ホームズとモリアーティ   作:蔗糖

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第一章 黄昏時の小説家
第一話


 

 

 ──あの大人気推理小説『黄昏の研究室』が映画化されることが発表されました! 原作の茶谷先生は──

 

 つけっぱなしのテレビから女性アナウンサーの声が響く。うららかな日曜日。事務所のテーブルで算数のドリルをやりながら、俺はお昼のニュース番組の音声を漫然と聞き流していた。

 

「へえ、あの小説映画化するんだって! コナン君知ってる? って、小学生にはまだ難しいか」

 

 蘭の問いかけに顔を上げると、テレビでは主演俳優のコメントが流れているところだった。

 話題にあがっているのは数年前に発売された人気の推理小説で、俺も新一だった頃に読んでいたが、小学一年生が読むには難しい内容であることは事実なのでアハハと笑って誤魔化しておく。

 

「蘭姉ちゃんは読んだことあるの?」

 

「発売された頃に読んだわよ。すごく話題になってたもの」

 

 とても面白かったと楽しそうに話す蘭。たしかにあの小説は、巧妙なトリックと斬新な結末がすごく面白かった記憶がある。実はこの作家のファンだったりするくらいだ。

 

 番組は既に次のニュースに移っている。

 その時、ピンポーンと事務所のインターホンが来客を告げた。依頼だろうか。肝心のおっちゃんは先程からソファでいびきをかいているけど。

 

「美織ちゃん!? うわ〜久し振り! いつ帰ってきてたの?」

 

 やけにテンションの高い蘭の声に不思議に思ってドアの方を見てみると、そこには数年ぶりに会うひとつ歳下の幼馴染。

 彼女──阿部美織は、長い黒髪をふたつの三つ編みに纏めて、数年前と少しも変わらない様子でそこに立っていた。

 

「ちょっとお父さん起きて! お客さんよ!」

 

「んあ? なんだぁ依頼か?」

 

「違うけど! ほら、美織ちゃんが帰ってきたのよ。覚えてるでしょう?」

 

 美織は俺の隣の家に住んでいて、歳は違ったが昔はよく蘭たちと一緒に遊んでいた。彼女が帝丹小学校に入学して一年くらいした頃に、両親と共にイギリスに引っ越してしまうまでは。

 彼女は恐ろしく頭が良く、いわゆる天才少女と呼ばれるものだった。その才能を活かすために外国の教育を受けさせるという話でイギリスに行ってしまったのだ。

 実際、彼女は海外でその才能を遺憾なく発揮し、イギリスの新聞でよく姿を見かけた。たしか、たった七歳でイギリスのオックスフォード大学に入学した日本の天才少女だと。

 大学院を卒業してからは表舞台から姿を消していたが、たまに連絡を取り合っていたし、イギリスに行った時は彼女に会ったりもしていた。

 

「お久しぶりです小五郎おじさま」

 

「ああ、あの美織ちゃんか! 随分美人になったなぁ」

 

 ガハハ、と笑うおっちゃんに彼女はニッコリと微笑みを返して、勧められたソファに腰掛ける。

 

「お姉さんは蘭姉ちゃんのお友達?」

 

 俺がソファの横から話しかけると、彼女は俺の存在に今気がついたというようにこちらを見て、そして少し驚いたような顔をする。

 蘭が美織のことを紹介すると、彼女はこの子は? と言って俺の頬をつんつんとつつく。俺は数秒間されるがままになっていたが、はっと正気に戻って彼女の手をやんわりと退けた。

 

「ああ、その子はコナン君よ。ご両親が海外に行ってて、その間うちで預かってるの。たしか新一の親戚なんだよね」

 

 工藤君の……と小さく呟いて俺の顔をまじまじと見つめる。たしかにそっくりだわと呟く彼女に、俺は冷や汗をかきながら子供らしい笑顔を意識した。

 

「江戸川コナンだよ。よろしくね美織姉ちゃん!」

 

 彼女はしばらく疑うような目で俺を見ていたが、ニッコリ笑ってよろしくねと返してくれた。これ、バレてんじゃねぇのか? 

 

「それより美織ちゃん、いつ日本に戻ってきてたの?」

 

 蘭がお茶をテーブルに置き、向かいのソファに座る。彼女はお茶を一口飲んでから蘭の質問に答えた。

 

「昨日のお昼頃よ。向こうでやることもだいたい終わったし、しばらくは日本にいるつもり。色々立て込んでて連絡できなくてごめんね」

 

 そういえばお土産が……と言って持っていた紙袋から高そうなチョコレートの箱を取り出す。

 空港で買ったの。結構有名なお店みたいよ。と笑う彼女に、蘭はそんなのいいのにと言いながら嬉しそうに箱を冷蔵庫にしまいに行った。

 

「そういえば蘭ちゃん、工藤君が今どこにいるか知らない?」

 

 昨日の家に行ったのに留守だったのよ。せっかく工藤君にもお土産買ってきたのに……と残念そうに呟く彼女に、俺はギクリと身を固める。

 恐ろしく頭の良い彼女に自分の正体がバレてしまわないかただただ不安だ。絶対にボロを出さないように気を付けないとな……

 

「新一なら、今は何かの事件を追って海外にいるみたいよ」

 

 いつ帰ってくるのか私にも分からないのと寂しそうな顔をする蘭に、美織は残念そうに小さな声で何か呟く。聞き取れなかったその言葉を聞き返すと、彼女はお土産渡せないなと思って、と誤魔化すように笑った。

 

「そうだ蘭ちゃん。このチョコレート、明日学校で園子ちゃんに渡してくれないかな」

 

 彼女はもうひとつの箱を紙袋ごと蘭に差し出す。袋には綺麗なデザインでお店のロゴが印刷されている。

 

「園子に? いいけど……」

 

「もともと工藤君に買ってきたものだけど、渡せないし。私が食べちゃうよりは園子ちゃんにあげた方がいいでしょ」

 

 蘭はそうね、と頷いて紙袋ごと冷蔵庫にしまった。

 

 それから、数年ぶりに再会した感動にまかせてお喋りに興じる女子二人。女は三人寄れば姦しいと言うが、二人でも十分すぎる。貰ったばかりの高級チョコレートと美織が振る舞う英国式ミルクティーを燃料に、二人のお喋りは夕方まで盛り上がった。

 おっちゃんは途中で居づらくなったのか、いつの間にか下の階の喫茶店に逃げ込んでいた。俺は二人の声をBGMにして宿題のドリルを消化するのに専念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 毛利探偵事務所を出ると、既に少し日が傾いてきていた。久しぶりに会った幼馴染に気分が上がり、少し長話しすぎてしまったことを反省する。

 

 帰国したばかりで調理道具さえ揃ってないので、コンビニで適当に夕飯用のお弁当を買う。日本のコンビニは品揃えがよくて、ついつい菓子パンやらなんやら買ってしまった。まあ、明日の朝ご飯にでもすればいいのだ。

 

 せっかく会いに来たというのに、あいにくホームズ君は長期出張中らしい。せっかく私の芸術が完成間近だというのに。貴方に見せるためだけにわざわざ日本を舞台に選んだというのに。

 

「帰ってこないなら、先に始めちゃうわよ」

 

 そうだ。舞台を離れた探偵役なんて無視して開演してしまえばいい。

 舞台セットも、衣装も、観客も、彼以外の役者も全て揃っている。後からのこのこ遅れてやってきた探偵役が見逃したことを悔やむような、そんな最高の芸術を皆で演じよう。

 

 気になるとすれば、居候のコナンとかいうあの少年。

 工藤君の親戚らしいが、それにしても小さい頃の彼に似すぎている。いつの間にか生まれていた年の離れた弟だという方が納得できるくらいだ。

 彼は私の舞台設定に組み込まれていない。予定外のアドリブはない方が美しいというのが私の見解だけど、まあちょっと子ネコちゃんが紛れ込むくらい問題ないだろう。それくらいで私の芸術は狂わない。

 

 それとも、あの少年がホームズの代わりに探偵役を務めてくれるとでもいうのだろうか。名だたる推理小説作家の名前を持つ彼は、それほどの逸材になりうるのだろうか。

 どちらにしろ彼がイレギュラーであることは間違いない。事前の下調べでは、工藤新一に江戸川コナンという名の親戚は存在しないはずだった。彼には何か秘密があるのだ。

 

 ビュウと強く風が吹いて、ながい三つ編みが揺れた。あたりはうっすらとオレンジ色の光で照らされて、まるで空が燃えているようだと詩的な感想を抱く。

 

 黄昏時だ。舞台の開演には相応しい。監督の合図で幕は上がる。

 

 さあ、始めようか。

 

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