盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです   作:零眠みれい(元キルレイ)

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8話 盲目少女は家族が嫌い

 時刻は朝の五時半。

 学校に行く準備をするため、ニャルラトホテプに起こしてもらい、四日ぶりにあの家まで送り迎えしてもらっている。

 わたしは風呂に入るの結構長いから、余裕を持ってこれくらい早い時間にしたけど……

 

「ふぁああ……眠い…」

 

 かれこれ十五分くらい歩いてるはずだけど、眠気はマシになってもなくならない。

 いくらなんでも早すぎたかぁ…でも二日しか休んでないとはいえ、今日まで休んだら先生から説教されるかもしれないから寝過ごせないし…。

 

「そろそろ着くよー。ファイトー」

 

 ニャルラトホテプの何度目かの似たような励ましの言葉。そろそろってさっきも聞いた気がする。

 疑いの眼差しを向けてニャルラトホテプに問いただした。

 

「あとどれくらいで着くの?」

「角曲がって二十メートル」

「マジでそろそろだった…」

 

 というやり取りをしていると角を曲がり、少し歩いて。

 

「ここだよね。二人の言ってた特徴と一致してるし」

「えとね……」

 

 ニャルラトホテプの手を握ったまま、玄関の扉と壁を触って確認する。

 

「……うん、ここで合ってるよ。送ってくれてありがとう」

「いや、別に手間のかかるようなことでもないからいいんだけど、気掛かりになってることを質問していい?」

「いいけど…」

 

 何か気になるようなことしたっけ? 学校に行きたい理由とか? でもそんな変なことじゃないよね。

 

「起こすこともそうだけど、素朴な疑問、こういうのは兄である龍之介の役目なんじゃない?」

「……え、なんで?」

 

 素で言った。なんでお兄ちゃんの役割になるの? というかそれって気掛かりになるようなこと?

 

「だって兄妹なんだろう?」

「血のつながった兄と妹だね」

「仲は良好で」

「あー…まぁ、そうだね。悪くはない」

 

 嫌なことはしてこない。人を殺している音とか聞かせてくれるし、たまに作品触らせてくれるし。

 でもだからといって、人殺し関連以外で会って喋りたくなるとかないしなぁ…。好きとは言えないような…。

 

「なら兄としての妹への配慮というか…妹も兄を頼るというか…」

「っ――……そのこと…」

 

 わたしはようやく、ニャルラトホテプの問いの意味が解った。

 図星をつかれたような気分になったけど、お兄ちゃんとの関係性だけなら再認識してもダメージは負いにくい。

 少ない苦い思い出は多い良い思い出に塗り替えられてる。

 ――大丈夫。あの…あの気持ち悪くてかつて求めていたものがないからこそ、お兄ちゃんと一緒にいられるんだ。その事だけを考えれば……

 

「お兄ちゃんとは利害の一致みたいな関係だから。お兄ちゃんは人を殺して死が知りたくて、わたしは人が殺される新しい想像が知りたくてで――」

 

 ガチャ、と。

 後ろから、扉を開ける音がした。

 そうして、扉を閉めて、靴音。

 ……この人はなぜ、最悪なタイミングでわたしが認識できるようなことをするんだろう。

 この時ばかりは、全ての音が憎くなった。

 

「あの人は夢月のお母さん?」

「……大人で女だったらお母さんじゃないかな。お姉ちゃんは中学生か高校生だから」

 

 もし声を出していたとしても、より年老いている方がお母さんだろうと推理するしかない。両親の声なんて覚えてないし、お姉ちゃんのは忘れたくて忘れた。

 それくらい、うちの家族は家族として機能されてない。

 こんな事実は、今になって実感するような事ではなかった。

 感覚で雑に曖昧になんとなく、ずっと昔に気付いて、毎日直面して、いつでもどこでも片隅に置かれている。

 それを改めて認識して――じっくり考えて、どの単語にするかを選んで、どんな状態なのかを説明するのは、ニャルラトホテプのお母さんかという問いに答えたあの一言だけでも、ずっしり、重たくなった。

 だってニャルラトホテプの問いの意味は、お母さんがわたしに何も言わずに去ったってことで。

 わたしの答えは、自分の家族のことを知らないのが当たり前ってことで。

 ――うちの家族には、家族愛がないってことだから。

 ……家族愛なんて気持ち悪いもの、欲しくなんかない。それに、家族愛がないのはとうの昔から感覚で慣れてる――でも、それを明確に意識すると、封印していた辛かったことや苛立ったことなどのトラウマなエピソードが、背けてきたのを台無しにするようにして降ってきて、途端に悲しくなる。

 この嫌な気持ちはいつまで経ってもなくならない。まるで自分の核みたいな場所に粘りついているかのように陰湿で、除去できないのだ。

 こういう家庭内の事情は、片鱗でも知られたくなかった。相手がそれを意識してきたら、わたしまでこんな風に意識させられて、再認識させられるから。だから触れさせないように、ニャルラトホテプには家の前まで送ってもらうだけして、家族に会わせたくなかった。なのに、お母さんは……

 

「夢月、手を出して」

 

 そこへ、ニャルラトホテプが唐突にわたしに話しかけてきた。

 

「へ? わ、かった」

 

 う……すっとんきょうな声が出た…。最近よくあるけど今回ばかりは場にそぐわない…。

 ニャルラトホテプの手を一旦放して、杖も壁にかけておいて、受け取ったものを調べてみると――四つ折りにされた両手に収まる紙だった。

 

「地図。夢月でも取っ付きやすいように描いたから、これでわざわざ私が迎えに行くまで待たなくても拠点に帰れるよ」

「あ、帰り……」

 

 わたし、なんでこんな大事なこと考えてなかったんだ…?

 

「う、うん。ありがとう、自力で帰るね」

 

 「またね」と続けて、わたしは杖を取り玄関に踏み込み、風呂に入りに行こうとする。

 びっくりするぐらい追及されなかった。そればかりか、この家に居なくて済むように配慮してくれた。同情はされなかったけど、気まずくされるよりかはよっぽどマシだ。嬉しかったし、ありがたいという思いもある。

 しかし、何も気にせず気楽にできる所で一人になりたいという思いと、学校に遅刻するのではという焦りがわたしを急かした。

 

「待て、最後に約束事を確認しようか」

 

 そんなわたしに、ニャルラトホテプはストップをかける。

 

「えと……たしか、襲われて怪我をしたら令呪を使うと思いながらニャルラトホテプを呼ぶ、だよね」

「正解、絶対に守ってね」

 

 頷きながら「分かった」と返答する。

 怪我をしてからでいいのか不安だけど、令呪は三つしかないらしいし、信じるしかない。

 

「じゃ、バイバーイ」

「バイバイ」

 

 扉をスライドさせる音がするまで手を振り、急いで風呂にお湯を入れに行った。

 

 

「知れば知るほど不可思議な人の子だ。はて、あれは人の子か」

 

 

 体は洗って、髪も洗って、あとは湯船に浸かるだけ。

 

「ふえぇ~…」

 

 風呂は好き。温かくて、リラックスできるから。よく思い付いた景色を描いたり、アイデアを捻ったりしてる。

 散歩している時は景色が勝手に変化するから、のんびりできない。わたしの部屋は基本、本を読む場所っていう感じ。

 昨日一昨日とアニソンやら曲やらニャルラトホテプの宝具やらで高級材料が揃っているから想像しようかな、とか思ってたけど、少し考え事をしたくなった。

 驚きと面白味が詰まったこの数日で……目立ったものというか、引き金になった――聖杯戦争。

 あの人達と、聖杯を取るために殺し合う戦争。

 みんな、命を懸けてでも願いたいことがあって、一生懸命なんだなっていうのは、セイバーさんとランサーさんの戦いの音と殺気で分かった…つもり。一応、命を懸けるほどの願いがなくて、戦えないわたしが居ちゃいけないって思えるくらいには自覚してる。

 居心地悪くなるのも当たり前か。わたしの場合、巻き込まれて参加してるに過ぎないから。

 まぁだからといって辞退するつもりはない。ニャルラトホテプと一緒にいて楽しいし、それに……人前では言えないけど、戦ってる時の音、聴きたいから。

 片方が死んでしまったとしても………かっこよかったなぁ…あのカンッて音が……じゃない! わたしがしたいのは想像じゃなくて考えること!

 聖杯戦争の――聖杯について。

 

『夢月は聖杯に何を願うの?』

 

 あの時は何も出てこなかったから、本が欲しいなんてちっぽけな願いを応えたけど…うん、却下、論外。

 やるならもっと規模の大きいのとか、重要なものじゃないとダメだよね。奇跡が起こったと錯覚するような願い事じゃないと…。

 重要……何かある気がするのに……欲しいものじゃなくて、やりたいこととかなのかな…。それともただの思い違い…?

 とりあえず、貰ったらニャルラトホテプ…はいらないって言ってたから、お兄ちゃんにでもあげるか…儀式で血を用意してくれたのお兄ちゃんだし。

 貰えなかったら、頼み通りニャルラトホテプが負けたら、死んじゃったら…いなくなったら……。

 ……嫌だなぁ…。いなくなってほしくないなぁ…。

 でも、その時が来たら受け入れないと。

 …………。

 

「……そろそろ上がろかな」

 

 お湯から出てタオルで体を拭いてて、ふと、ちょっとどうでもいいことを思った。

 ニャルラトホテプは呼び捨てで、心ちゃんはちゃん付け。呼び捨ての方が親近感あるよね。

 ……呼び捨てか…。

 心と呼んで夢月と呼ばれることを脳内でシュミレーションしながら、適当に選んだ私服を着てドライヤーで髪を乾かした後、朝食を食べにリビングに向かった。

 

 ふざけんな…!

 リビングの近くに来て、心の中の第一声がそれだった。

 一人、誰かの咀嚼音がする。お父さんかお姉ちゃんのどちらかだろう。

 お父さんは黙りこくってるからまだしも、お姉ちゃんだったら……あと何分かかるかわからない以上、いなくなるまで待つのはできない。

 ああもうっ! なんで今日に限って朝から家族と二人も会わなきゃならないの?

 

「はぁ…」

 

 ため息一つついて、リビングに入り杖を椅子にかけて、席に着く。

 机の上には、例外なくいつもの通り朝ごはんが並べられていた。

 食パン、簡素なスープ、サラダ。

 スープを飲んで、食パンにありつく。メロンパンを食べたせいか、バターもジャムも塗られてない食パンに不満が出た。甘いものが食べたい。

 

「……ねぇ」

 

 口を開いたのはわたしではなく、若い女の人――お姉ちゃん。

 

「四日間もどこ行ってたの?」

「……どうして、そんなこと訊くの」

 

 残り半分のパンを皿に置き戻して、そう返す。

 

「どうしてって…今まで長くても二日で帰ってきたじゃん、なのに四日も帰ってこなかったから、心配で…」

「心配? 四日だろうが一週間だろうが一か月だろうが挨拶すらしない相手に? 上のお姉ちゃんがいなくなった時、一週間経っても捜索しようとしなかったよね。なのにわたしは四日間で心配になるの?」

「あの時だって心配してたよ。家族なんだから当然の感情でしょ!」

 

 姉の叫ぶ声に、わたしはどうにか物を叩きつけたくなる衝動を抑えて叫んだ。

 

「なおさら意味わかんないよ! 家族がいなくなったからって何を心配するの? そんな要素なんにも無いじゃん!」

「あるよ! あんたは目が見えないから誰が家に居るか判断できないんだろうけど、私は判断できるからそれだけで虚しさを感じて――」

「わたしの気持ち決めつけないでよ! 知った風な口しないでよ!! 目が見えないから余計に孤独感があったんだよ、誰もそこに居るって言ってくんなかったから! お姉ちゃんはわたしの孤独を埋めなかった、ならわたしがお姉ちゃんの虚しさを埋める義理なんてないっ!」

「悪かったよ。でも私だけじゃないよ。あんたの学校のクラスメイトと先生にも心配させてるでしょ。ただでさえ迷惑かけてるのに」

 

 こういうお節介をするから、わたしはお姉ちゃんが嫌いだ。

 傷つけるような言い方をするから、お姉ちゃんが大嫌いだ。

 

「何それ、わたしが迷惑な存在だって言いたいの?」

「そこまでは言ってないでしょ。目が不自由なんだから周りの人に気を遣わせてるってこと」

「っ! ……そ、れは…!」

 

 反論できない――ムカつく。

 言い返せない――ムカつく。

 ムカつく――ムカつくムカつくムカつくっ!!

 自分の腕を力強く潰すように掴んで――いたぶって、堪える。

 

「だから迷惑をかけないように努めて――」

「お姉ちゃん」

 

 痛いところをつかれて頭に血が上っていたけど、怒りを押し殺して要求ですらない指摘をする。

 

「何回も話してることだけど、いい加減偉そうにアドバイスするのやめて。あれだけほったらかしにしてたくせに今更育てようとするの腹立つの」

 

 途中からは杖を乱暴に回収して廊下に続く扉に向い、最後には開けていた。

 返事を聞かずに出ようとしていたけれど、上手くいかずに前半だけ聴こえてしまった。

 

「これはあんたのた――」

 

 扉を閉めた。音を遮断するために。

 そして一目散に自分の部屋に飛び込み籠る。

 わたしのためにアドバイス。そんなの散々聞かされたから知ってる、だからこそ嫌なんだってことも説明してる。

 今更なんでそんなことするのか動機がまるで分からない。理解できないよ。

 イラついて、怒鳴って、次は泣き崩れそうだ。

 

『ただでさえ迷惑かけてる』

 

 このセリフが頭の中をぐるぐる回って、いつまでも離れてくれない。

 痛い。

 すごく、痛い…。

 

「……っ、……」

 

 嗚咽を必死に噛み呑んで、学校に行く支度を始めた。

 心ちゃんに、相談したい…。

 


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