1945年に滅びる日本を救って欲しいであります(未来知識チート) 作:火焔+
閃きは「水稲農林一号」がまだあるであります。
ですが、同じ系列の「正条植えや乾田化などの促進」まで含めてやってしまうであります。
「発展を阻害する各種規制緩和」も勿論やるのでありますが、順番を入れ替えるであります!
と、言う事で農林一号→正条植えや乾田化などの促進のコンボであります!
●和洋あいの子弁財船の開発(近代帆船)(1か月)
★水稲農林一号の開発(1か月)
★正条植えや乾田化などの促進(1年3か月)
・北海道の開拓(2年)
・富岡製糸場建設(2年)
・開国準備(2年)
・発展を阻害する各種規制緩和(8か月)
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1833年 新潟の天領にて
新潟は元々寒冷地ゆえに米の栽培には適さない土地柄であった。
今では魚沼産コシヒカリは日本で最も有名な米であるが、当時は……いや、昭和初期ですら【
だが、それも過去の話――――
一面には、まるで南の温暖地域の如く黄金色の稲穂が垂れ下がっていた。
そう、こいつこそが――――天下に轟くコシヒカリの親にして、新潟の救世主「水稲農林一号」その米だった。
幕府から開発を指示されて早数年。
並河俵兵衛と鉢蝋大五郎(本当の開発者、並河成資、鉢蝋清香の祖先)たちは、ついに成功したのだ。
寒冷地に適し、極早生種(超早く収穫できる)で食味もよく(美味い)多収量品種(収穫量も多い)と欲張りセットも真っ青の特性を持つ米を。
それが去年の話。
そして1年かけて各地の農家に配れるように籾殻を増やし、そして全国に配られて――――
今年、一斉に収穫の時期を迎えた。
その結果、どうなったかというと――――
【米価が大暴落した】
何せ、100万石の生産高を叩き出す藩がいくつも出てきたのだ。
しかも加賀藩に至っては200万石を置き去りにする位の生産高だった。
それに加えて元々生産量の貧弱だった北部は他の地域と同じ様に収穫できる様になったのだ。
結果、米価は30%暴落した。
幕府が全力で暴落を阻止してこのザマだ。
ただ、収穫量が2倍を超えたお陰で、農民からすると収入が増えたため暴動までは起きなかった。
俸禄米を貰っている者達は4倍の俸禄を今年に限り与えることで黙らせた。
天領でも、日本の民全員養えるんじゃないか? という程の生産高を叩き出したからこそ出来る力技だった。
「逆に考えるんだ。”商品作物を栽培する余裕が出来た”と、考えるんだ。」
第11代将軍、徳川家斉はそういって家臣たちを黙らせた。
確かにそうだ、豊作に非はない。
流出し続ける金・銀を止めるチャンスだと。
家臣たちは、次の年に商品作物を推奨するための御触れを考え出した。
石高を一昨年、「水稲農林一号」開発前の年の1.5倍を下回らない範囲での商品作物を推奨すると。
そして元々は米が栽培し辛い地域でのみの特例であった、商品作物を作り、その売却利益で米を買い幕府に収める「買納制」を全国的に認めることにした。
儲かった農民達はそれに続こうとした――――が…………
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1834年
実は去年から天候が不順になっていて本来なら凶作になってもおかしくなかったのだ。
それが今年も引き続き――――豊作からの冷静さを取り戻した。「天明の大飢饉」の経験者である長老たちが口を揃えて騒ぎ出す。
「飢饉の前触れじゃ!! この寒さ、あの頃を思い出す! あぁぁああああ!!!」
飢饉を知らない世代も、親や祖父祖母がそういうと流石に不安になってくる。
1年は食い繋げるほどの備蓄をしても不安は伝染するものだ。
その結果、国民が備蓄する為の米を買い求め、幸か不幸か米の価格は元通りとなった。
不安に付け入る様で悪いがと、幕府は去年、天領で編み出していた技法を農村に伝える事にした。
その中のいくつかを紹介しよう。
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・
種籾を塩水につけて軽い種籾を浮き上がらせ、底に沈んだ良い種籾を選ぶ技法。
明治時代に開発された方法で、これだけで収穫量が1割増加すると言われている。
・
牛や馬に牽引させて田んぼの荒起こしや代掻きをさせる農具。
この時ばかりは、武家の馬も農作業に借り出されたとか。
・正条植え
株の間隔が揃い、稲にむらなく日が当たり、風通しも良くなり、除草作業の能率も上がって収量が増えた。
明治30年代に取り入れられた技法。
・
足踏み式揚水器。水を高所に上げるという重要な役割を持っていた。
・
小型の耕運機みたいな形をしていて、稲と稲の間を走らせると雑草を除草できた。
「正条植え」で整えられた水田にのみ使用できる農機具。
・
逆さV字の針金を回転ドラムに付けた脱穀機。
1時間当たりの作業能率は千歯扱きで約45【把】(1つの苗)、足踏脱穀機で約250~300把と6倍以上に増加した。
千歯扱きですら画期的な農具であったにもかかわらず、それを時代遅れにした強者。
その前は1【日】12束が平均的だったといえば、強力さが分かる事だろう。
大正時代に普及した農機具。
・
手回しハンドルで羽根車を回転させて風の力で選別ができる農具。
玄米や籾、比較的軽いくず米、藁くずや籾殻など、重量別に容易に分別できるようになった。
・
中干しという作業を行うため、かつ収穫作業の効率化を行う。
デメリットとしては、毎年水を引ける用水路が必要になる。
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これらの作業を幕府と農民が一丸となって行った結果――――
「去年より収穫量増えてるじゃねーか!!!」
「凶作よりマシだろう!!」
【また、米価が大暴落した】
因みに先ほど揉めていた二人の役人は、片方が4倍の俸禄米を直ぐに売って金にした役人、もう一方は米価が戻ってから売りに出して大いに儲けた役人だった。
所謂、八つ当たりなのだが是非もなし。
商品作物の畑を【かなり】増やして尚の結果だったのだ。
天候不順と重なり、誰もが収穫量は減るだろうと思ったが、いい意味で結果を裏切ってしまったのだ。
これには第11代将軍、徳川家斉も苦笑いするしかなかった。
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前回のクリッパー船と今回の水稲農林一号、および近代式農業技法・農具は(+商品作物)は尋常ではない経済効果を産んだであります。
どれだけ尋常では無いかというと…………
介入できる【閃き】が22枠(+15枠)になったであります。
流石にいくつかの【閃き】はすっ飛ばさないと、永遠に終らないであります。
もしくは【閃き】の重ねがけで介入準備期間を短縮していくであります。
いくつかは【日本の技術レベル】の底上げにも使用していくであります。
開国という世界の荒波に耐えるには【技術】が不可欠であります!
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【日本の技術レベル】
|科学:01(基本的な理学全般)
|工学:02(モノづくり全般)
|材料:01(素材やエネルギー全般)
|生物:01(農業・畜産・医学・薬学など)
|電磁:00(電気製品・発電・コンピュータなど)
|環境:00(地学・建築・土木・自然保護など)
|流通:01(物流や兵站など)
|政経:04(政治経済や社会問題の解決能力全般)
|文化:01(外交・異文化交流・芸術・娯楽など)
|軍事:00(兵器開発・戦術・軍制など)
※00を史実相当、30(Max)を2020年相当とします
※「発展を阻害する各種規制緩和」を既に加えた状態です。
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【年表】
・1830年
救荒作物推奨令が公布される
・1832年
共通規格化令が公布される
職業訓練学校が開校する
・1833年
幕府公認の銀行(後の日本銀行)が設立される
株式会社の設立を幕府が許可する
日本初の和製クリッパー船が航海する
水稲農林一号が開発されて全国で栽培が開始される
・1834年
様々な農機具、農技法が編み出されて全国に広がる
現代において
1833~1834年を天保の農業改革の始まりとしている。
1830年を含めるか否かの議論が行われるきっかけとなったのは、
水稲農林一号そして1834年の発明が江戸の歴史を塗り替えるほどに画期的だったためである。
様々な種類の備蓄の重要性を民間に行き渡らせた1830年も重要ではあるが、前述に比べると見劣りしてしまうのは止むをえないといえよう。
また、この年以降、飢饉という現象は現代日本に至るまで発生する事はなかった。
補足ではあるが、水稲農林一号を開発した並河俵兵衛、鉢蝋大五郎両名は、新潟県の駅前に銅像が建てられている。
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さて、次回予告ではありますが次の閃きは以下であります。
これに「発展を阻害する各種規制緩和」を加えるであります。
●富岡製糸場建設(7か月)
●北海道の開拓(7か月)
●開国準備(7か月)
●兌換紙幣(金本位制)の研究(7か月)
●蒸気機械の研究(7か月)
●予防接種や衛生概念の普及(7か月)
・大政奉還による立憲制近代国家形成の”準備”(1年)
・国立大学設立(1年)
・防諜・諜報機関設立(1年)
・労働法と最低賃金の制定(1年5か月)
・琉球統一(1年5か月)
・ビタミンの発見「2枠」(2年7か月)
・研究:工学+2「4枠」(1年)
・研究:政経+2「4枠」(1年)
・研究:生物「2枠」(1年)
誤字報告、毎度有難うございます。