真実《プラウダ》の女王陛下   作:伊藤 薫

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 マリアは生まれてきてからずっと境界線を越えてきた。自分はコサックの末裔だ。その気になれば誰の土地にも愛馬を走らせてきた。戦車道の試合中に何度も死と鬼ごっこを演じてきた。どこそこは行ってはいけない場所だなどという考えは鼻であしらった。

 いま《ティーガー》を狩るという自分自身の命令にマリアは今さら掛け値なしの不安を覚えた。屠られたT34たちの車体をすばやく通り過ぎた。バラバラになって燃えているものもあれば、穴が開いただけで動かなくなったものもある。《ティーガー》の破壊力は凄まじかった。戦車の残骸は不吉な前兆のように思える。「こっちに来るな」と警告しているようだった。

 マリアはラウラの肩から両脚のブーツを外して操縦手の首筋をやさしく叩いた。

「ラウラ、前進しなさい!全速力よ!」

「女王様、仰せのままに!」ラウラが叫んだ。

 ラウラは《女帝》を全速力で走らせた。破壊された戦車が横たわる《ティーガー》の領域に脚を踏み入れた。そこはマリアたちが行きたい場所だった。

《ティーガー》が砲塔を旋回させて《女帝》を出迎えた。

 

 T34/85が《ティーガー》に向かって全速力で突進してきた。今は彼我の間に400メートルの距離があったが、西住はこの戦車の速さに驚いた。こんな風に動くT34は見たことがなかった。いや、T34に限らない。どんな戦車でも。

 敵は狭い角度で左にスライドしながら、煙る地面を近づいてくる。《ティーガー》の長い砲身が疾走するT34を追う。ハッチに立つ西住の足元で砲塔がかすかに旋回する。西住は砲手と一緒に狙いをつけ、突っ込んでくるT34を砲身の延長線上に捉えた。

 

《ティーガー》の砲塔が左に旋回する。マリアは《ティーガー》が《女帝》を砲身の延長線上に捉えようとする瞬間を慎重に狙った。敵の砲塔が旋回を停める。マリアは4秒数える。(アジン)(ドゥヴァ)(トゥリー)(チィトゥイリ)。そして操縦手に叫んだ。

「ラウラ、右に切りかえして!ナージャ、距離は⁉」

 機関銃の傍に開いた窓から外を観察していたナージャが応える。

「約380メートル!」

 マリアは装填手に命じる。

「アーリャ、徹甲弾を装填!」

 ラウラがレバーを切り返す。途端にT34は横滑りする。雪の代わりに土を蹴立てて回転するスキーヤーのように真横を向いた。さらに中心線を横切って右側に戻ってジグザグ走行を続ける。

 

《ティーガー》の油圧式旋回装置がきしみながら停止する。砲塔が身震いし、それからイライラしたような音を立ててT34に追いつこうと旋回した。敵は右に走ったかと思うと、それからまた左に向きを変えた。あんな風に操縦したら乗員たちの身体がバラバラになりそう。西住はそんなことを思った。

「砲手」

「はい」

「距離は?」

「375メートルです」

 今度は操縦手に命じる。

「敵と正面から向き合うようにして。常に前部装甲を相手に向けておきたい」

了解(ヤー)

《ティーガー》は右に左に動き回るT34に真正面から向き合い続けるために小さく後ろにステップを踏んだ。まだ《ティーガー》に不慣れな操縦手の運転はぎこちなかった。本来、《ティーガー》を操縦するはずだった選手は前日に高熱を出して倒れてしまった。補欠の操縦手はすぐに来たが、不安は拭えなかった。操縦手はまず片方のキャタピラを動かし、それからもう片方を動かした。一つ一つの動作はギシギシと軋むようだった。

 刹那、西住は敵の操縦手に感心した。あの操縦手には才能がある。風格と言っていい。馬にまたがった最高の闘牛士(ピカドール)のようだった。見ていて気持ちがいい。いずれにせよ、あの敵は討ち取られる運命にある。たった1両のT34で《ティーガー》に何が出来る。今からプラウダの荒馬乗りを撃破するところを想像する。西住は眼をカッと見開いた。

「砲手」

「はい」

 砲手の反応は素早かった。声に落ち着きがない。乗員たちはあのプラウダの《女帝》に恐怖を感じているのだろうか。西住はいぶかった。

「1発で仕留めなさい」

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