ホームズとモリアーティ   作:蔗糖

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第三話

 

 

 

 ビルの外ではたくさんの赤い警光灯がぐるぐると回っている。駆けつけた警察官に救い出された美織とコナンは、美人な女性警察官の誘導に従ってエレベーターに乗り込んだ。

 

 結局、二人が監禁されていたのは米花市内にある貸しオフィスの一室だった。部屋に残された手がかりから見事に場所を導き出したコナンは、二人を探し回っていた少年探偵団たちに探偵バッジで連絡を取って警察に通報させたのだ。幸い、脅迫電話を受けた美織のスポンサーは警察に連絡していたらしい。話はすぐに担当の刑事に通り、間もなく二人は救出された、という具合である。

 

 順調に下り続けるエレベーターの中、美織はどうやら知り合いであるらしい女性警察官と話しているコナンの横顔を眺める。きらきらと光る青っぽい瞳には、子供っぽい笑みを浮かべていてもどこか理知的な色を感じるような気がした。

 

「ありがとね、コナン君」

 

 エレベーターを降り、貸しオフィスの入ったビルの出口へ向かう。コナンと女性警察官の会話が途切れたタイミングで呟いた美織に、コナンは隣で歩いている彼女の目をじっと見つめた。

 

「私のせいじゃないって言ってくれたの、嬉しかった」

 

 そう言った美織の横顔は、相変わらず眉の下がった苦笑いのような微笑みだった。彼女は自分の言葉を嬉しかったと言ってくれたが、その言葉が本当に届いているのかは分からない。そういった些か悲観的な感想を少年は抱いた。それでも、その瞳にたたえた悲しみの色が少しでも薄くなったらいいと少年は思った。

 

「それに、凄かったわ。コナン君の推理。やっぱり工藤君にそっくりね」

 

 こちらを向いてニコッと綺麗な顔で笑った美織に、コナンはハ? と虚をつかれたように間抜けな顔をして、そして突然アワアワと慌てて手をバタバタ動かした。い、いや、そんな、とまともに言葉にならない音を吐き出してウロウロと瞳を泳がせる。そんなコナンを面白そうに見ながらフフと控えめに笑い声を漏らすと、美織は足を速めて先を歩く警察官を追いかけた。

 コナンはハッと我に返ると、いつの間にか開いていた距離を慌てて詰める。先を行く美織を小さな歩幅で追いかけながら、少年は彼女の後ろ姿を眺めた。

 

 ……まさか、バレてねぇよな。

 

 

 

 

 

 ビルか出るともうとっくに太陽は沈んでいて、ぐるぐると撒き散らされた赤い警光灯が浮かび上がるようだった。思ったより時間が経っているな、とコナンは思った。左手の腕時計を見ると、針は七時十二分を指している。昼に給食を食べてから何も口にしていない小学生のお腹がグウと大きな声で鳴いた。

 

「おお、コナン君! 美織君!」

 

 パトカーから少し離れたところに車が停まっており、その横に立っていた阿笠博士が二人に呼びかけて大きく手を振った。よく見ると、隣に小さな女の子の姿もある。哀だ。コナンは二人に駆け寄ると、迎えに来てくれたのかと言って博士と哀を交互に見た。

 哀はコナンの問いには返答せず、彼の後ろから追いついてきた美織をじっと見つめる。美織はそんな彼女を少し困ったように見ると、今日はもう遅いから事情聴取は後日になった旨をコナンに告げた。

 

「私はパトカーで家まで送ってもらうけど、コナン君はどうする?」

 

 博士に送ってもらうのかしら、と尋ねる美織に、コナンはうんと答えて気をつけて帰ってねと手を振る。女警察官に声を掛けてパトカーに乗り込もうとする美織の後ろ姿を眺めていたコナンは、ああっと大声を出して彼女を引き止めた。

 

「これ! 返すの忘れるところだった」

 

 急いで駆け寄ってハイと差し出した手の中には可愛いうさぎのキーホルダー。美織はキーホルダーを驚いたような表情で見つめると、あらと呟いてそれを受け取った。

 

「私、これ落としてたのね」

 

 拾ってくれてありがとうと笑った美織。コナンはそれじゃあと手を振って博士の元に戻り、去っていくパトカーを見送った。

 きっと彼女は、今日が終わったらまた窮屈な生活に戻るのだ。二度とボディーガードを連れないで出かけることはないし、二度と細い路地になんて入ることはないし、二度と浮かれて羽目を外すこともないのだろう。幼い頃から大人であることを強要された彼女は、もう決して子供のように浮かれたり、ちいさな冒険に心を躍らせることをしないのだろう。

 コナンは博士の車に乗り込んでシートベルトを締める。先に隣の席に座っていた哀は、パトカーが消えていった方向をぼうっと見つめたままだった。

 

「あのキーホルダー、やっぱり彼女の落とし物だったのね」

 

 走り出した車内で哀はぽつりと呟く。視線を窓の外に向けた彼女の横顔は流れていく景色を見つめているようで、しかしここではないどこか遠くを眺めているようにも見えた。

 

「そういえば灰原、お前よく美織のこと知ってたな」

 

「当たり前よ。科学者で彼女の名前を知らない人なんていないわ」

 

 コナンは哀が美織と初めて会った時のことを思い出していた。少女が阿部美織であることを知っていた哀に少なからず驚いたが、そう言われてみれば当然かもしれない。美織も哀も、同じ科学という分野で戦ってきた人間なのだ。

 

「特に私にとって、彼女はコンプレックスの塊みたいなものだから」

 

 阿部美織が世界に認められた天才少女だとすると、哀──宮野志保は、そうなれなかった少女だった。

 志保も美織と同じように飛び抜けた頭脳を持ち、同じように天才少女と呼ばれるべき人間である。でも、世界が選んだのは美織の方だった。美織がイギリスの優秀な教授たちに囲まれて自由に研究活動をしていた頃、志保に与えられたのは不幸と束縛だけだった。両親が死に、唯一残った肉親である姉とも引き離され、ただただ組織に言われるままに望まぬ薬の研究をされられた。どこまで続くのか分からない暗闇の中でもがいていた彼女が、世界で華々しく活躍している同年代の美織に嫉妬心を抱くのは自然なことだった。

 私はこんなに苦しんでいるのに。彼女だって私と何も変わらないはずなのに。どうして彼女なの。どうして私なの。どうしてこんなに何もかも違うの。私は何か悪いことでもしたの──

 

「あいつ、自分のせいだって言ったんだ」

 

 誘拐されたのも、俺が巻き込まれたのも、全部自分のせいだって。コナンは誰も座っていない助手席のヘッドレストを見ながらそう言った。そこに、パトカーの後部座席に乗り込んだ彼女の後ろ姿を思い浮かべているようだった。

 

「自分がちょっと油断したからって。迂闊だったって、そう言ったんだ」

 

 あいつのせいなんかじゃないのに。決してあいつは悪くないのに。あいつは子供で、俺より一つ年下の女の子で、まだ守られるべき存在のはずなのに。自分の責任だって、まるで大人になることを強制されてるみたいだ。コナンは──新一は、彼女が子供らしくいられないのがすごく悲しいことのように思えたのだ。

 

「あいつはあいつで、彼女にしかない苦しみがある」

 

 静かに呟いた彼に、哀は無言で返してそっと瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 パトカーを降りて家の門をくぐる。ロウソクの代わりにセンサー付きのLEDライトを入れておいた石灯籠がぱっと光った。本物の火のような揺らめきが表現されており、池の表面に映りこんだ明かりがきらきらと揺れる。

 美織は玄関から家に入ると、すぐに庭に面する襖を開けて縁側に腰を下ろした。合わせに入れていたスマホが着信を告げる。彼女は数コール、少し多めに着信音を聞いてから電話に出た。

 

正蔵(しょうぞう)おじさま?」

 

 彼女が電話に出ると、相手はああよかった怪我はないかい乱暴されてないかいと嵐のようにまくし立てる。正蔵というのは美織のスポンサーの名前で、彼女の名誉のために言っておくと‘‘おじさま’’というのは正蔵氏が望んだ呼び方である。さすがの彼女もスポンサー会社の社長を進んで‘‘おじさま’’と呼ぶほど礼儀知らずではない。これは美織を孫のように可愛がっている彼の愛情の現れなのだ。

 

「怪我もないですし、私は大丈夫でしたよ。正蔵おじさまのおかげです」

 

 身代金払ってくださったんでしょと美織が感謝の意を示すと、正蔵氏はそんな事いいんだと電話越しに首を振る。お金を払ったくらいで君の命が助かるんなら惜しむはずはないよと言う彼に、美織はなんとも無感動に愛されてるなァと思った。

 適当に話を終わらせて電話を切る。

 無駄なことをしたな、と美織は非情な感想を抱いた。正蔵氏が身代金を払ったにもかかわらず、須郷は美織を解放しようとはしなかった。当たり前だ。須郷の目的は金では無かったのだから。

 

 きらきらと揺れる水面をぼうっと見つめていると、ばちゃっと派手な音がして鯉が一瞬水面に口を出した。美織は一度部屋の中に引っ込むと、すぐに戻って池に近づいて餌をあげ始める。

 

 そもそもこの誘拐劇自体が無駄なことだったのだ。須郷は犯罪なんて起こさなくても私を手に入れることが出来たのに。

 研究者とスポンサーの関係なんて、所詮はお金で買えるものだ。少なくとも私はそう思っている。須郷が今のスポンサー──正蔵おじさまより高い金額で私と契約を結ぶと言ったら、私はきっと頷いただろう。正蔵おじさまより操りやすそう、という計算があってのことだけれど。私の研究が欲しいならお金を出せばいいだけで、犯罪を犯す必要はなかったのだ。

 正蔵おじさまとの関係だって最初はそうだった。まずはお金。次に容姿。中身はそのあと。人との関係なんて基本はそんなものだと私は思っている。そうやって私は自分の環境を作り上げてきたのだ。

 

 私にとってこの誘拐劇に意味があったとすれば、それはコナン君のことだけ。

 

 池の水面に数匹の鯉がバチャバチャと群がる。濡れた鱗がてらてらと光を反射する。びゅうっと風が吹いて木々を揺らした。

 

 誰かが私を誘拐しようとしているのは知っていた。だから、コナン君の能力を試すために利用しようと思ったのだ。

 私は実際に彼が推理するところを見たわけじゃないし、彼が何者なのか見極めるためにも必要なことだった。彼が本当に探偵役にふさわしいのか。本当に工藤君の代わりが務まるのか。ちゃんとこの目で見るべきだと思った。結果は言わずもがな、である。

 

 ひとつ、気になることがあった。

 眠らされていたコナン君を起こした時、彼は寝ぼけ半分で私のことを何と呼んだ? 

 

『……み、おり?』

 

 私を‘‘美織’’と呼び捨てで呼ぶ人は意外と少ない。コナン君は今まで‘‘美織姉ちゃん’’と呼んでいたはずだ。今まで通り呼ぼうとして途中で途切れてしまったという可能性もある。でも──

 

『美織姉ちゃんのせいじゃない。悪いのは犯人だよ』

 

 振り返ったあの顔。強気で、優しくて、自信に満ちたあの表情。その瞬間脳裏によぎったのは幼馴染の彼の姿だった。

 

 分からない。でも、可能性はある。

 確信はない。でも、予感はある。

 

 近いうちにあそこへ行かないと。何か分かることがあるかもしれない。調べないといけないこともある。

 

 

 姿を見せない私のホームズに何があったのか、ちゃんと調べないと。

 

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