『――かくして、影の女王と最優の騎士は結ばれましたとさ。めでたし、めでたし』
ルグニカに構えるホーシン商会のとある一室。
紙にペンを走らせるアナスタシアは、苦しげに唸った。
「う~ん、悪うはあらへんけど今一しっくりけえへんな」
現在彼女が執筆しているのはホーシン商会で大々的に売り出し中の『影の女王と最優の騎士』という恋愛小説だ。
元はナツミ・シュバルツとユリウス・ユークリウスを参考に趣味の一環として彼女が始めたものであるが、あれよこれよと人気が募って、いつの間にか近隣諸国を渡り行くほどの近年希に見る大ヒット作となってしまった。
これでも商人や王選候補者として忙しい日々を送る中、中々執筆作業に時間を割けないので、年に一冊出せるか出せないかのスロースペースだったが、ファンも離れることなくむしろ助長して全二十三巻を持って完結するまで漕ぎ着けた。
これだけの人気なら蛇足してもう少し稼ぐことも出来るのだが、これを始めた当初、手紙で感想をくれたファンの一人に二十三巻ぐらいで完結させてみせると公言してしまっている。
アナスタシア自身もそれぐらいで構想を練っていたし、一度決めたことは絶対に曲げないのが彼女の流儀だ。
本当は未回収のフラグとか設定上現れても実際に描写されていないキャラもいるのだけれど、この物語の本質はナツミお嬢ちゃんとユリウスが結ばれるまでの『過程』
そこを違えて物語の質を落としては元も子もないと、あえて暈した所は読者の想像に委ねることにした。
ゆっくりと書き上げた紙の束を取ってペラペラと読み返していくアナスタシアは、『影の女王と最優の騎士』完結という文字の前にその手を止める。
「……やっぱユリウスからナツミちゃんに告白するのは、現実的に考えても一番あり得そうやけど、ナツミちゃんがこないに素直なええ返事をくれるわけがない」
物語のクライマックス。色々な困難を乗り越え、やっとのこと自分の本当の想いに気付いた最優の騎士がついに影の女王に告白するシーン。影の女王は今までの益荒男のようなイメージから一変、頬を赤らめ生娘のような反応を見せて、「はい!」と粋のいい返事を返すのだが……どうにもこの展開が負に落ちない。
自分の知るナツミお嬢ちゃんなら、何と言うか……この世のものとは思えない下手物を見たかような分かりやすい拒絶の意を示して断りそうなのだ。
ユリウスはどこに出しても恥ずかしくない立派な一の騎士だが、そこはやはりナツミお嬢ちゃんの精神が男に寄りすぎているのが原因だと思う。
いっときは、“そういうもの”なのかとアナスタシアも勘繰ったが、化粧はするし可愛い服や綺麗な装飾品には「自分の魅力を引き上げられる」からと目がないので、単純に色恋沙汰に興味がなく、逆に感心がないものだから必要以上に毛嫌いしてしまうのだろう。
ただでさえ誰にでも性差なくあたってしまうナツミお嬢ちゃんを、恋愛の空気にもっていくのは大変なのに、欠片も興味がないのだから、やりずらいったらありゃしない。
「はぁぁ~」
二人の関係は悪くないし、ナツミお嬢ちゃんもちゃんと結婚して子供を作って後継を育てる重要性は理解している。
ちょっとした切っ掛けさえあればあの二人は結ばれる。だから義務とか責任で圧し固めて二人を強引に結びつけるのは簡単だと思う。
けれど、二人にはちゃんと愛しあってもらいたいとアナスタシアは思っている。
国の為に尽くし愛のない形だけの家庭で生涯を終えたり、一方的な愛を囁くばかりでは閑古鳥も鳴こう。
そして何よりも、見ていて甘酸っぱくなる彼らの関係がそんな苦いものに落ち着いてほしくない。
何とか砂糖ドボドボの関係になってくれればとこれまで後押ししてきたが、結果は芳しくなく――
唯一良さそうな雰囲気だった時はユリウスがナツミお嬢ちゃんが触れてほしくない特大の地雷を踏み込んであえなく撃沈。
今のままだとユリウスが勇気を出して告白しても、ナツミお嬢ちゃんは断る。
いや、断るだけで済めばいいがお互いに変な空気感になって、そのまま疎遠になりそうだから、むしろ今勇気を出すなとアナスタシアは言いたい。
「……どないしよう」
影の女王と最優の騎士はあくまでもフィクション。
フィクションと現実は違うが、二人を元にしただけにかなり二人とキャラが似た寄っている。
高圧的で、天然で、努力家で、変に面倒見がよくて、他人の痛みを理解出来るが、自分のことはいつも二の次。
失敗したら、ひたすらに抱え込んで、心をボロボロにしていく。表の顔を見ているだけでは分からない痛々しいまでの自己犠牲にあふれたヒロインの影の女王。
そんな彼女が友達が欲しいと、初めて願って初めて出来た友人の最優の騎士は彼女の良い所も悪い所も全て受け止めてくれた。
彼は、本当の意味で孤独な女王を支えられる存在になろうと友として準じるのだが、それが成長する内に恋心が芽生えて、段々と友達が欲しいという彼女の願いに葛藤していく様や、そんな自分に嫌気が差しているのではないかと、心暗くしていく影の女王。
ナツミお嬢ちゃんは、恵まれた友人達によってそのような自体には陥ってないが、どれだけ才能があって努力してもやっぱり人間だから失敗はするし、支えてくれる人間がいないと、ナツミお嬢ちゃんの性格からしてどんどん沼に嵌まっていくタイプだ。
この物語は最優の騎士以外に頼れるものがいなかった場合のナツミお嬢ちゃんのIFのような話。
現実のナツミお嬢ちゃんでは考えられないほど、精神的に追い詰められて、自暴自棄になり、途中自我が崩壊する状態にすら陥るが、それでもナツミお嬢ちゃんは芯が図太い人間だ。
どれだけ参っても根っこの部分は変わらない。
だから、これだけお膳立てして好感度稼ぎらしいことをしても、告白をOKした途端に胡散臭くなるのだろう。
「……ん?」
告白シーンを改修するのは確定として、何を足せばナツミお嬢ちゃんらしくなるのかと完全にペンの止まってしまったアナスタシア。
背後の扉がコンコンコンと叩かれる。はて、今日は用事などなかった筈だと首を傾げるアナスタシアは意外な来客に目を見開いた。
「アナスタシア様、少しよろしいでしょうか」
「…ユリウス?」
※※※※※※※※《エミリア》
ジメジメと今にも降り出しそうな曇り空。
綺麗に舗装された街道を浮かない顔をして歩く。
(明日、パックの話だとロズワールはナツミ・シュバルツさんと会談する、か……)
私が王様になれば、きっと一番付き合いが長くなるのはその人になる。だから会っておいて損はないとパックは言うけれど、自分はナツミ・シュバルツさんがどれだけこの国で頑張ってきたかを知らない。
ただこんなに素晴らしい国を作るなんて凄い、と思うだけ。
「変な人だって思われるのかな」
今のエミリアには自分が王様となった場合、どのようにしてルグニカを導いていくのか目標がない。
それに王選候補者として何かするわけでもなく、ロズワールの用意した王都の屋敷で大人しくしているだけ。
ナツミ・シュバルツはその間に絶え間ない業務をこなしてルグニカを支えているだろう。
…考えれば考えるほど自分が嫌になる。
エミリアのそんな感情に共鳴するかのようにポツリと落ちた滴が絶え間ない豪雨となって、彼女に降り注いだ。
「……はぁ」
エミリアはそれに少しだけ苛立ちながら屋敷へと踵を返す。
そして少しだけ近道をしてしまうおうとリンガの屋台近くにある路地裏に入った。
「“ロマネ・コンティ司教は魔女の因子を失っていない。彼は福音に従い、ナツミ・シュバルツの暗殺を決行しようと企んでいる”」
「――――はぁ…はぁ、」
「…やはりダメですか。ならば仕方がありません。
今の彼女と私が会うわけにもいきませんし、誠に悲しいことですが本日を以て、怠惰の席は永久欠番といたしましょう。
――では、ペテルギウス・ロマネ・コンティ司教、よい旅を」
その端で、男の人が蹲っていた。
「私は……誰…いや、私は愛に、魔女に寵愛を……?
いや、違う私は…私は、私は!」
暗いローブをした緑髪の男の人。
顔は死人のように白く、支離滅裂に叫び散らし胸を掴んで辛そうに喘いでいる。
……どうみても普通の状態ではなかった。
パックが外に出られる時間も過ぎてしまった今、危ないヤツには近づかないと約束しているエミリアはきっと気付かないふりをして通り過ぎるべきだったのだろう。
――だけど
その後ろ姿を見ていると、寂しさなのか、悲しさなのか分からない不思議な感情が胸に宿る。
「あの、大丈夫ですか?」
エミリアは少しだけ迷う素振りを見せて、男に声を掛けた。
「…………あ」
私の存在に気付いた男はハッと顔を上げて、充血した男の目とエミリアの紫色の瞳が重なる。
「エミリア……」
掠れた吐息が最後。
気絶した男の答えに、エミリアは目を見開いた。
「え、わたし貴方に名前を――」
※※※※※※※《ガーフィール》
「―――これ以上は持っていけねぇから次の竜車に乗せろ」
ぶっきらぼうな物言いに、「あい、分かったよ」と犬耳を垂らして自分の前を去っていく老人にガーフィールは盛大な息を吐く。
「たく、何で俺様がこんなに面倒なことを」
―仕方あるまい、ガー坊が試練を突破したのだから。
皆ガー坊を頼りにしているのじゃ―
ガーフィールの首にかける
「…出てきて大丈夫なのかバアちゃん」
―生身であったころより大分窮屈だが、問題はないぞ―
心配そうに問い掛けるガーフィールに大丈夫だと言葉を送る。
彼女は少し前まで人の体で存在していたが、
元はぶっきらぼうな性格のガーフィールも流石にその事を気にしているのか、彼女と話す時は少しばかり覇気がない。
「『儲け話の陰にデリデリデあり』だが、俺様にここまでさせたんだ。
そんな理不尽を俺は認めねえし、認めさせるつもりはねぇ!
ナツミなんちゃらだとか言う影の宰相…この俺様が直々に見定めてやるぜ!」
と、思えばそれは錯覚だったのか、直ぐにいつもの調子に戻った。
―そんなこと言って、死んだかと思っていた母親に会いたくて仕方がないのじゃろう―
「……うるせえ!
兎に角、俺は――父さんのことも母さんのことも!自分の目で見るまで信じねぇ!」
言葉ではそう言っているが、表情全体を見なくとも分かるぐらいガーフィールの頬は嬉しそうに弛んでいる。
それにカラカラと結晶石の中で笑うリューズ・ビルマは、きっとこれから素晴らしい未来が待っているのだろうと待ち遠しく思う。
ルグニカの王都。全ての種族が差別なく暮らすという楽園を。
※※※※※※※※《ナツミ・シュバルツ》
「さぁて!今日も仕事頑張るぞー!」
書類の束を机に下ろして、パンッと頬を叩くナツミ嬢。
明日にはメイザース辺境伯との会談の時間もあるのだし、その時間分まで今日中に終わらせて見せるという彼女はいつになくやる気だ。
早速、期限の迫っているものから取り掛かろうと手を伸ばしていく。
「そう言えば、もう聖域からの受け入れの時期か」
五枚ほど書き終えた時、一枚の紙が目に止まる。
これはナツミが偶然助けた獣人の女性からの要望で、オットーと協力して長いスパンで進めていた計画の一つだった。
先日のオットーの話は、聖域という種族間を跨いだハーフ達を守護又は幽閉する聖域と呼ばれる場所。その来るもの拒まず去るものを許さない強力な結界の解放に付いて、住む家を失った住人達の受け入れ先と働き場所の提供。そしてオットーに任せていた自称門番を名乗るガーフィールという少年を説得して見事、聖域の解放を達成したという嬉しい報告であった。
ナツミは感傷深く頷いて数百人規模の移住希望にサインする。
「一度聖域の人達には俺から話を通しておかないといけないし……また俺の時間が短くなったな。
くそぉ、俺の知る異世界転生と何もかもが違えよ」
僅かに涙を浮かべて、少しばかり自らの不幸を嘆いてみる。
そこからニヤリと笑い、高らかに声に出して言った。
「だが、働き疲れて諦め癖だなんて下らねえ。
どこまでも俺をブラックに突き進めるというのなら、突き当たる壁すらぶち破って、どこまでも走り抜けてやる。
……運命様上等だ!」
別に望んで転生した訳でもないし、夢にまで見た銀髪エルフはいないわ、性転換してるわ、ホワイト公務員になったと思ったらブラック企業に強制転職させられるわで、散々な人生……だが、
この世界に来て、たくさん友達が出来た。
実は、この世界に生まれてから前世のことは段々と忘れていって――いつかナツキ・スバルと決別する時が来るのだと覚悟している。
今は父親や母親の顔がうっすらと分かるぐらいで、自分が馬鹿やって二人には散々迷惑をかけてしまったとしか覚えていない。
もし自分からナツキ・スバルが綺麗さっぱり消えてしまった時のことを考えると、どうしようもない不安に襲われるが、ナツミ・シュバルツには支えてくれる友達がいる。
彼らがいればどんな困難にも立ち向かえる。そう信頼しているから俺は今を笑うことが出来る。
「ただのナツキ・スバルと違って、俺様は手強いぜ。
何せ、ナツキ・スバルとナツミ・シュバルツの二人分+友達全員が俺の力になってやがる。
俺を殺したきゃ、あれだな……。
ラインハルトを五ダースは揃えないと無理だから、そこんとよろしく!」
ありがとうございました。
本編につきましては、これ以上続けると『リゼロ』になる……といえばいいのやら、ナツキ・スバルの記憶を完全に失ったナツミ嬢がメンタルボロボロになったり、ロズワールは相も変わらず暗躍し続け、魔女が介入してきたりと、シリアス展開ばかりで、少々強引ではありますが『平和なリゼロ』がテーマのこの世界で締めくくる為に、これにて完結とさせて頂きました。
一応、続きみたいなのがありますが本編は完結したという扱いでお願いします。