敵は河に逃げるつもりだろう。
小隊長―ベア1はそう判断した。無線でマリアたちに追撃を命じる。小隊は窪地を横切るように煙幕の中を探りながら進撃し、そのまま敵ともつれるように戦闘に入った。マリアは思わず悪態をついた。
「××××!この×××野郎!」
それなりにロシア語が分かる3人の反応も三者三様だ。アーリャが「そすもんでね、マリアしゃん」と言えば、「美人が台無しだっぺよ」と嘆いたのは無線手兼機関銃手のナージャ。サーシャはウハハと忍び笑いをする。
マリアは肩の高さにある小さな展視孔を睨んでいる。敵役がばらまいた煙幕のせいで視界は余計に悪い。市街戦を彷彿させるような乱戦に陥り、いつの間にか小隊長との通信も途絶える。
ペリスコープから周囲を監視していたナージャがまっ先に敵を発見した。車長であるマリアには考えている時間は与えられない。要は戦うか逃げるかである。
「T34、12時!」
この時、とっさに頭に血が上ったアーリャだった。ナージャの叫び声を聞くなり、アーリャは砲弾を装填して「装填完了!」と怒鳴った。マリアは主砲を12時方向に向けて発射ペダルを踏んだ。発射と弾着がほとんど同時だった。
「命中!」ナージャが言った。その声と同時にハッチから顔を出したマリアはいま交戦したT34を見た。後部の変速機が吹っ飛んでその場に擱座している。すぐ傍を味方のT34が走り抜けた。ナージャの大声がマリアの注意を引き戻した。
「KV1、2両!」
重戦車だ。ところがアーリャは「徹甲弾、装填済み!」と叫んだ。重戦車には徹甲弾より貫通力があるAPDS(装弾筒付徹甲弾)が有効である。だが、砲弾を抜いている暇はない。マリアは反射的に「発射!」と言いながら撃った。
「命中!」ナージャが報告する。
マリアはアーリャに命じる。
「APDSに切り換えて!」
アーリャは指示された通りにAPDSを装填する。またマリアは発射ペダルを踏む。再び「命中」。マリアはそこで下に手を伸ばし、次の徹甲弾を装填しかけているアーリャの腕を掴んでAPDSを装填するよう伝えた。砲身に徹甲弾が入っている時に重戦車に遭遇したくない。APDSならどんな戦車が相手でも装甲を貫ける。
《女帝》が高地を登り始める。ようやくマリアの戦車は煙幕の外に出た。右方に軽戦車のT60が2両見えた。マリアは射撃照準器を覗いて命令を出しかけてやめた。T60はじっとうずくまっているだけだった。どうやら破壊された車両らしい。
視界の端に何かが動いた。マリアは躊躇せずにサーシャの左肩を蹴った。《女帝》が左に旋回する。マリア砲塔を敵に向けた。
「アーリャ、APDS!T34!」
「装填済みは徹甲弾!」アーリャが訂正する。
「発射!」マリアは発射ペダルを踏んだ。「APDS装填して!」
アーリャから「装填よし」という報告が入る。とっさに照準を決めて再び発射ペダルを踏んだ。砲弾はT34の上方を飛んで行った。マリアはあらためてAPDS装填を命じた。アーリャが「装填完了」と言った瞬間、マリアは「発射!」と続けた。
今度は敵の前部装甲に命中した。命中した箇所から火花と炎が噴き出した。乗員が飛び出してくる。
「T34!8時!」
マリアが叫んだ矢先、ガンと殴られたような衝撃に襲われた。相手が撃った徹甲弾が砲塔側面の傾斜装甲に当たって弾かれた。マリアはさっと砲塔の内部を見回す。異常は見当たらなかった。判定装置も動作していない。マリアは砲塔を背後に向けて叫んだ。
「目標、8時のT34!APDS!」
「装填完了!」アーリャが叫び返した。
敵が逃げようと旋回を始める。マリアが「発射!」を告げて左側のペダルを踏む。
同時に衝撃が襲った。次いで主砲の反動が《女帝》を揺るがした。マリアはハッチを開けて左右に眼を向ける。左上方―斜面の天辺に3台目のT34を発見した。
アーリャが「命中!」を報告する。その声を聞きながらマリアは旋回レバーを押して砲塔を左に急旋回させつつ、いま撃破したT34には見向きもせず、サーシャの右肩を蹴った。《女帝》が右に旋回して敵と正対する。
T34は《女帝》に向かって徹甲弾を放ち、斜面を後退しながら上がり始めた。マリアは主砲を敵の正面に定め、発射ペダルを踏んだ。T34の砲塔に火花がまばゆく咲いた。次の瞬間、判定装置の白旗が揚がる。
「状況終了!」
無線から小隊長の声が響いた。マリアはホッと息を吐いた。身体から緊張が解ける。戦車にいる他の乗員も同じだった。戦車に乗っている間は心身をひどく消耗する。マリアは腕時計に眼を落とした。戦闘に突入してからまだ20分しか経っていない。
誰かが《女帝》の上に飛び乗り、車長用のハッチをノックした。
マリアは砲塔から顔を出す。差し伸べられた手を掴んで立ち上がる。眼の前にプラウダ戦車道の隊長が立っている。隊長はマリアの身体を抱きしめる。周囲に戦車道の履修者が集まり、皆が拍手を送る。隊長がマリアの耳元でささやいた。
「