1945年に滅びる日本を救って欲しいであります(未来知識チート)   作:火焔+

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-Epilogue- 第11代征夷大将軍 徳川家斉

今回は――――江戸幕府にとって大きなイベントが発生するであります。

今回は緊急イベントでありますが故に、時代は1837年10月まで進むでありますが、閃きは次回以降に持ち越しであります。

 

★第11代征夷大将軍徳川家斉、将軍職辞任

 

×活版印刷機「2枠」実用化

×ワクチン

×パレンバンの産業振興(1か月)

×バリクパパンの産業振興(1か月)

×ベビーブーム(2枠)(1か月)

×新貨条例(3か月)

×ヨーゼフ・レッセルの出島招待とスクリュープロペラの開発「3枠」(6か月)

×樺太・千島列島の入植(3枠)(7か月)

×鋼鉄レール鉄道開発(2枠)(1年1か月)

×蒸気機関車(2枠)(1年1か月)

×内燃機関(5枠)(2年7か月)

 

×研究専用13枠:生物+5

×研究専用13枠:環境+5

 

――――――――――――――――

 

●第11代征夷大将軍 徳川家斉

 

【江戸城】

 

 1837年10月某日――――

 

 江戸城は静寂に包まれていた。

 耳の聡い者でなくとも知っている公然の事実が今日執り行われる。

 

 家斉自身、散々口にしていたが、権現様(家康)以来の栄華を誇る徳川家の体制を一変させる一大事。

 

 

 征夷大将軍を譲るなど――――

 

 

 徳川に属する藩士達は、いや元は倒幕派だった者達さえ一様に不安に思っている。

 それもそうだ。この治世が最高だと思っているのだから、わざわざ変りたいと思うものなど早々にはいない。

 

 

 

「まさに、今やるべきでありましたな。」

 

「あぁ。このままでは我が徳川の天下が続くが、日本の晴れやかな未来は遠くなるだろう。」

 

 そう言うは、まさかの徳川家斉とその側近達。

 彼らこそが欧州を最も脅威と感じ、最も徳川の天下であり続ける事を危惧している。

 皆が徳川についていけばいいと思い始めているこのタイミングが重要だった。

 

 不安になれば、それを解消すべきと真剣に考える。

 それこそが家斉の狙い。

 

 上意下達(トップダウン)は有事の時だけでよい。

 上に立つものが常に優秀とは限らない。だからこそ、ある程度上が居なくても回る組織(システム)である事が大事だと。

 

 というか、次男の家慶が【率いる才】を持つものではで無いという親心もある。

 

 だからこそ今、このときに将軍位を家慶に譲るのだ。

 

 

 

【評定の間】

 

「皆の者、知らぬものはおらぬとは思うが、改めて宣言する。

 今日、この日を以って余は息子、家慶に家督を譲る。

 今を以って、お前達の主は家慶であることを理解せよ。」

 

 静かにそう告げると、上座から立ち上がり奥の間へと歩みを進めていく。

 誰も言葉は発しない。発することなど許されてはいない。

 

 徳川家斉。御年64歳。

 その横顔には長く生きた証である皺が深く刻まれていた。

 

 

 征夷大将軍の位に就いてから半世紀、幕末を駆け抜けた一人の英雄が今日、表舞台から姿を消した。

 

 

――――――――――――――――

 

 これで、第一章は終わりであります。

 1830年からたった7年、されど7年でありましたな。

 

 19世紀の産業革命といえば鋼鉄であります。

 欲を言えば鉄道と鉄鋼船でありますが、19世紀前半に其れは無茶というモノであります。

 

 ですがこの7年で、欧州とも一対一なら真っ向勝負できるようになったであります。

 流石にイギリスとロシア以外でありますが。グレートプレイヤーには人的資源的にも敵わないであります。

 

 

 こちらの閃きに振り回された【彼は】幸せだったのでしょうか?

 そればかりは気になりますな。

 

 

 さて、湿っぽい話はこれくらいにして未来の話をするであります。

 今現在でも1945年に滅びる未来は変ってないであります。

 寧ろ、凄くいい東洋製品を作る極東の島国、黄金の国ジパング(財布)として注目度は上がっているであります。

 

 オランダが防波堤になってはおりますが(オランダは既得権益を手放すつもりはない)、万が一オランダが倒れたら欧州に切り取られてしまいます。

 JAPANというパイを欧州が切り取るという形ですな。……どこかアジアの大陸で見た気がしますな。

 

 

 兎も角、家慶の代になっても富国強兵。やる事は変わりないでありますよ!

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

【徳川家斉統治時代の年表】

・1830年

 【農業】救荒作物推奨令公布

 

・1832年

 【工業】共通規格化令公布

 【工業】職業訓練学校開校

 

・1833年

 【農業】【江戸の農業革命が始まる】

 【農業】水稲農林一号開発

 【商業】幕府公認の銀行(日本銀行)設立

 【商業】株式会社の制度発足

 【造船】日本初の和製クリッパー船

 

・1834年

 【制度】【近代的特許法の制定】

 【農業】近代的農機具、農技法が全国に広がる

 

・1835年

 【工業】【第一次産業革命の発祥】

 【工業】富岡紡績工場が稼動開始

 【工業】釜石製鋼所が稼動開始

 【教育】帝大設立

 【医学】公衆衛生の概念が確立

 【領土】北海道の沿岸部開拓

 【商業】兌換紙幣の実用実験開始

 【諜報】諜報機関の設立(非公開)

 

・1836年

 【工業】【第二次産業革命の発祥】

 【農業】【江戸の農業革命の成熟】

 【制度】【近代的労働法の制定】

 【外交】【日蘭通商条約の締結】

 【貿易】横浜に初期型の赤レンガ倉庫建造

 【兵器】天保銃が発明される

 【商業】各地に名産品、特産品が振興

 【商業】馬車による陸運

 

・1837年

 【工業】【鋼鉄が大量生産される】

 【工業】八幡製鉄所の稼動開始

 【工業】紀伊の国に日本初の製紙工場建設

 【工業】ガラス大量生産の手法が発見(凍結)

 【工業】加硫ゴムの発見

 【医学】ビタミンの発見

 

 

 

――――――――――――――――

 

 現代における徳川家斉の評価

 

 第11代征夷大将軍。

 総評として、徳川家斉は大器晩成だったといわれている。

 

 

 寛政の改革や大御所時代の1830頃までは総じて評価は良くない。

 市井には厳しい法令を課す中、賄賂が日常的に罷り通り(特に大御所時代)家斉も豪奢な生活を送っていた。

 

 しかし晩年は人が変わったかのように総じて高評価となる。

 1830年の救荒作物推奨令公布に始まり、職業訓練学校の開校、株式会社の制度発足

 更には、水稲農林一号の開発が有名である。

 この頃の気候を調べると水稲農林一号や救荒作物が広まっていなければ、天明の大飢饉に匹敵する大飢饉が起きていたはずである。

 

 

 また、外貨の獲得の為に富岡紡績工場を建設した事は先見の明があったといわざるをえない。

 この収入を元に帝国大学を設立、北海道開拓を実行していた帳簿の記録が近年見つかっている。

 これ以外にも様々な公的資金が綿、絹製品の利益が使われている。

 他の藩も幕府から大型船を借り受け、商業特産品振興に力を注ぎ大きく財政を立て直している。

 

 

 更にはオランダとの平等通商条約や天保銃などの近代的兵器製造も行っており、農業・工業に重きを置いていたが、外交・軍事にも明るかった事が証明されている。

 

 

 そして帝国大学設立と並ぶ2つ目の家斉の大きな功績は八幡製鉄所である。

 八幡製鉄所のおかげで、鋼鉄を多用する日本の近代化は20年早くなったとさえいわれている。

 この世界初の大規模製鉄所は西欧より20年以上は先行していた事が後年明らかになっている。

 ただ、当時の日本の西欧脅威論により、製鉄所の存在は徹底して隠蔽されていた。

 

 

 将軍職を退いた後も、精力的であり全国各地を旅していたことが各地方の歴史書から分かっている。

 それを元に創作された「大江戸将軍漫遊記」は人気のテレビドラマであり映画時代から100年以上も続いている。

 

 

 没後は家斉は功績を称えられて、日本の工業と学業の神として【神祖】徳川家康と共に東照宮に祭られている。

 現在でも学業成就と事業成功を祈願するために一年中参拝客が絶えないでいる。

 

 

――――――――――――――――

 

「控えおろう、控えおろう!

 この紋所が目に入らぬか!」

 

「そ、その葵紋は――――!?」

 

「この御方をどなたと心得る!

 この方こそ先の征夷大将軍、徳川家斉公であらせられるぞ!」

 

(―――――!!!????)

 

 更に混乱する場

 

 

――――――――――――――――

 

 

【挿絵表示】

 

[あたりまえでありますな]

 

 まぁ、先代の征夷大将軍が突如市井に現れれば大混乱も必至でありますな。

 次回は徳川家慶の征夷大将軍就任であります。

 

 

 


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