自分の服のポケットで震え出したそれが何か、C.C.は最初分からなかった。
ルルーシュからの指示で始めた物件探しの最初の1件が順調に決まり、2件目を探すために別の不動産に向かっている最中の信号待ちでそれを取り出し、C.C.はようやく振動していたのが一週間ほど前からルルーシュに持たされていた携帯電話であった事に気付く。
元々連絡手段など持ち歩く習慣を持たず、持ち始めてからも電話が掛かってきた事が数度しかなかったため、自分が携帯を持っている事すら忘れていたのだ。
どうせルルーシュからだろうとディスプレイを見ると、そこに表示されている名前は意外にもスザクだった。
『もしもし、一体なんのよう――』
『C.C.! いまルルーシュは一緒!?』
電話に出るなりいきなり飛んできた大声に、思わずC.C.は耳元から電話を離して耳を押さえる。
『スザクお前っ、私の鼓膜を破るつもりか! もう少し声を抑えろ!』
無神経なスザクの行動にC.C.は怒鳴り声を上げるが、スザクはまるで意に介した様子はなく、さっきと同じままの声量で怒鳴り返してくる。
『いいから! そこにルルーシュはいるの!? 早く教えて!』
普段なら謝罪してくるだろうスザクの切羽詰まった態度に異変を感じ取ったC.C.は、文句を重ねず端的にスザクの問いに答える。
『……いまは別行動中だ。そっちで何か問題でもあったのか?』
『そうなんだ……じゃあやっぱり――くそっ!』
C.C.の質問を無視して苛立った声と、電話越しに何かを叩くような音が聞こえてくる。
短い付き合いとはいえ、C.C.が知る限りスザクがここまで取り乱しているのは初めての事だった。
『おい、何があったんだ。私にも分かるよう説明しろ』
何かしらの緊急事態が起こった事を確信し、C.C.は再度スザクに問い掛ける。
しかし返ってきたのは質問の答えなどではなかった。
『C.C.! すぐにルルーシュのところに戻れるかい!?』
『だから説明しろと……無理だ。あいつがどこで何をしているのかは私も知らないからな』
『っ……じゃあどうしたら、このままじゃ――!』
『スザク。お前が焦ってるのは分かった。だからこそもう一度言うぞ』
一人で勝手に追い詰められていくスザクの焦燥を電話越しに感じながら、C.C.は努めて低く、冷たい声を出した。
『落ち着け。そしてちゃんと私に説明しろ。ルルーシュに何かあったなら、私としても他人事じゃない。場合によっては協力くらいはしてやる』
冷たい声音と違い、内容は冷静さを促し協力を申し出る温かみのあるものだった。
その声質から冷や水を浴びせられたようにスザクは意識をC.C.に向けざるを得ず、それは混乱の渦中にあったスザクの思考を強引に引き戻した。
『……ごめん。焦って取り乱してたみたいだ』
『分かってる。だから謝罪はいい、何があったか話せ。急いでいるんだろう?』
『うん、ありがとう』
手短に感謝を伝え、スザクは何から話すべきか悩むように一拍おいた後、簡潔に事実だけを告げた。
『……実は、ルルーシュが軍に捕まったみたいなんだ』
『なんだと?』
予想もしていなかった言葉に、C.C.は眉を顰める。
『どういう事だ? ルルーシュが軍にだと?』
『僕も詳しくは分からないんだ。でも何かあった事は確実で、だからC.C.ならルルーシュの近くにいるかと思って連絡したんだけど……』
『おい待て。話が飛び過ぎだ。順を追って説明しろ。そもそもどうしてお前はルルーシュが軍に捕まった事を知った?』
取り留めもなく思った事をそのまま話そうとするスザクを止め、C.C.は質問を挟み知りたい情報を引き出す。
つたないスザクの説明をまとめると、ルルーシュはこうした緊急事態に備えて、予め状況に沿った緊急信号を決めていたらしい。そして先程スザクの携帯にメールが届き、中身を見ればルルーシュが軍に捕まった事を表す信号だけが本文に入力されていたという。
『なるほど。つまりあいつは軍に捕まる間際、状況を知らせるためにその一文だけをお前に送信してきた可能性が高いという事か』
おそらくよほど切羽詰まった状態だったのだろう。
でなければ慎重なルルーシュがその後の動きや策も指示せずに緊急信号だけを送ってくるような真似をするとは思えない。
状況を理解したC.C.は、道理でスザクがあれほど焦るわけだと苦々しく顔を歪める。
『おいスザク、まさかとは思うが折り返しの電話なんてしていないだろうな』
『事前にそれだけはするなって念押しされてたから、返信も送ってないよ。だから君に電話したんだ』
最悪の対応は取っていない事を知り、C.C.はホッと息をつく。その辺りの危機管理はさすがルルーシュというべきだろう。
本来なら共に行動しているかもしれない自分に連絡をするのも危険が伴うのだが、今回は情報を共有できたのだから結果オーライと見るべきだ。
『ねぇC.C.、ルルーシュがいる場所に少しでもいいから心当たりはない? 今日の朝までは一緒にいたんでしょ?』
電話してきた当初よりは冷静ではあるものの、焦りを隠しきれない声でスザクは問うてくる。
C.C.はその問いに少しだけ考え込むと、すぐに結論を出し質問の答えではなく方針を告げる。
『……とりあえず、合流するぞ。お前はすぐにナナリーを連れて移動しろ。場所はこっちで見繕って後で連絡を入れる』
『でもそれだとルルーシュが――!』
『お前の言いたい事は分かる。すぐにでもルルーシュを捜し出して軍から助け出すべきだと、そう言いたいんだろう?』
反論するスザクを遮り、C.C.はその先を問う。
機先を制されたスザクは反論に勢いを失うが、それでも懸命に己の考えを口に出す。
『いまこうしてる間も、ルルーシュは軍と戦ってるかもしれないんだ。なのに悠長に合流なんてしてる場合じゃないでしょ? 一刻も早くルルーシュを捜さなくちゃ!』
『お前の意見は尤もだが、ルルーシュが助けを求めているなら緊急信号ではなく直接電話を掛けてきたはずだ。なのにメールだけを送り、その後もなんの連絡もしてこないという事は、あいつの身柄は既に軍が押さえている可能性が高い』
『だったらなおさら――!』
『黒の騎士団の手も借りず、お前一人で軍に捕まったあいつを助け出せるとでも言うつもりか? 仮にそれが可能だったとしても、私達はあいつがどこにいるのかも知らないんだぞ。無闇に捜し回っても時間を浪費するだけで、その分だけ後手に回る事になる。それが致命的な遅れにならないとお前は言い切れるのか?』
『それはそうかもしれないけど、でも……!』
悔しそうに言い淀み、必死に反論の言葉を探そうとするスザク。
頭では理解しながら、それでもルルーシュのためにすぐにでも駆け出したい気持ちを堪えるスザクの心境が、二人の関係を間近で見てきたC.C.には手に取るように分かった。
しかしだからこそ短慮な行動を認めるわけにはいかず、C.C.は先程と同様の言葉を言い聞かせるように伝える。
『落ち着け、枢木スザク。焦って短絡的に動いて、お前まで軍に捕まればそれこそ一巻の終わりだろう。そうなったら、一体誰がルルーシュを助けるというんだ?』
『っ……』
『自覚しろ。ルルーシュが捕まったいま、あいつを助けられるのはゼロの正体を知っているお前しかいない』
スザクが決して間違った行動を起こさないよう、C.C.ははっきりと釘を刺すように事実を告げる。
『同じようにあいつが大切にしているナナリーを守れるのも、お前しかいない。いまここでお前がルルーシュを捜しに行けば、ナナリーは誰が守る? あれだけ慎重に動いていたルルーシュが捕まったんだ。敵側の情報源も分からない現状、お前達の居場所が軍に漏れている可能性もないとは言えないんだぞ』
『あっ……!』
思ってもみなかったのだろう。C.C.の指摘にスザクが大きく息を呑む。
だがそれは少し考えれば簡単に推測し得る危険だった。軍がいつからルルーシュに目をつけていたかは分からないが、いまスザクとナナリーが滞在しているホテルには昨夜までルルーシュもいたのだから。
『お前はルルーシュからナナリーの事を任されたはずだ。その意味を、忘れたわけではあるまい?』
確かめるようにC.C.が問う。
私よりもお前の方がそれを知っているだろうと、そんな含みを持たせて。
すぐに返答はなかった。
数拍の無言が続き、電話越しから何度か深呼吸するような気配がする。
『……うん。すぐにナナリーを連れてホテルを出るよ』
重苦しい沈黙を越え、葛藤が滲んだ声音でスザクは己の考えを取り下げた。
『言うまでもないが、ホテルから出る時と移動中は細心の注意を払え。どこに敵がいるかも、誰が敵なのかも分からないんだ。変装は入念に、尾行にも気をつけろ』
『……そうだね。ルルーシュの事に気を取られてたら、ナナリーの身が危ない……』
ルルーシュの救出を諦めナナリーの安全を確保する。その苦渋の決断を自身に納得させるように、スザクは自らの置かれた現状を改めて口にする。
C.C.は電話越しの男がどれだけの自制を強いられているのか、それを理解しながらも慰めや気休めの言葉を口にはしなかった。
スザクがそんなものを必要とするような強さしか持たないのであれば、この窮地を乗り切る事は不可能だと、それが分かっていたから。
『理解したならすぐに動け。いまは1分1秒が惜しい』
『うん。君も気をつけてね、C.C.』
『ふん、お前が私の心配をするなぞ100年早い』
軽口を叩き、早速行動を起こすためC.C.は手短に別れの挨拶を告げる。
『それでは後でな。切るぞ』
『あっ、ちょっと待ってC.C.!』
『なんだ、まだ何かあるのか?』
この時間がない状況で電話を続けようとするスザクに、C.C.は煩わしさを隠そうともせず不機嫌な声を返す。
手早く用件を問おうとするが、その前にスザクはたった一言、自らの思いを告げた。
『君がいてくれて良かった』
予想外の言葉に、一瞬何を言われたのか理解が遅れて呆けるC.C.。
『それだけ伝えたくて。それじゃ、また後でね』
C.C.が何かを返す前に、スザクは早口に別れを告げると自ら電話を切った。
電話口から聞こえる『ツーツー』という音に舌打ちし、C.C.は忌々しげに手の中の電話を睨む。
「この緊急時に、くだらん事を……」
乱暴に携帯をポケットに突っ込むと、今度こそC.C.は事態に対処すべく行動を開始した。
C.C.がスザクからの知らせを受けていたのと同じ頃、彼女と全く同じ報せを聞き驚愕する少女がいた。
『ちょ、ちょっと待ってシャーリー! ルルーシュが軍人に捕まったって、それどういう事!?』
『私にも分からないんです! でもルルと話してたらいきなり軍人さんが来て、ルルに政庁まで来てくれって! それでルルもついて行っちゃって、私どうしたらいいか分からなくて、引き止めようとしたけど軍人さんが相手にしてくれなくて……!』
電話越しから混乱したシャーリーの支離滅裂な説明を聞き、ミレイも彼女に負けず劣らず動揺してしまう。
しかしミレイの混乱は彼女のそれとは違い、論理的な思考を残していた。
――ルルーシュが軍人に連れていかれたって事はまさか、皇子である事がバレたの? 学園を出る理由も正体がバレそうだからって言ってたし、軍に生きてる事が漏れて逃げ切れずに捕まっちゃったって事?
なまじルルーシュの裏事情を中途半端に知っていたミレイは、足りない情報を繋ぎ合わせその背景を誤った方向に推測してしまう。
そしてその最悪な想像を前に顔を真っ青に染め上げた。
もし本当にルルーシュが軍に捕まったのだとすれば、彼にはもはや政治の道具になる末路しか待っていない。
『会長どうしよう!? このままじゃルルが、ルルが――!』
『お、落ち着いてシャーリー! まずは冷静にならなきゃ! 軍人がルルーシュを連れて行ったって言ってたけど、いまどこにいるの? まさか一緒に政庁について行ったんじゃないわよね!?』
『い、いま? いまはルルと一緒にいたホテルの前です! ついて行こうとしたけど、軍人さんに止められて! タクシーで追おうとも思ったんだけど、追ってもどうしたらいいか分からなくて、だから、だからわたし――』
『分かった! 分かったから深呼吸! リラーックス! こういう時こそ落ち着かなきゃダメ!』
『は、はい!』
ミレイが生徒会でも良くやってるガッツの魔法ならぬリラックスの魔法を叫んだ事で、条件反射からシャーリーは素直に返事する。
電話越しから律儀に深呼吸をするシャーリーの呼吸音が聞こえ、自分も動揺している事を自覚していたミレイも一緒になって深呼吸する。
『どう? 少しは落ち着いた?』
『……分かんないです。だって、いまもルルは――!』
『そんな泣きそうな声出さないの! そんなんじゃルルーシュよりあんたの事が心配になっちゃうじゃない』
一呼吸置いた事で幾分か冷静になったミレイは、未だ混乱するシャーリーを宥めるように努めていつもの生徒会長然と振舞う。
『まず状況を説明して。シャーリーはルルーシュと一緒にいたのよね?』
『えっと、はい。その通りです』
『で、そこはホテルだったと。……いやらしいところじゃないわよね?』
『会長! ふざけてる場合じゃないです!』
『ごめんごめん。緊張をほぐそうとしてつい。それで、どうしてルルーシュとホテルなんかに――』
そこまで口にして、ミレイはようやくその話の不自然さに気がついた。
一週間ほど前からルルーシュは学園を出てナナリーと共に軍から逃げる生活を送っている。事情を知らない者には別れも告げず、事情を知っている自分にすら最低限しか語らずどこへ行くかも教えてはもらえなかった。連絡手段もルルーシュからの定時連絡だけで、こちらから連絡を取る事はできない。
そんなルルーシュと、シャーリーは直接会っていた?
あり得ない。
ルルーシュの用心深さはミレイも良く知っている。
普段の学園生活でも目立つのを避けるためにテストの点数まで抑えているルルーシュが、軍からの逃亡生活の最中に理由もなく学友と会うなんてリスクを冒すわけがない。
つまり、ルルーシュにはあったのだ。
無理をしてでもシャーリーに会わなければならない理由が。
そうして考えると、シャーリーの言葉にも違和感があった事にミレイは気付く。
シャーリーは『ルルーシュが軍人に捕まった』と言った。けれどその後『軍人がルルーシュに政庁に来てくれ』と頼み込み、それに『ルルーシュがついて行った』とも言っていた。
これを素直に受け取るなら、ルルーシュは軍人に捕まったのではなく、同行を要請されて応じただけだ。手錠をつけられ連行されたのならシャーリーの捕まったという言にも納得はいくが、客観的に考えてその状況は任意同行といえるものだろう。犯罪を犯して捕まったのではなく、何かしらの事件に関わっていた、もしくは巻き込まれ、事情を聞くために連れて行かれたと考えるのが自然だ。
なのにシャーリーは、開口一番にルルーシュが捕まったと言った。
突然の事に混乱していたからと、そう受け取る事はできる。しかしそれを考慮しても、シャーリーの動揺は異常だ。
『それは、ルルに呼ばれて…………って、会長? 聞いてますか? ねぇ会長?』
思考の海に潜っていたミレイが急に黙り込んだ事で、電話越しのシャーリーが反応がない事に気付いて呼び掛けてくる。
しかしミレイはそれどころではなかった。
自分の中で出た答えが間違っていないか、それを何度も確認し、とうとう否定する材料を見つけられなかったミレイは否定してほしいと願いながらその問いを口にした。
『シャーリー。一つだけ、正直に答えて』
『会長? なんですか、いったい――』
『あなた、ルルーシュの秘密を知ってるの?』
『っ!』
その反応だけで、ミレイには分かってしまった。
元々シャーリーは隠し事には向いていない。それがこんな状況になれば尚更の事だろう。
どういった経緯かは分からないが、シャーリーはルルーシュの秘密を知ってしまったのだ。そしてその説明をするためにルルーシュは彼女と会う機会を設け、運悪く現場を軍に押さえられてしまったのだろう。
だがそうなると、もう一つ大きな疑問が浮かび上がる。
一体どうやってシャーリーはルルーシュの秘密を知るに至ったのか。
こういってはなんだが、ただの学生であるシャーリーがルルーシュの秘密を暴けるとは思えない。
自分の素性に関しては神経質なほどに気を払っていたルルーシュがボロを出すとは考えづらいし、二人が会っていたタイミング的にもシャーリーが秘密を知ったのは最近の話で間違いないだろう。
しかしシャーリーはつい先日父親を亡くしたばかりなのだ。
塞ぎ込んだ彼女にルルーシュの秘密を調べる余力があるわけもなければ、ルルーシュが学園を出たのだってつい数日前に生徒会室に来て初めて知ったはずだ。
そんな彼女がどうしてルルーシュの秘密を知る事ができたのか。
ミレイはそこに、自分ですら知らない今回の事件の秘密があると直感的に悟った。
『シャーリー、いますぐ学園に戻ってきて。直接話し合いましょう。もちろん連れていかれたルルーシュの事も含めて』
『で、でも会長。ルルは政庁に――』
『いいから来て! 私達が政庁に行ってルルーシュに会わせてって言っても取り合ってもらえない事くらい分かるでしょ!? ならちゃんと考えて動かなきゃ!』
反論しようとするシャーリーに対しミレイは感情を抑えきれず怒鳴りつける。
行き着いてしまった結論の衝撃に、さすがの彼女も冷静さを保つ事は難しかった。
『会長は、知ってるんですか……?』
先程までの動揺したものとは違う、探るような声でシャーリーが問うてくる。
『何を?』
その真意を察しながら、あえてミレイは問い返す。
『えっと、その……ルルの、秘密を……』
『知ってる』
『っ――!』
『その事も、話し合いましょう。だから戻って来て、シャーリー。私達の学園に』
何かを堪えるように懇願するミレイ。
その声にシャーリーもミレイが隠している何かを感じ取ったのか、望んだ答えを返す。
『……分かりました。すぐに行きます』
電話が切れる。
ミレイはそれを確認して、携帯をしまった。
大きく息を吐き、机の上に両手を乗せて顔を伏せる。
その表情はいつもの彼女からは想像もつかないほど苦悶に彩られており、内心の葛藤が見て取れた。
しばらくするとミレイは顔を上げ、窓からクラブハウスの生徒会室がある場所へと目を向ける。
「変わらないものなんて、どこにもない……か」
かつて自分が言った言葉を思い出して、一人ミレイは唇を噛み締めた。
ブリタニア政庁の屋上。
そこに広がる庭園の片隅で、忙しい仕事の中にできた隙間時間を利用してエリア11のトップたる二人の姉妹が同じテーブルに座り優雅に紅茶の時間を楽しんでいた。
「そうか。ジェレミアはお前の眼鏡にはかなわなかったか」
「ジェレミア卿が悪いというわけではないんです。その……なんというか、少し考え方に違いがあったと言いますか……」
「いいや、責めてるわけじゃないんだ。私も小耳にはさんだだけだが、ジェレミアは実力自体は申し分ないが、性格的に融通の利かないところがあると聞く。軍人としては優秀でも、お前の騎士として相応しいかどうかは相性の問題もあるからな。合わなかったというなら無理に任ずる必要はない」
ジェレミアを擁護しようとする妹に、コーネリアは分かっているとばかりに首を振る。
皇族の騎士というものはただ武力に優れていればいいというわけでも、忠誠心があればいいというわけでもない。どれだけ優秀であろうと主が認めなければその立場に任じられる事はなく、ユーフェミアが納得できなかったというなら、それはそれで仕方がない事だ。
「しかしいまは大人しくとも黒の騎士団を始めとしたテロリストのせいで治安が安定していないのも事実だ。お前の安全のためにも騎士の選定は早いに越した事はないだろう。他の候補者のリストアップをさせておいたから、後で見てみるといい。もしジェレミアのように直接会いたいと言うならそれも取り計らおう」
「……はい、ありがとうございます。お姉様」
少しだけ黙り込んだ後、ユーフェミアは姉に感謝を述べる。
その沈黙から彼女が騎士の選定には乗り気でない事は姉であるコーネリアにも察せられたが、こればかりはユーフェミアの安全にも関わる事なので我慢してもらうほかない。
といっても折角できた憩いの時間を気まずく過ごす必要もないだろうと、ひとまずこの話題は終わりにしてコーネリアは別の話題を振る。
「そういえば昨日、通信越しではあるが久しぶりにクロヴィスと話をしたぞ」
「まぁ、クロヴィスお兄様とですか? 一体どうして?」
異母兄の話にユーフェミアも沈んでいた態度から一転して笑顔になる。
それに思わずつられて笑みを零しながらコーネリアは妹の質問に答えた。
「もうすぐあいつの記念美術館が完成するだろう。自分の名前を冠した美術館の落成式にくらい顔を出せと文句を言ってやったんだ。本国に帰ってからも屋敷に引きこもっているようだからな」
コーネリアへと総督が引き継がれる前、退任したクロヴィスを讃えるため建設が始められたクロヴィス記念美術館。
先日プールが完成したクロヴィスランドもそうだが、前任であったクロヴィスは芸術に対し深い理解と関心があったため、こうした分野での影響力はかなり大きかった。
「ですが、クロヴィスお兄様はこのエリアでテロリストに襲われたため総督を退任されたのでしょう? 危険な目に遭ったところへは戻りたくないのでは?」
心配そうに、眉を下げながらユーフェミアは問う。
公式には健康上の理由で退任した事になっているクロヴィスだが、一部の上の人間にはクロヴィスが新宿での作戦中にテロリストに襲われ、そのトラウマが理由で総督を辞任した事は広まっている。
いまでは本国の屋敷から一歩も出なくなったクロヴィスを再びこのエリアに呼び戻すというのは、いくら一時的なものとはいえ酷というものだろう。
しかしコーネリアの考えは違った。
「そもそもテロリストに襲われたくらいで総督を辞任するあれが間違っているのだ。命を懸けるからこそ統治する資格がある。その程度の覚悟は就任の時から決めておくべきだ」
数多の戦場で活躍しノブレス・オブリージュを果たしてきた武人のコーネリアからすれば、命を狙われたくらいで本国へ戻る異母弟は不甲斐ないという他ない。
あまりに身も蓋もない姉の糾弾にユーフェミアは苦い顔をする。
「だがまぁ、今更そんな事を言っても仕方ないからな。本国に戻ってから公の場にも顔を出していないようだし、外から何かきっかけを作ってやった方がいいだろうと声を掛けたんだ」
「それは少し強引では……それで、クロヴィスお兄様はなんと?」
「あっさりと断られたよ。少し厳しい事も言ってやったんだが、『私にはもうその地を踏む権利はない』と頑なに応じようとはしなくてな」
その時の事を思い出したのか、諦めたように少し長い息を吐くコーネリア。
姉の答えにユーフェミアも顔を曇らせた。
「責任を感じておられるのですね。クロヴィスお兄様は、このエリア11に」
「あれは優し過ぎる。時に非情な決断を求められる為政者には向いていなかったのだろう」
紅茶を飲む際に鳴る茶器の音が静かに響く。
少しだけ重くなってしまった空気を振り払うように、コーネリアは妹に微笑みかけた。
「そんなわけだから、美術館の落成式は予定通りお前に任せる事になりそうだ。頼んだぞ、ユフィ」
「はい、お姉様。精一杯やらせていただきます」
胸に手を当てユーフェミアは明るく請け負う。
お飾りである事は自覚しているが故に、彼女はせめて与えられた仕事には真摯に励む事を決めていた。
そうして穏やかに過ぎる姉妹の時間だったが、突如としてそれは破られる。
「失礼致します!」
凛々しい声と共に庭園に現れたのは、コーネリアの騎士であるギルフォード。
彼は早足に姉妹の下まで歩みを進めると、深く頭を下げた。
「ご歓談中のところ申し訳ございません! しかし一刻も早く伝えねばならない報せが届きました故、ご報告に上がりました」
部下の言葉を聞き、穏やかだったコーネリアの顔が一瞬でエリア総督のものへと変わる。
その口から発する言葉も、先程までとは打って変わって覇気に満ちた厳かなものになっていた。
「何があった? 黒の騎士団が動きでも見せたか?」
コーネリアからの問いにすぐさまギルフォードは首を振る。
「いえ、テロリストとはなんの関係もございません」
「ほぅ。ならばどんな用だ?」
姉妹の憩いの時間に割り込んでくるほどの案件ならば、どうせテロリストが何か突発的なテロでも起こしたのだろうと考えていたコーネリアは意外そうに目を細めながら子細の報告を求める。
そして自らの騎士から齎された報告は、彼女の予想を遥かに超える衝撃的なものだった。
「お亡くなりになられていたはずの姫様の弟君、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下が純血派によって保護されました」
「は? なん、だと……!」
「えっ、ルルーシュ……?」
ギルフォードの口から語られた名前と、その事実に姉妹は呆然と目を見開く。
わずかな沈黙が場を支配し、しかし次の瞬間コーネリアは猛然と立ち上がってギルフォードを問い詰めた。
「どういう事だ!? ルルーシュが生きていたというのか!」
戦場に出ている時と変わらぬ迫力を見せるコーネリア。だがギルフォードもこうなる事は分かっていたのか、殊更動揺せずに即答した。
「どうやらそのようでございます。現在ルルーシュ殿下は政庁の一室にお通ししているとの事です」
「なに!? ではもうここにルルーシュが来ているというのか!」
「はい。純血派が保護した時点で報告は届いていたようなのですが、なにぶん荒唐無稽な話だったため安易に姫様にお話を通す事は躊躇われ、結局到着まで事実確認ができなかったようです」
「なんと愚かな……!」
情報伝達の不備にコーネリアは歯ぎしりしながら表情を歪める。
その正面では彼女の妹が未だ動揺の抜けきらない様子で身体を震わせていた。
「そんな、ルルーシュが……ルルーシュが、生きていたなんて……」
身を抱くような姿勢で、目に涙を浮かべるユーフェミア。
「ユフィ……」
妹の様子を心配しコーネリアはその名を呼ぶ。
すると彼女は突如として立ち上がり、声を張り上げた。
「お姉様! 早く会いに行きましょう。ルルーシュに! いますぐ!」
悄然とした様子から一転、ユーフェミアは姉に迫る。
その変わりように驚き目を丸くするコーネリアだったが、すぐに頷くと自らの騎士に命令を下す。
「ああ! ギルフォード、すぐにルルーシュの下まで案内しろ!」
「イエス・ユアハイネス!」
そうして騎士に先導された姉妹は死んだはずの兄弟の元へ向かう。期待と不安で胸の中をいっぱいにしながら。
その再会がどんな結果になるとも知らず。
前回あんな感じで終わっておいて、まさかのルルーシュ不在回です。
次こそ登場するので、少々お待ちを。
次話はコードギアスにおけるあの記念日に投稿予定ですので、お待たせする事はないかと思います。
次回:かつて家族だった者達
本編が完全なシリアスに突入したのでお遊び企画の方を更新してはっちゃけました。もし良ければそちらもお読みいただければ幸いです。
https://syosetu.org/novel/246100/