いつも通り眠りの小五郎として事件を解決した俺は、警部たちに連れて行かれる犯人を見送ると、別室に集められていた一般客のもとに戻った。断りもなくいなくなったことを蘭に叱られたが、美織の仲裁で事なきを得る。
「すぐに解決してよかったね、美織ちゃん」
不安がってたもんねと笑う蘭に美織は照れくさそうに笑って、事件を解決した(という事になっている)おっちゃんにお礼を言う。案の定眠らされていて何も覚えていないおっちゃんは、彼女がすごいと褒めると微妙な顔をしてまあな、と取り繕った。
「それにしても、結局茶谷先生の正体は発表されなかったね」
残念だねと呟く蘭に、俺はその通りだと内心で同意した。
やっと出版社の社長と連絡が取れた頃には既に先生が事件に関係ないことは明らかになっており、結局小説家茶谷千の正体を公表する話はなしになったそうだ。密かに茶谷先生のファンで正体が気になっていた俺は、この結果に残念だと言わざるを得なかった。
「そういえば、コナン君は私に何を言おうとしてたの?」
え? と聞き返す俺に、スピーチが始まる前に何か言いかけてたでしょうと言う美織。俺はあっと思い出して、その時の疑問を彼女にぶつけた。
「美織姉ちゃんお仕事で来たって言ってたから、なんのお仕事かなって気になっちゃって」
「ああ、その事ね」
そういえば仕事とか言ってたかしらと首を傾げる園子。そんなことよく覚えてたわねと呆れたように言われ、俺はアハハと誤魔化すように笑った。
「実は、今日は私の研究に出資してくださってるスポンサーの方の誘いで出席しててね。挨拶回りに付き合う約束だったのよ」
ほとんど仕事みたいなものでしょ? と笑う美織に、そういえばこいつ天才少女だったなと思い出す。
どんな研究なのかと尋ねる蘭に何やら難しい化学用語で答える彼女を、俺は引きつった笑みで見つめるしかなかった。
しばらく関わらない方がいいと思ってたけど、もう会っちまったな……まあ、俺が推理する様子までは見られてないからギリギリセーフか?
おじさまの車で帰るという蘭ちゃんたちと、スポンサーの方が車を出してくれるからと言って別れた。私はそのままホテルの裏手に回り、あらかじめ呼んでおいたタクシーに乗り込み行先を告げる。
静かに走り出した車内で、私は着物の合わせからスマホを取り出して一本電話をかける。
「こんばんわ。この間の件、彼とても喜んでました」
ありがとうございますと可愛らしい声でお礼を言うと、電話の相手は分かりやすく気を良くしたようで、いつでも頼っていいからねと粘着質な声で告げた。
今度食事でもどうかという電話相手の誘いをやんわりと断っているうちに、タクシーは既に自宅近くの大通りまで来ていた。電話を適当に切り上げてタクシーを降りる。
あたりはすっかり日が落ちて暗くなり、歩いている人もまばらである。ここから自宅までは十分もかからない。
私は自宅までの道をカラカラと草履を鳴らして歩いた。疲れた体に堪える歩きにくい履物に、着物はホテルで脱いでこればよかったなんて思いながら、再びスマホを取り出して別の番号に電話をかける。数コールしかしないうちに電話に出た相手に、相変わらずだと小さく笑みをこぼした。
「ごきげんようモラン大佐」
『これはこれはモリアーティ先生。この前の仕掛けは上手く行きました?』
「ええ、貴方のおかげですよ」
ありがとうございますと可愛らしい声で告げれば、電話の相手──モラン大佐と呼ばれた男はクスクス笑い、また何時でもお付き合いしますと私の猫かぶりに付き合ってくれる。全く、ノリが良くて素晴らしい。
『それにしても、いつの間に日本に帰ってらしたんです? ご連絡頂けばお迎えに参りましたのに』
「冗談でしょう。貴方の迎えなんて来たら目立ちすぎて居心地が悪いです」
これは手厳しい、とおどけたような返答が帰ってくる。茶化されているのは分かるが、それを嫌味に感じさせないのがこの男を気に入っている理由のひとつだ。
『あの男、殺してしまってよかったんです?
「ああ、あの男ね……」
すうっと視線が鋭くなるのが自分でも分かる。今日の被害者の生前の態度を思い出して、男との茶化し合いで上昇していた気分が急落した。
「いいのよ。彼、前から態度が大きくて気に入らなかったんです。今回の事だって、正体を公表するにはまだ時期尚早だと言ったのに。社長に言ったら、前の担当さんに戻してくださるって」
電話をしていたらいつの間にか自宅に着いていた。私は草履をカランと鳴らして小綺麗な日本庭園に足を踏み入れる。
「それに、殺しただなんて人聞きの悪い事言わないで下さい。私はただ、
飛び石の道半ばで立ち止まり、うっそりと微笑む。悪い人だと囁く電話相手にいっそう笑みを深くして、さっさと電話を切るために要件を話す。
「江戸川コナンという少年がいるんです。友人の家に居候してるみたいで、今日も会場で一緒になったの」
また会う機会もあるかもしれませんねと独り言のように呟くと、男はそうですねと頷き、それではまたと電話を切った。
引き戸の鍵を開けて家に入る。草履を脱ぎ捨て冷たい廊下を歩き自室に入ると、着物を脱いで丁寧に畳んだ。
本当はしばらく吊るしておいて風を通した方がいいのだが、疲れているのでそんな気力はない。どうせ明日には呉服屋に送ってクリーニングするのだから問題は無いだろう。
布団に倒れ込む前にシャワーを浴びないと。
私はよろよろと風呂場まで行き、シャワーの蛇口を捻る。温かいお湯が髪と肌を濡らして、浴室には水しぶきの音がにぶく響いた。
江戸川コナン、小学一年生。彼は一体何者なんだろうか。イレギュラーなだけじゃない。彼について何か重要なことを見落としている気がする。
それに何より、今日の事件直後にちらりと見えた彼の姿。彼は被害者に一番に駆け寄り、脈を確認してから現場をウロウロ歩き回っていた。
あの少年の行動は、本来探偵役のものだったのだ。本来あの場にいたであろう私のホームズ君が取る予定の行動だったのだ。
イレギュラーであるあの少年の存在を許したのは、想定外を含んだシナリオがどう変化するのか私自身興味があったからだ。
イレギュラーに何らかの‘‘役’’が付与されればシナリオは曲がる。はたまた彼がただのエキストラに過ぎないならば、シナリオは予定通りに進んでいく。どちらにしても、自分の芸術に大きな影響は与えないと、その湾曲さえ利用して舞台をもっと素晴らしいものにできると確信していた。していた、けど、
「イレギュラーはあくまで
まさか彼に‘‘探偵役’’が付与されるなんて。
本来不在であるはずの‘‘探偵役’’を彼が務めたことで、かえってシナリオは寸分違わず真っ直ぐに進んでいった。事件は解決され、犯人は捕まり、そして‘‘黒幕’’の存在は知られない。何から何まで計画通り。つまり、少年は完璧に‘‘探偵役’’を務めたということだ。
「彼、何者なの……?」
シャワー蛇口をキュッと締める。
ながい黒髪から滴る水分を軽くしぼり、浴室の扉を開けた。
「何にしろ、計画の変更が必要ね」
舞台はまだ始まったばかり。
江戸川コナンに関する調査報告
年齢:6歳
性別:男
所属:帝丹小学校1年B組
出身地:不明
出身病院:不明
出身幼稚園:不明
保護者:阿笠博士
戸籍情報無し。
学校の成績はとても良い。サッカーが得意。
友人の吉田歩美、小嶋元太、円谷光彦、灰原哀と共に少年探偵団として度々事件を解決している。
現在毛利探偵事務所に居候中。
過去に怪盗キッドから宝石を守ったことがあり、キッドキラーと呼ばれている。他にも、事件現場に度々居合わせ、捜査一課の捜査や毛利小五郎の推理の手伝い等をしている。
日本警察の他にFBIにも知り合いがいる模様。
追伸
友人の一人、灰原哀も戸籍情報なし。追加で調査しておきます。