念していた、と言外に滲ませてゲームを中断することなく、彼女。
前の職が研究に没頭する内容であること、また人間との交流をせずに部屋に引きこもったことを鑑みれば、自己紹介に気が回らないのも納得がいく。
正体は知っていながらも、名称は謎に包まれた彼女のそれが明らかになった。
「身体の主の名前は小百合(さゆり)。ただこの名前、おしとやかなイメージがどうにも纏わりついてむず痒いから、ユリって呼んでくれ。プレイヤー名も大体それにしてるし 。おまえとの関係は親戚で引き取った子って扱いにするから、外でも同じ呼び方で構わない」
「オーケー、ユリ。しばらくの付き合いになると思うけど、よろしくね。私の名前はさとう こころ。好きなように呼んで」
「あいよー」
気の抜けた返事をするユリは、一度としてこちらを一顧だにしない。だがその様子から、別段他人との関わりを嫌っているわけではなさそうだった。ただ、ゲームを中断させたくないだけのようだ。
なので、『質問を受け付ける』という言葉に甘えて、ひとまず気になったことを口にしてみる。
「それで、訊きたいことなんだけど……とりあえず、真っ先にやっておくのは私の出生を登録することだね。戸籍とか色々……ユリは何か知ってる?」
佐藤心という人間はこの地で産まれている――これを事実として国に認識させるのが、どの世界に行っても要となる第一関門だ。
誰だって得体の知れない不純物を自らの土地に置きたくないだろう。故にセキュリティを高め、厳重に管理し、登録手段の難易度を困難している。身元不明者が紛れた際に、即弾けるようにと。
なので他人とすり替わることなく、ありもしない事実をでっち上げ虚構である自分を本物とするのは、とても難解なのだ。
「知ってるも何も、もう全部終わってるよ」
「!? そ、そうなのっ?」
目を丸くする心に、彼女は呆気なく答える。
「うん、戸籍は改竄して保険証とかも制作済み。あとは周囲の人間の記憶をちょいと弄れば完了だ。簡単すぎて欠伸が出たよ。ここ緊張感なさすぎ」
「え、えぇ……」
彼女の口ぶりから察するに、ユリが優秀すぎるからというわけでもなさそうだ。平和と聞いてはいたものの、平和ボケしてないか少し心配になってくる……。もしも人間のフリした異星人が紛れてたらどうするんだ。
呆れたように額に手を当てながら、思わず心は呟く。そのセリフから、どれほどの苦行を乗り越えてきたのかを察せられた。
「なんていうか、肩透かしを食らった気分……前の村じゃピーー(放送できません)とかピーー(口にできません)されて、ようやく安全を確保したのに」
「え……他の星だとそんなことしないといけないのか? 最初の任務が地球で良かった~。つーか一生ここにいたい」
「わかる。五十年で帰ってこい言われたけど、不老不死に改造してずっとここで生活したい……」
そして地球と共に滅亡するんだ。ふふっ。
来る前から地球への好感度がマックス近くであったために、半分冗談半分本気で走らせた願望。
――その時は、夢にも思わなかった。
まさかたったの十年たらずで――しかも、規則を破ったために帰ることになるなんて。