■
ノワールにとって、プルルートとは唯一の存在だった。
いつでも一緒だった。きっかけは些細なことではあるが、それは人であった時でも、女神になった時からも変わらない。進むべき道は違えど、その道はところどころで彼女と重なっていて、それが永遠に未来へ続くものだと、そう思っていた。あの屈託のない笑顔はいつでも自分の傍にあるものだと、そう信じていた。
――プルルートが、「あちら側」へと飛ぶまでは。
数年前に発生した、とある少女の落下から起こった一連の事件。長い物語の末にその事件は収束したが、果たして訪れた終焉は、ノワールにとって決して望ましいものではなかった。
光の道。それによって繋がった、向こうの世界。
あろうことか彼女は、その向こう側へと残ってしまったのだ。否、正確には自らの意思であちらへ向かった、と言うべきだろうか。彼女は自身の選択により、その道を択んだのだと。
しかしながらそれを認めてしまうと、ノワールはどうもやるせない気持ちになってしまう。
離れ離れになるのが嫌だと言っていた。
本来、出会うはずのない彼女に別れを告げることができず、あの光の道へと足を踏み入れてしまった。それはノワールにとって、断絶と言っても間違いではなかった。
これまで築き上げてきた自分と繋がりではなく、彼女との繋がりをプルルートは択んだのだ。それはノワールにとっての過去を、現在を、未来さえをも否定されたようなものだった。
不思議なことに、涙は出なかった。はじめは驚きもしたが、幾分か経ってふつふつと湧いてきたのは、悲哀でもなく、憤怒でもなく、ただ諦めのような錆びついた感情。それは数年が経っても色が戻ることはなく、ただただ自分が捨てられたことを、ノワールは受け入れていた。
おそらく、間違いなのだろう。だが、何が正しいかすらも分からない。どうやって彼女の喪失を受け止めればいいのか、黒く錆びついた心はどうすれば元通りになるか、何もノワールは知らない。
泥の中へ沈んでいくような思考は、やがて朝焼けによってかき消される。
「……あ」
青く染まりつつある空を見上げたのは、これで二千と五百五十七回目。
また、彼女のいない朝がやってくる。
■
「ノワール、目の下のクマがひどいですわよ?」
プラネテューヌに向かう途中、ノワールと合流したベールは、一番にそう言った。
「……あなたには関係ないわよ」
「関係ありますわよ。あなたがそんな様子では、場が締まらないではないですの」
知ったことか、とノワールは心の中で呟いた。
そもそも、自分が居ないと引き締まらないのなら、集まりなぞしなければよいものを。
「いくら女神の体だからといって、さすがにきちんと睡眠はとった方がよろしくてよ?」
「うるさいわね……別にいいじゃない。ちゃんと国の仕事もしてる。こうしてあなた達にも付き合ってる。それの何が不満なのよ。私の体がどうかなんてこと、どうでも……」
そこで初めて、ベールの瞳に気が付いた。
灯るのはその言葉に対する怒りではなく、どこか落ち着いた、憐れみの眼。うっすらと開かれた瞼から送られる静かな視線は、けれどノワールの胸を突き刺すようであった。
思わず口を抑える。思考の循環、その後に軽い眩暈がノワールを襲う。
ふらついた彼女の体を、ベールがしっかりと抱き止めた。
「……考えすぎですわよ、ノワール。心情的にも、物理的にも」
「そう……だったみたい。そう、少し……頭が、疲れて」
「一度、頭を空っぽにして休んだ方がよろしくてよ。リーンボックスでもルウィーでもいいから、観光なんでしてみるのも、気分転換にいいかもしれませんわ」
「……ありがと」
小さく呟いたノワールに、ベールが微笑みで返す。
やがて二人が辿り着いたのは、プラネタワーの頂上だった。
■
「遅いわよ、二人とも」
はじめに聞こえてきたのは、そんなブランの声であった。その後ろには不安そうなネプギアと、その彼女に寄り添うピーシェが立っていて、その三人の中心には心配そうに二人を見つめるイストワール。
呼びかけにベールは手を上げることで答えたが、ノワールは何も返さなかった。返す余裕などなかった。
「皆さん、今回も集まってくださってありがとうございます」
やがて場を仕切り始めたのは、ネプギアだった。
「これで七年目だったかしら? 節目でもなんでもないけど」
「そうですわ。でも悲しいことに、あちら側はたった一週間しか経ってないんですのよね?」
「残念ながらその通りです……対処のしようがありませんから」
ため息を吐きながら、イストワール。
「でも、皆さんのお陰でプラネテューヌのシェアは、今まで以上に集まりました」
決心するように言うネプギアの顔には、まだどこか陰が残っている。
「だから、きっともう一度……あの光の道が開いてくれるはずです」
青空を見上げながら、言い放った。
――目的は、帰還不能となったネプギアを元の次元へと戻すためのものだった。
、あの時ネプテューヌが通った光の道は、二人しか通れいないもの。つまり、そこでネプテューヌと共にネプギアも超次元――向こうの次元へと帰還する予定だった。それなのに。
今になっても鮮明にノワールは覚えている。あのプルルートが走り出し、ネプテューヌへと抱き着いたのだ。そして、離れ離れになりたくないと。自分よりも彼女を択んだ瞬間だった。その光景は、何度もノワールの脳裏で流れ続けている。彼女の涙を思い出すたびに、色褪せた感情が積もっていく。
「それで、実際のところはどうなの?」
ブランの問いかけに、ネプギアが顔を曇らせる。
「この調子でシェアが集まってくれれば、たぶん上手くいくはずです……けど」
「けど? 何が問題がありますの?」
「……あっちのイストワールさんの見解だと、一人分の道しか開けられない、って」
光の道には制限がある。
元より偶然によって起こった現象なのだ。それを人為的に起こすことができる、その事実が既に奇跡に近い。ましてや、その奇跡を肥大化させることなど、いくら女神であって不可能なことだった。
それが意味することは、つまり。
「プルルートさんが帰ってこられないということです。言いかえれば、プルルートさんを戻すことはできますが、ネプギアさんがまたこっち側に取り残される、ということになりますね」
淡々と答えるイストワールに、誰も何も返せなかった。
ただ一人、ノワールを除いては。
「別にいいんじゃないの、帰ってこなくても」
元よりノワールにとって、この計画はネプギアを向こう側へと戻すためのもの。その姉とプルルートによって取り残され、何年もこちら側での生活を余儀なくされているネプギアがあまりにも不憫すぎるので、手を貸しているだけ。あくまでもネプギアのために、ノワールは動いているのだ。
だから決して、プルルートがこちらへ帰還することを望んでいるのでは、なかった。
「ノワール? あなた、何を言って……」
「そのままの意味よ。ネプギアが元の世界へ帰れば、私は満足ってこと」
「ですが、プルルートは」
「知らないわ。あいつは、自分であっちに行くことを択んだんじゃないの?」
だったら、自分たちが何か言えるわけでもない。もう、引き留めることはできないのだから。
薄暗い感情が心を支配していく。けれど、それを拒絶するわけでもなかった。憎悪も何もない。言葉で表すのなら、虚無というのが正しいのだろう。心の根幹から、何かがすっぽりと抜け落ちたような感覚。
それだけ、彼女にとってプルルートという存在は大きかった。
「……ノワールさんは、それでいいんですか?」
恐る恐る、ネプギアが問いかける。
「初めての友達だって、プルルートさんからは聞きました。どんな時でも一緒だったって……それなのに、今ではこんな事になってしまって……私、ノワールさんが望むのなら、もう少しこっちに居てもいいですから。ですから今回は、プルルートさんを戻す方向に代えても……」
「いいって言ってるでしょ」
言葉を遮るように言い放つノワールに、ネプギアは口を閉じた。
「……あなたが我慢する必要なんてどこにも無いのよ、ネプギア」
「でも……」
「これでいいのよ、私は。だから」
声を震わせる彼女の肩に、優しく手を置いて。
「二度と、私とプルルートのことを口にしないで」
やがて、ブランとベールもプラネタワーを後にした。ネプギアも何か言いたげな表情をしていたが、結局プラネテューヌのシェアを収集するため、仕事へ戻っていった。残されたノワールは、未だに青空を見上げている。自国に戻る気力はどうしてか残っていなかった。ただ、もう少しだけ、空を見上げていたかった。
もしかすると、誰かが落ちてくるかもしれないから。あの時のように。
けれど、それは叶わなかった。
赤い瞳には、透き通る景色だけが映っている。
「プルルートさんが帰ってこず、ネプギアさんが帰られても、それはそれで困るんですよね」
振り返ったその先には、困り顔のイストワールが居た。その隣にはピーシェが立っている。
「どういうことよ」
「プラネテューヌの女神が居なくなってしまうんです。そうするとこの国は衰退して、やがて無くなってしまいます。ですからネプギアさんには申し訳ないんですが、私としてはプルルートさんを先に戻したいんですよ。というかそもそも、プルルートさんがあんな行動しなければこんなことには……!」
「あの子は後先考えないから仕方ないわよ。残された方の身にもなりなさいっての」
ため息を一つ。当人が居なくなっても面倒事を残すとはどういうことだろう。というより、プラネテューヌの女神は他人に迷惑をかけないと生きていけないのだろうか。冗談でそんなことを考えたが、あながち間違いでもないところが悲しかった。そして、その迷惑が恋しいことも、事実だった。
二度とその喧噪に巻き込まれず、これから先に続く空っぽの日常を受け入れられる、ということも。
「……最終手段は考えています。ですが、これはあまりにも無謀というか」
「その時はまた手伝ってあげるわ。いくらか国からの支援もしてあげるから」
「ありがとうございます」
「いいのよ。それに、ベールとブランも協力してくれるだろうし」
形式上対立はしているもの、なんだかんだで皆、プラネテューヌのことは好いているのだ。ノワールは勿論のこと、ブランとベールは事情を話せば納得してくれるだろう。その程度の信頼はあった。
……プルルートのいない未来が、どんどん形作られてゆく。来るはずのなかった世界の景色が、だんだんと鮮明になってゆく。心がまた、色褪せて行くのをノワールは感じていた。
「……ぷるると、もう帰ってこないの?」
ピーシェの言葉に、ノワールは。
「そうよ。だから、これからはあなたがプラネテューヌの女神になるの」
■
前回の会合から、一週間が経過した。
そもそもの集まりは不定期であったが、進捗に関してはそこそこ順調だった。だからいつかはネプギアも元の次元に帰れるようになると思っていたし、そのためにノワールをはじめとした三人も、出来る限りの協力をしてきた。そのために自国のシェアを僅かながら分け与えることも、辞さなかった。
『次に集まるときには、ネプギアも無事に帰れるみたい』
「そう、良かったわ」
通信機の向こうから聞こえてきたブランの声に、ノワールは短く返した。
『……相変わらず、あの二人は通信に出てこなかったけど』
「どうせ昼寝でもしてるんじゃない? 半年前から出て来なくなってるんだし」
こちら側の一年は、あちら側にとっての一日らしい。だからほんの数時間の睡眠でも、こちら側にとっては数ヵ月の睡眠となる。それに加え、あのプルルートとネプテューヌのことだ。数時間どころか下手したら一日中、ぐうたら寝ている可能性まである。故に、数ヵ月の音信不通はある程度予想できたことだった。
『……あちらのイストワールも何も言わないし、本当にどうしましょうね』
「あちら側は関係ないでしょ。シェアは足りてるんだし、ネプギアが帰れるのなら、それで」
『まだそんなことを言ってるの?』
少し苛立ったようなブランの声に、ノワールが純粋な疑問を向ける。
「どうしたのよ、急に」
『プルルートが帰ってこなかったら、プラネテューヌはどうなるのよ。それに』
「ああ、そういえば言ってなかったわね。これからのプラネテューヌの女神はピーシェが務めることになるみたい。でも、あの子はまだ小さいから、私達で協力し合いながら……」
『……私は、あなたの話をしているの』
言い放ったブランに、ノワールが首を傾げた。
『あなた、プルルートが居なくなってから狂ったわ』
「……そんな、こと」
『マトモに睡眠もしていないみたいだし、何より無気力になった。私の知ってるノワールはもう少し生意気で、話の分かる女神だと思っていたけど……今のあなたは違う。何かが抜け落ちてしまっている』
「そんなこと」
分かり切っている。理解している。そして、受け入れてしまっている。
プルルートが居てくれたからこそ、ノワールはノワールとして、ラステイションの女神としてこの世界に存在できたのだ。もはやそれは、彼女を構成する要素の一部と言っても過言ではないほどに。
だが、今はもういない。二度と戻ってこないと、ノワール自身が認めてしまっている。
ぽっかりと空いた大きな欠落が、だんだんとノワールを歪ませていた。けれど、ノワールはそれを認めたくはなかった。他人に頼らなければいけないなんて、たった一人の少女がいないと自分は自分でいられないなんて、そんな不完全な存在にはなりたくなかった。それは女神として、そしてノワールという一人の少女としての願いでもあった。
「プルルートがいないと、私は駄目ってこと?」
崩れ落ちそうな、ぐずぐずに爛れてしまいそうな声で、ノワールが問いかける。
『あの子と一緒に居るノワールの方が、私は好きよ』
それから、ブランの声は聞こえなくなった。
■
次の集まりまでには、十日ほどっかかったと思う。日付の感覚が薄れているノワールには正確には分からなかったが、それほど時間がかからなかったということは理解できていた。
プラネタワーの、その頂上。ガタガタ震え始めたイストワールから、向こう側のイストワールの声が聞こえてきた。
『ではネプギアさん、準備はよろしいですか?』
「はい……いつでも、大丈夫です」
両手をぎゅ、と握りしめながら、ネプギアがそう答える。
すると彼女は、一度だけノワールの方へと視線を向けると。
「……すいません。やっぱり私、まだここに残ってもいいですか?」
『え? ネプギアさん、いきなり何を……』
「その代わりに、お願いです。プルルートさんを、こっちの世界に戻してください」
その言葉に、ノワールが思わず前に出た。
「ネプギア……あなた」
「ごめんなさい、でも耐えられなくて……!」
「だからって……! いい加減にしなさいよ!」
「ノワール! 落ち着いて!」
拳を振り上げたノワールを、背後からベールが抑え込んだ。
「何よみんな、私がプルルートと一緒じゃないからって! あいつがいなくても、私は一人でやっていけるわよ! 私はそんなに弱くない! そんな情けない女神なんかじゃない!」
「ノワールっ!」
「あなた達が、私とプルルートの何を知ってるのよ! 何も知らないんでしょ!? だったら余計な口出ししないで! あいつはあっちに残ることを択んで、私は捨てられた! それでいいじゃない!」
視界が滲む。喉の奥が痛くなった。
「……確かに私は、こっちのノワールさんのことも、プルルートさんのことも何も知りません」
だけど。
「大切な人と会えない寂しさは、分かります。ノワールさんも、本当はそうなんですよね?」
その言葉に、ノワールは何も言い返せなかった。
得体の知れない感情は、それだった。いつも一緒に居たから、分からなかった。何時でも会えると、何度も交差する運命にあると思っていたから、そんな感情を抱くはずないと信じていた。
「……そんな……寂しい、なんて……!」
ぼろぼろと大粒の涙が、ノワールの瞳から流れてゆく。
「寂しいなんて言えるはずないじゃない! 言ったところで、プルルートが帰ってくるはずないのに! だから、認めるしかなかったのよ! 諦めるしかなかったの! そうすることしかできなかった! それなのに!」
「ノワール……あなた」
「早く行きなさいよ、ネプギア! 早く私に諦めさせて! お願いだから!」
慟哭のようだった。荒々しい叫び声に、誰も応えることはない。
ただ、恐る恐ると言ったように、イストワールの声が響く。
『……その、ノワールさん? 今の流れで、非常に申し上げにくいことなのですが……』
「何よ!? そんなこといいから、さっさと――」
光が訪れたのは、その瞬間だった。
青空へと続く、純白の道。それは、かつてプルルートが歩み始め、ノワールが歩むことのなかった道。決して重なることのない、彼女が択んだ道でもあった。
そして。
『あっ、できた! 道ができたよ! ぷるるん、早く行こっ!』
『ええ~、もう~? ちょっと待ってよ、ねぷちゃん~!』
声が、聞こえる。
二度と耳にするはずのなかった、声が。
「……嫌な予感がするから、離れて置くわ」
「奇遇ですわね、ブラン。私もそちらへ寄ってよろしくて?」
「ピーシェちゃん、危なそうだからこっちに……」
「なーに? って、あーっ! ねぷぎゃ、見て見て! 空っ!」
ピーシェが指し示した、空の向こう側。
そこには、こちらへと落ちてくる少女の影が、ふたつ。
「あれ~? なんか~、落ちてる~?
「またこのパターン!? うわあっ、みんなどいてどいてー!」
「ちょっと、なんでこっちに来て――――のわああぁあああああっ!?」
■
――プラネテューヌの女神とは、空から落ちてくるものらしい。
いつだったか、他愛もない会話の中でネプテューヌの出自を訊ねた時、女神としての記憶を失ったまま、宙から堕ちてきたということを聴いた。そして、そこから様々な出会いを重ね、最後には女神としての役割を成し、今の立ち位置にいるという。
なんとも間抜けな始まりだと思ったが、ノワールにとっての物語の始まりも、彼女の落下からだということに気が付いていた。彼女がいなければ、ノワールはブランやベールと出会えなかったかもしれないし、そもそも女神そのものになれなかったのだろう。そういう意味であれば、彼女らが空から降ってくることは、何かの始まりを意味しているのかもしれない。
しかし。
「いたた~……あ、ノワールちゃん~! ノワールちゃんだ~!」
毎回毎回、自分の真上に着地する必要は、果たしてあるのだろうか。
ネプテューヌで一度、ネプギアで一度。
そして、あろうことかプルルートで一度と、更にネプテューヌで二度。
プラネテューヌの女神の下敷き役、次元を跨いでコンプリートである。ふざけるな。
「お、お姉ちゃん……? どうして……」
「ネプギア、一週間ぶりだね! あ、でもこっちだと七年ぶりになるんだっけ?」
「……お姉ちゃんっ!」
両腕を広げるネプテューヌの胸の内に、ネプギアが飛び込んだ。
更に重みが掛かってくる。なぜ彼女らはいつも、自分の上で物事を済ませようとするのだろうか。
「やっと会えた~! ノワールちゃん、ひさしぶり~!」
ぺたぺたと、こちらの気苦労など知らずに顔を触ってくるプルルート。
相変わらず自分のことを下敷きにしていることなど、気にもかけないネプテューヌ。
久方ぶりの再会に涙を流すネプギアは、まあ許してやらなくもないけれど。
「……あれ~? ノワールちゃん~?」
きょとん、と。不思議そうな顔で首を傾げる彼女に、ノワールは。
「なんで帰ってきたのよ、あなた」
そう、吐き捨てた。
「……え?」
「何よその顔。あなたが帰ってきただけで、私が手放しで喜ぶと思ったの? あのね、そんなに私は都合のいい女じゃないの。本当に気楽でいいわよね、あなたは」
固まったプルルートに、ノワールは続ける。
「あなたは私を捨てて、ネプテューヌを選んだはずでしょ? なのに、どうしてこっちに帰ってきたのよ。向こうでずーっと、あいつと楽しく暮らしてれば良かったじゃない」
「捨てる……? なんで、そんなこと……」
「今更そんな顔しても無駄よ、プルルート。あなた、ネプテューヌと離れ離れになるのが嫌だって言ったけど、私とはそうじゃなかったんでしょ? だから、あなたはネプテューヌが居る向こう側へ行った。その光の道は、あなたが選んだ道なのよ」
「ちが……ちがう、よ……」
「別に気を遣わなくてもいいのよ。私のことなんか忘れて、大人しくネプテューヌと元の次元に――」
「そんなこと、できるはずないよっ!」
続くノワールの言葉を遮ったのは、プルルートの叫び声だった。
「なんでそんなこと言うのっ、ノワールちゃん!」
「ちょっ、プルルート!? いきなり何を……」
「ばかっ! ノワ―ルちゃんのわからずや! そんなんだから友達できないんだよ!?」
鬼灯の色をした瞳には、いっぱいの涙が浮かんでいる。
これほどまでに荒れるプルルートを見たのは、初めてだった。今までに見たこともないほどに大きな声を上げる彼女の姿に、思わずノワールは口を開けたまま呆けていた。
「わたしはっ、ノワールちゃんが女神になれるって信じてたし、これからもずっと友達でいられるって思ってるの! そんなノワールちゃんを捨てるなんてこと、わたしがするはずないでしょっ! なのに、どうしてそんなこと言うの!?」
「な……っ、でも、あなた……!」
「寂しかった! ノワールちゃんに会えなくて、ずっとずっと寂しかったもん!」
決壊、という言葉が正しいのだろう。崩れ落ちるように、プルルートがノワールの胸へと顔を押し付ける。そうして嗚咽に塗れた声のまま、続けた。
「わたしはノワールちゃんとも離れたくないし、ねぷちゃんとも離れたくないのっ! どっちかだけ択ぶなんて、どっちかだけ捨てるなんて、そんなことできないもん!」
「プルルート……でも、そんな我儘を言ったって、どうにも……」
「だから、そうならないようにしたの! みんながずっと、友達でいられるように!」
ほらっ、とプルルートが指先で示す、その先には。
虹色の輝きを放つ光の道が、空の彼方までに伸びていた。
「お姉ちゃん、これは……?」
「ああ、これ? この神次元と超次元を自由に行き来できる、新しい虹の道だよ!」
よいしょ、とようやくノワールの上から立ち上がり、ネプテューヌが虹の道を見上げる。
「いやー、大変だったよ。なにせ、七年間分のシェアをたった七日間で集めないといけなかったんだから。もう私もぷるるんも休む暇なんてほとんどなくて。特にぷるるんなんて、お昼寝を返上してまでシェアを集めてたからね。あそこまでマジモードのぷるるん、私は初めて見たよ」
「じゃあ、私たちは……」
「うん、いつでもぷるるんに会えるようになったの!」
その言葉に、ノワールが改めてプルルートへと視線を送る。
「……あの時は、ごめんね?」
「プルルート……」
「わたし、みんなが離れ離れになるのが、どうしても嫌だったの。でも、それを止めるにはどうすればいいのか分からなくって、でもわたしはちゃんと信じてたから、ねぷちゃんの方に行ったの」
「……信じてるって?」
「ノワールちゃんとは、きっとまた会える。ぜんぶ終わらせたらまたいつも通り、いっしょになれる、って」
いつも、そうだった。
彼女は信じていた。ノワールが自分と同じ女神という存在になれることも、ブランが女神に返り咲くことも、ベールが自分たちと同じような仲間になれるということも。根拠も何もないけれど、その信じる心こそが、プルルートという少女の、アイリスハートという女神の在り方だったのだと思う。
「……ノワールちゃんは、寂しくなかったの?」
プルルートの問いかけに、ノワールは。
「――寂しかったわよ、バカ!」
いつも通りの、素直になれないままの台詞を吐き捨てながら、彼女の体を強く抱きしめた。
もう二度と、離れ離れにならないように。決して、道を違えぬように。
ずっとずっと、一緒でいられますように。
■
別の次元に存在する自分からのメッセージとはなんとも不思議なものだったが、数日もすればノワールは慣れた。もとより、意味不明な現象がそこかしこで起こる世界なのだ。これくらいの順応性が無ければ、女神などやっていけない。
『あなたのお友達の世話、本当に大変だったのよ』
携帯に表示されるテキストを目で追いながら、ノワールがため息をひとつ。
『勝手にやって来たかと思えば、我が物顔でくつろいでいくし。かと思えば「なんかちがうね~」とかなんとか言いだして、そしたら次の日には大慌てでシェアを集めるのに協力してほしいって押しかけてきて』
気苦労なのは、こちらの次元でもあちらの次元でも変わらないらしい。
以下、だらだらと続く愚痴を適当に読み流しながら、最後に綴られた文字へと目を向ける。
『確かに私はノワールだけど、でもあの子の友達のノワールじゃないの。あの子と一緒に居たノワールは、あなただけ。あの子の寂しさを埋められるのもあなただけなんだから。ちゃんと自覚しなさいよね』
「……それくらい、分かってるわよ」
口を尖らせながら呟いたノワールに、プルルートが首を傾げた。
「あっちのノワールちゃんから~?」
「そう」
短く返したノワールに、けれどプルルートはそれ以上を訊ねなかった。
ネプテューヌとネプギアは元の次元でのシェアの借金返済。ブランとベールはいつも通り仕事に追われており、ピーシェはイストワールと外出。だから、ここ残ったのはプルルートとノワールだけ。
久方ぶりの、二人きりの時間であった。
「……それにしても、まさか別次元とずっと繋がる道ができるなんてね」
「大変だったんだよ~? みんなに手伝ってもらって、やっとできたんだ~」
「ちゃんとお礼とかしておきなさいよ。私も手伝ってあげるから」
「うん~! ありがと~!」
なんて他愛もない会話を幾度か繰り返しつつ、また静かな時間が流れていく。
元より、あまり会話は続かないほうだった。加えてプルルートは趣味の裁縫をしているし、それに何より、そんな彼女を無言で眺めるこの時間がノワールは好きだった。
やがて次に口を開いたのは、プルルートで。
「……わたしたちって、虹みたいだと思うの~」
「どういうことよ、それ」
唐突に言い渡されたその言葉に、思わずノワールが聞き返す。
「あの道を見て思い出したんだけどね、やっぱりわたしたちは虹みたいなんだな~って」
「だから、その意味を聞いてるんだけど」
「え~っとぉ~、まずノワールちゃんが黒で、ベールさんが緑で、ブランちゃんが赤で~、ピーシェちゃんが黄色かな~? それにねぷちゃんが濃い目の紫で、ネプギアちゃんが薄い目の紫で、わたしはその真ん中くらいの紫なの」
詳細を聞いたこちらが悪かったのだろうか。一つも意味が理解できなかった。
「……色がめちゃくちゃじゃない。紫が三色もあるし。第一、虹に黒なんて似合わないわよ」
「でも~、虹の中に黒がいらない、っていう理由もないでしょ~?」
それに。
「どんな色でも、同じ道をいっしょに進めるって~、わたしは信じてるから~」
――アイリスハート。
それが彼女だった。鈍感でズボラでちょっとどこか抜けている、けれど誰かと誰かを繋ぎ留められるのなら、その身を簡単に捧げられる存在。誰よりも永遠を愛し、静かな日々が続くことを願った少女。
そして、ノワールの傍でいつも笑ってくれるひと。かけがえのない友人で。
「……そうね。もう二度と、離れ離れにはならないわ」
ノワールの言葉に、プルルートはいつも通りの、屈託のない笑顔を浮かべて。
「うん! これからも、ず~っといっしょだよ、ノワールちゃん~!」
■
■
「アイリス」
「希望」「友情」「燃える思い」「知恵」
――「信じる心」