──オルコット家の広大な敷地の一角。
──小高い丘の上にある、一本の木。
その木の下こそが、生前、お母様が好きだった場所です。
初夏のこの頃に、ここでよくピクニックをしました。あの根元の辺りにシートを引いて、サンドイッチを食べて紅茶を飲み、お母様の膝で眠る。起きた時には、大抵お父様が困った笑みを浮かべながらわたくしを覗き込んでいて、お母様は何かを言っていた覚えがあります。
そして今では、書棚の金庫に残されていた遺言の通りに、両親が眠る場所として墓石が建てられた場所となりました。
ただ、物心ついた頃のわたくしには、二人がこうして葬られるのを望んでいたとは信じられませんでした。お父様とお母様の仲は、正直なところ良いように思えなかったのです。
特に印象に残るのは、ピクニックに遅れてやってきた父に、母はいつも怒っているような、調子で、わたくしには責めているように聞こえていました。
けれども、今ならわたくしにも両親の気持ちがわかるような気がいたします。あれは怒っていたのではなくて、責めていたのでもなくて──
「お父様、お母様、今日はご報告があります」
そう言ってから、わたくしは二の句を告げなくなってしまいました。
聞き耳をたてる人など誰もいません。ここはオルコット家の敷地内、プライベートはしっかりと守られているというのに、ためらいが存在しない筈の人の気配を生みだします。誰にも聞かれたくない話なのだから、今日はもう帰ろうなんて弱気な心が訴えてきます。
単に墓石に語りかけるだけなのに、どうしてこうも喉が渇くのでしょう。張り付くように固まってしまった唇を、心臓が早鐘を打って急かします。言ってしまいなさいと、自分の奥底から湧き出る声に従って、意を決しました。
「……好きな人が、できました」
たったこれだけ。たったこれだけの
一世一代の勇気を使い切った気がしてしまいます。
(言えたのですね、わたくし)
そう思うと、緊張感で強張っていた体からは力が抜けていき、代わりに疲労感が染み込んでいくようでした。すっかり体が重くなったように感じられて、大きな息を一つ。
(言えました)
遂に両親に伝えられたという達成感からか、いつの間にかわたくしは取り留めもなく喋り始めていました。
「本当に、本当なのです。最初はたいしたことのない人だと思っていたのです」
「軟弱な人だと思い込んで、とても失礼な態度をとったこともありました」
「それくらい、どこにでもいるような平凡な人です。貴族でもなければ騎士でもない、ごく普通の人でした」
「誰よりも強いとか、誰よりも賢いとか、そういうわかりやすい人でもありません」
「でも、どうしようもなく、わたくしはそんな彼に惹かれているのです」
「時に見せるあの真剣な瞳で、わたくしを……わたくしを見て欲しいと思ってしまうのです!」
大きな声を出したことでふと、冷静になってしまいました。
するとどうでしょう、今までつらつらと喋っていたことが一気に思い起こされていきます。これは、恥ずかしいです。さぁっと冷えていく頭とは対照的に、体は一気に茹で上がったように熱くなり、顔はすっかり火照りきってしまいました。
自分でもなんと滑稽な姿を晒しているのでしょう。
「……おかしな話ですよね。わたくしは絶対、そういう恋愛ごととは無縁だと思っておりましたのに」
つい、自嘲してしまいます。
わたくしは彼と──いいえ、彼が垣間見せた瞳の美しさを知るまで、男性というものはなんとも頼りないものだと思っていました。きっとそれは、幼い頃の父と母の在り方が解らないままに育ったからなのでしょう。
父の情けなさそうなところしか思い出さず、母の強そうなところしか思い出さず。男女とはそういうものだと思い込んでいた日々。そうして小さなものさしでしか人を計れなかった、今までのわたくし。
そしていつしか、恋や愛をそういうものだと思い込んでいた自分が、とても小さく思えました。
「わたくしは……父のようにも母のようにも、強くなっていたのではなかったのです」
「ですが、彼を好きだと自覚したその時からです。お二人の仲が悪かったのではけっしてなく、むしろずっと良かったのだと気付けました」
強さにも種類がある。想いにも表れ方がある。
彼はそれを、気付かせてくれた。そんな彼が、好きになっていた。
「これからもわたくしを見守ってください。お父様、お母様。セシリアは、オルコットの名前に相応しい人になりますから」
そう、決意を新たにしたところで、名残惜しいですが家へと戻ることにしました。
既に腕時計の短針が文字盤のⅢに差し掛かるところです。チェルシーがアフタヌーンに向けて美味しい紅茶を用意している頃でしょう。時間に遅れてしまって、心配をかけさせてしまうのも本意ではありません。
──また、会いに来ますね。
一度だけ墓石を振り返ると、わたくしは家へと足を向けるのでした。
◇
あれから一年ほど経ちました。
わたくしの学園生活はとても充実しています。素晴らしいクラスメイトにも、師事できる立派な担任の先生方にも恵まれました。妹のエクシアとも再会し、チェルシーとも和解して、順風満帆としか言いようのない日々です。
そして、そんな大切な日々に匹敵する嬉しいできごとが、先日にありました。
(本当に、こんなに幸せでよろしいのでしょうか)
イギリスの本邸へ戻る都度、両親の墓参りをしていましたが、今日の特別に伝えたいことのことを思うと足取りが軽くて仕方ありません。
それになんの偶然でしょう。両親に好きな人がいることを伝えたあの時と同じ初夏の頃になるとは、どこか運命めいたものを感じるばかりです。
はやる気持ちを抑えつつ、いつものようにお花を供えてから話し始めました。
「お父様、お母様、今日はお二人に素晴らしい報告がありますわ」
夢に浮かれた足取りの軽さに促されるように、わたくしは続けます。
「いつも話していた彼と──恋人に、なれたんです」
ぽぉっと、頬が熱くなりました。
彼と恋人──という特別な関係になれたということを意識する度に、わたくしの頬は赤く染まってしまいます。そうしてクラスメイトにからかわれたことも、何度もありました。
そう、彼と恋仲になれたことが、この幸せな生活と甲乙つけがたいほどの嬉しいできごとです。これを伝え忘れてしまうなど、あってはなりませんでした。
でも、だからこそ、わたくしは両親にそれまでのことを伝えます。
「おそらくですが、お二人はわたくしから彼に愛の言葉を告げたと思われるのでしょう」
今でこそ後輩の人たちからは優しい先輩だと慕われていますが、 IS 学園に入学してすぐのわたくしはずっと刺々しい人でした。
そんなわたくしの姿を知っていれば、男性の方から愛を受け取るなどと、プライドが許さない筈だとごくごく自然に考えるに違いありません。
愛する人も自分から選び掴みとる、そういう強い人だと捉えるでしょう。
「ですが、わたくしは彼の方から愛の言葉を頂きましたわ」
──本当は、わたくしから言うのが筋だったのでしょうけれど。
──彼から受け取った多くのものに、愛まで含まれてしまって。
「どうしても、わたくしからは言えませんでした」
実を言うと、わたくしは彼に負い目を感じていたのです。彼は、わたくしを救ってくれました。妹のエクシアも、幼い時からの親友であるチェルシーについても同様です。
彼はボロボロになるまで力の限りを尽くして、わたくしと彼女たちとを繋ぎ止めてくれました。
考えたくもないですが、もし、もしも彼がいなければ、エクシアのことやチェルシーのことがこんなにも上手くいくことはありませんでした。
その献身に、わたくしが報えることができるのか、怖かったのです。
「そこまでしてくれたあの人に、オルコットの家名まで背負って欲しいなんて、ワガママ過ぎるのではないかと思ってしまって」
誰にも言えない日々が、わたくしを淀ませていきました。
オルコット家を重荷に感じたのもこの時が初めてで、ただのセシリアだったら良かったのに、なんて思ったりもして──そのせいで自己嫌悪に苛まれ、潰れそうになる日々でした。
そんなわたくしを支えてくれたのは、大切な友人たちや先生方、エクシアとチェルシー。
そして、またもわたくしを救ってくれたのは、やはり彼でした。
「きっと、お母様もお父様から愛の言葉を貰って、救われたのでしょうね」
彼と愛の言葉を伝え合ってからずっと、感じていたことでした。
実のところ理由はわからなかったのです。でも母も同じだったのだろう、という確信めいた想いだけがあって、こうして両親の墓前に来るまで答えを見つけられませんでした。
でも、本当はこんなにも簡単なことでした。
わたくしはずっと、母のような人になりたいと思っていたのだから。
「お母様もわたくしと同じで……強くあろうとプライドが高く、素直な人ではなかったのではないのですか?」
今ではもう、本当のところはわかりません。
父と母の馴れ初めを聞く機会は、わたくしには永遠にないのです。でも──たとえば両親が生きていたのなら、私が父を選んだのだと
「……ふふふ。わたくしらしくありませんわ」
感傷、というものでしょうか。ずっと前から、それこそ、オルコット家の当主となったその日から、両親の死を受け入れていた筈なのに。なんで今更、と暗くなりかけた気持ちに待ったをかけたのは、彼がわたくしにくれた言葉でした。
──それは、とてもシンプルで、まっすぐで。
──でも人には教えたくない、私だけのもの。
胸の内から込み上げてきたものを追い払った幸せな気持ちが、わたくしに寄り添います。こんなところでも助けられるなんて、と彼に感謝を捧げながら、ふとした疑問が頭をよぎりました。
「お父様はどんな言葉でお母様を射止めたのでしょう?」
それが答えを知ることのできない問いであっても、わたくしはもう悲しいとは思いませんでした。
ただ、お父様の想いにお母様は救われ、応えないといけないと思ったという確信がわたくしの中にあれば、それで良かったのです。
「甘くとろけさせるような囁きではないけれど、技巧を尽くした詩篇のような言葉でもないけれど──」
──その
今でも、彼の告白の言葉は鮮明に思い出されます。
眠る前にふと思い出した時など、興奮のあまり眠れない夜を過ごしてしまったことが何度もありました。色んな人に告白の言葉を聞かれましたが、誰にだって教えてはいません。
陳腐な表現ですが、一生の宝物なのです。
「……申し訳ありません、お二人のことばかり聞いてしまって。次はわたくしと彼とのことを、もっと話さなくてはなりませんね」
これまでとは一転、話を変えて彼との間に何があったのかを語っていきます。
不思議なことに、話したいことが次から次へと頭に浮かんできて、途切れるということがありませんでした。つらつらと語るわたくしは、喋れば喋るほどに彼への想いが抑えられなくなっていたようです。
浮かれきっているのを宥めるかのように、一陣の風が強く吹いてようやくわたくしは我に返りました。なぜかお父様に“もういいから”と言われたような気さえします。
「とにかく、わたくしは彼を愛しています」
「ですから、お二人が彼をお認めになられない、なんてことのないように、今から彼を鍛え上げていくのが楽しみですわ」
厳しい言葉とは裏腹に、頬が緩むのが止まりません。
これは彼を鍛えるという名目で、ずっと一緒にいられることが嬉しいのです。そんな心ここに在らずのわたくしを諌める為か、吹き抜けた風は枝を一本、わたくしの頭の上に落として行きました。
◇
わたくしと彼が恋に落ちてから、幾年が経ちました。
IS学園を卒業して大学も無事に終了し、社会人生活にもどうにか慣れてようやく安定した頃のことです。
わたくしと彼の仲は、時と困難を経ていっそう強固なものとなっていました。お互いに尊重し合える良い関係だと自信を持っていえるでしょう。
特に、彼の努力についてわたくしは感謝の念を怠ったことがありません。
彼はわたくしの為に拠点をイギリスに移し、慣れないクイーンズ・イングリッシュや上流階級のマナーをはじめとした数々の技能を努力の果てに習得して、立派な紳士となりました。
そうすることで、オルコット家の当主として務めを果たしながら、国家代表としても活動するわたくしの補佐を買って出てくれたのです。
──そんな彼に、わたくしが結婚を申し出るのは時間の問題でした。
今度はわたくしからプロポーズすることができたと思う傍らで、季節はやはり夏の初めの辺りとなっていました。
わたくしと彼の仲が進展するのはこの頃になるのだな、と考えながらも、一つの懸念がわたくしの中にあったことを心の中で白状します。
(わたくしの両親に会ってくれるだろうかという心配をよそに、彼はわたくしの両親に会えることに喜んでいました)
最初はどうしても訝しがられると思っていましたが、見事に杞憂に終わったことは今でも二人の笑い草です。
そういうこともあってから、わたくしは彼の両親から共に結婚の許しを得た後に、彼をわたくしの両親を引き会わせる為に本邸へ彼を招待したのです。
昔、よくピクニックをしたあの丘の、今は木の下に眠る両親のもとへと。
「お父様、お母様。彼が、わたくしの愛する人です」
彼は流れるように美しい、完璧なお辞儀をしました。
「見ての通り、どこに行っても恥ずかしくない一流の紳士ですわ」
「ですが、受け継がれてきた血統があるわけでもなく、世界の頂点に立ったのでもない、ごくごく平凡な方だとは、前に話した通りです」
彼は何も言わず、じっとわたくしの言葉を待っていました。
今の言い方は、殿方にとってはけっして面白いものではないでしょう。けれども彼は、怒るのでもなく、呆れるのでもなく、確かな信頼を胸に抱いてわたくしの言葉を待っているのです。
ああ、やっぱり、わたくしが彼を選んだのは間違いではありませんでした。
「──でも、でも、誰よりも、彼こそがわたくしを幸せにしてくれる人ですわ」
「わたくしを幸せにしたいと、その一念でまっすぐに頑張れるとても素敵な人です」
「そして、彼こそわたくしが誰よりも幸せにしようと誓う人ですわ」
「世界の誰であってもなんであっても。彼を愛する気持ちは負けません。それほどに、わたくしは彼を愛しています」
目を閉じて、祈りを捧げます。
「どうか、彼と結婚することをお許しください。お父様、お母様」
少しの間、静かな時間が流れました。
じっと
その瞳を見て、改めてわかりました。きっと彼なら大丈夫だと。
「さぁ、どうぞ」
わたくしは彼と場所を変わって、少し離れます。
一方で彼は墓石に近付くと、躊躇なく片膝を地面につけました。オルコット家御用達のテーラーで仕立てたスーツを気にすることなく、視線を墓石に合わせます。
──初めまして、と彼が墓石に頭を下げて。
──セシリアさんとお付き合いさせていただいている、から始まっていく。
丁寧な自己紹介から始まった挨拶は、わたくしに初めて愛を打ち明けてくださった時と同じ真摯さに溢れていました。
飾ることのない、ただただ愚かしいほどまでに真っ直ぐな、でも、どこまでも彼らしくあろうとする在り方。
それをわたくしが誇れるようにと、努力を重ねてきたことをうかがわせるその姿は、わたくしが考える理想の貴族そのものでもありました。
──“
ふと、両親がそんなことを言ったような気がして、わたくしは思わず顔を上げていました。
そこへ一陣の風が吹いていきます。草木をざぁっと鳴らした初夏の風は、撫でるようにわたくしの髪を揺らし、彼はというと舞い上げられた葉に顔を何回も叩かれたようでした。
どうにも手荒い歓迎を受けたようだ、というようなことを、彼は本気で言っています。
「あらあら、それはどういう意味なのでしょう?」
そう冗談めかすわたくしに、彼は至って真面目な顔で言いました。
──セシリアには優しくて、俺には厳しかった、と。
彼にそっと身を寄り添えて、肩を抱いてもらいます。
「わたくしも、そう思いますわ。きっと、両親が起こした風なのでしょう」
その瞬間、再び風が駆け抜けて行きました。同じように草木をざわめかせていく風は、変わらずにあたたかくて優しいもので、二人に祝福されているようです。
「あら?」
でも、彼の額には、一枚の葉が張り付いていたのでした。彼はやれやれと張り付いていた葉っぱを取ると、セシリアのお義父さんは随分と茶目っ気のある人だな、と笑います。
思わず、頬が緩んでしまいました。
「きっと、お父様があなたに嫉妬されているのですよ」
「式場で花嫁姿を最初に見るのは、両親の特権ですから」
「そうですね……お二人にも、わたくしのウェディングドレスを見て欲しかったですわ」
──なら、見て貰おう。
そういう彼に、わたくしは思わず──この人は何を言っているのでしょう? と、本気で困惑してしまいました。時折、発想が飛躍する人ですが、この時ばかりはわたくしもついていけなかったのです。
ですが、彼はさして気にした様子も見ることはありません。
式以外でドレスを着てはいけないなんてことはない。幸い、両親もセシリアの家にいるのだから他の人に迷惑をかけることもない。だからさ、また見せに来よう。お義父さんとお義母さんに、セシリアの花嫁姿を見てもらおう──
と、おおよそこんな風に、わたくしに提案してくれたのでした。
「ですが、それは──」
不公平ではありませんか。
彼はわたくしのことを一番に考えてくれています。それは、本来とても喜ばしい事なのでしょう。ですが、漫然と優しさを受け取るのは、オルコット家の当主として甘んじることはできません。
ただでさえ、わたくしは彼からいろんなものを頂いているのです。これ以上、彼の優しさに溺れてしまうのは違うのではないか。セシリア・オルコットとしてのわたくしは、そう考えてしまったのです。
しかし、彼はわたくしの言葉を続けさせまいと、こう告げるのでした。
──セシリアの為ではなく、俺がそうしたいんだ。
それが、どれほど嬉しい
彼はまたも、わたくしに手を差し伸べてくれました。当主としてのセシリア・オルコットではなく、一人の女であるセシリアに。
わたくしはズルい女です。待っているばかりで、彼が望むことのいくらをしてさしあげられたのでしょう。
けれども、これだけはわかります。彼の誠意に応えるべく、わたくしがすることはたった一つです。
「ふふっ、ドレスを汚すのは嫌でしてよ?」
エスコートは任せて欲しい、に続いて彼が呟いた言葉は、聞かなかったことにしました。
それは格好つけられてなかったからではありません。彼は今までも、これからもやり遂げる人なのだから、わたくしはただ、時に励まし時に黙して、信じるだけなのです。
「では、本番に向けてエスコートをお願いしますわ」
戯れながら彼と手を繋ぎ、ゆっくりと歩き出します。
わたくしのことも、妹のエクシアのことも、親友のチェルシーのことも、彼だけは諦めずに救ってくれました。
でしたら、いまさら何を疑うことがありましょう。
オルコットの家名すら背負った彼が、わたくし一人ごときを抱き上げられないなんて、ありえないのですから。
(ああ、なんて、素敵な人に出会えたのでしょう)
ふと、横顔を窺おうとして、彼と目が合いました。
どうして見つめ合うことになったのかはわかりません。ですが、それがなんだかおかしくなって、二人でそっと笑います。
──ああ、きっと。
──彼も、わたくしと同じことを考えていたのです。
◇
お屋敷の大きな扉を開いて、両親のいる小高い丘の上を望みます。天気は晴れ。雲は数えるほどで風も穏やか。出かけるには──例えば──ピクニックには最高の日和でしょう。
でも、わたくしが着ているものはお気に入りの蒼いワンピースではなく、純白のウェディングドレス。
いつものカチューシャも今日はお休み。代わりにいつもチェルシーが手入れしてくれる自慢の髪をまとめて、花嫁のベールをかぶっています。
(大丈夫、大丈夫……)
エクシアとチェルシーが手伝ってくれたのだから、手落ちはない。そう確信していても、ついつい気になってしまうのはどうしてでしょう。
扉の横に置いた姿見を見て、頬に乗せたお化粧と唇にさした赤い薔薇も完璧であることを確かめてから。
ようやく、わたくしの後ろで彼が微笑んでいるのに気がつきました。
「もう。声をかけてくれてもよろしいのではなくて?」
拗ねるわたくしに、彼は苦笑しながら手を取って甲にキスをします。
──どうかお許しください、お姫様。
おどけてみせる彼に、抱きついて。
「お姫様のままなんて嫌です。わたくしをあなたのお嫁さんにしてくださいな」
答えとして、軽いキス。
その後、少しの間だけ抱き合ってから、わたくしは体の力を抜いて体を彼に預けます。
これから、彼の努力の成果を感じられると思うと、楽しみで仕方ありません。
そして訪れる、ふっ、とも、ぐっ、とも形容できる、 ISを装備した時とはまた別の浮遊感。
横抱き、可愛らしく言い換えるとお姫様だっこをされながら、わたくしは彼と共に丘で待つ両親の元へ向かうのです。
(本当に、彼は成し遂げてみせました)
わたくしを抱き上げたまま、彼は庭へ最初の一歩を踏み出します。
これから始まる式の参列者は、お父様とお母様、エクシアとチェルシーだけ。絢爛な教会もなければ、豪華な食事もなく、威厳ある神父もいない。おままごとのような小さな式。
それでも、幸せは胸の奥からあふれていくばかり。
「──あなた」
初夏の日差しを浴びながら、わたくしは愛の言葉を口にして──
──先に、誓いのキスをしたのです。
オリ主です、決して一夏ではありません。
無論、主人公はセシリアが好きなあなたかもしれません。
Twitterで流した「セシリアが両親に結婚を報告する概念」を書きました。
セシリアの一人称ということで非常に新鮮でした。
貴族分強めのセシリアでしたが、こういうセシリアも好きになっていただければ幸いです。
本作の完成は書くきっかけと、タイトルまでいただいた若谷鶏之助様のおかげです。
この場を借りて御礼申し上げます、本当にありがとうございます。