僕には、憧れの人がいた。
その人の髪は深紅をより深くした色味を帯び、一本一本が絹糸のようで美しい。
立ち振る舞いも、深窓の令嬢と表現するにふさわしい、華やかさの中に落ち着きを内包したような印象がある。
しかしながら、恥ずかしがると顔を赤くして首がもげそうなくらい横に振るその姿が可愛らしくて……およそ"可憐"という言葉は、きっと彼女の為にこそあるのだろう
彼女に出逢えたこと……それが浦の星女学院に入学してから初めて感じた喜びだった。
テスト生という素晴らしき肩書に、僕は感謝感激雨嵐の大喝采を送りたい。
脳内で、彼女がクラスメイトと話す声が反響している。
僕はすまし顔だけ窓の向こうの青空に向けて、視線だけを彼女の席へと移す。
それだけで、目の保養になるという物だ。
「なあに黄昏てるの? あれ? また桜内さんでも見てたの? 確かに可愛いよね~って言うか美人だよねぇ……羨ましいなあ」
「そうだけど悪い? ま、確かに可愛いって言うよりは美人寄だね」
「悪いとは言ってないよ~」
隣の女子が、手をひらひらと顔の前で振って困った様な顔をした。
こんな風に人から言われてしまうほど、僕は桜内さんに憧れていた。
「そんなに好きなら1回告白したらいいのに!」
「いや、世間一般で言う恋愛感情じゃないんだ。多分……憧れとか、どこか遠い存在に惹かれる感じ……に近いと思う」
上手く言葉では言い表せないけれど、僕は只々、彼女という存在に惹かれていた
でも、さっきも口に出した様に異性に対しての"好き"とは少し違う"好き"なのだ。
例えるのなら、今の僕は文豪夏目漱石の「こゝろ」に登場する主人公である「私」に近い。
先生と話す内に気づいた、秘められた人間としての魅力……あるいは魔力に惹かれた「私」の気持ちだろうか。
テストはいつも平均点を取っている様な平凡な僕が、彼女の持つ"何か"に惹かれた。
彼女は今、千歌と曜と仲良さげに話している。
時々手で口を隠し上品にくすくすと笑っているのを見るだけで、僕も楽しくなってくる。
「ね~しょーくんもこっちおいでよ~!」
うっとりして見つめていたのがバレたのか、千歌に手招きされる。
桜内さんを見るとこちらを見て微笑んでいた。
思わず、僕の顔が緩みそうになるのを感じた。
「いいよ。何か申し訳ないから」
胸に湧いた話したいという望みをすりつぶし、呟く様に言い残して僕は教室を離れた。
今彼女は浦の星女学院のスクールアイドル"Aqours"として頑張っている。
そしてその活動には僕も携わり、微力ではあるだがそれを支えている。
Aqoursが結成される前の記憶データから桜内さんに憧れる理由を探ろうとしたが、どれもピンと来ない。
見つけ出すためには、まず彼女との出会いについて少し思い出す必要がありそうだ。
───────
僕は
浦の星女学院に男子テスト生として通う、普通という言葉が似合う高校2年。
ここに僕がいる理由……それは、ただ幼馴染の千歌と曜から、
『中学校は違ったから高校くらい一緒の学校に通いたい!』という良く分からん我儘から始まった。
僕が通っていた中学校は2人とは別の少し離れた沼津の方にある。
高校を決める時、知らない内に親と結託した2人に勝手にテスト生に申し込まれ、誠に残念ながら合格してしまった訳だ。
当然、同じ中学校の人は殆どおらず、高校生活の大半を千歌と曜と一緒に過ごす事となった。
他愛のない世間話をする子は何人かいるけれど、気兼ねなく話せる2人といる方が気が楽でいい。
地球が回って回って回りまくっても何の変化もない日常。
そういう時間が2年と続くのかと思ってたが、2年生に上がった初日から僕の平凡ライフは音を立てて瓦解していった……
「東京の音ノ木坂学院から転校してきた桜内梨子と言います。よろしくお願いします」
彼女が転校してきたのだ。
───────
授業を聞き流し、眠りながらその日の授業は終わった。
今は千歌と帰路に着いている。
曜とは方向が違う為いつもは千歌と帰っている。
「そしてね! そのユーズが凄いんだよ!」
さっきから千歌はスクールアイドルというものについて熱く語っている。
ユーズという物が最近のお気に入りらしい。
よく知らないが。
そして堤防沿いを歩いていると誰かが海に飛び込もうとしているのが見えた。
「千歌!」
「う、うん!」
助けるべく僕達は走り出した。
そして、その人影に近づいていくと見慣れたシルエットだった。
「千歌、ちょっと待「死んじゃだめ~~!」おい!」
千歌はその人影に飛びかかって行った。
「きゃぁ!」
その女の人の叫び声と共に千歌と人影は海に落ちた。
───────
「うへぇ……ずぶ濡れだよぉ……」
「だから待てと言っただろう」
「でもまさか飛び込もうとしてたのが梨子ちゃんだなんて」
あの後2人が上がってくると人影の正体はやはり桜内さんだった。
ずぶ濡れの2人に急いで十千万から持ってきたタオルを投げて、サッと目を逸らす。
あまり見てると変態扱いされかねない。
それが知り合ったばかりの桜内さんだったら死にそうになる。
「どうして梨子ちゃんは海に飛び込もうとしてたの?」
千歌が桜内さんにそう問う。
確かに海水浴をするには早すぎる。
「うん……あの海の音が聴きたくて」
「海の音……?」
そこから桜内さんはここに転校してきた理由を教えてくれた。
彼女がピアノの作曲や演奏をしている事、そしてここに引っ越す前の最後の演奏会で、演奏ができなかった事。
そして、その悩みは幼馴染の果南に頼んで解消された。
この秘密が僕が惹かれていた訳なのか。
何故かちょっと違う気がする。
───────
あと少しあるのだが、それは次の機会に話そうか。