果敢なき玲瓏のグリムユーザー   作:James6

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第一話『出会い』

 月明かりに照らされて、夜闇にて黒い銃身が艶やかに輝いた。

 大型の拳銃『FA-H11』をさっと横に薙げば、銃口の下に取り付けられた小刀形の銃剣(バヨネット)である『八神』に滴る赤い液体が虚空に線を描いて飛散する。

 振り払われた血が砂塵の舞って埃っぽいひび割れたコンクリの地面へと染み込むのと、怨嗟の込められた大音声が響き渡って建物を揺らしたのは同刻だった。

 

 

『■■■■■■ッ!』

「⋯⋯そう怒るな」

 

 

 ドロドロと体中至る所から紅い赫い血を流してノイズ混じりに咆哮するソレ(・・)。車程の大きさの犬型をした黒い異形───『ドゥーマー』を、血液よりも尚赤い眼で見詰めながら、青年は両の手で普通の拳銃よりも大型な相棒(FA-H11)の黒いゴツゴツとしたグリップを握り、静かにその銃口を向ける。

 残弾は四発。体内の因子も持ちそうだ。この様子なら後少しで倒せるだろうか。しかし、手負いの獣がいちばん怖い。油断は無しでいこう。

 そうして、クリアになった視界で冷静に狙いを定め、冷徹な指で引き金を引いた。

 

 

『■■■ッァ!?』

 

 

 火を噴く銃口から赤い粒子を纏った(・・・・・・・・)弾丸が吐き出され、不意打ち気味に異形の身体に真新しい銃創を作る。

 血と共に、傷口から吹き出た緑色の粒子が噴出口ごと覆い隠してしばらく。何ともならない傷口を見て、ドゥーマーは困惑の声を上げた。

 本来、人間の作った武器では傷など与えられないはずであるし、この自分達と似て非なる奇妙な存在から与えられた傷だって、癒性(ゆせい)因子で以て治癒すれば簡単に治るはずなのだ。

 しかし、現にどれだけ因子を作用させても傷口からは新鮮な血が溢れるばかり。

 いったいどうしたというのか。自らの身体に起きた異常に無性に恐怖をかきたてられる。

 

 

『■■ッ?』

「癒性因子を用いても傷が治らないだろう? 俺の祝福(・・)は、お前達獣からしてみれば厄介極まりないはずだ」

『■■■■ァッ!!』

 

 

 ドゥーマーは本来言葉は解さないのだが、目の前の害敵が何かをしたことだけはわかる。

 ならば、この原因を取り除けば良いだけのはずだ。

 そんな短絡的かつ究極的な思考から、ドゥーマーは一も二もなく青年へと襲いかかった。

 一瞬で五メートル程度の距離を詰めて、児童の身体程もある右腕を振るう。豪ッという風音を立てながら、速度に乗った凶腕が青年に迫る。普通なら即死だろう。普通ならば(・・・・・)

 あわや、鋭い爪が青年を五分割にするというところ。すれすれの距離に迫った攻撃を側転の要領で回避すると、青年はその腱に当たるであろう部分を銃弾の時と同じ赤い粒子を纏った銃剣(八神)で斬り裂いた。

 ざっくりと深い傷を負って、血が吹き出て。顔に数滴かかったものの、別段気にすることもなく最後の一手(チェックメイト)をかける。

 

 

『■■■■ゥッ!?』

「⋯⋯終わりだ⋯⋯ッ!」

 

 

 バランスを崩して前のめりに倒れ込んだドゥーマーの目の前に、青年はいつの間にか銃口を向けて立っていた。

 マズルに反射した月明かりか、それとも暗く凍てつくような赤か。ドゥーマーが最期に恐れを抱いたものは、その両方か。

 青年のその指は、躊躇(ためら)いもなく引き金を引いて───。

 パンっという弾けるような音と続く巨体が倒れ伏す震動が、全てが寝静まった深夜の廃ビルに響く。

 最後に立っていたのは、汗ひとつかいていない青年のみ。

 彼は八神を外した拳銃をショルダーホルスターに戻し、八神を腰の鞘に納めると胸ポケットから携帯電話を取り出す。

 

 

「⋯⋯こちら、日比谷(ひびや)です。爵位ナイトのドゥーマーの討伐を遂行しました」

 

 

 事後報告を終えて携帯を元の場所に戻すと、急速に肉体を崩壊させてゆくドゥーマーを見遣り、青年はひと仕事を終えた疲れからか静かにため息を吐いた。

 命懸けの戦いを終えて、やっとの思いで二日分の食費が稼げた事への安堵も混じっているのは世知辛さのせいか。

 疲れた身体を引き摺るようにして、青年は廃ビルを後にするのであった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 今より五十六年前。

 西暦二〇二〇年、人間は敗けた(・・・・・・)

 未知なる存在『Doom caller(ドゥーマー)』、破滅を呼ぶ者という名を与えられた彼らの出現。何の抵抗力も持たなかった人々は、彼らの進軍にその総人口を二十分の一にまで減らした。

 

 度重なる撤退戦で、人類は住処を追われ続ける。

 現行兵器では彼らの体の構成要素でもある『ドゥーマー因子』の障壁で守られた彼らに太刀打ち出来ず、意思疎通を図ることすら不可能なドゥーマーに対して、人類はただ無様に敗北を続けることしか出来なかった。

 

 もはや、二〇四〇年には人類に光なし。

 文明の灯火は(かげ)りを見せ、世界は刻一刻と理不尽な余命を待つ他になかった。確かに、二〇三四年まで人類はそんな絶望の只中にいたのだ。

 

 

 ───そんな時、彼らは現れた(・・・・・・)

 

 

 グリム(かすかな光)ブレス(祝福)を持つ者達。

『グリムユーザー』と呼ばれる、人の身にありながらドゥーマーの因子を持った人間。彼らの出現により、人類は間一髪のところで小さくも生存圏を確保したのである。

 

 だがしかし、人類に残された爪痕は余りにも大き過ぎた。

 ドゥーマーの発現が最も初めに観測されたイギリスはその国土の四分の一を失い、同じく生存圏の大半を奪われたヨーロッパ諸国と合併してヨーロッパ連合としてその存在を未来へと繋いだ。中国やアフリカに関しては、ドゥーマーの出現数が常軌を逸して集中し、二〇七六年現在でも一切の音沙汰が無い。国土の広さか資源の豊富さ故か、比較的軽微な損害であったアメリカでさえも、今では自国の事で手一杯となる始末。日本はとある理由から北海道、中国地方、沖縄を放棄し、高さ四十メートル、外周約百キロメートルの壁『サヴァイヴ・ウォール』をそれぞれ築き上げると、東北区画、関東区画、中部区画、近畿区画、四国区画、九州区画の六つの区画に分かたれて、日夜生活の為に抗争を繰り広げている。

 

 世界救済の道標(みちしるべ)であるやも知れなかったグリムユーザー達も、今となっては、各区画の生活を守る為の尖兵と成り果てていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 六月の爽やかな風が吹き抜け、遠くでは小鳥がさえずっている。

 ここ、自らの通う『関東区画』のグリムユーザー育成学園がひとつである公立秀健学園。その真っ黒な校舎の屋上で寝転がりながら見る空は青く蒼く雲ひとつなくて、昨日の大雨が嘘みたいだった。

 あれ、どうして、俺はお昼も食べ終わったのにここに残っているんだったか。

 ふと疑問に思って、その疑問はいつの間にか掻き消えた。

 ああ、でもここに留まりたくなるような風の心地好(ここちよ)さは確かにある。少しくらいここで時間を潰しても問題は無いだろう。

 だけれども、こういう日には思い出したくない記憶を思い出してしまうから。授業が終わればさっさとアパートに帰るに限る。

 そろそろ予鈴は鳴るのだが、もう少しくらいここに居ても良いか。

 そんな思考が取りとめもなく回って、倦怠(けんたい)感に襲われ微睡(まどろ)み始めて、そろそろ本格的に不味いなと思った時。昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

 

 

「⋯⋯戻るか」

 

 

 仏頂面が張り付いた少年日比谷(ひびや)左京(さきょう)は、(おもむろ)に立ち上がってブレザーを脱ぎ背中に付いたゴミを軽く払ってから着直すと、教室を目当てにゆっくりと歩き出した。

 扉まであと数歩。不意に立ち止まって、屋上を囲む柵越しに見えるもはや見慣れたと言う他ない廃墟群(・・・)と、遠方から繋がり取り囲む()を黒髪に隠されたルベライトで見据え、すぐに興味を失ったのかまた歩き始める。

 

 

「⋯⋯今日は、依頼が来ないと良いが」

 

 

 頭の中にあるのは今日の夕方より行われる内周区で贔屓にしているスーパーの特売のこと。

 常にかつかつの生活を強いられている身からしてみれば、スーパーのセールはこれ以上無いくらいに奇跡の時間であるのは疑いようもない。

 しかし、クランへと依頼が舞い込んでくればそうは言っていられない。

 どちらも生活の為だが、後者に関してはもしも自分が何もしなかった場合を想像するだけで、後味の悪さに胸がむかむかする。迫害される立場にあるグリムユーザーとて、しかし、情が無いはずもない。その上、何もしなければグリムユーザーの立場は更に弱くなる。後輩達(・・・)の為にも、自分は正義感に味付けされた義務を果たし続けなくてはならない。あとは、それが身を滅ぼす類のものでは無いことを願うだけだ。

 そんなことを考えながら教室に戻れば、学友達が──とは言っても、ほとんど会話したことも無いような知り合いとすら呼べないであろう程度の間柄だが──(かしま)しく談笑しているのが真っ先に目に飛び込んでくる。話題は、なんてことはない昨日のテレビ番組の話や、週末の予定はなんであるとかその程度のもの。いちいち気に留めるような事でもない。

 文字通り、戦場で日夜戦っているというのに、それを微塵も思わせない眩しいような青春具合を前にしても、左京は表情一つ変えずに自席に向かって歩みを進める。朴念仁で寡黙、鉄面皮がデフォルトの彼のことをクラスメイトはそれなりに知っている。だから、誰一人とて彼のことを気にする素振りは無い。

 教室の一番端、その窓際。校庭が見える特等席、時折主人公の席だとか数少ない友人に揶揄される自分の席に座る。そして、掛けてあるスクールバッグを漁って、黙々と次の授業の準備を始めるのであった。

 そんな時、ふと空いている隣の席を見て、友人の一人である彼は昨日も不幸に晒されてしまったのだろうかと、彼の難儀で理不尽な人生に悲哀の思いを馳せた。彼は、悲しいくらいに今のこの世界には向いていない。

 授業の開始まであと五分を切ろうか。朝から居たクラスメイトは全員揃っている中、教室のドアがゆっくりと開いて一人の青年が入ってくる。クラスメイト達は、皆一様に入ってきた彼に対し同情の念を込めた視線を送るなり、またそれぞれの思い思いの時間へと戻っていく。

 癖っ毛とそれだけではないだろう要因でボサボサとなった枯れた草のような色合いの茶髪、隈の出来た眼を少しだけ眠たげに細めながら、如何にもな不幸面の青年は空いている左京の隣に座った。

 

 

「左京君、おはよう」

「⋯⋯ああ、遼太郎(りょうたろう)、おはよう」

 

 

 青年の名前は梶野(かじや)遼太郎(りょうたろう)。左京が、下の名前で呼ぶ数少ない友人の一人だ。

 遼太郎は、アンバーの眼を優しげに歪めて挨拶するなり荷物を取り出して授業準備に取り掛かる。

 その様子を見て、何かを言うべきかと思案する。だが、元来口下手な嫌いのある左京には、何も気の利いたことは思い浮かばなかった。

 

 

「⋯⋯お疲れ様」

「ああ、うん。ありがとう左京君」

 

 

 労いの言葉をかけるくらいしか出来ない自分が嫌になる。この友人が、不条理の犠牲にならないことを祈るしかなかった。

 何事もなく午後の授業が終わって終礼をすると、一目散に帰っていく同級生達を一瞥(いちべつ)すらせずに、左京もまたスクールバッグに教材等々を詰め込んで帰り支度をする。

 全てを失って学園に拾われたあの日から今日に至るまで、ほとんど変わることのないルーティンに、変わり映えしないことへの退屈さを感じないと言えば嘘にはなる。

 それでも、変わり映えしないということは平和を享受出来るということで。それならば、今の退屈は至福とも言えるのではないか。

 少なくとも、自分が身を置く世界と比較すれば答えは明白だった。

 左京は、そんな老成した考えを頭の片隅に追いやって、帰宅の準備をしていた遼太郎に一言かけると、教室を後にし帰路に着いた。

 

 

「⋯⋯あ、弁当箱」

 

 

 ゴーストタウンも()くやといった様相の町並み、至る所に瓦礫が散乱し綺麗な家などひとつもない住宅街を通り抜け、もう使われていない雑草の生え散らかった線路を渡って、閑散とした商店街の先にある自宅のボロアパートに着くなり、左京の第一声はそれだった。

 その場で頭を抱えたい気持ちを何とか抑え、去年中古屋で買った折りたたみ脚の小さな簡易テーブルの上にスクールバッグを下ろす。まるで悲鳴のようにきしっという嫌な音が鳴るが、まだ壊れてないので大丈夫だろう。今はそんなことどうでも良い。

 一()ず、帰宅後の日課である三段箪笥(たんす)の真ん中の段にしまってある仕事道具の有無を確認して、問題の弁当箱の所在に思考を巡らせた。

 学校の屋上だろうか。いや、十中八九そうだろう。取りに行くのは心底面倒臭いのだが、新しい弁当箱を買えるだけの余裕もない。というよりも幾度か確かめる機会はあったというのに、何故俺は弁当箱なんてものを忘れてしまったのか。

 今日は、何だかおかしい日だ。

 

 

「時間は⋯⋯まだ大丈夫だな」

 

 

 時計を見て特売まで時間があることを認める。特売は十八時から。カーテン越しに差し込む光が少しだけ赤みがかっている今は、まだ時計の表示上では十六時を過ぎたところで、学校から家までは往復四十分程度だ。ここから内周区までは一時間程度掛かるが、それを加味しても十分に間に合う。

 左京は箪笥からショルダーホルスターに収められた仕事道具を取り出して軽く点検すると、ワイシャツの上から装着。ケースに仕舞われたもうひとつの仕事道具をベルトに括り付けて、ブレザーを羽織り、最後の仕上げとばかりにアルファベットのDに三本の傷痕というエンブレムが形取られた白の腕章を左腕に付けてから、玄関に向かった。

 胸ポケットに入れていた携帯が鳴動したのは、ブーツを履いてドアノブに手をかけた丁度その時である。

 猛烈な嫌な予感に襲われながら、左京は慣れた動きで手早く携帯を取り出すと相手を確認。相手の名前は『社長』。嫌な予感の的中に、左京は天井を仰いだ。

 

 

『もしもしィ、左京ちゃんかしらァ?』

「⋯⋯はい、俺です」

 

 

 出てきたのは案の定、認めたくはないが自らの雇い主であり恩人でもある男だった。

 電話の向こうの空気はいつも通りよりも少しだけ緊張感を孕んでいて、でも媚びたような、バリトンを無理矢理に高くしようとしている声音に緊張感を上回る怖気を感じた。というより、男にちゃん付けされるのは慣れないし、慣れたくもない。

 

 

『あらあらァ、相変わらず連れない反応ねェ』

「俺がつまらない人間だって、社長もとっくのとうにご存知でしょう?」

『そうねェ、確かに知ってるわァ。でもでも、弟分な左京ちゃんの事が気になるのよォ』

 

 

 いい加減に辞めてくれ、そう言いかけて、このまま話すのは向こうの思うつぼだということに気が付いた。無理矢理にでも会話を続けようとするのも、その妙に巧みな話術を面倒な絡みに使うのも辞めてほしいものだ。

 取り敢えず、一旦靴を脱いで部屋に戻りベッドの上に腰を落とした。先程までの学校へと弁当箱を取りに行こうというやる気は既に霧散していた。

 

 

「⋯⋯それで? 依頼ですか?」

『ええ、そうよ。お巫山戯もこれくらいにして、お仕事の話、しちゃいましょうか』

 

 

 急に真面目な雰囲気を漂わせるのも社長の掴み所のなさを助長している。

 だが、依頼、仕事の話ともなれば真面目になってもらわなくては困る。気を取り直して、左京は社長の言葉に耳を傾けた。

 

 

『爵位ナイトのドゥーマーが三体出現したわ。場所はN-5-18。でも、その内の一体が奇妙らしいのよォ。もしかしたら、何かあるかも知れないわねェ』

 

 

 社長の珍しい煮え切らない反応に、左京はどこか引っ掛かりを覚える。

 N-5-18ということは、外周区の東寄り北側、かなり壁に近い場所ということか。壁の付近に住むような物好きはほとんど居ない。人をあまり気にすることなく戦えるのは楽だ。それに、左京自身のアパートからも程近い。ドゥーマーが三体、ということは別のクランも出動するとして、社長が依頼を取ってきたということは、一体を相手にしたとしても十分左京一人(・・・・)でやれるということだろう。ドゥーマーの強さの位階を表す爵位は、上から六番目、最下位の『ナイト』。左京には、その一段上の『バロン』でもまだ一人で倒せるという自負も実力もある。とはいえ、流石にそれ以上上の爵位ともなれば話は別ではあるが。

 ⋯⋯だが、奇妙な反応、という情報が彼の脳裏で警鐘を鳴らしている。

 この依頼は辞めておけ。お前の手に余るぞ、そう言って止まない。

 

 

「⋯⋯他のトリニティは?」

『ええっと、クラン『フューチャー・プライズ』の『フェイム』と、クラン『フォーミュラ東京』の『モノリス』が参加するみたいよォ』

 

 

 フューチャー・プライズ。トリニティを七つ保有する大手クランとしての側面を持つ、関東区画内の様々な産業に手を伸ばしている大企業だ。そしてそこに所属するトリニティのひとつであるフェイムは最近になって結成された、確か『魔弾の射手』をリーダーとする新進気鋭の三人組であるとか。戦果も上々らしいし、特に特定のトリニティとの協働が推奨されていなかったはずの単体で完結したトリニティだったはずであるから、メンバーが早生まれ(・・・・)であることを除けば、悪くは無い同僚だろう。

 そして、フォーミュラ東京。こちらは、規模こそトリニティ三つと中型クランの域を出ないが、その中の一つである今回の同僚モノリスは、協働する上ではこれ以上無いくらいに好条件だ。

 何せ、モノリスのリーダーは『死に損ない(バスタード)』の二つ名を持つエージェント、梶野遼太郎(・・・・・)なのだから。

 クランとは、社会的地位をほとんど持たないグリムユーザーがアムネスティ・エージェントとなって所属する組織で、それらは通常の企業としての役割とクランとしての役割を持つ場合もある。左京自身も、最近になって社長により創設された『新人結社』という名のクランに所属している。

 左京は、知りうる情報を脳内で羅列してから、今回の依頼を受けるか受けないかの判断を行っていた。

 

 

「報酬は?」

『ざっと、これくらいねェ』

 

 

 携帯の画面に提示された報酬額の、想像以上の高額さに顔を(しか)めて理由を問い質す。

 たかだかドゥーマー三体を討伐する程度の依頼で一ヶ月分の満足な食費は愚か、それに加えて家賃すら払える額。平均で一般的な内周区で生活する人間の三分の一程度の収入しか得られない自らの職業の事情を鑑みれば、この報酬額は破格と言う他ない。

 

 

『なんでも、調査依頼も兼ねているらしいのよォ』

「⋯⋯道理で」

 

 

 調査依頼、つまりは未確認の何かがある可能性が高いということ。それは、イコール生存率の大幅な低下と言っても過言ではない。

 実際に行って確かめてみなくては分からないことだらけだが、ほとんど使い捨てのような存在であるエージェントでもあまり受けたくない類の依頼であることだけは確かだ。

 遼太郎には申し訳ないが、今回の依頼は乗り気にならない。生活がかかっていても、ましてや、正義感が吠え立てようとも冷静な思考を失うわけにはいかない。

 

 

『フェイムのリーダーくんが、降りるならさっさとしろって催促してきたわァ』

「なら、俺は降りま『でもォ。噂によれば、奇妙な反応っていうのは嘘か真か人型(・・)みたいなのよォ』⋯⋯ッ!?」

『左京ちゃん、人型のドゥーマーについて探してるみたいだから、取り敢えず取ってきたんだけどねェ。どうするゥ? 降りるのォ?』

 

 

 人型。その単語に、左京は弾かれるようにして顔を上げた。

 一般的に、ドゥーマーには獣型や無機物型しか存在しないとされている。人型などというのは、眉唾物の都市伝説扱いだ。

 しかし、左京には大いに心当たりがある。忘れもしない。彼のことは。

 脳裏にとある存在を思い浮かべ、左京は冷や汗を拭った。

 

 

「その依頼、受けます」

『あはッ、流石はアタシが見込んだ男ねェ。それじゃ、期待してるわよん』

 

 

 左京は、突然舞い込んだ好機に逸る心を抑える。電話を切って胸ポケットに押し込み、無駄の無い動きで家を飛び出す。

 そして、周りに人がいないことを確認すると一足飛びに跳躍(・・)。人間離れした高さまで跳び上がって、壊れた家々を足蹴にして跳んでゆく。足蹴にできるものが無くなれば、なるべく直線的な平面を選んで走る。

 その身に緑色の粒子、癒性のドゥーマー因子を纏い身体能力を上げているのだ。そうすることでグリムユーザーによって個体差はあるものの、凡そ常人の数倍は優に超える身体能力を得ることが出来る。持ち得る祝福によってはさらにその上を叩き出せるだろう。身体と因子の使い方は、学園で教わった。

 ドゥーマーの出現地点までは目算だが後十五分程度で着く。

 

 

「⋯⋯ッ!!」

 

 

 頭の中を空にして夕焼けの差し込む町中を駆け抜けていると、不意に進行方向の道のど真ん中で通せんぼをするように何かが立ち塞がった。

 衝突を避ける為、急ブレーキをかけて何とか止まると、傍迷惑な下手人の正体を確かめる。

 

 

「?」

「⋯⋯ッ」

 

 

 それは、ボロボロの衣服に身を包んだ幼い少女(・・・・)であった。

 左京は内心で、間の悪さに歯噛みした。

 今日の学園への登下校では珍しく(・・・)見ることの無かったストリートチルドレンの姿。気を抜いていたとしか言い様が無い。

 少女には、弾丸のような速さで近付き、目の前で急停止した左京に対して露ほども怯んだ様子はない。動じることが無いのは、生来の気質ではないのだろう。きっと。

 変に怖がらせたり萎縮させたりするのは駄目だ。

 光の薄い淀んだ瞳で左京を見つめるとかさかさになった唇を動かして言葉を紡ぐ。

 

 

「お兄さん、エージェント(・・・・・・)なの?」

「⋯⋯ああ、そうだ」

 

 

 敵意の籠った眼差し。この世界の何もかもを恨んでいるその視線。到底、五、六歳の子供がして良いような目ではない。

 彼女はグリムユーザー(・・・・・)。その第六世代目(・・・・・)だ。今のご時世、ストリートチルドレンなんてグリムユーザーである以外にはほぼほぼ有り得ない。彼女を冷静に分析する左京自身もまた、第五世代目(・・・・・)のグリムユーザーである。

 しかし、少女と左京の間には、一つだけ大きな違いがある。

 それは、政府と人類の為にグリムユーザーとしての力の行使を許された『アムネスティ・エージェント』であるか否か。アムネスティ・エージェントは、人類の為にその力を振るうことで存在を許されるグリムユーザーだ。それになることのメリットを理解出来ないまだ幼い彼ら後輩(・・)達からすれば、自分と同類の人間達から忌避された存在、グリムユーザーであるはずなのに社会に許容されているように見える自分達エージェントは自らを捨てた顔すら知らぬ両親含めた周りの大人達と十分同じに見えるのだろう。

 もしかしなくても、早い内に学園に引き取らせなければ何らかの問題を起こしてしまうことは想像に難くなかった。

 それを処理するのは仕事にしている手前不可能なことではないが、進んでやりたいなんて思うはずもない。そう、ただの人間には対処不可能なのだ。だから、自分達アムネスティ・エージェントが駆り出される。

 ───同族を殺す為に(・・・・・・・)

 それだけ、自分達グリムユーザーと普通の人間達の間には隔絶した差が存在するのだ。ドゥーマー達の身体を薄く皮膜のように覆う物と同じように、グリムユーザー達の体を護るドゥーマー因子による防護障壁によって、人類の扱う兵器は欠片も害を与えられないのだから。

 そして、それがそのまま自分達と人間との間で埋まることなく在り続ける()そのものでもある。

 

 

「どうして、私とお兄さんにはこんなに違いがあるの?」

「⋯⋯俺が、お前よりも年上だからだ」

 

 

 こういう時、変に口下手な自分が嫌になる。

 自嘲しながらも、刺激しないように慎重に言葉を選んでいく。

 グリムユーザー達を社会で生きていけるようにする為に、即ちアムネスティ・エージェントになれるように教育と訓練を施す育成学園では、この年代の子供達と対話する技術も習っている。

 

 

「⋯⋯私は、一生このまま?」

「⋯⋯ああ、恐らくはそうだ」

「そう、なんだ⋯⋯」

 

 

 嘘という優しさでこの事実を飾ることは出来ない。キッパリと言うべきことは言うべきだ。それこそが、左京の心情であった。

 呆然とする少女に、しかし間を置くことなく言葉を続ける。

 だが、例え、全てが事実だとしてもこれだけは伝えたい。それは、左京なりの思いやりでもある。

 

 

「だが、お前にはまだ未来がある」

「⋯⋯っ」

「ここに行け」

 

 

 取り出したのは、子供でも分かるようにと可愛らしいフォントのひらがなで書かれた一枚の名刺。無論、左京が書いたものではない。

 秀健学園の所在地が文字無しで分かりやすく描かれているそれをまじまじと見つめる少女の返答を待つことは無く、左京は再び身体能力を強化して駆け出した。

 後は彼女と学園の先輩方次第だ。今の自分に出来ることはエージェントとしての役目を果たすこと以外にはない。

 

 ▽

 

 全速力の七割で駆ければ、予想よりも早い八分程度で合流地点である住宅地の真ん中に位置する開けた公園にたどり着いた。

 見れば、槍を携えた二柱の女神のエンブレムが象られた腕章を着けた男一人女二人の三人組の姿が見える。三人とも遊具の残骸の上に腰掛けている。今回、協働することになったフェイムの面々と見て間違いはなさそうだ。

 俺の存在に気がついたらしい、リーダーの『魔弾の射手』と思われる燃えるような赤髪の青年は、如何にも気が強そうな琥珀色の双眸をこちらに向けてきた。

 両腕に女性を侍らせているところを見るに、その見た目通りの軽薄さに間違いは無いだろう。

 俺は、遅れてきた謝罪の意も込めて先に名乗ることにした。

 

 

「⋯⋯俺は、新人結社所属トリニティ・リーズンのエージェント、日比谷左京だ。お前達がフェイムのエージェントで相違無いな?」

「ああ、そうだよ。俺が魔弾の射手、耶雲(やくも)孔牙(こうが)だ。それにしても遅いじゃないか、狩人(・・)

「⋯⋯申し訳ない、道中で後輩に道案内をしていた」

「へえ、そうかい。それはご苦労な事だね」

 

 

 耶雲孔牙と名乗った彼が差し出した手を握り返す。

 気分屋な男だと聞いていたのだが、案外そうでも無いのだろうか。確かに嫌味な言い方をするが、少なくとも手を付けられないような類ではない。今の説明で特に気分を害した風でもないところを見るに、耳に入る評判は彼への妬み半分だったのだろうか。

 だが、それならそれで好都合だ。

 人となりに問題がないということは、連携などで支障をきたす可能性が極端に低くなる。左京自身、本来なら合わせる人間だが、合わせてもらえるならそれに越したことはない。

 まだ今回のメンバーが揃っていない、というよりも遼太郎以下モノリスのエージェント達が来ていない為、今は時間も勿体ないので交友を深めるべきだろうかと思案。すぐさま、己には無理だと結論を下すと、腕時計をちらりと確認して時間を見る。まだ十七時過ぎだが、たとえ早く終わらせたとしても、セールの時間に間に合うとは欠片も思えない。

 冷蔵庫の中身や缶詰めの有無を記憶から確認し、明日は三食パンの耳になるということを理解。軽く目眩を覚え、絶望したところで前方に気配を感じた。

 

 

「ごめん、遅くなった。トリニティ・モノリス、合流する」

「はっ、やっと揃ったね。待ちくたびれたよ」

 

 

 予想通り、気配の正体はにへらと朗らかに笑う遼太郎と、彼の後ろを追従してきた恐らくはモノリスメンバーのエージェント二人であった。腕章にはたくさんの傷が付いた一枚の盾が画かれている。

 今回のモノリスはフルメンバーか。

 遼太郎はとある一件以来、嫌がらせのように上層部命令で単独出撃させられている。彼の負担が取り除けるのならば、それで良い。友人である彼に死なれるのは目覚めが悪い。

 ドゥーマーはこの少し先の住宅街の何処かに潜伏しているらしい。この距離であれば普通ならば爆発音とか破砕音、悲鳴が聞こえてもおかしくないはずだが恐ろしいくらいに静かだ。

 各々の武器を取り出し、手早く点検を済ませる。魔弾の射手は噂に聞いたロイヤルアームズ社最新の投擲短槍『ライトニングウルフ』を。遼太郎は黒曜石の名を冠するに相応しい黒の光沢を持つマチェット『オブシディアン』と、俺自身も贔屓にしているフォスター・アーマメント社のカタログで見覚えのある中口径中型ハンドガン『FA-M10』を装備。俺もまた、八神を鞘から抜き放ちFA-H11の専用下部レールに取り付ける。その他のメンバーも万全の戦闘態勢に入ったことを確認して、俺は切り出した。

 

 

「奇妙な反応の方は俺に任せてもらえないか」

 

 

 奇妙な反応。今回、俺をこの依頼を受けるまでに突き動かした存在。きっと、何かがある。俺の勘はそう言っている。日常生活じゃてんで役に立たないが、こういう時は信じることができると自負している。

 

 

「ああ? ⋯⋯ま、良いよ。どれに当たれるかは分からないけどね」

「うん、僕もそれで構わない」

 

 

 二人からの了承を得られたことに安堵する。俺と彼らは、この東京区画を守護する同胞だ。実力行使はしたくない。だけど、俺の目的の為に止むを得ないならば、それは仕方のないことだ。

 何はともあれ、そうはならなかった。それで良し。

 

 

「取り敢えず、もしも二体と遭遇したらどちらかに連絡を入れつつ極力戦わないようにする。これで良いね?」

 

 

 遼太郎の確認に異存無しと頷く。が、問題はそこからだった。

 

 

「はあ? そんなの待つわけないだろ。俺達だけで終わらせてやるよ」

「⋯⋯それは、どういうことかな?」

 

 

 気持ち声が低くなった遼太郎に対して、孔牙はふんと鼻を鳴らすと自らのトリニティメンバーの少女達二人を見てから、俺達へと視線を戻す。

 その琥珀色には、挑戦的で好戦的、何より野心的な感情が浮かんでいた。

 魔弾の射手は、その口元を不敵に勝気な笑みで歪ませる。

 

 

「どういうことも何もないよ。俺とこいつらで余裕だって言ってるんだ」

「⋯⋯」

 

 

 やはり、か。

 早生まれ特有の焦燥感と、それに加えて戦果を上げた才能有るグリムユーザー特有の万能感。

 これは厄介だな。ああ、とてつもなく厄介だ。

 

 

「精々キミ達も、報酬全部取られないように頑張りなよ。ま、狩人は単独だし、死に損ないの君はノロマだからね。俺達の活躍を後ろから見てれば良いさ」

 

 

 行くぞと少女達に一声かけると、ドゥーマー因子で強化された身体能力で作戦領域に向け移動を開始したフェイムの面々。その後ろ姿を見送った。

 そして、俺は肩を竦めてみせる。

 遼太郎も早生まれだが、アレと比べるのは失礼というものだろう。アレは筋金入りだ。

 

 

「⋯⋯さてと。行くとするか」

「うん。僕達も負けてられないね」

「違いない」

 

 

 彼らに報酬を取られたくないのもそうだが、何よりも件の俺の目的を果たす為には彼らに、遼太郎にすら先を越されるわけにはいかない。

 俺もまた、癒性因子で身体能力を引き上げると作戦領域へ向けて駆け出した。

 移動がてら周囲を見回すが、何処を見ても雑草が生い茂り、廃墟が軒を連ねるばかりで人の気配は微塵もない。かと言って血痕などが残っているわけでもないので、元々この付近は人が住んでいない無人地帯なんだろう。

 住宅街を横断するような老朽化したアスファルトの一本道を走る。道に沿っていくので多少遠回りにもなるが、フェイムやモノリスとは違うルートで作戦領域入りする為には仕方のないことだ。

 さあ、そろそろ作戦領域に到達する。気を引き締めていこう。

 グリップを握る手に自然と力が入った。

 

 

「───ッ!!」

『───■■■■ォオッ!!』

 

 

 果たして、彼の生死を分けたのは歴戦で培われた感覚か、先天的に生存を促す極限的な第六感故か。

 弾かれるようにしてすぐさまその場から飛び退いたのと、家丸々ひとつとコンクリブロックの塀を吹き飛ばして狭い道路に黒い巨体の()が姿を現したのはほとんど同時であった。

 十数メートル離れた地点に着地すると、砂埃にまみれながら胴間声(どうまごえ)をあげるドゥーマーへとしゃがんだままに銃口を向ける。

 ドゥーマーと交戦してしまっては、人形のドゥーマーの真相については諦めるしかないか。どうせ、今回もデマだったのだろう。

 藁にもすがる思いでこの約一年間幾度となく手に入れた情報達の真偽を確かめ続けてきたのだ。今更、一回程度の失敗で気を落とすわけもない。

 意識を切り替えて、そのまま戦闘へ移行しようとしたその時。

 

 ───左京の運命は、その瞬間に分岐し確定したと言えるだろう。

 

 

「⋯⋯っ?」

「わひゃっ!?」

 

 

 何と、砂埃を掻き分けて小さな影が左京の懐へと飛び込んできたではないか。この場所では聞こえるはずもない可愛らしい少女の悲鳴に困惑し固まってしまう。衝撃自体は軽いので、よろける程でもない。

 逃げ遅れた一般人か?あのドゥーマーは彼女のことを追ってきていたのだろうか。

 驚きでその鉄面皮を崩し目を丸くした左京は、次いで来た唐突な衝撃に咄嗟に小さな影を抱き抱えて受け身を取る。

 敵が隙を晒す中、ドゥーマーが悠長に待つはずもなく、その巨体を生かした突撃が青年を塵のように吹き飛ばした。

 二転三転する視界。硬質な地面に叩き付けられる衝撃と痛み。内蔵すらもシェイクされるような感覚。

 そのすべてに晒されながら、何とかブロック塀に激突し体を打ち付ける寸前で止まることが出来た。

 抱き抱えていた少女を離して、激痛を堪える。

 

 

「ぐっ⋯⋯!」

「あ、あれ!? 申し訳ないのだわ!?」

 

 

 幼い少女の声が痛みを訴える頭にやけに響いた。

 堪えながら視線を上に向ければ、そこには左京よりも早く立ち上がって酷く狼狽(ろうばい)した様子の美しい少女が居た。無事な様で良かったが、心配の言葉が口から出てくれなかった。

 それもそうだろう。

 その少女は、あまりにも美し過ぎた(・・・・・)

 言葉にするには、己の稚拙な語彙では足りない。

 身に付けている女人の誰もが欲するような仕立て良く可憐でいてお淑やかさをも内包した黒いワンピースも、その美しさを際立たせる一因にしかなっていない。

 そのいっそ完成し過ぎたと言う他ない容姿に(しば)しの間、言葉すら失って見惚れてしまうのだ。

 

 

「⋯⋯」

「ど、どうかしたのかしら?」

 

 

 重々しく存在感を放ち、それでいて一種の儚さすら孕んだ紫の光沢を併せ持ってたなびく黒。ぱっちりとして薄ら黒、赤、紫の三色に輝く異質で美麗な眼。透き通る目鼻立ちなんて、言うまでもなく絶世の言葉を送ってしまう。その幼さの目立つ顔立ちに、妖美さを与えてしまったのは、いったい何物だろうか。

 ありとあらゆる要素が、他の何者よりも抜きん出て目を虜にして離してくれない。

 電気の生きている自動点灯式街頭の弱々しい光でさえ最大限に取り込んで、帳の落ち始めた黒い空の色すら霞んでしまうような黒の光(・・・)がそこには在った。

 こんなにも完璧な存在が居ても良いのか。ありとあらゆる馬鹿げた考えが浮かぶ。

 自らは人を見た目だけで全て判断するような、そんなしようもない人間ではないと信じているが、こればかりはどうしようもなかった。

 理性ではどうしようもないのだが、死ぬわけにはいかない。

 

 

「⋯⋯ッ!」

「え? きゃぁぁあ!?」

 

 

 再度突撃してきたドゥーマーから逃れる為、少女を横抱きにすると、左京はすぐさま全速力で駆け出した。

 叫喚している少女には悪いが、誰かを庇いながら戦うのは出来る限り避けたい。

 疾駆しているうちにたまたま見つけたドアの外れていた家に転がり込むと、奥の畳が敷かれた居間で少女を下ろし、壁を背にしてどかりと座り込んだ。ひび割れたガラス戸が目に入ったが、一応カーテンで閉められているため外からは見えないだろう。

 

 

「ここまで来れば大丈夫か⋯⋯ぁぐっ⋯⋯!」

「⋯⋯申し訳ないのだわ。我のせいで⋯⋯」

 

 

 痛みに呻き顔を(しか)めた左京を案じる少女に極力不安を感じさせないよう意識して微笑む。

 身体中のドゥーマー因子を癒性に変換して身体修復に注力しながら、ドゥーマーと遭遇したことを同僚に知らせるため胸ポケットの携帯を取り出せば、物の見事に画面が粉砕されたそれが目に入って辟易(へきえき)とさせられた。保険込みならいくらぐらいするのだろうか。思わぬところで生じた手痛い出費に肉体へのダメージから来るのとはまた違った頭痛を覚えた。

 しかし何もしないわけにはいかないので、一先ず携帯のことは頭の片隅に追いやってこの少女について考えを巡らせることにする。

 

 

「⋯⋯?」

 

 

 十中八九、ただの人間では無いだろう。全てにおいて、人間からは掛け離れすぎている。どういうわけか知らないが、基本的に醜形が生まれず比較的美形が生まれてきやすいグリムユーザーと比較しても飛び抜けて美しい容姿がその最たる例だ。

 それに、後輩達は今は五、六歳のはずだが、今目の前でおどおどとしている彼女は十歳と少し程度の年齢に見える。少なくとも、後輩ではないのは確かだ。もしかすると、突然変異的に生まれてきた例外の子なのかも知れないが⋯⋯。

 ⋯⋯当たり、だろうか。あの人の真意に近付く手掛かりに成り得てくれるのだろうか。

 そんな淡い期待と小さな不安が、左京の中で渦巻いている。

 そこで、ふと自己紹介をしていなかったことを思い出して、左京は少女に手を差し出す。少女も意図を悟ったのか、その小さな手で握り返してくれた。

 

 

「俺の名前は日比谷、日比谷左京だ。君は?」

「さきょう、左京ね。我は⋯⋯」

「?」

 

 

 急に黙りこくってしまった少女に、何かあるのかという視線を送る。

 何か言えない事情でもあるのだろうか。

 

 

「───⋯⋯我は、冥煌想妃(めいこうそうひ)。または、冥煌想妃(ファントム・クイーン)。どちらでも、それか呼称を付けるなりすると良いのだわ」

「⋯⋯冥煌、想妃⋯⋯」

 

 

 冥煌想妃。ファントム・クイーン。

 その名前を噛み締めるようにして、何度か呟く。

 人の名前とか、何かを覚えることは得意な方だが、この名前には記号以上の何かが宿っているように感じられた。はたして、それが自らの勘違いか否か。

 彼女ともう少し深く会話を続けようと口を開こうとしたところで。

 左京は、床に置いていた拳銃を拾って立ち上がった。冥煌想妃は何が何だか分からないといった風に困惑を顔に浮かべている。

 今日二回目の早鐘(はやがね)が打ち鳴らされている。そんなことを言っても意味は無いだろうし、言うような暇だってない。

 

 

「ッ!」

「きゃあっ!?」

『───■■■■ィィイ!』

 

 

 耳障りな胴間声を響かせながら先と同じように壁を粉砕しながら現れたドゥーマー。

 左京は少女を両手で抱きながら、因子を変成。身体能力を一瞬だけ最大まで上げてその場から跳び退いた。ガラス戸を突き破って、外に転がり出る。

 無理な動きと体を打ちつけた強烈な衝撃に全身が悲鳴をあげるが、務めて無視。腕の中の少女の安否を確かめると、急ぎ立ち上がって体勢を整える。

 

 

「⋯⋯思ったよりもお早い御登場だな」

『■■■ォオ!』

 

 

 何故だか知らないが怒り心頭といった調子のドゥーマー。後ろの電柱の陰に隠れるよう、冥煌想妃に視線で促してから銃を向ける。

 手負いの獣の怒りと覚悟よりも、こういった直線的怒りの方が対処はしやすいが⋯⋯。

 若干ズレた(・・・)照準を感覚で修正。身体の体幹に異常をきたしてしまったようだ。治ると良いのだが。

 何はともあれ、目の前のドゥーマーだ。こいつを倒さなくては、やっとの思いで掴んだ糸口すら、己の命と共に失われてしまうのは想像に難くない。

 横には道はなく、背を見せて後ろに逃げたところで圧倒的質量に容易く轢き殺されるだろう。無論、そのままあの巨躯を受け止めれば、の話であるが。

 

 

「来い、豚!」

『■■■ィァア!!』

 

 

 左京の声に応じるかのように、ドゥーマーが走り出す。左京は、薄くニヤリと笑みを浮かべた。

 ドゥーマーの加速度的な突進が自らを跳ね飛ばすのと、引き金を引くのとでは明らかに速さが違い過ぎる。

 耳を(つんざ)く銃声と発砲炎、大きな反動をドゥーマー因子の身体強化で相殺する。

 獲物を求める餓狼の如く、五十口径から勢い良く撃ち出された残傷(・・)の弾丸が赤い軌跡を描きながら、ドゥーマーの右前足を食い散らかすかのように貫通し挽肉に変えてみせる。

 次いで、ドゥーマーがその事実を感知するよりも、世界がその結果を提示するよりも尚早く撃ち放たれた二発目がもう片方の前足をもドゥーマーから奪い去ってゆく。

 唐突な足の喪失に理解が追いつく前に、ドゥーマーはバランスを崩して脇の家に身体を放り出すようにして激突した。

 硝煙をあげる瓦礫の中で痛みに身動ぎするドゥーマーを、その好機を放っておくほど左京は間抜けでも傲慢でもない。ましてや、相手と対等の立場でやり合いたいなどという騎士道精神は持ち合わせているはずもなし。

 

 

「悪いが、終わらせてもらう」

『■■■ッ!?』

 

 

 具体的な命の危険に、間近に迫った死神の冷たさに。終わりのにおいは、火薬のソレ。

 ドゥーマーが大きな反応を示すよりも早く、脳天に突き付けた銃口から火が吹き出た。

 頭の大部分を抉られるように失ったドゥーマーは、全身を暫くの間痙攣(けいれん)させたかと思うとピクリとも動かなくなる。

 死んだことを確認、ホルスターに拳銃を納めて肩の力を抜く。体内の因子を通常体に変成すれば、癒性因子で治癒力を高めて無理に動かしていた身体にこれまでの負荷がどっと押し寄せてきた。それは、立っているのすらやっとなほどだ。

 他のエージェントがどうかは知らないが、本来、ナイト位のドゥーマー相手にここまで手傷を負わされることは無い。しかし、今回に関してはイレギュラーが重なった。意識が朦朧とするのを、唇を噛むことでつなぎ止める。

 

 

「⋯⋯討伐、完了」

「おお! 左京、凄いのだわ!」

「⋯⋯っ」

 

 

 電柱の陰から飛び出して抱き着いてきた件の少女を、身体に鞭打って受け止める。興奮冷めやらぬといった彼女は、左京の身体を揺すって感動を表している。そのはしゃぎ方は年相応にも見える。

 取り敢えず、この娘をどうにかするべきだろう。

 とは言えどうにかするべきとは言っても、どうすれば良いのか、そもそもそのどうにかが浮かばない。

 一度社長に指示を仰ぐべきか。少なくとも、関東統一機関に頼るのは愚策だ。

 さしあたっての行動を決めた左京。冥煌想妃を引き剥がすと、その手を繋いでゆっくりと歩き出そうとする。

 そんな彼へと、よく知る者の声が掛けられた。

 

 

「左京君!」

「遼太郎か」

 

 

 見れば遼太郎は大したダメージを負うでもなく、彼のトリニティメンバーも皆同様だった。

 聞くところによると、カメレオンを模したナイト位ドゥーマーと遭遇したらしいが、攻撃された時のカウンターで遼太郎が投擲したマチェットがドゥーマーに突き刺さり、それが目印になったらしい。

 無事ならばそれで良かった。

 

 

「その子は?」

「この子は、さっきドゥーマーと戦っている時に逃げていたんだ。多分、一般人だと思う。念の為に、この後クランに連れて行ってみる」

「⋯⋯なるほどね。了解した」

 

 

 冥煌想妃について聞かれれば流石にドキリとしたが、こういう時、深く聞き込んでこないのが彼だ。

 ありのままを受け止められる精神というのは、なかなか得られるものでもない。今日の同僚が彼で良かったと心底そう思う。

 同僚で思い出したが、もう一組、魔弾の射手のトリニティはどうしたのだろうか?

 

 

「彼? なんでも、ドゥーマーがどこにもいなくて怒ってたよ。もう一体、ドゥーマーがどこに行ったか知らないかい?」

 

 

 そこまで聞かれて、ハッとする。

 冷静になれ、俺。

 

 

「もう一体のドゥーマーも、俺が倒したぞ。携帯は犠牲になったがな」

「そっか、それなら良かった。⋯⋯携帯は気の毒だけど⋯⋯」

 

 

 本当に気の毒そうにする遼太郎に心が痛いが、携帯が犠牲になったのは事実なので嘘ばっかりは言っていない。

 ともあれ、こういう時こそ、張り付いたような己の鉄面皮に感謝もしたくなるというもの。

 それに、誰も冥煌想妃について怪しむ素振りを見せていない。噂では、目の中に謎の紋様が浮かぶグリムユーザーだって世の中にはいるらしいし、そんなに珍しくもないんだろう。無理矢理の完結だが、少し、いや大分疲れたので考え事はしたくないのだ。

 腕時計をちらりと見やれば、時刻は午後八時過ぎ。帰りの分の体内因子の残りはない。歩けば一時間以上かかる。帰りは十時くらいになるだろうか。

 今日はもう帰ろうと思って踵を返すと、今度は苛立ちに満ち満ちた声が聞こえてきた。やっと帰れると気を抜いたせいで、果てしなく身体が怠く重たいのだが、流石に目の前にいるのに何も言わずに帰るのは色んな意味で良くないだろう。

 

 

「ああっ、くそ! とんだ無駄足だ!」

「⋯⋯お疲れ様」

「ああ? 調子に乗らない方が良いよ。今日はたまたま当たらなかっただけだからね」

「ああ、そうだな」

 

 

 自然にそう言ったはずなのだが、何かが癪に触ったらしい彼は、ずかずかと大股でこちらへと向かってくる。殴られるか?

 彼は、俺の目の前で立ち止まるとしばらくの間、俺のことを睨みつけてくる。殴るなら早く殴ってくれ。無論、俺も殴られるつもりは無いが。

 

 

「⋯⋯」

「⋯⋯ちっ、じゃあね。お前ら、行くよ」

 

 

 満足したのか、彼は困惑するトリニティメンバーを連れて帰って行ってしまった。なんだかんだ言って、彼は面倒見は良さそうだ。

 しかし、彼も彼なりに何か思うところがあったのだろう。この世界では、一時の傲慢が、一瞬の油断が命を奪っていく。早々に、そんな若い対抗心は捨てた方が良いのだ。

 

 

「じゃあ、僕らも帰ろうか」

「そうだな。また明日、学校で会おう」

「うん、また明日」

 

 

 トリニティメンバーを連れ立って帰りゆくその背を見送ってから、俺も先程から黙りだった彼女へと視線を戻す。

 

 

「左京、終わったのか?」

「ああ。帰ろう」

 

 

 だがその前に、一つだけ聞かなくてはならないことがある。

 これだけは、何としてでも問い質さなくてはならないのだ。

 

 

 

 

「お前は、───ドゥーマーか(・・・・・・)?」

 

 

 

 

 俺の問いに、少女は逡巡する素振りすら見せず、薄らと笑って口を開いた。

 月明かりに照らされたその顔が、なんとも言えない妖艶さを見せていて。その幼さとの合体が、えも言われぬ背徳的な美しさをも垣間見せる。

 俺は、知らず知らずの内に唾を飲み込んでいた。今日は、取り乱してばかりだ。

 

 

 

 

「───内緒よ(・・・)

 

 

 

 

「⋯⋯は?」

 

 

 

 その満面の笑みが、とても可愛らしかったことだけは認めよう。

 俺は、真っ白になった頭でそんなことを考えていた。

 




 感想やアドバイスなど、作者のモチベーションに直結致します。よろしければお願いします。

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