真実《プラウダ》の女王陛下   作:伊藤 薫

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[4] 幕間(その1)

「最初の練習試合で、単騎で七両撃破とはすごいですね」私が言った。

「そうだろう」

《同志》が1枚の写真をテーブルに出した。

 T34/76を背景に、4人の選手が写っている。いずれも戦車兵(タンキスト)の伝統である青い軍服と戦車帽を身に着けている。今なら戦車道の選手といえばパンツァージャケットにスカートを履いているのが一般的だが、この頃はまだ第2次世界大戦の兵士と変わらぬ姿が多かった。すなわち、オーバーオールを着て詰め物入りの戦車帽を被るスタイルだ。

 一番左に身体の大きいアーリャ。隣は細面に眼鏡をかけたナージャ。少し老けたような顔立ちのサーシャ。そしてマリア。「エカチェリーナⅠ世」の車長兼砲手。

 マリア・オクチャブリスカヤ。モスクワ生まれだが、一族はコサックの末裔だった。留学先のプラウダでは最初の紅白戦から、もう周囲に一目置かれるようになった。切れ長の瞳は淡青色。鼻筋がすっと通り、口元は不敵な様子で緩められている。上背は高いようだ。背丈は他の乗組員たちよりも一回り大きい。

「マリアたちと初めて会ったのは、どこで?」私は言った。

「当時、私がちょうどプラウダで取材をしていて、試合後にマリアたちと会ったんだ」

 大学で史学科を専攻した私はつたない記憶を頼りに言った。

「『エリザヴェータⅠ世』というのはたしかにロマノフ朝の女帝ですが、どうなんですかね。あまり一般的じゃないような気がします。ロシアの《女帝》といったら誰もが同名のⅡ世の方を想像しますが」

「そこがマリアなりの謙虚なところだ。たしかに気持ちの上ではⅡ世に倣ってそう書きたいところだが、自分はまだまだ未熟者なのであえてⅠ世を選んだ」

「マリアはともかく、他の乗員たちは戦車道の経験者だったんですか?」

「いや、操縦手のサーシャが中学生選手だっただけだ。あと2人はちょっとロシア語が喋れるというだけで選ばれた。マリアがプラウダに来て最初の1週間ぐらいは真夜中までクルーと一緒に練習を積んだそうだ」

「それでも、初心者の乗員を使い物にするのは簡単に出来ることじゃありませんよ」

 当たり前だが、戦車は素人が扱えるほど簡単ではない。私も何度か取材で戦車に乗せてもらったことがある。自分よりもずっと年下の女子高生が操縦する姿をカメラで写真に収めたりした。どの学校でも言われていることがあった。未経験者がまともに隊列を組んで行進するまでに3か月。目標に砲弾を当てるのに最低でも3か月はかかる。

「まあ、元々が無茶な要求だったんだ。当時、プラウダは大会に出場する選手を選抜するためにこんな無茶をよくやってた。1個小隊3両で大隊規模の敵を相手にして生き残ったらめでたくスタメンになれる」

「まるでスパルタだ」

「うん?」

「ああ、厳しい教育という意味ではなくて、古代ギリシャの都市国家スパルタのように思えますね」

《同志》はうなずいた。

「まあ、まさしく今は無きソ連流の『力こそ正義』を実践したってところだ。ただ、面白いのは当時、戦車道の顧問をしていたのは元陸上自衛官で機甲科出身の諸橋という体育教師でねえ。諸橋はマリアに1週間でものにならなかったら、すなわちスタメンにならなかったら国に帰すと言ったそうだ」

「それはひどい」

「自分の権威が落ちることを恐れたんだろう。まあ実は諸橋はあの練習試合で、戦車に乗ってたんだ」

「へえ」

「マリアが最後に撃破したT34だよ。マリアは諸橋と正面からやりあって見事に撃破してみせた。諸橋は面目が丸潰れになって、顧問を辞めざるを得なくなった。それもマリアの株を上げることになった」

「マリアは黒船ですね」

「黒船?」

「黒船が来ないと、部活にはびこる悪しき慣習を正そうとする雰囲気にならない」

《同志》は受け答えに困るという顔をして黙ってしまった。何か変なことを言ったのだと私は気づいたが、自分の物言いの何が変だったのか分からなかった。分かっていたら、初めから言っていない。

「それで、マリアの留学生活は順風満帆だったんですか」

「そうでもない。さっそく試練が襲いかかるわけだが」

《同志》がコニャックのお代わりを2人のグラスに注いだ。

「そうこなくっちゃ」




 第1章はこれで終わりです。

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