盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠れい(元キルレイ)
セイバーはアイリを庇うため、すぐ傍の位置で身構えていた。
しかし、ニャルラトホテプの宝具はどんな態勢を整えようが『慣れ』とステータスに関係ない『特有の運』しか通用しないので無駄である。
運良くセイバーはニャルラトホテプが人間には到底敵わぬ常識を逸脱していると理解するだけで済んだので、攻撃を仕掛けられるだろうとさらに警戒を強めていた。
そこへ、背後にいたアイリが日常めいた口調で声を掛ける。
「セイバー、貴女が持っているその剣、食べていいかしら?」
「はい!? えぇっ……だ、駄目ですよ! というかなぜそのようなことを――」
「ありがとう」
アイリは発狂しているため承諾してくれたのだろうと勘違いした。微笑を返し、それではと自然な流れで剣に近づき本当に剣を噛み始める。
「いや、待っ――」
「……(ガリガリガリガリガリ)」
「アイリスフィールっ!? とにかく落ち着いてください! これは食べ物ではありませんよ!? あ、あの、お願いですから放して…」
「おいひいわ(ガリガリガリ)」
セイバーは必死に訴えるが、アイリは呑気に歯ごたえがあるなぁと思いながら見えない剣に噛り付いたままであった。
二人目…ランサーの場合。引いたのは『幻覚あるいは妄想』
ニャルラトホテプを含めた視界に映る生き物が、現在の主ケイネスに見えていた。もはや恐怖である。
常人であれば好意ある人物であろうと速攻で去るところだが、流石は忠誠心の高い騎士、悪夢に耐え本物の主を見分け守ろうとめげずに奮闘していた。
(主は……どこにっ……!?)
三人目アーチャーは…
「う、うう……」
…………アーチャーは、大泣きしていた。
「うわああああああああん! …っ……っ…ああああああああんっ!」
間桐雁夜はニャルラトホテプが来る前にバーサーカーを襲わせるつもりであった。
だが一般常識を持ち、且つ七歳の少女、桜を救うという動機で聖杯戦争に参加した彼は、新たなサーヴァントと現れた子供を桜と重ね躊躇いが生じたのだ。
自分の力ではバーサーカーをコントロールすることは難しく、命令に背き暴走するのは十分あり得ること。もしサーヴァントだけでなくそのマスターを狙ったら? あの子供が強要させられたか巻き込まれただけだとしたら?
殺さなければいけないのか? ――…殺さなければいけないのだろう。
コイツを殺すことは不可能だ。マスターを殺すしか、勝てる方法はない。
雁夜は決断するのに時間を要した。
使い魔に感覚共有していたが、入るはずの情報は意識せず、桜を救うためにあの子を殺す、その覚悟を決めるのに集中していた。
それでも宝具を発動したニャルラトホテプに気を取られたのは集中力が途切れたからではない。ニャルラトホテプが他人への精神干渉が抗えないものであるだからだ。
雁夜は理解すると同時に逃げ出した。恐怖に染められ混乱し、ニャルラトホテプとは反対方向へ走ることしかしない。そこに雁夜自身の意思はなかった。
意志も感情も行動も、サイコロに操られているだけ。
引いた目は2。『パニック状態で逃げ出す』
多種多様な虫には慣れていたが、常識外れには慣れていなかった。
建物の裏や鉄骨に三人の人間がいた。
ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
セイバーのマスター、衛宮切嗣。
切嗣のサポートをする、久宇舞弥。
三人とも注意深くニャルラトホテプを見張っていた。
内、舞弥はスコープ越しでニャルラトホテプの変貌した姿を見て、地球上の生物…そもそも生物という概念に当てはまらないモノだと理解し、切嗣に無線で指示を仰いだ。一秒経っても指示がないからだ。
「切嗣、どうしますか?」
応答の代わりに周囲の雑音を拾い、声が出せないか、切嗣の身にもああいったことが起きてるかもしれないと推測する。
セイバー達を無表情で一瞥してから居るであろう所が見える位置まで来てみたものの、切嗣が所持していた銃が放り出されているだけで人はどこにもいなかった。
死んでいないことは嘆願しているセイバーが保証している。
攻撃を受けてどこかに潜んでいる……可能性はあるが、あの宝具で別の効果を受けているとも捉えられる。探した方がいいだろう。
舞弥は罠がないか注意を払いながら銃だけが放置された所へ向かい、痕跡がないかを調べていると、偶然にも逃げ出すようにあたふたな走り方で地面を駆ける切嗣の後ろ姿を発見した。
「…………」
無言で入念に見渡し自分達を狙っている者がいないことを裏付け、もう一度銃を持たず指示を送らずに、今度は二倍の速度で走る切嗣を見る。
「……切嗣、教えて下さい。何をしてるんですか?」
足を止める様子が片鱗もなく言い切る切嗣。
「逃げてるんだよ!」
「……なぜ、ですか?」
「あの化け物が怖いからだ!」
「……そうですか」
大方宝具のせいであり、受けた効果は逃げたくなるほど恐怖を感じるだろうと察したものの、その堂々さに若干引いた。
まぁこの現象は恐らく時間が経つかアレから離れれば治るはずだ。無造作に魔術を使う、なんてことはしないはず。
切嗣とマダムがこうなってしまった以上、ここは撤退して態勢を整えるべき――
「切嗣、マダムを連れて私も「うっ…! ……はぁ……はぁ…」――切嗣!?」
息が詰まったようなうめき声に続いて荒い呼吸音がした。負傷せず、息を整えながら歩く切嗣に、舞弥はなおのこと焦る。
「……問題、ない…。少し加減を…はぁ……、間違えただけだ……」
問題ない? 深刻な問題だろう。切嗣はこんなことすら分からなくなるくらいパニクっているのか。
切嗣の魔術はたった少しの加減で体への負担が酷く大きくなる。今回は偶然、相当参るだけで済んだようだが、次にまた加減を間違えたら?
舞弥は悟る。
切嗣を死なせないためにも気絶させて自分が連れて行かなければ。
(動きは単純。とりあえず動けないように足を撃ち抜いて――)
舞弥とは別の建物の裏に潜んでいたケイネスは、ニャルラトホテプを神秘そのもの又は根源ではなく、神秘性が極めて高く根源に限りなく近い存在であると理解した。
アレを掌握すれば、私は根源へ到達できるのではないか――。
その考えに行き着いた彼は、聖杯に目もくれずにニャルラトホテプをどのようにして支配しようかとばかり。
聖杯に目もくれなくなる点においては、時臣と同意見であった。
巡り戻ってライダー陣営。運良く彼らはサイコロを振らなかった。
ライダーは外宇宙から来たナニカであることを、マスターのウェイバーは神秘や根源とは全く異なるものであることを理解する。
ウェイバーはサイコロを振らなかったが、周囲のカオスな有様とゲテモノニャルラトホテプに混乱して、身動きが取れなくなっていた。助けを求めるようにライダーに視線を向ける。
視線の先のライダーは、恐れるどころか気分良く顎に手を当ててニャルラトホテプを分析していた。
身も蓋もない言い方、あれは宇宙人。
宇宙人と共に戦場を駆けるか、対決できるのだ――心躍る他あるまい。
舞弥が気絶させた切嗣を抱えてセイバーと合流しようと向かう最中、素早く羽ばたいていく時臣の使い魔を目撃した。その使い魔は舞弥達に害をなすことなく加速し、現場に着いてから数分後――膠着状態に変化が生じる。
相も変わらずヘナりと座り込むウェイバーの耳元で女性の囁きがした。
「面白いことになってるね」
その声が耳から感覚神経を通して脳へと伝わってから、目の前に変貌する前の、人の型を取るニャルラトホテプが出現する。
ライダー等が乗っているチャリオットの側辺の縁部に頬杖をついて、にししっと、悪戯が成功したみたいに笑う美女。
「――うわっ!」
意識して認識した途端、その突発的な現れ方と、ゲテモノと同一の者だと理性から湧き出る恐怖で、驚きの声を上げて後ろに跳ね、ライダーに近寄った。
それとまた、ほぼ同時といって過言ではないが、遅れて夢月の「わっ! ――いてて…」と尻もちをつけていた。
ニャルラトホテプの形跡が最初から居なかったかのように何もなかったため不安感に駆られるが、甲高い泣き声で警戒心が好奇心に持っていかれる。
(これ……どっかで……?)
夢月には記憶を掘り返していて気付いていなかったが、ニャルラトホテプはウェイバーの反応に楽しげにクスクスと、非常に上機嫌そうな表情でチャリオットから腕を放して、言う。
「いやぁ、来てよかったよ。色々と楽しめそうだ。ちょっと不安だったんだよねー、聖杯があまりにしょぼいもんだからさー」
「……なに?」
聖杯をしょぼいと言い放つニャルラトホテプに、ライダーは訝りの声を上げる。
その反応を楽しむように、彼女は夢月がいる方向へおもむろに歩きながら、繋げて――
「ライダー、私はね、聖杯を取りたいが為に参加した訳じゃないんだ。聖杯戦争をやってみたかったから参加しているだけ。つまりは…願いたいのは聖杯ではなく君達人間に対して、ということなんだよ――よっと」
ニャルラトホテプは夢月の前に立ち、片手で夢月の手を握り引っ張り上げた。
不意のことではあったが、感触がニャルラトホテプだと確信したからか安心して、無抵抗に引っ張られて立ち上がる。泣き声に関しては次第に考えない方がいい気がして止めた。
そして、ニャルラトホテプは言葉を続ける。
「なぁ英雄。なぁ地球人。どうか神からの気まぐれと思って頼まれてくれないか?」
その一言を言う頃には、舞弥はニャルラトホテプを視認できる程度の距離に縮まっていた。
その場にいる、発狂していようとしていまいと、誰もが心の底では耳を傾ける。
ニャルラトホテプという名の邪神からの頼み、願いを――
「手段はなんだっていい。戦意喪失することなく、サーヴァントの手で私を負かしておくれ」
それは、果たして嘘か真か。どのような意図が眠るか、眠っていないか。知る由もない。
だが、それが願いであると口にした事実は記された。
サーヴァント――地球上の英雄が引き受けたという事実もまた、記される。
「望むところよ」
応えたのは、好戦的で不敵な笑みを浮かべるライダー。
対してニャルラトホテプは、子供っぽさが僅かある明るい笑顔を浮かべる。
「お礼はまだ言わない。大いに心待ちにしている、とだけ言っておこう。まあでも、これだけは教えるよ。私は宝具を戦闘目的で使わない。二回目になれば確率は低くなっているだろうが、食らえば一時間戦えなくなるからね」
そのハンデに、なめられていると感じる者はいなかった。
ニャルラトホテプは「そんじゃここいらでおいとまするかな」と背を向けたところで…スムーズな動作で夢月の耳を塞ぐ。
「ニャルラトホテプ? 音聴きたいんだけど…」
しかし夢月の主張を無視し、わざとらしさのある言葉遣いで言う。
「あーそうそう、重要だから繰り返すけど、症状は何をしようが一時間は絶対にそのままなんだよ」
発言と行動の意図を探ろうとするが、すぐさま数十メートル一帯に響く、原因不明の何かが破裂する音と立ち昇る煙と――
「おい! あっちから爆音が聞こえたぞ!」
「あれ本当だったんだ」
「何が何でもカメラに収めてやるっ!」
「君! 危ないから下がってなさい」
――人払いをしているはずなのに、ぎりぎり聞き取れる野次馬と警察の人混み…。
「「「はぁ!?(なっ!)」」」
口々に絶叫するマスターとサーヴァント。
なぜ居るのか、答えはとてもシンプルである。
野次馬の十数人は、ニャルラトホテプが様々なサイトに投稿した、セイバーとランサーが争う写真に場所を添えたのを見て近くだったから興味本位に。
警察はニャルラトホテプが宝具を使用している間に偽の通報をしたから。
悪戯好きと自称するニャルラトホテプは、塞いでいた手を外して悪戯心溢れんばかりの笑みで顔を振り向き別れを伝える。
「見つかったら、それはそれはまずいよねー。それじゃ、まったねー」
夢月の手を引いて人混みがいない方へと悠長に歩みだすが、それを真面目に顧みるものはいない。
慌てて令呪を一画使うか力づくでそれぞれ撤退する。
セイバーや舞弥は、マスターが閉じこもる、最悪自殺に追い込みたくない一心だった。
ニャルラトホテプをつけ狙う魔術師二人は、聖杯にはもう関心はないが、聖杯戦争で戦い負けるという望みがニャルラトホテプをここに留めている要因なら、サーヴァントを失わず従わせなければと考えたからだ。
無論勝てるとは思っていないが、勝とうとしている姿勢を取らなければ、もうここには用はないとマスターを殺して帰ってしまうかもしれない。
今回の聖杯戦争において、本気で適度な頻度、戦いを挑み、如何にニャルラトホテプが参加した状態で聖杯戦争を長引かせ、その間に根源に至れるかが最優先事項だ。
時計の針は十時を回り、街に出るまでそこには光を差さない。女性と少女の声だけが溢れてる、闇といっても差し支えない帰り道――夢月にはどう視えているのだろうか。
気分次第で景色をころころ変える少女は、何色に染めているのだろうか。
人の常識からなる天国か――地獄か。
ただ、これだけはいえる。
理解できる人であるからこそ、明確に、断言していえる。
「ニャルラトホテプは何で負けたいの?」
「負けた快感を得たいからだよ」
「負けるのが…快感?」
「強いせいか、私に挑戦する気概のある奴がいないんだ。たまにいるけど、諦めたり引き分けにすらしなかったり。負け無しになって、負けが未知になって、未知を求めたんだ」
「分かる! それすごく分かる! 未知って良いよね!」
夢月は幸せを感じている。
故に、この帰り道は夢月にとっては、心地良いものに視えると。
「未知といえば、ニャルラトホテプって無害? 有害?」
「……どういう意味で?」
「味とか食感が気になって」
「…………宝具の効果、受けてないんだよね…?」
こうして、第一戦の幕を閉じた。