1945年に滅びる日本を救って欲しいであります(未来知識チート)   作:火焔+

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04.1833年 株式会社とオランダ国債

日本国への【閃き】は以下の4つであります。

・和洋あいの子弁財船の開発(近代帆船)(9か月)

・水稲農林一号の開発(9か月)

・正条植えや乾田化などの促進(1年11か月)

●田沼路線と洋書を参考に産業の近代化研究(8か月)

 

 

 

 

その前に、オランダが日本に提案をしてきたであります。

 

――――――――――――――――

 

 1831年某日 長崎出島

 

 その日、オランダの貿易船には商人とは思えない一団が乗っていた。

 

「貴公が日本の政府の者か?」

 

 出島の管理を任されている代官が「そうだ」と答える。

 どうやらそのオランダ人は外交官らしく、政府(幕府)との交渉を求めているようだった。

 その内容は、オランダ国債の売込みだそうだ。

 西欧で戦争が発生したらしく、戦費を国債で補うとのことだ。

 

「わるいが、可能な限り急いで欲しい。」

 

 その一団は、来月再びやってくる貿易船に乗って帰らねばならぬようで、思った以上に重大である事が代官にもわかった。

 

 

 

 

 親書を受け取った役人は馬を乗り継ぎ、昼夜走り続け、リレーのように親書を手渡し、迅速に江戸まで届けられた。

 オランダ船がやってきてから一週間後のことだった。

 当時の人が徒歩で一日に移動できる距離は40km程だった。

 馬と複数人の手で運ばれたとはいえ、長崎~東京間(およそ1200km)を一週間半で届けたのは相当の事であった。

 

 

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【江戸城】

 

 その日の公儀、オランダからの国債購入願いに関する議題が上げられた。

 その話を聞いた徳川第11代将軍家斉は――――

 

 

「いいよ!」

 

 

 即答だった。

 勿論、十分に考えてのことだ。

 幕府としてもオランダに倒れられるのは困るわけだ。

 西欧の品物は欲しい。しかし、キリシタンは増やしたくない。

 幕府としてもオランダが一番安定感のある相手なのだ。

 それに、他の西欧はアジアへの扱いが良くない。

 (オランダがいいとは言ってない)

 そのような国家に介入されるのは非常に宜しくない。

 

 

 特にイギリスとか、イギリスとか、ロシアとか、イギリスとか。

 

 

 オランダ人からインドでの様子を少しばかり耳に入れただけでも、耳を塞ぎたくなる位なのだ。

 

 

「ただし――――」

 

 

 西欧の経済学の書籍を持ってきてもらうことを条件にと。

 幕府の国家運営はわりとカツカツで小藩は借金塗れ。

 何とかしようとも、思った様に上手く行かない。

 だったら成功例を持ち出せばいい。そう思ったのだ。

 普段ならオランダも渋りそうだが、この事態だ。首を縦に振らざるを得ないだろう。

 

 

 早馬が再び江戸から長崎まで駆ける。

 

 

 

 

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【長崎出島】

 

 オランダ人外交官は渋い顔をしつつも幕府の条件を受け入れた。

 日本に力をつけられるのは嬉しくないが、マーケットになればオランダ領東インドの輸出量も増えるし、そこから他の列強の金・銀を吸い上げられるチャンスにもなる。

 なにより未来の損失より、ベルギーの損失の方がシャレにならないほどデカイのだ。列強から間違いなく転落する。

 

 多くの金・銀を船に載せてオランダ人外交官と護衛の戦列艦は日本を去った。

 当時の日本も知らないことだが、最盛期の日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも言われているほどの銀の産地なのだ。

 これはアメリカや南米、アフリカなどの銀が未発見という理由からなのだが、そんな先の事、当時の人には分からない。

 

 

 

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 資金を得たオランダは武器の購入などの戦費に当てることになります。

 その商機に真っ先に乗ったのが、ベルギーを支持していたイギリスであります。

 

 フランス、オーストリアは当然抗議しますが、国民の商売を規制する法律は、当国には無いとイギリスは何処拭く風。

 無理を通せば道理が引っ込むでありますが、道理が引っ込めばイギリスがひょっこり出てくるのであります。

 

 ちなみにフランスもベルギーを愛して止まない市民(軍)が義勇兵として参戦していたり、やりたい放題であります。

 プロイセンもオランダに戦時物資を輸出したり、史実よりも泥沼の様相を呈して来たであります。

 

・ベルギー独立否定派

 ロシア、プロイセン、(イギリス)

 

・ベルギー独立支持派

 フランス、イギリス、オーストリア

 

 

 あ、さして関係ないではありますが、このときオスマン帝国でも第一次エジプト・トルコ戦争が勃発しているであります。

 こちらもロシア、フランス、イギリス、オーストリアが介入してエジプトとオスマントルコを愛する市民が義勇兵として参戦しているであります。

 

 さて詮無い話をしてしまいましたな。

 それでは日本国の【閃き】に戻るとしましょう。

 

――――――――――――――――

 

 1832年末 入即出屋

 

 オランダから約束の経済書籍が日本へと届いた。

 そして、蘭学に詳しく商売にも詳しい人物はそうそういない。

 老中水野忠邦は――――

 

 

「たのもーーーー!!!!」

 

「は、はぃぃい!!!(声が大きすぎるお!)」

 

 ターゲットにされたのは廻船問屋の息子かつ他称蘭学者のやる夫だった。

 

 

――――――――――――――――

 

「――――なるほど。蘭語は読めますが、英語、ドイツ語、フランス語は無理ですお。」

 

「ここに辞書があるではないか。読め。」

 

 オランダ人は気を利かせて、オランダ語と他国語の蘭訳辞典も持ってきてくれたのだ。

 やる夫にとっては余計なお世話ではあったが……。

 

「…………わかりましたお」

 

 

――――――――――――――――

 

「思ったより、読み易かったですお。

 多分、他国向けの分かり易い文で書いた本だお。」

 

「そういうのはいい。どんな内容だったのだ?」

 

「はいですお……。『株式市場』『有限責任』『金本位制』についてだお。(うち)の者に和訳もしてもらったお。

 堂島の奴らならこういうの得意だから持って行くといい案を出してくれるお。」

 

 堂島では100年前から米の先物取引をしており、既に証券取引の土壌が出来ていました。

 なので幕府からの要請は商人たちにとって歓迎すべきものだったのです。

 

 

――――――――――――――――

 

【堂島】

 

「つまり、出資した株券が紙切れになるだけで、出資元が潰れようが返済の取立てはないというわけです。

 利益が出たら配当を貰う、しかも株券売買は自由で経営にもある程度口を挟める。」

 

「うむ。(よくわからん。)つまりお前たちなら、この書籍に書いてあることを有効利用できるのだな?」

 

 堂島の米商人の話を聞きつつ、水野忠邦はとりあえず頷く。

 

「はい。この堺の様な商人が集まる町ならば、間違いなく成功するでしょう。

 そうなれば、お上にもより多くの年貢を納める事が出来ます(もちろん我々商人も儲かる)」

 

 堺の様に有望な港があれば、株式発祥と似たように小商人が集まって船を買って水運を始めることも困難ではないのだ。

 救済作物の特産品化、共通規格部品の製造による商品の多様化による商業の活性化も『株式』『有限責任』のいい流れを作っていた。

 

 

――――――――――――――――

 

【入即出屋】

 

「最後に『金本位制』ですお。

 簡単に言うと、金の価値によって物の値段が決まりますお。西欧にとって金は信用のある安定した金属ですお。

 だから、一両は金●グラムと交換出来ると国が補償する事ですお。

 金と交換出来ると保障する事で、一両の信用が高まる事になりますお。

 一両は、その金と同じ量で作る必要はないですお。

 だけど同量の方が信用は高まりますお。」

 

「なるほど、幕府の貨幣の価値(と幕府の権威)を高める事が出来るのだな。」

 

「だけど清貿易では、基本的には銀での取引ですお(西日本もそうですお)。

 清は銀本位だそうですお。

 西欧は金、清は銀ですので、簡単に金本位制にはできなさそうですお。」

 

 江戸時代当時は藩札など、ローカル紙幣があったり現代のように円で統一されていなかった。

 三貨制度はあったが、小判(金)・丁銀・豆板銀(銀)は実質変動相場制であった。

 それで儲かる商売もあったが、国の貨幣の強さとしてはよろしくなかった。

 

 

「しかも、西欧の金銀の交換比率は1:15.5だそうですお」

 

「(幕府の金銀比価は1:11.48だったはずだ……。もの凄い量の流出ではないか!)」

 

 当時の日本は金銀が豊富であったため、世界の相場とは異なってしまった。

 日本国内ならそれでいいのだが、外国が絡むとそうは行かない。

 

 水野忠邦は何とかして金銀比価を1:15.5にしなければと、非常に悩むことになるが、

 上方でひっそりと堺は損しているという噂が流れてからは早かった。

 堺も舶来品を扱うし、長崎で取引を代行する事もある。

 オランダから無知をいい事にぼられていたのだ。

 堺での金銀比価が一瞬にして1:15.5の固定相場となった。

 しかも金から銀の両替に関しては、差額で儲からないように1:11.48のままに。

 

 銀を主に扱う西日本も理由を知り一切それに倣う形を取った。

 金を主に扱う東日本は上からの圧力と、西の頑なな態度から仕方なしに西に倣う。

 東からしても金の価値が上がるので悪いことばかりではないのだ。

 幕府も比率が変わらないように、天領の金山・銀山採掘を調整し比率の維持に努めた。

 

 

 

「最後にだが、そもそも金銀の移動を減らすことは出来ぬのか?」

 

 貨幣は使えば摩擦などで減っていく。

 細かい金粉、銀粉が地面に落ちて価値が落ちていくのを抑制したいし、なにより幕府が金銀を多く保有する事で権威を高めるためだ。

 なにより幕府が金銀を多く保有する事で権威を高めるためだ。

 

「じゃあ藩札の様な紙幣や帳簿のやり取りで取引すればいいんじゃないですかお?

 『金本位制』みたく、幕府の発行する紙幣は金(または銀)と交換を保障すると宣言すればいいですお。

 それに、大店は普段金なんて動かしませんお。

 大晦日にお互い帳簿を付け合せて差額を調整するだけですお。」

 

「ならば、お主の店でも幕府が取引する場合、帳簿でも構わないのか?」

 

「寧ろ歓迎しますお。」

 

「ふむ。」

 

 兌換紙幣は技術や国民意識的な準備が整わなかったが、帳簿の代わりとなる小切手的なsomething(金板)はすばやく発行される事となった。

 公認の両替商(のちの銀行)が帳簿決済を仲介することで更に商業の活性化が進む事となる。

 

 さらに幕府は商取引の流れを把握しやすくなり、利潤による課税(法人税)への土壌も整い始めたのだった。

 

 

――――――――――――――――

 

経済の話は無茶苦茶難しいのであります。

とんでもないことを言ってるかもしれませんが、ご容赦願いたいのであります。

 

当時の日本は経済の自由があまりなかったであります。

恐らくですが、米価の安定を計りたかった為に変動の恐れがある要因を排除したかったのであります。

 

ですが経済は一国家では制御できるものでは無いであります。

江戸幕府が米価と戦い続けても結局ダメだったであります。

経済は「ある程度」好きにさせて幕府が上前をはねる位が丁度良かったのかもしれませんな。

そういう意味では、江戸時代は「米本位制」だったのかもしれませぬ。

 

この時代の役人達は西洋の経済書と天領で爆発的に実っている「農林一号」を見て、米を主体にする事を諦め始めたのであります。

米を主体にする事を諦め始めたのであります。

 

日本の経済概念を根本から変えたという点では、まさに革命でありますな。

別世界(原作)では異常な経済発展がありましたが、経済概念の近代化という意味では納得の数値であります。

 

私もそれに倣って、『閃き』の介入限界を+3に引き上げるであります!!

 

 

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【日本の技術レベル】

|科学:00(基本的な理学全般)

|工学:01(モノづくり全般)

|材料:01(素材やエネルギー全般)

|生物:01(農業・畜産・医学・薬学など)

|電磁:00(電気製品・発電・コンピュータなど)

|環境:00(地学・建築・土木・自然保護など)

|流通:00(物流や兵站など)

|政経:03(政治経済や社会問題の解決能力全般)

|文化:00(外交・異文化交流・芸術・娯楽など)

|軍事:00(兵器開発・戦術・軍制など)

 

※00を史実相当、30(Max)を2020年相当とします

 

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【年表】

・1830年

 救荒作物推奨令が公布される

 

・1832年

 共通規格化令が公布される

 職業訓練学校が開校する

 

・1833年

 幕府公認の銀行(後の日本銀行)が設立される

 株式会社の設立を幕府が許可する

 

 

 現代において

 経済の自由化の発端となるのは1833年という専門家は多い。

 何故、江戸時代においてこの様な近代的な政策が取られたかは当時の資料が乏しく、専門家も頭を悩ませている。

 オランダ国債との関連を示唆する内容の手記が近年になって発見されたが、関連性が乏しく信憑性にかけるというのが一般的である。

 一説によれば、同年における農林一号の大豊作により米価の安定化が不可能だと判断したのではないかとされている。

 

 

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さて、次回予告ではありますが次の閃きは以下であります。

●和洋あいの子弁財船の開発(近代帆船)(1か月)

●水稲農林一号の開発(1か月)

・正条植えや乾田化などの促進(1年3か月)

+北海道の開拓(2年)

+富岡製糸場建設(2年)

+開国準備(2年)

+発展を阻害する各種規制緩和(8か月)

 

 農業と水運の話になりますな。

 

【予告】

 

-やる夫の友人-

「やる夫……500石以上の大型船は、西洋船含めてお上から製造を禁止されているぞ。」

 

           -やる夫-

「オランダ船員から聞く限り、今の船の3倍の速度はでるらしいですお。

 船体を赤く塗りたいくらいですお。」

 

 

-水野忠邦-

「これは――――すごいな。」

 老中水野忠邦も、これにはニッコリ。

 

 




誤字報告ありがとうございます。
ずっとプロセインだと思ってた……

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