暑いのは、本当に嫌ですね……仕事中にぼんやりする事も時折あるので本当に怖い。
今回は少し長めです。
部屋で、1人うなだれていた。
私の甘えが、姉さんを狂わせてしまったのだと、知った。
姉さんを狂わせてしまったのは、私なのだと、知った。
「私が、悪かったのね……私が、私が……」
―――スマホが、鳴った。
画面を見てみれば、そこに表示されていたのは……花本さん?
何だろうか、と思い、電話に出てみる。
「……はい」
『千景様、少しばかりお時間を頂きたいのですが、宜しいでしょうか?』
「……えぇ、良いわ」
『ありがとうございます……先日、他の巫女経由で、千景様と千草様について話を聞きました。その……千草様が、何か隠し事をしているのでは、というお話を』
「……そう、聞いたのね。上里さんかしら」
『はい。上里さんからは、事情を知るモノ以外には他言無用との事で話を聞いております』
「そうして、頂戴」
……私と姉さんの事、か。
一体、何だろうか。
『それで、その……千草様から話を聞く方法をお探しとの事でしたが』
「えぇ……」
『少し、思いついた事があります。その件で、お話をさせて頂きたく思いまして』
「……言ってみて」
『私が、直接千草様から聞き出してみたいのです』
……ふむ。
「どうして、かしら?」
『千草様が頑なに隠し続けるのは、千景様を心配させない為であると考えられます。故に、千景様から聞き出そうにも、拒否される事は想像に難くないかと』
「まぁ、そうね……」
『かといって、丸亀城に居る方々で聞き出そうとすれば、何時でも千景様と話す事ができる距離に居る事から【いつ千景様に話が漏れるか分からない】という疑問を抱かれる可能性は高いかと思われます』
「……だから、私達の事情を知っていて、かつ距離の離れている貴方なら、という事?」
『はい。可能性は、他の方が聞き出そうとするよりは、高いと考えています』
……筋は通っている、とは思う。
姉さんが話そうとしない理由は確かにそうだろうし、そこから『どうすれば話してくれるか』を考えている。
姉さんが話してくれる確率としては、確かに高いだろう。
「……貴方の意見は、分かったわ。ただ、少し聞かせて」
『はい、何なりと』
「この方法だと、今後貴方はずっと姉さんに疑われることになるわ。『秘密を漏らしてないか』と……そして、万が一、それを知られたら……」
『覚悟の上です。たとえ、その結果として……私が、どうなろうとも』
電話越しのその声は、決意が本物であると分かる程に真剣で。
「……どうして、そこまで出来るの?」
『千景様?』
「私は……私達は、偶然選ばれただけで……貴方は、偶然、私達を見出した……ただ、それだけ。それだけの繋がりしかない人間に……どうして?」
そう、疑問に思ってしまった。
偶然が重なって、私と姉さんを見出した、それだけのはずだ。
なのに、どうしてここまで、己が身を捧げるような事まで……?
『……千景様、少し、私の事をお話させてください』
「……えぇ、良いわ」
『ありがとうございます……千景様、私の名前、美佳という名前です。漢字で、美しい、佳いと書きます。これ、読みを知らない人が見たら、何と呼ぶと思いますか?』
「……【よしか】じゃないとしたら……【みか】、かしら?」
『はい、そうです。友達も、保育園の先生も、学校の先生も、病院の先生も……だれもが、【みか】と呼びました。本人達からしたら、愛称のつもりだったんでしょうけれど……私は、自分の事が否定されたように感じていたんです』
……本名を、呼ばれない生活、か。
私や姉さんは、【あの村】では、『阿婆擦れの子』『淫乱女の娘』等と呼ばれていたが……それとは、また違う。
悪気は一切ない、故にたちの悪い……そういう事なのだろう。
『正しい名前を呼ばれず、自分が自分でないような……【花本美佳でなければならない】理由を見いだせない、そんな日々を、ずっと過ごしておりました。そんな中、バーテックスの襲来があり……私は、御二人の巫女となった。私が、【花本美佳】でしか出来ない事を、見つけられたんです』
「……………」
『そして、御二人が大社に来られたあの日……御二人が、私を、【花本美佳】を、巫女だと認めて下さった。確固たる自分を、得られたのです。【みか】ではない、【花本美佳】を』
そう語る声には、熱が籠っていた。
『私は、御二人に救われました。【花本美佳】を認めて下さった、大切な御方……御二人の為になるのであれば、この身捧げる事に躊躇いはありません』
「……ありがとう、ございます」
『お礼を言うのはこちらです、千景様。御二人の為に出来る事があるのなら、何でもしたいのです』
……姉さんに、救われた人、か。
なら、まぁ……信じる、とまではいかなくても……任せてみるくらいなら、良いか。
「……貴方がなんで私達に尽くすのか、それは分かったわ」
『では……』
「……花本さん。姉さんについて、一任するわ……今は、少し、私は姉さんと距離を取った方が、いいだろうから……」
姉さんの為にも……自分にとっても、ね。
正直、心はもう、自分で分かる程にグチャグチャだ。
落ち着かせる必要が、ある。それは、確かだ。
『畏まりました。根を詰めてから、実行させて頂きます』
「えぇ……花本さん、姉さんを、お願い……」
『千景様?』
「……私は、姉さんの、負担になってるかも、しれないから……支えて、あげて……」
『……畏まりました、千景様』
電話が切られ、静寂が戻ってくる。
(……今は、花本さんに、任せよう……)
グチャグチャになった心が、落ち着くまでは。
ひとまず、姉さんの前で、今まで通り過ごせるようになるまでは…
胸が張り裂けそうなほどに苦しいけれど、涙が出そうになるけれど。
少し、少しだけ、姉さんから、距離をとろう。
「……………姉さん……………」
――――――――――――――――――――
千景様から許可を頂き、2日程上里さんや烏丸さん、安芸先輩にも協力を仰いだ。
その上でもう一度だけ千景様と電話で確認を取り、作戦は決定した。
気になるのは、千景様の様子だ。
前回電話をしてから2日、それだけでも、電話越しですわ分かる程に、落ち込まれていた。
烏丸さんの推測通り、郡様御姉妹の間に初めて出来た溝、と言うのが影響を強めている。
「恐らく、このチャンスを逃せば、次は無い」
自分に言い聞かせる。
千景様の精神状況を考えれば……そして、同じ位、もしかしたらそれ以上に傷ついている千草様の事を考えれば、次の機会が巡ってくる前に、取り返しのつかない事態になる。
故に、チャンスは今回の1度限り。
深呼吸をして、覚悟を決めて。
震える指を、感じる恐怖を、精神で持って御す。
登録されている電話番号に、電話をかけた。
『もしもし、千草ですが』
「千草様、花本です」
『美佳さん?』
「はい。少々お時間を頂いても、宜しいでしょうか?」
『えぇ、構わないけれど……』
声色だけでは、千草様の状態は分からない。
ただ、千草様は『他人に自分の状態を悟られなくする』事にかけては一流である。
それは、勇者の方々、そして勇者を見出した巫女達の共通認識となっている。
故に、この電話だけで判断はしない。
「実は、その……千草様にお願いしたい事がありまして」
『お願い?何かしら?』
「あ、あの……こ、今度の休日に、丸亀市を、散策してみたいと思っていまして」
『うん』
「そ、それで、その……い、一緒に、行きませんか……?」
声が上ずってしまうのを、気合で抑える。
傍から見れば、デ、デート……の、誘い、だけど。
まず、これが成功しないと、作戦が難しくなる。
『……………えぇ、良いわよ。少し息抜きをしたいとは、思っていたから』
「ほ、本当ですか!?あ、ありがとうございます!」
『いえ、こちらこそ』
よし!
これで、2人きりの状況を作る、と言う前提条件は達成した。
……千草様と一緒に居られるのは、純粋に嬉しいですし。
「で、では、その、日曜日に、丸亀城前で」
『えぇ、分かったわ。詳細は、後でメッセージアプリとかで詰めましょうか』
「はい!」
『……当日、楽しみにしているわね、花本さん』
「はい!!そ、それでは!!」
……千草様から話を聞き出す、というのも大事だけど。
2人きりで、街を歩くのも……楽しみたい、ですね。
「待ち合わせまで、あと1時間……」
気合を入れて、持っている私服の中から『一番似合ってるわ!』と安芸先輩に言われた服を選んだ。
『大事な日だ、手伝ってやろう』と、烏丸さんが化粧を施してくれた。
『お勧めの場所を教えますね』と、上里さんからいろんな場所を教えて貰った。
ある意味、これは勇者を支える巫女達の総力戦と言っても良い。
ドキドキと、心臓が鳴る。
緊張と、不安で、暑くも無いのに汗が頬を伝う。
12月も後半、冷たい風が吹く。
思わず目を細め……風が止んだ、その先に。
眼を開くと、1人の人が歩いて来るのが見えた。
黒い髪を風に靡かせて。
黒を基調とした、時期に似合った服装を身に纏って。
そして、柔らかく微笑みながら。
すれ違う人たちが思わず振り返ってしまう程に……おもわず、見惚れてしまう程、綺麗な、その人が。
私の前で、立ち止まって。
「お待たせ、美佳さん」
浮かべられていた微笑みを、強めて。
私の手を、優しくとって、そう言った。
「ち、千草様……おはよう、ございます」
「えぇ、おはようございます」
ドキドキ、なんてものじゃない。
心臓が破裂するんじゃないかってくらいに、音をたてている。
顔が、かぁっと熱くなっている。
「素敵な服ね、とても貴方に似合ってるわ」
「ち、千草様も、とても……とても、素敵です」
「ありがとう……少し、不安だったの。こうして着飾るのは、初めてだったから」
「そ、そうとはとても……」
「そうかしら?だとしたら、上手くいって良かったわ」
見惚れながらも、さっと全身を見る。
……目の隈とかは、見えないけれど。
ただ、どうも顔が細くなった……いや、付いている肉が薄いんだ。
「ち、千草様、その……少し、痩せられました、か?」
「―――えぇ、そうなの。訓練に集中しすぎたかもしれないわね」
「そう、ですか……」
「そうね、実は千景にも最近心配をかけてるみたいで……だから、偶には息抜きでも、って考えてたから、今回のお誘い、有難かったわ」
……千景様が、御記を読まれた事は、ばれてない。
そう思って、大丈夫、でしょうか?
いや、ここまで来たのだ、引き返す事は出来ない。
「さぁ、行きましょうか」
「え、えぇ、はい!」
歩き出す千草様に、付いて行こうとする。
が、ほんの数歩だけ歩いて、千草様が止まる。
「千草様?」
「あぁ、いえ、今日は美佳さんの散策に付き合う形だから……エスコート、お願いしても?」
「え、あ……は、はい!」
「実はね、美佳さんが何処に行きたいのか、楽しみだったの。さぁ、最初の場所に、行きましょう?」
そう、微笑みながら言う千草様の姿は、とても美しくて。
夢見心地のまま、私は千草様と共に歩き始めた。
「あ、美佳さん」
「何でしょうか?」
「『様』付けは駄目よ?変に目立っちゃうから」
「え”っ……………」
「……『さん』付けで、ね?」
「わ、分かり、ました……………ち、千草、さ、ん」
「はい、良く出来ました」
「ど、どうでしょうか?」
「とても似合ってるわ、美佳さん」
「そ、そうでしょうか……」
「えぇ、本当」
千草様と、色んな場所を巡った。
服やアクセサリーを取り扱っているお店で、互いに服を選んでみたり。
「これ、流行りの小説だって杏さんが言ってたの」
「恋愛小説、ですか?私はあまり詳しくなくて……」
「私もなんだけど、借りて読んでる最中なの。あ、あっちの方は個人的に好きな本」
「ど、どれですか?」
本屋で、千草さまのお勧めの本を教えて頂いたり。(当然買いました)
「あ、これ美味しいですね」
「こっちも美味しい……あ、そうだ、美佳さん」
「はい?」
「はい、あーん」
「ふぇ?」
「あーん」
「あ、あ、あーん………」
お勧めされたスイーツを一緒に食べたり。(差し出されたスイーツの味は一切分からなかったですが)
他にも、色んな所を一緒に巡った。
その度に見せられる、柔らかな微笑みが、嬉しくて……
―――そのどれもが、『どれも殆ど同じ』という事に、気付いてしまった。
「こういう場所、良いわね」
「え、えぇ」
とある喫茶店の、角の席。
休日という事もあり、それなりに人が居る。
けれど、店の雰囲気もあるのだろうか、静かな、落ち着きのある雰囲気。
向かいに座る千草様には、『今までと同じ』微笑みが。
眼の開き方も、口角の上がり方も。
殆ど、同じだ。
それに気付いてしまって、どうしても、気になってしまう。
ツゥ、と、汗が頬を伝う。
暑さから来るものでは、無かった。
「―――ねぇ、美佳さん」
「は、はい」
「ここ、お勧めのケーキが2種類あるみたいなの。折角だから、違うモノを頼んでみましょう?」
「あ、は、はい!それでは、千草さ、ん、は、どちらを……」
「美佳さんが、好きな方を選んで?私、もう片方を選ぶから」
「い、良いのですか?」
「えぇ」
また、だ。
見間違えではない。
『まったく同じ笑み』が、千草様に、張り付いている。
それが―――とても、とても恐ろしく、感じてしまった。
「今日は、楽しかったわ」
「そ、そう、でしたか……」
「えぇ。良い息抜きになったわ」
その後も街中を歩き、丸亀城からそれなりに離れた公園のベンチで横並びに座る。
千草様の言葉が嬉しい……けれど。
どうしても、気になってしまう。
チラリと、辺りを見渡す。
幸いな事に、自分達の居るベンチと、その周りには、人は居ない。
―――ここからが、本番だ。
「ち、千草さん」
「何?」
「あの、その……」
「―――何を、聞きたいのかしら?」
ゾクリ、と、何かが身体中を駆け巡る。
千草様の視線は、鋭く、冷たい。
「え、あ……」
「ごめんなさいね?どうしても……そう、どうしても、昔の癖って、抜けなくて」
「ち、千草、さ……」
「でもね……貴方の視線が、貴方の緊張が、どうしても私の疑いを深めてしまう。どうしても、ね?」
「す、すみません、千草様……」
「謝らないで……いや、そうね。申し訳ないと思うのなら、教えて頂戴?ねぇ、美佳さん……貴方は、『今日』、何を聞きたいのかしら?」
―――見破られていた。
何もかも、見破られていたのだ。
「ち、千草様」
「―――花本美佳、私の、千景と私の巫女。責めるつもりはありません……教えて、くれますか?」
「……ずるいですよ、千草様。そう言われてしまっては……私は、断れません」
「えぇ、そうよ……貴女なら、こう言えば断らない。そう分かっていて、こう言うの」
なんて、なんてずるい人なんでしょうか。
恐ろしく感じると共に、【断らないと分かっている】という、ある種信頼されている事に、安堵してしまう自分が居る。
少し呼吸を整えて、千草様を真っ直ぐ見る。
「千草様。この度は疑われるような振る舞いをした事、申し訳ございません」
「謝る必要はないわ……本題に入りましょう。貴女は、何を聞きたいのかしら?」
「……上里さん経由で、とある話を聞きました。千草様が、最近無茶をされている、という話です」
「……そう、ね。そう、映ったのかしら」
「えぇ。千景様も心配されているとの事で……ただ、どうしてそこまで無茶をされるのか、聴く機会に恵まれない、と。そこで、私が名乗り出たんです。私が、聞き出してみせる、と」
「……何故、かしら?」
私を見る目は、とても冷たいもので。
心の奥底まで、見透かされているような、そんな感覚。
―――バレてはいけない事だけは、隠して見せる。それ以外は、全て曝け出してでも。
「幾つか、理由はあります。まず単純に、千草様や千景様の為に何か出来るのなら、と思ったため。次に、身近な人には聞かれたくないのではと考えた為です」
「……成程、ね」
「千景様や、丸亀城で過ごす人達の耳に入る事は、私が言わなければありません。もしもこの話が伝わっていれば、その時は私以外に話を流す人間はいませんので、如何様な罰を下されても、甘んじて受ける所存です」
あくまで、『上里さんから私に話が流れて来た』、という形にする。
これは、上里さんと決めた事だ。
本来の『千景様から上里さん、そこから私』という流れは、バレてはいけない。
故に、そこだけを隠して、あとは本当の事を話す。
9割9部の真実の中に、1部の嘘を隠す。
「……………そう。そうよね。話せるとしたら……」
「千草様?」
「……ねぇ、美佳さん。約束して?誰にも……本当の意味で、誰にも話さないで。どれだけ頼まれようと……誰に、頼まれようと。真鍋さんにも、千景にも、誰にも、話さないでくれますか?」
うっすらと、涙が浮かぶ、その表情は。
もしかしたら……今日、始めて見る、『作られていない』表情かもしれない。
不安そうに、私に話す、その表情に。
悩むことなく、私は応えた。
「勿論です。貴方に仕える巫女として、誓います。この場で聞いた事は、誰にも話しません」
「本当よ?もし誰かに話したら、私は、貴女を……」
「―――その時は、私を殺してください。貴方の手で、真っ先に、他の誰も疑わず、私を」
人生で、これほど落ち着いて心の内を話したことは無い。
それ程に、落ち着いて。
私は、他人に己の命を委ねた。
「……良い、の?」
「はい。先ほども申し上げた通り、私が言わなければ、誰も分からない事です。ですので、私以外を疑う必要はありません」
「なん、で、そこまで」
「私は、千景様と、千草様の巫女です。御二人の為ならば、この身捧げる事に躊躇いはありません」
本心を、千草さまに伝える。
御二人の為ならば、この命なぞ。
千草様の反応を、伺う。
「……これから話すのは、誰にも話した事の無い話。私が、ずっと、ずっと、誰にも話すことなく隠し続けてきた事です。誰にも知られたくない事なんです……改めて、聞きます。今から話す事は、誰にも、話さないで欲しい。それがたとえ、千景であっても。少しでもそれらしい噂が流れた瞬間、私は、貴女を殺してしまうでしょう。それ位に、この話は、誰にも知られたくない事……………それでも?」
「はい。どうか、聴かせてください。千草様が、ずっと、ずっと、1人で抱え込んできたモノを……私で良ければ、支えさせてください」
少し俯きながらも私に確認を取る千草様に、私は迷わず応える。
私の言葉の後、千草様が顔を上げてこちらを見る。
その頬には、涙が伝っていた。
「―――ずっと、ずっと、怖かったの」
その言葉に、少し首を傾げる。
怖かった、とは、何だろうか?
「私と千景の親は……正確には、私達の父親は、酷い人だった。子供の事だけではなく、結婚相手にすら興味を示さないで、自分の事を最優先するような人だった。それが原因で両親は喧嘩して、最終的には母親は浮気に走った。それがバレて、私達は村八分……母親は浮気相手と共に村から逃げて、私と千景、父親だけが残された」
「ッ……」
改めて聞いても、なんて酷い話だ。
発端は父親とはいえ、そこで浮気に逃げた母親も、何も悪くない千草様達を虐めた人たちも。
なんて、酷い。
「父親は頼れない、周りの人も頼れない。だから、私が頑張らないといけなかった。私が千景の心の支えとして寄り添って、あの子が立ち直れるよう見守らないといけなかった。一緒に遊び、考え、学び、教え、良き人として成長出来るように導かないといけなかった……私が、千景の見本に、ならないといけなかったの」
「それ、は……」
絶句する他、無かった。
あらかじめ聞いていたが、【それ】は、小学生がする事では無い。
大人ですら不可能だろう。
「常に、千景の見本になれるように行動したつもりだったわ。でもね、駄目だった。駄目だったのよ、私は。その先にたどり着いたのは、過度に干渉した結果、千景を依存させてしまったという事実だけ。自立させてあげる事が、出来なかったの」
「……」
何と、声をかければ良いのだろうか。
想像することすら出来ない、苦悩の果てに。
出来る事をやった、その先で……出来ていなかったと、知ってしまった、この人に。
何と、声を―――
「―――それだけじゃ、ないの」
「……え?」
「ここに、丸亀市に来るために、私は父親を切り捨てた。勇者としての名を汚さない為に母親も切り捨てた……外道の所業よ。人として、酷い事をしたの。千景から、それを責められるのが、何よりも怖い……!」
「で、ですが、それは……」
「怖い、怖いのよ!【もしも】が頭を離れないの、千景に責められる夢を見るの、これが原因で勇者としての資格をはく奪させる夢を見るの……!!」
「千草、様……」
頭を掻きむしりながら、ボロボロと涙を零しながら千草様がそう言う。
涙で化粧が落ちて、目の下の隈が、くっきりと見えた。
「怖い、怖いよ美佳さん……!勇者の資格がはく奪されるのが怖いの。でも、勇者の資格がはく奪されないのも怖いの!」
「え、あ……」
「『家族を切り捨てる』なんて酷い事をしたのに、私は勇者の資格をはく奪されないの。勇者の基準が、『無垢な乙女』の基準が分からないの!ねぇ、どうして?どうして私は許されてるの!?」
「そ、それは、その……」
―――分からない。
どうして、なんだろうか?
頭の中で、考えてみる。
「怖い、怖いよぉ……はく奪するなら、今すぐしてよぉ……!」
どこまでも、落ち着いていて、笑顔を絶やさなかった千草様が。
年頃の少女の様に、泣いている。
神聖で、尊ぶべき御方の、人らしい姿。
―――気が付けば、優しく抱きしめている、自分が居た。
「千草様……大丈夫、大丈夫です」
「よ、美佳さん……」
「神樹様は、千草様を見捨てる事はありません。大丈夫です」
あぁ、分かったかもしれない。
神樹様が、何故この御方から勇者としての資格をはく奪しないのか。
「千草様。1つ、お聞かせください」
「何……?」
「千草様、貴方様は……家族を切り捨てられた事は、千景様や貴方様の為だけでは無く、『切り捨てた家族の為』でも、あったのでは?」
「……なん、で、そう、思ったの?」
「幾つか理由はありますが……千草様は、お優しい方ですから。きっと、己が保身の為『だけ』に、切り捨てるような事はされないと、思いまして。それに、もしそうであれば、神樹様が勇者としての資格をはく奪しないのも、理解出来ますので」
どこまでも、人らしい姿。
そこに私は、勇者の資格がはく奪されない理由を見出した。
あれだけ辛い目に遭われて、尚、外道へと堕ちることなく、今日まであり続けた。
それこそが、証拠なのではないだろうか?と。
「家族を切り捨てた事を、千草様は『外道の所業』と言いました。恨み、妬み……人によっては、復讐に走っても可笑しくない程、辛い目に遭われた。ですが、千草様はそうした行為に走らなかった。耐えて、その中で出来る限りを尽くされた。その姿に、神樹様は勇者としての資格を見出されたのではないでしょうか?」
「で、でも……私は、保身の為に、家族を切り捨てて……」
「……『それだけ』、なのですか?」
「え?」
「あくまで保身の為、その為『だけ』だと……本当に、そうなのですか?」
そう、どうしても気になってしまうのだ。
この優しい御方が、保身の為『だけ』に、動くのだろうか、と。
呆けた表情を見せる千草様に、何度も聞く。
「保身の為、というのはあるのかと思います。ですが、本当に、その為『だけ』なのですか?」
「……ない」
「?」
「……分からない。分からない、分からない……分からないわ、そんなの……」
「美佳さん、私はね―――――『私自身』が、分からないの」
「そ、それは、どういう……」
「恨みはある『はず』、怒りもある『はず』……だけど、産んでくれた感謝もある『はず』で、育ててくれた恩も感じてる『はず』、それこそが人としての正しいあり方だから『そのはず』なの。千景と共に過ごす中で、親への負の感情は確かに持ってて、でもそれを表に出すのは理想的な人間ではないと表に出さないように気を付けていて……気が付いたら、どれが正しいのか、分からなくなっちゃった」
―――それ、は。
「ねぇ、美佳さん……『私』って、どれが正しいのかな?恨みを持っている『私』?怒りを覚えている『私?』産んでくれた事に恩と感謝を感じている『私』?それとも、それらの感情を表に出さない『私』?他人を疑って過ごす『私』?仲良くしたいと思う『私』?どれが、『私』かな……?分からないんだ、分からないの、分からなくなっちゃうの……!だからね、質問には答えられないの。『本心』って言うのが、分からないの。だからね、保身の為だけに切り捨てたのか、その先に別の意味があったのかも、自信を持って答えられないの」
―――なんで、どうして。
「千景の為に頑張ってる『私』は、多分、本物……そう、それだけは、多分本当の『私』なの。だから、頑張らないと、頑張らないといけないの。『私』は、千景の為に頑張れる『私』は、『私』だから……!!」
―――どうしてこの御方は、こんなにも苦しまないといけないの?
ギュウッと、抱きしめる力が強くなる。
どうか、何か、言葉をかけなければ。
何か、私に出来る事、私に伝えられる事は、何が……
そうだ、これを、伝えよう。私でも、分かる事を。
「千草様」
「美佳さん……」
「……私から言えることは、少ないですが、宜しいでしょうか?」
「うん、お願い、教えて……」
「千草様は、千景様の為にと行動出来る、勇気ある御方。優しく、強い御方で……私が、敬愛し、誰よりも尊ぶ御方です」
そっと、ハンカチで涙を、涙で落ちた化粧を拭きとる。
化粧で隠されていない、ありのままの千草様を、真っ直ぐに見つめる。
「千景様の為に頑張る御方、確かにそれも千草様です。ですけど、もっと沢山、千草様の素敵な所はあります……どうか、周りの言葉に、耳を傾けて下さい。時には、周りを頼ってください。千草様『だけ』が頑張る必要は、無いんですよ」
「そう、なの?」
「はい。私が知らない、知る事の出来てない『千草様』を知っている方が、周りにはいらっしゃります。どうか、不安を、恐怖を、抱え込まないでください……千草様でも分からない『千草様』を、きっと、知っている人が、居ますから」
頼る相手が居ない故に、常に模範的であれと行動されてきた御方。
だが、もう、その必要は無い。
千草様の、千景様の境遇を知り、それでも支えたい、そう思う人たちが居るのだ。
千草様が知るべきは、『他人を頼る事』だ。
―――ツゥ、と、拭いたばかりの千草様の頬を、涙が伝う。
「……良い、の?誰かを頼って、良いの?」
「はい、良いんです」
「私、託されたの。千景の事を、母さんから。私が、私だけが、託されて……」
「託されたのは千草様かもしれません。ですが、誰も頼ってはいけないと、言われたわけではありませんよね?……大丈夫、大丈夫ですよ」
「……………良い、んだ。私、誰かを頼って、良いんだ……!」
誰も頼れない日々の中で、誰かを頼るという選択肢を、忘れてしまった。
正確には、『自分の事を』誰かに委ねる、という選択を、忘れられてしまったのだろう。
「はい、良いんです……私で良ければ、幾らでも、頼ってください。微力ながら、お手伝いさせて頂きますから」
「良いの?美佳さん、私……」
「私は、千草様の御役に立てるのならば、何でもします。何でも、申し付けください」
「……じゃあ、ね?暫く、こうさせて……?」
「えぇ、千草様が望むままに」
抱きしめる力を弱めて、そっと片手を千草様の頭の上へと持っていく。
優しく撫でると、嗚咽が聞こえてくる。
私は、千草様が自分から離れるまで、ずっと、ずっと、優しく抱きしめ続けた。
1つだけ言わせてください。
やっちまったぜ(テヘペロ
筆が乗った結果、色々と背負わせてしまいました。反省はしてますが後悔はしてません。
あと1話か2話、続いたら大きく時系列進む予定ですので、もう少々お付き合い下さい(土下座