ホームズとモリアーティ   作:蔗糖

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第二章 お金で買えるもの
第一話


 

 

 さらさらと風が揺れる。

 それに呼応するように周囲の木がざわめいて、そしてまた静かになる。所々にぽつりと立っている石灯籠には火が入れられておらず、飛び石が並べられた道の先は木々に隠されて見えない。

 池の水のように停滞した時の流れの中で、一人の少女がふら、と足を揺らした。しゅっと紙と紙の擦れる音が響き、しばらくの後、パタンと本が閉じられる。

 

「ふう……」

 

 少女──阿部美織は、穏やかな朝の光を浴びながら自宅の縁側に座って読書に興じていた。

 眼前に広がるのはそこそこ立派な日本庭園風の庭。‘‘風’’というのはこれが歴史も浅いただの日本庭園の真似事であることを知っているからだが、何も知らない一般人から見ればこれは正しく日本庭園だろう。

 置いてあるサンダルをつっかけて庭に出る。ワンピースの裾が汚れないように気を使いながら飛び石の道を進んだ。ぽちゃりと音がして、池の水面から綺麗な錦鯉がその模様を見せびらかす。

 

 やっぱり、帰ってきてから真っ先に庭の整備をさせてよかった。

 

 先日やっと家電を買い揃えたという家の中の有様を思い出して、あまりの生活への無頓着さに自分で呆れる。

 掃除洗濯に料理まで全て自分でこなしているが、家が広いので掃除は使わない部屋までは行き届かないし、洗濯機は昨日買ったのでそれまでは近くのコインランドリーで済ませていた。さすがに冷蔵庫などのキッチン家電は帰国後一週間以内には買い揃えたが、調理器具は多い方ではないし作る料理も目分量のオンパレードだ。

 

 ‘‘出来ない訳では無いが面倒くさい’’というのが自分の家事への認識で、特に不便や不満を感じていないのだからそれでいい。自分の興味が向いたのが、家事ではなかったというだけの事だ。

 

 その分、興味が向いたこと──例えばこの庭とか──へのこだわりは強い。

 所々にガタが来ている日本家屋への不満は絶えない(そのうちリフォームしてやろうと思っている)が、この芸術的で美しい庭だけは別だ。幼い頃からこの庭は私のお気に入りで、それは海外にいる間も薄れることのない記憶だった。

 

 計算され尽くした配置であるのにそうと感じさせない自然美。父の家系に代々伝わる屋敷の庭であるここは、私の芸術観の基盤になっているのかもしれない。

 

 そんなことをつらつら考えながら、出かける準備をするために家の中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

「元太! パス!」

 

 ゴールに向かって走りながら叫ぶ。元太はいくぞ! と言いながらこちらにパスを出そうとするが、その前に立ちはだかるのは光彦だ。

 

「そうはさせませんよ!」

 

 元太がコナンの方に蹴ったボールは光彦によって違う方向へ蹴り上げられ、勢い余ったボールはそのまま公園の外に向かって飛んだ。ボールが飛んだ先、そこには着物姿の若い女の人が──

 

「お姉さん危ない!」

 

 歩美の声に反応した彼女は真っ直ぐ自分の方に飛んでくるボールを見ると、両手を伸ばして顔の前でピタリとキャッチした。

 

「ナイスキャッチ……かな?」

 

「美織姉ちゃん!?」

 

 ひょこっとボールの陰から顔を出した彼女を見て、ボールを追って駆け寄ったコナンは驚いて足を止めた。

 

「あらコナン君、また会ったわね」

 

 今日はお友達と一緒なの? と言いながらしゃがんでボールを渡してくれる美織に、コナンはウンと頷いてお礼を言った。

 

 美織は綺麗な模様の紅色の着物の下に白いロングのワンピースを着ており、襟と裾がヒラヒラと着物の下から覗いている。淡いクリーム色のショールを肩に掛け、黒のベレー帽の下からは黒くて長い三つ編みが伸びる。ウエストを締めるのは帯ではなく黒いコルセットで、足元にも黒のブーツを合わせていわゆる和洋折衷コーデに身を包んでいた。

 

「わあ! お姉さんのお着物可愛い!」

 

 キラキラとした目で着物を褒める歩美に、彼女は嬉しそうに微笑んでお礼を言って歩美の頭を撫でた。そういえばコナンとして初めて会った時も何故か頬をつついてきたし、意外と子供好きなのかもしれない。

 

「可愛らしいガールフレンドじゃないコナン君。名前はなんて言うの?」

 

 そんなんじゃねぇよ! と慌てるコナンをよそに、集まってきた少年探偵団のメンバーが次々と挨拶する。サッカーに加わらずに少し離れたところで本を読んでいた哀は、ボールを取りに行った子供たちがなかなか戻ってこないので、不思議に思って様子を見に来ていた。

 

「で、あの子が哀ちゃんよ!」

 

 歩美が後ろを振り返って哀のことまで紹介してしまう。美織が後ろから歩いてくる少女に目を向けると、彼女は少し驚いた顔をしてこちらを見ていた。

 

「あなた……もしかして、阿部美織さん?」

 

 美織は驚いて目をぱちくりさせると、よく知ってるのね、と感心したように呟いて微笑んだ。

 

「そうよ、私は阿部美織。哀ちゃんっていったかしら?」

 

 立ち止まってしまった哀の前まで歩み寄り、しゃがんで目線を合わせる美織。彼女がよろしくと言って右手を差し出すと、哀は心なしか鋭い視線を向け、手を握り返す。

 

「灰原よ」

 

 よろしく、と言ってすぐに手を離してしまった少女に、美織は困ったように眉を下げた。灰原ちゃんね、と微笑んで再び立ち上がる彼女に、コナンはねえねえと声を掛ける。

 

「美織姉ちゃん、そんな格好して何処に行くの? 何かのイベント?」

 

 美織が着物を着ていることを指してそう尋ねるコナンに、彼女はニッコリと笑って駅前に新しくできたカフェに行くだけよ、と答える。

 

「最近はイベントじゃなくても普段着に着物を着る人が増えてるのよ。これは昔叔母が着ていたものがまだ残ってたから、せっかくだからアレンジして着てみたの」

 

 じゃあ私もう行くわ、と手を振って公園を出て行く美織。ボール拾ってくれてありがとうございましたと光彦が叫ぶと、彼女は振り返ってもう一度手を振った。

 細い路地に消える彼女を見送って再びサッカーをしようと公園に戻りかけるが、元太がおいと声を上げたので皆立ち止まる。

 

「これ、何か落ちてるぞ」

 

 元太が拾ったものを全員で取り囲むように見る。

 

「キーホルダー……?」

 

「さっきの彼女の落とし物じゃない?」

 

 落ちていたのは小ぶりのウサギのぬいぐるみが付いたキーホルダー。可愛らしい赤い和柄のウサギで、たしかに先程の美織のファッションにぴたりと合っている。

 

「歩美、届けに行ってくる!」

 

「僕も行きますよ!」

 

「俺も行くぞ!」

 

 何故か積極的な三人にコナンが呆気に取られていると、子供たちは全員で走っていこうとする。全員で行く必要ないだろ! と叫ぶが、彼らは何故か自分が行くと言って譲らない。よほど美織のことが気に入ったのか何なのか、とにかく早く行かないと追いつけないかもしれないので、焦れたコナンは元太の手からキーホルダーをひったくった。

 

「もういい、俺が行ってくるから!」

 

 コナンは急いで美織が消えた路地に走っていく。ずるいですよ! と叫んだ光彦に軽く振り返り、大きく手を振って細い路地を曲がっていった。

 

 

 

 

 

 美織が入っていった路地に入ると、急に陽の光が入らなくなり、あたりは薄暗くなった。

 細い路地の、おそらく出口であろうところから光が差している。そこには、逆光で見えにくいが美織の後ろ姿が──

 

「美織姉ちゃん! これ……」

 

 コナンの大声に逆光で黒いシルエットになった人物が振り向いた。

 影は三人分。真ん中に美織、両側の二人は彼女を囲んで腕を掴んでいるように見える。

 

 一瞬、時が止まったかのような静寂の後、美織の影が激しくもがき、両側の二人が取り押さえようと彼女の体に腕を回した。思わず、というようにコナンの足が動く。

 

「美織姉ちゃ、」

 

「来ちゃダメ! 逃げて!」

 

「!!」

 

 美織の声にハッと我に返り、コナンはベルトをいじってボールを出そうとする。明らかな犯罪行為を目の当たりにして、逃げる、という選択肢は彼の中には存在しなかった。ましてやそれが知り合いのピンチだと言うのだから尚更である。

 しかし、コナンがベルトからボールを出すより前に、背後から近づいたもう一人の男に捕まってしまう。為す術もなく気絶させられたコナンは、同じく捕まった美織と共に停まっていた黒い車に乗せられた。

 

 二人に目隠しをして手足を拘束したのを確認すると、いたいけな少女と少年を誘拐した三人の男は、車に乗り込み大通りの車列の中に溶け込んでいく。

 

 

 薄暗い路地裏には、美織が被っていた黒いベレー帽だけが残っていた。

 

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