1945年に滅びる日本を救って欲しいであります(未来知識チート) 作:火焔+
今回は「予防接種や衛生概念の普及」をやるであります。
★予防接種や衛生概念の普及(0か月)
●北海道の開拓(0か月)
●開国準備(0か月)
●兌換紙幣(金本位制)の研究(0か月)
○富岡製糸場建設(0か月)
○蒸気機械の研究(0か月)
・大政奉還による立憲制近代国家形成の”準備”(5か月)
・国立大学設立(5か月)
・防諜・諜報機関設立(5か月)
・労働法と最低賃金の制定(10か月)
・琉球統一(10か月)
・ビタミンの発見「2枠」(2年)
・研究:工学+2「4枠」(3か月)
・研究:政経+2「4枠」(3か月)
・研究:生物「2枠」(3か月)
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【江戸 小石川養生所】
享保の改革時に建設された小石川養生所では、日に日に増える患者でキャパシティがオーバーしかけていた。
重症者よりも、軽症者が膨大に増えていたのだ。
そもそも、何故この様な病気になるかも原因が掴めていない時代だった。
西洋ですら18世紀、水銀が万病の薬(本当は猛毒)として扱われていたほどに医学の歴史は浅い。
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【堺 入即出屋】
「やる夫、俺は天才かもしれん」
「大丈夫かお? 医者が病気になったら手遅れだお?」
やる夫の友人、緒方洪庵はやる夫とバカ話をしていた。
彼は現在の岡山県出身であるが、親の転勤で堂島に来ていた。
そして、彼も蘭学を(医学も)学ぶものであったが為、やる夫と交流を持つようになっていた。
「いや、今回はマジな話。
俺の抱える患者にさ、帰宅後の手洗いとうがいを徹底させたんだ。
するとさ、風邪とかの主に軽症とされる病の発生率が格段に下がったんだわ。
母数が欲しかったから、近隣の奴らにも実験に協力してもらった所、彼らも病気の発生率が下がった事が分かったんだ。」
「ほぇ~。凄い事だお。
風邪から重篤化する事だってあるし、論文として遺しておいた方がいいお。
何か、お上が『大学』? ってものを作ってるらしいお。
其処で後世まで名が残るかもしれないお。」
「そのようなものが……。
良き事を聞いた。論文に纏めるから紙くれ(ロハで)。」
「…………その図々しさは天才レベルだお。」
「あぁ、それだけじゃない。
やる夫も怪我する事はあるだろ?
イタイ奴とかじゃなくて、本当の怪我のことだぞ。」
「やる夫より、大工や船大工、農家、猟師の友人の方が多いお。
何かあるのかお?」
やる夫、緒方洪庵の煽りをスルーして先に進める。
「……まぁいいか。
傷口にな、焼酎を振りかけると化膿が起き難くなる事が分かっている。
その後、布で巻いたり軟膏で傷口を塞ぐと治りが早くなる。
焼酎は薩摩藩の芋焼酎が最も効果があるな。これは俺の体でも効果を確認している。」
薩摩の焼酎は日本の酒の中で最もアルコール度数が高いから、消毒には最もいいのだ。
傷口の汚れも洗い流すから洗浄にもなる。
「…………お前、天才かお?」
「さっきから、俺は天才だと言ってるだろうに……」
「折角だから、傷口専用の軟膏を作ってみてはどうかお?
薬草園の開発なら投資するお」
「だから開発したらお前の所に卸せと言うんだろ?」
「もちろんだお。優先的に卸すだけで他にも売って良いお。」
「仕方ないな。じゃあ薬草園を作ってくれ。
幕府とコネがあるなら、色々な種類の薬草を栽培できそうだしな。」
その後、緒方洪庵の書いた論文が、やる夫を通じて水野忠邦の下に届くことになる。
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【江戸 小石川養生所】
幕府から齎された軽傷に対する特効薬、予防法は小石川養生所にて大きな効果を上げた。
軽度な病気の患者が減った事と、軽傷者の早期回復が大きかった。
その効果を確認できた幕府は大々的にお触れを出そうとしたが、その前に全国に爆発的に広まった。
そりゃそうだ。誰だって病気にはなりたくないし、怪我をしたら早く治したい。
それはどの時代だろうが当たり前だ。
現代より急速に広まったのは、現代のほうが病気になっても常備薬で大体なんとかなるからだ。
江戸時代で寝込むと、ただ飯喰らいになってしまい、真偽は確かめようが無いが周りの目が冷たくなる気がするのだ。
江戸では手洗いうがいは粋な江戸っ子の証明。
京では身を清らかに保つ事が雅とされ、堺では商人たるもの体が資本。堺発祥の流行である手洗いうがいが出来ない者は商人失格とまで言われる始末。
そしてもう1つ、小石川養生所には多くの薩摩芋焼酎が並べられている。
もちろん飲料用ではない、消毒用だ。
船による流通能力が大幅に強化されたおかげで、薩摩から江戸まで容易に運べるようになったのだ。
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全国的に流行った薩摩の芋焼酎ブーム。
これによる薩摩藩の利益は大きい。なにより幕府が薩摩の焼酎を(医療品として)日本一と評したのだから。
彼らの自尊心と懐は大きく満たされた。
島津の人間にも焼酎が【医薬品として優秀】であると幕府に取り扱われていると知っているものもいるが、態々訂正する必要もない。
市井の民はそんな事を知るわけないし、薩摩の焼酎は日本一と日本中で言われている。それで良いではないかと。
薩摩の焼酎が真の日本一になるよう、品質向上に努めていけばいいのだと。
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【某所】
「飲むと怪我が治る【酒】がある?」
今は初夏。
氷に閉ざされていない海を南下する。
彼らの南下する理由は1つ、未知の酒を飲むためだ。
それ以外の理由?
彼らの返答はこうだ。
「酒を飲むという理由以上に何が必要か?」
こんなヤツラだ。
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そんな彼らが兵庫県(姫路藩)の港に到着する。
異国船打ち払い令が緩和されたため、商売は禁止されているが、食料品の販売程度は許可されている。
「ヘイ! 此処に薩摩焼酎というのはあるか?」
姫路の役人は怒りを覚える。
姫路も焼酎所であるのだ。(日本酒も丹波杜氏という三大杜氏が存在する日本酒所だ)
幕府が日本一の酒を薩摩と言ったのだから、この話には敏感だった。
「ウチに薩摩のはない、薩摩へ行け。(#^ω^)ビキビキ」
(何をピリピリしているのだ?こいつは)
ロシア人は不快感と共に不思議にも思う。
(そうか、こいつら薩摩の酒を飲めていないからイライラしているのだな。
よくわかる。俺もウォッカを飲めなかったらキレるからな。)
彼らはロシア的理論で納得する。
「おい、倉庫からウォッカをもってこい。」
船長の彼は部下に命の水(ウォッカ)を持ってこさせる。
そして姫路の役人にウォッカを渡す。
「その酒は俺達の国の酒だ。飲むと気持ちが落ち着くぞ。」
そして危ないものではないと理解した役人はウォッカを飲む。
「おぉ!これは美味いな。体が燃え上がる様な感じがするぞ!」
「何だかすまないな。少し気が立っていた様だ。」
姫路の役人は気恥ずかしそうに頭をかく。
その様子を見てロシア人は、やはり酒が飲めなくてイライラしていたのだとロシア的な理解をする。
「詫びも兼ねてだ、これも持って行ってくれ。」
ロシア船に売った分より多くの食料を積む。
「ありがたく受け取っておこう。
それではさらばだ!」
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【薩摩】
出島を通り過ぎ、ようやく薩摩の港へと停泊したロシア船。
「ヘイ! 薩摩焼酎を飲ませてくれ!!」
いきなり酒を飲ませろという外国人に、薩摩藩の役人は困惑する。
話を聞くとロシアから態々酒を飲みに来たという。
「遠いところから遥々薩摩焼酎を飲みに来たのか?
歓迎するぞ! よし、今日は宴会だ!!」
薩摩人も酒飲みが多いから、蝦夷よりも更に北から酒を飲みに来たロシア人にシンパシーを感じたのだろう。
彼らの酒に対する情熱に敬意を表して歓迎する事にしたのだ。
「おい!ウチの船からもウォッカを出せ!」
大々的に行われた宴会には様々な酒造の薩摩芋焼酎、そしてロシアのウォッカが振舞われていた。
互いに酒飲みという人種であるため、交友が深まるのも随分早かった。
「ハハハッ! 美味いな! この薩摩の芋焼酎というものは!
祖国のウォッカ程ではないが、暖かい場所で飲むには最高だ!!」
「気に入ってくれて嬉しいよ。そりゃあ故郷の酒が一番だと思うのは当たり前さ!
あんた達のウォッカ。すげぇ美味いぜ」
日本一の酒と評される一位の余裕というものだろう。
ロシア人の自分の酒が一番だという言葉にも何ら悪い感情はない。
宴会が続き暫くして――――
「薩摩の芋焼酎は美味いな。祖国に持って帰ろう、仲間も喜ぶはずだ。」
「そこまで気に入ってくれてるのは嬉しい。
だがすまない。食料は販売できるが酒は幕府から禁止されておるのだ。」
異国船打ち払い令が緩和されたとはいえ鎖国は解いてないし、しかもオランダじゃないし、出島でもない。
「?? 食料がOKならば問題ないだろう?」
「??? 酒は嗜好品だろう?」
ロシア人の言い分はこうだ。
ウォッカ=命の水=水=食料
ウォッカ=======食料
つまりウォッカは食料なのだ。
「な? 問題ないだろう?」
ロシアでも問題なくても、日本では大問題だった。
「出島なら……いや、オランダ船しか無理か……」
薩摩役人が何とかしたいと考えていると――――
「なら、琉球にくればいい」
「殿!?」
其処に現れたのは薩摩藩藩主、島津
「琉球ならば問題ない。例の貿易もその様にしているだろう。」
例の貿易とは日清貿易の事だ。
鎖国の日本は日蘭貿易のみ行っているとされているが、薩摩藩は琉球でワンクッションおいて日清貿易をしているし、対馬藩は日朝貿易をしている。
それと同様に琉球を挟めば日露貿易もできるだろうと。
「お上に睨まれたりしないでしょうか?」
役人は不安そうに斉興に尋ねる。
だが、斉興には思惑がある。
最近の幕府は鎖国政策と反対の事をしていることを知っている。
そして鎖国を解く準備をしている雰囲気を感じる。
噂すら流れていないし、幕府もそれを隠している節があるが、斉興の嗅覚ならば感じ取る事が出来る。
だから、この決断も悪手にはならないだろうと。
「問題ない。」
斉興の返答はそれだけだった。
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翌日、斉興はやる夫式合いの子船に乗って、ロシア人達は自分たちの船に乗り琉球へと移動する。
斉興がクリッパー船を見せないのは、今はそのタイミングではないと判断したからだ。
そして、琉球に着いた船団は薩摩焼酎を大量に購入してロシアへと帰っていった。
後日、幕府は日露貿易を追認する形となった。
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この日より、日露貿易が始まったであります。
ロシアはウォッカと毛皮を売却し、様々な焼酎と日本酒を購入して帰るであります。
流石ロシア人でありますな。
この影響によって、ロシアとの国交が結び易くなります。
ロシアとの友好を深める場合【閃き】にかかる時間が半分になるであります。
また衛生向上により、病気による死亡率が減りました。
これにより相対的に人口増加率が上がったであります。
手洗いうがいは現代ですら有効な手法でありますからな。
後はマスクが開発できれば軽度な病気予防は現代レベルでありますな。
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【日本の技術レベル】
|科学:01(基本的な理学全般)
|工学:03(モノづくり全般)
|材料:01(素材やエネルギー全般)
|生物:02(農業・畜産・医学・薬学など)
|電磁:00(電気製品・発電・コンピュータなど)
|環境:00(地学・建築・土木・自然保護など)
|流通:01(物流や兵站など)
|政経:05(政治経済や社会問題の解決能力全般)
|文化:01(外交・異文化交流・芸術・娯楽など)
|軍事:00(兵器開発・戦術・軍制など)
※00を史実相当、30(Max)を2020年相当とします
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【年表】
・1830年
救荒作物推奨令が公布される
・1832年
共通規格化令が公布される
職業訓練学校が開校する
・1833年
幕府公認の銀行(後の日本銀行)が設立される
株式会社の設立を幕府が許可する
日本初の和製クリッパー船が航海する
水稲農林一号が開発されて全国で栽培が開始される
・1834年
様々な農機具、農技法が編み出されて全国に広がる
特許法が制定される
・1835年
日本初の軽工業工場「富岡紡績工場」が稼動開始する
日本において公衆衛生の概念が確立される
この頃から手洗いうがいが生活に浸透するようになり、病死する人口が減少している。
現代でもこれは徹底されており、怠る者は空気読めないと白い目で見られる始末である……。
また日露の関係史を紐解くと、この頃から日露の関係が急速に近づいている事が分かるのだが、
それが分かるような文献がなく、何故親交が深まったのか専門家も首をかしげている、
この年から薩摩の経済が潤っているため、関連性があるかと調べても薩摩焼酎による売り上げが増加したとしか分からない。
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さて、次回予告ではありますが次回は「北海道の開拓」であります。
●北海道の開拓(0か月)
●開国準備(0か月)
●兌換紙幣(金本位制)の研究(0か月)
○富岡製糸場建設(0か月)
○蒸気機械の研究(0か月)
○予防接種や衛生概念の普及(0か月)
・大政奉還による立憲制近代国家形成の”準備”(5か月)
・国立大学設立(5か月)
・防諜・諜報機関設立(5か月)
・労働法と最低賃金の制定(10か月)
・琉球統一(10か月)
・ビタミンの発見「2枠」(2年)
・研究:工学+2「4枠」(3か月)
・研究:政経+2「4枠」(3か月)
・研究:生物「2枠」(3か月)
誤字報告ありがとうございます。