信長公戦記 〜 提督へ 〜 作:山田太郎
このペースで進んで、いつになったら彼は提督になるのでしょう。
それは誰にもわからない。
真っ白なカーテンが風に揺れ、心地良い潮風を運んでくる。
柔らかい日差しに照らされた室内は隅々まで手が行き届いており、汚れの一つも見当たらない。
誰の館かは知らないが、これほどの物を用意できる者だ。さぞ名のある者なのだろうと思う。
その者に縁のある
年齢から察するに奥方なのかもしれない。
自らを利根と名乗るその女子は真剣な眼差しで、礼と言うなら“提督”になってほしいと言ったのだ。
「ていとく、とな? それはどのようなものだ」
「なんじゃ、提督を知らんのか。そうじゃな、提督とは艦艇を率いる海軍の将じゃ」
その女子はそう説明した。
かんてい、かいぐん。共に聞き慣れぬ言葉ではあるが、なに、艇と言うくらいだ。かいぐんとは海の軍と字を当てるのだろう。
「お前は面白いことを言う、水軍*1とは違い海軍と? しからば、そなたは兵を率いて海を往くと申すか?」
「うん? なにやら少し違っておるような」
男の問いに、何が違うのかはわからないが、何かが違うと不思議そうな顔をする女。
「海軍とは海の軍と書くのだろう? ならば大海を隔てた大陸に攻め込むための軍ではないのか?」
「まぁ、そうじゃな。括りではそうなるのかも知れんが、吾輩たちは大陸ではなく海で戦っておる」
「ますます奇怪な奴よ」
次に不思議そうな顔をするのは男のほうだ。
海で戦うと女は言った。
なぜわざわざと足場の悪い船の上で戦うのか、それがよくわからない。のっぴきならない理由でもあるのか、それともそれを強いる武将の能力が低いのか。
「海の上で戦うと申すが、であるなら敵も船上にて戦うのか?」
「そりゃそうじゃろ、戦うのだからな。海が戦場じゃ」
駄目だ、会話ができている気がせん。
女の言っていることは何も理解できそうにないが、そんな中でも一つ、確認しておかねばならぬことがある。
「要領を得んが、俺に配下に加われと、つまりはそう言っておるのだな?」
先ほどまでと打って変わって、男の声が抑えたトーンのものになる。
心地良く吹いていた風さえ止まり、まるで空気が身を潜めているかのようだ。
これが魔王と自称した男の、天下に覇を唱えた男の、他の者には真似できぬ覇王の作り上げる世界。
これも奇妙な縁だと思い、助けてくれた礼もあって話に付き合ってきたが、この信長に配下になれと言うならそれもここまでよ。
無礼も愛嬌と思ったが、度が過ぎればそれも笑って流せるものではない。
しかし、そんな張り詰めた空気もなんのその。空気を読まないとはこういったことを言うのだろう。
女はまるで対応を変えることもなく、こう言ってのけた。
「お主は人の話を聞いておらんのか。逆じゃ、吾輩を配下に置いてくれと、そう言っておるのじゃ」
その言に、張り詰めた空気も霧散する。
少なくともこの女は敵ではないのだろう。そして悪気も持ってはいまい。
つい苦笑いが溢れる顔で、呆れ気味に男が問う。
「将になれと言ったではないか」
「将軍なのじゃから、誰よりも偉かろうが」
信長から見れば、将は配下であった。
自らの下に名のある将を連ねているのだ。それも当然である。
そこでふと気付く。
もしや、逆なのではないかと。
「……織田家の家臣になりたいと?」
「なんじゃそれは?」
違ったようだ。
ますます持ってわからん。
「もうよい、その海軍とやらはどこの国の軍だ?」
水軍であるなら瀬戸内か、ならば
だが俺は確かに京にいたのだ。半日足らずで移動させたなど考えられない。
それに、こやつの話を信じるなら軍は海軍。大陸を攻めるのであれば、俺ならどうする?
うむ、
いや、時間的なことを考えると若狭や越前でさえ不可能のはずだが、しかし現に潮風が肌を撫で、潮騒が耳を打っている。
「お主はほとほとおかしな奴じゃな、日本の軍隊に決まっておろう」
まったくもって会話にならん。まるで狐に化かされているようだ。
どうすればこの現状を脱することができようか、目の前の女も同じ気持ちでいるかのような顔をしているが、決して俺のせいではない。
「ここはどこだ?」
「だから、鎮守府と言っておろうが。いや、もしや地名を聞いておるのか、ここは舞鶴じゃ」
ようやく地名を確認することができた。
この信長を相手に、ここまで手間をかけさせるとはこの女子はなかなかのものだ。
この夢か現かわからぬ室で交わされる会話がなぜだか心地良く、いらぬ癇癪の虫を抑えているようだ。
さりとて聞き覚えのない地名だが、
「舞鶴?
「おお、古いことを知っておるな。そうじゃ、言うならば
田辺か、田辺であるなら長岡藤孝*6に任せている地だが、はて。
田辺城はこのような城ではなかったはず、海軍とやらの話も知らん。
家督はすでに信忠に譲ってはいるが、まさか自分の耳に入らぬままに事が為されているとも思えない。
わからぬものにいつまでも悩まされるのもつまらない。
わかることから知っていけば良いのだ。
「あれから何日が経った?」
「あれが何を指しておるのかは知らんが、お主を見つけたのは今日の明け方じゃ。まだ3時間ほどしか経っておらん」
まさか屋外で数日放置されていたわけでもなかろう。では京からここまでほんの短時間で移動したことになる。
それも良い、現に俺は田辺にいるのだ。ならばそれで良い。
今頃は京で騒ぎになっておるやも知れぬが、この機に皆の動きを見定めるのも面白いだろう。
今はこの信長の好奇心を満たすため、その提督やら海軍やら、そして鎮守府とやらの話を聞こうではないか。
そう考え、改めて向き直ると、視線を合わせた女が短く息を吐いて肩の力を抜いたようだった。
「まぁよいか、あまり焦って詰め寄る話でもなかったな。それよりもまずは飯じゃ、食べねば体も良くならんじゃろう。どれ、歩けそうか?」
相も変わらず無礼な物言いではあるが、なんとも奇矯で面白い奴だ。
俺にこんな口を利く者も今ではとんと見かけなくなった。話の物種だ、たまにはそれも良かろう。
走ってばかりだったが、かように流されてみるのもまた一興よ。
体を支えるように腕を伸ばす女。言葉は悪いが、女の仕草は慈しむようで、所作も洗練された物だ。
名のある家の女なのだろう。そんな風に思う。
そして俺は、その女の腰下に目をやり、今までの問答を忘れるほどの衝撃と共に大声を上げたのだった。
「なんだその破廉恥な着物はっ!?」
注釈を付けるのにハマり、そして飽きた(;´д`)