ナツミ・シュバルツ。
ルグニカの影の女王――十七歳。
博識であり努力家。しかし、その努力が誉められることをあまり良しとせず、徹底して隠そうとする。
よく笑い、よく怒り、よくふて腐れては、どうしようもないことで大袈裟に驚いてみたりと感情の起伏の激しい喜怒哀楽に溢れた友人だ。
僕、ラインハルトはそう認識している。
そして、もう一つ。
ナツミ・シュバルツはナツキ・スバルという前世の記憶がある。
これは、彼女本人によって打ち明けられたものではなく『視界にある全ての生者の魂の色を判別する加護』や『相手が女装や男装をしようと決して性別を見誤らない』という僕が複数持つ加護によって偶然分かってしまった事実で、彼女が何よりも知られて欲しくなかったパンドラの箱であった。
「影の女王と最優の騎士か……」
真新しい冊子を手にして、彼は小さく息を漏らす。
この本はアナスタシア・ホーシン監修の元、ホーシン商会にて大々的に売り出され近年稀に見るヒット作として彼女の祖国たるカララギ都市国家は勿論のこと、このルグニカや神聖ヴォラキア帝国までも普及する――近々劇場化の話も進められている作品だ。
あまりこの手のジャンルには疎遠となるラインハルトも友人の騎士の薦めで読む事になり――高飛車でどこか抜けているお嬢様と、淡い恋心と友愛の区別もつかぬ幼なじみの騎士がそれぞれの道を歩みながら、時に交差し、ぶつかり合って支え合い、やがて互いを異性として意識し出す物語には素直に面白いと感じた。
現在出版されているのが序章であり、次回作が出れば自ら買いに行こうと思うぐらいにはこの本に魅了されてしまったと思われる。
これが、ナツミ・シュバルツとユリウス・ユークリウス。二人の友人が元となっている事を知るまでは。
※※※※※※※※※
――シュバルツ領に魔獣の群れが住み着いた。
「ご協力感謝いたします」
当時、十五歳にしてシュバルツ家当主に在られるナツミ様の嘆願を受けて我ら騎士団はその討伐へと赴き、本来なら僕のような位のものが任される仕事ではないが、私は友人であるユリウスに同行してその任務に当たっていた。
剣を真上から下へと振り下ろす。
猫科の中型魔獣。その首を切り落として付着した血を彼、ラインハルトは払った。
「お見事」
「お褒めに与り光栄です」
隊列を組む騎士団の中で紅一点。
微笑みを浮かべ、騎士を褒め称える仮初めの主にラインハルトは儀礼の感謝を告げる。
「……何故、君がいる?」
危険な魔獣の跋扈する森の中ではあまりに似つかわしくない黒曜のドレスを纏った少女――ナツミ・シュバルツ。
青年の記憶が確かなら、彼女は自らの屋敷を背に我らを見送り出して安全な場所で任務完了の報告を待っている筈だった。
眉を八の字に歪めたユリウスは声に出して彼女の肩を掴む。
「お役所仕事に嫌気が差して……いえ、折角の機会ですもの。彼の剣聖の腕前をこの目に収めようと、こっそり着いて来たのですわ。一応、剣聖様から許可は戴いています」
「――なッ」
絶句して僕を見るユリウスに困ったような笑みを返す。
我ながら恵まれていることは自覚している。どれほど強力な魔獣が現れようと淑女一人守り通せる自信があった。
勿論、慢心が理由というわけではない。
彼女自身、魔法使いとして高いポテンシャルを誇り、森の管理者としてかなり詳しく地理を理解している事から此度の任務に有用であると判断し、僕が守り、我々の陣形から離れない事を条件に騎士団から許しを得たのだ。
「仮初めとはいえ、ナツミ様は僕の主となられた。大丈夫、君の友人はこの僕が責任をもって守護しよう」
「――いや、騎士団の総意なら今さら彼女に引き返せなどとは言うまい、しかし彼女の守護は私が請け負う」
ラインハルトの背に隠れるナツミ嬢を見つめ、ユリウスは数秒思案して彼女を強引に抱き寄せた。
「なっユリウスぅ!?」
戸惑うナツミ様。
ここにフェリスやアナスタシタ様がいれば、普段からそのぐらい積極的にいけや!と鋭いツッコミを放つのであろうが、察しの悪い事に、その時の僕には彼がナツミ様に対して特別な想いを抱いていたことに気付くことが出来なかった。
―――後編へ続く?
※この頃のナツミ嬢は軽犯罪専門の裁判官です。
騎士団の前なので猫被り中。