気まぐれな天才少女に、なぜか懐かれてしまったバーテンダーのお兄さん。

少しラブコメ風味かもしれません。

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日菜ちゃんに「おにーちゃん」と呼ばれたい一心で書いてしまいました。


天才少女とバーテンダーのおにーちゃん

冬枯れの街には色がない。

何もかもがくすんで見える。

日曜日の夕刻だから、通りを行き来する人は多い。

賑やかといえば賑やかなのだろう。

だけど俺には。

どうにも灰色に見えるのだ。

 

「ん~」

 

俺は伸びをして、あくびをした。

眠い。

というかダルい。

これから仕事なんだよなぁ。

とぼとぼと歩いてると、職場に着いちまった。

古びた木製のドアに、CLOSEDのプレート。

 

「ま、それなりに頑張るか」

 

そんな言葉をつぶやいて、ポケットをまさぐる。

いつも右ポケットに職場の鍵を入れているのだ。

……が。

 

「ない」

 

鍵がなかった。

やばい。

やばすぎる。

どこかで落としたのだろうか。

俺はあわてて違うポケットやら鞄やらをまさぐるのだが、どこにもない。

なんてこった。

 

「し、仕事ができないじゃないか!」

 

頭を抱えて叫ぶ。

実は俺は、バーテンダーをしている。

といってもまだまだ1年目の駆け出しだ。

カクテルをつくるのも、接客も、未熟者。

これから上手くなっていくしかない。

そんな状況だというのに、開店すらできないだと?

 

「店長に怒られる……」

 

うなだれて、はぁっとため息をつく。

鍵がないのではどうしようもない。

とりあえず、警察に届け出るしかないのか。

鍵みたいな小さいもの見つかるとは思えないけど。

そうなると業者を呼んで強制開錠だよなぁ。

お金どれぐらいかかるんだ?

空を見上げたとき、女の子の声が聞こえた。

 

「ねーねー、どうしたの?」

 

へ?

俺に言ったのか?

思わず振り返るとそこには。

くすんだ冬枯れの街に似つかわしくない、キラキラとした色彩をまとった少女がいた。

青みをおびたつやつやとした髪、宝石のようなエメラルドの瞳。

まだ高校生ぐらいだろうか?

私服だからはっきりとはわからないが。

俺は思わず目を細めてしまった。

まぶしいって感じたからだ。

いや、その、こんな年下の女の子相手に、変な感情とかは抱かないけどさ。

 

「ん?」

 

思わず見つめてしまったからだろう。

女の子が可愛らしいしぐさで首をかしげる。

 

「あ、いや、その」

「困りごと?」

 

ぴょんっと跳ねるように距離をつめてくる。

思春期の少女特有の甘い香りが髪からふわっと漂うようで……俺は思わず顔を背けた。

 

「か、鍵」

「鍵?」

「そう。鍵を落としちまったんだ」

「ふーん」

 

興味なさげな声。

さっきまでぐいぐいきたのに、なんなんだこの気まぐれさは。

 

「それってさぁ、あれじゃないの?」

「え?」

 

少女がこともなく指差した先、俺のすぐ足元というか靴の下。

皮のブーツで踏んづけた小さな金属の先っちょが、夕日を浴びてきらっと光った。

 

「あ!」

 

俺はあわてて脚をどける。

 

「これだ。こんなに近くにあったのか」

「えへへ。なんかキラッとしたからね」

 

女の子が少し自慢げに笑った。

 

「た、助かった。礼を言うよ」

「ん。お礼なんていいけどさぁ」

 

再び少女が俺にぐぃっと近づく。

背の高い俺を覗き込むようにして、いたずらっぽく尋ねてきた。

 

「それって何の鍵?」

 

そんなことが気になったのか?

 

「だって鍵ってなんか面白そう。違う世界を開く道具みたい」

 

女の子が一人で楽しそうに続ける。

 

「なんか、るんっ♪ってするかもっ!」

 

るんっ?

 

「開けたらつまらない部屋かも知れないぞ」

「そん時は罰ゲームだね♪」

「なんでだよ!」

 

思わず突っ込む俺。

あ、なんか女子とのこういう会話、高校生の時以来かも。

って、何を考えてるんだ。

 

「しょうがねーなー」

 

俺は少しあきれた表情を作って、鍵を目の前の扉の鍵穴に突っ込んだ。

カチッ。

古い鍵特有の、妙に心地よい音がする。

 

「この鍵は」

 

俺は古びた扉を開けた。

 

「俺が働いてる、このバーの扉の鍵なんだよ」

「ば、バー!?」

 

うわっ。

なんだなんだ?

女の子がさらに近づいてきた。

っていうかすげー近い。

体が、いや正確にはいい感じに膨らんだ胸が、俺に触れそうになる。

 

「バーって、お酒飲んだりする、あのバー!?」

「そ、そうだけど」

「うわぁぁぁ!」

 

女の子の表情がぱぁっときらめく。

目がキラキラしてる。

 

「るるるん♪ってきたぁ! 見てみたい! 中に入れて!」

 

やわらかくて小さな手で俺の手をつかむと、そんなお願いをしてくるのだった。

 

 

* * *

 

 

「うわぁ、なにこれ、なにこれ。古いお酒がいっぱいある!」

 

そんなわけで、今は開店前のバーに俺と少女が二人。

何なんだ、この状況は。

っていうか、大丈夫だろうな?

未成年誘拐とかで捕まったりしないよな?

 

「ねーねーねー」

「うわわっ」

 

考え事をしていたら、女の子が至近距離で覗き込んでいた。

ち、近い近い。

くりっとした子犬みたいな瞳が、俺を見つめる。

 

「な、なんだよ」

「古そうなお酒のボトルばっかりだね。腐ってないの? 飲んだらおなか壊さない?」

 

あぁ、そういう疑問か。

確かに、うちのバーには古酒が多い。

これは、今はカウンターに立っていない老店主の趣味が反映されている。

販売が終わったヴィンテージボトルやらを集めて置いているのだ。

ほとんど趣味の領域だけどな。

 

「大丈夫だよ。スピリッツは蒸留酒だから。腐ったりしないんだ」

「スピリッツ?」

 

女の子が首をかしげる。

 

「ま、ウィスキーとかのこと」

「ウィスキー! あたし知ってる!」

 

女の子がはいはーいと手を上げた。

元気だなぁ。

っていうか、知ってるって何だよ。

飲んだことあるのか?

 

「映画でね、マフィアのドンが飲んでるやつ!」

 

そう言うやいなや、カウンター前の椅子にひょいっと腰掛ける。

なにやら口の端を歪めてつくり顔をして、俺を指差していった。

 

「ヘイ、マスター。いつもの酒だ」

 

精一杯、低い声を出そうとしているのがなんだか可愛かった。

マフィアのドンになりきっているらしい。

しょうがない、付き合ってやるか。

 

「はいよ」

 

指を鳴らして、カウンターの内側へ。

俺は(多少は)慣れた手つきで、トールグラスをカウンターの上へ。

 

「……」

 

少女のほうを、チラッと一瞥。

まだつくり顔をしていた少女は、目があうとなぜか照れくさそうに笑った。

よしっ。

きめた。

バックバーから、青りんごのシロップとソーダを取り出す。

グラスに氷を入れると、シロップを注ぎ、軽くステア。

ほどよく馴染んだところで、ソーダを注ぐ。

炭酸が抜けないように慎重にバースプーンを差し入れ、軽く氷を浮かすように混ぜた。

女の子は、そんな俺の動作を真剣そのものの表情で見つめている。

俺は、少し照れくさい気分でグラスの内側に、薄く輪切りスライスしたライムをひとつ添えた。

 

「完成だ」

「おぉぉぉぉ!」

 

女の子が目を輝かせる……のだが。

 

「でも、ウィスキー使ってないね?」

 

残念そうに俺を見上げた。

 

「お酒を飲ますわけにはいかないだろ、未成年に」

「あれもやってないし」

「あれ?」

「ほら、シャカシャカするやつ」

 

女の子が面白い動作で腕を振る。

あぁ、シェイカーか。

 

「今回のはビルドって方式で作ったんだ。どっちが優れてるってわけじゃないんだぞ」

「え~」

 

まだ少し残念そうにしていたが。

 

「ま、せっかく作ってあげたんだ。飲めよ」

 

俺が目前にカクテルを差し出すと。

少女の瞳がキラキラと輝いた。

 

「ひ、日菜の髪の色だぁ……!」

 

そうなのだ。

少女の一番の特徴は、美しい青みがかった髪。

その色から連想して、青りんごのシロップを使ったってわけ。

 

「日菜っていうのか? お前」

「そうだよ。おじさんは?」

「うぐっ」

 

思わず口の端が歪んだ。

 

「お、おじさん?」

「違うの?」

「そ、そんなに老けてねーよ。俺はまだ22歳だ。大学にいっててもおかしくない歳なんだぞ」

 

辞めたけどな。

 

「あははっ。それなら、おにーちゃんだ」

「へ? おにーちゃん?」

「うん! あたし、あなたのことちょっぴり気に入っちゃった。だからおにーちゃんって呼ぶことにする! ……特別だよ?」

 

意味のわからないことを言って無邪気に笑う。

戸惑っている俺をよそ目に、カクテルに口をつけ。

 

「おいしぃ~! るん♪ってくるぅ~」

 

また謎の擬音を口にしている。

まったく、わけのわかんねーやつだ。

でも。

なんか、楽しい。

こんな気持ちは久々だった。

ずっと色がないと思っていたここ数年間の俺の世界を。

エメラルドグリーンの色彩が混じって染めていくみたいだ。

 

「ねーねー、おにーちゃん」

「ん?」

「このカクテル、名前はなんていうの?」

 

あー、名前か。

 

「特にない」

「へ?」

 

きょとんとする。

まぁ、普通はそういう反応になるよな。

 

「いや、お前を見て適当に作っただけだから。特に決まったレシピのカクテルじゃないんだ」

「ふぇ!?」

 

女の子が、驚いたように俺と、そしてカクテルを見つめる。

 

「え? え? じゃ、このカクテルって、あたしのためだけの作られたってこと?」

「ま、そうなるな」

「~~~~!!」

 

少女は顔を赤くして、嬉しそうに足をバタバタとさせた。

 

「じゃぁっ、じゃぁっ、これ! 日菜って名前付けてもいい!?」

 

カウンター越しに身を乗り出すと、自分を指差して訊いてくる。

うぅっ、相変わらず距離が近い。

 

「い、いいよ、別に」

「やったーーっ!!」

 

ぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 

「あ、こらっ。危ないだろ」

「ひゃっ」

 

狭いカウンターテーブル前ではしゃぐから、女の子が体勢を崩した。

今度は俺がカウンター越しに身を乗り出す番だった。

女の子の肩をつかんで受けとめる。

やっぱり、良い匂いがした。

そして、初めて触れた体は、ふわっとしていて、驚くほど柔らかかった。

 

「わっ」

 

女の子が、頬を赤くする。

 

「あ、ありがとう」

 

さすがにはしゃいでこけそうになったのが恥ずかしかったのか、祝勝に頭を下げた。

 

「ま、まったく」

 

俺は少しドキドキとしてしまっているのを抑えながら言った。

 

「まだまだ子供だな、お前」

「ひ、日菜」

「へ?」

 

女の子がこちらをチラッと見た。

 

「お前じゃなくて、日菜って呼んでいいよ?」

「お、おぅ」

 

唐突だな。

時々、会話の流れがよくわからなくなる。

たぶんこの子には、独自の思考回路が働いているのだろう。

ぴょんっと跳ねるように俺の腕から離れると、女の子……日菜は、にひっ笑った。

 

「それじゃ、あたし行くね! ばいばい、おにーちゃん!!」

 

台風のように去っていった。

い、いったいなんだったんだ?

ぽつんと残される俺。

と、飲み終わったカクテルグラス。

 

「…………」

 

グラスの中はすっかり空。

というか、氷までなくなっていた。

食ったのか?

食いしん坊か。

なんか笑いが込みあげてきた。

変なヤツだったけど、面白かった。

ま、もう会うこともないだろうけどな。

たぶん高校生ぐらいだろう。

一方、俺はバーテン。

薄汚れた夜の世界の住民だ。

今後接点があるわけがない。

 

 

* * *

 

……と、思っていたのだが。

翌日。

月曜日の夕刻、まだ開いていないバーの扉の前には、なにやらたたずむ人影が。

それは、制服姿の少女。

たたずんでいるだけで人目を引くような美少女は。

昨日の女の子、日菜だった。

 

「あっ!」

 

俺を見かけるなり、猛ダッシュして飛びついてきた。

 

「おにーちゃん!」

 

犬か。

犬なのか、お前は。

まるでよだれだらけの舌で嘗め回してきそうな勢いで俺に頭をこすり付ける。

 

「ちょ、やめろっ」

 

ぐぃーっと引き剥がして、問いかける。

 

「な、なんで今日もいるんだよ」

「ん? 遊びに来たの」

 

あっけらかんと答える。

 

「昨日言ったでしょ? あたし、おにーちゃんのことが気に入っちゃった♪」

 

るんっ♪って擬音が背後で鳴りそうな晴れ晴れしい笑顔。

俺は額に手を当てた。

 

「いやいやいや、日菜、いいか、ここはバーなんだぞ。遊ぶ場所じゃない。お客さんが来る場所なんだ」

「うん。知ってるよ」

「そうかそんならさっさと帰れ」

「やだ」

「なんでだよ」

「だってお客さんが来るのって、20時からでしょ?」

「え?」

 

こいつ、何で知ってるんだ?

 

「昨日のうちに営業時間の張り紙見ておいたんだ-。鍵を失くしてあわててたのが17時半だったから、2時間半は余裕があるよね」

 

にかっと笑ってそんなことを言う。

あ、案外ちゃんと周りを見ているのか?

 

「今日は日直だからぎりぎりで走ってきちゃった」

 

よく見ると、額が少し汗ばんでいる。

きれいな髪の毛が数本、額に張り付いていて、な、なんかエロい。

そ、それに、汗ばんでいるっていってもぜんぜんいやな匂いとかじゃなくて。

むしろなんだろう。

こう、むんとした心地よい熱みたいなのが日菜の体から感じられて……って何を考えてるんだ俺は!

 

「てい!」

 

あわてて日菜を引っぺがす。

 

「と、とにかく。お客さんがいないっていっても、開店の準備があるんだ。日菜と遊んでいる暇はない」

「それもわかってるよーだ」

 

べーっと日菜が可愛らしく舌を出した。

 

「おにーちゃんは準備してていいよ。その間、あたし、椅子に座っておにーちゃんを見ててあげる」

 

邪魔はしないってことか?

っていうか、何がしたいんだこいつは。

 

「ひとりっきりより、女の子が見てるほうがやる気が出るでしょ?」

 

「いひひっ」って感じのからかうような笑い方でそんなことを訊いてくる。

 

「ば、馬鹿。制服姿のガキ相手に女の子を意識したりしねーよ」

「え~?」

 

ぶーたれた表情もつかの間。

すぐに笑顔に戻ると、

 

「それじゃ、時々しゃべり相手になってあげるし、ごくまれに気が向いたらお手伝いしてあげるっ!」

 

そう言って、俺の背中をぐいぐい押して俺ごと店内へ。

 

「あはっ。やっぱりこのお店、るん♪ってくる!」

 

キラキラときらめくような笑顔で、ぽすんっと昨日と同じ椅子に座った。

そこ、お気に入りなのか? 

どうやら自分の指定席のつもりらしい。

 

「マスター、いつものだ」

 

また作りきれていない低い声でそんなことを言う。

 

「いつものなんてない」

「えー。またあれが飲みたいよー」

「昨日は特別サービス」

「ぶーぶー」

「んじゃ、作ってやるからチャージ含めて2000円な」

「に、にせんえん?」

 

大げさに日菜が驚いた。

 

「お、お酒ってそんなに高いの?」

「ま、バーだし」

「あれ? でも昨日のってお酒は入っていなかったような」

「ノンアルコールでも基本的に値段はかわらねーよ」

「不公平だー!」

 

そんなことを言って口を尖らせる。

 

「っていうか、チャージって何? 充電するの?」

「席代って意味」

「え? そーなの?」

「座っただけで自然発生な。日菜、飲んでなくても座ったから1000円は払ってもらうぞ」

「うぅぅぅ、体で払うから許してー」

「あ、あほか!」

 

あははっ、と日菜が口に手を当てて笑う。

よく笑う子だ。

 

「おにーちゃんが赤くなった! やっぱりあたしのこと意識してるっ!」

「し、してねーから」

 

ったく、とんだマセガキだ。

俺はカウンターを空拭きしながらつぶやいた。

小さな呟きをちゃんと聞いていたらしい。

 

「あたし、ガキじゃないよーだ」

 

口を尖らせる。

 

「歳いくつだよ。中学生か?」

「あ、わざと言ってるなー。高校生だよ」

「何年だよ」

「2年生」

「ふーん」

 

はしゃぐ感じが子供っぽいし、1年生かと思った。

 

「反応薄いね」

「当たり前だろ」

「ふーん」

 

俺の真似をしてわざとつまらなさそうにつぶやいた日菜がぐいっとカウンターに身を乗り出してきた。

おいおいおい、また昨日みたいにすっころぶぞ。

 

「ねーねー、おにーちゃん」

「な、なんだよ」

 

グラスを拭きながらちらりと日菜を見る。

にやっと笑う表情がなにやら邪悪だ、と思った瞬間。

 

「ちらっ」

 

そんなベタな擬音を口で言いながら、日菜が制服のネクタイを抜いて、ブラウスを少しだけはだけさせた。

 

「うおっ!」

 

俺は思わず変な声を出してしまう。

 

「あはははー!」

 

日菜のやつ大はしゃぎだ。

 

「おにーちゃん、今絶対ドキッとしたー!」

 

指差してげらげら笑う日菜。

こ、このクソガキめ……っ。

 

「お、お前こそ急にそんなことして恥じらいがないのかよ。お、女の子だろ?」

「えー? 平気だよ、これぐらい。夏場なら暑いときはいつもしてるし」

 

ま、マジかよ。

 

「ほらほらー、もっと近くで見ていいよー」

「だ、誰が見るかっ……って、ん?」

 

俺をからかうのがよほど楽しいのか、この小悪魔は、制服の上着を脱ぎさらにブラウスをはだけさせて煽ってくるのだが。

いま、なんか。

ちらりと繊細なレース状のものが見えたような……。

 

「ひ、日菜」

 

俺はちょいちょい、と肩口を指差した。

 

「あ、あの、たぶん、ブラ。肩紐が見えてる」

「ふぇ?」

 

日菜が、きょとんとした顔で自分の肩口に目をやった。

さっき上着を脱いだときに、想定以上に襟首が開いてしまったのだろう。

制服のブラウスがはだけて、ちらっとだけど、白いブラの肩紐が見えてしまっているのだ。

 

「ひゃ、ひゃえ!!?」

 

今度は日菜が変な声を上げる番だった。

顔を真っ赤にして、はだけていたブラウスを戻し、目をぐるぐるとさせる。

 

「こ、こここれは違うの、あのっ、そのっ、あのっ」

 

真っ赤なほっぺたのまま、俺を見上げて叫んだ。

 

「お、お、おにーちゃんのエッチー!!」

「な、何でそうなるんだよ。お前が自分で見せたんだろうが」

「で、でででも見たのはおにーちゃんだもん」

「ふ、不可抗力だ。それに教えてやっただろ、ちゃんと」

「そ、それはそうなんだけどっ」

 

泣きそうな顔で俺を見つめると。

また顔を真っ赤にして叫ぶのだった。

 

「で、でででも、誰にも見せたことなかったんだもん!」

 

そ、そうなのか。

誰にもブラを見せたことなかったのか。

最近の女子高生は進んでるって印象なんだが。

どうやら日菜はまだまだ本当にお子様らしい。

 

「ま、まぁ、その」

 

俺は鼻の頭をかいた。

 

「わ、悪かったよ。見ちゃって」

「う、うん」

 

ちゃんと謝ったら、日菜は頷いてくれた。

その後は結局、「ブラ見たんだからカクテルつくって!」と謎のおねだりをされて、仕方なく昨日と同じノンアルコール・カクテルをつくってあげた。

二度も作ると、手になじんでくる。

レシピの配分具合もさらに適切に把握できてくる。

 

「昨日のよりもっと美味しい!」

 

と目を輝かせる日菜を見ていると……。

 

「あっ」

 

もう20時になっていた。

や、やべっ。

俺はあわてて立ち上がる。

 

「どーしたの? おにーちゃん」

「も、もう開店時間になってた。札を入れ替えなきゃ」

 

慌てて外に出た。

 

「うっ。寒っ」

 

冬の空っ風が頬を撫でる。

さっきまではこんな寒さ、感じなかったんだけどな。

もちろん、室内にいたんだから当たり前なんだけど。

でもそれだけじゃなかった。

日菜と騒いでいると、時間が経つのも忘れてしまっていた。

一瞬で開店時間になってしまったような感覚だ。

いつもなら、あの薄暗いバーの中で、俺は一人で準備をしていて。

まるで冷たい監獄の中にいるような気分だったのに。

そう。

俺は今まで、室内にいたって、冷えびえとした寒さを感じていた。

暖かいだなんて、感じたことがなかったんだ。

 

「…………」

 

なんとなく、口元が笑ってしまった。

世界が少しだけ、色を取り戻したような気がする。

色がないと思っていた冬の街が、わずかだけど色づいて見えるような気がする。

 

「なんてな」

 

浮かれすぎすぎだろ、俺。

自分を戒めるように、扉にかかっているCLOSEDの木版をこつんとたたく。

そしてそれを裏返した。

再び室内に戻ると、日菜が俺の胸に飛び込んできた。

 

「おにーちゃんっ!」

 

ほんと犬かよ、お前は。

 

「ねーねー、あたし、役にたってた?」

 

キラキラした瞳で問いかけてくる。

いやいや、いったいどこに役に立った要素があるんだ。

遊んで騒いでカクテル飲んでただけだろ。

 

「んふふふ」

 

それでもまぁ。

ほめてほめてと言わんばかりの表情で俺を見上げてくる少女を見ていると、悪い気はしない。

実際、退屈しなかったしな。

 

「ま、一応いてくれてよかったよ」

 

そう言って、頭をぽんぽんとすると。

 

「やったーーー!!」

 

飛び跳ねそうな勢いで喜んだ。

そのまま、ぐるぐると走り回りそうだ。

実際、狭い店内で駆け出そうとしていた日菜の首根っこを捕まえて俺は言った。

 

「それはともかく、そろそろ帰れよ? もう開店するんだから。それにあんまり遅くなると家族に怒られるぞ」

「あ、うん……」

 

急に日菜のトーンが落ちる。

なんだ?

「帰りたくないー!」とかもっと騒ぐかと思ったんだが。

さっきまではしゃいでいた子犬みたいな少女が、急にトーンダウンするもんだから、変な空気感になってしまう。

 

「なんだよ、急に」

 

聞くべきかわからなかったけれど。

気になってしまった。

だから、問いかけた。

好奇心とかじゃない。

一応こう見えても年上だしな。

なにか理由があるなら、アドバイスでもしてやろうかと思ったのだ。

ほんのちょっとした気まぐれだ。

 

「えと」

 

日菜が、俺を見上げる。

その表情は、驚くほど整っていて。

子供っぽいというよりは、さめた大人っぽさがあった。

 

「最近、あんまり帰りたくないんだ」

 

ポツリと、そう言う。

 

「家に帰ると、その、おねーちゃんが……」

 

おねーちゃん?

そこまで言ってから、きゅっと口を閉じた。

 

「やっぱ、いいや!」

 

唐突に、あっけらかんと歯を出して笑う。

なぜか少しドヤ顔まじりの「いひひっ」って笑い方。

 

「また今度、気分がノったら聞いてもらうね」

 

犬っぽかった少女は、今度は猫のように気まぐれだ。

ってか、今度?

 

「また来る気なのか?」

「え? もちろん」

 

あたりまえだよ?とでも言いたげに首をかしげる。

いやいやいや、可愛いしぐさでごまかされないからな?

 

「一応お店なんだけど。何度も言ってるけどさ。暇つぶしの場所じゃないぞ?」

「えー。暇つぶしじゃないよー。役に立ってたでしょ」

「いや、その」

「おにーちゃんが自分で言ってたし」

「うぐっ」

 

しまった。

そうだった。

さっき俺が自分で認めたんだった。

っていうかこいつ、時々妙に計算高いというか賢しいんだよな。

まったく、読めないヤツだ。

俺は鼻の頭をかいた。

 

「ま、まぁ、その」

 

ちょっと言いよどんでから、つぶやいた。

 

「い、一応俺も、楽しかったしな。認めちゃったのは事実だし。ま、まぁ、たまに遊びに着たら、また相手してやる」

「えへへー」

 

にやにやと日菜が笑う。

 

「ブラだって見ちゃったし、ね?」

 

か、からかいやがって!

 

「お、お前なぁ! 見られて真っ赤になって照れてたくせに!」

「真っ赤になんてなってないもーん!」

 

どたどた。

舌を出して逃げる日菜を追いかける。

 

「きゃー! おにーちゃんにイタズラされるー!」

「こ、こらっ、人聞きの悪いことを言うな!」

 

再び首根っこをつかんだ瞬間。

からんからんっ。

バーの扉が開いた。

 

「やー、今日は珍しく早い時間に着ちゃったよ。開いてるよね……って、え?」

 

常連の小太りの中年会社員、米沢さんが、俺たちを見て、固まった。

あ、やばい。

米沢さんがフルフルと震える。

 

「わ、わ、わ、渡辺君」

 

俺の名前を呼んでから。

日菜のほうを見る。

 

「じょ、じょ、じょ、女子高、せい!?」

 

なぜか最後の「せい」が裏返った変な声で発音してから、ぶわっと泣き出した。

 

「せ、青春が羨ましいわけじゃないからなー!!!!!!」

 

そんなことを叫んで、走って出て行った。

よ、米沢さん……。

俺は苦笑いした。

まぁ、あの人なら通報したりはしないだろう。

あとで弁明は必要だろうけど。

 

「楽しそうな人だったね♪」

 

ここぞとばかりにるん♪ってした表情でごまかしてくる日菜。

俺はそのこめかみに両手を当てた。

 

「お前のせいだろうが~!!」

「いひゃいひゃい~~」

 

ぐりぐりしてやった。

ひとしきりお仕置きしてから、改めて日菜を送り出す。

 

「おにーちゃん、ひどいよー」

 

ぐりぐりされたこめかみを摩りながら日菜が言う。

 

「自業自得だ」

「うぅぅ~」

「そ、その」

 

少し迷ったが。

俺は言葉を発した。

 

「つ、次からは、開店時間までに帰れよ?」

 

やべっ。

ちょっと恥ずかしい。

ぽかん、と俺を見上げた日菜は。

見る見るうちに笑顔になって。

 

「うん! 明日も遊びにくるー!!」

 

抱きついてきた。

 

「こ、こら! 離れろ! さっさと帰れ!」

 

くそっ。

やわらかいし、いい匂いだ。

 

 

* * *

 

 

別れ際、ふと思い出したように、日菜が言った。

 

「あ、そうだ。おにーちゃん♪」

「まだなんかあるのか?」

「明日来るときは、楽器持ってきてもいい?」

「え?」

 

楽器?

いま、楽器って言ったのか?

俺の頭の中が、真っ白になる。

 

「あたし、最近ギター始めたんだ。結構上手いんだよ? 明日、おにーちゃんに聞かせてあげる」

「え、あ、いや、な、なんで?」

 

口が、からからに渇いていく。

 

「ん?」

 

日菜が無邪気な表情で首をかしげた。

 

「なんで、急に楽器の話を?」

「だって。このお店ってライブもできるんでしょ?」

 

何も知らない日菜が残酷な言葉を発した。

 

「おにーちゃんが開店時間だー!って慌てて外に出てた間に探検したんだ。このお店、奥に小さなライブスペースがあるんだね。お手入れしてなくて錆びてたけど、トランペットも見つけたよ! もしかしておにーちゃんの?」

 

小さな子供が、親に内緒で家の中を勝手に冒険したことを告白するかのように。

イタズラに微笑む日菜。

でもそれは、冗談で済むことではなかった。

 

「悪いけど、もう帰ってくれ」

「え?」

「帰ってくれよ」

 

俺は、つぶやく。

 

「それで、二度と来ないでくれ」

 

吐き出すように、言った。

 

「え、あ、なんで? あの」

 

日菜が驚いたように、顔面蒼白になる。

 

「お、おにーちゃん?」

 

おろおろと戸惑う少女に、俺は言い放った。

 

「帰ってくれ!」

 

 

* * *

 

 

それから後のことは、あまり覚えていない。

日菜が出て行ってすぐ、扉を鍵をかけたことだけは覚えている。

この場所に、誰も入ってこないように。

何時間も、ずっとカウンタースツールに座っていたような気がする。

寒さに体が震えて、ようやく顔を上げた。

気がついたら、24時を回っていた。

外の寒さが、店の中にまで忍び込んでいた。

俺は立ち上がった。

数時間前までこの店の中を明るく暖めていた少女の体温は、もうどこにも存在しなかった。

ほんの少しのすれ違いがすべてをぶち壊してしまったからだ。

それどころか俺は。

個人的な理由で、何も知らない少女を傷つけてしまった。

のっそりと立ち上がった。

店の奥のスペースまで、とろとろと歩いた。

両手を広げればもう手狭に感じられるほどの小さなスペース。

そこは確かに、ライブのできるスペースだった。

それどころか、俺自身この店で、たまに演奏をしていた一人だった。

そのころの俺は大学生だった。

トランペットを吹くことが趣味だった。

台の上に飾られた錆びたトランペットを一瞥する。

それはしかし、俺のものではなかった。

この店を根城にしていた凄腕トランペッターの永沢さんのものだった。

俺よりもたった2歳年上なだけなのに、彼は火が出るような鋭いフレーズを吹くことができた。

彼の演奏を聞いていると、皮膚がやけどするかのようだった。

千切れそうなぐらいに高いハイノート。

それを聞いたときは頭がぶっ飛んだものだ。

俺はそんな彼に憧れていて、いつか彼のように吹くことが夢だった。

ところが彼は、一年前。

突然の事故に巻き込まれて死んでしまった。

あっけなかった。

ジャズメンは長生きできないというジンクスを体現しているかのようだった。

あの日。

ライブが終わった後、俺と永沢さんは立ち話をしていた。

俺は彼に、ブレッシングのコツについて熱心に問いかけていた。

 

「おいおい、渡辺、興奮しすぎだぜ」

 

永沢さんが苦笑いした。

 

「まだタバコも吸えていないんだ」

 

そう言って胸ポケットをまさぐる。

 

「おっと……切らしてたか。渡辺」

「は、はい」

「これ持っててくれ。買ってくる」

 

そう言って、永沢さんが俺の胸に、彼のトランペットを押し付けた。

 

「あ、俺が買いにいきますよ」

「いいって。パシリをさせるのは好きじゃないんだ」

 

自分の吸うヤニくらい、自分で買ってくるさ。

そう言って店を出た彼は。

真夜中の路地を走ってきた酔っ払いの車にすりつぶされて死んだ。

俺の手元に、彼のトランペットだけを遺して。

 

 

* * *

 

 

あの日のことが、脳裏に浮かんだまま、俺は錆びたトランペットを一瞥した。

それを手に取る。

手入れもせずほったらかしのトランペットは、くすんで、痛々しくて、そしてズタボロだった。

永沢さんの遺品のトランペット。

俺は、ピストンバルブにゆっくりと指を乗せた。

息を吸い込む。

しかし。

口元が震えた。

息が、漏れるようにはき出た。

 

「くそっ」

 

吹けない。

……そうなのだ。

永沢さんが死んだあの日以来。

俺は、トランペットが吹けなくなってしまった。

吹こうとすると、あの日の彼の顔が浮かんでしまう。

演奏が終わった後、引き止めて話し込んでいたのは俺。

タバコを切らしたとき、代わりに買いに行かなかったのも俺。

もちろん、すべてが俺の責任でないことはわかっている。

でも。

どうしても。

俺は、トランペットを吹こうとすると震えてしまう。

 

 

* * *

 

 

事故の後、自暴自棄になり、大学も辞めてしまった俺を拾ってくれたのが、店主の藤代さんだった。

もう演奏もしていないのに、ここで飲んだくれていたときに、彼は言ってくれたのだ。

 

「やることがないなら、バーテンでもしろ」

「え?」

「俺はもう歳をとって、立っているのがつらいんだ。一人でいるのも寂しい」

 

その言葉は彼の優しさだったのだろう。

俺が働きだし、要領を覚えてからはほとんど店を任されているなので、もしかしたら本当に人手が欲しかっただけかもしれないが。

だから、感謝している。

この場所は、俺の居場所だ。

しかし。

しかし、くすんでいる。

あの日以来、俺の世界そのものがくすんでいる。

目標としていた永沢さんがいない世界。

もうトランペットを吹けない世界。

俺がバーテンダーになってしまった世界。

今の俺は、偽りの俺。

仮初めの俺。

バーテンダーを目指しているなんて、嘘。

ただ、成り行きでやっているだけ。

それは本当の俺の夢じゃない。

俺の夢は……もう壊れてしまった。

俺はこれからずっと、仮初めの俺であり続けるしかないんだ。

 

 

* * *

 

 

翌日がやってきた。

気がつかない間に、カウンターにつっぷして眠っていたらしい。

手元には、ウィスキーが少量残ったままのロックグラス。

俺が飲んだものだ。

 

「俺は何でこんなに馬鹿なんだよ」

 

自嘲気味につぶやく。

勝手に過去を思い出して、勝手に苦しんで、勝手に酒を飲んで。

こんな22歳、情けなさ過ぎる。

 

「あいつにも、悪いことをしたな」

 

昨日まで俺に懐いていた少女の顔が浮かんだ。

太陽みたいな明るさで、俺のくすんだ世界にいろどりをくれた女の子。

あの子は何も悪くない。

俺が勝手に冷たい態度を取ってしまっただけ。

きっとわけがわからなくて混乱しただろう。

本当に、ひどいことをしてしまった。

もしもまた会えるなら謝りたいが……。

 

「もう、二度とこないだろうな」

 

そりゃそうだよな。

俺はため息をついた。

壁にかけてある時計を見たら、もう17時だった。

どんだけ寝てたんだよ、俺。

のそのそと起き上がり、洗面所で顔を洗って、髪を整えた。

それからカウンターの掃除をして、昨日飲んだ痕跡を消す。

ようやくある程度整ったら、18時過ぎになっていた。

 

「外の空気を吸うか」

 

そんな言葉をつぶやいて、扉を開けると。

 

「ひゃんっ」

 

女の子の声が聞こえた。

可愛らしい、線の細い声。

 

「え?」

 

驚いて、扉のすぐ向こうを見る。

薄暗い店内に、外の光が差し込んでいた。

そんな明るさの中に。

日菜がいた。

 

「あ! おにーちゃん!」

 

俺の顔を見るや否や、花が咲いたように顔をほころばせる。

 

「ひ、日菜?」

「う、うん」

 

少し照れくさそうに、日菜がうなづく。

昨日と同じ制服姿。

やっぱり走ってきたのか、少し髪が乱れている。

 

「ど、どうして?」

 

俺が問いかけると、日菜はぷんすかと頬を膨らませて言った。

 

「どうしてもこうしてもないよ。昨日と同じぐらいの時間からずっとお店の前で待ってたのに、ぜんぜん来ないんだもん。実は中にいたなんてずるいよー」

 

いや、論点はそこじゃない。

 

「あ、いや、あのさ。俺、昨日、ひどいこと言ったのに」

「んー?」

 

日菜が、俺を覗き込んでくる。

好奇心豊かな、つぶらな瞳。

その美しい瞳の下瞼に、うっすらとクマがあった。

 

「ていっ」

「うわわっ」

 

急に日菜が俺をぺしっと叩く。

ぜんぜん痛くなかったけど、俺は揺らめいてこけそうになった。

 

「な、なにするんだよ」

「あははっ。今ので許してあげる」

 

べーっと舌を出した。

 

「あたし昨日、何で怒られたのかわかんなくってすっごく悩んじゃったんだよ? ……でも」

 

少女は、俺をびしっと指差した。

 

「悩んでもわからないから、なかったことにした!」

 

な、なんというポジティブシンキングだ。

 

「ま、怒られるのは、おねーちゃんで慣れてるからね」

 

そ、そうなのか?

 

「それにー」

 

ぐぐいっと距離をつめてくる。

か、顔が近い。

 

「あたしやっぱり、おにーちゃんに興味あるし。るん♪ってきた男の人なんて初めてなんだもん」

 

相変わらず、謎な擬音を使いやがる。

 

「ね。ね。だから、昨日はもう来るなって言ってたけど、これからも来てもいいよね?」

「うっ」

 

つぶらな瞳でおねだりされると。

どうにも断れない。

 

「わ、」

「わ?」

「……わかったよ」

 

俺がちょっと目をそらしながらそうつぶやくと。

 

「やったーーー!」

 

子犬みたいに日ながぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 

「そんじゃ、おにーちゃんの店に突撃だー!」

「あ、こら待て!」

 

ぴゅーって漫画の擬音がつきそうな勢いで勝手に店に入っていきやがる。

 

「しょ、しょうがないやつだな」

 

やれやれとつぶやいて後を追うのだが。

俺の口元は、なぜか笑ってしまっていた。

 

 

* * *

 

 

そのあとは、「仲直りのしるしにカクテル作って!」とせがまれて、またカクテルを作ってやった。

両手でグラスを持って、んぐっんぐっと子供みたいな動作でノンアルコール・カクテルを飲む日菜は、今日はなんだか大人しい。

グラスに半分ほどドリンクを残して、カウンターに顔をくっつける。

 

「おいおい、寝るなよ」

「寝たりしないよー。こうやっておにーちゃんを見てるだけー」

 

目を細めて、そんなことを言う。

まったく。

自由奔放なやつめ。

俺は、背中に日菜の視線を感じながら、バックバーのボトルの整理をする。

なんだか、静かでやさしい時間。

昨日の嫌な出来事が霧散していくようだ。

 

「ねーねー、おにーちゃん」

 

ちょっと眠そうな柔らかい声で日菜が話しかけてくる。

 

「なんだ?」

「あのね、なんでもない」

 

なんでもないのかよ。

 

「んー」

 

よくわからない、ふにゃっとした声を発してから、日菜がつぶやいた。

 

「いつか、おにーちゃんのこと、もっともっと知りたいな」

「え?」

 

ドキッとして振り向くと。

この気まぐれな少女は、すぴーと音を立てて寝ちゃっていた。

まったく、男と二人きりなのに、無防備だ。

目の下にクマがあったから、きっとこいつはこいつで、昨日、悩んだんだろうな……。

 

「俺のこと、か」

 

たしかにそうだ。

日菜は、俺のことをほとんど何も知らない。

何でバーテンをやってるのか、とか、トランペットのこと、とか。

今はまだ、他人に話せるような心境ではないけど。

いつか、こいつになら、話せる日が来るかもしれない。

 

「そうなったらいいけどな」

 

俺が、一人つぶやくと、答えるかのように日菜が変な寝言を言った。

 

「にゅふふふぅ」

 

 

その表情は、ゆるっとしていて、幸せそうこの上ない。

その幸せそうな表情を見ていると、ちょっといじめたくなってきた。

 

「……このっ」

 

ほっぺをつんっとしてやった。

 

「ん、んぅぅぅ」

 

日菜がくすぐったそうに身をよじる。

そのほっぺは、すごく柔らかく暖かかった。

 

 

(完)

 




いかがでしたでしょうか。
久しぶりに小説を書いたので、すごく緊張しています。
リハビリのつもりで書いたので、未熟な作品になってしまったかもしれません。
ほんの少しでも、楽しく読んでいただけたら嬉しいのですが。
日菜ちゃんらしい雰囲気がちゃんと出せているか、すごく心配しています。
違和感などございましたら、ご教授いただけると助かります。
また、ご意見やご叱咤、激励などございましたら、気軽にお伝えいただけますと幸いです。
今度も、お言葉を胸に留めて研鑽してまいります。


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