【完結】ヒソカは雑魚専? よろしい、ならば転生だ   作:虫野律

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ミステリー? コメディ? いや○○○だ!

 ユナフィが産まれたのはパドキア共和国南西部に位置する歓楽街、その周りにカビの様に拡がる無法地帯、所謂スラム街と呼ばれる肥溜めだった。

 

 物心つく前から、ユナフィは母親の矯声を聴いて育った。その行為をユナフィに見せないようにと良心的な配慮などあるわけもなく、ユナフィの眠っているベッドでことを始められてしまい、男の体液が顔にかかり、目が覚めてしまったこともある。しかも、オーナーも管理人もいないワンルームのアパートではその声から逃れることは出来ない。さりとて、外は死亡率の極めて高い危険地帯。ユナフィは逃げ場のない暗がりに沈められていたのだ。

 

 こういったところでは良くある話だが、ユナフィも例によって父親を知らない。母親の職業はフリーランスの花売り、要するに後ろ楯のない娼婦であったことから、父親はどうせ客の内の誰かだろう、と色々なことを理解できる年齢になったユナフィはそんな風に思っていた。 

 

 ユナフィが9歳になった頃だ。いつもの様に母親と客がまぐわう様を部屋の隅──この頃には行為の最中は部屋の隅に避難するようになっていた──で目と耳を塞いで耐えていたら、母親へと執拗に自らを打ち付けていた男が、いきなりユナフィを掴んで床に叩きつけるように転がした。

 ユナフィからすれば、急に母親の声や動く気配が止んだかと思ったら痛みを強制され、思わず瞼を開いたら男が自分を見下ろす様が見えた形になる。

 

 ああ、次は自分の番なんだ。

 

 その行為の意味は何となくしか分からないけれども、少し前から漠然と自分も母親と同じになると考えていたから、特に驚きはなかった。だけど、ユナフィは自分が震えていることに男が強引に母親と同じ格好をさせた時になって漸く気づいた、気づいてしまった。

 見ないようにしていた嫌悪感や恐怖感が一気に沸き上がる。

 

「いや! いや! 助けて! お母さん!」

 

 泣きながらすがったのは、先進国の一定水準以上の階級が言うところの育児など、一切して来なかった母親だった。学校にも通っておらず、偶にある、はした金稼ぎの時以外は外に出ないユナフィにとって母親が世界の全て。母親が自分に優しくしてくれたことなどないが、でも、それでも、いつか、自分にも笑いかけてくれるとこの頃はまだ信じていた。しかし。

 

「うるさい! クソガキが!」

 

 母親から返って来たのは罵声と平手打ちだった。母親はユナフィを助けるどころか、憎々しげに睨み付けてユナフィを顔が腫れて元が分からなくなるくらいに何度も何度も打ち付けた。幼いながらも美しさの片鱗を見せていたユナフィの面影は見るも無惨に破壊される。

 

「おい! 止めろ! せっかくの穴人形が台無しだろうが!」

 

 そう言って母親を蹴り飛ばした男は、すぐにユナフィの下へ戻り文句を言いながらも、ユナフィを食い物にする。

 

「痛い! 痛い。いたい。イタイ。いた……」

 

 男がユナフィへの関心を一時的(・・・)に無くした後、帰り際の男から金を受け取った母親のねっとりと絡みつくような笑顔が印象的だったとユナフィは記憶している。

 

 それから男は ユナフィがその痛み、異物感や沸き上がる嫌悪感に慣れてしまうまでたびたびアパートを訪れて傍若無人に振る舞った。その度にぶたれ、罵倒されたが、繰り返される内にそれに抵抗や反応をしなくなっていった。帰りに決まって金を置いて行くから、母親の懐は潤っていたと思うが、ユナフィのためにそれが使われているようには感じられなかった。

 更にユナフィにとっては悪いことに、その行為の相手は最初の男だけでなかった。最初の日の翌日から他の男たちが訪れるようになったのだ。後になって知ったことだが、幼い少女を好きな連中の間で、ユナフィは噂になっていたのだ。格安で好きなだけヤれて、好きなだけ殴ってもいい美しい少女が居る、と。

 

 何故逃げないのか。

 何処に逃げたらいいか分からなかったし、産まれたアパート以外での生き方なんて分からなかったからだ。それに繰り返される内にユナフィにある変化が産まれたことが大きい。

 ユナフィは自分にできることはそれ(・・)だけだと思い込むようになったのだ。ことある毎に無能、役立たずと罵られ暴力を受ける。唯一優しく(・・・)されるのは早く終わらせようと一生懸命にそれをした時だけだ。ユナフィが誰かに笑いかけられるのはユナフィに侵入してくる男たちの欲に濡れた嘲笑だけ。

 それでも、本当に極稀に頭を撫でられ、ふわりと髪を()かれることがあった。それに意味はなかったとしてもユナフィはその時だけは痛みが和らぐ気がした。ユナフィはそうしてもらいたくて、もっと良くしようと行為に沈んでいく。そして、また暴力と暴言。戯れのおぞましい優しさ。負のスパイラルがユナフィに、より強い刷り込みを与える。自分には男の獣欲を受け入れることしか出来ない。それが自分の価値の全てなんだ、と。

 

 日常と化した暴行により、顔や身体に消えない傷を負い、左目の視力もほとんどを失った頃、ユナフィにとっての転機が訪れる。ユナフィがもう少しで11歳になろうかという頃の出来事だ。

 

 その日、ユナフィは珍しくスラム街から出て、歓楽街の端に足を運んでいた。街行く人々はユナフィの顔にある傷痕や歪んでしまった鼻骨を見て気味悪そうに、されども恐い物見たさで不愉快な視線をぶつける。しかし、ユナフィはそれを不快に感じる素振りは見せない。少なくとも表面上は無表情のまま、彼らを一瞥すらせずに目的地へ向かう。

 

 ジャポン系マフィアの事務所。彼ら曰くマフィアてはなく極道であるらしい。ユナフィには違いが分からなかったが、敢えて反抗する意味もないので彼らの前ではその様に呼ぼうと決めた。

 

 よく掃除の行き届いたガラス張りのビル、それが極道なる輩の事務所だった。周りの欲望と体液にまみれたかのごとき汚ならしい街の中で、そこだけはオアシスのように清らかさを保っている。ユナフィは不思議な光景にしばし立ち止まってしまうが、気を取り直してビルへと入っていく。

 

「ああ? またガキかよ。てめぇはどんな用だ?」

 

 スライド式の自動ドアが開きユナフィの対応をしたのは、短髪の若い男だった。

 

「……母さんの借金のことで」

 

 母親が作った借金は当時のパドキア共和国の平均年収と同じ位である。債権者がまともな金融機関で、ユナフィたちも普通の生活をできていれば、返済は不可能ではないが、法外な金利に少ない収入、更に母親の浪費癖、到底返済できるものではない。

 そして、履行遅滞をいつまでも許してくれる程、極道は優しくない。少し前から取り立てがきつくなってきていたのだ。アパートの前に明らかに堅気でない男たちが居ては商売にならない。

 追い詰められた母親はユナフィに僅かな金も持たせずに返済期限を延ばすよう話を付けて来いと命令したのだ。ユナフィにもそんなことは無理だと思われたが、だからと言って何もしなければ破滅だ。であれば道理を退けてでも無理を通さなければならない。

 それにだ。母親が言うのだ。

 

『お前ならしゃぶってやればすぐさ。最低(さいこう)の女だからね』

 

 褒められて嬉しくなったユナフィは期待に応えようと思ったのだ。頑張らないと。

 

 そうしてやって来た1人ぼっちのユナフィが発した『母さんの借金』という言葉を聞いて得心がいったようだ。男に理解の色が浮かぶ。

 

「……あー。てめぇがそうか。入れ」

 

 若い短髪はユナフィを招き入れた。じろじろと値踏みするような視線を感じたが、それで何かが減るわけではない。ユナフィはすぐに忘れてしまった。

 

「薄気味悪りぃガキだな」

 

 2階の1室に通されたユナフィを見るなりソファにふんぞり返っていた眼帯の男が吐き捨てる。

 しかし、ユナフィが気になったのは男の言葉ではなく、部屋の隅でぐったりと倒れている同じ年頃の少年だった。血を流し、所々服が破れている。ユナフィの位置からは分かりにくいが手錠が嵌められているようだ。

 ユナフィが少年を見ていることに気づいた眼帯の男は、ため息をついてから、少しだけ少年について教えてくれた。

 

「そいつはな、色々な物を騙し取る詐欺師だ。まだ、10年位しか生きていない癖に見事なもんだぜ? こいつの嘘はよ」

 

 そんな存在が居るなんて想像していなかったユナフィは強い衝撃を覚える。元より極めて狭い世界しか知ることが出来なかったユナフィにとっては新鮮そのものだった。

 

「だがよ、ちぃとばかり調子に乗り過ぎたんだ。俺らみたいなクズに手を出しやがったら、タダじゃ済まねぇなんてガキでも分かることだ」

 

 自分をクズと言いきる男にそれを反省しようとか改善しようとかいう気持ちはこれっぽっちもない。ユナフィにもそれは分かる。

 

「それでこの様だ。勿体ねぇよな、なかなか男前になりそうなのによ」

 

 視覚が脆弱なユナフィには少年の顔の全体を正確に認識することはできないが、言われてみれば今まで見てきたどんな男より整った仮面を被っている気がする。

 2人の会話を聞いていたのだろうか、少年が身動ぎして声を発する。

 

「オッサン、ホモだったのか? ごめんな気づいてやれなくて」

 

 少年はバカにしていることを見せ付けるようにわざとらしく嘲りを浮かべる。

 

「……おーおーまだそんな元気があるのか。お前こそ掘られたそうな顔してるじゃねぇか。良かったな。その願いはすぐに叶うぜ?」

 

 眼帯の男が傍らに控える部下の1人に目配せする。それを受けて部下が問う。

 

「よろしいのですか?」

 

「ああ。好きなだけヤれ」

 

「承知しました」

 

 丁寧な言葉使いとは裏腹に、目配せを受けた時から部下がギラついた性欲を何とか抑えていることは、スラックスに滲み出したものからも一目瞭然だった。

 

「おいおい。早漏は勘弁だぜ?」

 

 しかし、それでも少年の態度は変わらなかった。

 

 その態度に憤ることもなく部下の男は無言のまま少年に近づく。

 

「うーん。困ったなぁ。どうしよっかなー」

 

 困ってるようには聞こえない調子で朗らかに言った時、昔より見えなくなったユナフィの視界が、自分を見る少年を見つける。少年と目があったのだ。

 ユナフィは目を離すことができない魔法にかけられた錯覚に陥る。

 

 不意にニヤリ、と少年が笑う。

 

「はい! 手錠が外れました。何故でしょう?」

 

 何が起きたのだろうか? ユナフィにも男達にも過程を理解することは出来なかった。金属製の手錠が床に衝突した音の残滓が白々しく脳内を這いずり回る。

 

「……何をした?」

 

 眼帯の男が今までの穏やかとさえ言える雰囲気を一変させる。

 

「質問に質問で返すなんて礼儀がなってないなー?」

 

「そうかい。じゃあ死ね」

 

 眼帯の男の側に控えていた男達が各々得物を手にする。

 

「おっと動くな。この女の子がどうなってもいいのか?」

 

 まただ。誰も過程を理解できない。気がついた時には少年はユナフィの首に腕を巻き付けナイフを突き付けていた。少年の息遣いがユナフィの耳を(くすぐ)る。

 眼帯の男は不可解な現象にも隙を見せずに少年を睨み付ける。

 

「そのメスガキが人質になるとでも思ってんのか?」

 

「なるんじゃない? どうせエログロいことやらせて金を絞り取ってから内臓を切り売りして小金を稼ごうとか考えてるんでしょ? 死なれたら損じゃない?」

 

 舌打ちをしてから少年の言を肯定する。

 

「よくわかってんじゃねぇか。そいつの親の借金分は回収しねぇと割に合わねぇんだよ。親からも快諾をもらってんだ。だから、素直にそれをこっちに寄越せ」

 

「嫌だよ。そんなことしてもオレには何の得もないじゃん」

 

「分かってねぇなぁ。確かにそのメスガキは欲しいが絶対つーほどじゃねぇんだ。今すぐお前ら2人を殺しても大した問題じゃねぇ。だから、俺はお前の度胸に敬意を表して最後通告をしてやったんだ。素直に従えば苦しまないように殺してやる」

 

 ユナフィは急に色んな情報が飛び込んできて思考が纏まらない。

 母さんが私をこいつらに渡した? 内臓を切り売り? なんで。褒めてくれたのに。なんで。あんなに頑張ったのに。なんで。なんで。なんで。なんで。捨てられた。私は要らない。役立たず。痛い。どうして。どうして。どうして。どうして私は生きてるの。苦しい。苦しい。苦しい……。

 

「ひでー。こんなにかわいい子供たちを殺すなんて鬼畜! 下衆! ホモ! 短小!」

 

「最後にもう一度言うぞ? そのメスガキを寄越せ」

 

 自らの腕の中でユナフィが震えていることに気づいた少年が、ユナフィにだけ聞こえる小さなウィスパーボイスで耳元で言う。

 

『もう少しだから、ちょっとだけ我慢して』

 

 その声はユナフィの深いところに染み込んでいくように感じられた。少しだけ痛みが和らいでいることに気づく。

 ふてぶてしい態度を改めることなく、少年が眼帯の男を挑発する。

 

「ホモなのにロリコンなの? こいつはやべーぜ」

 

「……殺れ」

 

 眼帯の男が部下をけしかけようとした時、また、奇跡が起こる。いつの間にか部下が手にしていた武器が床に散りじりに散らばっていたのだ。部屋の扉も開いている。少年を除き過程を理解できる者はいない。分かるのは結果だけ。ユナフィには少年がいつか見た絵本に出てきた魔法使いに思えた。震えはもう止まっている。

 

「ペテン師が! 何をやったか知らねぇが武器なんて無くても構わねぇんだよ! お前ら! ガキを殴り殺せ!」

 

 まただ。また魔法が起きる。殺意を手に少年を惨たらしく蹂躙しようとした男達のズボンとパンツが下がっていたのだ。何時の間に? 何故? どうやって? 

 少年に近づこうと足を動かした者は足が(もつ)れて転んでしまう。

 

「オレはそろそろ腹ペコだから帰るわ。じぁあね! ホモのオッサン!」

 

 最後にそう言ってユナフィの手を取り、走り出した少年はまんまと逃げ(おお)せてしまう。

 眼帯の男の顔には『ガチホモ』と大きく油性マジックで書かれていた。  

 

 

 

 

★★★

 

「はーしんどー」

 

 歓楽街を走り回った少年は息を切らしながら言う。体力のないユナフィは呼吸がろくに出来ずに少年の言葉を上手く聞き取れなかった。

 

「君さ。これからどうすんの?」

 

 ユナフィが幾分か落ち着いたのを見計らっておちゃらけた装いを一転させた少年が問う。

 

「分からない」

 

 母さんに捨てられたユナフィはあのジメジメしたアパートに帰りたくなくなっていた。でも、これからどうすればいいかなんて分かる訳もない。しゃぶって、殴られ、腰をふり、罵倒され……それしか経験がない。字も読めないし、計算も出来ないし、力もない。知り合いはユナフィの穴を使う男達と自分を捨てた母親しかいない。

 

「ふーん。じゃあ、ウチ来る?」

 

 少年は何でもないことのように言ったが、ユナフィにとってはそうではない。

 

 もしかしてこの少年もあの気持ちの悪い男達と一緒なのだろうか。また、いつもの様に痛めつけられ生臭い液体を押し付けられるのだろうか。

 

 しかし、ユナフィはふと気がつく。

 

 それのどこが問題なのか? この少年にそれをされるのはそんなに嫌じゃない気がする。それどころか……。

 

 ユナフィは心のどこかにチクチクとするササクレが違和感に似た痛みを主張していることに気づいていたが、努めて知らんぷりをすることにした。

 

 ユナフィは少年の言葉に頷いた。

 

 

 

 

★★★

 

 セオと名乗った少年は、家と呼ぶよりは棲み家と呼ぶべき廃墟へとユナフィを案内した。どうやらその廃墟が少年の家らしい。セオが言うにはギリギリ廃墟だからセーフらしい。意味が分からない。

 

「ちょっとだけ散らかってるけど気にしないでね」

 

 ちょっとだけではない。ユナフィは納得出来なかったものの敢えて口にはしなかった。そんなことよりも聞きたいことがあった。

 穴だらけのソファに身を投げ出したセオを見つめて大事な質問をぶつける。

 

「何で私を助けたの」

 

 ユナフィはそれが分からなかった。魔法使いみたいな少年ならば自分だけ逃げることも出来たはず。それならばやっぱり……。

 

「当然、君のカラダが目当てさ!」

 

 ニカっと爽やかに笑った少年は、やっぱり綺麗な顔をしているとユナフィは思う。

 

「そう。分かった」

 

 それなら自分にもできる。ユナフィは着ているボロい布をさっさと脱ぎ捨て、セオに近づく。

 

「えーなんか傷だらけで萎えるわー」

 

 ユナフィはピタと固まってしまう。今までにもユナフィの傷を見て嫌がる男は少なからずいた。セオもそうなのだろうか。

 

 そうだとしたら、私はどうすればいいの。

 

 せっかく喜んでもらえると思ったのに。また、捨てられるの。

 

「うわー冗談だって。傷位でどうこうはないし、つーかカラダ目当てでもないし」

 

「……じゃあなんで」

 

「ノリ!」

 

 正直、納得できないユナフィだったがそれ以上問い詰める意味はないと思い、黙する。

 

「ぜってー納得してないよ。顔にはっきり書いてる。なんつー分かりやすい奴なんだ」

 

 もしかして私はからかわれて、バカにされているだけなのだろうか。そう思うと何だか少しだけムカムカしてきた。1人で盛り上ってバカみたいだ。

 

「あーあ。ムクレちゃってまー。しょーがないなー」

 

 セオが部屋と呼ぶには余りにも煩雑な穴蔵の隅にある箱をゴソゴソと漁り出した。

 

「あれー。ここに入れたと思ったんだけどなー。ないなー。あ! そう言えばベッドの上だった。ヤベーボケたかも」

 

 セオは抜け殻の様な寝床から小さな物を見つけると、ユナフィの下へ持ってきた。

 

「はい。これあげるから機嫌治して。多分ヤベー値段のヤベー口紅」

 

 口紅? 

 ユナフィはその単語の意味を理解するのに一拍の時を要した。ユナフィは使ったことはないが、母親が使っているのを見たことがある。

 

 突然、頭に熱を感じた。セオがユナフィの頭に手を乗せたのだ。ユナフィは自分が期待していることを自覚する。鼓動が煩く鳴っている。

 

「飯にしようぜ」

 

 そう言ってユナフィの髪をくしゃくしゃに掻き回して離れていってしまった。

 

 ササクレは溶けてどこかへ消えたみたいだ。

 

 

 

 

 

★★★

 

 

 それからの日々はユナフィにとってあの暗い部屋で過ごした時間とは比べものにならないくらい幸せだったと、大人になったユナフィにさえ昔を振り返った時にそう思わせるものだった。

 

 セオには親はおらず1人だったが、決して貧しいわけではなく、むしろ、お金が無くて困ったことなどユナフィが知る限り一度もない。セオが外で何をしているかなんて知らないが、そんなことはユナフィにはどうでも良かった。

 セオから字や計算、それに社会の仕組みやその他の色んなことを教えてもらったユナフィは買い物をしたり、部屋の片付けをしたり、何故か通っている水道やガスを使って料理をしたりして過ごしていた。

 

 ずっとこのまま2人で生きていきたい。

 

 ユナフィがそんな風に考えるまで時間はかからなかった。だけど、ユナフィには一つだけ不満があった。

 

 いつまで経ってもユナフィにして(・・)くれない。色んなことが分かってきたユナフィはそれが持つ意味を理解するようになっていた。いや、本当は理屈なんて言い訳でしかない。

 セオに求めて欲しい。昔は嫌で仕方なかった温い液体を染み込ませて欲しい。セオの匂いが取れなくなるまで浸して欲しい。セオが欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。

 ユナフィはまた熱を鎮める日課を薄暗い部屋でひとりでこなす。  

 

 そんなある日のことだ。セオがユナフィを外に連れ出した。

 

「どこに行くの」

 

「秘密」

 

 セオが秘密主義なのは今に始まったことではない。ユナフィにとってはいつものことだし、それよりセオと出掛けられることが嬉しかった。

 

「さ。着いたよ。入ろうか」

 

 ユナフィの目の前にはホテル・ブランとの大きな文字が写っている。このホテルはパドキア共和国でも上から数えた方が早い高級ホテルだ。

 こんな所に来たことがないユナフィは戸惑ってしまうが、セオは構わずに行ってしまう。置いて行かれないように小走りで追いかける。

 

 何を考えてるのだろう。

 

 セオの頭の中はユナフィにとってはミステリーそのものだ。懸命に理解しようとしても煙の様に実体を掴ませない。いつものことだけれど、少しだけさみしい。

 

「お待ちしておりました。セオ様とユナフィ様で御座いますね。ご案内いたします」

 

 制服をきっちりと着こなした綺麗な(ひと)が出迎えた。ユナフィはつい自分と比べてしまう。鏡を見るのは好きじゃないけど、セオがくれた口紅を付ける為に今日も醜い自分と向かい合ってきた。

 歪んだ傷だらけの顔。

 いつも思う。もっと早くセオに出会っていれば。あの母親から産まれなければ。意味のない空想だ。でも考えずにはいられない。

 

「何、固まってんだよ」

 

 セオがユナフィを見つめていた。どうやらユナフィは自分の世界に入っていたようだ。悪い癖だ。

 

「ごめんなさい」

 

「ほら行くよ」

 

 セオとユナフィのやり取りを急かすことなく静かに待っていた綺麗な(ひと)は、タイミングを察して案内の為、歩き出す。

 

 ぐにゃぐにゃと入り組んだ通路を通ったせいで方向感覚が分からなくなってしまったユナフィは言い知れぬ不安を覚えるが、前を歩くセオを見てすぐに安心する。

 

 セオが近くにいれば私は大丈夫。

 

「こちらで御座います」

 

 そう言った綺麗な(ひと)は恭しく扉を開く。中は電灯が点いていないのだろうか。ユナフィにはよく見えない。

 

「ありがと。じゃあ、ユナフィ」

 

 扉から中を見ていたセオが手招きするので、なんだか恐いけれども暗い部屋の入り口に立つ。やっぱり暗い。暗くて何も見えない。

 

「さよなら」

 

 セオが言った言葉を理解するよりも早くユナフィは部屋の中へと突き飛ばされてしまう。

 

 急に明るくなる。部屋の中で転んでしまっていたユナフィは今度は目がチカチカさせられる。

 

『さぁ、皆様、次のショーのキャストをご紹介いたします』

 

 機械越しに男の明るい声がする。

 

『この汚ない少女はなんと元娼婦だそうです。10にも満たない頃にデビューしたというオマセさんでございます』

 

 何を言っているんだろう。何が起きているのだろう。

 

『今日は身の程知らずにも恋心を抱いていた美少年のエスコートで当ホテルをご利用いただく運びになったのです。とてもロマンチックですね。私、年甲斐もなくトキメイてしまいました』

 

 獣の唸り声のようなナニカが聴こえる。いや、違う。段々と目が見えるようになってきたユナフィはこの部屋が広いホールであることに気づく。そして、天井近くの壁がガラス張りになっている。その向こうには無数の人が(うごめ)いている。皆、ユナフィを見ているのだ。さっき唸り声だと思ったのは彼らの上品な笑い声だった。

 

『それでは次のキャストにご入場願いましょう』

 

 ユナフィが入って来た扉の反対側にある扉が開き、数人の男が電子的な赤いライトの点いた手枷と足枷を嵌められたまま、転がされる。足枷にある鎖が短いせいで一度倒れてしまうと巧く起き上がれない。足をもがれた虫のように身を(よじ)っている。ユナフィにはよく分からなかったが首輪もしている。こちらも赤いライトが点っている。

 

『こちらの男達は今月に刑が執行される予定の死刑囚でございます。いずれも強姦殺人を犯していますが、性癖は千差万別! 被害者が死ぬこと以外は共通点が有りません! 素晴らしいですね。彼らには殺し合っていただいて勝者には少女が賞品として与えられます。サプライズプレゼントに私、胸が高鳴っております』

 

 武器と呼ぶには余りにもお粗末な錆びた包丁や腐ったこん棒、その他何だかよく分からないものが上から降ってくる。中には子供用の縄跳びまである。これらを使って殺し合えということだろう。

 

『お待ちかね、ショータイムの始まり……の前に少女を提供していただいた美少年から一言お願いします』

 

 司会の言葉にブーイングにも似た苦笑が観客に広がる。そんなものより早くショーを始めてほしいのだ。

 

下衆ども(紳士淑女の皆様)、ご紹介にいただきましたセオと申します。皆様のお気持ちは良く分かります。御託はいいから早くしろとお思いでしょう。しかし、どうか賞品に向けた最後の発言をお許しください』

 

 いつものセオの声だ。いつもと何も変わらない。

 

『ユナフィ、聞いてるよね。何で助けたかって君が聴いたことがあったよね。あの時は誤魔化したけど、君を助けた理由は一つだけ。君ならおいしい絶望を食べさせてくれると思ったからだよ。オレは他人の絶望がないと生きていけない位、それが大好物なんだ。だから、下拵えをしっかりとした。ありがとう、希望を持ってくれて。ありがとう、オレを好きになってくれて。ありがとう、絶望してくれて。今のユナフィなら愛してるぜ?』

 

 地の底から響くような暗い振動が空気を揺らす。観客が沸いているんだ。

 ユナフィは理解しまいとしていた現実を漸く理解する。させられる。ユナフィは騙されていた。そして、またユナフィは捨てられたのだ。どうしようもない哀しみ、憎しみ、そしてそれでもまだいつもみたいに冗談だよ、と言ってほしいと願う幻想が溢れる。

 

 どうして。どうして。いつも。苦しい。痛いよ。私は……。セオ……。

 

 しかし、ズキズキと傷む心がユナフィから希望も幻想も削ぎ落としていく。

 

『ハートフルなメッセージに感動を禁じ得ません。さて、時間も迫ってまいりました。そろそろ開幕で御座います。大変長らく御待たせ致しました』

 

 司会がわざとらしく間を開ける。そして、明るい口調で始まりを告げる。

 

『So,it's Showtime!』

 

 開幕と同時に死刑囚に嵌められていた枷が電子音と伴に外される。すると、1人の死刑囚がユナフィへと一直線に向かってくる。

 

 ユナフィの目前まで来た時、突然、男の首が爆散する。首輪に仕込まれていた爆弾が爆発したのだ。男の血と肉片がユナフィの顔に飛び散る。

 

『勝者が決まるまで、賞品へのおさわりはご遠慮ください。ちなみに15分以内に決まらなければ全員、この場で死刑執行致しますので、ご理解、ご協力の程を宜しくお願い致します』

 

 司会が敢えて説明していなかったルールを述べる。

 逃げ場のない殺し合いが始まった。

 

 ある男は頭部を殴られ昏倒し、ある男は包丁で腹部を抉られ、ある男は指を目に突き刺され、怒号と殺意と獣欲が広いホールを満たしていく。

 

 嫌。恐い。殴られたくない。飲みたくない。嫌。犯されたくない。もう嫌。殺されたくない。

 

 ユナフィの中で拒絶が膨れあがる。

 

「嫌。いや。イヤ。もう嫌ぁぁぁ!」

 

 拒絶が、感情が爆発する。

 

 最後に残った2人の男の片方が錆びた短剣をもう片方の男に揉み合いながも突き刺す。これで俺の勝ちだ。そう思った瞬間に背中に痛みを感じる。なんだ。これは。振り返った男が見たのは包丁の切っ先を男へと向ける少女の姿だった。

 

「ああああ! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね。死ねぇぇぇ!」

 

 最初に内臓にダメージを与えられ、痛みで上手く動けない男はユナフィに滅多刺しにされて殺される。 

 

 立っているのはユナフィだけ。なのに司会の男は何も言わない。不気味な静寂がのしかかる。

 

 何で。もう終わったよ。早く私をここから出して。早く。早く。早く。

 

 ユナフィはフラフラと扉へと近く。ここに居たくないという気持ちが自然とそうさせたのだ。

 

 死体の側を通り過ぎた時。ユナフィは強い衝撃により床に倒れてしまう。何が起きたかすぐに理解してしまう。死体だった男に殴られたのだ。こん棒で殴られた男は死んだフリをして獲物を仕留める機会を伺っていた。そこに思い至り、まやかしの希望が消えていく。もうひと欠片の希望も幻想もない。

 

 ユナフィの絶望が始まった。殴られ、出され、首を絞められ、また出され、指を折られ、擦りきれて血まみれの中に何度も吐き出される。

 意識を失い、痛みで覚醒し、また、意識を失う。そんなことを繰り返しながらユナフィは多くの感情を失っていく。しかし、憎しみは、暗い感情はユナフィを掴んで離さない。

 

 許さない。私を殴って。許さない。私を犯して。許さない。私を利用して。許さない。私を騙して。許さない。私に愛を抱かせて。許さない。許さない。許さない。

 

 ユナフィの中を這いずり回っていた男が突然しゃべり出す。

 

「俺はなぁ、女の心臓に穴を開けて、そこに突っ込んでイクのが大好きなんだ」

 

 涎をユナフィへと撒き散らしながら男はユナフィを押さえる手に力を入れる。

 

「最高だぜ。恐怖に歪んだ顔してる癖に心臓はビクビクとおねだりするんだ。愛ってこういうことを言うんだよな」

 

 しかし、ユナフィが一番許せないのは母親でも、セオでも、今、ユナフィを犯す男でもない。

 

「そろそろ最高の瞬間を楽しもうぜ!」

 

 男がナイフをユナフィの心臓へと突き入れ、グリグリと胸骨をずらされ、抜かれる。そして……。

 

「ぁぁぁ……」

 

 その声は男のものだったろうか。いや、おそらく違う。

 

 ユナフィが一番許せないのは、憎んでいるのは、それを感じてしまっている自分自身。快楽がユナフィを満たしていく。それが何より憎い。許せない。どうして。どうして。

 どうして、こんなに気持ちいいの。

 

 ユナフィはどうしようもなく壊されていたのだ。きっとあのアパートに居た時から取り返しのつかない所まで落ちていた。ただ、見ないように、分からないようにしていただけ。

 

 男がユナフィから離れる。

 

「あ……」

 

 名残惜しい。そんな風に感じるが、意識が朦朧としてもうダメだ。眠たい。

 

 心臓を犯され、生命を維持することが出来なくなったユナフィは、快楽に溺れながら意識を手放そうと目を閉じた。

 

 瞬間、ポケットに入れていた大切な口紅がオーラを放ち出す。死ぬ筈の少女から感じる異様な威圧感に男がたじろぐ。

 

 口紅が少女の胸に空いた穴へとひとりでに侵入する。

 

 ドクン。

 

 壊された筈の心臓がまた動き出す。

 

 ドクン。

 

 胸の傷が塞がっていく。

 

 ドクン。

 

 欲望が見える。力が溢れ出す。

 

 ドクン。

 

 ユナフィは理解する。自分が本当にすべきことが何かやっと分かった。そんな気がした。

 

「ああ、気持ちいい。もっと頂戴?」

 

 艶かしい女の声が世界に染み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

★★★

 

 

 翌日、ホテル・ブランは創業100年の節目の年にその歴史に幕を下ろすことになる。中にはおびただしい数の死体──支配人、従業員含め多数──が散乱していたのだ。

 警察の捜査線上に上がった重要な証拠に、1人の女性のものらしき血があった。しかし、その血の主は戸籍を持たず、世界に存在していない筈の人間だった。流星街の者だろうか。もしかしたら違うかも知れない。流星街出身者以外にもそういった人間は少なからずいることは皆、言葉にはしないが分かっている。警察は流星街出身かそうでないかを断定せずに事件を迷宮入りさせることを決めた。この業界では、いや、この世界では戸籍を持たぬ人間は触れてはならぬタブー。理屈上は存在しないのだから裁くことなど出来ない。それにそもそもその血の主を調べる方法がないのだ。

 更に付け加えるとホテルで行われていた()に政界の深部にいる人物が関わっていた。これは一部の人間には公然の秘密であるが、だからと言ってそれをメディアを通じて衆目にさらすわけにはいかない。

 事件の迷宮入りは必然であったのだ。

 

 

 その後、ユナフィはいくつかの職を経てペンドラゴン家に家政婦として雇われることになる。淫獣と呼ばれる犯行を繰り返しながら……。

 

  




評価の極端さを見て思ったんだけど作者の小説って、もしかして癖が強かったりするのかな。自分ではオーソドックスなテンプレ小説の範疇だと思うんだけど……。
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