刹那、出し抜けに《ティーガー》の主砲が火を噴いた。砲声がキューポラの中で西住を突き飛ばした。固い縁に背中が叩きつけられた。
砲弾は外れた。T34の背後で草原地帯に土の柱が立ち上がった。砲弾は敵の頭上を飛び越えていた。砲手が敵までの距離を大きく見積もりすぎたのだ。しかし敵は今や虎の尾を踏んづけたことを知ったに違いない。装填手が次弾を装填する。砲手は照準器に眼を当てたまま砲塔を旋回させ、操縦手にその場で旋回するよう命じた。右のキャタピラが前方にぐいと動いて止まった。《ティーガー》の主砲が向きを変える。《ティーガー》は義足を付けた老人のように動いていた。西住は爆風に備えてハッチに頭をひっこめた。砲手が発射レバーを引く。西住は頭を上げる。発射ガスと舞い上がった土越しにT34を見た。この砲弾も外れた。今後は敵の手前に落下した。砲手は敵を挟夾していた。
T34がスピードを落とした。
「砲手、急いで!敵は旋回して撃ってくるつもりよ!」
砲塔が唸る。油圧式の旋回装置が砲身をT34にピタリと向けた。砲手は砲口を少し下に敵の前方にずらした。西住は心の中で呟いた。来なさい。
《女帝》はスキー選手のように土を横滑りしていた。車体と合わせて旋回した敵の88ミリ砲が土砂を跳ね上げて走る《女帝》を捉えようとする。マリアは再び《女帝》を接近させるつもりだった。今度は右の転輪を狙う。
「いい?今度は3秒だけ数えるわ。3秒数えたら切り返して!」
「何で今度は3秒何だっぺよ!」アーリャが尋ねた。
ナージャが前の座席から怒鳴り返す。
「タイミングをずらす為だっぺ!」
《ティーガー》の主砲が旋回を停める。
「ラウラ!」
「仰せのままに!」
ラウラが再び全速力からブレーキをかける。《女帝》が《ティーガー》に向かってスピンしながら接近する。85ミリ砲にはすでに徹甲弾が装填されている。前方に停まる。すかさず照準器で《ティーガー》の右側面を捉える。マリアは発射レバーを引いた。
「発射!」
西住は眼を見開いた。T34の動きが信じられなかった。敵は先程と同じ曲芸でフェイントを演じてこちらの照準を躱した。砲手が敵に必殺の一撃を与えるタイミングを外されたことはすぐに分かった。砲手が悲鳴を上げる。
「タイミングを逸します!」
「いいから撃ちなさい!」
西住が砲手に命じた瞬間、《ティーガー》は揺さぶられた。敵の徹甲弾が右側の転輪に命中する。同時に《ティーガー》の主砲がT34の前部を捉えて轟音を上げた。T34は強い突風に飛ばされたかのように後退する。
《ティーガー》の砲弾が前部に直撃する。強い衝撃が車内を揺さぶる。灰色の油煙が立ち込める。マリアは呻き声を上げた。全身の関節に痛みが走る。首と尻と肩がバラバラに引きちぎれるような感じがした。
「左が動きません。キャタピラが切れたようです!」ラウラが叫ぶ。
「右のキャタピラを動かしなさい!正面を虎に向けて!」
《女帝》が軋みながら右に旋回を始める。マリアは砲塔を回しながら、照準器で《ティーガー》を見る。巨大なエンジンが咆哮を上げた。変速機が噛み合い、黒い排気ガスが吐き出される。両側のキャタピラが破損した転輪の上で悲鳴を上げた。敵はまだ動ける。マリアは悪態をついた。巨体を揺らして砲身の延長線上に照準を合わせようとしている。
「アーリャ、徹甲弾用意!」
アーリャは床に跪いた。弾薬箱を覆っているネオプレンゴムのシートを剥して徹甲弾を探し始めた。
「敵の砲身がこっちを向きます!」ラウラが言った。
「ナージャ、敵を機関銃で牽制して!」
ナージャがDT機関銃のトリガーを引いた。《ティーガー》の厚さ80ミリの前部装甲に敵うわけがない。ペリスコープで敵の砲身を睨んでいたマリアは自分たちの死の臭いをかぎとる。
「徹甲弾を装填して、アーリャ!」
ガゴンという重い音。砲の閉鎖弁が締められる。
「装填、完了しました!」アーリャが応えた。
マリアは照準を定める。《ティーガー》の車体と砲塔の間を狙う。ほとんど無意識に発射レバーを引いた。