若かりし日の伊黒さんと煉獄さんの話。
※伊黒さんの過去に関する本誌の微バレ、捏造あり。

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蝮と篝火

肺の凍るような、寒い朝だった。

 

霜を砕いて大きな音が立たぬよう、ゆっくりと注意深く門を出る。

幸い、まだ屋敷からは人の動く気配を感じない。

できれば、気付かれたくない。誰とも顔を合わせず、このまま───。

 

「小芭内、おはよう!久しいな!」

鼓膜が破れそうなほどの弩声が、静寂を粉砕する。

こんな声の主など、一人しか知らない。

「……………杏寿郎」

振り向くと予想通り、煉獄杏寿郎の姿があった。

 

「無事に戻った、ということは───」

「うむ、最終選別を乗り越えた!これで俺も、正式な鬼殺隊士となるわけだ!」

そうか、失念していた。

杏寿郎が最終選別に出立したのは知っていたが、今日、それもこんな早朝に戻るとは。

「………めでたいことだ。せいぜい生家で疲れを癒せ」

「ああ、さすがに選別の日々は応えた!父上に報告した後は、少し休むつもりだ!」

そう話すが、とても疲れがあるようには思えない。

見ると、杏寿郎の着物は所々が破れ、汚れている。だが大きな傷は負っておらず、健常な様子だった。

驚きはない。煉獄家の継子ならば当然だ。ましてや杏寿郎であれば。

 

煉獄家特有の赤髪と、鋭く威圧的な眼光。

精気に満ちたその姿を前に、冬の空気さえ熱を持つようだ。

───つくづく思う。特別な人間とは、杏寿郎のような男を指すのだろう、と。

 

鬼殺隊士となる者は、大きく三つに分けられる。

親兄弟を殺され、復讐のために刀を握る者。

特異な体質や技巧を持ち、お舘様からお声掛けされた者。

そして───先祖代々が呼吸を受け継ぐ、生粋の鬼狩り。

 

煉獄家は、その中でも突出している。

基本である五つの呼吸の一つ、炎の呼吸を連綿と継承し、柱となってお舘様に仕えてきた。

杏寿郎もその役目を担わんと、幼少時から厳しい鍛錬を続けてきたと聞く。

煉獄家の末裔にとっては最終選別など通過点であり、これからは実戦を糧に更なる力をつけ、遠くないうちに柱まで登り詰めるのだろう。

 

「ところで、小芭内!君はどこに出かけるつもりだ!まだ朝も早いというのに!」

「お前には関係ない」

「そんなことはないだろう!同じ釜の飯を食い、共に鍛錬を積んだ仲だ!炎の呼吸の修行であれば、俺も付き合おう!」

「………」

相も変わらず暑苦しい。俺は正直、杏寿郎が苦手だった。

 

蛇鬼から救われたあと、俺は鬼狩りとなる道を志願し、煉獄家で世話になりながら指南を受けた。

座敷牢で育った未熟な肉体はわずかな運動でも苦痛を覚え、最初は刀を持ち上げることも叶わなかった。

だが、鬼への恨み憎しみで心を支え、どうにか喰らいつく。

杏寿郎の親父殿は、そんな俺を厳しく、だが諦めず鍛えてくださった。

 

そこには当然、杏寿郎の姿もあった。

もっとも、肩を並べて修行したわけではない。初めて顔を合わせたとき、奴は既に炎の呼吸を会得し、あとは最終選別を待つばかりという段階だった。俺とは天と地ほどに開きがある。

だというのに、杏寿郎はしきりにこちらへ声を掛けてきた。

鍛錬に付き合う、精がつくからこれを食え、もっと腹から声を出せ、云々。

奴の声そのものが大きいうえに、こちらの言葉もろくに聞かずに迫ってくる。なんとも煩わしい男だった。

 

そうして煉獄家で過ごし、一年ほど。

親父殿の指導の甲斐あり、呼吸法の基礎は何とか会得できた。だが───。

「もう必要ない。俺はここを離れ、別の育手を探す。皆には昨夜、別れを伝えた」

次の段階、炎の呼吸の修得がどうしても上手くいかない。

鍛え抜いた四肢で繰り出す豪の技を扱うには、俺の身体はあまりにも小さく、貧相だった。

血反吐を吐く修練を重ね、背丈を伸ばすために栄養も摂ったが、生来の資質は覆らない。

考えあぐねた末、俺は別の呼吸の育手のもとで修行し直すこととなった。

 

「───そうか、我が家を出るか」

「ああ」

「では、しばしの別れとなるな!俺は一足先に鬼殺隊士となり、君を待つとしよう」

「………」

「炎の呼吸は合わなかったようだが、うむ!小芭内の剣筋に適した呼吸が、きっと───」

「黙れ」

 

不意に、呟きが漏れる。

これまで澱のように溜まっていた惨めさが、抑えられずに堰を切った。

「慰めなどいらない。師事する相手を変え、それでどうなる?何ができるというんだ、この俺に」

こんな───鬼に寄生していた外道達の汚い血を引く、醜い男に。

「お前の言葉は信じられない。恵まれた家で産まれ、育ち、強さを手にした者に何が判る。俺とお前は違う。俺にはお前のように、誇れるものなど何一つない」

 

そう。俺達は何もかもが違う。

杏寿郎は篝火だ。炎を巻き上げ、人々を導き、守っていける才能と熱意に満ちている。

俺は蝮だ。地べたを這い擦り、小さな牙を突き立て、毒を注ぐことでしか他人と触れ合えない。

 

「俺は、俺自身が一番信じられない。もう放っておいてくれ」

吐き捨てるように言い残し、踵を返す。

なんて身勝手な物言いだろう。自己嫌悪で舌を噛み切ってしまいたくなる。

だから誰とも会いたくなかったのだ。

自信を失った己を、露わにしたくなかった。

 

こんな形で別れるべきでないのは分かっている。

杏寿郎はもう鬼狩りだ。比べて俺は、真っ当な剣士になれるかどうかも怪しい。

ならば、これが今生の別れになるとも知れないのに。

 

「小芭内───お前の、言う通りかもしれん」

意外な言葉に、振り向く。

「実は、父上がこの二月ほど塞ぎ込んでおられる。食事を用意しても、ろくに手をつけてくれない」

「親父殿が……?」

杏寿郎の親父殿。あの蛇鬼から俺を救い、これまで世話してくれた大恩あるお方。理想的な鬼狩りの剣士。

確かに屋敷内ではしばらく姿を現さず、昨夜も挨拶することが叶わなかった。

しかし、まばゆいほどの情熱を滾らせたあの人が、なぜ。

「父上は『歴代炎柱の書』を読み、それから人が変わってしまった。何もかもくだらないと。俺や千寿郎、そして自分にも大した才能などない、だから剣士など止めてしまえと仰る」

「馬鹿な!そんな訳がない。お前の親父殿は立派な柱だ。誰よりも」

そして、お前も。煉獄家の血を色濃く継いだ、生粋の天才ではないのか。

「ああ、父上は尊敬すべき人だ!それはよく知っている。ただ───最終選別で思い知った。俺はまだ何も判っていないのだと」

杏寿郎は惑うような、寂しい目をした。そんな表情を見たのは初めてだった。

 

「直に対峙した鬼は強く、恐ろしかった。疲れを知らず、生半可な傷はたちどころに癒え、常に人の血肉を求めて牙を剥く。俺は幸いにも生き延びることができたが、多くの入隊希望者が命を落とした」

声に苦悶が混じる。握られた拳は、微かに震えているようだった。

 

己の勘違いを思い知る。

煉獄家の継子であれば、杏寿郎ならば選別を乗り越えて当然だと。あいつは特別な人間なのだと。今まではそう思っていた。

そんな訳はない。鬼を前にすれば、誰だって恐れを抱く。杏寿郎とて例外ではないのだ。

「帰路、父上のことを考えた。人々を救うために、炎柱として多くの鬼を狩り続ける。そこにどれほどの苦悩があったのか。未熟な俺には、考えても何も判らない。すべてはこれから、我が身を以て知るほかないのだろう。父上や歴々のご先祖達と同じ、鬼殺隊の一員として」

 

鬼舞辻無惨と鬼殺隊との因縁は、数百年に渡ると聞く。

永い歴史の中でおびただしい数の剣士達が命を賭し、屍を積み上げてきた。

そんな戦いの坩堝に自らも身を投じ、命果てるまで鬼を斬る。

鬼殺隊士になるとはそういうことだと、頭では理解しているつもりだった。

 

しかし、あの杏寿郎の親父殿でさえ、道半ばで立ち止まるという事実。

それは想像を遥かに超える艱難辛苦が、この先に待ち受けていることを意味する。

欠けていた自信がますますひび割れ、足が竦んだ。

ましてや、親父殿をよく知る杏寿郎の胸中に渦巻く不安は、如何ほどだろうか。

 

───その時。

「だが!たった一つ、信じるべきものがある」

杏寿郎がすう、と腰の刀を抜き、天へと掲げた。

親父殿から譲り受け、最終選別に持参した日輪刀。

朝の陽射しに照らされた刃には、四つの文字が見える。

 

「『悪鬼滅殺』───柱となった者の日輪刀に刻まれるそうだ」

 

強く透き通るような杏寿郎の声。

「この言葉は鬼狩りの信念だと、俺は思う。鍛え抜いた肉体も、練り上げた技も、積み重ねた歴史も、何もかもが踏みにじられたとしても。心の炎が消えなければ、最後の瞬間まで刃を握れる。己の責務を全うできる」

紡がれる言葉は俺を諭すようであり、己へ語るようであり。

或いは、遠い誰かに伝えんとしているようでもあった。

「父上は───少し、疲れてしまったようだが。俺の心の炎は消えない。例え才能など無くとも、鬼を滅する刃となるべく邁進する。今はそれでいい。そして願わくば、小芭内。君の心の炎にも消えてほしくない」

真っ直ぐにこちらを見据える瞳。

惑いを呑み込みながら、激しく揺らめいている。

 

俺は、煉獄杏寿郎という男を誤解していた。

杏寿郎も、迷うのだ。立ち止まりたくなるのだ。

ただ、同時に絶え間なく己を鼓舞し、奮い立てている。心を燃やしている。

そしてその積み重ねが灼熱の意志となり、決して消えない篝火として輝いている。

 

それは誰にでも出来て、しかし誰もが出来ずにいること。

ならば、俺は───。

 

「………できると思うか、俺にも」

「当然だ!」

「即答か。呆れたやつだ」

先ほどまでの調子が嘘のように、再び響くいつもの大声。あれこれと考えていた自分が馬鹿らしくなる。

だが、おかげで迷いは幾分晴れた。

 

「俺は必ず、鬼と戦う術を身につける」

「うむ!」

「まずは、残りの基本の呼吸四つを片端から試す」

「それがいい!」

「それでも駄目なら、自分の呼吸を編み出すまでだ」

「いいな、その意気だ!」

「………お前もすぐに追い抜く」

「ああ!負けてられん!」

最後のはちょっとした嫌味のつもりだったが、通じた様子はない。

まあいいだろう。本心だ。同じ形でなくとも、同等以上の強さを手にしてみせる。

 

蝮なら蝮として、牙を、肢体を、毒を、極限まで駆使して戦う。

そうして剣士となり、一体でも多くの鬼を滅殺し、罪なき人々を守る。

それは汚れた血族の生き残りが背負うべき責務であり、同時に俺自身の願いでもある。

 

「───では、そろそろ行く」

「達者でな!また会おう、小芭内!」

「ああ………お前もせいぜい元気でな。杏寿郎」

 

最後の挨拶を終え、煉獄家の門から続く街路を進む。

今度こそ、もう振り向くことはない。

いつか再び道が交わると、今はそう信じている。

 

霜の降りた大地は、陽光を受けて優しく煌めいていた。

 

 

 

─了─




はじめまして、わかつきです。
今回が初投稿なので色々と勝手が分からない点もありますが、どうぞよろしくお願いします。

鬼滅本誌にて伊黒さんの過去が語られ、先代炎柱との関係や煉獄さんの訃報を聞いたときの反応から、もしかすると二人の間にはこういう絆があったのかな、という妄想を元に書き連ねました。

楽しんで読んでいただけたなら幸いです。

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