逃げ惑うポケモン達の中でただ一匹だけ、戦いを考えているものがいた。怯え暮らすのをよしとしないポケモンがいた。
ある悲劇をきっかけにそのポケモン、サダイジャは吼えた。雌雄を決する闘いへ向けた、乾ききった砂の狼煙だった。
※ワイルドエリアの縄張り争いって三国志とかみたいになってそう、という謎の妄想からできた短編です。ポケモンらしからぬ点も多いですが、楽しんでいただければ。
※都合によりカジリガメやカムカメが悪役的ポジションになっています。ルリナさん及びバウスタジアムのトレーナーさんにはあまりお勧めしません。
※評価感想お待ちしてます。批判的な意見でも大丈夫です
砂を食んだ。牙を擦り合わせていると、その隙間をすり抜けるように小さな虫が紛れ込んでいた。砂利にまみれたなにかの木の根もあった。木の根には舌の表面がひりつくような、後を引く渋味があった。全てを、サダイジャは呑み込んだ。
日が頂点に至ろうとしている。ウパーたちが移動を始めた。巨人の帽子から、餌を求めたポケモンたちが雪崩れ込んでくる時刻だった。以前は散発的だったそれは、この頃は毎日やってくるようになっている。陸に上がれないナマズンなどのポケモン達も、できるだけ東の浅瀬に移動し、底に生えている藻の中に身を潜めている。トリトドンがなんとか陸に上がったが、歩みが遅く渋滞を起こしていた。ヌオーやガマゲロゲがその横を追い抜いていく。そのうちの一匹と目があった。顔見知りのヌオーだ。
ヌオーが近寄ってきて、促すように鳴き声をあげた。サダイジャはそれを無視して、再び砂に顔を突っ込んだ。小さな虫と、鳥ポケモン、恐らくはウォーグルかバルジーナが落としたらしいオレンの残骸があった。砂塵の窪地に定住している訳ではない彼らは、外部のものを持ち込んでくることがある。砂嵐が吹いていることが多いここでは、そういう食料が腐らないまま埋まっていることも珍しくないのだ。
ヌオーが諦めたように首を振って、サダイジャの隣に腰を降ろした。トリトドンの先頭がようやく二匹の横を通り過ぎていく。どこからともなくカラナクシが数匹現れ、トリトドンに泥をかけるとまた散っていった。
幼いカラナクシの一匹がヌオーの傍にやってきて、水をかけた。拙い水量だったが、ヌオーが気持ち良さそうに一声鳴くと、カラナクシはにこりとして去っていった。水陸を使い分けるようなポケモンは皮膚を湿らせることが呼吸に繋がることも多いのだと、ヌオーに教えられた。もうずっと昔のことだ。
視界の遠方に砂煙がもうもうと立ち上っていた。日は強く、乾燥している。ただ、風が吹いていない。目に写るそれは生き物が移動する時に起こる砂煙だった。トリトドンの最後尾が二匹のところまであと数える程度で辿り着く、となった時には、砂煙はもう目前に迫っていた。それを上げているポケモン達も、はっきりと見える。真ん中にカムカメがいて、右にガントル、左にタンドンが並んでいる。一匹や二匹ではない。一目では数えられないほどの大群が、巨人の帽子から砂塵の窪地へ侵入してきている。
本来ありえることではなかった。人間からワイルドエリアと呼ばれているこの地では、方々に縄張りがありそれを守るポケモン達がいる。縄張りを侵せば、そこを支配しているポケモンの首領から強烈な反撃があるのだ。しかし今、カムカメ達を止める筈のその姿はどこにも見当たらなかった。岩陰で俯いているであろうドサイドンの姿を想像して、サダイジャは歯噛みした。
砂塵の窪地に住むポケモン達の首領は、もう長いことドサイドンから変わっていない。サダイジャがまだスナヘビだった頃は、圧倒されるほど強く、大きく、どこか優しかった。サダイジャの周囲には同族がいなかったからか、時々様子を見にきたこともある。そんなドサイドンが巨人の帽子からの侵攻に対して無策のまま沈黙している。老いたのだと思わざるをえなかった。
カムカメ達の更に後方に、もう一回り高々と上がる砂煙が見えた。その中央にいるであろうカジリガメの姿を、サダイジャはなんとか見ようと目を細めた。左右にニダンギルとゲンガーを従えているのだと、以前オボンの実を対価にウォーグルから教えてもらった。その外側からさらに砂を巻き上げているのはサイホーンの群れだろう。
一対一なら。サダイジャは、いつもそれを考えていた。一対一なら、あのカジリガメともやり合える。首領であるカジリガメさえ消せば、少なくともこんな屈辱的な侵犯をされることはなくなるはずだ。躰が干上がっていくのを堪えながら逃げるように移動する必要もなくなる。そう思い、いつもこうやって巨人の帽子の一団を眺めていた。
しかし、そんな機会はいつまで経っても訪れなかった。先代の首領を不意に噛み殺して成り上がったと噂されているあの若いカジリガメは、首領になってからも年に似合わぬ警戒心と老獪さを失くさなかった。一匹になったことなど一度もなく、多少群れから遠ざかって孤立しているように見えても、実は自分の影に右腕であるゲンガーを潜ませていたりするのだ。カムカメ程度ならばともかく、あのカジリガメとゲンガーを同時に相手取るのはあまりにも馬鹿げていた。
なんとか、分断して孤立させられないか。長い時間でなくても構わない。自分が、カジリガメを倒せる時間さえあればいい。最近はそればかりを考えている。待つだけでは始まらないことが嫌というほど身に染みていた。
不意に、カムカメの先頭が加速して隊列が直線に伸びた。その向かう先では最後尾のトリトドンが懸命に這っていたが、あまりに遅かった。追いつかれる。そう思った時には、サダイジャは頭を持ち上げていた。
視線。それに力が宿ることも、少なくはない。じっと、息すらもどこか遠くなるほどに、先頭のカムカメを凝視した。前触れもなく、カムカメが一瞬全身を痙攣させると、前のめりにつんのめって倒れた。倒れた後も、石化でも起こしたように同じ姿勢を崩さないまま横たわっている。引っ張られるように加速していた後続が次々とカムカメに引っ掛かり、集団は総崩れをおこした。後方のカムカメが足を止め、釣られて左右のガントルとタンドンの群れも停止した。
今突っ込めば。ふと、そう思った。前方の集団は一方的に撃破できるだろう。そこが恐慌状態になれば、カジリガメへ向けての敗走が始まる。敗走してくるカムカメ達とカジリガメの一団は、上手く合流できるだろうか。押し合い、混ざり合い、混乱状態に陥るのではないか。想像はなおも飛躍した。混乱の中でカジリガメとゲンガー達がずっと一纏まりでいられるということは、たぶんないような気がする。となればあるいは、サダイジャとカジリガメが一対一で向き合う瞬間も作れないことはないはずだ。
甘い考えだろうか。しかし。サダイジャは飛び込んでいきたい衝動に駆られていた。ここを逃して、いつまた勝機が訪れるかわかったものではない。鎌首をもたげたサダイジャの尻尾を、なにかが掴んだ。ヌオー。小さく、しかしはっきりと首を振っている。その手から伝わる冷たい体温が、急激にサダイジャの思考をクリアにした。
一度冷静になると、途端に先ほどの考えがつまらないものに感じられた。カムカメ達を撃破するところまでは可能だろう。しかし、恐慌状態になったカムカメが真っ直ぐ敗走するだろうか。カムカメ達が四方八方に散らばればサダイジャの周囲は空白になる。そこにカジリガメが前進してくれば為す術なく押し包まれるだけだ。
へびにらみを飛ばすぐらいしかできることがない、という現状を受け入れるしかなかった。踵を返してから、ヌオーの手を軽く噛んだ。ヌオーが小さく頷く。いつのまにかトリトドンの最後尾も二匹を追い越している。その背に向かって、ゆっくりとサダイジャは地を這った。
視線を感じた。振り向きはしなかったが、カジリガメが自分を見ているような気がした。
◇
日光はとうに失せて、夜の帳が降りていた。巣穴の中はまだ日の暖かさが名残を残していたが、そのうちに消え去り冷気と暗闇が染み込んでくるだろう。サダイジャはとぐろを巻いていた躰を伸ばすと、奥の地面を少し掘り返しオボンの実を二つ、砂袋と頭の間に挟み込んだ。まだいくつかの木の実と、偶然に拾った円盤とが中に残っている。それに土をかけて、巣穴を這い出した。
西から東へと、緩い坂道が続いている。月のない夜だった。包み込んでくるような闇を、サダイジャは苦にしたことがなかった。するすると坂を登っていく。途中に眠っているヒポポタスがいて、その横を通り過ぎた。自分の夜目は、あるいはこういうポケモンを捕食するためのものかもしれない、と思うこともある。そう思っても、実際に空腹であっても、サダイジャが砂塵の窪地のポケモンを捕食したことは一度もない。なぜなのか、自分でも上手く説明はできないものだ。
砂塵の窪地の北東に、その巣穴はあった。さらに先にはナックル丘陵があり、少し南に転ずると巨人の鏡池と呼ばれる地がある。今でこそ巨人の帽子との間での対立が顕在化し、西側が不穏な空気の温床となっているが、砂塵の窪地の縄張り争いと言えば元々は北東の隣接地での事象だった。そこの巣穴は最前線ということになり、耄碌寸前の長老達が時代時代の猛者が居を構えたと昔語りをするその巣穴に、ドサイドンは自ら住み着いているのである。
もっとも、サダイジャの知る限りではぶつかり合いになったことはない。ナックル丘陵側のルチャブルとドサイドンの間では色々とあったようだが、少なくとも今は平静である。
巣穴はやはり暗かった。所々に真珠や金の玉があり、月明かりのある夜はそれらが巣穴の中までか細く光を繋いでいるのだが、今日は全くの暗闇だった。
訪いもなにも入れずに入ってきたサダイジャを、ドサイドンはちらりと一瞥しただけだった。夜目が効く種族ではないはずだが、ドサイドンに身構えたりする素振りは見えない。サダイジャであるという確信でもあるのか、あるいは侵入者であっても軽く撃退できる自信があるのか。以前ならば、どちらもだと思っただろう。
しかし、近付くにつれますます輪郭がはっきりとしてくると、サダイジャは目を伏せた。痩せていた。顔や腕が細くなり、尻尾がつと揺れる様はどこか頼りなげで、唯一以前の威容を保っている角が、その威容の分だけ惨めに見えた。
オボンの実を一つ、起き上がったドサイドンへ投げる。事も無げに受け取ったドサイドンが囓りつくのを見て、サダイジャももう一つのオボンの実に牙を立てた。
病ではないのだと言われていた。ドサイドンが体調を崩したのは、カジリガメがその左右にサイホーンの群れを従えているのを見た時からである。生息している縄張りが違う以上ドサイドンとサイホーン達に直接的な繋がりはないはずだがと、砂塵の窪地のポケモン達には訝しがられていた。周囲に同族のいないサダイジャにはわからない話で、それについて問おうと思ったことはない。ドサイドンが戦いを避けたのだとしても、それは種族の問題ではなく老いだと思うことにしていた。
オボンがなくなる頃に、サダイジャは一つ二つと喋り始めた。巨人の帽子からの侵入。ポケモン達の困惑と逃走。渇きと焦燥。何度目になるのか、サダイジャは数えていなかった。ドサイドンの巣穴を訪れては、こうやって起こった出来事を語る。巨人の帽子の群れが見え始める辺りから、ドサイドンは目を閉じる。語り終える頃には、喋っていたはずのサダイジャよりずっと疲弊した表情になっている。
傍目には、ドサイドンの無力を詰っているように見えるかもしれない。その気はなかった。ドサイドンが無力だとするなら、それは砂塵の窪地の全てが無力ということだ。詰る資格のあるポケモンなど一匹もいないだろう。
一対一ならば。普段考えているそれは、ドサイドンにもヌオーにも語ったことがない。胸に秘めているといえば聞えは良いが、ただの絵空事でしかないのが実情だった。そんな話を周りにすることなどできるはずもない。
珍しく、ドサイドンが薄目を開いた。トリトドンがカムカメに追い付かれそうになった話の時だ。実のところ、ああいう事態は初めてだった。逃亡であれなんであれ、とにかく接触を避けることで争いに発展させずにはいれたのだ。
へびにらみを使うことで事なきを得た。サダイジャの言葉を受けて、ドサイドンは少し顔を伏せ、続きを促した。今度はサダイジャが顔を伏せる番だった。それ以上なにもせず、そのまま背を向けた。絞り出すように、そう言うしかなかった。前列が崩れ混乱に陥った集団。ドサイドンならばあるいは、勝機を見出だしたかもしれない。サダイジャにはそれが見えず、見えていないということ自体にもヌオーに指摘されて初めて気付く有り様だった。
ドサイドンはしばし無言で考え込むと、消え入るような鳴き声で、ヌオーだけではない、と言った。サダイジャが意味を問うより先に、ドサイドンは僅かに残っていたオボンの欠片を口に放り込むと、横になった。終わりの合図だった。
巣穴を辞すると、意外に明るい夜空が目の前に広がった。光源は月ではない。ここよりずっと北にある人間の街だ。夜を照らす街に背を向けて這いながら、サダイジャは考えていた。答えは出ないが、それでも考え続けた。どうやって一対一に持ち込むかという悩みすらも、束の間忘れていた。
街が遠ざかる。それでも、なにかが見えなくなるほど眩しいという気がした。
◇
トリトドン達は、疲弊の極みに達しようとしていた。連日の逃亡劇が、彼らの体力を奪っていったことは明らかだった。
はやい時間から余裕を持って移動を始めることもあった。結果は、長時間の日射がさらなる疲弊を誘っただけだった。砂塵の窪地の水場は一つで、他を求めるなら巨人の鏡池を目指すしかない。強烈な対立はないとしても、貴重な水場を他所のポケモンに使わせるような真似を鏡池の連中はしないだろう。砂地を避けて僅かな草むらに踞るトリトドン達の姿は、うらぶれていた。
先の出来事以降、砂塵の窪地の殿にはサダイジャとヌオーが必ずいるようにしていた。勢いに乗ったカムカメ達も、流石にこの二匹に突っ込んでくることはない。カムカメ達がトリトドンに追いつきそうになる頃にサダイジャとヌオーが立ちふさがり、にらみ合いながらじりじりと後退する。カムカメ達は突っ込んでも勝てないが、かといってカジリガメが到着してはサダイジャも分が悪い。奇妙な均衡が続いていた。
にらみ合いが終わると、サダイジャは砂塵の窪地のあらゆる場所を巡り回った。考えることはたった一つである。一対一。そのためにはなにが必要なのか。技や地形を、何度も思い浮かべた。ちいさくなるやあなをほる、それにすなあらしを起こすという手がある。地形は、北東から南東を通って南に沿うように盛り上がっていて、池やストーンズ原野に向かっては下っていく形になっている。巨人の帽子から池にかけては、砂塵の窪地にしては珍しく平地が続いていて、決して脚力に優れる訳ではないカジリガメ達の一団でも侵入しやすい高低差だ。
どう考えても、平地の集団を撹乱する術はなかった。上から攻め下ろしても受けきられるだろう。あなをほるやちいさくなるの奇襲も押し包まれるだけに違いない。カジリガメのいる位置は巧妙で、前後左右、隙は見当たらなかった。
隙は、作り出さなければならない。考えられるのはすなあらしやじしんだが、大群の前ではあまりに無力すぎた。
砂にかぶりついた。大きな石や不定形の泥のようなものは吐き出す。残ったうちの食料となるものは尾の方へ流れ、砂は首周りの砂袋へと蓄えられる。しかしサダイジャは、蓄えた砂を一度吐き出した。意図したことではなかった。衝動的に、自分の全てを吐き出すように息を吹いたのだ。当然、いくらかの空気と大量の砂を吐き出すだけに終わった。そうすると、サダイジャはまた砂に頭を突っ込む。周囲には小規模のすなあらしが舞い上がり、ウォーグルは元より、いわやじめんのポケモン達も近寄りはしなかった。
朝一からそんなことを続ける。昼前になると、すなあらしの中に影が一つ浮かび上がる。ヌオーだ。サダイジャは砂を吐くのをやめ、連れ立って西へ向かう。トリトドンの最後尾がカムカメ達から逃れるのを見届けてから、砂塵の窪地を駆け回る。夜にはドサイドンの所へ行き、そこを辞すると自身の巣穴で考えを巡らせた。
巣穴での時間が、一番の苦痛だった。いくら考えても妙案は思い付かず、時間ばかりが過ぎていく。翌日の昼までには、と巣穴に帰る時はいつも思った。焦りは苛立ちに変わり、単純な帰結を求めた。明日こそは突撃してやろうと、サダイジャは幾度となく思い詰めた。突撃して力の限り戦い、負けたならその時は潔く死のう。そう思い込むことでサダイジャは明け方の僅かな時間を微睡むことができた。しかしそういう日の翌日、ヌオーは決してサダイジャから離れなかった。
かなり昔に一度、命を救った。もっとも、当時ウパーだったヌオーが干からびかけていた所に偶然立ち会い、助けたというだけのことだ。救い方も、池の方からペリッパーを一匹無理やり引き連れてきただけで、サダイジャが自身がこれといって手助けをした訳ではない。
ワイルドエリアは基本的に天候の変化が激しいが、時折空の気紛れのように同じ天候が続くこともある。猛暑ばかりが続いた時だった。池の水すら水位を下げ、小回りの効くポケモン達はみな大型のポケモンに水をかけて回っていた。
いざとなれば自分の給水を優先するポケモンも多いなかで、そのウパーだけは、自分の役割を全うすることだけに集中しているように見えた。気付いていたのはサダイジャだけだったろう。世話をされている他のヌオーやトリトドンですら、その献身を意識していないように見えた。木訥で、どんなことにも大して反応しない鈍さを持っていたが、一度決めたことを譲らないという頑迷さも当時からあった。
当然のように倒れ、当然のようにサダイジャはペリッパーを連れてきた。運悪く他のポケモンの目の届きづらいところで倒れたが、それ以外の場所なら誰かしらがすぐに水をかけた筈だ。サダイジャが助けたのはただの偶然に過ぎなかったが、それ以降そのウパーはサダイジャの周りに付き添い、あれこれと世話を焼くようになった。ヌオーへと進化した今でもそれは続いている。
自分が敵陣に突撃したとして、ヌオーだけは必ず後を追ってくるだろう。憂鬱な確信をサダイジャは抱いていた。
無謀な突撃をする訳にはいかなくなった。そう思う程度には、いつの間にかヌオーとの間に友情ができていた。それは会話の前に木の実を差し入れるような繊細さとは無縁で、切ろうと思って切れるものでもなくなっていた。
夜は、更に苦痛になった。一睡もしないまま朝を迎えることも珍しくなくなっている。
自分とヌオー。敵はカムカメとタンドンとガントルの群れが前面に出て、後方にはサイホーンの群れ、中央にカジリガメとゲンガー、ニダンギルである。まともに考えれば勝負にもならなかった。サダイジャは自分達の勝ち筋を考え、それに辟易するとカジリガメの側に立って勝ち筋を考えた。
先手は間違いなく取れる。カジリガメは戦うこともなく餌場にありつく日々を送っているのだ。砂塵の窪地側から仕掛ければ、どんな形であれ奇襲になる。
奇襲を仕掛けるだけで勝てるならいくらでもやる、とサダイジャは思った。自分とヌオーのことはもう耳に入っているだろう。それでもカジリガメが泰然としているのは、この二匹の奇襲では勝ちきれないことがわかっているからだ。その点で、サダイジャとカジリガメの認識は一致しているだろう。いまだに勝ち筋の袂さえも見えなかった。
なぜこんな苦行を続けているのか。サダイジャは、時折自問した。そもそもの話、水場を限られた時間抑えられることはサダイジャにとって大きな苦ではなかった。水分を多く必要とするような種族ではないのだ。朝にでも飲めば一日は優に保つし、木の実や雨水から得られる水分で生きていくことも決して不可能ではなかった。体温にしても砂塵の窪地にはいくつか岩場があり、影になっている砂に潜り込めばいくらでもやり過ごすことはできた。トリトドン達を送るために日射を避けず砂場に立っている方が、ずっと消耗した。
いくら考えても、理由を見出だすことなどできなかった。見出だせないままに、砂を吐き、立ち塞がり、ドサイドンに話をして、考え尽くすままに一晩を明かす日々が続いた。
突然だった。まだ幼いウパーが飛び込んできたのを見て、サダイジャは巣穴を飛び出した。陽光の中にきめ細やかな水分が漂っていた。外はまだ朝露を含むような時間だったのだ。なにが起こったのだ。考える前に、ウパーが先導して駆け出していた。
◇
ヌオーと対峙しているのは、二十匹以上のカムカメだった。それ自体に慌てる要素はない。その倍の数がいたとしても、ヌオーなら追い返せるだろう。しかし、荒れていた。普段ぼんやりとしているヌオーが、時たま声をあげてカムカメ達を威圧している。
ヌオーの後方に目をやった。池があり、ポケモン達が集まっている。その中心に、幼いカラナクシが一匹、横たわっているのが見えた。
頭から尾の先まで、なにかが駆け巡った。どうしようもないほど熱いなにかだ。それが自分の血だと気付いた時、サダイジャはカムカメの集団に踊り込んでいた。一匹にずつきをかまし、怯んだと見えた瞬間にはまきついてぶんまわした。合わせるように飛び退いたヌオーがマッドショットを飛ばした。カムカメにも十匹程度の増援が入っていた。気にしなかった。尾をたたきつけ、一瞬の空白を作ると、サダイジャはタメを作りずつきを繰り出した。瀕死になったカムカメは躰を小さくし、それ以外は逃げ出した。タンドンとトロッゴンがどこからか現れ、サダイジャを挟み込むように迫ってきた。退こうという気は一切起きなかった。砂を吐き出す。それは嵐にはならず、すなじごくとなってトロッゴン達に襲い掛かった。再び反転しようとしていたカムカメが凍り付いた。トロッゴンとタンドンは、決して触れてはならないものに触れたかのように弾き飛ばされていた。何人たりとも寄せ付けないという意思をサダイジャはあからさまにした。まだ躰が熱い。ふと、遠方にカジリガメの姿が見えた。一匹だ。誘い。堪えた。そんな都合のいい話などあり得る訳がない。サダイジャの頭をヌオーが抑えた。どこか、自分を律しているような姿だった。その間にカムカメ達は消え、カジリガメもその姿をさらに遠ざけていた。
池に戻ると、ガマガルやガマゲロゲが沈痛な面持ちで道を開けた。何重にもなっていた輪を抜け、サダイジャとヌオーは最前列にきた。すぐに顔を逸らしそうになった。
カラナクシが息絶えているのは、はっきりとわかった。いつかヌオーに水をかけてくれた、幼いカラナクシだ。その横に、母親らしいトリトドンが立ち竦んでいた。
彼女は子供に首を伸ばすと、右に左にとその躰を揺さぶった。彼女の首が動かすままに、カラナクシの躰は左右に転がった。トリトドンは小声で何かを語りかけているようだった。一つ二つと声をかけるとカラナクシの躰を揺さぶり、また声をかける。それがしばらく繰り返され、それから彼女は閃きでも得たかのように、小さな水を前足に吐き出すとカラナクシの頭から振りかけた。子どもが驚いてしまわないように、ゆっくりと水を浴びせていった。そしてまたなにかを語りかける。揺さぶる。周囲にいたポケモンはみな、俯いていた。止めることは誰にもできなかった。また水をかけ始めたトリトドンを、見るともなく見守っていた。
不意に、トリトドンは動きを止めた。長いとも短いともつかぬ時間のあと、彼女は空へ向けて、長く長く泣き声をあげた。いつまでも尾を引く、果てのないような悲鳴だった。ヌオーが、らしからぬほどに震えた声をあげた。その場にいた誰かが、あるいは誰もが同時にそれに続いた。
なぜだ。サダイジャは、自問を続けた。なぜだ。カムカメ達が、いきなり朝方も侵入してくるようになったからか。それともカラナクシに危機感が足りなかったのか。そんなことがあるのか。
野生の生き物が死ぬのは、仕方のないことだった。しかし、なにかが不条理だった。その全ての不条理は、一つのことに帰結した。すなわち、戦うことだ。
戦うべきだった。そうとしか思えなかった。勝ち負けなどは、もっと後のことだ。自分達が戦えば、少なくともカムカメ達が我が物顔でいきなり侵入してくるなど、あるはずがなかった。へびにらみで働いた気分でいた自分を、サダイジャは嗤った。戦いというのはもっと別のことで、自分はそれをわかっているはずだったのだ。
ヌオーが唐突に顔をあげた。望洋としたその目に写っているものを、サダイジャは苦もなく読み取った。やろうか。他に伝えるべきことはなかった。悲しげにヌオーが頷いた。
いつしかトリトドンは泣き止み、眠っていた。静寂のなか不意に、声が響いた。戦うぞ。誰が言ったのか、はっきりとはわからなかった。次の瞬間にはわかりようもなくなった。誰もが、口々に同じ言葉を発し始めたからだ。
戦いだ。ガマゲロゲが一際大きく声をあげると、サダイジャを睨んだ。眼光の鋭さは敵意ではなく、決意だった。皆がそれに続いた。
なにが起きているのかわからず目を白黒させるサダイジャの躰に、ヌオーが手を添えた。それから、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。
サダイジャとヌオーだけが抗っていることを知っていた。池の中からナマズンが言った。二匹だけは戦っていた。本当は、誰もが戦うべきだった。そう言われても、サダイジャにはまだ困惑が強かった。
勝つ。ガマゲロゲが言い、それからサダイジャを指すと、あんたしかいない、と続けた。
ヌオーがサダイジャを見た。悲しげな色を残しているが、力強い視線だった。勝たなければいけない。不意に、サダイジャは自覚した。その勝ちかたを、皆が自分に預けている。
ありえないことだと思った。精々、ヌオーが自分に命を預けるぐらいだろう。それでさえ重かったところに、誰も彼もが命を預け始めた。そして、勝とうとしている。
気付いた時、サダイジャは吠えていた。決して長くはなかったが、一瞬の間に、一生分を吠えたような気がする。そして顔をおろした時、頭の中に新たな作戦を浮かべては消していた。
咆哮と共に砂が空へ舞い上がっていた。戦いへの狼煙だった。
◇
誰が従ってくるのか、その確認から始めた。思った以上に多く、とくに水場の周辺を棲家にしているポケモンはほとんどが名乗り出た。サダイジャとヌオーの姿を皆が覚えていたのだ。
一匹一匹と会った。戦意はある、と感じた。しかし、それだけでしかない、という思いもある。ヌオーともその点では一致した。
戦意などいつまでも持ち続けられるものではないのだ。互いに技を打ち合えば、最後には戦意以外で戦える者が勝つ。狂暴さや残酷さ、ある意味での無神経さなどだ。そういう点でカムカメというのは戦いに向いたポケモンだった。カムカメ相手に怯まずに戦い続けられることが最低条件といえたが、カラナクシやトリトドンには耐えられそうになかった。
これは、と思わせたのはガマゲロゲである。闘志や決意など一つも口にせず、どう戦うかだけを問うてきたのだ。今なにが必要なのかはっきり理解しているということだった。
とにかく、量と質。作戦などはその後で。サダイジャの返答にガマゲロゲは深く頷くと、自身の後ろを指差した。二十匹ほどのガマガルが隊列を整えている。良い面構えをしていた。
ヌオーからも、これと見込んだウパーを十匹程度推薦されていた。そちらは確認することもなく戦力に計算していた。弱い者を戦いに送るほど薄情な雄でないことは知っている。
無論、トリトドン達も戦わせる気ではいた。休ませておく余裕などどこにもないのだ。戦意はある。どう使うか、という問題だった。
翌日もその次も、朝と昼に巨人の帽子の連中はやってきた。憤るポケモン達を抑えることにサダイジャとヌオーは奔走した。まだ少し、時間が必要だった。
サダイジャよりもずっと上手く、ヌオーは皆を宥めた。言葉少なで、ともすれば聞いているのかわからないような素振りも見せるヌオーに対して、皆が好き勝手なことを言っていた。それが途切れた頃にヌオーがポツリポツリと言葉をかける。それで不思議と興奮が収まるのだった。途中からヌオーに全てを任せ、サダイジャはウォーグルのところへ行けた。
砂塵の窪地で羽を休めることが多いが、同じ縄張りの仲間という意識はあまりない。ウォーグルに限らず、鳥ポケモンとはそういうものだ。空こそが棲み家なのである。話を聞く時、サダイジャは必ず木の実を持っていった。
木の実を啄みながら語られる内容をサダイジャは頭に入れ、前日との差異を思い浮かべた。巨人の帽子が侵入を行う際の隊列である。
先行するカムカメ達には、ある程度纏まる以上の考えはなさそうだった。移動する距離が増えるほど、先頭は伸び全体も横に広がっている。小さく纏まって突っ込めば、決して撃破できない相手ではない。
問題は後列にある。カジリガメらはいつも一固まりで、カムカメ達との間に絶妙な距離を取っていた。カムカメ達をどれだけ乱そうと、その混乱はカジリガメのところまで伝わることはなく、逆にこちらが押し包まれることになる。こちらの数が多ければ、カムカメを真っ直ぐ後方に敗走するように誘導することもできたが、考えても詮無きことだった。今の砂塵の窪地では散り散りに追い散らすのが精一杯だ。それならそれで、やりようはある筈だった。
カジリガメとカムカメの間に微妙な距離がある。ウォーグルの囀りを聞きながら、サダイジャはそのことをしばらく考えた。考えている時だけは、眠りも遠い。
陽が沈む。サダイジャは肚を据えていた。考えに考え抜いた。そう思った。自分という存在をこれ以上絞っても、もうなにも出てこないだろう。
眠気がやってきた。サダイジャは巣穴の奥へ行き、木の実を一つ掘り出した。カゴの実だ。丸呑みにして外に出た。一つだけ、どうしてもやるべきことが残っている。寝惚けたままではやれないことだ。
巣穴を出て東へ向かった。日没の後とは思えないほど、気配がそこかしこで蠢いていた。誰もが、何かしらを感じている。昂揚も不安もそこにはあるはずだ。遥か昔にドサイドンがナックル丘陵とぶつかったという昔語りぐらいしか、砂塵の窪地に闘争の歴史はなかった。それ以前を知っているポケモンなど疾うに絶えている。戦いを覚えているのも長老と呼ばれるようなポケモンぐらいになっていた。
目の前に、イワークが立ち塞がった。長老の一匹である。戦いで鳴らした訳ではないが、大柄な躰に似合わぬ穏やかさで若いものから年配まで慕われていた。剣呑さを隠しきれていないドサイドンが首領でありながら砂塵の窪地がこれまで穏やかにいれたのは、イワークに依るところも多い。
その穏やかさも、今はどこかに消えている。眼光は流石に鋭かった。蹴散らすだけなら難しいことではない。しかし、今必要なのは力ではなかった。
風が吹き、枯草色の草むらがたなびく音がした。月が淡く、影は影ともつかないほど、儚げだった。薄い雲が月を遮ると、弱弱しい光が逃げ惑うように降り注ぐ。不意に、イワークが悲しげな色を宿した。その横をサダイジャは這って進んだ。目的地はすぐに見えてきた。普段は奥で座り込んでいるドサイドンが、巣穴の前で仁王立ちしていた。
戦うことにした。前置きも何もなく、サダイジャは切り出した。初めてのことだ。いつもならば、オボンの実の一つでも差し出してから話をする。ドサイドンが頷いた。表情は、逆光になっていて読めない。今更だ。ドサイドンの表情が本当に読めたことなど多分ない。
明日は、この巣穴から行け。相変わらず言葉少なにそう告げると、ドサイドンはサダイジャに背を向けた。呼び止めそうになる自分を、サダイジャは懸命に押しとどめた。やがて、ドサイドンの背は月光も届かないほど夜の闇に遠ざかった。
ヌオーがいないか、とサダイジャは辺りを探った。どこにもその姿はなく、サダイジャはただ一匹だった。
◇
早朝だった。誰からも意見を聞かずに、サダイジャは一方的に作戦を告げた。異論はでなかった。北東の、首領の巣穴からサダイジャが出てきたことを誰もが知っていた。
日差しの強まらないうちにトリトドン達の移動は終えた。カムカメはある程度日が差して暖まってからでないと動かないので、時間は十分にあった。その間にヌオーとガマゲロゲ、それからウォーグルで集まって再度話をした。ウォーグルが協力してくれる気になったのは嬉しい誤算だった。この陽気なウォーグルは、縄張り争いというよりサダイジャ自身にある種の興味を持ったようだ。近づけず、遠ざけなかった。多分、そういう扱いで間違いないだろう。
珍しいことに、ヌオーが挙動不審だった。サダイジャがかなり矢面に立つ作戦になる。そのことが気がかりなのだろう。普段ずぶといヌオーが自分以上に狼狽している姿が、どこか面白かった。ヌオーがサダイジャの顔に触れてきた。かさかさとした感触がある。皮が捲れかえっている部分があるのだ。
上空を旋回していたウォーグルが一度降りてきて、また飛び立った。しばらくして、カムカメの先頭が見えてきた。まだ気付かれてはいない。誰かが唾を飲んだ。ウパーのようだ。ヌオーが這うようにして近づいて行った。
一つ目の降下はカムカメの接近。二つ目は、カジリガメが予定の位置に達した時である。空を見上げた。一瞬が永遠のようで、灌木が揺れるだけで躰は跳ね起きそうだった。旋回。緩く下がっては、上昇している。そのウォーグルが、不意に急降下をした。
大地が揺れた。坂の上に並んだトリトドンがほとんど同時に声を挙げると、間欠泉から噴き出したように水が吹きあがり、辺りの砂を巻き込んでだくりゅうとなってカムカメに押し寄せた。カムカメ達が驚きに茫然と立ち竦む。最も早く反応したのはカジリガメだった。唸り地面を叩くと、小さな石や岩がまとまり、がんせきとなってだくりゅうとカムカメの間に降り積もった。がんせきふうじ。しかし、尋常な技量ではなかった。横一列に並んだトリトドン達のだくりゅうのほとんどを、たった一匹のがんせきふうじが堰き止めていた。
その時初めて、サダイジャ達は飛び出した。丘の上ではない。池の畔、西側の隅である。後列であるカジリガメの一団の真横を捉えた形になった。
カジリガメが気付いた時には、サダイジャを先頭にして、最も外周にいるサイホーンの壁を突破していた。カジリガメがねっとうを飛ばしてくるのと、ゲンガーがカジリガメの影に飛び込もうとするのと、ヌオーが側を飛び出していくのがほぼ同時に起こった。こちらの方が、すべてにおいて一瞬速かった。
ねっとうを受けながら、サダイジャは砂を吐いた。カジリガメと合流しようとしていたゲンガーがすなあらしに飲まれる。砂にうっすらと透ける影に向かってヌオーが飛び込んでいき、姿を消した。ニダンギルがいたであろう場所にはすでにガマゲロゲが突っ込んでいる。サダイジャは素早く皮を脱いだ。ねっとうでほどんどやけどのようになっていたのだ。
ウパーやガマガルも次々にサイホーンを突破し、左右に広がっていった。池からはナマズン達が援護射撃をすることになっている。強固に纏まっていた筈のカジリガメの一団はいまや内側から押し広げられ、外からは撃たれていて、その真ん中にはサダイジャとカジリガメだけが残っていた。
束の間、睨み合った。カジリガメが吠え声をあげ、サダイジャは静かに鎌首をもたげた。
◇
迂闊には動けなかった。がんせきふうじ一つ見ても、尋常な手練れではない。安易にへびにらみなどすれは一瞬で勝負を決めかねない迫力をカジリガメは放っている。
機。お互いにそれを測っている。すなあらしが音を遮るのか、不思議と他のポケモン達の声はせず、あるいは静かといってもいいような立ち合いだった。機は、自分で掴むしかない。
とぐろをまくか。考えた瞬間だった。その外見からは想像できないような俊敏さで、カジリガメが飛び込んできた。シェルブレード。寸前で躱した。すなあらしが吹き荒れる中で、サダイジャの姿は目視し辛い筈だ。尾をたたきつける。カジリガメが跳ね上がり、のしかかろうとしてきた。躱したサダイジャに、さらにカジリガメが牙をギラつかせながら迫ってくる。振り返ると同時に、ずつきをかました。ひるみ。下手に踏み込まず、今度こそとぐろをまいた。
また、睨み合った。僅かな時間だった。飛び掛かったサダイジャの攻撃を、カジリガメは甲羅に滑らせるようにして受けた。そのまま、地面に躰を擦り付けている。次の瞬間のカジリガメの速さに、サダイジャはついていけなかった。ロックカット。シェルブレードをまともに受けた。天地が何回転もした気がした。なにもわからないままに、後方に跳ね起きた。のしかかりがくるような気がしたのだ。起き上がりざま、ほとんど本能のようにとぐろをまいていた。
睨む。咄嗟に、カジリガメは突撃をしてきた。へびにらみを嫌ったのだろうが、サダイジャにその気はなかった。溜めていた。もろはのずつきとロケットずつきが、正面からぶつかった。互いに弾かれた。威力は向こうが上だが、大きく体制を崩したのも向こうだった。追撃しようとしたサダイジャは、咄嗟に横に跳んだ。一瞬前まで頭があった位置をカジリガメの顎がかみくだいていた。
互いに息が荒かった。サダイジャは、できるだけ吐く息を減らした。短く吸い、ゆっくりと少しずつ吐く。砂袋の砂は、ある種生命線に近い。カジリガメも呼吸を整えている。なんとなく、最後だということがわかった。余力が保つのも、そう長くはないだろう。すなあらしとて無限ではないのだ。
カジリガメが、薄く水を纏っていた。サダイジャはすなじごくを吐き出し、それを躰に纏わりつかせた。考えてのことではなかった。ほとんど本能のままにやったことだ。小さなサジンを纏っているようだと、やってから思った。
機。訪れるともなく、それはやってきた。すなあらしが晴れたのである。同時に、飛び込んでいた。世界がはじけ飛んだのではないか、という衝撃がサダイジャを襲った。ぐらりと揺れたサダイジャの躰を誰かが支えた。しっとりとした肌。それでなんとなく、サダイジャは安心した。
目を開くと、束の間白黒に点滅して、それから朝霧が晴れるように視界が広がった。頭を陥没させるようにして息絶えたカジリガメと、慄いているカムカメ達の姿が見えた。
勝った。そう思った。心の底から、吠え声が湧き上がった。誰かが続き、やがて止まない輪唱になった。
◇
左右を見回してから空を見上げたサダイジャを見て、ガマゲロゲが笑った。サダイジャは横を向いた。自分の現在地を把握し損ねたことがバレたのが、はっきりとわかったからだ。
北東の、首領の巣穴にはいまだに慣れなかった。幼い頃に、睡魔に勝てずドサイドンの巣穴で一夜を明かした時のような気分が、毎朝サダイジャを包み込んでくるのだ。決して多い経験ではなかったはずなのに、不思議と印象に強く残っている。
ヒポポタスがやってきて、サダイジャの前にオレンを置いた。有力な雄で、そろそろカバルドンになろうかというところだった。巨人の鏡池の方を任せられるかもしれないと思って、サダイジャは苦笑した。戦いが終わってもどこかに危機感のようなものが残っている。それで過敏なことを考えるのだ。ポケモンの群れなど、行きたいところへ行き、住みたいところへ住むのが当然だった。群れをまったくもたないサダイジャのようなポケモンの方が稀なのだ。
昼になるとヌオーがやってきて、連れ立って池へ向かった。静かな水面で、トリトドン達が思い思いに漂っては、時折水を掛け合ったりしている。その下をドジョッチやナマズンがゆったりと泳いでいた。一匹のトリトドンが物思いに耽っていて、たまに思い出したように空を見上げた。亡くなったカラナクシの母親だった。一瞬吹いた沈痛な風を、小さなカラナクシ達がどこかへ吹き飛ばした。トリトドンに纏わりついては水をかけている。釣られてか、トリトドンも明るく笑った。
サダイジャは池を離れ、湿気が完全に失せていることを確認してから砂を食んだ。二口目で、なにかの木の根に当たった。酷い渋味だ。意地を張らずに、サダイジャは吐き出した。渋いものは渋い。当たり前のことで、無理をして食べる意味などなかった。
晴れていた。追いついてきたヌオーが、木の根を見て笑った。