盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
ニャルラトホテプが宝具を発動する前――遠坂邸にて。
アーチャーのマスターである遠坂時臣は、魔導通信機を通じてアサシンのマスター…言峰綺礼から交戦している状況を聞いていた。
交戦しているのはセイバーとランサーであること。セイバーは能力値が恵まれていること。状況からして、そのマスターはアインツベルンのホムンクルスであること。ライダー、アーチャー、ニャルラトホテプが順に乱入したこと。そして…
「……それは本当か」
「はい。キャスターの能力値は規格外、マスターは目が見えない幼い少女。真名はニャルラトホテプのようです」
「……」
再度問いただし、時臣は口を噤み冷静さを取り戻すことを兼ねて思考する。
英雄王ギルガメッシュの召喚に成功してから、勝ったも同然と信じて疑わなかった。
綺礼が召喚したアサシンで情報を集めることにより、より緻密な戦略を練り、さらに十分な戦力を確保したからだ。
しかし、全く前例のない、それもキャスターのクラスで想定外のサーヴァントが現れてしまった。
本来であれば子供を殺すことは容易いだ。魔術に秀でた才能を持っていたとしても、所詮は子供――それも病を患っている。幾らサーヴァントが強かろうと争っていればマスターを守ることに気を配れなくなることはあるだろう。守られなければ無力だ、そこをつけばいい。……そう、本来であれば。
魔術に長けたキャスターならばマスターに防衛する術を施すことで戦闘にある程度専念しながら守ることを可能とするだろう。もしくは自らが作る工房に最後まで籠ればいい。規格外という馬鹿げたステータスなら完璧にこなすはずだ。
討つ方法としては参加している全てのサーヴァントに同時に猛攻撃するよう仕向け叩く。そうすれば隙が生まれるタイミングが増えてマスターを。相手の宝具が対人、対軍用でないか、魔力の問題で一度しか使用できなければサーヴァントを。前者ならまだ期待できるだろう。
……ニャルラトホテプ…全く聞いたことのない英雄だ。だからこそ恐ろしい。知名度がそこまでなくともこれほどの強さ、記されている伝説が余程強力なのだろう。調べはするが、果たして弱点が書かれているかどうか…。
思考するほどいかに勝率が乏しいのかが分かるばかりで、一向に冷静さを取り戻す気配がない。
こんな状態に至るのは時臣だけではなかった。ニャルラトホテプのステータスを視認した綺礼を除くマスターは皆一様に怯えている。
綺礼は時臣を補助するという義務で参加しているだけなので、無心にアサシンの目から観察を続けながら時臣からの指示を待っていた。
五分間、予測と策の練り直しに頭を働かせ、ようやく時臣は口を開く。
「何か動きは?」
「特には。対話をするばかりで武器らしいものは見当たりません」
いつ攻撃をされても何ら不思議でないにも関わず取り出さない、ということは、裏を返せばいつ攻撃をされても対処できる自信があるということ。
武器が判明すれば少しは想定できることが増えるのだが…逆に考えよう、争い脱落することなく全員が帰ってくれれば慎重に戦い方や宝具を知ることができる。何しろ相手はギルガメッシュでさえ勝てない可能性があるのだ。アサシンで最低限度の犠牲に留め、地道に探ろう。
もう一瞬で全滅させれるような大掛かりな魔術を仕込んでいるという企ては、ないと願いをかけるしかない。
「……ひとまず様子を伺うとしよう。綺礼、キャスターにも常時アサシンを二体付けるように」
「了解しました」
綺礼からの返答を聞くと、時臣は溜息をつくように肩の力を抜いた。問題は変わらず山積みではあるが、先程よりかは落ち着いている。
戦闘が始まり劣勢になれば令呪を使い撤退させればいい。他のマスターもそうするはずだ。慌てることはない、負けたと確定した訳ではないのだから。
しかし、ある報告により再び時臣は動揺させられる。
「キャスターが宝具を使うようです」
「――何?」
「それも、自分が何者であるかを教えるために」
ニャルラトホテプの行動に、時臣は言葉を失った。
その情報は確かに欲しいものではあるが……自分が何者であるか教えるというのは、弱点を教えるのと同義。しかも方法が宝具とは……どんな意図が隠れている…?
「……」
建前としか思っていなかったが、案外本当なのかもしれない。
能力値を見れば他サーヴァントと比べ戦力差は歴然。簡単に殲滅できるはずがしなかった。
仮にだが、ニャルラトホテプが戦うことを好み望む性格なら、敢えて弱点を晒し公平に近づけていると得心がいく。そうであってほしい。
この仮説が合うか合わないか、どちらにせよ宝具の性質を知らなくては――
「綺礼、報告を」
「……」
「綺礼?」
「……っ。いえ、何でもありません。これは…実際に見てもらった方がよろしいかと」
淡々と現場の状況を報告していた綺礼が、初めて説明をしなかった。何かしらの特徴を述べれるはずがしなかった――できなかったのだろう。
そう直感するや否や、綺礼の勧めに応じるため、駆け足で使い魔――翡翠で出来た鳥を作り放つ。視覚の感覚を共有して、なるべく早く飛ばし――時臣はニャルラトホテプの姿と周りの反応を見た。
ニャルラトホテプが何者であるのかを、大雑把に理解したのだ。
「ま、さか…!」
たまらず歓喜の声を上げ、膝の力が抜けて崩れ落ちる。大きく開いた眼は閉じることをしない。全身の血が沸騰し、金縛りにあい自分の意志で動かせなくなった。
それほどに、彼はニャルラトホテプに魅せられた。
「これこそ……いや、この御方こそ…私が仕えるべきだったのだ…!」
それもそうであろう。時臣からすればニャルラトホテプは神秘そのもの――即ち、根源なのだから。
実に魔術師らしい反応をした時臣であったが、綺礼の場合、ニャルラトホテプにあまり眼中になかった。たまにそちらを向いてしまうものの、消そうとしても消えない邪念が興味の対象を無理やり周囲に切り替えてしまうのだ。
邪念とは、他人の苦痛を幸福だと感じてしまうこと。
断じて自分はそんなことはないと切り捨て続けてきた綺礼であったが、無自覚にもその口元は僅少であるが緩んでしまっていたのだ。
この不幸まみれの光景には笑わずにはいられなかった。
神様、神秘、根源と認識されるそれは、かつて夢月が読み金になってしまった本に描写されたものであった。
体長約二~三メートル。様々な色が重なり、一見して深くて浅く、濃くて淡い濃色で統一されていた。人の構造に似て胴体があり、そこから手足に見立てられた触腕が生えている。
顔の部分には分厚い触手があり、表情はないが目玉、鼻、唇、耳が大量に散りばめられているように見えなくもない。触腕は歪な外見をしているが、触感はどれも異なり、一つ一つが生き物のようにうねり、伸縮して這っている。
その冒涜さだけならまだしも、異臭異音も酷いものであり、脳みそをかき混ぜられそうだ。
一般人は当然ながら狂気に陥るだろう。神秘の知識を欠片でも持つなら振るのは等しく確率は半々であり。人の常識からかけ離れ、人の常識外れに近しい者にはそれ以上墜ちることができない。
そこには十面ダイスのサイコロがあった。
そこはどこでもいい。サイコロを振り、着ける地があるならどこでもいい。サイコロは一から十の数字を判明できるなら形状を問わない。そもそもサイコロである必要性すらない。これは人間の常識範囲の形を与えて分かりやすくしているに過ぎないのだから。
誰かがサイコロを振った。
誰かに意味などありはしない。人であろうとニャルラトホテプであろうと第三者であろうと聖杯であろうと誰でもいい。どうせ誰にもその誰かを知れないのだから。いや、ニャルラトホテプには誰が振っているのかを知っているのか?
サイコロは一度軽やかな音と共に着地し、跳ねた。
音は誰にも聞こえない。サイコロですら認識できない者に音を認識する手段はない。何も分からないまま彼彼女等は精神に異常をきたすのだ。だがこれも、ニャルラトホテプだけは例外となり認識することができるかもしれない。
跳ねたサイコロは地に転がり止まる――ダイスの目が明らかとなる。
どの数字なのかは被害に遭ってから初めて分かることができる。ニャルラトホテプなら明らかになった瞬間か、振る前から分かることができるのだろう――それとも、ニャルラトホテプにも分からないのか? 分からないよう制限を設けているのか?
同時に犠牲者が出たので順番に追っていこう。まずは一人目、ダイスの目は9。対象は…