陽炎は「姿を消せる異能力」を持つ。
それ以外は普通の駆逐艦である。

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ご無沙汰してます。
苦々しいリーダーの完結から1年以上空き、ハーメルンさんの投稿も7ヶ月ぶりになります。
この話はブログやpixivにも投稿した「女々しいマーダー」の番外編になるんですが、1話完結として読めると判断したため、お世話になったハーメルンさんにも投げることにしました。
60,000字弱ありますので、ごゆるりとどうぞ。
あ、あと純粋なハートフルを望んでる方は気を付けてください。
(まぁタグを見て分かるとは思いますが)



エイプリル アンド ヒートヘイズ

 

 

「エイプリル アンド ヒートヘイズ」

 

 

 

どうして…こんな目に遭うのだろう。

 

今日も悪夢を見て最悪の目覚めだ。それでも寝坊するわけにはいかない。そう思って布団から出たその瞬間だった。

 

「あ、お、起きてます!」

 

部屋の扉をコンコンと叩く音。そしてガチャリと音を立てて扉が開く。

 

「……おはようございます。提督が呼んでるわ」

 

「は、はい!急いで行きます!」

 

正規空母の加賀だ。陽炎にとって彼女は…尊敬する先輩であり、頼れるリーダーであり。

 

そして、大事なチームメイトだ。

 

……慌てて身だしなみを整え、執務室に向かう。今日は予定通り出撃だろう。

 

「し、失礼します!」

 

慌てていても礼儀作法は忘れない。きっちりノックはした。とは言え時間ギリギリの到着だから、仲間には微妙な顔をされる。

 

「……提督。第1艦隊、全員揃いました」

 

加賀がそう言うのを耳に通しつつ、仲間達と共に横並びをする。端っこにつく。隣には重雷装巡洋艦の木曾が凛とした佇まいで立っていた。

 

「ご苦労様。それじゃあ…」

 

……それから暫く作戦説明が続く。他のメンバーの図体が大きいために陽炎は隙間から覗く形になるが、いつも通りのことだ。

 

よって今日も陽炎は、作戦を耳にしただけで出撃する羽目になる。だがそれだけでも…難易度が低くないことは分かっていた。

 

分かっていたのだ。チームメイトの皆も。

 

 

 

「……で、マトモに動けるのは陽炎だけと」

 

惨敗だった。想定を大幅に超える深海棲艦の援軍が到着してしまい、最終的には陽炎以外の全員が中破以上になってしまう。

 

特に…敵から集中攻撃を受けた戦艦:大和、木曾と五十鈴を庇った装甲空母:翔鶴の2名に関しては、沈む寸前の大破となってしまう。

 

「も、申し訳ございません!」

 

半泣きになりつつ、頭をブンと下げる。入渠している仲間達の分も込めて謝罪をする。

 

事実、この提督は自分達6人の育成には力を入れており、これまでも強く信頼していると何回も言われ続けていた。

 

……完全に裏切った形だ。彼の隣にいた彼の相棒…兼陽炎の親友も微妙な表情をしていた。

 

陽炎は頭を下げたまま叱責を待った。そして提督が席を立ち、自分の前に立ったことを音で察すると、小刻みに体を震わせる。

 

そして…提督が手をあげたのを視界の端でチラッと確認すると、引っ叩かれるものだと思ってギュッと拳を握りしめる。

 

……が。そこでなった効果音は、パン!でもペチッでも無く、ポンポンだった。

 

「陽炎、そう自分を責めるんじゃない」

 

自分の頭を這う大きな手を感じつつ、少し頭をあげる。提督はニコリと笑っていた。

 

「だ、だけど司令官…!」

 

「実はな。加賀が君より先に報告に来てね」

 

「えっ…!?」

 

加賀さんが?心からそう思った。もちろん彼女も中破をしている。確かに…帰って早々に自分達と別行動をとってはいたが。

 

……提督の説明を簡単にまとめよう。

 

確かに任務には失敗して悲惨な状態で撤退はしたが、実は撤退中に陽炎が深海棲艦の誘導…囮を買って出ていたのだ。

 

陽炎には透明になる能力があり、それを駆使して見事に敵の注目を集めることに成功した。

 

だから全員の生還に成功した。そう言っても過言ではない。よって…今回1番の功績をあげたのは間違いなく陽炎なのだ。

 

……加賀はそう告げ、確かに陽炎は1人だけ痛い思いをしなかったが、彼女を責めないようにと必死に訴えたそうだ。

 

因みに…加賀もフラフラの状態だったらしく、言い終わった後は膝から崩れ落ちたため、提督の相棒が付き添いで入渠場へ連れて行ったそうだ。

 

「確かに加賀の言う通り…君達全員が生きて帰ってこれたのは奇跡だ。これも全て君のおかげ。だから…自分を極端に責めるのはやめなさい」

 

……ダメだ。耐えられない。陽炎はそう思って、目からポロポロと涙を流してしまった。

 

それを見た提督は少し呆れ顔で優しく頭を撫で続けた。陽炎が落ち着くまで。

 

「ふっ、とは言え君達は明日も仕事がある。今日この後の予定は全て無くすから、今日はゆっくり休んで明日に備えなさい」

 

「あ、ああ、ありがとう…ございます…!」

 

仲間と提督の優しさを肌で感じつつ、涙を拭いて提督に頭を下げつつ、陽炎は部屋を後にした。顔には笑顔が浮かんでいた。

 

「ったく司令官は…」

 

その一部始終を見ていた彼女は、提督を見て溜息をつく。前からそうなのだが、提督は第1艦隊の中でも特に陽炎に思い入れをしていたのだ。

 

「しょうがないだろ?あの子は…まぁ…普通じゃないんだからさ」

 

「そんなこと言って~!じ・つ・は~!スキなだけだったりして~!?」

 

「……五月蝿い。解体するよ?」

 

「ひ、酷い…仕打ちっ…ぴょん…!」

 

そんな笑い声が執務室内に響いた。無邪気に。

 

そう、この時は2人とも知らなかったのだ。思い入れのしていた彼女が。唯一無二の親友が。あんなことになっているだなんて。

 

 

 

「あぐっ…!」

 

執務室がある建物の近く。手入れが届いていないのか、草がボーボーと生えてフェンスも一部穴が空いている。そんな目立たない場所。

 

「おらっ!立てよ!」

 

陽炎は…蹴られていた。腹に入った一撃が痛くて地面にうずくまっても、直ぐに立たされて何度も蹴りを入れられる。

 

「いかんねぇ、こんなんでへばったら!」

 

そう言って陽炎をまたも無理やり立たせる。陽炎はもう涙で顔がぐちゃぐちゃだったのだが、そんなことは気にしない。

 

あははと笑いつつ、悦に浸った顔で陽炎を。

 

……実の姉を殴る。今度も容赦なく綺麗に腹に入る。陽炎は思わず口を押さえてしまう。もう…早く終わって欲しくて仕方ない。

 

そんな時だった。遠くから別の妹が姿を現した。頼まれて見張りをしていた萩風だ。

 

「嵐、谷風さん。ギャラリーが賑わってきましたし、退散しませんか?」

 

「あっ?マジで?」

 

あぁそうか。第1艦隊は提督から休暇を貰ったが、それ以外は普通に今から遠征等の仕事があったはずだ。恐らくそれでだろう。

 

「ちっ、じゃあな!」

 

去り際、最後にもう1発蹴りを入れる。谷風もペッと唾を吐きかけて去っていった。草だらけでボロボロな陽炎を残して。

 

しばらくすると、萩風の言った通り賑やかな声が聞こえてきた。提督は建物前に全員を集め、2階から拡声器を使って任務内容を伝えるから。

 

……そう。近くに人が沢山いるのだ。しかし助けを求めるわけにはいかない。この状態を見られることさえ許されない。

 

そんなことしたら…何をされるか。想像しただけでもゾッとする。せめてもの幸いは、こういう裏道は殆ど知られていないことだ。

 

 

 

誰にも会わずに自室に帰ってこれた。この鎮守府は個室にシャワーが完備されているため、それで体を洗い流そうと試みる。

 

衣服を脱ぎ、上半身鏡を見て溜息をついた後、風呂場のドアを開ける。

 

「ひっ…!?」

 

だが…シャワーを浴びることは叶わなかった。此処で陽炎は自分の愚かさを思い知る。どうして確認する前に服を脱いでしまったのかと。

 

陽炎は慌ててゴミ袋を取りに行き、浴槽の内外に1つずつある排水溝に溜められていた生ゴミを全て素手で拾って放り込むと。

 

手を洗ってシャワーのお湯を出し、掃除用のスポンジで壁をゴシゴシと擦り始めた。

 

……シャワーのお湯が赤く染まっていく。対称的に「調子乗んなメスブタ」のスプレー文字は白い壁の色に戻っていく。

 

陽炎は手慣れたような…それでいて死んだ目で浴槽周りを綺麗にすると、息をハーッと吐き出してシャワーを浴びる。

 

分かっている。恐らく生ゴミの犯人は時津風、落書きの犯人は黒潮だろうと。今回もあの2人の手口そのものだったから。

 

……シャワーを浴び終わって風呂場から上がる。そしてバスタオルで身体を拭くと、顔を包むようにして思い切り嗚咽と涙をこぼす。

 

どうして…こんなことになってるのだろう?

 

……全て自分のせいだ。自分が調子にのって第1艦隊の仲間入りなんかするから。仲間を救ったり庇ったりするから。活躍なんかするから。

 

自分だけほぼ無傷で帰ってきたりするから。提督に気に入られてるから。そして何より…生まれついて異能力なんて持ってるから。

 

だから嫌われた。誰よりも仲良くなりたいと思ってる妹達に。1人残らず皆に嫌われた。

 

もちろん提督や親友である卯月、第1艦隊の皆は優しいから、相談すればきっと聞いてくれるに違いないだろう。

 

だが陽炎は人前で弱音を吐かなかった。吐けなかった。自分の都合で仲間に迷惑をかけるのは言語道断だと心から思っていたから。

 

……怖い。誰にも打ち明けられない。口封じとか巻き添えとか考えてしまう。だから今日も黙って耐えるしかない。

 

分かってる。分かってはいる。

 

「いや…!もう…いや…!」

 

陽炎はしばらくバスタオルと向き合い。そして時計を見てハッとする。このままだとこれから仕事という人と食堂で鉢合わせてしまう。

 

まだ食事を口にしていない陽炎は、慌てて服を着替えて部屋を出る。

 

 

 

どうやら間に合ったらしい。

 

「か、加賀さん!」

 

食堂に着いた時、其処には加賀の姿があった。だが他には誰も見当たらない。

 

混み合う前に辿りつけたことにホッとして、陽炎は加賀のところへ向かう。

 

高速修復材が使用されたはずだから、恐らく入渠も食事も既に済ませたのだろう。

 

「……待ってたわ」

 

陽炎が来たことに気がつくと、席から立って陽炎の方を向いた。いつも通りの顔で。

 

「あ、あの…!えっと…!」

 

しどろもどろになりつつ、口にすべき言葉を選ぶ。だがその必要は無かった。加賀がソッと陽炎の頭を優しく撫でたのだ。

 

「……他の皆さんは食事を済ませて別の所に行きました。私は此処に残りましたが」

 

「ど、どうして…ですか…?」

 

「貴方にお礼を言うためですが」

 

相変わらず淡々と単調子で返事をする。お礼を言われるほどのことはしていないと否定されるも、耳を全く貸さない。

 

「……貴方のお陰で無事に生還出来ました。私だけでなく大和さん達も」

 

「あ、あれは…別に…!」

 

「ありがとう陽炎。他の皆の分も込めて、私から感謝させてもらうわ」

 

必死に否定する陽炎を全く気にせずそう淡々と告げて、加賀は食堂から立ち去っていった。ポカンとする陽炎を残して。

 

だが陽炎は直ぐにハッとする。そうだ自分は食事を取りに来たのだと。今日はどうやらオムライスが出るらしいと知ってウキウキする。

 

……チラホラと人が集まってきた。確かに第1艦隊に所属はしているが、尊敬の眼差しを向けるのは割と恥ずかしいからやめてほしい。

 

しばらくしてオムライスが運ばれてくる。周りが遠慮をするせいで陽炎の近くには誰も座っておらず、ガラガラだ。

 

だから…恰好の的になる。

 

「お待たせしました~!」

 

陽炎は嫌な予感を感じ取った。何故ならオムライスを持ってきたのが…自分の妹の1人、雪風だったからだ。しかも不敵な笑みだった。

 

「残さず…食べてくださいね?」

 

そう言ってスキップをしつつ帰っていく。もう…何か入ってるとしか思えない。だが食欲に負けて、スプーンを手に取る。

 

そしてスプーンをオムライスのど真ん中に突き刺し、ゆっくりとオムライスを切っていく。

 

(だ、大丈夫…だよ…ね…?)

 

バクバクする心臓をなだめつつ、そんなことはないと思いなおす。何せ持ってきたのがあの雪風なのだから。改めて覚悟を決める。

 

……我ながら安い覚悟と言わざるを得ない。それに気付いた時にガタッと席を立ってしまう。周りもビクッとしてこちらを見る。

 

陽炎は謝罪して席に座りなおし、オムライスから出て来たその…割と大きい百足の死骸を、吐きそうなのを堪えつつスプーンで端に避ける。

 

どうやら他には何もないらしい。それを確認するとその死骸以外を全て食べきる。ショックで弱った胃腸に無理を言わせて。

 

そして周りを見渡し、誰にも見られないように死骸を外に捨てる。もしゴミ箱に捨ててしまうと時津風が悪用するから。

 

「……ご馳走様でした」

 

ボソッと小さい声で呟き、席を立って厨房に入る。別に返却口に返せば良いのだが、真面目な陽炎は食器を自分で洗うのだ。

 

雪風の姿がないのを確認すると、スプーンをサッと洗って皿の方に…取り掛かろうとした。

 

バシャーン。

 

「っ…!?」

 

突然のことだったが、自分の身に何が起きたかは直ぐに分かった。水をかけられたのだ。地面にポタポタと雫が滴っている。

 

今はそんなに辛い季節じゃないが、服の隙間から入ってくる冷たさに無言で悶絶する。

 

ゆっくりと振り向く。そこには満面の笑みでバケツを持っている野分と、隣で満足そうにニヤつく初風の姿があった。

 

よく見ると…雪風もチラッと遠くから此方を見ている。だがそんなことは気にせず、サッと皿を洗って無言で厨房から去る。

 

……姿を消して誰にも見られないように。

 

 

 

寮はダメだ。妹達との遭遇率が高くなる。そう思って陽炎は外に繰り出していた。

 

とは言っても何もすることがない。仕方ない、執務室に遊びに行って卯月と話でも…と思い、足を運んだまでは良かった。

 

「失礼するぞ」

 

此処を曲がれば執務室だ…そう思った矢先、不吉な声を聞いてしまう。陽炎は慌てて姿を消し、執務室前の様子を覗く。

 

チラッとだが見えた。アレは磯風だ。後ろには浜風と舞風の姿もある。

 

最悪だ。何故かは分からないが提督はよく自分の妹を執務室に呼んで話を聞くのだ。あぁなると数十分は出て来ない。

 

陽炎は息を呑み、直ぐに撤退する。そして次の場所へ移動する。

 

よくお世話になる…夕張の工房だ。隣に資材置き場があるために整理に割と人手が必要で、よく第1艦隊にもヘルプが飛んでくる。

 

陽炎は駆け込むようにそこに飛び込…むわけにもいかなくなる。ギリギリで気付けたから良かった。中に誰かいると。

 

「まぁ余裕じゃけ!またよろしゅうね!」

 

ゾッとする。あの特徴的な広島弁は間違いなく浦風だから。慌てて資材の端に隠れつつ夕張の工房の方を見る。

 

夕張はかなり上機嫌に見えた。恐らく研究か何かを手伝ってもらったのだろう。そして彼女は自分の工房に帰っていった。

 

浦風と…親潮、秋雲の3人を残して。

 

(な、なんで…!?なんでいるのよ!?)

 

アワアワする陽炎。今日は運が悪いと嫌になり、どうしようかと悩む。恐らくそのせいだろう。

 

……後ろから這い寄る悪魔に気付けなかった。

 

 

 

「がっ…!」

 

ガンと音を立てて壁に叩きつけられる。そして間髪入れずに髪の毛をグイッと引っ張られる。

 

「あんた、あんなところでコソコソ何してたのよ気持ち悪い」

 

そう言って陽炎の頭を壁に叩きつける天津風。隣では親潮がドス黒い顔で睨んでいる。

 

「んぁー、その表情良いねぇ!やっぱ陽炎姉さんは筆が進むわー!」

 

そう言いつつ興奮気味にスケッチをする秋雲は気にせず、何度も陽炎の頭をガンガン壁に打ち付ける。此処で親潮も加勢を始める。

 

「気持ち悪い」

 

ボソッとそう呟き陽炎がブンブン振っている片腕を拘束する。そしてそれを見た瞬間スイッチが入ったのか、天津風の表情が変わり…。

 

「た、大変じゃけ!」

 

浦風が帰ってくると何事も無かったかのように戻る。そして4人揃って視線が固定される。

 

「か、加賀さんがこっちに向かっとる!はよ逃げるんじゃ!」

 

……陽炎の顔に光が戻る。妹達にとって加賀は最大の宿敵なのだ。陽炎と関係が深いから。

 

「な、どうして!?」

 

「そ、それは分からんが…!」

 

「取り敢えず…逃げましょう」

 

「んじゃ失礼しま~す。あ、加賀さんに見つからないようにはしてちょうだいよ?」

 

陽炎は黙って頷き、慌てて逃げる4人を目で追いかけ、誤って加賀が来た時のために姿を消して少し空を見て黄昏た。

 

そして…涙をこぼす。今日だけで何回目だろうか。もう嫌になる。

 

だが仕方ないことなのだ。調子に乗ってる自分が悪いのだから。そう思い、フラッと立ち上がって自室に戻っていくのだった。

 

 

 

翌日、陽炎の仕事は遠征だった。俗に言う護衛任務という奴である。

 

この任務においても透明になれる能力を駆使して、物資を狙いにきた深海棲艦供を、五十鈴と共にバタバタをなぎ倒していった。

 

よって昨日の失敗を払拭するほどの大成功となる。依頼者からも深く感謝され、お礼に少し資材を分けてもらった。

 

元の鎮守府に帰ってきた時、既に陽が殆ど落ちていた。2人は執務室に向かって任務の成功をウキウキ気分で伝える。

 

そして…提督に賛辞を贈られる。やはり昨日のミスを気にしていたのもあり、入渠場に向かう足は2人揃ってルンルンだった。

 

その道中、2人は第1艦隊のメンバーと合流する。彼女らは自分らとほぼ同じ任務を別の場所でこなし、少し早く帰投していた。

 

……全員同じ状況なのは見たら分かった。

 

「取り敢えず…第1艦隊の面目は立ったな!」

 

足を止めずにそう言う木曾に全員が賛同し、仲良く入渠場へ向かった。

 

……陽炎も笑顔だ。やはりこのメンバーか卯月といる時は心から笑っていられる気がした。

 

因みに…御察しの通りだろうが、陽炎が妹から受けている仕打ちについては、他の第1艦隊のメンバーは全く気付いていない。

 

陽炎は定期的に読書が趣味になり、部屋にこもりがちになる。それぐらいの面識だ。

 

……約1時間後。今日は新月のようで、空に夜の象徴が無いのを物寂しげに感じながら、陽炎は寮に入っていく。

 

入渠の後は明日の仕事に備え、飲みに行くとかせずに直ぐに解散になった。木曾の少し不満そうな顔を鮮明に覚えている。

 

(加賀さんの言う通り、明日はまた出撃があるんだもの。今日もゆっくり…)

 

ゆっくり寝たい。陽炎の心からの願いだ。たまに布団に虫の死骸がばら撒かれたり、寝てる間に水を掛けられたりするからだ。

 

溜息をつきつつ自分の部屋に向かう。一応卯月との相部屋なのだが、彼女は提督と本気で喧嘩しない限りこの部屋には帰ってこない。

 

そして…1番奥の角部屋だ。冬場は少し寒いが、自室の前をドカドカ人が走り去っていく音と振動が無いのは割と利点だった。

 

「あっ…」

 

陽炎は思わず足を止めてしまった。何故なら廊下で妹と目が合ったからだ。

 

だが…不思議と逃げたいという思いが無かった。何故ならその妹…不知火は、これまで自分に危害を加えた試しがないのだ。

 

とは言え、間違いなく自分を嫌ってるだろうとは思っている。今もこうして挨拶も無しに横を通り過ぎていったからだ。

 

そういえば…他の妹達は数人グループで行動しているのだが、不知火だけはいつも1人きりだ。これは前々から少し疑問にしていた。

 

だが孤立しているわけではない。この間も親潮と井戸端会議をしているのを目撃している。

 

要するに…彼女が何を考えているのか、仕事以外は何をしているのか、全く分からないのだ。

 

(ま、まぁ…考えててもしょうがないよね!今日はさっさと寝ないと…)

 

そう思って陽炎は自室の扉を開けた。

 

……自分の方を真っ直ぐに見つめる不知火の視線には、全く気付いていなかったようだ。

 

余談だが、部屋には何も細工が施されていなかった。恐らく今日は妹達も真面目に仕事に勤しんでいたのだろう。

 

 

 

翌日、非番だった為にある場所に向かった。

 

「はぁ…今日はゆっくり休も…」

 

鎮守府の外れ。此処には倉庫があるのだが、建物の老朽化が目に見えている為に近づく者が居ない区域となっていた。

 

……今日は陽炎型全員が休暇だ。卯月から聞いたから間違いない。よって今日出歩くのは余りにも危険すぎるだろう。

 

その倉庫は陽炎にとって憩いの秘密基地となっていた。こういう危険日に引きこもれるよう、お菓子等も備蓄してあった。

 

因みに…実は自室が最も危険な場所だ。抵抗した際に、自分のだけでなく卯月の私物にまで危害が加わる可能性があるから。

 

……第1艦隊のメンバーとしてあの仲間達と戦い続けていたからか、危機察知能力には眼を見張るものがあるようで。

 

「えっ…」

 

周りが静かだったのもあるだろう。その憎悪を掻き立てられる声には聞き覚えがあった。

 

慌てて姿を消し、建物の裏に回る。そこには小窓があり、中を覗くことが出来るからだ。

 

「そ、そんな…!」

 

そこで見た光景。陽炎は心から絶望した。自分が備蓄していたお菓子を貪り食いつつ談笑する妹達が居たから。しかも…ほぼ全員。

 

今までは数人単位の行動だったというのに。急な方向転換で困惑しつつ、陽炎は聞き耳をたてる。

 

「それでね、黒潮ねぇと頑張ったんだよー」

 

「ほんま相変わらずやったわぁ…」

 

あぁこの間の排水溝の件か。そう思って吐き気を少し催しつつ妹達の動向を探る。そして…最も聞きたかった情報が出る。

 

「しっかしまぁ…陽炎さんはこんな所を隠れ家にしてたんですねぇ」

 

秋雲がそう言ったのをキッカケに、全員の顔にキリッと力が入った。顔の動きだけでも何人かが溜息を吐いたのが分かる。

 

「あの人らしいと言えばらしいですけどね」

 

「私は気に入ったわよ。いい風来てるし」

 

制圧感に囲まれ思い思いに好き勝手言い合う。しかし陽炎には腹立たしいという気持ちはあまり出て来ず、寧ろ恐怖の方が優っていた。

 

「本当に不知火さんには感謝じゃけぇの」

 

自分に危害を加えないと思っていた不知火の告げ口で発覚したらしかったから。

 

その後、案の定と言えばそうなのだが、自分を見つけて捕まえる作戦のようだったので、陽炎は音を立てないように移動を始めた。

 

(に、逃げなきゃ…!)

 

これまで全員が揃うことなど1度も無かった。果てしない命の危機を感じ、陽炎は慎重に焦ってその場を離れようとした。

 

……叶うことは無かったが。

 

ガシッという効果音が鳴ったような気がした。陽炎は手首を掴まれ、少し乱暴に後ろを振り向かされ、彼女と眼を合わせた。

 

色んな表情が混ざり合って訳の分からないことになっていた。腕を掴まれた陽炎も。腕を掴んだ不知火も。

 

「ひっ…!?」

 

慌てて振り払おうとする。だが不知火の力は凄まじく、陽炎は顔を真っ青にしたまま…黙って抵抗を続ける。

 

「捕まえましたよ。姉さん」

 

そう言って半ば無理やり引きずっていく。陽炎は察した。この建物の中に入れる気だと。

 

「いや…!やめて…!離して…!」

 

大きな声を出すと中にいる妹達に聞こえてしまうだろうと考え、消え入りそうな声で叫ぶ。しかしそれらは全て無視される。

 

それどころか…ボソッとこう呟かれる。

 

「……そんなに逃げたいのでしたら、お得意の能力で透明にでもなったらいかがですか?」

 

そう、不知火は分かっている。陽炎の能力は姿を消せるだけで、壁などをすり抜ける能力は全く無いと。だからこれは完全な嫌味だ。

 

陽炎はグッと唇に力を込め、自らに異能力があることを少し恨みつつ、抵抗虚しく不知火に引きずられていく。青ざめた顔で。

 

そして…遂に運命の時を迎える。

 

「姉さん。離してほしいですか?」

 

不知火がそう告げると、陽炎は黙って縦に頷いた。それを見て不敵に笑い、空いていた方の手で入口のドアノブを握った。

 

「分かりました。離してあげます」

 

次の瞬間。それは一瞬の出来事だった。ドアを開けたかと思うと、約束通り陽炎の手を離し、思い切り部屋の中へ陽炎を突き出した。

 

部屋の中で尻餅をつき、脱出しようと直ぐに立ち上がったが、もう既にドアは締め切られ、不知火が外から押さえているようだった。

 

「いや…!出して…出してよ不知火!」

 

ダンダンと扉を叩く大きな音が響く。軽いパニックになっている陽炎は、もう飛び切りの大声で必死に助けを請いた。

 

もちろん…脱出は叶うこともなく。そして大きな音と大きな声を出したことによって。陽炎は背中から悪意を感じることとなる。

 

……後にも先にも。自分の元へ差し伸べられた妹達の手に恐怖を感じた瞬間は、無い。

 

 

 

「あ、良いところに。ちょっと良いですか?」

 

「うん?うーちゃんに何か用っぴょん?」

 

陽は沈み、晩御飯の時間となった為に食堂は大賑わいを見せていた。

 

第1艦隊の出撃が無い間、秘書艦を務めている卯月は、今日も今日とて提督の激務の手伝いをし、ようやく飯にありつけるといった感じで。

 

座る席を探していた矢先に、第1艦隊のメンバーに呼び止められた。と言っても自分の親友の姿がそこに無かったのだが。

 

「明日の任務の打ち合わせをしようと思ってたのですが…陽炎さんを見ませんでしたか?」

 

「うーん、知らないっぴょん。また部屋でのんびり読書でもしてるんじゃないっぴょん?」

 

「……そうですか」

 

露骨に心配そうにする。確かに本の虫である(と仲間達が思っている)陽炎だったらそれもあり得ない話ではないが。

 

それにしては来るのが遅すぎる。というか今日はちゃんとこの時間から打ち合わせであると連絡もいっていたはずだ。

 

「ったく…だらしねぇな。後でお説教だな」

 

「あら?この間の任務で真っ先に敵陣に突っ込んで中破したお馬鹿さんは誰だったかしら?」

 

「……ほっとけ」

 

そんな木曾と五十鈴の会話を苦笑いで聞く。そして心配そうな顔を浮かべる加賀。

 

そんな時だった。またもワイワイした感じで食堂に団体客が入ってきた。それを見た加賀と卯月は直ぐに接触を試みた。

 

そう、陽炎と上手くやっている(と仲間達が勘違いしている)妹達だ。こんな大勢で行動を共にしているのに珍しさを感じる。

 

「お前達、良い所に来たっぴょん」

 

陽炎型駆逐艦達は、もはや定位置ともなっている机を陣取っていた。卯月が引き止めたことにより誰も立ち上がらなかった。

 

「貴方達、陽炎を見なかったかしら?」

 

「陽炎はん…?知らんなぁ…」

 

周りの顔を伺いつつ黒潮がそう答える。他のメンバーも黙って首を横に振るだけだ。なので困ったように2人は元の机に帰っていった。

 

……その後直ぐだ。またも陽炎型駆逐艦達は仲睦まじげに日常会話を再び始め、各々が夕食を取りに行った。いい笑顔で。

 

そんな中、心配そうな顔を浮かべて陽炎を待つ第1艦隊を横目に、黒潮は彼女らに気付かれないようにそちらの方を見つめると。

 

「……隠れ家で昼寝でもしとんちゃうかなぁ?」

 

と、ドス黒い笑顔で呟くのだった。

 

 

 

「うーん…?」

 

意識を取り戻すキッカケになったのは、全身のヒリヒリした痛みとズキズキする頭痛だった。

 

何か悪い夢を見ていたような気がする、そう一瞬でも思いたかった…というのが本心だ。

 

何より信じられないのは、直ぐ隣に不知火が佇まっていたこと。思わず陽炎は後ろの方に飛び退き、壁に体をぶつける。

 

「……目覚めましたか」

 

相変わらずの感じでボソッと呟く。陽炎は少しパニックになったが、自分の痛い部分に手当てがされていることに気付く。

 

そして不知火の手には救急箱が握られていた。自分の傷を誰が手当てしたかは状況を考えても一目瞭然だろう。

 

不知火は救急箱から出した消毒液などを片付けているところだった。それをボーッと眺めながら唇をモゴモゴさせる。

 

……よほど辛かったのか、一部分の記憶が吹っ飛んでいた。その修復作業に時間がかかる。

 

「全くあの子達は…後始末もせずに…」

 

不機嫌そうにボソッと呟く。この時に陽炎はようやく記憶を鮮明に取り出した。そして今の状況が異常なことにも気が付く。

 

「ねぇ…聞きたいことがあるんだけど…」

 

「はい?何でしょう」

 

「……目的は何なの?」

 

そう、元を返せばこんな傷を負ったのは不知火の所為だ。あの時、自分を倉庫に投げ入れたりなんかするから。

 

なのに彼女はぶつくさ言いつつも治療を施してくれた。変なことでは無いかもしれないが、違和感は少なからずあった。

 

少なくとも…無神経に無計画に荒唐無稽に不知火か動いてるとは思えなかった。

 

「そう…ですね…」

 

何を思ったのか不知火はしどろもどろになり、少し顔を赤らめて口をモゴモゴさせる。

 

一方で陽炎は、少し腹立たしさを感じて真っ直ぐに不知火の顔を見つめた。

 

……しばらくの沈黙の後。陽炎は直ぐに気が付いた。不知火の口元が綻んだと。だがその笑顔は…喜びと言うより悦びだった。

 

「まぁ…もう準備は万端ですし、隠す必要も無いでしょうからね。ふふっ、良いでしょう」

 

そう言うと、陽炎が横になっているベッドに救急箱を乗せると、表情1つ変えずに自分もベッドに上がり…陽炎の上にゆっくりと被さった。

 

……大事な説明を忘れていた。

 

此処は陽炎の自室。何かあれば自分のだけでなく卯月の私物にまで危害が加わる可能性がある…陽炎にとって鎮守府の中で最も危険な場所だ。

 

「な、ななな…何を…!?」

 

突然のことに驚きを隠さない陽炎が腕をブンブンと振っても、ピクリとも動かない。

 

「ふふっ…やっと…やっとこの日が…!」

 

それどころか何か興奮してるように見えた。これを受けた陽炎の脳内では、異常事態を示すアラートが鳴り響いている。

 

そして…彼女の嫌な予感は確信に変わる。不知火が救急箱の蓋を開けたことによって。

 

……中から大量の中身入り注射器と多彩な刃物を取り出したことによって。

 

「あっ…あっ…!」

 

恐怖でしかない。況してやその不知火が、沢山ある注射器の中から1本取り出し、ウットリとした顔で宙に掲げたから。

 

「ふ…ふふ…うふ…うふふ…ふふっ…!」

 

「し、ししし…しら…ぬい…?」

 

怖い。名前を呼ぶのさえ怖い。話しかけるのも怖い。体を動かして抵抗することさえ怖い。もう何もかもが怖かった。

 

「あぁ申し訳御座いません。思わず心を踊らせてしまいまして」

 

手に持っていた注射器を丁寧に置き、陽炎の目の前で刃物をガーゼで…これまた丁寧に拭く。すると刃物に光が灯った。

 

そして…もう恐怖でしか声が出ない陽炎に改めて覆い被さり、逃さないように彼女の片手首をギュッと握った。あの時と同じように。

 

「姉さん。ずっと…不知火はずっと…貴女の背中を見て育ってきました」

 

「……へ?」

 

そして不知火は語り始めた。自分の本当の想いを。心に秘めた願いを。そして…愛を。

 

「不知火は…貴女のことが好きです。姉としてではなく、1人の女性として、艦娘として、憧れとして、貴女のことが大好きです」

 

「な、何を言って…」

 

「……信じてもらえないと思います。だって他の子達は貴女のこと大嫌いなんですもの」

 

不知火は嬉しそうに、ギュッと手首を握っていた手でそのまま手首辺りをスリスリする。

 

「辛かったです…。これを打ち明けたらあの子達に何て言われるか分からないですから。でも…もうそれも今日で終わりです」

 

そして不知火は、さっき磨いていたその刃物をもう1度手に取り、ついでに手の届く範囲に注射器の束を移動させた。

 

「もう…不知火は隠しません。私は姉さんのことが大好きです。心から愛しています」

 

「ま、待っ…!」

 

「貴女の笑顔も。温もりも。匂いも。声も。振る舞いも。頭先から爪先までの一挙手一投足も全て。不知火は心から愛しています」

 

この時に陽炎は初めて気が付いた。段々と不知火の眼から光が消えていると。

 

「ですが…それよりも」

 

そして遂に手に持っていた刃物を高く振り上げる。陽炎は恐怖で涙を少しこぼすも、不知火には火に油だったようで。

 

「貴女のその怯えた顔が。泣き顔が。絶望に沈んだ顔が。苦痛に歪んだ顔が。悲鳴が。嗚咽が。血が。涙が。不知火は大好きです」

 

「嫌…待って…!嫌よ…嫌…!」

 

「……陽炎姉さん」

 

恐怖による涙でぐちゃぐちゃに顔が歪む。そして視界が上手く見えない。そんな彼女がもの狭い範囲で目にしたものは。

 

「大好きです」

 

自分の体に向かって振り下ろされた刃物と。自分の直ぐ下の妹が見せた、猟奇的な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

それは本当に突然のことで。彼女を良く知る仲間達は、驚きを隠せなかった。

 

彼女は真面目を絵に描いたような人物だった。人が嫌がるような仕事を率先して取り組み、誰よりも仲間想いであった。

 

そんな彼女だ。仕事をサボるということが如何に周りに迷惑をかけるかは分かっているはず。だけど彼女は仕事をサボった。

 

それも1度や2度じゃない。今日で1週間になる。仕事の数に直せば10個以上だ。

 

しかし彼女を責める者は居なかった。それどころか心配する者が殆どだった。これは彼女の日頃の行いが良いからだろう。

 

……実に希少らしいが。艦娘だって病気になることはあるらしい。今回はきっとそうなのだろう。そうとしか思えない。

 

だが皆が多忙だった為に、誰も見舞いに行けなかったのだ。

 

最初にお見舞いに行った翔鶴も、訪れたのは仕事を最初にサボられてから既に1週間が経過していた後だった。

 

……そこでサボっていたことが判明したわけだ。病気でも何でもなく、彼女は自室で本の虫になっていたらしい。1週間も。

 

それを知った翔鶴は、怒鳴ることはせずにただやんわりと叱るだけだった。呆れ顔を浮かべながら。彼女も耳を傾けてくれた。

 

だが…それでも彼女は仕事場に顔を出さなかった。流石にこれでは仕事仲間らも黙っているわけにはいかないだろう。

 

それとほぼ同時期。これと同じ件で頭を悩ませていた駆逐艦が居た。彼女の名は卯月。この鎮守府で秘書艦という職に就いている。

 

卯月は仕事をサボっている彼女のことを、親友として大事にしていた。だからだろうが、卯月も彼女を心配していた。

 

本当なら真っ先に様子を見に行きたかった。だが秘書艦という役職の関係上、滅多にそんな暇は与えられなかった。

 

……提督は事情を理解してくれた。お見舞いの許可も出してくれた。だが事情を知らない他の艦らがやたらと連れ出してくるのだ。

 

よって、ようやくホッと一息つけた時にはもう10日が経ってしまっていた。彼女に与えた仕事を、初めてサボられてから。

 

~~~

 

「陽炎…やっと会えたぴょん」

 

本当は自室に向かおうと思っていたのだが、陽炎が運良く部屋から出てきていたらしく、現在地は寮のキッチンである。

 

陽炎の手にはコップが握られていた。底に少し残っている白濁液は、恐らく牛乳だろう。

 

「何か久し振りね、うーちゃん」

 

本音を言うなら。陽炎を見かけた瞬間に叱ろうと思っていた。

 

色んな仕事をサボられているせいで、それに関する提督の愚痴とか諸々を、自分がわざわざ聞く羽目になっているから。

 

しかし…卯月は口を噤んだ。恐らく陽炎に自覚症状が無いのだろう。彼女は平然を装って話しかけてきたのだが…。

 

見るからにやつれていた。栄養失調であるという印象を受けた。

 

だが、此処で足踏みをするわけにはいかない。陽炎には仕事に復帰してくれないと困るのだ。

 

そして困ったことに、今も大して時間がない。次の仕事開始までもうすぐだから。よって卯月は言いたいことだけを口にする。

 

「……単刀直入に言うぴょん。読書を辞めて仕事に戻って欲しいっぴょん」

 

そして、返事を聞かずにその場を去る。コップを流し台に置きながら、立ち去る卯月の背中を黙って見ていた陽炎。

 

目には焦燥が浮かんでいた。だが彼女は仕事に戻るつもりは無かった。彼女も彼女なりに覚悟を決めていたのだ。

 

……脳裏に浮かぶのは妹の顔。あの時の狂気染みた微笑み。憎しみも確かにあったが、それ以上に喜びに満ちていたあの笑顔。

 

あの時、初めて経験した。痛みを通り越したあの絶望を。死ぬかもしれないという恐怖を。

 

そしてその後、自分の身に起きた…。

 

「っ…!?」

 

痛い。思い出しかける度に、頭に痛みが走る。虫酸も走る。思い出したくも無いのに。

 

壁に1度持たれ、痛みが引くのを待つ。幸いなことに、誰もこの部屋に入って来なかった。

 

そして陽炎は、自分の二の腕を押さえた。別に筋肉痛であるとか、そういうわけでは無く、本当に何となくだった。

 

……頭痛が治まった。それを自覚すると、直ぐにその部屋を後にして、自室に戻った。

 

そしてその日も、もちろん次の日も、陽炎が仲間に顔を見せることは無かった。

 

~~~

 

やらかした。遠征から帰ってきた後、執務室に報告に行った卯月が、最初に思ったことだ。

 

遠征中に1度は思った。陽炎の件は、提督にも報告すべきだったかと。

 

しかし、第1艦隊の誰かが報告してくれるだろうと、気楽にいたのがマズかった。

 

……執務室に入った瞬間に気付いた。提督の顔色が明らかに悪い。そして机上には、何かのチラシが乱雑に置かれていると。

 

「あ、卯月。お帰り。お疲れ様」

 

ボソッとそう呟く。卯月はこの時こう思った。お疲れ様なのはお互い様だと。

 

机上にあるチラシ。何処から入手したのか、異能に関する資料がズラリだ。もうこれだけで…何があったのか、容易に想像出来た。

 

「……どうかしたっぴょん?」

 

「あぁ実は…その…やってしまってな」

 

そしてやはり、憶測通りだった。自分が告げ口をしなかったせいだろうが、何も知らなかった提督が、陽炎を叱責してしまったらしい。

 

だが…提督を責めるつもりはない。彼から見れば、最近の陽炎は、趣味に没頭して仕事を疎かにしている、ただの怠け者なのだから。

 

……裏に何かしらの事情がある。だから彼女はやつれていた。それは秘書艦であり親友である、自分しか知らなかったのだから。

 

「クソッ…。僕はいつもそうだ…!」

 

「まぁまぁ、司令官は悪くないっぴょん。それに…陽炎があぁなってるって言わなかった、うーちゃんもうーちゃんぴょん」

 

とは言え、陽炎には悪いが、彼女が普通で無くなっているのは、提督にも伝わったし、結果オーライかもしれない。

 

因みに、柄にもなく提督に叱責された陽炎は、ポロポロと涙を流しながら、深々と頭を下げて、謝罪の言葉を口にしたそうだ。

 

「しかし…あの凹み方は気になるな」

 

「……そうぴょん。陽炎の頭なら、こうなるって予想ぐらいは出来てたはずっぴょん」

 

色々とおかしい。いやそもそも、あの陽炎が仕事をサボること自体に、違和感がある。

 

単なる気まぐれ…にしては、サボりが徹底されていたし、卯月が言った通り、怒られることを覚悟していたようにも見えない。

 

……予定表に目を通す。今からは元より、第1艦隊は休暇の予定だ。明日の朝まで。

 

「うむ…卯月、帰って来たばかりで悪いが…」

 

「……分かってるっぴょん。ったく本当に…世話が焼けるっぴょん」

 

やれやれといった様子で、手をパタパタさせる。そして、心配そうな顔をする提督は気にせず、そのまま退室する。

 

因みに、現在は夕方だ。そして…休暇の予定とはいえ、第1艦隊のメンバーは、自主的に鍛錬等に取り組んでいる。

 

……わずかな希望を胸に。卯月はある場所に向かった。何を隠そう、夕張の工房だ。

 

陽炎は夕張とも仲が良かった。定期的に工房に顔を出しては、夕張が苦手としている、資材の整理等を請け負っていた。

 

もしかしたら…此処に来ているかも。そんな浅はかな考えだった。当然ながら、そんなはずもなく。工房の主が居るだけだった。

 

……恐らく、夕張もだったのだろう。来客に気付くや否や、直ぐに作業の手を止めて、顔を見せた。陽炎が来たものだと思って。

 

「いや、だからってさ~、そんな残念そうな顔をしないで欲しいっぴょん」

 

「あ、ご、ごめんね…」

 

部屋の奥に、チラッと装備が見える。あれは恐らく…翔鶴の飛行甲板だろう。

 

そう…昨日も第1艦隊は、割と激しめの仕事があった。チームの1人が欠けるだけで、此処まで苦労するのかと、彼女らはボヤいていた。

 

当然ながら、木曾らは陽炎を引っ張り出そうとした。だが翔鶴がそれを止めたのだ。無理に誘うのは逆効果だろうと。

 

その結果、翔鶴は大破した。酷い因果だなぁと、木曾や五十鈴がボヤいているそうだ。

 

「まぁ私としてはね、あんな立派な飛行甲板を弄れるわけでしょ?すっごく楽しいわけよ。でも木曾さん達からしたら…」

 

「たまったもんじゃ無いはずっぴょん」

 

はぁと溜息をつく。そしてこのタイミングで、卯月は提督からの命令を口にする。陽炎を親友として励ませよという。

 

そして…気怠いとも口にする。

 

「うん…卯月ちゃんの気持ちも分かるけどさ、でもそれは、卯月ちゃんにしか頼めない…」

 

「メロンに言われずとも、分かってるっぴょん。だからこそ、ダルいんだぴょん。あぁ~面倒くさいっぴょん!」

 

腕をブンブン振る。それを見て苦笑いになる。だが…面倒くさいと言いつつ、命令を断らないあたり、根は良い娘なんだなぁと思う。

 

そして…夕張は、断りを入れてから工房に戻る。卯月も別れを告げ、建物を後にした。床に散らかってる資材を、足で蹴飛ばしながら。

 

~~~

 

誰かに聞かれたらマズイか。成る可く静かな状況の方が良いか。卯月のその配慮が、夜遅くという時間帯を選択する。

 

……以前に記したかもしれないが。陽炎と卯月は相部屋である。

 

しかし…卯月は基本的に、執務室横の仮眠室で寝泊まりしているため、この部屋に帰ってくることはほとんどない。

 

だからだろう。不意にノックもなしに扉が開き、卯月が入って来たのを見た陽炎は、目を見開いて驚いていた。

 

部屋は真っ暗…と思いきや、机上の電灯が爛々と輝き、陽炎と1冊の本を照らしていた。

 

そんな陽炎が、本に栞を挟んだ後でパタリと閉じるのを見ながら、乱暴にベッドに腰掛ける。ギシギシと音を立て、少し揺れる。

 

「……眩しいっぴょん。机の電気消して欲しいっぴょん」

 

「あ、う、うん…」

 

言われた通り、机の電気を消す。暫くは視界がボヤッとするも、目が慣れてしまうと、お互いの顔が見えるぐらいにはなる。

 

カーテンは閉まっているが、窓が開いている。心地の良い風が入り込み、カーテンを揺らす。

 

その為に…僅かだが、月明かりも入ってくる。その月明かりはまるで、部屋にいる小さい月の覚悟を、遠くから見届けるようであった。

 

……嘘はついていない。陽炎のやつれた顔を見たくなかったとか、そんな理由じゃ無い。本当に眩しかっただけである。

 

少し困惑する陽炎を、自分の直ぐ横をポンポンと叩き、ベッドに腰掛けさせる。

 

さて、何と切り出そうか。変に陽炎を傷付けたくない。卯月は言葉を選ぶ。だが…先に口を開いたのは、陽炎の方だった。

 

「……やっぱり。怒ってるんだよね?」

 

「えっ…?」

 

「うーちゃんがこの部屋に帰ってくるぐらい、司令官が怒ってるんだよね?」

 

あぁそうか。確かに言われてみれば、自分がこの部屋に帰ってくる時は、提督の厄介ごとに巻き込まれたくない時だ。

 

彼は怒りに任せると、失言をしてしまう悪い癖がある。それこそ…直ぐに毒を吐いている卯月でも、呆れてしまうような。

 

だが、今回は違う。

 

「……そんなことないっぴょん」

 

今回は、提督の命令で此処にいる。再び仕事に駆り出すよう仕向ける…という建前で、彼女を元気付けてこいという、優しい命令で。

 

陽炎の手を優しく包み込み、陽炎の方を真っ直ぐに見る。目を逸らされているが。

 

「まぁ確かに。陽炎が皆に迷惑をかけてるのは、それは間違いないっぴょん」

 

「あっ…そ、そう…だよね…」

 

「でも!」

 

思わず…陽炎の手を包み込むことに、力を入れてしまう。力んでしまう。ギュッという効果音が聞こえてくるほど。

 

「陽炎、最近変だぴょん。仲間達みーんなが、それに気付いてるっぴょん。だから…本当は誰にも、迷惑なんかしてないっぴょん」

 

「で、でも…司令官は…」

 

「アイツの悪癖は、陽炎も知ってるはずっぴょん。何を言われたかうーちゃんは知らないけど、気にしたらダメっぴょん」

 

やはり、目を合わせようともしない。流石に痺れを切らしたのか、もう1つの手の方も、両手でしっかりと握った。

 

こうなってしまうと、別に抵抗は出来るが、体の向きが嫌でも卯月の方に向く。

 

「陽炎。うーちゃんはこれでも、陽炎は親友だと思ってるっぴょん。その親友が、何か隠してる…なんて、黙ってられないっぴょん」

 

「うーちゃん…」

 

「そう…何かを1人で抱えて、1人だけ辛い思いして。そんなの見てたら分かるっぴょん。だから陽炎。話して欲しいっぴょん」

 

驚いた。ひょうきん者で有名なあの卯月が、此処まで真っ直ぐに訴えてくるとは。

 

そんな言葉が、頭に浮かんできたものの、今の陽炎に、冷静に吟味する余裕は無かった。

 

それ以上に…心配をかけたという申し訳なさ。声を掛けてくれたという嬉しさ。親友の優しさに応えたいという想い。

 

それが脳内をよぎり、心を満たし、涙として溢れる。それだけでは飽き足らず、抱擁という行為までしてしまう。

 

「ちょっ…陽炎…!」

 

ポロポロと泣いている。嗚咽も少し漏れている。本当に…手の届く範囲に、ティッシュがあって良かった。心からそう思う。

 

ふふっと微笑み、腰回りに抱きつくその頭を、優しく撫でてやる。フワフワした彼女の髪が、程よく気持ち良い手触りだ。

 

……数分後。落ち着いた陽炎は、卯月からティッシュを受け取り、鼻をかんでクズ籠に投げ込んだ後、しっかり座り直した。

 

先程までと違い、今度は卯月の手を、陽炎が優しく包み込んでいた。

 

「あのね…うーちゃん。えっと…」

 

「……ゆっくりで良いっぴょん。今日はずーっと付き合ってやるっぴょん」

 

そう言い、後ろの方に手をついて少し仰け反る。そして…陽炎は、ゆっくりと口を開く。

 

 

 

別に…卯月を信用していないとか、そういうわけではない。寧ろ彼女のことは、自分も心からの親友だと思っていた。

 

それは間違いない。間違いないのだ。だからこそ、話せなかった。妹達のことも。自分が受けている、あの仕打ちのことも。

 

何故なら…アレは、他人に相談した所で、どうにかなるものではないから。自分が調子に乗ったのが、諸悪の根源なのだから。

 

そして…此の期に及んで、アレは自分ら姉妹の問題だからとか、他所様の力を借りたくないとか、そんな自尊心が働いたのだろう。

 

自分が悪い。親友を巻き込みたくない。いやそれ以前に、これは卯月には関係ない話だ。そんな勝手なワガママが、陽炎を乗っ取っていた。

 

……言わずもがな。これは間違いだ。しかしこの時の陽炎は、その事に気が付いて居なかった。自分が正しいと確信していた。

 

そして卯月も、それに気付けなかった。陽炎がそんな事を考えていることなど、想像すらしていなかった。

 

 

 

「な~んだ。そんな事っぴょん」

 

陽炎の悩みを全て聞いた後、卯月はそう言って、呆れ顔を浮かべた。

 

一方で陽炎は、人がせっかく深刻な悩みを打ち明けたのに、おちゃらけたような事を言われて、ムスッとしていた。

 

……陽炎の言葉に嘘はない。第1艦隊としての自信が無くなったのも、自分には異能力しかないと思ったのも、本当の話だ。

 

それが本当に、自分の悩みだった。それを打ち明けた。それだけを口にした。自分は何1つ間違ってない。間違いない。

 

「ったく…陽炎は~。しょうがないっぴょん。ほら、ちょっとこっち来るっぴょん」

 

そう言って、少し乱暴に抱き寄せた。突然のことで戸惑いはあるも、卯月の温もりで直ぐに、心の刺々しい部分が無くなる。

 

「……異能力しかない?そんなこと無いっぴょん。陽炎には陽炎のいい所があるっぴょん」

 

嘘だ、そんなはずがない。そんな風な表情で、顔をゆっくりとあげる。それを見て、卯月はますます呆れ顔になる。

 

「まぁ陽炎のいい所なんて、色々とあるけど…1番は、仲間想いな所っぴょん。仲間想いで…優しくて。周りをよく見てる所っぴょん」

 

「でも…でも…!力が無くて…か、加賀さん達には、迷惑をかけてばっかりで…」

 

「陽炎、戦闘能力だけが力じゃないっぴょん。優しさだって素晴らしい力っぴょん。だから…そんな悲観しちゃダメっぴょん」

 

いい笑顔でそう言い放つ。この小さい体の何処に、こんな包容力が隠れていたのだろうか?陽炎は甚だ疑問に感じていた。

 

そして…また涙をこぼす。正確に言えば、瞳をジワリと濡らす。

 

「陽炎、元気出すっぴょん。何でも1人で抱え込むのが、陽炎の悪い癖っぴょん。もっと皆を…うーちゃんを頼って欲しいっぴょん」

 

そう言いつつ、陽炎の顔を自分の胸に押し付ける。最初は何も起きなかったが、暫くして、ジワリと濡れていくのを感じた。

 

……陽炎の頭を優しく撫でる。そう言えば加賀と大和が前に、自分に向かってボソッとこう呟いていた。

 

『陽炎と触れ合っていると、非常に母性がくすぐられる』と。

 

(あぁもう…!ちょっと分かっちゃう自分が悔しいっぴょん!ったく…陽炎め~!)

 

そして…先程までの自分を思い出して、少し寒気を感じる。いくら親友の為とはいえ、真面目な事を言いすぎて、非常に疲れた。

 

(うぎぎ…!覚えてろよ~!明日からビ・シ・バ・シ仕事をやってもらうからっぴょん!)

 

そんなことを考えつつも、笑顔は崩さない。少し引きつっているようにも見えるが、崩さないように注意を払った。

 

何より…こんなに嬉しそうに、涙を流す親友を見ていると、怒るに怒れないから。

 

暫くして、正気に戻ったのか、陽炎はハッとしたように卯月から離れ、申し訳なさそうにした。恥ずかしそうにもした。

 

そのせいだろう。少し気まずい空気が流れる。しかしそれが嫌いな卯月は。

 

「まぁ…元気が出て良かったっぴょん。それじゃあまた…あ、明日の第1艦隊は、ヒトマルマルマルから、護衛任務で遠征っぴょん」

 

それだけ告げ、颯爽と帰っていった。月明かり以外の光は無かったはずだが、陽炎には彼女が、光って見えているようだった。

 

……正直言って。仕事に顔を出したくない。妹達の事もあるから。だが此処までされてしまった以上…無視も出来ない。

 

「えっと…ヒトマルマルマル…か」

 

何ら変な予定ではない。良くある時間だ。ただ…いつもより少し遅いパターンの日である、というだけ。何の問題も無い。

 

よって陽炎は、何も細工されていないシャワールームで、ゆっくりとシャワーを浴び、そのまま直ぐに寝床についた。

 

仲間らへの謝罪文を考えながら。

 

~~~

 

第1艦隊…とは言ったが。たかが護衛任務に、鎮守府の最高戦力を全て割くはずもなく。

 

それでも、まぁまぁのVIPの護衛という事もあり、4人が駆り出されたが。

 

そう、4人だ。卯月に引き止められ、第1艦隊が総出で待っていた所に、装備を持った陽炎が、重い足取りで来たのだ。

 

彼女の顔で、仲間らは全てを察した。謝罪文が思いつかず、どんな顔をしたら良いかも分からず、時間だけ経った。という感じだろう。

 

……陽炎を責める者も。大袈裟に復活を喜ぶ者も居なかった。ただただシンプルに、行きましょうかと告げただけだった。

 

あたかも…陽炎はずっと仕事に来ていたじゃないか、という感じに。

 

「卯月さん、お疲れ様です」

 

「はぁ…ホントっぴょん。くっそ~、陽炎め~、このうーちゃんをこっんなに心配させた罪は、おーもーいーぴょん…!」

 

威嚇する猫のように、キシャーとか声を出しながら、陽炎を見送る。それを、第1艦隊の加賀と大和は、苦笑いで眺めていた。

 

「まぁでも…、陽炎さんが帰ってきて良かったですよ。実を言いますと、翔鶴さんの飛行甲板がですね、まだ修理中でして…」

 

「ん、あぁ…。そう言えば、付けて無かったっぴょん。まぁ、アレぐらいで翔鶴は弱らないけど…。まぁ備えあれば憂いなしっぴょん」

 

「えぇ。戦力は多い方が良いですから。陽炎さんが来てくれて良かったです」

 

「……そう」

 

この時、卯月の中に。ある疑問が生まれていた。話の流れから、翔鶴のことのように思われるが、残念ながら、陽炎についてである。

 

確かに…自分が頑張ったおかげで、陽炎は元気になった。それは事実だ。だが…そもそもの大事なことを忘れていた。

 

陽炎が仕事をサボった時、その理由を誰も知らなかった。そして…彼女が仕事をサボるという、そんな前兆も感じられなかった。

 

つまりだ。自分達の視点では、彼女は突然、突拍子も無く仕事をサボったわけだ。しかも…こんなに長い間。あんなにやつれるまで。

 

……おかしい。

 

「世の中には…結果の前に、原因があるはずっぴょん。それこそ…しっかりとした、ハッキリとした因果関係が…!」

 

「おや、どうかしましたか?」

 

「そんな…提督みたいなこと仰って…」

 

そう、因果関係と言えば。この鎮守府の提督の口癖だ。彼は多少、運が悪い節があり。何か失敗する為に、この言葉を口にしていた。

 

日頃の行いが悪いから…とか。要するに彼は、責任転嫁をしないという、非常に真面目な性格だったのだ。たまに行き過ぎるが。

 

因みに…建造に失敗した時に、日頃の筋トレをサボったからだ!とか言って、1日中ずっと、外を走り回っていたこともある。

 

……何であれ。陽炎が突然の奇行に走ったのは、何かしらの経緯があるはず。卯月はそう考えたのだ。そして、2人の方を向くと。

 

「加賀、大和。2人に折り入って、うーちゃんからお願いがあるっぴょん」

 

柄にも無く、真面目な顔を作った。ここ最近は、ずっと真面目なことばかりしているなぁと、気に病むつもりも無かった。

 

 

 

あぁ見えて、卯月という秘書艦は、非常に優しくて、真面目で、頭がキレる。

 

それを改めて確認した2人は、協力者を募るため、夕張の工房に来ていた。

 

そして今、どうなってるかというと。

 

「そっか…良かった~!」

 

安心して足から力が抜け、地面にペタリと座り込んだ夕張を、加賀と大和が少し微笑みながら、見下ろしていた。

 

そして、卯月からの提案を伝える。提督の言葉でいう…因果関係を見つける、そんな手伝いをして欲しいという提案を。

 

当然ながら、夕張は断らなかった。彼女もまた、陽炎に恩義も友情も感じていた、1人の艦娘であったから。

 

……一方その頃。執務室には卯月が居た。彼女の目前には、書類整理をする提督もいる。

 

「司令官。お話があるっぴょん」

 

……長い付き合いである提督は知っていた。本当に大事な話の時は、いつものひょうきんな態度を、卯月は絶対に取らないと。

 

どうやら、今回はその時のようだ。

 

「分かった、聞こう」

 

手にしていた書類の束を机の端に退け、少し大袈裟な動きで、椅子に座りなおす。その勢いで、背もたれがギシッと音を立てる。

 

「司令官。世の中のこと全てには、結果の前に原因があるはずって、言ってたぴょん」

 

「……そうだな。それがどうかしたか?」

 

「だったら…前日まで真面目だった奴が、その翌日から、何の前兆も無く、仕事をサボるなんて、有り得ないってことになるぴょん」

 

「……なるほど。続けたまえ」

 

さっきはギシッと音を立てただけだったが、今度は本当に背もたれを使用する。そして両手を、頭の後ろで組む。

 

本音を言うなら。卯月が言わんとしていること、それが何かというのは、大方察している。

 

「だから…司令官。うーちゃんに手を貸して欲しいっぴょん。一緒に陽炎を助けるっぴょん」

 

そして、提督の予想のど真ん中を、卯月は止まらずに駆け抜けた。だからかどうかは知らないが、提督は少し口元を綻ばせた。

 

……暫くの沈黙の後。またも大袈裟に、勢いをつけて立ち上がる。そしてふーっと息を吐く。

 

「全く卯月は…。そんな内容だったら、僕が断るわけ無いだろう?だというのに君は、ったく…そんな深刻そうな顔して…ふふっ」

 

「ぐっ…!ひ、人が珍し~く真剣にお願いしてるって言うのに…!笑うなんて酷いっぴょん!」

 

「おやぁ?確か君も…陽炎に対して似たようなことをした~とか、言ってなかったかい?それこそ…君から聞いた気がするけど?」

 

「う、うぎぎ…!そ、そうだけど…!」

 

そう、提督の言う通りだ。間違いない。気が付けば卯月の目前に立っていた提督は、典型的で綺麗なしたり顔を作っていた。

 

……完全に論破されてしまい、少し肩を落とす。そして真面目な顔を作る気も、真剣な空気を保つことも、完全に失せてしまった。

 

「ははっ、そうそう。やっぱりさ、そういう…ちょっとお茶目で、見てて腹立ってくる顔の方がさ、お前には似合ってるって」

 

ご機嫌に笑顔を浮かべつつ、まるで子供をあやすように、卯月の頭を優しく撫でる。

 

「っ~~~!!!」

 

そう…長い付き合いだからこそ、知っていた。この卯月という駆逐艦は、人を弄るのは好きだが、弄られるのは大の苦手なのだ。

 

今もこうして、悔しそうな顔を浮かべ、苺のように顔を赤らめ、恥ずかしそうに俯いていた。

 

そして、暫く提督の愛撫を堪能した後。不意に彼の腕を取っ払う。

 

「あぁもう、辞めろっぴょん!」

 

はーはーと過呼吸気味に、肩を震わせながら、相変わらず赤らめた顔で、1歩下がってから、提督を睨みつけた。

 

(ふふっ、可愛い奴め)

 

声に出さずとも、提督はそう思って微笑む。一方で卯月の方はというと、あざとく頰を膨らませて、ムスッとしていた。

 

そして…卯月の方に体を向けたまま、机にもたれかかるように立つ。お遊びは此処までだといった表情を浮かべながら。

 

「さて、卯月。先ずは改めて聞き込みだ。今回からは…陽炎の仲間だけじゃなくて、鎮守府中を駆け回ってもらうぞ?」

 

「……覚悟の上っぴょん」

 

「ふっ、そうか。その言葉が聞きたかった」

 

満足そうに頷く。卯月は一瞬だけ、自分の発言を後悔したが、そんなものは直ぐに払拭し、拳を握りしめて覚悟を決める。

 

「まぁ…僕も手伝うからさ」

 

……彼がこう言った後。2人の間に会話は無く、卯月が黙って部屋を出る。提督の机から拝借した、メモ帳と鉛筆だけ手にして。

 

~~~

 

「今日も良い風ね」

 

お前は忍者か。確かに…妹からも姉からも、そんなツッコミをもらってはいる。

 

それでもこの、屋根に登って風を感じる…という習慣は、辞められる気がしない。

 

特に今日は、大した予定も無い。とは言っても、そろそろ夕飯時。とても程よい感じに、小腹が空いてきた気がする。

 

「ふわぁ…暇ねぇ」

 

それに、この習慣に関して、姉妹から辞めてとも言われてない。寧ろ歓迎されている。

 

それもそうだろう。この位置は、鎮守府の色んな場所を見渡せる。とどのつまり…人探しにはもってこいである、ということだ。

 

(全く…不知火姉さんめ~。何でなのよ…!)

 

本音を言うなら、かなりストレスが溜まっていた。理由は3、4日前に、不知火が妹達全員に放った、命令とも呼べるお願い。

 

彼女はこう言った。陽炎が再び仕事に顔を出すまで、彼女と関わる…況してや何時もの『遊び』をするのは、禁止にすると。

 

当然ながら、不満の声は上がった。自分も上げた。だが…黒潮が自分らを引き止めたのだ。

 

……彼女曰く。不知火が何かを企んでいる顔をしていた…らしいから。よって、妹達全員が何も言い返せず。了承せざるを得なくなった。

 

(はぁ…。良い風は来てるけど…。退屈っていうか、つまんないわね…)

 

そう思いつつ、周りを見渡す。どうせ今日も、いつもと変わらない景色のままだろう。そんな風に、半ば諦めながら。

 

だが…今日は違った。いつもなら見られない、少し変わったものを目にしたのだ。

 

「え…あれって…?」

 

鎮守府の端の方。海沿い。距離は割とあったが、あの特徴的な髪型。髪色。見間違えるはずがない。しかも…蛍光色が2つだから。

 

(秘書艦の卯月…と、不知火姉さん…よね?)

 

秘書艦さんと言えば、陽炎の親友であり、自分らからしても、文句なしで脅威となる…ゲームでいう敵キャラだ。

 

当然、不知火からもそう言われている。奴とは関わるな。無駄に察しが良いから、変に関わると色々とマズいからと。

 

(なのに…どうして…?)

 

不知火の言う通り、卯月は勘が鋭く、さらに…提督と二人三脚だ。敵に回したくはないし、味方に引き込める気もしない。

 

少なくとも、自分らはそう思っている。だが、不知火は違った…のか?頭の中で、そんな小さい疑問が、ポツポツと浮かび上がる。

 

……その後。暫く監視を続けたものの、声は聞こえないし、身振り手振りも殆ど無いし、何より…直ぐに別れてしまった。

 

何だったんだろう?首を傾げつつ、空腹感に突き動かされて、食堂に向かう。途中で不知火とすれ違うことは無かった。

 

 

 

フタヒトマルマル、執務室の扉が開く。

 

「お、時間通りの来室。流石っぴょん」

 

「ふっふ~ん!私にとっちゃ楽勝だよ!」

 

少し得意げにする。隣では加賀と大和が「いや、時間厳守は当たり前だろ」と言いたげに、苦笑いで夕張を眺めていた。

 

因みに、卯月も書類整理を手伝っていたようで、どうやら、たった今終わらせて、提督に差し出した瞬間のようだ。

 

「ふむ、夜分遅くにすまないな。まぁ取り敢えず…卯月のワガママを聞いてくれたこと。まずそれに感謝する。ありがとう」

 

「い、いえいえ!陽炎さんは大事な仲間ですから。当然ですよ!」

 

「ふふっ。その言葉、是非とも陽炎に言ってやって欲しかったっぴょん」

 

卯月の言葉に、3人は目を逸らす。陽炎が仕事をサボっていた理由については、卯月からすでに聞かされていたから。

 

言わずもがな、全員が軽く憤った。そんなはずないじゃないか、と口を揃えた。

 

……提督の質問から始まり。報告会が始まる。と言っても、目ぼしい情報は出なかった。

 

しかし…だ。進展がないと言うと嘘になる。何故なら、卯月が気になる情報を握ったからだ。

 

「司令官達。うーちゃん、ちょっと気になることがあったっぴょん」

 

「む、何だ?」

 

「実は…聞き込みの途中で、不知火に会ったから、聞いてみたっぴょん」

 

そう、あの海沿いの場所で。卯月は不意に、不知火に呼び止められたのだ。

 

そこで不知火は、卯月に言ったのだ。陽炎姉さんについて、何か知らないかと。自分も、あの人のサボりを気にしていたと。

 

こうとも告げた。卯月が調査をしていると聞いて、予め妹ら全員に、探りを入れておいたと。誰も知らず、収穫は無かったと。

 

……あの戦艦並みの眼光で有名な不知火が。かなり焦った表情をしていた。思わず卯月も、しどろもどろになってしまっていた。

 

そして…不知火の様子のこともあり、ありがとうとしか言えず、深い会話も出来なかった。

 

「とは言っても、不知火は姉妹と仲が良いっぴょん。だから…うーちゃんは、アイツを信用する気でいるっぴょん」

 

 

 

と、言わせる。それが不知火の策略だ。

 

我ながら、良い演技だったと自負している。

 

妹らにも告げたが、卯月はかなり勘が鋭い。妹らが接触すれば、取り返しのつかない、ボロが出てしまうかもしれない。

 

もちろん、予め妹らに告げ口をしておくのが、最短で楽な方法だ。だがそれだと、すれ違いする可能性が否定出来ない。

 

よって不知火は、最初に…物凄く遠回しに、妹らに近づくなと卯月に告げ、後からジンワリと妹らに浸透させる。という計画を立て。

 

たった今、完遂したところだ。どうやら…あの現場を、天津風に見られていたらしく、妹ら全員が揃っている時に、言われたのだ。

 

……食堂だったから、少しドキッしたが、第1艦隊の席までは距離もある。そして周りも煩い。小声なら大丈夫だ。

 

そして不知火は、心からこう思った。本当に良かった、妹らと仲良くしておいて…と。

 

 

 

「まぁ…確かに、気にはなりますけど」

 

卯月は鋭かった。あの時は気付かなかったが、時間が経って冷静になった今なら、あの発言の意図も汲み取れていた。

 

「でもさ、不知火ちゃんって、かな~り妹を大事にしてなかったっけ?」

 

だが…卯月がさっき言った通り、不知火は妹らと仲が良い。恐らく…妹らを巻き込まないで欲しい、ということなのだろう。

 

「言われてみれば、そうだったな。『陽炎姉さんについては不知火姉さんが詳しい』とかって、磯風達も言っていたし」

 

「妹に手を煩わせたくない…ぴょん。ったく、妹想いというか…過保護というか…ぴょん」

 

結局…不知火については、卯月のこの一言を皮切りに、すっと終わっていく。

 

そして、正解に辿り着けるはずもない議論が、暫くの間、ゆっくりと続いていく。

 

……数十分経って。まるで…同じところを、グルグル回っているような気がして、全員揃って、痺れを切らす。

 

そんな中、不意に提督が立ち上がり、机の端に置いてあった資料から、ある紙を取り出す。

 

それは、他鎮守府からの注意喚起だった。手描きで大きな字で、勇ましく書かれていた。

 

盗聴器に注意しろと。

 

「て、提督?それは一体…」

 

「あぁ…こいつの鎮守府でな、誰が仕掛けたか分からん、盗聴器が見つかってな、機能が全停止する程のパニックになってね」

 

しかも…提督が濡れ衣を着せられ、あわよくば地位剥奪まで追い込まれかけたらしい。

 

最終的に、この事件は、解決している。秘書艦の活躍により、彼を恨んでいた、とある巡洋艦の仕業だったことが、判明したからだ。

 

……で。提督がその注意喚起の紙を、何故残していたかというと。

 

「苦渋の決断だが…。盗聴器を仕掛けようか…」

 

今回の調査において、盗聴器というのは、かなり有効な手段であると、判断していたからだ。

 

とは言え、こういう前例もある。よって最終手段にしようと思い、今まで黙っていたのだ。

 

……もう四の五の言ってられない。

 

「し、しかし…提督!いくら陽炎さんの為とは言え、もし誰かにバレでもしたら…!」

 

「笑えませんね。私は反対です」

 

「うーん…。ちょっとそれはなぁ…」

 

大和らは乗り気でなかった。しかし、卯月だけは違った。確かに、盗聴器はマズいのではなかろうか…とは思っている。

 

しかし。あの時の陽炎を。自分に抱きついてきた陽炎を。それを知っていた卯月は。何としても、何とかしたかった。

 

「……うーちゃんは賛成っぴょん」

 

全員が、卯月の方を向く。まぁそうだよなぁと思っていた提督も、思わず目を大きく見開いて、驚いたような顔をする。

 

「うーちゃん、陽炎とお話ししたから、よーく知ってるっぴょん。陽炎は、何かしら嫌な思いをしてるって。だから…」

 

1つ1つ、言葉を噛み締めるように、ゆっくりと口を開く。口調は変わらないものの、声色はいつもと違っていた。

 

思わず…大和らがポカンとしてしまうほど。

 

「メロン達の気持ちも、よーく分かるっぴょん。でも、うーちゃんに…うーちゃん達に、協力して欲しいっぴょん。お願いっぴょん」

 

物凄く真面目な顔だった。夕張の手を握り、お得意の上目遣いで訴える。今回は涙も加わり、効果はてきめんだった。

 

夕張は、チラッと横を見た。加賀と大和は「しょうがないなぁ」みたいな表情で呆れており、夕張も苦笑いだった。

 

「……本当にすまんな。3人とも」

 

その様子を了承ととり、嬉しそうにする。卯月もウサギのように飛び跳ねる。それを見た3人にも、笑顔が溢れる。

 

そして…提督の口から、任務開始の号令と、5人への命令が発せられ、その場は解散となった。

 

~~~

 

10日が経った。

 

陽炎には、木曾らと向かっていた護衛任務から帰投後、間髪入れずに、加賀・大和と共に、別の遠征任務に向かわせていた。

 

夕張の要望で、彼女らは1週間帰ってこない手筈になり、そして…今日がその予定日だ。

 

先程、加賀から連絡があった。3人とも無傷で、任務も完遂し、現在は帰路についている、とのことだ。

 

……取り敢えず、事情を知っている2人に、陽炎は任せ、鎮守府の警備を卯月に、盗聴器の製作を夕張に、それぞれ任せていた。

 

そして…その夕張も、やる時はやる女だった。盗聴器の完成を、陽炎らの帰投日までに、無事に済ませていたのだ。

 

というか、今朝方に連絡が来た。加賀らの帰投は夕方である為、それまで睡眠をとっている、とも言われている。

 

因みに…夕張が、盗聴器製作の、息抜きとして進めていた、翔鶴の飛行甲板の修理も、明日には無事に終わるそうだ。

 

 

 

「お、帰ってきたな?」

 

陽が沈みかけている頃、陽炎は驚いていた。第1艦隊の残りの3人が、出迎えてくれたのだ。

 

そして…加賀と大和が、遠征の成果等を、仲間達に告げている間。その輪に入るのに抵抗があった陽炎は、こっそり離脱しようとした。

 

「……待ちなさい陽炎」

 

あっさりと五十鈴に見つかり、引き止められてしまったが。陽炎はビクッと体を震わせ、徐に後ろへ振り向いた。

 

仲間達が、揃って自分の方を向いていた。これには思わず、1歩下がってしまう。

 

……そう。加賀らが予め用意していたのだ。久し振りの遠征続きで疲れている、という建前で、陽炎を拘束する術を。

 

「ったく…陽炎はよー。久し振りにさ、一緒にパーっと呑みに行きてぇのになー?」

 

「あ、えと、その…し、司令官への…報告が…」

 

「それは私と大和さんでやっておきます。陽炎は木曾さんの相手をしてください」

 

何時もの変わらない口調。それを口にするや否や、大和を連れて、陽炎の横を通り過ぎ、2人で執務室に向かった。

 

……大和だけは、1度だけ途中で振り返って、仲間らの様子を見ていた。

 

乱暴に陽炎と肩を組んで、笑顔を見せる木曾と、それを見て呆れる五十鈴と、微笑む翔鶴の姿があり、陽炎も笑顔をこぼしているようだ。

 

……数分後。2人は執務室に居た。扉を開けた際、既にいた3人によって、歓迎される。

 

「えっと…夕張さん?大丈夫ですか…?」

 

「うーん、平気平気!4徹ぐらいしたけど、さっきまでグッスリ寝てたし!」

 

とは言え、ちょっと昼寝したぐらいで、眼の下のクマが消えるはずもなく、明らかな寝不足が見て取れた。

 

「夕張、今晩ぐらいはゆっくり寝るんだぞ?」

 

「もっちろんでーす!ふへへ~!」

 

……明らかにテンションが高い。これには流石に、心配する眼差しを向けざるを得ない。

 

「まぁ良いっぴょん。そして…陽炎の監視、お疲れ様っぴょん。どうだったっぴょん?」

 

「えぇ、実にいつも通りでした。少しブランクを感じましたが」

 

そう…恐ろしいぐらいにいつも通りだった。残念なことに。もし此処で、何かしらの異変が見つかれば、即急に解決に向かえるのに…。

 

とは言え、夕張の盗聴器が完成した…という知らせを聞き、2人は目を光らせた。彼女の手には、非常に薄くて、親指サイズの機械があった。

 

「名付けて、メロン式盗聴器だよ!余計な機能を付けずに、ただ大きさと軽さだけに拘った、私らしくない作品よ!」

 

……確かに。夕張と言えば、ゴミ箱にチリトリを付属させたり、あまり有用性を見出せない発明が、非常に多いので有名だ。

 

そして、夕張から説明がある。スイッチを入れれば録音開始、その後は充電が切れるまで、録音を続けるそうだ。

 

「ってこれ…盗聴器っていうより、レコーダーじゃないかっぴょん?」

 

「んだと~!?細けぇこたぁ良いんだよ!!」

 

「……夕張。お前ガチで、今日は早く寝ろよ?」

 

因みに…後で無事に回収出来れば、夕張が音声解析まで済ませてくれるそうだ。

 

その後、少し作戦会議が行われ、仕掛けと回収は卯月が行い、明日は1日中陽炎を泳がせ、深夜にまた集合。ということになった。

 

当然ながら、第1艦隊の仕事は、1日中お休みとするらしい。連日の遠征続きだった為、変に怪しまれることも無いだろう。

 

「よし…それじゃ卯月、後は頼んだ」

 

「ちぇーっ、やっぱりうーちゃんがこういう役回りっぴょん?」

 

いつも通り、ぶつくさ文句を言いつつ、卯月はその盗聴器を持って、部屋を出ていった。

 

それを目で追った後、提督から礼の言葉を受け取った3人も、部屋を出て、陽炎らの元へ向かい、宴会に混ざることとなった。

 

~~~

 

「あぁそうかっぴょん。此処まで計画してたわけじゃないけど、これはラッキーっぴょん」

 

陽炎の部屋に忍び込んだ卯月は、独り言をそう呟く。陽炎は今も宴会中で、木曾の絡み酒を受けていることだろう。

 

あの騒々しい空気。卯月はあまり得意じゃないが、かといって…今のこの部屋の、完璧な静寂。これもまた得意じゃない。

 

さて、何処に仕掛けようか。ポケットから盗聴器を取り出し、部屋内を探し回る。

 

すると…机の上に、青っぽい色の御守りを見つける。其処には「安全祈願」と記されている。

 

当然ながら、卯月はアレを知っていた。2人ともまだ駆け出しだった頃。遠征中に立ち寄った神社で、2人で買ったものだったから。

 

「珍しいっぴょん。あの陽炎が、これを部屋に放置してるなんて…」

 

あの時からずっと、肌身離さず持っていた。しかし状況から考えて、恐らく慌てていたのだろう。今日は部屋に置き忘れていたのだ。

 

……これだと思った。卯月は早速、その御守りの蓋を開け、中に盗聴器を放り込んだ。スイッチをONにするのを忘れずに。

 

夕張曰く、電源は24時間で切れるらしいので、明日の夜、陽炎が眠ってから、取りに来よう。卯月はそう考えたのだ。

 

そしてふと、御守りの文字に目がいく。先程も記した通り、これは安全祈願の御守りだ。

 

(ふふっ、これも運命かもしれないっぴょん)

 

陽炎の安全を思って、彼女の安全祈願に細工を施す。出来過ぎているとは言わないが、何たる偶然であろうか。

 

とは言え、提督と同じく、卯月は運命などをあまり信じていない。よって、陽炎の善因善果だろうと思い、直ぐに部屋を出ていく。

 

……明日の夜。自分が盗聴器を回収して、夕張の工房に集まる手筈になっている。

 

そこで…全て終わらせる。終わらせてみせる。そう思うと、思わず身震いがしてしまう。

 

「……っと。ウカウカしてたら、陽炎が帰ってきちゃうっぴょん」

 

自分の頰をペチペチ叩き、廊下に出る。

 

その歩いている途中、ふと窓から外を見る。空には綺麗な星と月が浮かんでおり、卯月は思わず足を止める。

 

とは言っても、月は沈みかけており、建物に隠れて、一部分が見えなくなっていた。

 

……読んでる本に影響されたのか。陽炎は兎に角、風流なものが好きだった。特に、花見や月見が好きで、よく一緒に行ったものだ。

 

今でこそ、この地位を確立し、悠々自適にしているが。下積み時代はそれこそ…休む暇など無い、過酷な日々だった。

 

明日、自分らは死ぬかもしれない。そんな毎日。だが…あの日々があったからこそ。今こうしてのんびり、比較的平和に暮らせている。

 

「陽炎…。お前は頑張ってるぴょん…」

 

それこそ…戦況が良くなったのは、卯月が秘書艦になって、今の第1艦隊が、全員改二になってから。そんな昔の話じゃない。

 

その上、困ったことに。陽炎には、第1艦隊に彼女が抜擢された時、少なからず反対の声が上がった…という経緯もある。

 

仲間からの反感も買い、それでもめげずに頑張り、今では尊敬の念を送られている。

 

……此処までの紆余曲折。卯月は全て知っている。だからこの間の、あの…自信が無くなったと打ち明けられた時。少し嬉しかった。

 

そうか、ようやく自分を頼ってくれる気になったのかと。彼女は昔から、何もかもを1人で抱え込む、悪い癖があったから。

 

「……また行きたいっぴょん」

 

そう呟いた彼女は、いつもの寝床に向かった。毎年開かれる花見ではない、陽炎と2人きりだったあの花見を、頭に浮かべながら。

 

……改めて、覚悟を決めながら。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、目を覚ました卯月は、真っ先に執務室に向かい、既に仕事を始めていた提督に、報告を済ませ、食堂に向かっていた。

 

どうやら…今日は少し、寝坊してしまったらしい。着いた頃には、既に盛り上がりを見せ、空席を探すのも難しい。そんな状況だ。

 

とは言え、気にせずに入る。何故なら…どんな時でも、確実に空く席があるからだ。

 

「あっ、うーちゃん!」

 

名前を呼ばれ、パッと振り向くと、自分と同じく、お盆を持った状態の、親友が立っていた。

 

……少し顔色が悪い。とは言っても、理由は見ただけで、直ぐに分かった。

 

「陽炎、おはようっぴょん。2日酔いっぽいけど、大丈夫っぴょん?」

 

「あ、う、うん…。ちょっと頭が痛いけど、まぁ…休めば大丈夫よ」

 

良かった。何時もの陽炎だ。内心ホッとして、卯月は朝食をパパッと揃える。

 

その時だった。陽炎が不意に、少し周りを気にする素振りを見せた後。卯月の名を呼び、耳打ちするように呟く。

 

「今日って、不知火達は仕事なの…?」

 

不知火?何故急に?そうは思いつつも、秘書艦の性で、スッと口から、情報を漏らす。

 

「あぁえっと…陽炎型は全員、今日はお休みっぴょん。陽炎は知らないだろうけど、彼女らも最近まで頑張ってたっぴょん」

 

近海警備。不知火達が務めていた仕事。やはり、この鎮守府において、人数が多い仲良し姉妹…ということもあり、重宝されていた。

 

因みに…不知火の要求により、全員が同じ仕事か休みかの、2択となっている。姉妹みんなで一緒に遊びたいかららしい。

 

……あぁそうか。言われてみれば、陽炎ら第1艦隊と、不知火らの休みが被るのは、1ヶ月弱ぐらい久し振りな気がする。

 

「そっか…ありがとう」

 

なので、詳しくは言及せず。話題を変え、仲睦まじく話しながら、同じテーブルに向かう。

 

第1艦隊の隣という、確実に空く席に座る。しかし今日は、珍しい来客が居た。夕張である。

 

「メロン、おはようっぴょん。昨日はグッスリ寝られたっぴょん?」

 

「うん!おかげさまでね!いやーやっぱり、夜更かしは身体に毒だねー!」

 

夕張も、今朝早くに執務室に行っており、報告は済ませてあるそうだ。どうやら顔色も、大分良くなったように見える。

 

「そりゃあ良かったぴょん」

 

……第1艦隊のメンバーが気を使ったのか。卯月の席は、陽炎の隣だった。

 

チラチラと横を見て、陽炎がパクパク食べてるのを確認し、胸を撫で下ろして、朝ご飯の定食を、口に放り込んでいく。

 

……食後、相変わらずのことだが、陽炎は颯爽と食堂を去る。仲間達も、呆れ顔で見届ける。

 

とは言え、残りのメンバーの、雑談が終わるはずもなく、必然と、話が進んでいく。

 

卯月達は、盗聴器の件もあり、割と気楽に構えていた。どうせ、卯月へのあの告白ぐらいの、些細なきっかけだろうと思っていた。

 

一方で、そんな彼女らを遠くから眺め、陽炎の退室を尻目に、不敵に微笑むその悪魔に、彼女らは気付いていなかった。

 

~~~

 

仲間達には悪いが、仕事をサボっていた間に、読み進めていたこの本を、サッサと読み終えてしまいたかった。

 

その一心で、陽炎は自室に慌てて戻り、机上のその本に手をかけながら、椅子に座った。

 

……駄洒落かよ。仲間に苦笑いされるのが怖くて、本のタイトルは告げてない。

 

しかし…こういう負の感情を書き溜めたような文学は、陽炎は割と気に入っていた。

 

因みにこれは、はるか昔に書かれた、平安時代のとある女流日記であり、面白いと話題の文学作品。それの現代語訳版である。

 

「ふーっ、あと1章よ!」

 

割と分厚かった。此処まで来るのにも、相当苦労した。今までのその道筋を思い浮かべつつ、最後の章に手を付ける。

 

……そんな陽炎の様子を、ドアの隙間から見ていた、桃色の髪などには、全く気付かずに。

 

その髪は、微笑みを浮かべ、直ぐに退散していく。良かった、何時もの陽炎だ…とでも、言いたげな感じで。

 

そして…凡そ2時間が経った頃だろうか。筆者(翻訳主)の後書きまで読み終え、本を閉じ、満足そうに息を吐く。物思いに耽る。

 

(はぁーっ…。良かったぁ…!)

 

流石に名作だ。そう思い、少し伸びをする。これも読み終わったし、次は何にしようか。

 

そんな時、ふと頭によぎる。昨日の飲み会で、翔鶴に言われたこと。

 

『読書も良いですが、たまには外の空気も吸わないと、身体に毒ですよ?』

 

言われてみれば、サボり中の時は、仕事どころか、部屋からもほぼ出ていない。此処は大人しく、翔鶴のアドバイスに則って…。

 

……陽炎に寒気が走る。危ない。すっかり忘れていた。卯月に教わったじゃないか。陽炎型は全員、今日は休みであると。

 

どうしようか。部屋の中を彷徨いつつ、懸命に考える。それを暫く続けると、ふと思い付く。

 

「そう言えば、あれ、どうなったんだろ?」

 

あれ…というのは、陽炎の隠れ家。妹達全員の『遊び相手』をしたところ。そう言えば、あの日以来、全く訪れていない。

 

……陽炎は真面目だった。確かにあの日、妹らは菓子袋を撒き散らかしていた。とは言え…掃除にしに行こうとは、普通は思わない。

 

危険な道筋に違いない。なのに陽炎は、見知らぬ誰かに掃除されるのは、癪であると思い、行動に移すことにしたのだ。

 

あの娘達は、後片付けをしていない。不知火がそう言っていた…という記憶を、頭の片隅にちゃんと、置いておいて良かった。

 

「あ、危ない危ない…!これ…遠征の時に、忘れてったのよね…」

 

外に出て直ぐに、忘れ物に気が付く。いつも身につけている、安全祈願の御守りだ。

 

あの日は、色々と考え事をしながらの外出だった。恐らくそれが原因だ。そう信じる陽炎は、今回は忘れずに、ポケットに突っ込んだ。

 

……いつもより少し。その御守りの形が歪な事に、陽炎は全く、気付いていないようだ。

 

~~~

 

第1艦隊に所属が決まった際、仲間らは陽炎を歓迎した。しかし…それ以外には、異能力を理由に、批判する者も多かった。

 

卯月に励まされ、陽炎はそいつらに、圧倒的な力を見せつけ、支持を得たのだが。陽炎はそれを、直ぐに良しとしなかった。

 

力でねじ伏せる、暴力政治のような気がして。

 

だから彼女は、皆に好かれる為、自分にルールを課し、それを律儀に、今も守っている。

 

『お仕事中以外は、透明になれる自分の異能力を、原則封印する』

 

……卯月にも言われた。陽炎の異能力は、悪用しようと思えば、し放題であると。だから…評判が上がりにくいのだと。

 

要するに…陽炎は、周りの視線を気にして、透明にならないのだ。文字面だけだと、とても違和感があるが、これで合っている。

 

その為、透明になれば気にせずに良いものを、倉庫に行く時も、妹らと鉢合わせにならないよう、気を配りながらだった。

 

「ふーっ、何とかなったわ」

 

中から音はしない。それを確認し、ゆっくりとドアを開ける。そして…そこで見た光景に、思わず驚いてしまう。

 

……ゴミが何1つない。それどころか、ピカピカに清掃されていたのだ。光り輝く…とまでは言わずとも、清潔さが感じられた。

 

暫く周りを見渡した後、陽炎は倉庫内の、ある場所に向かった。あの時、自分が追いやられた、壁際の部分である。

 

「な、ない…!綺麗になってる…!」

 

そこには、てっきり残っていると思っていた、跡やら傷やらが、全て綺麗に消えていた。

 

妹らに掛けられた、赤インクも、水も、泥も。自分が口から吐き出した、山葵や辛子も、虫の死骸も、生ゴミも。

 

撒き散らかした、自分の髪も、服の切れ端も、血も涙も嗚咽も、全てが消えていた。

 

(いったい誰が…?)

 

ともあれ、掃除しないと…という心配は、杞憂に終わった。それを良しとし、サッサと部屋に戻ろうとして、隠れ家を後にしようとした。

 

……ドアノブに手を掛けた時だった。不意に後ろから襟を捕まれ、両手に手錠を嵌められ、押さえ込まれてしまう。

 

「何帰ろうとしてはるん?」

 

突然のことで、軽いパニックになるも。耳元で囁かれた、あの耳に残る口調と声で、陽炎は全てを察し、抵抗を試みる。

 

「ダメですよ。折角来たんですから。ゆっくりしてってください」

 

手錠を嵌められた時点で、分かってはいたが、やはり親潮も居たようで、陽炎は…全力で抵抗しながら、周りに視線を泳がせる。

 

その時、倉庫の端の方に、空き段ボールの山を見つける。そうか…彼処に隠れていたのか。そう思いつつ、抵抗を続ける。

 

しかし、両手が使えない以上。何か出来るはずもなく。そのまま陽炎は、綺麗になったあの壁に、投げつけられてしまう。

 

「あぐっ…!」

 

ガンと音が立つ。後頭部をぶつけたのだが、自分でさすることも出来ず、ジンジンとする痛みに、黙って耐えるしかない。

 

そして…その音を聞いたのだろう。入り口の扉が開き、仲間が入ってきたのだ。黒潮の。

 

「おぉ…始まっとったか…!」

 

「遅れたわ、ごめんなさいね」

 

……珍しい。陽炎はそう思った。何せ、浦風と初風が一緒なんて、早々見ないからだ。

 

だがそれ以上に、初風が手にしていた物に、目を奪われていた。それは、黒潮らも同様だ。

 

「初風、それは一体…」

 

「あ、これ?雪風がくれたのよ。買ったは良いけど、料理に使わないから~って」

 

……わざとだ。そうに決まってる。じゃないと、普通はデスソースなんて買わない。最初から、初風に渡すつもりだった。

 

絶対にそうだ。初風は無類の薬味好き(嘘は言っていない)だし、そもそも未開封じゃないか。そう思い、陽炎は目を逸らす。

 

そして…仲睦まじい感じに、陽炎の元に近づく。浦風は嬉しそうにし、初風は真顔のままだ。そして…デスソースの封が空けられる。

 

「うーわぁ…すっごい臭いじゃ」

 

「それで、これをどうするん?」

 

「え、決まってるでしょ?」

 

そう言い、陽炎の方を向き、不敵に微笑む。それを見た親潮は、陽炎を少し起こして、後ろに回り込み、顔に手を這わせる。

 

……今から何をされるか。想像に難くない。陽炎は首を横に振って、全力で抵抗しようとする。何か出来るわけでもないのに。

 

「陽炎さん…はい、あーーん」

 

次の瞬間、陽炎の顔を固定し、指で無理やり、口を開けさせた。その一瞬だった。

 

~~~

 

ふらついた足取りで、入渠場へ向かう。口内以外の粘膜は避けたが、皮膚に付いただけで、少しヒリヒリしていたから。

 

……目には入っていない。なのに開けているのが辛い。薄眼になりつつ、建物に入る。水道の位置は、目を開けずとも分かっていた。

 

勢いよく水を出す。そして顔をパシャパシャ洗い、口をゆすぎ、うがいをする。その際に、気管が痛んでいる感覚に襲われる。

 

そして、一息つくと。初風が置いていった、デスソースのラベルを、ゴミ箱に放り込み、自分が映る鏡を眺める。

 

「……あっ!」

 

親潮に顎を押さえられたから、全て飲み込んだのだが、どうやら最後に咳き込んだ時に、数滴が服に飛んでいたらしい。

 

毒々しい色が付いていた。溜息をつき、ドライヤーとタオルを用意した後、服を脱がないまま、それを水道でパチャパチャ洗う。

 

(もう…目立つのに…!)

 

タオルでポンポンと叩く。少しはマシになるが、見て分かるぐらいには、色が残る。

 

半ば諦め、ドライヤーのスイッチを入れる。濡れた服が肌にピッタリして、少し気持ち悪い。

 

……一々明記する必要は無いだろうが。念の為に言っておく。ドライヤーを起動すると、その轟音で周りの音が聞こえなくなる。

 

そう、例えば…忍び足の音などである。

 

突然のことだった。髪を引っ張られ、ドライヤーをゴトンと下に落としてしまう。

 

痛みに耐えながら、ドライヤーの行方を目で追う。そして…それのスイッチを消した、鮮やかな金髪を見て、陽炎は顔を青ざめた。

 

「ふふっ、良い風来てたわね?」

 

やっぱり。自分の髪を好き好んで引っ張るのは、天津風しかいないと思っていた。そして…目の前にいたのは舞風。ということは。

 

「やっと捕まえましたよ」

 

「やっほー!元気元気ぃ?」

 

予想通り、野分と時津風も居た。そして…野分は洗面器を握っており、もうメンバーと場所だけで、何をされるかは予測出来ていた。

 

……面白みを求めるのは間違っている。それは分かっている。だが…余りにも予想通りすぎて、少し興醒めというか、何というか。

 

ただ、1つだけ思ったことがある。慣れというのは怖いなぁということだ。

 

先日、妹達全員の相手をしたからか、たかが4人だと思ってしまう。その4人でも…死にそうになるほどの目に合うのだが。

 

~~~

 

その後も、残りの妹達全員から、いつもの流れを喰らっていた。

 

……何を思ったか。途中で夕張の工房にも寄った。服が汚れまくっていたから、透明になった状態ではあった。

 

当然ながら…そこに居ただけで、助けを求めたとか、そんなことは全くなく、ただただ虚ろな目で眺めるだけだった。

 

そして、陽炎もバカでは無いから、もう全てを察していた。恐らく…自分が全員と遭遇するよう、行動を制御されていたのだろうと。

 

それを、誰かがアイツらに吹き込み、行動に移させたと。そして…そんなことをしようとする人物。それが出来る人物。

 

……心当たりしか無かった。

 

(ホント、何を企んでんのよ…)

 

もう日は落ちており、改めて入渠場に向かっていた。舞風から喰らった泥も、シャワーで少し落としたが、色は残っていたから。

 

……陽炎の頭に。さっきまで言われ続けた言葉が、ぐわんぐわんと反響する。

 

半月分の鬱憤。妹らは口を揃えてそう言った。どういう意味かは、説明するまでも無い。

 

(ほら見なさい…私が悪いのよ…!)

 

部屋に閉じこもっていたから。復帰して直ぐに遠征に行くから。帰ってまた別の遠征に行くから。だから妹達を怒らせた。

 

自分が悪い。そう何度も自分に言い聞かせ、ふらふらとした足取りで、入渠場に入る。

 

「ひっ…!?」

 

扉を開けた瞬間、陽炎は思わず、そう声を出してしまった。其処には、今まさに入渠しようと、服を脱ぐ不知火が居たからだ。

 

「……こんばんは。陽炎姉さん」

 

何事も無いかのように、平然と挨拶をする。陽炎はタジタジになるも、ゆっくりと中に入って、入り口の扉を閉めた。

 

「姉さん、安心してください。今、第1艦隊の皆さんが入渠していて、其処にいます」

 

不知火がそう言うもんだから。だが…彼女が嘘をついていないのは確かだ。脱衣所にある衣服を見れば、流石に分かるから。

 

そして…今回の不知火の目的は、実にシンプルで分かりやすいものだった。

 

「そういうわけですから…姉さん。不知火と一緒に、お風呂に入りましょう?」

 

成る程。もし自分が入渠場で、不知火に対して、余所余所しい感じに振る舞えば、卯月らに何か勘づかれるかもしれない。

 

虐待の件、第1艦隊の仲間にだけは知られたくない。陽炎がそう思っているのを知っているからこその、この作戦なのだろう。

 

……断れない。あの時の恐怖が頭をよぎるも、逃げられない。立ち向かわなければ。

 

「はぁ…ホント、何を企んでるのよ」

 

「企む…?不知火は貴女のことが大好きなだけですが」

 

サラッとそう言う。ダメだ、不知火と話していると調子が狂う。そう思い、苦い顔をする。

 

そして…先に卯月らと合流した、不知火の後を追うように、陽炎も服を脱いで、大事な仲間らの元へ向かうのだった。

 

~~~

 

あんなに気を配った入渠は初めてだ。不知火がやたら友好的に接してくるもんだから。

 

きっと卯月らの目には、仲良し姉妹として映っていただろう。裏で何があったかなんて、知る由も無いだろう。

 

そんな風なことを考えていたら、直ぐに眠気に襲われる。いつもより早いが、今日はもうさっさと、布団に入ってしまおう。

 

……だが。知る由もなかったのは、陽炎の方だった。陽炎が眠りについた後。数時間後に、部屋の入り口が開いたのだ。

 

現在時刻はフタサンマルマル。陽炎に限らず、鎮守府内のほぼ全てが眠りについていた。

 

「陽炎…。今まで何があったか、うーちゃん達に教えて欲しいぴょん」

 

小声でそう呟き、音を立てないように、そっと盗聴器を回収する。役目を終えたそいつは、満足そうに息を引き取っていた。

 

それをポケットに入れ、落とさないように手を添えながら、駆逐艦寮を後にして、約束通り夕張の工房に向かう。

 

……今日は曇り空だ。月も光の揺らぎも遮っている。不安を煽るかのように。

 

それでも懸命に走り、目的地に辿り着くと、音を立てないようにそっと、入り口の扉を開け、中に入った。

 

「よし、来たな。良くやったぞ卯月」

 

「ふっふーん、うーちゃんに任せりゃ~、ざっとこんなもんぴょん!」

 

とてもさっきまで、暗闇に怯えていたようには見えない。ともかく、回収してきたそれを取り出し、奥から出て来た夕張に渡す。

 

それを受け取り、工房の奥に向かう。後ろで卯月が、加賀と大和も交え、提督と情報交換を始めたのを、少し気にしつつ。

 

「よーし、頑張っちゃうぞー!」

 

きっと今日も徹夜になる。そう察していた夕張は、溜まっていた仕事を済ませた後、グッスリと眠っていた。お陰で絶好調だ。

 

読み取り用の機械にかけ、盗聴器に入っていた波形を模式化する。気になるところを見つけ、再生する。そして編集する。

 

それだけだ。それだけの筈だった。夕張自身もそうだと思っていた。

 

だが…ご存知の通り、その盗聴器に記録されていたのは、言うなれば、地獄の釜の底だ。

 

生半可な覚悟しかしていなかった夕張が、適応出来るはずがなく。顔を真っ青にし、手を震わせながら、それでも作業を続ける。

 

涙は流さずとも、遣る瀬無さが胸に拡がり、顔を歪めつつも手を止めなかった。

 

大きな波形は数回のみ記録されていた。よって20分程度で作業が終わり、夕張は記録を持って、仲間の元へ戻った。

 

「ゆ、夕張…?どうしたんだ?」

 

戻ってきた夕張を見て、不穏な空気を感じる。夕張は黙ったまま、記録を保存している機械に、音声出力装置を繋げる。

 

そして…準備を終えると、徐に振り向き、真剣な顔を浮かべて。

 

「皆さん、覚悟は良いですよね?」

 

と言うもんだから。少し飄々としていた卯月も、ピシッと気合を入れ、他の3人も似たような感じに、各々が覚悟を決めた。

 

「よし、夕張。電源を入れてくれ」

 

「……はい。分かりました」

 

 

 

そして…静かな倉庫の中に。隠されていた地獄の釜、その中身が、乱雑にばら撒かれた。攻撃的に。鋭利に。容赦なく。鈍く。ジンワリと。

 

陽炎の悲鳴。嗚咽。絶叫。普段は絶対に見せなかった、隠されていた、もう1つの顔。

 

それは…妹らに玩具にされ、虐待を受ける、ただの可哀想な、1人の被害者だった。

 

 

 

「何…これ…?」

 

あの卯月が、いつもの口調を忘れ、目を見開いて、膝から崩れ落ちていた。夕張が思わず、駆け寄ってしまうほどの、落ち込みようだった。

 

それを横目に見つつ。唇を強く結びながら、何とか正気を保っていた提督は。この記録から、色んなことを学んだ。

 

まず。彼女らは半月分の鬱憤と言った。ということは、少なくとも半月前に、同じ事をしていたと考えられる。

 

半月前…と言えば、陽炎が仕事をサボり始めた時期と、ピタリ一致する。

 

次に、陽炎型全員が関与しているのは間違いない。この音声だけでは、正直言って不知火がグレーゾーンだが…。

 

「クソッ…!不知火め…!そういうことかっぴょん…!あの野郎…!」

 

卯月の報告の件がある。妹らに関与するなと不知火が卯月に言ったらしいが。

 

たった今、卯月も気が付いた通り、これを隠蔽するための工作だったのだろう。よって、不知火も間違いなくクロだ。

 

だがそれよりも。偶然にも記録音声に、陽炎の想いが全て残されており、提督らはその悲痛な独り言に、耳を傾けた。

 

……夕張の工房に寄った時。第1艦隊が集結していた。漸く直った翔鶴の飛行甲板を、メンバー全員で受け取りに行ったのだ。

 

陽炎に仕掛けていた盗聴器に、その時の会話が全て残ってはいた。だが…当事者だった加賀らは、それを聞かずとも、内容を知っていた。

 

「さっきの事だもん、覚えてるよ。私が寝起きでさ、それを加賀さんに苦笑いされて…」

 

「えぇ…それで、夕張が遅れたのを謝って。翔鶴に飛行甲板を返して」

 

……木曾が問題発言をしてしまったのだ。

 

陽炎が休んだせいで、翔鶴が無理をし、飛行甲板が壊れてしまった。事実ではあるが、言わないという暗黙の了解をしていた。

 

最後まで言い切る前に、五十鈴が発言を遮った。だが…木曾が何を言おうとしていたか。その判断はつけた筈だ。

 

だからこそ。この言葉だったのだろう。

 

……仕事をすれば。妹らに嫌われる。仕事をサボれば。第1艦隊、卯月や提督に嫌われる。

 

どうしたら良かったのだろう。何処で間違えたのだろう。何でこうなったのだろう。

 

第1艦隊が退室し、夕張が奥に入った後の工房で、姿を消したまま、陽炎は口にしていたのだ。消え入るほど小さなSOSを。

 

……全ての音声が流れた後。痛いぐらいの沈黙が、場を襲う。卯月はまだ崩れ落ちたままで、残りも俯いているばかりだった。

 

そんな中、口を開いたのは提督だ。

 

「夕張、1つ良いか?」

 

「あ、は、はい!何でしょうか!?」

 

「……盗聴器。細工された可能性は?」

 

「あぁえっと…な、無かったです。なので、悔しいですけど。これが事実としか…」

 

「……そうか」

 

悲しそうな目をして、提督は卯月を眺める。これ以上無いぐらい、凹んでいる彼女を。

 

……卯月は。陽炎が妹らと仲良しなもんだと思っていた。さっきの入渠中の件もあり、その先入観が非常に強くなっていた。

 

真実を知り、全ての正解に辿り着く。

 

部屋に閉じ篭ってばかりだったのは、妹らを避けるため。よく執務室や夕張の工房に来たのも、妹らを避けるため。

 

彼女の行動原理、それについて疑問に思っていたこと。その全てが「妹を避けるため」で説明出来てしまうことに、気付いてしまった。

 

「何で…どうして…!」

 

もしかしたら、自分の勝手だったのかもしれない。だが…裏切られたような気がして、涙を流さずとも、絶望に顔を染めていた。

 

それを見た提督は。少し悩んだ後、陽炎の為に。卯月の為に。前例のない一代決心をする。

 

「うん、決めた。陽炎を移籍させよう。もうこの鎮守府には置いておけない」

 

……本音を言うと。此処には陽炎の親友が集っている。だから、盗聴器の件みたいに、反論が飛んでくるものだと思っていた。

 

だが、反発は無かった。陽炎の損失は、鎮守府にとって大損害だし、それを分かってはいるが、誰も提督に歯向かわなかった。

 

この結果に驚きつつも、分かってくれたことに、思わず微笑んでしまう。

 

「悔しいですが、それが最善ですね。あの娘達への制裁は、陽炎を逃した後にしましょう」

 

諦めたかのように、そう呟く。隣にいた大和も、賛成してウンウンと頷いた。そして…夕張も2人に同調する。

 

それを見た卯月は、此処で漸く立ち上がり、膝とスカートを少し手で払った後。周りを見渡しつつ、軽い準備運動を始めた。

 

「……陽炎は幸せ者っぴょん」

 

不意にそう漏らす。疑問を浮かべた提督らの顔を眺め、言葉を続ける。

 

「身内はクソでも、仕事で良い仲間に恵まれたから…ぴょん」

 

……提督がフッと笑う声だけが残る。卯月の頭に手を置き、各々に司令を下す。全員がそれを了承すると、その場は解散になった。

 

~~~

 

『鎮守府の利益より、仲間の無事』

 

この任務における、合言葉。提唱者は加賀だ。そして…その加賀と大和は、深夜の食堂に入り、食材を漁っていた。

 

提督曰く、予め陽炎を引き取ってくれそうな鎮守府を探っていたらしい。そして…良いところが見つかっていた。

 

奇遇にも、その鎮守府の提督は、彼と初等学校の同級生らしく、面識もある。陽炎のような異能力者も、一定数居るそうだ。

 

……そこまでの道のりも判明している。だが、提督が使う用の難しい地図しか無く、執務室で卯月が、簡潔にまとめている。

 

また当然ながら、道中は海路になる。距離もある。だからこうやって、彼女に持たせる用の食料を、2人で探しているわけだ。

 

その最中だった。不意に加賀が、大和に進捗を尋ねようとして、大和の名を呼んだ時。

 

返事が無かったから、不思議に思って、大和の元へ駆け寄ったのだが。声を出さずとも、少なからず驚いてしまった。

 

……ポロポロ泣いていたのだ。加賀の顔を見て、謝罪を口にしながら、腕で涙を拭いて、作業に戻ろうとするも、加賀が引き止める。

 

「大和さん…。どうしたんですか?」

 

……暫く黙った後。大和はまた、少し涙を浮かべつつ、加賀に少ししがみつく。

 

「わ、私…く、悔しいん…です…!ずっと…ずっと一緒だったのに…!グスッ…」

 

要約すると。ずっと一緒に仕事をしていたのに、先輩風も吹かせていたのに、陽炎があんな目に遭っていたのに気付けなくて。

 

自分が惨めで仕方ない。仲間として情けない。そういう意味での、悔し涙だそうだ。

 

これを聞いて、大和の背中をポンポン叩き、泣かないよう指示する。割と冷たい感じに。

 

「え、あ、ご、ごめんなさい…!」

 

思わず飛び退き、頰を伝っていたのを腕で拭い、少し怒ったような顔をする加賀を、不安そうな顔で様子見をする。

 

「……泣いてる暇があるなら。腕を動かしてください。鎮守府の利益より、仲間の無事です」

 

こんな状況でも、何時も通り過ぎる。やはり加賀さんは強いなぁと感心して、言われた通りにしようとした、その時だった。

 

「それに…」

 

加賀の声が聞こえ、もう一度振り返る。表情は見えなかったが、拳を強く握ったのは確認でき、少し驚く。

 

「その理由で泣きたいのは、貴女だけではありません。大和さんばかり、やめてください」

 

……声色は変わらない。だが、何かしらの感情がこもっていたのは間違いない。

 

この時、大和は改めて思い知った。彼女の強さと、底なしの優しさと、一定の自尊心を。

 

「は、はい!」

 

感服した。完敗だ。彼女には勝てる気がしない。それに気付いてからは、お互いに黙ったまま、作業に取り掛かるのだった。

 

 

 

1人、工房に残った夕張は。いつもの溶接マスクを付け、作業に取り掛かっていた。

 

移動距離が長い上に、道中の危険度がサッパリ分からない以上、陽炎が使用する装備の重要性は計り知れず、彼女の責任は重大だ。

 

分かっている。だが…夕張は明らかに、集中力が切れていた。それは単に眠たいからとか、そういうわけではない。

 

(陽炎ちゃん…!どうして…!)

 

今までの思い出が、頭によぎっていた。色んな話をしたり、茶を囲んだり、仕事を手伝ってくれたり、様々なことがあった。

 

確かに…言われてみれば、最近はあまり見なかった。その代わり、陽炎の妹達が、よく手伝いに来てくれるようになった。

 

……今なら分かる。あの妹達は、陽炎が来るのを待ち伏せしていたのだと。ひっ捕らえて、あんな目に遭わせる為に。

 

悔しい。どうして気付けなかったのか。やっぱり…自分のことや、趣味の発明や仕事のことばかり、考えていたからなのか。

 

自分にとって陽炎とは、その程度の存在だったのか。そんな薄情な関係だったのか。結局は1人の駆逐艦としか、見ていなかったのか。

 

綺麗に浮き彫りにされてしまった。

 

……溶接マスクを付けていると。涙を拭くのに苦労する。非常に煩わしい。だが…泣いてる暇など無いのも分かっている。

 

陽炎の装備は、彼女のマメな性格も幸いし、割と綺麗に手入れされていた。後は自分が、細かい調整をするだけなのだが。

 

……1人物寂しげに。大袈裟に腕を振り下ろし、ガン!ガン!と金属を叩きつける、1枚の溶接マスクが、其処にはいた。

 

 

 

いくら此方が緊急事態とは言え、社交辞令として、文書は添えるべきだろう。

 

その為…執務室では、提督が懸命に筆を進めていた。隣では、卯月が地図を広げ、自由帳1ページぐらいの紙に、航路をまとめていた。

 

……提督も半泣きだった。提督としての自尊心がある彼でも、手を止めながらだった。

 

一方で卯月は、淡々と作業をこなしていた。それを見た提督は、思わず呼びかけてしまう。

 

「ったく…凄いね。よくもまぁ集中出来るよ。僕はもう涙が…」

 

……呼びかけても手を止めなかった卯月だが。この言葉を聞いて、思わず手を止めてしまう。

 

はーっと溜息をつき、ペンを机に置き、ゆっくりと提督の方を向くと。

 

「……司令官、うーちゃんはクソガキだから、泣きたい時に泣けないだけっぴょん。勘違いしないで欲しいっぴょん」

 

それだけ口にして、再び作業に戻る。提督も思わずニッコリし、それもそうかとだけ言って、文書の作成に戻るのだった。

 

親友としての自尊心に傷が付き、怒りと苦痛を滲ませる、卯月のことなどは気にせず。

 

~~~

 

準備が全て終わったのは、マルサンマルマルを過ぎた頃だった。

 

見送りが大人数だと、変に気を使うのに定評のある陽炎が、何かを察するかもしれない。

 

そう言った加賀と、眼を赤く腫らしていた大和は、後は任せたとだけ告げ、自室に戻り、眠りについたようだ。

 

そんな中、眠たい眼をこすり、卯月は陽炎の元にいた。グッスリ眠っていた彼女を起こすのは、少なからず抵抗があるが。

 

もたもたしていると、不知火らに見つかるかもしれない。そう思い、罪悪感を押さえ込んで、陽炎を少し乱暴に揺さぶった。

 

「う、うーちゃん…?」

 

「……おはようっぴょん。急で悪いんだけど、緊急の出撃命令っぴょん。マルヨンマルマルまでに、準備をして船渠まで来るっぴょん」

 

緊急の出撃命令。そう聞いてカッと目を見開く。時計を見ると、集合時刻まで後30分ぐらいなのが分かる。

 

「先に行ってるぴょん。あ、装備は船渠に用意してあるっぴょん」

 

着替える陽炎にそう告げ、卯月は部屋を出て、先に集合場所に向かった。

 

まだ朝日すら出ておらず、外は真っ暗だったが、何となく…次の日の出は、笑顔で迎えられそうな気がしていた。

 

……30分後。

 

少し慌てた様子で、陽炎がやって来る。そして彼女は、とても驚いた表情を見せた。

 

「し、司令官に夕張さん…?どうして?」

 

「あぁうん、今回の任務は特殊でね。何としても直接伝えないといけないんだよ」

 

「私は付き添いだよー」

 

へへっと笑うも、陽炎は気付いてしまう。夕張も提督も、親友の卯月でさえも、少し寂しそうな顔をしていると。

 

だが、変に質問する時間も無いだろう。そう思い、提督の司令に耳を傾ける。

 

「陽炎、急で悪いんだが。君には今から、ある鎮守府の手伝いをしてもらう。じゃあ卯月」

 

卯月が陽炎に、1枚の紙を渡す。それは卯月が、真心込めて描いた、目的地までの地図だ。

 

下の方に小さく、移動時間は『凡そ14時間』であると記されていた。

 

「少し遠い道筋になるが、頼まれてくれ。君をご指名でね」

 

「は、はぁ…分かりましたけど…。えっと、何日間でしょうか?」

 

「……向こうの裁量かな。まぁそんなに長期間じゃないし、僕が帰投命令を入れるから」

 

横に居た卯月らは分かっている。提督は帰投命令を、絶対に入れないと。だが…それを悟られないように、平然を装って立つ。

 

そして、夕張が装備を渡す。何というか…プロの技が篭ったような、そんな風に感じる輝きようで、少し恐れ多さを感じる。

 

「あ、これ。移動中の携帯食ね。加賀さんと大和さんが用意したんだよ?」

 

「えっ、そ、そうなんですか!?」

 

「……本当っぴょん。陽炎に宜しく、頑張ってって言ってたっぴょん」

 

陽炎は思わず、笑みをこぼす。それにつられるように、3人も笑みをこぼす。そして陽炎は、海面に立って準備運動を始める。

 

「陽炎。向こうでの仕事内容は、向こうの提督の命令を聞くようにね。頑張っといで」

 

そう言い、向こうの提督に渡す用の文書を持たせ。頭をポンポンと優しく叩く。

 

「応援してるっぴょん。帰ってきたら、また一緒に花見しようっぴょん」

 

「あ、お土産も宜しくね!」

 

……妙だ。何というか、物凄く壮大な見送りを受けている気がする。そんな疑問符は残っている。だが、もう予定時刻は過ぎていた。

 

「はい!行ってきます!」

 

陽炎は3人にそう挨拶をして、長い海路を進み始める。日の出はまだだが、明るい未来は見えている気がしていた。

 

……数分後。完璧に姿が見えなくなって。不意に卯月が口を開く。

 

「さて、司令官。言いたいことがあるっぴょん」

 

「……なんだ?」

 

そう、卯月と提督は長い付き合いだ。卯月は提督のことを良く分かっていた。今かなり無茶しているのも。限界が来ているのも。

 

「……お疲れ様。司令官は頑張ったっぴょん」

 

卯月のその一言が引き金になり。提督は唇を強く噛み締めながら、声は出さずに滝のような涙を流す、男泣きをした。

 

「卯月…。これで…良かったん…だよな…?」

 

「さぁ?それは分かんないっぴょん。でも最善は尽くしたし、きっと良い結果になるっぴょん。気楽にするっぴょん」

 

あははと笑う。人の涙を見て笑える辺り、やはり卯月は卯月だなぁと思いつつ、頰をバシバシ叩き、覚悟を決める。

 

「さて、メロン。もらい泣きしてるところ悪いけど、まだやってもらう事があるっぴょん」

 

「えっ、あ、そ、そうだよね!ごめん…」

 

そう…これで終わりでない。陽炎の無事は祈るだけになったが、まだやる事は山積みだ。

 

とは言え…機転の回る卯月の発案があり、それを実行に移すだけの、簡単なお仕事だ。夕張もそれは知っていた。

 

「よしっ、落ち着いたぞ!さぁ…最終決戦と行こうじゃないか!」

 

「……変な気合の入れ方すんなっぴょん」

 

「な、なんだと!」

 

涙を大雑把に拭き、大きく背伸びをする。朗らかさが溢れるこの場で。

 

そして…各々が歩みを進めた。この悲劇を全て終わらせる為に。覚悟を決めた足取りで。

 

 

 

 

 

マルロクマルマル、総員起こしがかかったため、寮から艦娘達が顔を出し始めていた。

 

陽炎を見送った後、夕張と暗躍して様々なことを済ませ、満足気にその時を迎える。

 

提督への報告を済ませ、眠たい目を擦り、卯月はメガホンを持って、食堂に向かう。

 

チラホラ人が居た。食堂全体が見渡せる位置に陣取り、出入りする人影を目で追っていく。

 

そんな中、卯月が見張りを始めて30分経ってからか、賑やかな声と共に、入り口が開き、奴等はズラッと中に入ってきた。

 

(来たな…っぴょん!)

 

そう、陽炎型駆逐艦達である。今日も仲睦まじく会話を弾ませていた。

 

……もう騙されない。陽炎と食卓を囲まない理由について、話しかけても本にめり込んでいる…と言った不知火の言葉は、嘘であると。

 

そして、彼女らに唆されるかのように、一気に騒々しくなる。マルナナマルマルを回ると、更に盛り上がり、最高潮を迎える。

 

……英雄は遅れてやってくる。そんな感じに、バンと扉が開くと、一瞬だけ場がシンとする。

 

第1艦隊のメンバーだ。夕張も居る。どうやら手筈通りにいったようで、鎮守府のメンバー全員が、食堂に集合していた。

 

夕張は、卯月にアイコンタクトで合図を送ると、第1艦隊らを何時もの席に座らせ、自分も隣に座った。

 

それを目で追い、完了したのを確認すると。お行儀が悪いことに、食器の返却口近くの台に飛び乗り、腰掛けて足を組む。

 

「はーいみんな~!ちゅうも~く、ぴょん!」

 

その言葉を聞き、一気にシンとする。卯月のポーズに不快感を見せるものも居たが、気にせずにメガホンに手をかける。

 

「司令官からの、大事な命令っぴょん!1回しか言わないから、よ~く聞くっぴょん!」

 

大事な命令。この言葉を聞き、眼の色が変わる。何時ものような伝達方法を取らず、秘書艦の彼女に託すあたり、緊急事態なのだろう。

 

そして…卯月から淡々と説明がされる。唯一内容を知っていた夕張は、計画通りに事が進んで、内心ホッとしているようだ。

 

さて、命令の内容を簡潔にまとめよう。

 

……鎮守府の今後について、大事な話がある。その説明をするから、とある場所に集まること。

 

その場所とは、陽炎が隠れ家にしていたあの倉庫沿いの、人気のない広場であり、期限はマルキュウマルマルまでである。

 

ただし…その説明をする為に、必要な準備があるから、陽炎型駆逐艦だけは、その開始15分前までに、執務室に行って提督に会うこと。

 

以上の2点である。

 

質疑応答の場も設けたが、質問は1つも出なかった。卯月は台から降り、メガホンを片付けに、食堂から外に出る。

 

……ざわつく。今後についての大事な話とは何なのか。わざわざ卯月を遣うほどの一大事なのか。そんな不安が広がる。

 

それは第1艦隊も同じだった。特に…陽炎が居ないことに、明らかに焦っていた。

 

それでも食事は進む。卯月が退室してから、気が付くと1時間ぐらい経っており、ぼちぼち人影も無くなっていく中。

 

再び扉が開き、卯月が入ってきた。肩のコリ具合を気にしながら。そして…陽炎型が全員揃ったままなのを見つけると。

 

「いやぁー、ホンッと申し訳ないっぴょん!何せ司令官が、人数が多い方が良いって言うから~。ホンッとしょうがない奴っぴょん!」

 

ビックリするぐらい気さくな感じで、その輪に入っていった。それを見た夕張達3人が、驚いて言葉を失うほど。

 

だが…それが良かったのか、不快そうな顔は誰もしなかった。今日も元より休暇であったからか、機嫌が良かったようだ。

 

「まぁしゃあないわ~。かまへんで~」

 

手をパタパタと振る。そしてその後は、特に何も無く、彼女らは姉妹間の会話に戻っていった。卯月も夕張らと合流する。

 

 

 

聞き逃さなかった。会話に混ざろうとせず、妹らの様子を見ているだけだった不知火は。

 

去り際に、ボソッと呟かれた。不知火だけに聞こえるような声で。消え入りそうな声で。

 

思わずバッと振り向いてしまう。だが卯月の反応は無く、それが不知火に焦燥を与えた。

 

何故か分からない。だが…尋常じゃないぐらい嫌な予感がする。冷や汗が出る程に。

 

 

 

「あれあれ、不知火姉さん。どうかしたー?」

 

時津風に話しかけられ、ハッとなり、何も無いと言った後で、徐に席を立った。妹らの視線が不知火に釘付けになる。

 

「……ごめんなさい。急用を思い出しました。時間までには行きますので、先に執務室に行っておいてください」

 

そして…少し早足になりながら、不知火は食堂を出る。妹達は、少し不思議そうな顔はするも、直ぐに談笑に戻っていった。

 

「ふふっ、流石っぴょん」

 

それを満面の笑みで眺めていたのが、卯月だ。彼女もまた、不知火の後を追う。夕張達に「全て上手くいった」とだけ伝えて。

 

~~~

 

柄にも無く焦っている。自覚はしている。だが…落ち着くつもりも余裕もない。

 

血相を変えて寮に戻り、自分らが住まう部屋の1番奥…端っこまで走り切り、そのままの勢いで、ドアをバンと開ける。

 

きっと勘違いだろう。そんな希望を胸に抱きつつ。だが…それは綺麗に裏切られる。

 

(そんな…!嘘だ…嘘だ…!)

 

その部屋は、綺麗さっぱりまでとは言えないが、中にあったものが殆ど消えていた。

 

残っているものと言えば、備え付けの机ぐらい。その上に乗っかっていたはずの、多種多様な本達は全て消えていた。

 

中に入り、シャワールームの中や、机の中も探したが、陽炎の所持品らしきものは、何1つ残っていなかった。

 

……喪失感。自分の中で暴れているもの。それに抗える気もせず、不知火は部屋の真ん中で、膝をついて俯いてしまった。

 

(何で…!?どうして…!?)

 

信じられない。昨日の今日で何があった。訳が分からず、体は動かさずとも、軽いパニックに陥ってしまう。

 

それに拍車を掛けたのが、想定外の来客だ。自分とは違い、彼女はゆっくりと扉を開け、やれやれという様子で、中に入ってくる。

 

「お前はホント、驚くほど有能な奴っぴょん。だからきっと…此処に来るだろうって、うーちゃんも思ってたっぴょん」

 

卯月だ。特に変わった所のない、いつもの秘書艦さんだ。不知火とは違って。

 

暫くは不知火も、卯月の方を眺めるだけだったのだが、何を思ったが、不意に立ち上がり、卯月の方にゆっくりと近づくと。

 

胸ぐらを掴んだ。かなり乱暴に。

 

「ちょっ、な、何を…する…ぴょん…!」

 

つま先は床についているから、そこまで苦しいわけじゃない。それでも少し、呼吸に難が生まれているが。

 

「卯月、これは一体、どういう事ですか」

 

「……どういう事って、見ての通りっぴょん。陽炎がこの鎮守府を去った、それだけっぴょん」

 

何を今更。そう思っているのを、表情で巧みに伝える。それが益々、不知火の逆鱗に触れる。

 

ギューッという効果音を鳴らし、更に手に力を込める。怒りに染まった様子で。

 

「信じられません。姉さんは第1艦隊として、この鎮守府に著しく貢献をしていたはず」

 

「……分かってるっぴょん」

 

「あの人が抜けてしまって、第1艦隊をどうするつもりですか?後継に心当たりでも?まさか…貴女が入るつもりですか?」

 

怒りに染まっているとは言え、冷酷な口調に変わりはなく、追い詰めるように淡々と、卯月に疑問をぶつけていく。

 

一方で卯月は、言い返すのが面倒になっていた。卯月は元より第1艦隊に籍だけ置いているのだが、そう突っ込む気にもなれなかった。

 

だから不知火が満足して落ち着くまで、黙って彼女の言葉を受けようとしていた。

 

「それに。不知火達はあの人の妹です。なのにどうして、不知火達に何も言わずに、姉さんを追い出したのですか?」

 

……この言葉を口にされるまで。

 

我ながら、沸点が低過ぎると呆れる。それでも…此処で簡単に、カチンときてしまったのだから、今回はしょうがない。

 

自分の胸ぐらを掴むその手を、卯月は両手で握っていたのだが、その握っていた両手に力を込め、乱暴に引き剥がすと。

 

「黙れ、不知火」

 

何時もの口調を捨て、壁に手をついた不知火を、般若のような形相で睨みつける。

 

「……うーちゃんは。陽炎を親友だと思ってた!その親友を…陽炎をあんな目に遭わせておいて、何を今更…!白々しい…!」

 

あの卯月が。我を忘れて本気で怒っていた。これには流石の不知火でも、唖然とするしかなく、無言のまま彼女を眺めていた。

 

そして…ハッとなった卯月が、コホンと咳をした後、クルッと後ろを向き。

 

「……不知火。時間迄に執務室、忘れないようにっぴょん。それじゃ」

 

こう助言だけして、部屋を去っていった。

 

残された不知火はというと、部屋に訪れた静寂が、自身の喪失感を再び刺激し始め、それに耐えかねたのか。

 

(何で…!どうして…こんなことに…!)

 

またも部屋の中心にペタンと座り、両手で顔を隠し、大粒の涙を流しながら俯いた。

 

……不知火に悪気は無い。これは間違いない事実だ。妹達はどうか知らないが、不知火だけは間違いなく、他の妹達とは違った。

 

彼女はただただ、1人の女性として陽炎を愛していただけ。側にいて欲しいと願っただけ。

 

だから、不知火は泣いていた。何も出来ないまま、気付かぬまま、最愛の人を無理矢理、乱暴に引き剥がされたのだから。

 

……しかしだ。卯月も然り、今の不知火のこの涙に、同情してくれる者は、きっと誰1人として居ないだろう。

 

彼女が何をしたのかを知っていれば、尚更だ。そんな事にも気付かない不知火は、自分だけ悲劇に遭ったと思い込み、1人で泣くのだった。

 

~~~

 

マルハチヨンマルを過ぎ、現時点では何も知らない陽炎型達が、2人を除いて全員が集結していた。陽炎と不知火を除いて。

 

しかし…だ。提督が不在に言及したのは不知火のみで、陽炎については、話題にすらしなかった。当然の話ではあるが。

 

それは予定時刻になってもだ。だが…不意に扉が開き、中に駆逐艦が入ってくる。

 

「司令官!ちょっと良いっぴょん?」

 

だがそれは、不知火ではなく卯月だった。場にいた全員が、少し残念そうな顔をするも、提督が話を続けるよう指示する。

 

「実はもう既に、殆どが集まってくれてるっぴょん。まだ5分ぐらい早いけど、もう始めちゃって良いぴょん?」

 

成る程、確かにこんな事は今まで無かったし、焦らすような真似をしてしまったか。そう思いつつ、提督は快く了承した。

 

そして、了承されてウキウキ気分になった卯月が、部屋を出ようとした時だ。ヌッと後ろから、不知火が姿を見せたのだ。

 

……生気が消えていた。瞳を少し赤くし、肩を落とし、うな垂れていた。

 

だが…卯月と目が合うと、いつもの戦艦クラスのあの眼光で、真っ正面から睨みつけた。テメェだけは絶対に許さないという風に。

 

「おぉ、怖い怖い(笑)」

 

肝心の卯月は、これまた何時ものように軽く戯けた後で、手をヒラヒラとさせながら、執務室を後にしていった。

 

その背中を暫く見ていたのだが、直ぐに提督の方に向き直り、謝罪の言葉を口にした後、妹達の先頭に躍り出る。

 

「し、不知火さん…。どうしたんですか?眼が赤いように見えますけど…」

 

親潮か。そう思った不知火は、声のした方にゆっくりと振り向く。

 

だが…その後は何かを言うわけでもなく、視線だけの牽制を続ける。思わず、親潮が口を閉じてしまうような、鋭い牽制を。

 

……これを見た提督は。卯月を睨んだ件もあり、どうやら彼女は、一足先に真実に辿り着いたのだろうと、憶測を立てるのだった。

 

 

 

その頃。廃倉庫前の広場では、艦娘達がざわついていた。今からどんなことを告げられてしまうのだろうかと。

 

それは第1艦隊のメンバーも例外でない。特に…此処に来てから、加賀と大和の2人が、何も言葉を口にしないのが不安を煽る。

 

その上、相変わらず陽炎の姿もない。

 

「ったく…。何なのよ一体…」

 

五十鈴はイラつき、木曾は考え事をする様子を見せ、翔鶴はオロオロしている。

 

そして…遂にその時が来る。ワザとらしく胸を張り、ゆっくりと歩いて卯月が登場すると、仲間達の塊のど真ん中を突っ切る。

 

「あ、来た来た。準備は出来てるよー」

 

「うん。ありがとうっぴょん」

 

予め加賀と大和が運んでおいた段に登り、夕張が用意していたマイクとスピーカーのスイッチを入れてもらうと。

 

マイクテストを済ませ、音量調節を夕張に任せつつ、マイクに声を吹き込んで行く。

 

「さて、集まってくれてありがとうっぴょん。じゃあ早速だけど、本題に入るっぴょん」

 

付近に卯月の声が拡がる。

 

……無意識のうちに、第1艦隊のメンバーを探してしまう。彼女らは後ろの方で、加賀と大和を除き、不安そうな顔で此方を見ていた。

 

「急で悪いんだけど、まず、第1艦隊所属の駆逐艦…陽炎が、本日マルヨンマルマル付で、別鎮守府に移籍したことを報告するっぴょん」

 

……本当にサラッとだった。もったいぶったりはせず、アッサリとその事実を告げる。

 

そして卯月の予想通り、その場に困惑と動揺が広がる。そんな中、1人だけ声を上げた者がいた。木曾である。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!?そんなこと聞かされてないぞ!?」

 

木曾がこう言ったことで、更に動揺が広がる。当然だろう、当事者の第1艦隊すら知らない、本当に突然の移籍なのだから。

 

「……順に説明するっぴょん」

 

定型句とも呼べるその言葉を口にする。その顔は少し悲しそうで、流石の木曾でも、思わず黙り込んでしまった。

 

~~~

 

「卯月が不知火に言ったんです。お前らはもう終わりだと」

 

「成る程…。ったく卯月の奴は…」

 

事情は理解した。卯月が物凄く遠回しに、不知火だけに陽炎の移籍をバラしたらしい。

 

妹達が後ろで、心配そうに眺めているのも気にせず、手で机をバンバンと叩きながら、提督に抗議を進める。

 

……卯月に言ったあの内容と、全く同じ内容を。性懲りも無く。

 

極め付けのあの一言。それを口にした時、妹達から賛同の声が上がった。一方で提督は、苦虫を噛み潰したような顔を見せる。

 

「不知火、質問するけど。今の発言、卯月はどう受け止めてた?」

 

ついさっき、不知火が卯月にも抗議していたというのは、既に聞いていた。だからこそ、怒りを添えて不知火に質問する。

 

「……卯月は。何というか、よく分からないことを言っていました。陽炎は親友だとか何とか。既に知っていることを」

 

「そうか、ありがとう」

 

ぶっきらぼうに突っぱねる。卯月と長い付き合いである彼は、もう不知火の報告だけで、何があったかを大方察していた。

 

そして…彼もまた、軽い憎悪に煽られていた。私達は被害者ですと言わんばかりの彼女らに、明らかな敵意を抱いていた。

 

しかしだ。自分は上司で彼女らは部下。卯月の場合とは違う。ハーッと息を吐き、改めてしっかり椅子に座りなおす。

 

「取り敢えず、僕から確実に言えるのは1つ。卯月が言ったことが正しいってことだね」

 

……何時もなら。少し意地っ張りな事をしたなぁと罪悪感に襲われる所なのだが。

 

ポケットに手を入れ、予め持っていたあの盗聴器を取り出し、不知火達全員が、視界に捉えられる高さまで掲げると。

 

「……君達はもう。終わりだ」

 

確実な失意と憤りを胸に、スイッチを入れた。

 

 

 

「こ、こんなの認めへん!でっち上げや!」

 

最初にそう声をあげたのは、黒潮だった。それに続くように、不知火以外の妹達全員が、思い思いの反論の声を上げる。

 

片耳に指を突っ込み、五月蝿いなぁと言いたげな顔で、彼女らの言葉を聞き流す。

 

「あのねぇ、既に確認は取ってあるよ?これに細工された形跡は無かったって」

 

「せ、せやけどなぁ!」

 

一歩も引かずに突っかかる。それを見た不知火は、妹らの怒鳴り声を聞きながら、口をもごもごさせる。そして…黒潮の腕を掴むと。

 

「辞めなさい黒潮。落ち着いて。皆もよ」

 

そう言い、黒潮の腕を掴んだまま、徐に振り返る。相変わらずの鋭い眼光で。妹らを黙らせるのにもってこいのあの眼差しで。

 

……この時。不知火は少し、自棄になっていた。愛する人が遠くに消えてしまい、失意の底にいた成り行きだろう。

 

「皆は納得出来ないだろうけど。もう司令には、何を言っても無駄ですから」

 

「……流石だね。分かってるじゃないか」

 

耳から手を離し、前のめりになると、アイコンタクトを黒潮に送り、彼女を一歩引かせる。

 

「それで…司令。不知火達をどうするおつもりでしょうか。解体処分でしょうか」

 

「……それも考えたよ。でもね?1度に駆逐艦を10人以上解体なんてしたら、鎮守府としては大ダメージでね」

 

全国津々浦々に存在する、鎮守府の中で見ても、此処は割と発展している方だ。とは言え、飛びっきり裕福だというはずもなく。

 

特に…彼女らには「近海警備」という、殆ど専門職同然の職務に就いてもらっている。

 

付け加えるなら。陽炎型駆逐艦には、初風と雪風を始め、解体して終わりにするには惜しい逸材が、余りにも多過ぎる。

 

「で、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」

 

そう言い、ふーっと長い息を吐いた後、姿勢を変えて、少し真面目そうな顔をする。

 

「まず、君達全員に謹慎処分。加えて、黒潮・雪風・時津風・嵐の4名に関しては、装備没収処分も加えるつもりだよ」

 

……なるほど、そう来たか。確かにその4人は、妹達の中でも特に、陽炎お姉ちゃんと遊ぶのが大好きだった子達だ。

 

不知火は妙に納得したように、諦めたように、ゆっくりと頷いた。だが…1つだけ、素朴な疑問が頭に浮かぶ。

 

「司令、それはつまり…事実上の解体処分では無いでしょうか。謹慎処分というのは、不知火達の職務放棄に他ならないのでは」

 

況してや、装備没収ともなると、鎮守府においては、本当にただの役立たずとなる。不知火はそう思い、真っ直ぐに疑問をぶつける。

 

……罰を受けるのは確定事項として。

 

「大丈夫、謹慎中でも出来る仕事を、ちゃんと用意するから。そこは安心してほしい」

 

「そうですか」

 

取り敢えず、必要最低限の情報は得た。後は流れに任せよう。そんな空気を出す不知火。

 

だが、それを良しとしなかったのが、他でも無い、妹達だ。何で終わろうとしてるの、という感じに反論を再開したのだ。

 

もちろん…提督にとっても、これは想定内。だから彼は予め、艦娘達を卯月の元へ、あの広場へ集めておいたのだから。

 

勢いよく立ち上がり、ビクッとする彼女らを見渡して、助言をする。

 

「確かに君達の言う通り、この罰は前代未聞の重刑だ。僕1人では決めかねる程にね」

 

ゆっくりと机の前に躍り出る。不知火と黒潮から始まり、全員が数歩下がる。タジタジと。

 

「だから。卯月に頼んで、皆に意見を問うことにしたんだ。今頃あの広場では、投票が行われている筈だよ」

 

……妹達の眼の色が変わる。もうどうにでもなれと思っている、不知火ただ1人を除いて。

 

「取り敢えず、僕からの話は以上だよ。卯月には公平な選挙をお願いしているから、君達にも投票権はあるはず。急いで向かうように」

 

そう言ってクルッと振り向き、再び椅子に座る。それと同時に妹達は、黒潮を先頭に、部屋を慌てて出て行く。

 

最後、不知火は一礼をし、扉を丁寧に閉めた。そしてドタドタという足音が遠くへ向かい、執務室に静けさが戻る。

 

「ふーっ、これでやっと一息つける。後は卯月に任せて、僕は一足お先に~」

 

徐に立ち上がり、近くにあったポットのお茶を、ティーカップに注ぎ、優雅に飲む。

 

このポットの保温性が高いからか、注いだ茶から湯気が舞い上がっていた。揺ら揺らと。

 

「……陽炎。大丈夫かな?」

 

送り出してから、既に5時間が経っている。だがまだ折り返しにも来ていないだろう。少し心配そうにして、視線を落とす。

 

だが…心配したところで何にもならない。心配したせいで悪い方に進むかもしれない。そう思い、カップを1度置いて、大きく伸びをした。

 

「さて、書類をまとめちゃいますか!」

 

自分自身にそう言い聞かせ、満足したような顔をして、彼は職務に戻るのだった。卯月からの報告を待ちながら。

 

 

 

天気でいう曇天。そんな感じの空気が、その場に蔓延っていた。ピリッとして痛々しい沈黙が、各々の肌を刺激する。

 

そんな中、空で光り輝く月のような笑顔を見せ、全て終わらせて満足した卯月は、手に持っている箱を、縦に軽く振っていた。

 

「うん、ご協力ありがとうっぴょん!」

 

そう言い、夕張にも頭を下げて礼した後、解散を命じようと思って、もう1回登壇した。

 

丁度その時だった。執務室のある建物の方から、慌てて走ってくる影を見つけたのだ。

 

……ほくそ笑む。そしてマイクを握ると、いつもの腹立つ口ぶりで。

 

「はいはい皆さ~ん!此処でお待ちかねの~、メインゲストの方々がやって来たっぴょ~ん!皆で歓迎するっぴょ~ん!」

 

と、囃し立てるように言う。口ぶりだけでなく、顔も無性に怒りを煽るものだった。

 

思わず黒潮達は、足を止めてしまう。遅れてやって来た不知火は、やっぱりこうなるのかという風に、溜息をついた。

 

「ほら、そこ。早くコッチに来るっぴょん。不知火達には、うーちゃんの演説の、最後の仕上げをしてもらうっぴょん」

 

ニヤニヤと笑いながらそう言う。相変わらずの性格だなぁと、周りが少し引いているのも気にせず。

 

……不知火達に道を開ける。誰もが。彼女らを忌避するように。不快なほど綺麗に。

 

「さて、お前ら。司令官から説明は聞いてる筈っぴょん。さっさとするっぴょん」

 

そして卯月は、白い紙切れとペンを人数分取り出し、彼女らに渡す。

 

それを受け取った黒潮達は、一斉にペンを走らせ、卯月の足元にあった箱に放り込み、何も言わずに退散していく。

 

……最後。不知火だけが残る。一足先に遠くに行ってしまう妹らの方に、振り向くこともせず。彼女は手を止めていた。

 

これに驚いたのが卯月だ。てっきり彼女ら全員が、即決するものだと思っていたから。

 

しかし…何か言うわけでもなく、会話があるわけでもなく、不知火も紙に何かを書き、箱に放り込んで、黒潮らの後を追おうとする。

 

「おい、ちょっと待てよ」

 

だが、それは叶わない。不知火の前にヌッと現れたのは、明らかに御立腹の木曾だった。

 

……彼女が陽炎を可愛がっていたのは、不知火に限らず百も承知。割と予想出来た展開だ。

 

とは言え、鎮守府のほぼ全員が集まっているこの状況で、怒鳴り声や喧嘩は避けたい。そう思い、不知火はペコリと頭を下げる。

 

「……すいませんでした」

 

そう告げ、木曾からの言葉を受け取る前に、そそくさと退散する。卯月らの方に振り向くことは、1度として無かった。

 

「ちっ…。んだよアイツ…。謝って許されるわけねぇだろうがよ…」

 

腹立たしそうに呟き、頰をぽりぽり掻く。五十鈴や翔鶴も、何かを言おうとして…口をつぐむ、を繰り返していた。

 

その後、卯月の方から解散が命じられ、今日は全員休暇とすることも告げられ、その言葉通りに事が進むこととなった。

 

~~~

 

「反対票は16、それ以外は全員から賛成。よって可決っぴょん。司令官、良かったぴょん」

 

集計作業を終え、卯月はにこやかに笑っていた。期待通りの結果だったからだ。

 

因みに…16という数字が、現在この鎮守府にいる、陽炎型駆逐艦の人数と一致するというのは、言わずもがなだろう。

 

「そうか、それは何よりだ」

 

提督も思わずニッコリだ。これで心置きなく、行動に移せる。

 

……そんな会話をしたのが、今から2時間前。現在は昼下がりである。

 

「それで、何の御用でしょうか」

 

結果を伝える為、今後について話す為、2人は不知火を呼び出していた。とは言っても、もう不知火も分かっているようだが。

 

「決まってるだろう?結果報告だよ」

 

そう言い、提督は3枚セットの紙を取り出し、不知火に渡した。そこには1つの大きな表と文字が、ズラッと並べられていた。

 

……それを見て。不知火は全てを察した。

 

其処に書かれていたのが、『ゴミ出し』や『入渠場の清掃』などの、ありとあらゆる雑用業務の名称だったからだ。

 

「不知火、及びその妹達には、明日からそれらの仕事を任せるよ。役割や分担は自分達で決めて良いからさ。宜しくね」

 

「あぁそれと、黒潮らの武器没収は、もう済ませたっぴょん。それも伝えておいてくれると、うーちゃん助かるっぴょん」

 

もう…何も言うまい。自分達はあの罰を受ける事になったのだろう。分かっていたことだ。

 

紙を手で綺麗に払った後、丁寧に持ち直し、諦めたように退室しようと、後ろを振り向く。

 

……と。此処で卯月の悪い癖が出る。

 

「まぁ、当然の結果っぴょん。自業自得だと思って、さっさと匙を投げるっぴょん」

 

などと。余計なことを口にしてしまう。これには思わず、提督も苦い顔をする。

 

……流石の不知火も。歯をギリッと鳴らし、腕を震わせ、拳をギュッと握る。

 

自分らに内緒で、勝手にあの人を追い出して、偉そうに。そんな感情が、不知火の中を駆け回り、体の温度を上げた。

 

「司令。それと卯月」

 

悔しそうに。心から悔しそうに。顔だけ2人の方に向け、あの鋭い眼光を見せ。

 

「不知火は…いや不知火達は、何があっても絶対に、あなた達を一生恨み続けます。死ぬまで絶対に許しません。絶対に」

 

そう言った。そして…部屋を出ようと、ドアノブに手をかけ、扉を開けた時。

 

「不知火。一言良いか?」

 

提督に呼び止められる。だが不知火は、振り向くことはせず。体を動かすこともせず、ピタッと止まるだけだった。

 

それでも、耳は傾けてくれているようだ。そう思い、提督は宣言通り、一言だけ口にする。

 

 

 

「……今回は、君の落ち度だよ」

 

 

 

不知火からの返事は無かった。退室時の失礼しますも無かった。

 

それでも…彼女の漂わせる悲壮感だけは、何故か提督の良心を、少しだけチクチクと突っつくのだった。

 

~~~

 

完全なる夜だった。持っていた時計を見ると、そろそろフタマルマルマルになると、秒針の音で示唆してくれていた。

 

予定より2時間の遅れ。理由はハッキリしている。道中での戦闘だ。

 

「はぁ…つっかれたぁ…!」

 

そんな姫級とかに遭ったとかそういう訳ではないが、あんなに戦闘回数があったのだから、当然の遅延だと思うことにする。

 

何であれ、無事に辿り着けて良かった。そう思い、海面上のオブジェにもたれかかる。

 

暗くて良く見えないが、恐らく深海棲艦の張りぼてだろう。端っこが欠けているから、出撃の特訓用だろうか。やたらと年季を感じる。

 

「さて…ウカウカなんてしてられないわ。早く着任の報告をしなきゃ…」

 

ザッと見積もって25m強だろう。大丈夫。そう自分を奮い立たせ、最後の力を振り絞る。

 

……自分でもビックリする程。ボロボロになってしまった。索敵が得意な奴と遭遇しまくったのが、運の尽きだったのだろう。

 

移動食はまだ少し余裕があるが、弾薬関連はほぼ空っぽになっており、自身の被害は小破だが、中破目前の所であった。

 

「あれ、人影が…。あれは確か…」

 

ようやく、半日ぶりに地に足をつけたのもつかの間、陽炎はその人影と接触を試みた。

 

この2人は、同じ姿のが前の鎮守府にも居たから、名前は知っていた。仲良く一緒に歩くイメージはサッパリ無かったが。

 

「おや…?見慣れない駆逐艦が…」

 

「ぴゃ!本当だ!どうしたんだろう?」

 

……鳳翔の料理をたらふく頂き、満足そうに帰路についていた、鳥海と酒匂だ。彼女らは陽炎を見つけると、心配そうに駆け寄った。

 

「これは…小破していますね。入渠場に連れて行きましょうか?」

 

「あ、ま、待ってください!そ、その前にですね、えっと、し、執務室の場所を…」

 

あわあわしながら、2人にそう告げる。すると2人は、お互いの顔を見合わせた後、陽炎に執務室の場所を教える。

 

その時だった。

 

「おっ、鳥海さんと酒匂じゃん!ちーっす!」

 

伊勢や日向と女子トークを嗜んできた、鈴谷が帰って来たのだ。これは良いタイミングだと感じた2人は、彼女に陽炎の案内役を託す。

 

鈴谷は「うぇっ面倒くさっ」みたいな顔はするも、了承はして、陽炎の手を引っ張り、執務室に向かって歩みを進める。

 

 

 

「なるほどー、そりゃあ大変だったね」

 

執務室に向かう途中、自分が小破になった経緯を説明する。鈴谷はフンフンという感じで、話を聞きながら相槌を打っていた。

 

「おっ、ここここ。まぁ…時間的に2人とも居るっしょ。んじゃあおっ邪魔しま~す」

 

そう言い、ノックもせずに扉を開ける。すると中では、金剛が提督の腕に抱きつき、何やら猫撫で声を出していた。

 

「お~っと…!お取り込み中ごめんね!」

 

「す、すすす、鈴谷さん!?」

 

「おまっ…おい鈴谷!執務室に入る時は、ノックしろってあれほど…ん?そいつは?」

 

少し反応が遅れた。金剛はパッと提督から離れ、顔を耳まで真っ赤に染めた。

 

提督は呆れ顔を見せていたのだが、鈴谷の背後に隠れていたその駆逐艦を見つけ、直ぐに真面目な顔に戻る。

 

「お客様かなぁ。んじゃ、ばいば~い」

 

……いつも通りに自由な鈴谷。陽炎を部屋に放り込むと、手をブンブン振って、乱暴に扉を閉めて帰っていった。

 

「ったくアイツは…。まぁ良いや。取り敢えず、良く来たな。お疲れ様」

 

客人なのは間違いない。だが…小破しているということは、海路を通って来たのだろう。

 

……少し嫌な予感がする。提督間の暗黙の了解で、艦娘の送り届け先へは、陸路で送るのが礼儀という風習があるのだ。

 

海路の場合、今回のように、小破したりするから。現代でいう…誕生日プレゼントを着払いで送りつける感じになってしまう。

 

とは言え、艦娘にとって陸路は慣れないもの。仕方なく海路で移動させることも多々ある。

 

「は、はい!え、えっと…。今日からこちらの鎮守府で、お手伝いをさせて頂くことになると、司令官から伺っているのですが…」

 

「……はい?」

 

そんなの知らねぇよ。頼んだ覚えもない。金剛の方を向くも、彼女も知らないようだ。

 

……というのに、陽炎も気付いたようで。訳がわからず狼狽えるが。ふとあの文書の存在を思い出し、持ち物の中から取り出す。

 

「あ、あの!こ、これ…。文書です!」

 

「おっ、そ、そうか。そりゃどうも」

 

良かった。これすら無かったら、流石にブチ切れていた所だ。そう思いつつ、金剛が見ている横で、その文書を開封する。

 

「あ、金剛。この陽炎にお茶。それと、白露に召集をかけてくれ」

 

「え?あ、は、はい!」

 

……陽炎?一瞬だけ思考停止したが、あぁ目の前にいる彼女かと直ぐに思い出し。椅子に座らせた後、金剛はポットに手をかける。

 

その陽炎は。慣れない環境でソワソワしていた。周りを見渡しても、どの鎮守府にもあるような、そんな掲示物しか無い。

 

「はぁ…成る程ね。りょーかい」

 

納得したように、その文書を机上に置く。陽炎に覗かれないように気を付けて。

 

気になった金剛も、横からチラッと中を見たのだが、その一瞬だけでも、良く分かった。

 

……字が雑過ぎる。文量が少な過ぎる。

 

「て、提督…これってつまり…」

 

「あぁ。そういう事だろうな」

 

このタイプは初めてじゃない。伊58の時もほぼ同じ事があったから。

 

恐らく…何か問題が起きて、急に陽炎を逃がさないといけなくなり、彼女が異能力持ちなのを受けて、此処に送ったという事だろう。

 

そして、陽炎の発言から察するに、前鎮守府の提督は嘘を吐いている。これが充分な裏付けになると言えるだろう。

 

……数少ない文の中でも、誤字脱字が目立つ。それでも、何を伝えたいかは良く分かった。

 

「しっかしまぁ…姿を消せる能力ねぇ」

 

ボソッとそう呟く。当然だが、陽炎が反応する。さっきまで目が泳いでいたのだが、この発言で提督の方に固定された。

 

「あ、あの…そ、そうなんです…」

 

「うん、良いな。あ、それと…そんな緊張しなくても大丈夫だぞ?此処じゃ異能力者なんて珍しくねぇし。な、金剛?」

 

「あ、は、はい!わ、わた…私も…、その…す、すーぴり…おりてぃー…で、ですから…!」

 

「……えっ?」

 

何というか、立て続けに気になる言葉を口にされた気がする。目をまん丸にして、陽炎は驚きの表情を見せた。

 

「ん、あ、そっか。そうだよな。じゃあ陽炎、この鎮守府についての説明をするぞ?」

 

普通なら、この鎮守府に送られてくる艦娘らは、この鎮守府の特異性を、少なからず知っているものなのだ。

 

だが…彼女は、経緯を考えても、例に当てはまらないはず。そのため提督は、基礎中の基礎から、全てを陽炎に教える。

 

この鎮守府では、異能力者を優越(スーピリオリティー)と呼ぶ事から、提督の今の研究内容に至るまで、大事なこと全て。

 

「まぁつまりだ。『優越になるメカニズム』『異能力を活かせる装備』『優越が普通の艦娘と上手くやる為に提督が出来ること』の3つだな」

 

「へ、へぇ~」

 

「でだ、別鎮守府に俺の親友がいるんだが、装備はそいつ、メカニズムは2人で研究してて、俺の専門は最後の奴だ」

 

何というか…今まで暮らしていた環境なら、考えたこともない話ばかりだ。ただただ目からウロコという感じだ。

 

開いた口が塞がらないし、気が付けば緊張も殆ど解けていた。

 

「だから…安心すると良い。この金剛も優越だし、背後にいる其奴も優越だ」

 

「えぇっ!?」

 

「……あ。本気で気付いて無かったのね?」

 

驚いた。知らないうちに、すぐ後ろに人が立っていたのだ。どうやら話の途中から、自分と一緒に静聴していたらしい。

 

思わず立ち上がってしまう。いきなりで驚くも、その彼女は笑顔を見せてくれた。

 

「そいつは白露。近くの森で1人彷徨ってたのを、金剛が保護した奴でな。今は駆逐艦達のリーダーをやらせてる」

 

「うん、そういうわけだから。まぁ宜しくね。で、貴方の名前は?」

 

「あ、えっと…か、陽炎…です」

 

……陽炎。その名を聞いた時。白露の瞳に光が灯った。彼女らと少し距離をとっていた、金剛や提督でも分かるほど。

 

そう、陽炎と言えば。実は白露が、前から仲間にしたいと思っていた駆逐艦で。況してや…自分と同じ優越という。

 

嬉しさしかない。喜びのあまり、思い切り陽炎の手を強く握って、ブンブン縦に振った。

 

「あぁ…白露。ちょっとこっち来てくれ。大事な話がある」

 

提督は知っていた。白露がどうして、陽炎という駆逐艦を欲しがっていたのかを。

 

だが…この陽炎は、残念ながら、白露の期待に応えることは、可能性として殆どない。提督はそれを、物凄く遠回しに伝える。

 

あの文書を見せることによって。

 

その文書には、誤字脱字だらけの文で、要点だけが簡潔に綴られていた。

 

「透明になれる異能力所持」「妹達から虐待を受けた」ということが、デカデカと。

 

後から追って連絡をするとかもあったが、そんなものよりも「妹達から虐待」というパワーワードに、釘告げになってしまう。

 

「そういうわけだから、すまんな白露」

 

「……まぁしょうがないわよ。優越として生まれた宿命だものね」

 

明らかにテンションが下がる。異能が原因である人間関係での苦労が、彼女にもあったから。

 

溜息をつき、寮までは私が案内するから…とだけ告げる。それを受けた陽炎が、白露に感謝の言葉を述べると。

 

「まぁその…なんだ。いきなりで分からねぇことも、色々とあんだろうが、まぁ…うん。仲間と上手くやってくれたら、俺はそれで良いから」

 

という…少し意味深な言葉をもらい、白露に連れられるように、執務室を後にする。少し不安そうな顔を浮かべながら。

 

~~~

 

道中の2人の間に、会話は無かった。気まずい空気のまま、あっという間に辿り着く。

 

「さぁ、此処だけど…。うん」

 

正直に言うと、考え事をしていたのだ。

 

彼女は前鎮守府で、妹から虐待を受けていたらしい。ということは、少なからずトラウマなどがあるはずだ。

 

……この扉の奥。彼女にとっては、修羅道そのものでは無いだろうか。そう思い、扉を開けるのを少し躊躇する。

 

「あ、あの…白露さん…?」

 

「ん、あぁ…ごめんなさいね」

 

陽炎に名前を呼ばれてハッとなり、1回扉から手を離すと。もう1回ドアノブに手をかけ、首だけ陽炎の方に回すと。

 

「陽炎、良い?入って左奥の廊下を、1番奥まで進んだ部屋。そこが貴方の部屋よ」

 

「え?あ、は、はい。分かりました」

 

……どうしてこのタイミングで?そうは思いつつも、返事をする。そして…ニコリと微笑んだ後、白露は思い切り、玄関の扉を開ける。

 

言わずもがな、白露の予想は正しかった。扉の奥は、陽炎にとっての修羅道そのもので。

 

開いた瞬間、直ぐそこにいた陽炎型駆逐艦16名が、一斉に視線をこちらへ向けたのだ。

 

そして、全員が同じ表情をした。この時の彼女らには、白露しか見えていなかったから、あぁ白露さんか、ぐらいの顔だった。

 

しかしだ。陽炎には全く違って見えていた。自分と同じ陽炎型だと、脳が認識した瞬間、フル稼働であの出来事を思い出したのだ。

 

……妹達みんなが。あの時、あの倉庫で。あの笑顔で。自分に手を差し伸べた、あの光景を。あの恐怖を。あの絶望を。

 

「あっ…あっ…あぁっ…!」

 

一瞬だった。それはまさに、押し寄せる波のようで。直ぐにその恐怖に飲み込まれる。

 

顔は歪み、涙は溢れ、体は震える。そして…白露が乱暴に、陽炎を建物内に入れたことで、それがピークを迎える。

 

だが、あの時と違うこと。それは…逃げ道が分かっているということ。目をギョロッと動かし、部屋の左奥を見る。

 

言われていた通り、そこには廊下があった。よって陽炎は、白露を無視し、妹達から逃げるように、思い切り走る。

 

途中で誰かとすれ違うことはなく、難なく到着する。そして部屋に逃げ込もうと、ドアノブに手をかける。が、開かない。

 

(え…!?何で…!?どうして…!?)

 

トチ狂ったように、ガチャガチャと音を立てる。陽炎は焦りでパニックになっていた。

 

……何てことのない。ただ単純に建て付けが少し悪いだけで、開けるのにコツがいるだけ。だが慌て過ぎて、それすら気付かない。

 

そして…パッと視線を上げる。其処にはネームプレートがハマっており、部屋で寝泊まりする人物の名が、綺麗な字で刻まれていた。

 

『火和不』と。

 

「ひっ…!?」

 

思わず声を漏らし、パッと後ろに飛び退く。そして…運の悪いことに、思い切り頭をぶつけてしまい、そのまま気を失ってしまう。

 

……白露らが駆け寄ったのは、この後だった。床で倒れている陽炎を見つけ、不知火達が見ている前で、陽炎を抱え上げる。

 

「はぁ…先行きが不安ね」

 

そう呟き、部屋の扉を開け、ベッドに陽炎を寝かせ、ゆっくりと布団を被せる。

 

「さて、不知火。今日からこの子との相部屋、お願いしても良い?」

 

「……勿論です」

 

快く了承する。不知火達にとっても、念願の1番艦だから。とは言え…さっきのあれは、何をどう考えても普通じゃない。

 

「んじゃ、ちょっと行きましょ。色々と説明したいことあるから」

 

そして…まるで幼稚園の遠足での引率の先生のように、不知火達を部屋から追い出し、全員揃って広間に向かった。

 

その際に、割と大きな話し声がしたからだろう。陽炎にも少なからず、反応があった。だが…それに気付くものはいなかった。

 

入り口の扉が閉まり、遠くへと声が離れていく。窓もカーテンも開いており、心地よい風と月明かりが、部屋に吹き込んでいた。

 

彼女の未来を、見守ろうとするように。

 

 

 

終わり

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
途中いくつかツッコミどころがあったと思いますが、優しくしてくれると幸いです。
あと…最後の方に気になる単語がポンポン出てきましたよね。スーピリオリティーとか。それは本編も見て理解してください(露骨な宣伝)

苦々しいリーダープロジェクト
小説版本家(ブログ):http://sigrider.blog.fc2.com/blog-entry-151.html?sp
微修正Pixiv版:https://www.pixiv.net/novel/series/1127949
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専用Twitter垢:@BitterLeader_PJ

余談ですが…この話のpixiv版には、挿絵が付いてますよー!

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