私はふうと息をついた。《同志》の緊迫感あふれる話ぶりにあてられた感じだった。
最後の料理を運んできたウェイターに《同志》は「料理長を呼んできてくれないか」と言い、私に謎めいた笑みを向けた。私は怪訝な表情を浮かべる。
不意に落ち着いたアルトが店内に響いた。
「お料理はいかがでしたか?《同志》?」
「今日も君の腕は冴えわたってたよ、都築真利亜シェフ」
私は思わず「あっ!」と叫んでしまった。テーブルの傍に立っていたのは青い軍服から白いコック服に着替えたプラウダの《女帝》だった。顔が少し赤味を帯びている。火傷の痕なのだろう。
「また、アタイの噂をしてたんですね。同志記者」
「悪くはないだろう」
「少し整理させてほしい」私は呟いた。「今のあなたを見る限り、戦車道の選手として黒森峰の戦車を撃破してたようには見えないが」
「まぁ無理もないわね。アタイはマリア・オクチャブリスカヤよ。名前は変えたけど」
マリアは服のポケットからメダルを取り出した。
「プラウダの戦車兵勲章だ」《同志》が言った。
「戦車長がなぜ、いまコックに?」
私は当然と思える疑問を口にした。
「順番が逆ね。アタイは元々コックだったのよ。最初、戦車道を始めた時は給糧担当だったの。ロシアの戦車道というか、アタイがいた学校ではスタメンになれない選手はせめてメシだけでも作ってろっていうスタンスだったのね。熱いスープを入れたドラム缶や乾パンを背負って練習場まで運ぶのよ。冬はこぼれたスープで服が濡れて、身体じゅうツララだらけになったこともあったわ」
《同志》がニヤニヤしながら言った。
「給糧担当がどうして戦車兵に?」
マリアは笑った。
「ある時、アタイがたまたまトラックの運転をしてるのを隊長に見られたのよ。それで、まずは操縦手になるよう命じられたわ。車長になったのは日本に留学する少し前。自分の戦車で砲手が卒業したから、その代わりだった。やってみて自分に才能があるように感じたわ。でも、日本で《ティーガー》にやられるまでだったわね」
「それで、今はこのお店を?」私は言った。
「元は伯父のお店だったのよ。今はパリにいるけど。でも、アタイは伯父のために厨房に立ってるわけじゃないわ」
「どういうことです?」
「プラウダで一緒にやってたサーシャ、ナージャ、アーリャはアタイがロシアで料理を作ってたって言っても、全然信じちゃくれなかったわ。『女帝が包丁を握るもんか。使用人とかメイドにやらせてんだろ』って感じで茶化すだけだった」
マリアはぐっと胸を張ってみせる。
「だから、アタイは言ってやったのよ。『見てなさい。いつか必ず食べさせてあげるから。アタイの料理』3人はただ笑ってるだけだった。『こりゃ見物だぞ』って」
「この店をオープンさせた時、最初のお客さんはその3人だったね」《同志》は言った。
マリアはうなづいた。その青い瞳に光るものがあった。
《同志》がテーブルの上に置かれた1枚の写真を私に手渡した。妙齢の女性たちがテーブルを囲んで屈託のない笑顔を浮かべている。私はすぐに気づいた。それは在りし日、プラウダでT34/85を駆っていた戦車兵―マリア、サーシャ、ナージャ、アーリャたちだった。
《同志》が節をつけて歌い出す。プラウダ戦車道に受け継がれる歌だった。元はソ連の作家ヴァシリー・グロスマンが独ソ戦に記者として従軍した際に聞いた文章だった。
「『練習場に続く広い泥道を思い出す。栄光と死の道である』」
「『春は息詰まる砂塵の中を』」マリアが歌う。
「『夏は月明かりの夜』」
「『秋はしのつく雨の中』」
「『冬は深い雪を踏んで行進する沈黙の隊列』・・・」
マリアは写真を手に取る。最後にこう言った。
「みんな、英雄よ。わたしたちはみんな英雄、わたしの戦友なのよ」
今回で最終回です。
最後まで読んでくださった皆様に感謝します。
わずかな間だけでも楽しんでいただけたら幸いです。