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東京・神保町。
ある日の夕刻、私がいつもより早く仕事をすませて出版社の玄関を出た。その時、ある男が神田すずらん通りの数歩前を歩いていた。
《同志》ミーチャ。本名は倉田道義という先輩記者だった。根っからのロシアかぶれ。何ごともロシア語とロシア流で対応する。その《同志》がちらっと視線を横に向ける。その時、《同志》は後ろから歩いて来た私に気付いた。ロシア語で話かけてくる。
「おや、本郷君。仕事終わりかね?」
《同志》とはすでに長い付き合いだった私もロシア語で返事した。
「ええ。先輩も?」
「うん、大洗の取材から帰って来たところだ。会社に行こうと思ったけど、その前に腹が減ってね」
「自分もメシを食べようかと」
「一緒にどうだい、ちょうど私の知ってるレストランで美味しいロシア料理を食べさせる店がこの近くにあるから」
気前のいい《同志》からロシア料理を奢られるとあれば、私は断る言葉がなかった。
《同志》が案内してくれた店はレストラン・オルセーといった。通り沿いに建つこじんまりした店だった。席は十脚ばかりしかない。客はみな正装に身を包んでいる。私は自分が着ていた服装―くたびれたネルシャツとジーンズが恥ずかしくなったが、《同志》はすきのない黒スーツ姿だった。それが戦車道の取材に行く時の《同志》なりの流儀だった。
2人ともミリタリー専門の月刊誌で戦車道の取材を担当している記者だった。私は本郷健という本名だが、入社した時に編集長から「お前の担当は黒森峰だ」と告げられた。ドイツ軍のハインツ・グデーリアン将軍が書いた回想録―「電撃戦」の翻訳者と同名だったからだ。ドイツ軍の装甲部隊に近しいところが多い黒森峰の担当として適材だろうという判断だった。
給仕に私たちを窓際のテーブルに案内する。《同志》はメニューを私に手渡し、独特の発声で聞いてきた。
「スープとアントレは、何にする?それから、料理は・・・」
「先輩にお任せします」
《同志》のおまかせで出てきた料理とワインはどれも一級品だった。《同志》の評では、この店の都築というシェフの目利きが良いらしい。ロシア本国から最高の品物を輸入しているとのことだ。当然ミュシュランガイドにも載っている。
琥珀色のコニャックを2人で舐めながら、私は《同志》の大洗で行われたエキシビションマッチの取材を聞いている。戦車道全国高校生大会の優勝校はその地元で優勝記念の試合をやる決まりになっていた。今年のエキシビションマッチは第63回大会で優勝した大洗女子学園・知波単学園・継続高校と聖グロリアーナ女学院とプラウダ高校。
私は《同志》に尋ねる。
「プラウダ番として試合はどうでしたか?」
「ほとんど聖グロリアーナの勝利のお膳立てみたいな感じだったよ。君こそ黒森峰は?何か動きでも?」
「まだお通夜モードですかね」
「決勝は姉妹対決で外野は大いに盛り上がったが、黒森峰としては決して負けるわけにいかない大会だったのは容易に想像がつく。それを落としたんだからなあ」
私はコニャックをひと口含んだ。
「そういえばプラウダにはたしか、留学生が来てるんでしょう?」
「そう。名前はクラーラ」
「戦車は?」
「T34/85。プラウダは留学生に必ず載せるんだ。そういう伝統がある」
「T34/85に?どうして?」
珍しく酔いが回ったらしい《同志》がこんな話を始める。
「本郷君、どんな留学生にせよ、あまりマトモと呼べるような選手は数少ない」
私はうなづいた。一時期の大学駅伝でどの大学も脚の速い留学生選手をスタメンに入れることが流行ったように、戦車道でも留学生がスタメンにいることが増えた時期はあった。駅伝とは異なり、日本国内の戦車道で勇名をはせた留学生はあまり聞かない。
「ぼくは今までプラウダに来た留学生を何人も取材したけど・・・本当に強かったのは1人だけだ。あれこそ偉物だった」
「誰です?」
「マリア・オクチャブリスカヤ。プラウダには女帝がいたんだ」
「女帝?」
「エカチェリーナだよ。T34の砲塔に女帝の名を冠してたんだ・・・」