これは、始まる前の、始まりの物語。

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僕の世界が壊される、二十四時間前

 思い出せばそれは、とある夏の日のことだった。

 もうちょっと詳しく思い出せば、それは夏休みに入ったばかりの、八月二日の金曜日、夜のことであった。

 その時僕は、友人である青年──四条護(しじょうまもる)と共に自身が通う学校、公立雲ヶ峰高校の直ぐ側を歩いていた。

 部活帰りだったのである、僕と護はどちらも、新聞部へと所属していた。

 運動部でも無いのにそんな、日が沈むまで残るものなのか? と問われればまぁ、割とままある、と言って良いだろう。

 僕らの所属する新聞部は、僕と護の二人を含めた五人から成り立つ部活だ。

 そんな少ない人数の中、新聞部では毎週校内新聞なるものを発行しているのである。

 噂集めにでっち上げ、記事の作成等で毎日てんてこ舞いなのだ。

 因みに僕と護は大体ペアだ、今日も部長に命じられ、二人で他の部員が集めてきた情報を纏めて記事にしていた、というわけである。

 夏休みであるが為に週刊新聞はお休みだが──その代わり、夏休み明けに特別号を出すとか部長が言い始めたのだ。

 そんな訳で、僕らは……大体午後八時半、そのくらいの時間に二人並んでコンビニへと向かっていた。

「制服姿での買い食いは学生だけに許された特権である──」という部長の言葉を思い出したが、まぁそんなこと全く関係無く、普通に腹が減ったいたからだ。

 遠くに見え始めた看板にはデカデカと『7』の文字が輝いている。

 

「やっぱコンビニと言えばセブンなんだよな」

 

 それを視界に収めた後、隣にいた護がふと、僕を見ながらそう言った。

 彼は僕より身長が十センチメートルも高い──決して僕が低いわけではない、こいつがでかすぎるのだ。十六歳にして百八十とか嘘だろ──から、自然と彼は僕を見下ろして、僕は彼を軽く見上げる形になる。

 だから僕は、少しだけ首を上向きにしてから彼のその──やけに整った顔を見てから

 

「分かる、セブン何でも美味いよな」

 

 と言った。

 そこから続くのは「特にセブンのあれが好き」だとか「でもあれは他のところのが美味い」だとか「そういやセブンっていももちあるじゃん」「あぁ、あるな」「あれの食感、おっぱいと同じらしいぜ」「マジで!?」「Twitterで見たからマジだ」「……マジじゃん……」「……どうする?」「お前……けど……!」みたいな。

 高校生らしいと言えば、高校生らしい──どこまでも他愛のない会話をしていた。

 探してみればどこにでも転がっていそうなくらい、いや、事実どこにでも存在しうる、あまりにもありふれた言葉の応酬。

 それをポンポンと気軽に続けながら僕らは歩いていた。

 誰かが見れば、それをいつも通りの光景だな、とでも言うだろう。

 事実、そうである。

 僕らが二人で帰るのは珍しくない、どころか最早日常の一部であるからだ。

 そうして、二人揃ってセブンを出た後に買ったばかりのあったかおっぱ……いももちを、何故だか慎重に恐る恐る指で押して、何故だか感動して、何故だか笑い合ってから頬張った。

 その、後のことである。

 いももちを胃まで滑り落とした僕らの話題は、如何にも新聞部らしい、校内での噂にシフトチェンジしていた。

 護が「ちょっと聞いてくれよ」と言葉を切り出したのだ。

 

「今日さぁ、明日香先輩が持ってきた噂なんだけど」

 

「あー、六時くらいにニッコニコしながら持ってきたファンタジックな噂って言ってたやつ?」

 

「そうそう! あのくっそニヤけながら持ってきたやつ! それがまた結構面白かったんだよな」

 

「へぇ、どんな話なんだよ」

 

「えーとな、端的に言えば──」

 

 最近この辺で──妖怪が出るらしいって噂だ。

 と、護は言った。

 えええ?

 妖怪?

 

「そりゃまた、随分物騒な噂だな。鬼を見たやつでもいたのか?」

 

「いやいや、それがまたちょっと毛色が違くてさ、その妖怪……人らしいんだよ」

 

「……は? 人なのに、妖怪って意味わかんねーぞ」

 

「って思うじゃん? だから俺も当然聞いたんだよね。何か他の噂と混同してるんじゃないすか? ってさ。そしたら明日香先輩、ノンノンってしたり顔で指を振ったんだよ」

 

「うわうぜぇ……」

 

「いやマジでそれ……じゃなくて、その後にあの人言ったんだよ、えぇと……そう『それは人のようであって、決して人じゃない』って」

 

「何で分かるんだ? そんなこと」

 

「どうやらさ、その人──頭には狐の耳が、腰からは九本の尻尾が、生えてるらしいんだ。だから、人じゃなくて妖怪なんだってよ」

 

「……いや、それは幾ら何でも無理がないか……? 流石に、噂にしても荒唐無稽──というか、普通にオタクの願望が込められすぎだろ」

 

 狐耳に狐の尻尾て。

 今どき創作でももうちょい捻るぞ。

 

「や、俺もそう思ったんだよ。でもさ、明日香先輩は俺が言いたいことを見透かしてたみたいで、なんか言う前に()()見せてきたんだよ」

 

 そう言ってから、護は写真を一枚、僕に差し出した。

 やけに写りが悪く、また夜であるせいで分かりづらいが、そこには確かに狐っぽい誰かが、写っている。

 でも、えええ?

 

「いやこれあれだろ、コラ画像だろ……って言いたいとこだけど、作るなら普通もっと鮮明なものにするよなぁ」

 

「そうなんだよな……だからその辺が、逆に信憑性が高い──ていうか、噂性が高くなるって言えば良いのかな」

 

 人間は、不確定要素が多いものを好む。

 根っこの方では信じていなくても、大体の人間というのは心のどこかに「でも信じてみたい」「信じてみた方が楽しそう」といった気持ちが必ずあるからだ。

 だからこそ、頭っから否定できるだけの確定的な何かが無い限り、誰しもそれを嘘だとは言い切れない。

 断言できないということは、それが少しだとしても真実であるという可能性を肯定しているという訳で、だからこそ好奇心が刺激される。

 刺激された好奇心は調べようとしたり、誰かに話したりといったアクションを引き起こし、結果的に噂になり、モノによればドンドンと広がっていく、という訳だ。

 

「まぁ何にしろ、面白そうじゃないか? これ」

 

「確かに。正直言って今、滅茶苦茶好奇心刺激されてるよ、僕」

 

「だろー? 甘楽は絶対好きだって思ったわ」

 

「僕のことよく分かってんな……」

 

 そこまで言って顔を見合わせてから、また笑う。

 僕と護は、結構相性が良いのだ。

 人しての波長が合う、みたいな。

 

「まぁ、明日は土日で暇だし、ちょっと調べてみようかな」

 

 新聞部は基本的に土日は休みなのである。

 といっても、部室に来なくていいだけで、部長に言わせてみれば「少しでも噂とかを仕入れてこれたら一人前ね!」らしいのだが。

 そんな休みの日まで働かせるとか既にブラック上司の素質があるな、と思わざるを得ない。

 それにそこそこな頻度で従っている僕も、僕なのであるが……

 

「おぉ、そこまで? 結構乗り気じゃん、他に心惹かれるスクープとか、何か無かったんか?」

 

「何も無かったって訳じゃあないけど、僕的に今の話に敵うのは無かったかな」

 

「マジ? でも部長何か持ってきてなかったか?」

 

「あー、アレがあったか」

 

「アレって?」

 

「ニ年のさ、野球部の副部長いるじゃん。あの滅茶苦茶イケメンなやつ」

 

「あぁ、あの有名人の」

 

「そそ、あの人、三年の……えぇと、誰だったかな、す、春……なんちゃらさん……」

 

春宮(すのみや)先輩か?」

 

「あぁ、それそれ。その二人、付き合い始めたんだってよ」

 

「……!? マジで!?」

 

「部長が持ってきたから、間違いないだろうな……」

 

「う、うっそじゃん……ショック……」

 

 そう言って、護はガクリと肩を落とした。

 その顔は先程と比べれば、いささか陰気に包まれている。

 春宮輝夜(すのみやかぐや)

 今年の四月に転校してきた女子高生である。

 その人を一言で表すとするのであれば「深窓の令嬢」もしくは「高嶺の花」といったところだろう。

 実際座っている席も窓際なのだが──それは置いておくとして、彼女は誰からもそう言われるような人間だった。

 僕も一度だけ見に行ったことがあるのだが、正しく言葉の通り、といったところであると思ったのを覚えている。

 遠目から見ただけでも感じられる気品、物静かであるにも関わらず、存在感を遺憾なく発揮するその美貌。

 思わず人間離れしているな、と思った記憶が強い。

 で、そんな彼女は転校してきてからざっと……四十三人、だったかな。

 詳細まではもう、完璧には覚えていないが少なくとも四十人前後──つまり一クラス分くらいの男子に、彼女は告られていた。

 そして彼女は、その全てを断っている。

 告白した人の中には校内でも有名な生徒だったり、イケメンな生徒、男気のある生徒などなど、多種多様な人間がいたはずなのであるが、しかしその全てが彼女のお気には召さなかったのだ。

 この校内にはもう、彼女を落とせる男はいないとう雰囲気すら漂うレベルである。

 で、そんな中でも護はひっそりと彼女への想いを持ち続けていたという訳だ。

 とはいえこいつは結構……いや、かなり惚れっぽい性格であり、好きな人がコロコロ変わるようなやつだから心配はないだろう。

 一ヶ月前までは同部活の同級生である志島のことが好きだ、と熱っぽく何故か僕に電話越しに語っていたような男であるからだ。

 

「はいはい、ま、その内また良い出会いがあるだろうし、そう落ち込むなよ」

 

「うぅ……そんな出会いがあるなんて確証、どこにもないじゃねぇかよ……」

 

「大丈夫大丈夫、世界は広いってこの前読んだ小説でも書いてたし」

 

「本当か……?」

 

「マジオブマジって感じ」

 

「そうか、そうだと、良いなぁ……」

 

 そう言ってから護はハァ、と溜息をつき、その後にじゃあ、また来週……と絞り出すように言ってから目の前の別れ道を右に進んだ。

 それにあぁ、またな、と返して僕が進むのは、当然左であった。

 僕らの家は別に、直ぐ側にあるとかそういう訳ではないのである。

 フィクションでもあるまいし、近くもなければ遠くもない距離にあった。

 ここから僕の家までは歩いて五分、護は十分、といったところだ。

 会話がなくなったことによる若干の寂しさを感じながら、はよ帰ろ、と思い歩を早めれば、不意に胸ポケットに入れていたスマホが軽く震える。

 歩みを止めること無く取り出せば、画面には護からメッセージが表示されていた。

 

「俺、ちょっと春宮先輩について調べてみるわ、ね……まぁそれで気が済むなら良いんだけど、さ」

 

 ストーカー地味たことだけはするなよな。

 そう呟いた言葉は誰にも拾われず、ひっそり夜の闇へと落ち込み消えていった。

 

 

 

 そんな、次の日のことである。

 休みらしくお昼に起きた僕は三時には町へと飛び出して、ネットで検索しながらその辺の高校生や町の人へと聞き込み調査を開始していた。

 普通であれば、不審に見られてもおかしくない行動ではあるがしかし、「雲ヶ峰高校の新聞部なのですが!」と頭につけるだけでその不安は解消される。

 これまで続いてきた新聞部の、その先達の方々が散々聞き込み調査を行ってきていたから、この町近辺ではすっかり「雲ヶ峰の新聞部はそういうもん」という認識が定着しているのである。

 お陰で学ランを羽織ることで、聞き込み自体のハードルは下がったがしかし、有益な情報は中々出てこなかった。

 知っている人自体は多かった──主に、中学~高校生しか知らないようではあったが──が、しかし昨日護から聞いた話以上のことは聞けていない。

 とはいえ、そんなことは当たり前でもあった。

 噂にしか過ぎないものの調査というのは、大体の場合において難航するのである。

 今回もまた、その例に漏れずだった、というだけのことだ。

 

「だからといって、骨折り損のくたびれ儲けで良いのかと言われれば当然良くはないんだよな……」

 

 と、言う訳で。

 僕は夜になるのを待ってみた。

 夜──具体的に言うのであれば、真夜中の二時。

 所謂、丑三つ時というのを狙ってみたということである。

 「え?丑三つ時って三時じゃないの?」と思う人も多いかもしれないが、実は違うらしいのだ。

 僕も今回、グーグル先生に頼って知ったことであるが故に、ドヤ顔しながら言うことはできないのだが、丑三つ時というのは午前二時から二時半のことを指すらしいのである。

 なのでまぁ、頑張って二時まで待ってみた、ということだ。

 何故そんなことを? と言われれば少しばかり返答に悩んでしまうのだが、しかし端的に、かつ率直に言うのであれば、僕はオカルトなのであれば、オカルト的に調べてみよう、と思ったのである。

 つまり、この町に一つだけある神社を、丑三つ時に調べてみる、ということだ。

 因みにこのことを護に伝えてみたら「さてはお前、頭悪いな?」と爆笑された、解せぬ。

 ついでにではあるが、一応俺も起きておいてはいるぜ! 何かあったら連絡しな! と言ってくれはしたのだが、先程から返信が無いためあいつは多分寝た。

 使えねぇ……

 いやまぁ、別に宛にはしてないから別に良いんだけれども。

 そんなことを考えながら、幾つも鳥居が並べられた酷く長い階段を足早に進んでいく。

 

「結構、しんどいな……!」

 

 調査はいつだって己の足でするものよ! という部長の言葉により、調査する際は大体徒歩である僕は、体力はある方──とはいえ、運動部と比べれば当然劣るのだが──なのだが、それでもそう言葉を漏らしてしまうほどにはこの階段にはしんどいものがあった。

 ……否、言葉を漏らしたのは、それだけではない。

 この真夜中の雰囲気がちょっと怖すぎて、誤魔化す為に声を出した、というのもある。

 いやだって普通に不気味だろう!

 真夜中! 木々に囲まれた階段! 連続した鳥居! 先にちょっとだけ見える神社!

 最早ビビる要素しか無いまであるくらいだ。

 だがここで逃げ帰るのはいささか格好悪い。

 仮に逃げでもしたら護に爆笑され、更にそこから部活内に話が広まり暫くはネタにされるだろう。

 そうなれば普通に僕が恥ずかしい。

 それだけは、避けなければ……!

 そういう思いで、二段飛ばしくらいの勢いで進むこと十分程度。

 僕はようやく、階段を登りきることに成功した。

 

「ぜっ……はぁ、はぁ……」

 

 全然普通に滅茶苦茶息切れしたが、まぁ必要経費というやつであろう。

 兎にも角にも登りきれた、辿り着いたという事実が大切なのだ。

 お待ちかねの時間は、これかなのだし!

 

「って、思ったけど、何をどう調べたら良いもんなんだろうな」

 

 そもそも街灯一つしか無くてめっちゃ暗いし、調べようが無くないか?

 そんな、あまりにも今更なことを考えながら、それでも一先ず街灯の下へと向かう。

 何だか気分的に暗いところにはいたくなかったのだ。

 なるべく、光の当たる場所にいたかった。

 それは本当に深く考えた結果による行動なのではなく、ただ街灯には背中を預けて休むこともできるな、程度の思考しか混じっていない、ともすれば気紛れにも近いものだった。

 そしてその気紛れは、きっと僕至上、最も安直に従って良いものではなかった。

 何故なら──何故ならば。

 街灯の近くに生える木々の、その一本。

 微かに溢れた光が照らしたそれなりに太い樹の下に、『それ』がいたから。

 

「そこの、貴方──」

 

 否、『それ』ではない。

 そこにいたのは、一人の女性であった。

 血に塗れた、一人の女性がそこにいた。

 四肢を失ったりはしていないがしかし、その代わりとでもいうように、彼女の腹には巨大な穴が空いている。

 まるで──そう、まるで。

 巨大な獣に食い千切られでもしたように。

 どう見てももう死にゆくのが、僕のような素人目でも分かるほどの致命傷。

 それを抱えながらしかし、彼女は僕を見ていた。

 微かな光ですら満遍なく、美しく弾く金の長髪から覗いた真紅の瞳が、僕を捉えて離さない。

 

「貴方、ねぇ、私を……助けてみない?」

 

 そうして、彼女はそう言った。

 力なく垂れ下がった両腕をそのままに。

 ダラリと伸ばされた足をそのままに。

 起き上がる気力も無く、大樹に預けた背中をそのままに。

 けれども、ほんの少しの余裕を持って。

 彼女は、僕にそう言った。

 

「た、助けるって──けど、え、いや」

 

 だが、その女性と対象的に僕は、酷く動揺をしていた。

 余裕さなど欠片もない。

 只管に目に前の光景に驚き、慄いていた。

 舌さえ上手く回らない程度に僕は、ビビっていたのだ。

 そんな僕を見て、しかし彼女は言葉を紡ぐ。

 

「救急車とか、そういうのはいらないわ。だって、そんなことには意味がない──というか、待っている間に死んじゃうわ。だから、ねぇ、貴方、私を、助けてくれない?」

 

「い、いや──そんな、こと、言われても。だって、救急車でも助からないなら、もう、ダメなんじゃ──」

 

「大丈夫、大丈夫よ。ちょっと近づいてくれるだけで良い、うん、それだけ充分よ。そこまでしてくれれば、私の方で全部やるから」

 

「な、何だよ、それ……」

 

 そんなの、怪しいに決まっているだろうが。

 それでホイホイ近寄っていって、食われでもしたら溜まったもんじゃない!

 そう言えば、しかし彼女はぽかんとしてからフッと笑った。

 笑ってから、少しだけ血を吐いた。

 

「ちょっと、笑わせないでよね。人を食べるなんてそんな、妖怪でもあるまいし……」

 

 ──妖怪。

 彼女が放ったその一言で、急激に思考は加速した。

 いや、加速した、というよりは。

 記憶が、一気に蘇ってきた、という方が適切だろう。

 昨晩、護から聞いた言葉が、鮮明に蘇る。

 

『どうやらさ、その人──頭には狐の耳が、腰からは九本の尻尾が、生えてるらしいんだ。だから、人じゃなくて妖怪なんだってよ』

 

 目の前の女性は別に、耳が生えているだとか、尻尾が生えているだとか。

 そういった特徴は無かったがしかし、妖怪なんてワードを出されると、もしや普通の人に化けているだけなのでは、と思ってしまう。

 ただでさえ、只者で無さそうな雰囲気を彼女は醸し出しているのだから。

 そういう訳で、僕は完全にそう、思い込んでしまった。

 それに加え、状況の歪さに、僕は少しテンパりながら

 

「ぼ、僕は噂を調べに来たんだ。そう、正しく妖怪の──狐の耳と尻尾が生えているとかいう、妖怪の調査を! お、お前が、そうなんじゃない、のか!?」

 

 そう、言葉を吐き出した。

 吐き出した、その瞬間のことだった。

 

「巫山戯ないで!」

 

 アレほどまでに弱っているように見えた彼女が、その瞬間激昂し、垂れ下げられていた片腕で地を殴りつけた。

 叩きつけられた地面が、わずかに砕け、凹んでいる。

 な、なんだこいつ……

 そう、思うのと、彼女が勢いよく血を吐き出すのは同時のことだった。

 ゴホゴホと、咳をする度に大量の血が、彼女の身体から抜き捨てられていく。

 しかし、それでも彼女は血に塗れたまま、口を開いた。

 

「あんな──あんなものと、一緒にしないでくれるかしら。第一、私のこの傷は、そいつにやられたものなのよ」

 

 血と共に、彼女はそう吐き捨てる。

 それから更に彼女は何か、言葉を続けようとしたがしかし完全にガタが来たのか喋ることは叶わなかった。

 ただ、幾度も血を吐き続け、それからグッタリと、横に倒れ伏した。

 そこまで来て、漸く僕の足は動き出す。

 ──いや。

 動かせる状態にはなった、と言うべきだろう。

 感じていた怯えはそのままだがしかし、完全に硬直していた足を、そっと後ろに引き戻す。

 いや、いや──だって。

 怖い、だろ。

 僕は何かを知っているわけじゃあない。

 これを見て、何かを敏感に察したわけじゃあない。

 けれども、目の前のこの女性は明らかに只事ではない事態のど真ん中にいる分かる。

 今、助けに行けばきっと僕も巻き込まれるだろう。

 もしかしたら──今の彼女のように、死に瀕することだって、ありうるかもしれない。

 ──死ぬのは、嫌だな。

 今ならまだ、間に合うはずだ。

 逃げ帰ることは、許される。

 何も見なかったことに、できてしまえる。

 どこまでも怪しいその女性に背を向けられる。

 この異常な光景を、夢だと思いこむことが、まだできる。

 そうするのが、一番楽で、無難で、尚且自分の身を守れる、最善の手だ。

 何の力もない、ただただ平凡な高校生ならとっても許される選択肢──その、筈だ。

 

「だってのに、僕は何でこんな、馬鹿みてーなこと、してるんだろうな……」

 

 動けるようになった足で、それでも僕は、彼女へ近寄った。

 勢いのままに、駆け寄った。

 何故そうしたのかなんて言われたら、正直僕にだって分からない。

 疲れや眠気のせいで判断力が鈍っていたのも、あるかもしれない。

 だけど、それでもこの判断を後押ししたのは──何故だか胸に湧き上がった、良く分からない感情だった。

 このまま見捨てたらずっと後悔するんだろうな、と思えるくらいのモヤモヤが、胸を支配していた。

 それだけだ。

 だから、だから。

 僕は彼女を、助けよう。

 

「ほら、来てやったぞ、後はそっちが何とかするんだろう」

 

 そう言って、彼女の身体を抱えて起こす。

 さっきまでと同じように、樹へと背を預けさせるようにゆっくりと支えてやる。

 来ていた服に彼女の血がべっとりとついたが、気にすることはなかった。

 何だか、色々と投げやりになっていたとも言う。

 

「あら……てっきり、逃げる、と、思ったの、だけれども……」

 

 そんな僕を見て、彼女は弱々しげにそう言った。

 最早喋るのだって辛そうなのに、それでも絞り出すように、言葉を放つ。

 

「僕だって……僕だって、そうするのが一番楽だと思うさ。だけど、そうするのは何でか知らないけど癪だった、それだけだ、早くしろ!」

 

 正直言って、今でもこの選択が正しいのかも分かっていない。

 今からでもギリギリ逃げ出しても良いのでは、という思考があることも、否定できない。

 だからこそ、やるならいっそ、早くしろよ、とそう思う。

 

「良い、のね」

 

「今更確認とかすんのはやめろ、気が変わっちまいそうになるだろ」

 

「……そう、ありがとう」

 

 そう言って彼女は。

 グッと僕を引き寄せた。

 正確には、僕の頭をグッと引っ張った。

 ──うわぁ、やっぱり食われちまうのかな。

 そう思ったのは一瞬にも満たない瞬間だけで。

 次の瞬間、僕と彼女の口はくっついていた。

 ……くっついていた!?

 は? は? は──!?

 動揺したのは、これもまた一瞬だけのことだった。

 僕が何かをする前に。

 僕が何かを言う前に。

 口内に何かが滑り込んできて、同時に痛みが走る。

 大した痛みではなかった。

 精々舌を噛んだような──というか、本当に、多少血が出るくらいの程度の力で舌を噛まれた。

 動揺に驚愕が重なって、思考が止まる。

 なんなんだこいつ──と、そう思うより先に、僕の意識は闇へと落ちた。

 

 

 

 ゆるりと、意識が戻る。

 突然だった訳でも、唐突だったわけでもなく。

 至極ゆっくりと、ゆるやかに僕の意識は回復した。

 無論、木々に囲まれた中でもなく、はたまた神社の前でもなく。

 丁寧に敷かれた布団の中で。

 僕はゆっくりと目を覚ます。

 

「何だ、夢か……」

 

 等と、言ってしまえればどれだけ良かっただろうか。

 いや実際口にした訳ではあるが。

 だからと言って現実はその思いに応えてはくれなかった。

 何故ならここは、僕の部屋ではなかったからだ。

 もっと言うのであれば、全然見たこと無い場所である。

 「少なくとも僕の部屋じゃねぇな」ということしか分からないくらいには知らない場所だった。

 ……いや、普通に参ったな。

 どこだよ、ここ……

 そう思うと同時に身を起こそうとして、しかし失敗した。

 力が入らなかった、という訳ではない。

 むしろ身体は寝起きにしては軽いほうだと思えるくらいで、じゃあ何故失敗したのかと言えば、純粋に右腕が上がらなかったのである。

 そう、まるで何かに固定されたかのように、動かな──。

 思考はそこで、寸断された。

 

「は、え? 何?」

 

 意図せず、言葉が口端から転び出る。

 何故なら、何故ならば、そこには──一人の女性が、寝転んでいたからだ。

 純黒の長髪をゆるりと流した女性が、僕の右腕を抱え込むようにして眠っている。

 ──なるほど、ね。

 僕は、その異常事態を目にして、しかし冷静さを取り戻すことに成功した。

 というか、あまりに異常過ぎて、僕は気付いたのだ。

 

「これ、やっぱ夢だぁ……」

 

 僕も一人の男子高校生。

 このくらいの夢を見るのはまぁ、致し方ないだろう。

 思春期の男の子なんて、そんなものなのである。

 許せ!

 そう思ってから僕は、もう一度眠ろうとして──

 

「あら、目が覚めたのね、おはよう」

 

 しかし、それより速く放たれた言葉により、遮られた。

 僕の右腕を離してから、ゆっくりと背を起こし、彼女はそう言ったのだ。

 そう言ってから、己の顔を隠すように垂れていた髪の毛をそっと払った。

 そこから現れるのは、あの日の夜に見た、女性──()()()()

 いや、正確に言うのであれば似ている、滅茶苦茶似ている。

 髪の毛とその瞳が、黒でなければ正しくそうであっただろうが、しかし、違う。

 その人は、その人は──

 

「春宮輝夜……?」

 

「あら、私のこと、知っているの? もしかしてファンの子かしら?」

 

 いや。

 いやいやいやいやいや。

 え、えええ!?

 

「嘘だろ……」

 

「何が?」

 

「何もかもだよ!」

 

 説明してくれ!

 そう言えば、彼女──春宮……先輩は、それもそうね、と言った。

 時間もないし、手早く行きましょう、と。

 言ったその瞬間から、雰囲気が変わる。

 変質した、と言っても良いだろう。

 彼女を取り巻く空気が、異質なものへと変化した。

 

「さて、一先ず今必要なことだけを伝えましょうか。端的に言えば──私と貴方は、契約を交わしたわ」

 

 ……ん?

 待て待て。

 

「いきなり専門用語を使うんじゃない、頭が追いつかないだろうが……!」

 

「あら、貴方──甘楽君は、アニメとか小説とか、あんまり見ない感じ?」

 

 名前をおさえられていた。

 えっ、いやなんで知っている!?

 そう聞けば彼女は学生証見させてもらったわ、とさらりと言ってから、もう一度聞くけど──サブカルチャーとかには、興味無いの? と言った。

 その問い、そんなに大切なことなか……?

 

「いや、どちらかと言えば、結構楽しませもらってる側の人間だよ。これでも僕は結構、読書家だったりするんだ」

 

「それなら良かった、ならそういう──創作的な知識をもとに、言葉の意味を理解してもらって構わないわ。大体、間違っていないから」

 

 えぇ……?

 何だそれ……。

 説明、雑すぎないか?

 

「良いのよ、ニュアンスで理解して?」

 

「僕もびっくりなくらいの雑さだ……」

 

 だが、まぁ。

 良いだろう、これでも半年ほど新聞部に所属している僕だ。

 あやふや噂、根も葉もない噂、アホらしいくらいありえない話。

 それらを何とかそれっぽく記事にしてきた実績のある、新聞部部員である。

 その手のものをテキトーな理解に落とし込むのは、得意中の得意なことだ。

 さぁ、どっからでもかかってきやがれ!

 

「威勢が良いわね、頼もしいわ」

 

 そう言って彼女は笑った。

 如何にも絵になるような、酷く──酷く美しい笑みを浮かべて、それから。

 それからその小さな口からは、荒唐無稽な……ともすれば、下手な噂よりもひどい話が、しかし悠然と語られ始めたのだった。

 

 

 

 時之加具宮(ときのかぐみや)

 それがあの日、彼女の腹を食い破った()()の名である、らしい。

 何故そんなことに陥ったのかと言えば、彼女はそういう、妖怪の類を祓うプロフェッショナル──通称を巫女、と言うとのこと──らしいのだ。

 毎晩、とは言わないが結構な頻度で多種多様な妖怪と、戦っているらしい。

 らしいばっか使ってんな、僕……。

 まぁいいや。

 それで昨晩、僕はその妖怪──時之加具宮──によって瀕死まで追い詰められた彼女──春宮輝夜と、契約をしたとのことだった。

 その──アレだ。

 あの気を失う瞬間、僕がされたやつ──キスとか、接吻とか言うやつだ。

 契約には、互いの血を取り込むのが必要なのだとか(因みに、こういうこと慣れてるのかと聞いたら顔を真っ赤にされたのでそういうことではないらしい。その割には躊躇無かったな、と思った)。

 ここで言う、契約というのは所謂、雇用契約とかそういうのでは当然なくて、言わば魔術的な契約というやつだ。

 僕ら人間の身体には、魔力というやつが流れているらしいのだが、その契約を行った場合、契約相手の魔力を好き放題にできるらしいのだ。

 

「私ほどの使い手になれば、魔力で血肉を再生することくらい、簡単なことなのよ」

 

 と、彼女は言っていたから、そういう回復行動自体は結構難易度高めっぽいのが見て取れる。

 それはつまり、彼女がその……巫女というやつの中でも、結構強めなポジションの人間であることを示していた。

 ……というか。 

 

「それを理由に契約したなら、僕、もういる意味なくないか? 身体は治ったんだろうし、その契約ってやつも、もう切って良いんじゃないのか?」

 

 そう思ったのは、当然のことだった。

 当たり前に、思いついたことだった。

 だが、彼女は残念そうに首を振る。

 

「そんな簡単なことじゃないのよ。契約というのは一生に一度のみできるもの、一度してしまえば、解くことは叶わない。私達の魔力はもう完全に混ざり合ってしまって、互いなしではもう生きていけないの」

 

「は、ぁ──?」

 

 何だその意味不明な設定は──!?

 

「ちょっと、設定とか言わないでよね、私だって不満が無い訳じゃないんだから」

 

「あんたのちょっとの不満と僕の多大な不満を一緒にするな──!?」

 

 というか、取り敢えず。

 何でそんな意味不明な理論が出てくるのか、説明を求める!

 

「魔力ってのは、普通の人で言う血と同じもので、なければ死んじゃうのよね。それで、魔力というものは、色があり、形があり、大きさがあるものなの。そしてそれは、千差万別、人によって何もかも違って、同じなものは何一つ無い。そして当然、その人はその人だけの魔力しか作れない。だから混ざり合ってまた別の魔力が身体を循環するようになった私達は、互いに自分だけの魔力を作り出し、それを二人の身体で混ぜ合わせて、循環させるしかない、そうしなければ、死ぬしか無くなってしまう、という訳なのよ」

 

 まぁ、片方が死ねば、その全てはもう片方に取り込まれて、一人でもちゃんと魔力を作れるようになるけれども、と彼女は付け足した。

 

「長文すぎる上に重すぎるだろ……」

 

 想像以上にドギツイ設定じゃねーか。

 僕じゃなきゃ泣いてたぞ?

 

「私が言うのもアレなのだけれども、これをその程度の軽さで受け止められる、貴方もどうかと思うわ……」

 

「いや本当にアンタが言うのかそれ? って感じだな、おい」

 

 まぁ別に、ショックを受けていないわけじゃあないのだ。

 僕だってそれなりにちゃんと受け止めている。

 その上でこんな軽口叩けているその理由は、まぁ端的に言うのであれば。

 現実感の、欠如であろう。

 契約の印らしい、首筋にできた青い紋様を触りながら、そう思う。

 全く、馬鹿馬鹿しいくらいに現実味がない。

 あの日の夜からずっと続いている高揚感と、突然教えられた大量の情報により引き起こされたパニックとでも言えるものが、それを冗長させていた。

 

「まぁ、何だ。一先ず理解はしたよ。理解はしたけど……結局僕は、何をどうすりゃ良いんだ?」

 

「んー? それは勿論、私と一緒に、戦ってもらうわ」

 

「え……?」

 

「驚くことはないでしょう、話の流れ的にも、そうだったじゃない」

 

「えぇ!? そんな流れだったか!?」

 

「当たり前よ、それとも私を一人で戦わせるつもりだったの?」

 

 全くもってそのつもりであった。

 何か魔力を自覚したら自然と戦える術に目醒めるとかも言ってた気がするが。

 目覚める気配も微塵も無いし、普通にそう考えていた。

 

「この薄情者!?」

 

「えぇぇ!? 僕が悪いのか!?」

 

「冗談よ」

 

「切り替えが早すぎる! 一瞬で真顔に戻るな!」

 

 全然キャラが掴めなくて普通にこえぇよ!

 

「大丈夫、貴方のお陰で身体も治ったし、一人でも戦えるわ」

 

 だけど彼女は──春宮先輩は静かに言った。

 内側に確固たる決意を持って、何かの覚悟を決めたかのように。

 彼女はそう言った。

 

「……一つ、聞きたいんだけど」

 

「何かしら」

 

「前、戦って負けたんだろ? 今回戦って、勝つ確立ってのは、どのくらいなんだ?」

 

「そう、ね……一パーセントにも満たない、ってところかしら」

 

 そう、春宮先輩はさらりと、何てこと無さげに言った。

 勝率が低すぎることを分かっていながら、それでも立ち向かうのだと、彼女は言った。

 そうするのが当たり前のことである、言わんばかりに。

 

「何で、そこまでして戦おうとするんだ? 逃げたって、別に良いだろう」

 

「それが、そういう訳にもいかないのよね」

 

「そりゃまた、何で」

 

「放っておけば、この世界、滅んじゃうもの」

 

「は……?」

 

 今日、何度目かの驚愕。

 放り出された言葉を前に、またも僕は。

 焼き増しのように呆けて口を開けてしまった。

 呆然と、魂が抜けていっちゃうんじゃないかと言わんばかりに。

 

「随分、スケールが、でかいな」

 

「そう驚くことでもないのよ? こういうのは結構日常茶飯事なの」

 

「生きてる世界が違いすぎる……というか、そんな一言で納得できるかよ……」

 

「それも、そうね。折角だし、時之加具宮についても、話しましょうか」

 

 といっても、それこそ難しい話じゃないのよ、と彼女は言った。

 どこにでもありふれていそうなくらい、あるあるな話である、と。

 

「時之加具宮は、時を渡り、時を操る妖怪。その気になれば、朝を突然夜に、夜を突然昼に変えられるし、もっと言えば時代すらも変えられる……そうね、簡単に言えば、私達の通う学校、あるじゃない? あの学校の時間だけを巻き戻して更地にすることも、時間を進めて廃墟にすることもできる、ということ。そんな妖怪は今、世界を標的に捉えて時間を滅茶苦茶にしようとしている」

 

「えぇぇ……何だそれ……最強じゃん……」

 

「因みにその姿は人に近く、されど人ではない。その頭からは狐の耳が、その腰からは九本の尾が生えている──」

 

 うわめっちゃ心当たりある──!

 思いっきり僕が追ってたやつじゃねーか!

 巡り合わせが最悪過ぎるだろ!

 

「まぁそういうことなのよ、だから私は、戦わなくちゃいけない」

 

「……死ぬかも、しれないのにか?」

 

「当然よ、だってもし戦わなかったら、私はきっと後悔するわ」

 

「後悔?」

 

「えぇ、きっと滅びを感じるその時に『あぁ、足掻けるだけ足掻けば良かった』って、私は必ず思う。その確信がある。だから、私は戦うの。それで死んでしまったとしても、それなら私は、悔いはない」

 

 それに、倒せるのは今だけだしね、と彼女は言った。

 時間を操る力そのもので世界を覆い尽くす為に今、時之加具宮は他のことにその力を使えないらしい。

 だから、平常時に戦うよりは些かハードルは低い、と。

 彼女は言った。

 ──だがそれは、ある種強い人間だけの理屈である。

 美しくあろうと、思える人間の理屈であった。

 これが物語の中なのであれば、間違いなく主人公とか、そういう類の人間のみが持ちうる、絶対的ない希望の在り方だった。

 世の中には、滅ぶというのなら黙ってそれを受け入れる、という人間だって多くいる。

 なればこそ、その在り方は、とても綺麗なものに見えた。

 そう、見えてしまった。

 

「そっか……うん、そっか」

 

「納得してくれたなら、何よりだわ。私ももう、行かなくちゃいけないし」

 

「行くって、どこへ?」

 

「当然──時之加具宮の元へ。時間、もう結構無いのよね」

 

 ちょっと、話し込みすぎちゃったかしら。

 もう少し手早く説明できると思っていたのだけれども、自分の口下手さが嫌になるわね、と。

 彼女は言った。

 ──何だよ、それ。

 

「時間にして、後二時間ちょっとと言ったところかしら、それを過ぎれば世界は終わるわ、だから、行ってきます」

 

 それじゃあ、私の無事を願うくらいはして待っててね、と。

 彼女は僕に背を向けた。

 見せつけられたその背中は頼もしくも、淋しげで。

 何より華奢だった。

 だからだろうか。

 思わず僕は、その手を取った。

 取って、しまった。

 

「──どうしたの?」

 

 そう、かけられた言葉が、酷く重い。

 僕の決意へと沈み込むように、落ちてくる。

 だが、それでも。

 

「僕も、連れて行ってくれ」

 

「死ぬかも、しれないよ? というか、十中八九死ぬけど。それでも良いの?」

 

「アンタの話が本当なら、どっちにしろ、死んじまうんだろ。それに、仮に勝ったとしても相打ちとかだったりしたら、それでも僕は死んじまうじゃねーか。それなら、僕は……僕だって、死ぬなら、死に場所くらいは自分で決めさせてもらいたい。それだけだ」

 

「……ごめんね」

 

「謝るなよ、謝られたらそれこそ、僕の立つ瀬がない。アンタを助けるって決めたのは、結局僕なんだから」

 

「そっか……それも、そうね。じゃあ、こう言わせてもらいます」

 

 そう言って彼女は。

 春宮輝夜は、ふわりと笑う。

 もうその笑顔だけで世界が救えるのではと、脳内お花畑になってしまいそうなくらい可憐な笑みを彼女は僕に見せてから、やはりこう言った。

 

「ありがとう」

 

 と。

 

 

 

 そんなやり取りをした、その十数分後。

 僕らは二人揃って、あの神社の元へと来ていた。

 彼女いわく、時之加具宮はそろそろ、此処に来るらしい。

 特に理論立てて言われたわけではないが、しかし直感的にそれが事実であるということだけは分かった。

 分かった、というか疑う余地は無かった。

 僕はこの時、彼女に全幅の信頼を置いていたからである。

 とはいえ、緊張というのはするもので。

 

「そういえば、一つ聞きたかったんだけど」

 

 夜にしては明るすぎるくらい、明るい満月を眺めながら口を開く。 

 

「何かしら?」

 

「野球部の副部長さん、いるだろ?」

 

「……うちの高校の?」

 

「そうそう、えーと、確か……」

 

「加賀くん」

 

「それ! 加賀先輩! 加賀先輩と、付き合い始めたって聞いたんだけど、本当なのか?」

 

「……? 何、それ? 面白いこと言うのね、甘楽君は」

 

「あ、あれ、違うのか……」

 

 うちの部長にしては珍しく、嘘の情報を掴まされたということなのだろうか。

 いや、本当に珍しいな……

 

「告白されたのは本当だけれど断らせてもらったわ。だって、ほら、私こういうことしてるでしょ? だから、誰とも付き合わないようにしてるのよ」

 

 いつ死んでもおかしくないのに、付き合いの深い人を作るべきじゃない、と彼女は言う。

 

「なるほど、ね。そりゃ確かにその通り、といえばその通りだ」

 

「でしょ? だからね、実を言うと私、これでも結構期待しているの」

 

「期待?」

 

「えぇ、期待。この戦いが終わったら、毎日一緒にいてくれる人と過ごせる日々が、あることを」

 

「へぇ、そいつは良いな、アテでもあるのか?」

 

「当然じゃない」

 

「名前、聞いても?」

 

「はぁ……名前は、そうね──鏡弥甘楽(かがやみやかんら)っていう子なんだけど」

 

 へぇ、鏡弥甘楽。

 中々、珍しいなま、え──って。

 

「僕じゃねーか!?」

 

「そうよ、貴方よ」

 

「何でぇ!?」

 

「何でも何も、あるものですか。今、私の最も秘密にしなければならないことを、貴方は知ってしまったし、何ならこの世で最も深い絆を結んでしまったんだから」

 

「結婚みたいに言うんじゃねー! これは事故的なアレだろ!」

 

「私とは、嫌?」

 

「え、いやっ、それは……その言い方は卑怯じゃないか!?」

 

「なら良いじゃない」

 

 納得いかねぇ……

 けれども上手い返しが見つからないのもまた、事実であった。

 そんな僕を見て、彼女はそういえば、と口を開いた。

 

「甘楽君、私に思いっきりタメ口なのに、呼ぶ時は先輩付けよね」

 

「え? あー、確かにそうかも……ですね、気をつけます」

 

「あはは、良いわよ今更。それに私は敬語とか使われる方が苦手なのよね、もっと言えば、先輩もいらないわ」

 

 え、マジで?

 それは有り難くはあるけれども、良いのか?

 そう思ったがしかし、今更過ぎる疑問だな、と思い直す。

 

「じゃあ、春宮って呼べば良いのか?」

 

「ん、んーそうね、ちょっとしっくり来ないわ……よし、貴方、私を名前で呼びなさい」

 

「へ?」

 

「だから、名前で呼びなさいと言ってるの、ほら、プリーズアフターミー、輝夜」

 

 えぇ、いや、それは……

 普通に、恥ずかしさがあるんだけど……

 そう思ってそう言おうとするがしかし、彼女の眼は期待に満ちていた。

 もう、はっきりと目に見て分かる程度には期待に満ち満ちていたのだ。

 

「か、輝夜……」

 

 それを、流石に裏切るわけにはいかないと絞り出すように言ったが、出てきたのは酷くか細い声だった。

 しかもちょと裏返ったし、恥ずかしいってレベルじゃないな……

 だが、それでも彼女は満足したようだった。

 嬉しそうに頬を緩めているのが、それを如実に示している。

 

「さて、雑談はこの辺までにしましょうか」

 

 唐突に、彼女はそう言った。

 何となく、いつまでも続くのではと。

 どこまでも続けられるのではと。

 思っていたその空気を彼女は終わらせた。

 それは、つまり。

 そういうことなのだろう。

 彼女が一歩前に出て、何かを言った。

 言うと同時に、彼女の足元は光り輝いた──それこそ、僕の首筋に刻まれた、契約の印みたいな紋様が彼女の足元には広がったのだ。

 そうしてそれは、地面から剥がれて彼女に纏わり付き──そして。

 彼女は姿を変えた。

 真っ暗な夜を閉じ込めたような黒髪は、あの日と同じ金色に。

 見つめられればどこまでも沈み込んでしまうのではと思うくらい黒い瞳は、あの日と同じ赫色に。

 輝夜は姿を変えた。

 そしてその手には、美しい、銀色の剣が握られている。

 

「これが、魔法……」

 

「そう、これが私の、私だけの魔法。夜にだけ輝く光──つまり、月の光が強ければ強いほど、己を特別にできる魔法。今夜は満月だから、最高のコンディションね」

 

 甘楽君も魔法自体は発現してると思うけど……どうなんでしょうね。

 発現しているのと、発動できるのとは訳が違うし──そも、戦闘向きじゃないかもしれない、と。

 彼女は言って剣を地に突き立てた。

 ──そう。

 魔法というのは、一人につき一つらしいのだ。

 魔力と同じ、ということだ。

 そして僕は、その自分の魔法とやらを全く把握できていなかった。

 何か強い心に応じて発動するとか言っていたが、イマイチ意味が分からなかったのだ。

 

「いやまぁ、魔力自体は何か使えるっぽいし、最低限足を引っ張るってことは無さそうだけど……」

 

 それでも、やっぱ不安が残るよな、と。

 言おうとした。

 言おうとして、しかし言葉を呑み込んだ。

 呑み込まざるを、得なかった。

 何故なら、何故ならば。

 僕らの目の前──何もないその空間が。

 まるでフィクションみたいに、歪んだからだった。

 

「来る! 構えて!」

 

 それを見て、輝夜は叫ぶ。

 突き立てた剣を引き抜いて、一気呵成に突っ込んだ。

 同時、歪みは急激に広がった。

 広がって、そこから出てきた腕に、止められた。

 

「カカカ、威勢の良い小娘じゃ……まだ、死んでおらんかったとはのぉ」

 

 そう言って。

 輝夜の振るった剣を押しのけながら現れたのは、金色の耳が頭に生えて、九本の尾が腰から生えた女性であった。

 時之加具宮。

 その人──妖怪、である。

 今の輝夜と同じような金髪で、しかし彼女とは正反対の、蒼い瞳が僕を見据える。

 

「ハハァ、なるほどのぉ。小娘、お主そこな男と、契約したな?」

 

「それなら、何だって言うのかしら」

 

「ククク、無駄なことじゃよ。今更契約なんぞしたところで、お主と儂の力の差は、埋められん」

 

「それは、どうかしら!」

 

 言って。

 彼女は剣を振るう。

 それは正しく神速の一撃だった。

 ピッと薄く、しかし確実に。

 彼女の一撃は妖怪の頬を切り裂いた。

 そこかなら流れた血を、妖怪はいやに伸びた舌で掬う。

 

「ク、カカ、カカカカカ! 良かろう! 確かに昨夜よりは、楽しめそうじゃ!」

 

 そこから起きた戦いを、僕は何と表現するべきだっただろうか。

 簡単に言葉に封じ込めるべきではない、そう思えてしまうくらいに凄惨で、それでも美しい、戦いだった。

 血と血が舞って、度々起こる爆発が空間を歪め、そして散った魔力が粉のようにキラキラと空を流れていく。

 先程まで何とか戦えそうか、なんて思っていた僕が間違いだった。

 僕なんかでは手出しすることが最早、烏滸がましいと思えるほどの戦闘。

 まるで多種多様な災害を小さく、一つに無理やり纏めたかのように光景は、僕にそう思わせるには充分過ぎた。

 剣戟は響く、笑い声が木霊する、叫びが響き渡る、僕の身体を流れる、彼女と同じ魔力が凄まじい勢いで削れて無くなっていく。

 それはつまるところ。

 互角に見えて、しかし輝夜はあまりにも劣勢であることを、示していた。

 何とかしなければと、そう思う。

 けれどもその正反対に、僕の身体はあの日の夜のように動かなくって。

 そうして。

 その時は来た。

 

 

 

 グラリと、輝夜の身体が崩れ落ちた。

 あの日のように血を吐き出して、狐の妖怪の前で力なく。

 何とか倒れずに剣によりかかり、彼女は這々の体で、しかし弱々しく睨みつけていた。

 それを、余裕のある笑みで受け止めながら、時之加具宮は言う。

 

「見事じゃったよ、小娘。儂が今まで会うてきた中でも、一、ニを争うほどの実力者じゃった、それは認めよう──だが、幾許か足りなかったのう」

 

「──いいえ、いいえ。まだ、終わってないわ。何故なら、まだ、私は──死んでいない。まだ、戦える」

 

「強情なやつじゃのう……だがまぁ、気持ちは分かる。何せお主、万端な状態では無かったものな?」

 

「──ッ」

 

「気付いておらんと思ったか、浅はかじゃのう。ま、大方身体の治療も半端、魔力の回復も半端までしかできなかった、というところじゃろう。当然じゃな……せめて後一日か、もしくは儂と一度交戦していなければ、勝機はあったのに、残念じゃったな」

 

 そう言って、呆気なく妖怪はその手を振り上げた。

 心赴くままに適当にぶち撒けられた絵の具が混ざりあったような濁った色の魔力がやつのその手に集まり始め、そうしてそこまで来てようやく、ようやく僕は駆け出した。

 あの日の夜のように。

 ベストタイミングからは程遠い、あまりに遅い、遅すぎるタイミングで走り出して、彼女の前に躍り出た。

 それを、時之加具宮は面白そうに見る。

 

「何じゃ、ずっと傍観しているだけかと思っておったわい。覚悟とやらは、できたのか?」

 

「か、覚悟なんて、できてるわけ、ないだろう。自慢じゃあないが僕はな、結構ビビりな方なんだよ!」

 

 そうだ、僕は臆病だ。

 一人で夜中、神社へ向かうだけでもビビり倒してしまうくらいには。

 でも、それでも!

 

「それでもなぁ! やらなきゃいけない時ってのがどこにでも、誰にでもあることくらい、僕だって知ってるんだよ! それが偶々今だった、それだけの話だ!」

 

「ク、クク……」

 

「何が、面白いんだよ」

 

「いや、何、久しぶりにそんな台詞を聞いた、と思ってな。昔ならいざ知らず、この時代でその精神は中々に希少じゃ」

 

 だからまぁ、お主も一思いに殺してくれよう。

 そう言って、妖怪はそっと地を蹴った。

 ふわりと空に浮き上がり、僕らを見下しながらもその手に集めた魔力を一気に膨れ上げさせる。

 それに触れてしまえばそれだけで、僕らは塵になるだろう。

 理性ではなく本能が、そう言っていた。

 

「甘楽君……」

 

 後ろで、輝夜がそう言った。

 否、それしか言えなかったのだと思う。

 その一言ですら相当力を使ったようで、幾度も咳をしながら血を吐いた。

 

「んー、いや、まぁ、多分大丈夫だよ、輝夜。あの一撃は防げる、そんな自信があるから」

 

「なに、それ……」

 

「いや、だってさ──」

 

 魔法って、強い心に応えてくれるんだろ。

 そう言って、僕は輝夜に向けて笑った後に、震える膝を叩き直して上を見た。

 そこにはほんの少し目を離しただけなのに、笑ってしまえるくらい変質した魔力の珠が浮かび上がっている。

 いや、化け物かよ……化け物だったな……。

 そう、独り言ちてから、やっぱり笑った。

 人は限界まで恐怖を覚えると笑いが込み上げてくるのはマジらしい。

 知りたくなかったな、おい……。

 まぁ、でも。

 やるしかないなら、やるしかないだろう。 

 

「やってみせろよ、絶対に、絶対に僕が、何とかしてやる──!」

 

「クカカッ、見せてみろ!」

 

 瞬間、それは墜ちてきた。

 轟音と、爆風と、それから嫌になるくらいの悍ましさと共に墜ちてきて。

 そして、そして──。

 

「応えるなら、今しかねぇだろうがよ──!」

 

 叫びを上げた。

 集中するとか、期待をするとか、そういうのではなく。

 ただ只管に自分に向かって叫びを上げた。

 いつまで眠ってんだお前、起きるなら、応えるなら、今、この瞬間しかありえねぇだろう、と。

 そう想いを込めて、僕は高らかに叫びを上げた。

 そうして、()()()()()()()

 僕の目の前に薄っすらと、思いの外心もとなさ過ぎるくらい、薄く、蒼い光の膜が出来上がり──墜ちてきたそれを呑み込んで、そして()()()()

 

「────────────!?」

 

 その場にいた全員が、その現象に目を見開いた。

 けれども、その中で最も驚愕を覚えたのは他の誰でもない──時之加具宮であろう。

 己が放った魔力球が、そのまま全て返ってくる。

 予想だにしていなかった最強最大のカウンター。

 それは攻撃を打ち放った直後の、言うなれば隙だらけになっていた時之加具宮の意表を突くには充分過ぎて。

 その全身を一瞬で喰らい尽くすものまた、容易過ぎた。

 悲鳴を上げる暇すら与えずそれは、妖怪を打ち砕く。

 

「ま、マジで……? 我ながら超、すげ、ぇ──?」

 

 そんな平凡過ぎる感想を言いながら、しかし僕は後ろ向きにぶっ倒れた。

 まるで全身から力が抜けたかのように。

 否、正しく言葉通り、全身から魔力と体力が、吸い上げられて消えていた。

 そんな僕をそっと輝夜が抱きとめる。

 ──いや。

 抱きとめようとして、そのまま二人で倒れ伏した。

 変な態勢で倒れたせいだろう。

 妙に絡み合ってしまい、しかも僕らは互いを見つめるように、地面に横たわった。

 パチリと目が合って、そして、二人同時に笑う。

 

「く、くく……」

 

「ふふふ……」

 

 それは、何故だかは分からない。

 きっとそこに、明確な理由はない。

 でも、笑い合える幸福を、僕らは全身で感じ取っていた。

 

「何よ、今の……最早反則レベルじゃない」

 

「そう、言うなよ。喋るのも、辛いくらい、なんだよ」

 

「あはは、偶然ね、私もよ」

 

 何て言ってから僕たちがグッタリと力を抜いた。

 互いの手を軽く握り合い、またしても笑い合おうとして

 

「ク、ククク、あぁ、久しぶりに、死んだと思ったわい」

 

 そして、表情の変化を、止めた。

 全く力の入らない身体へ無理やり力を込めて空を見る。

 そこには尾を全て失い、耳も片方消し飛び、また、全身から血を流した時之加具宮が、そこにいた。

 今にも死にそうな身体で、しかし、まだ生きているのだと主張するように。

 彼女は凄惨に笑った。

 

「お主らも、死んだと、そう思ったであろう? クカカ、残念じゃったなあ! 儂はまだ、生きておるぞ!」

 

 さぁ、死ね。

 今、死ね。

 この世界が滅びるより先に。

 何よりも先に、この瞬間に、その命を落とせ。

 彼女はそう言って、もう一度魔力を練り上げる。

 さっきよりも規模は小さく、けれども僕らを殺すには、充分すぎるほどのそれを、創り出す。

 魔力はもう、無い。

 体力ももう、無い。

 反撃の手段はもう、無い。

 勝機の欠片すらももう、存在しない。

 あのタイミングで魔法を発動できたのは、ともすれば奇跡にも等しいものであったが。

 しかしこの状況では、たった一つの奇跡ではまだ、足りなかったらしい。

 これで、奇跡くらい何度でも起こしてやるよ、と言える人間だったならば、どれだけ良かったことだろう。

 そう言えるだけの、強い人間だったのなら、どれだけ良かったことだろう。

 だが、僕は残念ながら、そんなことを言えるほど、強くはなかった。

 けれども。

 けれども輝夜は、立ち上がった。

 僕に微笑みかけて、大丈夫、とその場に立った。

 私が守るから、と剣を取った。

 それはどう見ても虚勢であった。

 いっそ取り繕えてなさすぎて笑えるくらいの虚勢。

 しかしそれが、僕にはあまりに尊く見えた。

 その姿に、お前は何をやっているんだ、と自分に対してそう思う。

 また、遅れるのかと、そう思う。

 次こそは、遅れたら間違いなく後悔することになると、強く、そう思う。

 ──後悔するのは、嫌だな。

 

「なぁ、輝夜」

 

 そう言って、振り向いた彼女の手を、握りしめる。

 驚いたように僕を見る、彼女と目を合わせ、僕は口を開いた。

 言葉は途切れないように、気を張って。

 

「一つ、作戦があるんだけど、聞いてくれないか?」

 

「作戦……? ふふ、良いわよ、聞いてあげる」

 

「あぁ、くそ、アテにしてない顔しやがって……まぁ、良いや。聞いて驚け、僕にはこの状況を打破する策がある」

 

「……本当?」

 

「嘘は言わないよ、だから、聞いてくれ」

 

「えぇ、手早く、頼むわ」

 

「あぁ、端的に言えば、僕は輝夜を、過去に送ろうと思うんだ」

 

「……いきなり、とんでもないこと言い出したわね、急にどうしたの? もう頭が限界?」

 

「一々失礼なことを言うんじゃない──僕の魔法はさっき見た通り、反射の魔法だっただろ?」

 

「えぇ、凄い魔法だった」

 

「でもさ、正確には僕の魔法は()()()()()()じゃ無いんだよね、正確に言えば、映し出したものと同じものをはじき出す、そういうものなんだよ」

 

 まぁ、勿論限度はあるわけなんだけど。

 

「でも、それって現状に何か役立つの?」

 

「当然だろ──さっき、僕はアイツを、時之加具宮を映したんだぜ、それはつまり、さ」

 

 アイツの本来の能力も、僕は取り込んだってわけ。

 まぁ、一度使ったら無くなるし、それもかなり小規模なものになっちゃうんだけど。

 

「そ、それってつまり、時間を──?」

 

「そう、操れる。理論上だけどまぁ、多分問題ない。だから僕はさ、君を、過去に──二日前に、送ろうと思う」

 

「二日前?」

 

「さっき、アイツが自分で言ってたろ? 後一日あれば良かったのにな、って。だから僕が、その時間をくれてやる」

 

 だから、上手いことやってくれよな。

 そう言って、僕は笑った。

 笑った、つもりだった。

 本当に上手く笑えているかは正直、分からない。

 けれども。

 ちゃんと笑えていたら、嬉しいと思った。

 

「頼むぜ、ちゃんと上手く、やってくれよ。過去の僕なら、好き放題にしてくれて、構わないからさ」

 

 そう言って僕は。

 魔力を強引に練り上げた。

 魔力はもうすっからかんに近い。

 生命を維持するので精一杯な程だ。

 だけど、魔力がないのであれば。

 他で代用してやると、僕は思った。

 魔力の代わり──即ち、生命力。

 己の血肉を、魔力に変える。

 

「ま、待って、待って待って待って! それだと、それだと今の、今の甘楽君は──!」

 

「今の僕は、もうじき消える。輝夜が助けてくれれば、僕らはこのルートじゃなくて、きっと明るい未来を開ける道を歩けるはずだ」

 

 だから、悪いけど、頑張ってくれよな。

 頑張って、僕と一緒にアイツを上手く、倒してくれ。

 そう言えば、彼女は「だけど」と言った。

 そこから紡がれようとする言葉を、静かに手で遮る。

 

「もう時間もない、議論してる暇はない。だからさ、僕の最期の言葉くらい、聞いてくれないか?」

 

 そう言えば、彼女はポロリと目から、涙を零れ落とした。

 そしてそれをそのままに、輝夜は静かに頷いた。

 

「僕はさ、高校に入って、部活に入って、まぁそれなりに充実してたんだよ。平和に僕は、僕だけの世界を構築していた。自分の過ごしやすい環境を整えて、部活やクラス内で自分の立場を確立させて、自分だけの、楽しい楽しい世界を作って楽しんでいた」

 

 だけど。

 

「本当に突然、それは思いがけないタイミングでぶっ壊された。アンタだ、輝夜。アンタが僕の世界を、思いっきりぶっ壊した。非常識っていう武器でぶっ壊してから、この世界はもう滅びるとか言って、結局僕をここに連れてきた」

 

 でもさ。

 

「そのことを、僕はアンタが思う以上に、恨んじゃいない。というか、そういう負の感情的なやつは、微塵も無いよ。あるのは──そうだな。有り体に言えば、感謝、かな」

 

「感謝……?」

 

「そう、感謝。僕は、僕の世界をぶっ壊してくれたアンタに、輝夜に、感謝をしてる。だって、こんなファンタジックな世界、僕は知らなかったし、それに、輝夜みたいな美人との関わりなんて、身に余るくらいさ。だから、ありがとうな。僕と、出会ってくれて。僕に、助けさせてくれて。本当に、ありがとう」

 

「そんなの、私の方の、台詞、なのに──」

 

「良いんだよ、だから、さ。今の僕より早く、一日早く、僕の世界を壊してやってくれ。それだけが、僕からのお願いだ」

 

 存分に僕を巻き込んで、完膚なきまでに世界を救ってやってくれ。

 そう言ってから、僕は彼女を引き寄せた。

 同時に光が僕の身体から、溢れ出す。

 

「──────────!」

 

 輝夜は何かを言った。

 けれどももうそれは聞こえなかった。

 輝夜は僕から溢れ出た光に呑まれていって、僕はただ、それを笑顔で見送った。

 震える手を、何とか左右に振って、輝夜を過去へと送り出して──そして。

 僕の終わりは、空から、落ちてきた。

 そしてそれを、笑って視界に収めてやる。

 そこに見える狐の姿が、何だかちょっと笑えた。

 

「さぁ、彼女は僕の世界が壊される、二十四時間前へと旅立った。覚悟しとけよ狐女。お前には絶対、世界は壊させねぇからな」

 

 そうして、僕の視界は──意識は。

 真っ白な光に包まれ消えた。

 

 

 

 ──これは、物語が始まる、その前の始まりの物語。

 前日譚にすらならない、ゼロですらない物語。

 ありもしないことと成り果てた、一つの物語。

 だけれども。

 決して無駄ではない、尊い物語。

 たった一つの幸せのために捧げられた、小さな物語である。

 

 

 



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