お待たせしました。
前回お知らせしていた通り、今話はいつもより若干短めです。
C.C.とスザクの話し合いが終わる数時間前。
2階の部屋の扉が閉まる音を聞いて、小さくナナリーはため息をついた。
二人が何か大切な話をしているのは分かっている。きっとC.C.もスザクも心配を掛けないようにあえて自分に話を聞かせないようにしているのだろう。
けれど同じ家に住みながら仲間外れにされているような疎外感は、日を重ねるごとにナナリーの心を少しずつ重くした。学園を出て接する人がC.C.とスザクの他にいない事もそれに拍車を掛ける。
しかし本来ならこんなのは、多少気にはなっても落ち込むほどの事ではない。なのにそんな些細な出来事にも過敏に反応して塞ぎ込んでしまうのは、いつも傍にいてくれた人がいまはいないから。
「お兄様……」
最近では癖になってしまっている呟きが零れる。
この3日、ナナリーは一度も兄と会っていない。
C.C.とスザクの話では黒の騎士団の方でトラブルが起きたため泊まり込みで対処しているという事だったが、いくら緊急事態とはいえ自分に対しなんの説明もなかったのがナナリーにはショックだった。
いままで一度も、一言の断りもなく兄が外泊をした事などない。最近は色々あったせいでギクシャクはしていたが、それでも優しい態度は変わらなかったし、兄はいまも何一つ変わらず自分を大切に思ってくれているのだとナナリーは信じ込んでいた。
でも本当に、そうなのだろうか?
兄の考えを否定してしまった自分は、もしかして嫌われてしまったのではないだろうか?
そんな考えが頭の隅を掠めた瞬間、ナナリーは全身の血が凍りつくような恐怖に襲われた。
兄の変化は些細なものだ。言葉にしてしまえば、C.C.とスザクに外泊の言伝を頼んだ。それだけの話でしかない。
なのにただそれだけの事が、どうしようもなくナナリーの心を苛む。
ゼロだと聞かされてから、さりげなく距離を置かれていた事には気付いていた。自分も心の整理がついていなくて、それをありがたいとすら感じていた。
でももし、置かれていた距離がずっとそのままだったら?
もう以前のように愛情を向けてもらえなかったら?
あり得ないと分かっているのに、ナナリーは不安を捨てる事ができない。
だって兄はもう3日も帰ってきていないのだ。
ほんのわずかな時間でもいいから帰ってきて、優しい言葉を掛けてくれたらこんな不安はすぐに消し飛ばせるのに。手を取って笑い掛けてくれたなら、それだけでいいのに。
どんなに願っても、兄は自分の前に現れてはくれない。望めばいつまでも傍にいてくれた兄は、電話の一本も寄こしてはくれない。
寂しい気持ちが心を締めつける。
焦がれる思いが、どうしようもなくただ一人を求める。
もしかしたら兄は、自分の事などもうどうでもいいと思っているのではないか。自分の事よりも黒の騎士団の活動の方が大事で、だから帰ってきてくれないのではないか。
そんなバカな考えをナナリーは否定できなくなっていた。
「会いたいです…………お兄様……」
涙が零れそうになるのを堪えながら、ナナリーは車椅子を動かして兄の部屋になる予定の一室に入る。
この隠れ家に住むようになってから兄は一度も帰ってきていないため、部屋には最低限の家具しか置かれていない。
兄の痕跡も、匂いも、その部屋からは感じられない。
だからこんなところにいる意味はない。
それが分かっていながら、ナナリーは不安に押し潰されそうになると、この部屋を訪れてしまう。
もしかしたらこの部屋で待っていれば、ひょっこり兄が帰ってきてくれるんじゃないか。そんなあるはずもない淡い期待に心を動かされて。
「………………には…………んだ……!」
「えっ?」
目を閉じて兄の事を想っていたナナリーの耳に微かな声が聞こえてくる。
それは上の階で話しているスザクの声だった。
普段は居間にいるため、扉と離れた距離によってまるで漏れ聞こえてこない声が薄い床板を通してナナリーの耳に届いてしまったのだ。それでも普通に話しているだけなら声は床板を越えて聞こえてくる事はなかっただろう。しかしタイミング悪くスザクが声を荒らげた事と、盲目であるため常人よりも鋭いナナリーの聴覚が合わさった事で、意図せず盗み聞きの環境が整ってしまったのだ。
これがいつものナナリーなら、声が漏れてしまったところで問題はなかった。
盗み聞きなんて行儀の悪い事をするわけにはいかないと、自主的に退室してスザクの声を聞かないように努めたはずだから。
しかしここ最近不安定になっていたナナリーの心は、秘密にされている事を知りたいという当然の欲求に抗う事ができなかった。もしかしたら兄の事を話しているかもしれないという期待も、それを後押しした。
結果として、耳を澄ませたナナリーの聴覚は途切れ途切れにスザクの声を拾い上げる。
「……いんで、ルルーシュ……助けられなかった……C.C.……たでしょ。ブリタニア……捕まったルルーシュ……助ける……一つのミス……なるって!」
「――!」
所々聞き取れない中で確かに耳に届いた内容に、ナナリーの顔から血の気が引く。
お兄様が、ブリタニアに捕まった?
「……のに、僕が…………僕が考えなし…………失敗した!」
失敗? 何に?
まさか、お兄様を助ける事に……?
「君の言った……僕のせいでルルーシュ…………ルルーシュ……死なせてしまう……!」
悲痛な声を――疑う余地を感じさせないスザクの悔恨に満ちた嘆きを――ナナリーは聞いた。
聞いてしまった。
死ぬ? お兄様が?
ブリタニアに、捕まって――
「っっ!」
気付けばナナリーは部屋を出て、そのままの勢いで隠れ家の外に飛び出していた。
この3日間は一度も外に出た事はなく、またC.C.とスザクの二人からも外出は固く禁じられていたが、そんな約束は頭の片隅にも浮かばず全速力で車椅子を走らせる。
一刻も早く兄のもとへ。
ナナリーの頭にはそれしかなかった。
「お兄様…………お兄様……!」
きっとブリタニアに捕まったというなら政庁にいるはず。
もしいなかったとしても、兄がどこにいるかは分かるはずだとナナリーはブリタニア政庁を目指す。
自分が租界のどこに住んでいるかも知らなかったナナリーは、道行く人に政庁への方向を尋ね、教えてもらった方角へ一心不乱に車椅子を飛ばした。
普段一人で外出する事などないナナリーだが、それでも外出中に同行者と逸れた時のために、信号の音や点字ブロックの上を通った際の車椅子の揺れなどは憶えている。
それらを頼りに事故を回避し、ナナリーはたびたび方角を人に聞きながら政庁を目指す。
しかし数十分、もしかしたら1時間以上も車椅子を走らせたところで、車輪が運悪く大きめの石に引っ掛かってしまった。
「あっ……きゃあ!」
いつものスピードならともかく、出せる限界の速さで車椅子を走らせていた事が仇となって、車体のバランスが保てずにナナリーは地面へと投げ出されてしまう。
ガシャンと車椅子が転倒する大きな音が周囲に響き渡り、それとほぼ同時にナナリーも地面に転がって身体を強く打つ。
「……何が…………つうっ!」
突然の事態にナナリーは一瞬、自分の身に何が起こったのか分からなかった。
しかし全身に鈍い痛みが走った事で、ようやく転んでしまった事実に気付く。
早く車椅子に座り直して政庁に向かわなければ、そう思って上体を起こそうとするナナリーだったが、痛みで思うように身体が動かなかった。
「……お兄様…………早く、お兄様のところへ……」
「大丈夫ですか!?」
必死に起き上がろうとするナナリーの耳に、駆け寄ってくる足音と自分を心配する声が届く。
その人はすぐ傍まで来ると、腕を回して身体を支えてくれる。
「怪我はありませんか!? いま救急車を……って、えっ? ナナちゃん!?」
驚愕の気配と共に名前を呼ばれる。
聞き覚えのある声に、すぐに誰か思い至りナナリーも驚いてその名を口にした。
「……シャーリーさん?」
「ナナリーがいなくなった」
その言葉を聞いた瞬間、スザクはしばし言葉を失った。
あまりの衝撃に脳がそれを理解するのを拒否したのか、脈絡なく告げられた現実味のない内容が頭に入ってこなかったのかは定かではないが、まるで石像のように固まったスザクが再び動作を開始するのには10秒近い時間を要した。
「どういう……こと……?」
自失からなんとか立ち直ったスザクがようやく口にできたのは、そんな言葉だった。
それだけスザクにはC.C.から言われた出来事が信じられなかったのだ。
「言葉通りだ。リビングにも自分の部屋にもいなかったから家中を探してみたが、どこにも姿がない。まず間違いなく、外に出たのだろう」
「なん……で……」
事実だけを淡々と話すC.C.の言葉に、スザクは目を見開きながら口をパクパクとさせる。
そして何かに思い至ったのか声を張り上げて勢い良く立ち上がる。
「まさか、マオが――!」
「いや、その可能性は低い」
ナナリーを狙う心当たりの名前をスザクは叫ぶが、それは即座にC.C.によって否定される。
「外から誰かが侵入した形跡も、ナナリーが抵抗した痕跡もない。まだ監視カメラの映像は確認していないが、玄関の鍵が開いていた事から見ても、ナナリーが自分の意思で出たと考えるのが自然だろう」
感情を込めずに、客観的事実とそこから導き出される推測だけをC.C.は語る。
元々マオへの対策は入念にしていた事もあって、この家の防犯はかなり強固なものである。なんの痕跡も残さず部外者が出入りする事は不可能に近い。
だが多くの防犯対策がそうであるように、この家は誰かが無理やり押し入ろうとした時の対策はしていても、中から出る者に対する備えはしていない。もしナナリーが自分から出て行ったのであれば、それを阻むものは何もない。
「でも、自分で出て行くなんて、どうして……」
「心当たりはあるはずだ。ナナリーにはそれだけの理由がある」
ナナリーの動機を察しているようなC.C.の言葉に、動揺しながらもスザクは彼女が口にした理由がなんなのか考える。
そして、すぐにそれに思い至った。
「もしかして、話を聞かれてたんじゃ……!」
顔を青ざめさせながら、スザクはさっきまでC.C.と話していた内容を思い出して最悪の推測を口にする。
残念な事にそれはC.C.の考えとも一致していた。
「おそらくな。ナナリーは聡い。あれだけ言い聞かせていたのに不用意に外に出るなど、よほどの精神状態だったとしか考えられん」
学園を出る事になった経緯も、自分達が逃亡中だという立場もきちんとナナリーには説明してある。にも関わらず、ほんの数時間前までいつもと何も変わらない様子だった彼女が言いつけを破ってまで飛び出す理由が他にあるとも思えない。
C.C.が肯定したのを見て取り、スザクは咄嗟に部屋を飛び出そうとする。
だがそれは寸前でドア枠に手をついたC.C.によって阻まれた。
「どいてC.C.!」
まるで戦場にいるような迫力でスザクは叫ぶ。
いまもナナリーはブリタニア軍が闊歩する危険な租界に一人いるかもしれない。それを思えばスザクにはジッとしている事など不可能だった。
C.C.もそんなスザクの心境を十全に理解しながら、それでも考えなしの行動を許すわけにはいかず険しい顔で諭す。
「落ち着け。ナナリーを捜しに行くのは良いが、自分が指名手配中のテロリストである事を忘れるな。目立つような事をすれば、すぐに捕まるぞ」
「そんな事を言ってる場合じゃないでしょ! 早く連れ戻さなきゃナナリーまでブリタニアに捕まっちゃうかもしれないんだよ!」
「だとしてもだ! ナナリーが捕まるのもお前が捕まるのも状況的にさして違いはない! いや、救出の手立てがなくなるぶんお前が捕まる方が尚悪い!」
こんな状況においても、良い意味で部外者であるC.C.は冷静だった。
仮にナナリーが捕まればルルーシュは急所を押さえられる事になり、身動きがかなり制限されてしまうだろう。加えてブリタニア側も死んでいたはずの兄妹が二人揃ったとなれば、早急になんらかのアクションを起こす可能性が高い。救出のために使える時間は短くなり、二人に増えた救出対象を奪い返すのはより困難を極めるだろう。
だがそれでも、救出の目は残る。
どれだけ実現が難しかろうが、可能性は潰えない。
しかしナナリーではなくスザクがブリタニアに捕まってしまえば、そのわずかな希望すら刈り取られてしまう事は明らかだった。
スザクがいない以上は黒の騎士団も使う事はできず、守りの固い政庁に囚われたルルーシュとスザクをC.C.が独力で救い出すなど、ルルーシュのブリタニアへの反逆以上に無理な話なのだから。
「ナナリーを捜しに行くなら、変装して目立たないように充分注意を払いながらだ! それ以外には認めん!」
「何を言ってるんだ! そんな悠長な事をしてる間にナナリーがブリタニアに捕まったらどうするのさ!」
「それでもお前がブリタニアに捕まるよりはマシだと言っているだろう! 少しは人の話を聞け!」
「っ――――ふざけるな!」
当たり前の理屈で以てナナリーよりもスザクを優先するC.C.。
しかしスザクにとってそれは逆鱗だった。
「いまナナリーの身の安全以上に大切なものなんかあるもんか!」
「――――」
「僕は行く! どくんだC.C.!」
もはや話し合う姿勢すら見せず、無理やりC.C.を押しのけて部屋を飛び出すスザク。
とにかくナナリーを連れ戻す。いまのスザクの頭にはそれしかなかった。
短い廊下を走り抜け、階段を駆け下りようと勢いを落とさないまま角を曲がる――――その直前に、突然肩に衝撃を受けてスザクは転倒した。
「なっ……!」
バランスを崩し、派手な音を立てながら床を転がって壁に激突する。
痛みに耐えながらスザクがなんとか顔を上げると、そこには小型の拳銃を自分に向けるC.C.の姿があった。
それを認識すると同時に、頭に靄が掛かったかのように急速に意識が遠のいていく。
「……しー…………つー……」
自分に銃口を向ける少女の表情には、なんの感情も浮かんではいなかった。
どうして、そんな言葉を口にする前に、拳銃から放たれた銃弾がスザクの意識を刈り取った。
「やはりこうなってしまったか」
麻酔弾を撃ち込まれて気を失ったスザクを見下ろしながら、C.C.はため息をつく。
マオ対策に常に携帯していた麻酔銃をしまい、床に倒れ伏したスザクの服の襟を掴む。
このまま床に放置しても良かったが、おそらくはルルーシュが囚われてからまともに睡眠も取っていないであろう事を考慮してベッドまで引きずっていく。途中でドア枠に肩や足をぶつけたりもしてしまったが、無駄に頑丈なスザクの事だ。問題はあるまい。
C.C.はベッドの上にスザクの身体を乱暴に放り出し、起きた時のために最低限の書き置きをしておく。
「まったく、どうして私がこんな事を……」
いつの間にかまるで苦労性のルルーシュのような立場になっている事実に、C.C.は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら愚痴を零す。
この状況下では致し方ないとはいえ、どうにも納得のいかない不満がたまる。
「だがまぁ、こいつにしては頑張った方か」
ベッドで眠るスザクに目を向け、書いたばかりの書き置きをテープでおでこに張る。念入りに数か所にテープをつけてちょっとの事では剥がれないようにしておく。こうしておけば、飛び起きたとしても書き置きに気付かず家を飛び出すような事はないだろう。
ナナリーがいなくなった事に気付いた時点で、こうなってしまうだろう事がC.C.には分かっていた。
さっきの話を終えたスザクは見るからに限界で、これ以上の心労が重なれば簡単に張り詰めた糸が千切れてしまう事は明らかだった。そんなところに守るべきナナリーの失踪だ。とても冷静でいられるわけがない。もしここにいたのがスザクではなくルルーシュだったとしても、おそらく反応は大して変わらなかっただろう。
「さて、私はナナリーを捜しに行くとするか」
監視カメラの映像で、およそ2時間ほど前にナナリーが一人で自主的に出て行った事を確認したC.C.は、ノートパソコンを閉じて立ち上がる。
租界ではブリタニア軍が血眼になって彼女を捜しているだろう事を考えれば、もはや一刻の猶予もない。
ルルーシュに続いてナナリーまで捕まる事だけは、自身の目的のためにも避けなければならないのだから。
手早く自分用の変装道具を取り出し、C.C.は外出の準備を整える。
本来なら多少のリスクを呑んででも黒の騎士団にナナリーを捜させるのが最善手なのだが、スザクを眠らせてしまった以上はそれも望めない。目覚めた時に冷静になってくれていればいいが、望みは薄いだろう。
つまりナナリーの命運は、本来なら部外者である自分に半ば託されたといえる。
「ナナリーの世話と護衛は任せろ、か。図らずも、とんだ安請け合いをしてしまったものだな」
皮肉交じりに唇を歪め、C.C.は隠れ家を出る。
飄々とした口調とは裏腹に、その額には冷や汗が浮かんでいた。
前回の裏事情と+α。
ナナリーの部分以外は省いていいかとも思ったのですが、最後のC.C.の台詞を言わせたいがためだけに入れる事にしました。
次回:ただあなたを想って
先日、別作品としてルルC(LC)小説を投稿したので、もし興味がある方はリンクを張っておきますのでそちらもお読みいただけると嬉しいです。
おそらく10分弱で読み終わるであろう復活のルルーシュ時空の短編になっています。
約束の道
https://syosetu.org/novel/291247/